象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

形骸化した”イイね”と慢性化したブログ〜たかがブログ”その19”

2021年06月30日 09時22分51秒 | ブログ考

 私は余程の事がないと”イイね”を押さない。読んでて”なるほど”と思わない限り、いいねを押したくない。
 しかし最近は、お付き合いでイイねを押すようになってきた。読まないでイイねを押すのも気が引けるが、付き合いとはそういうもんだろう。
 他人のブログを読む事もあまりないが、できるだけ読むように努めてはいる。

 正直、人のブログを読むのも苦痛だが、イイねを押すのはもっと面倒だ。”アホ臭”と内心思っても、”イイね返し”は香典返しと同じく、日本の伝統であり礼儀作法なのだ。だからお祭りとイイねがなくなる事はないだろう。
 そういう私も日本人だから、渋々イイねを押す。しかし何事にも限界はある。嫌なものは嫌なのだ。かと言って、イイねのオプションを敢えて外す理由もこれまた見つからない。

 日本のブログは単調で無難なテーマが多い様な気もする。
 ペットや旅行にグルメ、三面記事にスピリチュアルやカルトや陰謀説。どれも日本人らしいと言えばそれまでだが、どうも私には物足りなく感じてしまう。
 何故日本人は、単調で慢性的なテーマを延々と好むのか?
 勿論、それが日本の伝統と言えばそれまでだが、余りにも短絡過ぎる様にも思える。あ


日本の伝統と単純作業と匠の技

 日本の伝統産業には、非常に繊細で緻密ではあるが、比較的単純な作業が多い。これは日本人がバカという事ではなく、単純作業の持つ意味を深く理解してるからこそ、長らく続けてこられた訳で、文化レヴェルや知能が低いから単純作業しか出来ないのというのとは違う。
 ”匠の技”と言えば、聞こえはいいかもしれないが、同じ事を延々と続けるのは異常なまでの根気と辛抱が要る事でもある。私みたいな飽きっぽい性格ではとてもついていけない。

 「何故?日本人は寿司に群がる」でも書いたが、寿司は元々魚の保存食を原点とし、”ふなずし”や”なれずし”を経て、”早ずし”というシンプルな握り寿司に進化した。それ以外にも、押し寿司やちらし寿司や巻きずしなど、様々なバリエーションを生み出してきた。
 今では、回転寿司や回転しない寿司まである。寿司は世界中に広がり、SUSHIとして認知される様にもなった。
 つまり、寿司という単純に見える伝統食も、これだけ様々に変異してきたのだ。
 だが、寿司を握るとは単純作業だから故に、ここまで多様化してきたのだろうか?それとも、寿司が変異に適した食だったのだろうか?

 日本の伝統産業に単純作業が多いのは、島国農耕族のノホホンとした性格にもあると思う。大陸とは異なり、外的驚異や異民族の侵略が少ないから、単調な事を安心して続けられる。
 異文化の交流が少ないから、単調なままで変異しにくい。数学で言えば、計算ドリルを飽きずに延々と続ける様なもんだが、3千年も続ければ、立派な伝統いや”匠の技”だろう。いやそうでもないか。
 しかし、単純作業を延々と継承するだけで、創造は生まれるのだろうか?いや、もし継承を繰り返す事で創造が生まれるとしたら?
 創造は伝統を打破する事で、より大きく変異する様にも見えるが、創造は伝統を引き継ぐ事で生まれるとも言える。


伝統とは創造されるもの?

 そしてもし、伝統が継承するものではなく、創造されるものだとしたら?つまり、”伝統=創造”だとしたら?
 数学の世界では、”継承は創造”である。故に、”伝統=継承→創造”という構図が成り立つ。
 しかし現実世界でも、”伝統=創造”を唱えた哲学者がいる。
 イギリスの歴史家ホブズボウム(1917-2012)は、伝統は昔から受け継がれてきたものと考えられてたが、実際は”伝統とされるものの多くが近年になって創り出された”と主張する。
 ホブズボウムは、英国にて儀礼や文化などの伝統が発明されるという現象が、19世紀以降に現れた事に着目した。
 例えば、スコットランドの伝統文化の象徴となってるキルトスカートやバグパイプは、近代になってイングランドとの伝統の違いを強調するスコットランドの”ナショナリズムによって捏造された伝統である”事を指摘する。
 つまりホブズボウムは、”伝統や文化を近代化により消滅するものとして捉えるではなく、近代化により生成するものだと捉える必要がある”と語ってるのだ。

 そういう私は、”伝統は引き継ぐ事で変異を起こす”と考える。つまり、継承する過程で変異を起こす。伝統は姿形を変え、次世代に受け継がれ、継承する度に変異を繰り返す。
 変異しない伝統は、時代の片隅に追いやられ、やがて風化する。ミイラを生身の肉体のままで保存する事が不可能な様に、伝統をそのままの形で保存する事は不可能なのだろうか。
 変わらない伝統は引き継ぎ易いが、風化しやすい。変異した伝統は難解で引き継ぎ難いが、腐敗する事はない。
 握り寿司という食文化が、江戸時代のファーストフードという比較的新しい創造(伝統)である事を考えれば、ホブズボウムの論説も納得いくだろう。


最後に〜伝統と変異の歴史

 伝統を数学の歴史で置き換えると、原始数学(計数)の起源は紀元前7万年まで遡るとされます。まさに伝統というものが形作られるずっとずっと前の事だ。
 古代数学は紀元前3千年、ヨーロッパを中心とした近代数学は14世紀のルネッサンス以降とされる。古代数学には世界の4大文明であるエジプト・インド・メソポタミア(中東)が非常に大きな影響を及ぼしました。
 勿論その間には、全くの進歩や変化のない時代や野蛮な時代が織り重なり出来上がった、気の遠くなる怠惰で単調な長い長い歴史がありました。
 そういう意味では、古代数学は人類最古の伝統芸術みたいなもんですね。
 しかし、紀元前3世紀ころに、”幾何学の父”と呼ばれたユークリッド(エウクレイデス)が登場してから、古代数学はギリシャ数学に引き継がれ、変異を起こすようになります。
 特にヨーロッパでは、16世紀から19世紀にかけて数多くの天才を輩出しました。お陰で近代数学は非常に”変異”の激しい、ある意味、非常に野蛮で難解な現代数学へと大きく飛躍します。変異と言えば野蛮に聞こえますが、進化という点では偉大な立役者ですね。
 つまり、伝統というものは旧来の怠惰で平坦な単調な時代と、近代のいきなり変異する野蛮な時代の折り重なりで出来上がるものでしょうか。

 しかし、我ら日本人はそうした怠惰で単調な歴史の中で淡々と生き抜いてきた。そして、これからもその傾向は変わらんだろう。
 でも、それもいい事なのかもしれない。革命とは全く無縁な平和な島国も悪くはない様な気もする。
 お上様の言う事を聞いてさえいれば、全ては上手く行く。三角関数や対数関数など知らなくても足し算だけ出来れば出世も可能だし、官僚にも総理にも社長にもなれる。
 同じ様に、”イイね”さえ押してればアクセ数は確保できるし、最悪、仲間外れになる事も気まずくなる事もない。

 そうこう思ってる内に、大谷翔平が3試合連発のメジャー単独TOPになる28号を放った。彼はベーブルース以来の快挙を破壊しようとしている。
 この若干26歳の若き鬼才は、誰よりも変革を好む青年だ。お上様の言う事を黙って聞いてる様なヤワな男じゃない。
 今やMLBも、このいきなり変異した鬼才いや天才のお陰で、大きな変革期を迎えようとしている。
 やはり、真の伝統とは変異による変革を指すのだろうか?
 大谷を見てると強くそう思う。



4 コメント

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Unknown (びこ)
2021-06-30 15:56:36
そう、このブログの良さは問題意識が高いこと。だから飽きないし、考えさせてくれる。それは転象さんが、いつも問題意識を持っているから。ほんと、世間には無難なブログが多すぎる。
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ビコさん (象が転んだ)
2021-06-30 17:11:25
お褒め頂いて恐縮です。
日本は島国だから、DNA的に問題意識は少ないんですよね。伝統もそのまま引き継ぐだけで何の創造も工夫もない。
その傾向はSNSやブログにも明確に露呈してます。
”今まで良かったからこれからも”というのが日本の常識。でも問題意識も高すぎると、誹謗中傷とかで炎上する。

オリンピックなんかもっと国民が声を荒げて中止をどんどん配信すればいいのに、”今まで頑張ってきたアスリートが可愛そう”なんて曖昧な所に帰着する。
元々、この惑星には問題意識なんて最初からないのかも知れないですね。
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Unknown (k_funaki_love)
2021-06-30 20:22:46
こんばんは。
言葉しらずでコメントも出来ません!
いいなぁ〜と思うのでボタン押してます。
続くて欲しいから応援も続き希望も押します。
難しくてわからないときには続き希望だけ押してます。
これからもお邪魔させていただきます。
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k_funaki_loveさんへ (象が転んだ)
2021-06-30 21:25:02
いえいえそんな事ないですよ。
どんなコメントでも温もりがあり、励みになりますから

どれだけの人が訪ねてるかの目安にはなるので、イイねオプションを外す訳にも行かず、難しい所です。
書く方ばかりに集中し、読み手の事を殆ど考えてませんから、過疎ブログになるんですよね。
これからも宜しくです。コメント有り難うです。
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