象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

”いいね”の受付けやめました〜たかがブログ”その23”

2022年02月17日 03時43分32秒 | ブログ考

 某フォロワーのご指摘通り、いいねの受付をやめた。
 いいねを押されるのも(ログインしてまで)いいねを押すのにも疲れた。復活させる事があるかもだが、当分は”いいね無し”で進めたいと思う。
 因みに、ソーシャルボタン(写真下の4つのアイコン)も外した。(写真上にある)”人気ブログ””ブログ村”も外そうかなと検討している。
 Gooブログの致命傷は広告が多過ぎる事にある。有料アドバンスなのに、(特にスマホ版は)3つの広告がしつこく貼り付く。

 日本人は、こうした”余計”なお世話が大好きな生き物だ。
 「いい人は悪い人」でも書いたが、いいねを(規則的いや機械的に)束になって押す”いい人”が日本人には多すぎる(と思う)。
 以下でも述べるが、いいねを押さないと(又は、いいねを貰わないと)不安になる遺伝子が、日本人には最初から組み込まれてるのだとしたら?
 多分、多くの”いいねアタッカー”は頭の中では理解してると思う。が、解っちゃいるけど止められないのだ。

 読んで気に入らんかったり解らんかったら、押さんでええ。それに、(気持ちは痛いほど解るけど)お返しのイイねも出来れば押さなくてもいい。それに、アクセ数目当てのいいねは、押すべきではない。
 と、本音が出かかってはいるが、それは流石に失礼というもんだろう。
 しかし北京冬季五輪では、度が過ぎる”加油”(ガンバレ)の声援が問題になっている。何でもそうだが、過ぎたるはトラブルの元なのだ。


いいねと強迫観念と日本人

 誤解なく言っておくと、私はいいねをもらって勇気づけられるタイプじゃない。
 50のいいねをもらう位なら(礼儀をわきまえてるという条件付きだが)異論や反論のコメントの方がいい。
 いいねを束で押す人ほど、(それに比例し)アクセ数やいいね数も桁違いに多い気がする。
 私は、いいねをもらう為にブログを書いてる訳ではない。(沢木耕太郎さん風に言わせてもらえば)単に”自分を持する”為の自己満足という慰めでしかない。
 そんな”慰め”に、更に慰めのいいねを束で押されたら、流石に苛ついてしまう。
 ちょっとした善意が大きなトラブルに発展する様に、私にとっては(送る側にとっては)些細な”いいね連打”かもしれないが、それこそが大きなストレスになる。

 (身近な例では)香典もそうだが、送る側に気持ちがあるのなら、(同様に)送られる側にも気持ちがある。自分の都合だけで善意というものを解釈し、理解してほしくない。
 しかし、(伝統的に)不安遺伝子を持つ日本島民は、長らく蓄積された強迫性障害も手伝い、こうした余計なお節介(香典やいいね)を知らず内に送ってしまう。

 相手に失礼のない様にとの気遣いは悪い事じゃない。でも度が過ぎると、トラブルやストレスになるのは明白だろう。
 ”強迫性障害”では、自分でもつまらない事と頭では理解してても、何度も同じ事を繰り返す。やがて日常生活にも悪影響が及び、意志に反して自分で払いのけられなくなり、(中毒症的な)状況に陥る。
 強迫観念では、それが不合理だと解ってても頭から追い払う事が出来ない。また、強迫行為とは、強迫観念から生まれた不安にかきたてられた行為の事で、”やりすぎ”や”無意味”と解っててもやめられない。 
 つまり、日本古来の伝統である香典や”いいね”(という強迫行為?)も、こういう強迫観念から来てるのだろうか。


不安遺伝子と日本人

 ではなぜ、日本人は不安や強迫観念に陥りやすいのか?
 サイコパスブログ(全15話)でも書いたが、そのメカニズムは(3大脳内物質の1つである)セロトニンが大きく関与する。
 脳内物質とは脳下垂体から放出される(精神のバランスを保つ為の)重要なホルモンの事である。セロトニンは幸福ホルモン、ノルアドレナリンは興奮・覚醒ホルモン、ドーパミンは快楽ホルモンと呼ばれる。
 なかでもセロトニンは、ノルアドレナリン(ストレス)の作用を抑えて不安を鎮め、ドーパミン(快楽物質)の作用を抑え、満足感を与えるという貴重な働きをする。

 しかし、いくら脳みそがセロトニンを放出しても、受け手(受容体)に届かなければ幸せを感じる事は出来ない。その配達人こそがセロトニン・トランスポーターなのだ。
 これが機能しないか(又は少ないと)、セロトニン不足に陥り、攻撃性が高まり、鬱などの精神症状を発症し、不安行動をとる。
 その上、この配達人には3種類(SS、SL、LL)あり、不安を感じやすいSS遺伝子が日本人には特に多いらしい。つまり、生まれつき不安遺伝子(SS型)を持つ日本人とはこういう事なのだ。
 因みに、日本人のSS型は全体の68.2%を占め、アメリカ人のSS型は18.8%。逆に楽観遺伝子のLL型は、アメリカは32.3%、日本は僅かに1.7%とされる。

 ではなぜ、日本人に不安(SS型)遺伝子が多いのか?
 これには明確な論証はない。
 (世界でも例を見ない)”災害大国”と言われる日本では、(自分一人の判断で行動せず)共同体全員で協力し、”災害から生き延びる為に、日本人は不安遺伝子を育ててきた”可能性があると、某サイトでは指摘する。が、私は単に”貧しい時代が長すぎた”んじゃないかと思っている。つまり、長すぎた貧乏の歴史の過程で不安遺伝子が定着した(多分)。
 事実、神戸大震災や東北大津波では、皆が皆パニックに陥り、結局は何も出来ず、多大な犠牲を出した。その上、その後の復興もままならなかった。
 つまり、心配するだけじゃ何も解決しないのだ。個人レベルでも多様な判断を下し、臨機応変に行動しないと、全ては手遅れになる。将軍様の言う事を待ってるだけでは、あっという間に災害に飲み込まれるだけである。 


本当にいい人とは

 以上、いいね連打と強迫神経症と不安遺伝子の関係について軽くおさらいしましたが、貧しさ(と災害)に対する不安が強迫観念を生み出したと考えると、理解しやすいですね。
 そういう私も、貧しい日本人の一人だから、いいねをもらうとお返しをしたくなる。かといって、慢性的に束になったいいねをもらうと、ストレスが溜まる。
 ”いいねオプションを外せばいいじゃないか”って某フォロワーから助言を頂いたが、唯でさえ過疎ブログなのにそれじゃあまりにも寂しすぎる。
 コメントの海で賑わおうという気はサラサラないが、母子家庭で育った人間としては、寂しいのには耐えられない所もある。かといって、私は独りでいる事が大好きである。

 アイドルとアニメキャラが苦手で(がグラビアは好きである)、アグネスの付く女が嫌いで、さだまさしも小田和正も嫌いな、そしてグルメも旅行もペットも嫌いな、本当にいい人なのだ。
 いい人は酔ったらスケベになる。
 それでいいのだ。少なくともいいねを束で押す人よりかは、(自己満足の)香典を送る人よりかはずっといい人な筈だ(多分)。 

 与えられた条件(制限)の中で、最善のブログを書く事は重要な支えとはなるが、それも一時的な快楽でしかない(これも沢木さん風で、悪しからず)。
 奥田英朗風に言えば、本当にいい人は(何もしないでじっとして)家にいる。旅人とグルメとお節介に、ろくな奴はいない。
 同じ様に、必要最低限のいいねを送る人は本当にいい人だと思う。しかし、束になって送る人は(悪人の素養をDNAに持つ)”危険な”いい人なのかもしれない(多分)。

 記事の内容が解らんかったら、”書いてる事がさっぱり解らん”とコメントするか、最初から無視すればいい。
 気に食わんかったら”気に食わん”と、そのまんまコメントすればいい。その時は腹が立つが、ブログを成長させる良薬にもなる。
 Gooブログには(ご丁寧に)”いいね”だけでなく、”応援””続き希望””役立った”がある。が、どれも同じ意味だ。
 慢性的な不安を遠ざけたい気持ちも理解できるが、”気に食わん”とか”参考にならん”とか”さっぱり解らん”とかのボタンがあれば、衰弱化しつつあるブログ界はもっと盛り上がるだろうか。

 そういう私も、お返しのいいねは(偶にだが)押す。でも、ちゃんと記事を読んでから押す。但し、いいねに値しないと判断したら、いいねは押せない。
 自分に正直であるとは、こういう事である。

 日本人がいいね依存から脱却した時、不安遺伝子も強迫観念も過去のものとなるだろうか。いや、そう願いたいもんだ。



8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (びこ)
2022-02-17 04:49:49
私は良い人ぶったわけでなく、精神薬の危険性を伝えるのは使命のように思って服用している人のコメント欄に書いたのですが、これが恨まれる元になって、執拗な罵詈雑言コメントに悩まされています。私は飲む飲まないは本人の勝手ですがと前置きを書いてコメントしたのでしたが、不安な心にさせられたと恨みつらみのコメントがエンドレスで届くのです。私は自分が飲みたいのなら、私が何を言っても馬耳東風と聞き流したらいいと思うのに、この恨みつらみはなんでしょうね。

私に謝らせたいのか、それとも、図星だったから怒った?

まあイイネを欲しがる心理状態も、人に何を言われても自分の信念があるのならイイネが付こうが付くまいが関係ないと思うのですが…。

人に認められたい病がある限りはイイネ依存症はなくならないでしょうね。

私は今から、また皇室記事を書きますが、Blogというものは所詮自分の思い込みを書いて自己満足する媒体だと思います。ですから自分と感じ方、考え方が違っていたらスルーしたらいいだけの話だと思います。
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いいねの甘い罠 (象が転んだ)
2022-02-17 06:35:15
”いいね”は(それが礼儀だとしても)偽善ぽくて、流石にウンザリしてきた。
いいねを貰いたいからいいねを押す。そういう古い風潮が嫌になってきた。

確かに(冷静に考えても)、いいねが励みになる筈もなく、付き合いのいいねは迷惑な存在だ。
でも私も古い人間だから、いいねを返すのがマナーと思うバカな所がある。ただ、いいねも度が過ぎると嫌がらせコメと同じで、(毒性は低いが)ストレスが溜まる。
フォロワーの指摘どおり、いいねを外してみるとずっと楽。もっと早く外しとけばよかった(悲)。
事実、InstagramもTwitterも”脱いいね”の流れにはある。時代は正直なんですよね。

ただ、ブログを始めた最初の1年は殆どいいねが付かなかったから、いいねが付き始めた時はとても嬉しかったんです。
偽善ぽくは感じてたんですが、いいねの罠にすっぽりと呑み込まれてたバカな私がいた。
結局、いいねには縁がなかったんでしょうね。
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ブログを書く動機 (平成エンタメ研究所)
2022-02-17 09:36:12
僕は「いいね」が嫌で、フェイスブックをやめました。
フェイスブックは知人ばかりですので、特に気を遣ってしまいます。

ブログに関しては「自分がその時何を考えたかの記録」と「政治に対するストレス発散」と「女優さんやアイドルへの愛」などが動機になっています。
そして、いずれはテーマごとにまとめて加筆修正して、電子書籍や同人誌にしたいと思っています。

象転さんの「数学のお話」などは、まとめたら、いい電子書籍や同人誌になりそうですね。
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エンタメさん (象が転んだ)
2022-02-17 15:39:42
強く書き過ぎたかなと反省してるんですが、どーも書いてて腹が立って・・・

やはり、いいねが嫌(迷惑)な人も結構な数いるんですよね。
私も最初は嬉しかったんですが、次第に苛つく様になっていた。知らず内にいいねの渦に呑み込まれ、得体の知れぬ危機を察し、いいねを外しました。

嫌がらせコメとは異なり、毒性の低いウイルスみたいにじわじわと内部から潰していく。結果的に、いいねを貰いたいが為の記事に成り下がる。

アベの長期政権に依存してた日本人みたいに、いいね依存も暫くは、しぶとく蔓延るんでしょうね。
コメントありがとうです。
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脱いいね (tomas)
2022-02-17 17:48:40
最初の一年でいいねが付かなかった時点で
縁がないと判断し、いいねを外すべきだった。
今や主流のSNSは脱いいねの時代。

YouTubeの視聴回数なんてKPOPアイドルの組織票みたいで、これこそ偽善そのもの。
南こうせつの歌にもある様に、古いコートは捨ててーってある。
いいねってもう古いんだよ。
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tomasさん (象が転んだ)
2022-02-17 18:08:36
解ってはいるんですよ(多分いや言い訳?)
でも、いいねが全く付かなかった1年間は本当に寂しかったんですよ。
私も少しは認められたって、本気で信じてしまった。それこそがいいねの罠。

それにコメを送る人に限って、いいねを押す人は少ない。コメを送る人は記事をちゃんと読んでくれてるし(多分)、いいねを機械的に束になって送る人ほど読んでいない(多分)。
勿論例外はあるけど、そういう事に今更気づいたんですね。それ以来、いいねを貰う度に虚しくなって・・・

これからは脱炭素じゃなく、脱いいねの時代かもですね。
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Unknown (unknown)
2022-02-19 23:58:45
ヤフコメだと
いいねは1つだけしか押せない仕様だから
そういうのにユーザーは敏感なんだろう。
多くのコメントが集まるのも肯ける。
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unknownさん (象が転んだ)
2022-02-20 07:00:01
Gooブログもそうすればいいんですよ。
それにログインしないといいねが押せないというのは致命的です。
いいねくらいは気軽に押せないと。
ヤフコメはいいね連打禁止だから、コメントの良し悪しが明白ですよね。
それに対し、Gooブログはフォロワー同士でグルになってるみたいで・・・そういうのも嫌なんですが。
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