「人生の答えは1つじゃない」に寄せられたコメントを久しぶりに読んでたら、良いこと書かれてあるなと、思わず感心する。
つまり、数学者一人一人に答えがあり、最終的には1つに美しく見事に凝縮していく。
ウイルスを含めたいかなる命も、変異と淘汰を繰り返し、進化を遂げる事で生き延びてきた。これは人も数学も同じである。
半生命体であろうが、生身の人間であろうが、近くで戯れ付く猫であろうが、行動それぞれに答えがあり、それらの答えはある一点に収束する筈である。
脆い生き物とか危険な生命体とか、そういうのはどうでもいい。人類はその脆くて危険な知能を駆使してここまで何とか生き延びてきた。文化と文字を持つ生命体として見れば僅か数千年の歴史だが、変異を繰り返す事で何とか生き延びてきた。いや、偶然にも生かされてきたと言った方が正解だろう。
人間特有の微妙な感情の揺らぎが生命としての歪みや脆さを、知恵という(使い方を間違えれば)危険にもなるツールを使って克服してきたのかもしれない。
歴史は形を変えて繰り返される。
同じ様に、継承も形態を変える事で引き継がれ、新たなアイデアや独創性を生む。それは数学や自然科学も同じである。
つまり、我ら人類も変異し続ける事でしか、生き延びれないのであろうか?
平和よりも調和を優先すべきなのは、後者の方がより変化や柔軟性に富むからであろう。一方、脆くて崩れやすい平和は戦争を生み出すが、調和は(派手で華麗ではないが)安定した美しさを秘めている。
そうした貧しくもバランスが取れ安定した調和社会こそが、昨今のモノや贅沢を追い求めがちな我々には必要なのかもしれない。
ガウス円周等分方程式論
ガウスは若干19歳の時、”正17角形が定規とコンパスで作図できる”事を証明し、世界を強震させます。
ガウスの凄い所は、この証明を代数的に解いた事です。つまり、四則とルートだけで解き明かしてみせた。
ガウス青年は、とっさにx¹⁷−1=0という円周を等分する方程式を考え、x¹⁷−1=(x−1)(x¹⁶+x¹⁵+・・・x²+x+1)に因数分解した。そして、x¹⁶+x¹⁵+・・・x²+x+1=0の16個の解(原始解)が円分方程式”x¹⁷−1=0”の自明な解(x=1)に加え、正17角形の頂点をなす事に気づきます。
そこで、x=1以外の16個の解を元とすれば、位数が17(素数)の巡回群をなし、対称性を持つ事が分かる。その対象性を利用し、円周等分方程式の16の次数を下げていき、2次方程式の組み合わせに帰着させ、解を導き出した。
簡単に言えば、16次方程式は8次方程式の2つに分けられ、8次方程式は2つの4次方程式に分かれ、4次方程式は2つの2次方程式を解けばいい。
つまり、”17角形が2次方程式によって円内に描かれ得る事を発見した”とはこの事でした。
勿論、x¹⁷−1=0の解がcos(2πk/17)+isin(2πk/17)になるという答えを知ってれば、複素平面の半径1の円周上にこれらの解(点)を置く事で、直感的に理解できるので、何て事はないのだが・・・
一方、作図の視点から言えば、素次数pの円周等分方程式が(四則と)ルートのみで解けるのは、”次数pがフェルマー素数(=2^(2ⁿ)+1の形をした素数)に限られる”事をもガウスは示していた。
ルートのみで解ける事は、定規とコンパスのみで円周の等分点を指定できる事から、それらの等分点を結べば正p角形が描かれる。フェルマー素数は3と5の次は17で、その後は257と(それ以降は65537と続く)、これだけでも既に正257角形の作図が可能である。
古典数学の神様であるユークリッドですら、正3角形と正5角形の作図法までの発見だったから、ガウスの円周等分方程式論には2000年を隔てる大発見が内包されてた事になる。
要するにガウスは、答えを知らなくても答えを導き出す術を神様から与えられてたと言えます。
そのガウスは円周等分の延長として、レムニスケート曲線の等分を狙っていた。
”何故、レムニスケートのn等分がn次ではなく、n²次の方程式が生ずるのか?”
この疑問を解く為に、ガウスはレムニスケート関数を複素関数として考察するという一大決心をする。ここに複素関数論が芽生えた。
その20年後、アーベルも同じ様な疑問から楕円関数を発見。彼の”5次以上の方程式は代数的(四則とルートだけで)に解けない”の証明の背景には、彼の楕円積分に関する研究が横たわっていた。というのも、彼は四則とルートに加え、楕円積分(とテータ関数)を使う事で5次方程式の解の公式を導き出せる事を知ってたからだ。
こうして若き日のガウスの夢は、アーベルやガロア、そしてリーマンらにしっかりと受け継がれ、現代数学の基盤を支え続けました。
つまり、生きるとは先人の夢を(形を変えて)引き継ぎ、その夢を実現する手法を斬新な数学的な記述を用いて表現する事こそが、数学者の夢なのかもしれない。
ガウスからアーベルへ
ガウスは、まず”円周等分多項式が巡回方程式である”事を明示した。その為には原始根が用いられるが、その事実から二項方程式(ラグランジュの分解式)への還元を遂行した。
円周等分多項式が”円周をn等分するn個の(複素)解を持つ”という代数的可解性はこれにより確定する。しかし、アーベルは「ある特殊な代数的可解方程式」に関する論文で、このガウスの足取りの延長上に、”アーベル方程式”の一般概念を発見する。
つまり、ガウスは”円周等分方程式が巡回方程式になる”という事実から代数的可解性を示した。後にアーベルとガロアは、このガウスの基本理念を継承し、アーベルは巡回方程式の延長上にてアーベル方程式の概念を提案し、ガロアは”ガロア理論”の構築に成功する。
因みに、アーベル方程式とは(アーベル関数と間違え易く煩わしいのだが)、f(x)=0の係数域をkとする時、φ₁(x),φ₂(x),・・・をk上の有理関数とする。この時、方程式f(x)=0の解はある1つの解αを用いて、φ₁(α),φ₂(α),・・・と表示され、かつφᵢφⱼ(α)=φⱼφᵢ(α)、i≠jという”可換”が成立する様な方程式を”k上のアーベル方程式”と呼ぶ。
事実、ガウスが考察した素数次数の円周等分方程式は巡回方程式でしたが、次数nを素数とする時、この円分方程式のn個の根は、x,θ(x),θ²(x),・・・,θⁿ⁻¹(x)の形で示され、θ(x)はxの有理関数を表わし、θⁿ(x)=xという性質を持つ。故に、φ₁(x)=θⁿ(x)とおけば、明らかに可換を満たす。
つまり、代数的可解性の本質は円周等分方程式の”諸根の相互依存関係”にあり、この認識をガロアもまた共有し、代数方程式の可解性の証明の結びつけた。
今ではアーベル方程式とは、ガロア群の中でも”アーベル群(可換群)である様な方程式”という意味で用いるが、これはカミーユ・ジョルダンが言ったもので、クロネッカーは”巡回方程式を意味するもの”として用いた。
これは、アーベルの言う”ある特殊な代数的可解方程式”そのものであり、ジョルダンの(単純)アーベル群とは区別する。
つまり、ジョルダンはガロアの立場から可解方程式を眺め、クロネッカーはアーベル寄りから眺めたとも言える。
先述した様に、k上の有理関数はk上の巡回方程式であり、アーベルは楕円関数の周期等分方程式の代数的可解条件の探求を通じ、アーベル方程式の概念に到達した。故に、巡回方程式に可換が成り立てば、k上のアーベル方程式となる。
もう少し言えば、素次数既約方程式には、「ガロアの定理」と「アーベル=クロネッカーの定理」という2つの代数的可解条件があり、その明確な基準がアーベルとガロアの手によって成されたというのが、クロネッカーの主張でした。
若きクロネッカーの思索は”有理整係数をもつアーベル方程式は円周等分方程式によって汲み尽くされる”という「クロネッカーの定理」にあり、(巡回方程式はアーベル方程式の一種であるより)円周等分方程式の根を有理数体に添加するとアーベル数体が生じ、”有理数体上のアーベル数体はすべて円分体である”という事が判る。
一方で、有理数体のアーベル数体には平方剰余相互法則を証明する力があり、有理数体上のアーベル数体は円分体で汲み尽くされる。が故に、円周等分方程式論の考察から平方剰余相互法則を証明できる所に、「クロネッカーの定理」の真意がある。
結局、クロネッカーが言いたかったのは、”ガウスの円周等分方程式論という大掛かりな数学的情景はアーベルのお陰で大きく花開いた”という事だったんでしょうか。
ガウスからガロアへ
上述したガウスの円周等分多項式の代数的可解性の延長上に存在するアーベル方程式の一般概念の発見こそが、アーベルの楕円関数(楕円積分)の周期等分方程式の代数的可解条件でした。
この等分理論は、ガウスの”円周等分多項式は円関数のみならず楕円積分などの超越関数にも適用できる”(「整数論」第7章)が働いてる結果でもある。
つまり、アーベルはガウスの手法に倣い、代数的可解性を発見した。言い換えれば、ガウス理論の根幹をなす数学的思想の泉から直接、アーベル方程式の概念を取り出した。
ガロアもアーベルと同じ様に、”既約方程式の代数的可解性”をガロア理論の応用として導いていた。これも言い換えれば、ガウス理論の”証明の構造”を学び、ガウス理論の雛形と見る事を可能にする大きな理論を構想した。
これは、ガウスが円周等分方程式を解いた道筋を忠実に再現すれば、そのままガロア理論に辿り着くという事実を示唆している。
因みに、”既約”な多項式とは(ある体上で)これ以上因数分解できない多項式の事で、一方で”可約”とは因数分解できる事をいう。
但し、”因数分解できる”とは、(厳密には)多項式がある体上でのある多項式で割り切れる事です。例えば、x⁴+1=0は有理数体Q上では因数分解不可能(既約)だが、拡大体Q(√2)上の多項式を考えれば、x⁴+1=(x+√2+1)(x−√2+1)と更なる因数分解が可能(可約)となる。更に、複素数体Z上の多項式を考えれば、x⁴+1=(x²+1)(x²−1)という因数分解も可能(可約)になる。
ガロアにより発見された”全ての根が2個の有理関数として表記される”という「根の相互作用」は、実はアーベルが既に論文「楕円関数の周期等分方程式」の中で述べていた。故に、ガロアはアーベルの指摘を知っていたとされる。
このガロア理論により、素次数既約方程式の代数的可解性の判定条件が手に入る訳だが、”既約な素次数方程式が冪根を用いて解ける為には、その全ての根がそれらのうちのどれか2つの根の有理関数になる必要があり、しかもそれで十分である”と明確に定義できる。
ガウスに端を発し、アーベルが洞察した代数的可解性の基本原理はガロアに継承され、1つの完結した姿を獲得する。
一方で、ガロアが語る円分方程式論のもう1つの応用例は、楕円関数論におけるアーベルの予想の証明にある。
アーベルは論文「楕円関数研究」にて、”モジュラー方程式は一般に代数的には解けないであろう”と予想したが、ガロアはこれを受けて次の様に述べた。
”代数方程式論の様々な応用のうち、一部分は楕円関数の理論のモジュラー方程式に関係がある。モジュラー方程式を冪根を用いて解くのは不可能である事が証明されるであろう”
つまり、楕円関数論と代数方程式論の関係は密接かつ不可分であり、しかもアーベル予想の証明こそがガロアの理論の眼目でした。
ガロアのこの言葉には、ガウスやルジャンドル、アーベルやヤコビなどの手になる浩瀚な楕円関数論の全史が凝縮されている。
こうして、ガウスからアーベル、そしてガロアに受け継がれた円周等分方程式論。それは相反すると思われた、楕円関数論と代数方程式論を結びつける強力すぎる接着剤だったのである。
人生の答えは先人の知恵を継承する事で無限に広がってるように思える。そう、人生だけじゃなく数学の答えの背後には、大きな美しい麦畑が広がってるのだろうか。
以上、「クロネッカーの数論の解明(アーベル方程式の構成問題への道」=PDF版)と高瀬正仁氏のコラム「日々のつれづれ」などを参考にしました。
補足
ガウスは、”もし円分方程式の次数がフェルマー数である2^(2ⁿ)+1の形の素数なら、円分方程式が平方根のみで解ける”と予想しました。つまりガウスは、代数方程式の(代数的)可解性の基本的な条件を探り、と同時にモジュラ方程式の可解性を否定する理論をも追い求めたのでは?とも思います。
円周等分方程式と周期等分方程式、前者は円を等分する代数方程式で、後者は楕円(曲線)を等分するモジュラ方程式。
事実で、ヤコビの”楕円関数のモジュラ方程式(周期等分方程式)は代数的に可解ではない”というアーベル予想は、ガロアの”5次以上の方程式は代数的に可解ではない”という不可能の証明に結びつき、とうとう大きな花を咲かせました。
因みに、楕円関数の呼び名については、ルジャンドルは楕円関数の逆関数が積分の形をしてるので最初に楕円積分と名付けたんですが、アーベルはそのまま楕円関数(アーベル関数)と呼んでたみたいです。
元々、楕円の孤長を表す式が積分の形をしてる事から、楕円積分との名が付いたんですが、この逆関数が複素平面上では、2重周期を持つ三角関数である事を、ガウスやアーベルやヤコビが発見します。
この様に、楕円積分は楕円関数よりも先に研究されてたから、混乱するのも当然ではありますが・・・
だったら、”<楕円弧長関数>と呼べばいいのに、楕円関数と言えば普通は、x²/a²+y²/b²=1という(高校で学ぶ)楕円方程式を想像するのでは?”って初歩的な間違いを犯しそうですが・・・それに当時は、楕円を等分する事に血眼で、楕円関数の正式名称なんて関心がなかったのだろうか。
楕円関数の生みの親でもあるガウスにしたら、”レムニスケート弧長関数”なんて口が避けても言えなかったのだろう(笑)。
ガウスは19歳の頃、以下の式を導きます。
cos(2π/17)=−1/16+√17/16+√(2(17−√17))/16+√{17+3√17−√(2(17−√17))−2√(2(17−√17))}/8
この式を見れば、cos(2π/17)がルートと四則演算だけで構成されてるのは明らかで、cos(2π/17)の作図、つまり、円周を17等分する頂点の作図が可能なことが判りますね。
正17角形の作図法としては、
まずは定規を使い、半径1の単位円の中心Oからx軸上に沿ってcos(2π/17)の点を取り、その点を通りx軸に垂直な線と円との交点を円弧で結ぶと円を17等分する円弧となります。
後はコンパスを使って円弧の長さをとり、次々と正17角形の頂点を求めることが出来ます。
実際にガウスが行った作図はこれよりもずっと複雑ですが、こういう難技を直感で一瞬の早業で成し遂げるガウスの数学の才は何と表現していいのやらです。
複雑なガウスの作図法ですが
私も負けじと少し調べました。
まず、Oを中心とする単位円とX軸とY軸の交点をそれそれA,Bとし、OAの1/4の所の点をCとします。
この時、OB=1,OC=OB/4=1/4より、⊿OBCにピタゴラスの定理を適用し、BC=√17/4を得る。
次に、コンパスでCを中心にBCを半径とした円を描き、X軸との交点を(右から)D,Eとすると、OD=OC+BC=(1+√17)/4、OE=−OC+BC=(−1+√17)/4となる。この時、⊿OBEにピタゴラスの定理を適用し、BC=√(34−2√17)/4を得る。
更に、Eを中心にBEを半径とした円を描き、X軸との交点を(左から)F,Gとすると、OF=OE+BE=(1+√17)/4+√(34−2√17)/4、OG=(1−√17)/4+√(34−2√17)/4となる。
この時、OFの中点Hをとり、OHの長さを定数a=(1+√17)/8+√(34−2√17)/8とし、OGの中点Iをとり、OIの長さを定数b=(1−√17)/8+√(34−2√17)/8とおく。
次に、Dを中心にBDを半径とした円を描き、X軸との交点をJとする。この時、⊿OBDにピタゴラスの定理を適用し、BD=√(34+2√17)/4を得る。故に、OJ=−OD+BD=−(1+√17)/4+√(34+2√17)/4となり、この長さを定数2cとおく。
更に、AJを直径とする円を描き、Y軸との交点をKとすると、KはAJを直径とする円周角より、⊿KOJと⊿AOKは相似の関係にあり、OK/OJ=OA/Ok、故に、OK=√(2c)=√{−(1+√17)/4+√(34+2√17)/4}を得る。
ここで、Kを中心に半径OHの円を描き、X軸との交点をLとする。更にその交点Lを中心に半径KLの円を描き、X軸との交点をMとする。
すると、OH=KL=LM=aとなり、⊿KOLは直角三角形より、OM=LM+OL=LM+√(KL²+OK²)=a+√(a²−2c)を得る。
この時、2a²=2+b+2cを公式として認めると(証明はややこしいので省く)、a²=1+b/2+cからa²−2c=1+b/2−cを得る。故に、OM=a+√(a²−2c)=a+√(1+b/2−c)となり、定数a,b,cの値を代入し計算すると、=(−1+√17)/8+√(34−2√17)/8+√{√17+3√17−√(34−2√17)−2√(34+2√17)}/4を得る。
最後に、OMの中点Nをとり、そのNを通るOMの垂線を描き、円Oとの交点をPとする。すると、弧APは単位円Oの円周を17等分する弧となり、正17角形の頂点を作図できますね。
事実、NははOMの中点より、OM/2=(−1+√17)/16+√(34−2√17)/16+√{√17+3√17−√(34−2√17)−2√(34+2√17)}/8となり、これはpaulさんが紹介したガウスのcos(2π/17)の計算式に等しく、ON=cos(2π/17)となる。
故に、cos(2π/17)の作図が可能になりますね。
結局、単位円Oに加え、円C、円E、円D、円(AJ)、円Kと6個の円を描いて、ピタゴラスの定理とコンパスだけで正17角形を作図したガウスの奇跡の偉業でした。
お陰で色んな事を勉強できました。
色々と教えて下さって有り難うです。
こうした線分の長さは有理数とそれに√をつけた数と四則の組み合わせに限られ、更に、平面上の座標を複素数に拡張できます。
故に、作図可能性をガロア理論、つまり代数学の拡大体の理論で言えば、<有理数体Qを2次拡大する有限回の繰返しで作る拡大体の中にある数でのみ作図可能である>という事になる。
つまり、作図の問題は複素平面上の拡大体のガロア理論と同じで、正n角形の作図可能性は、有理数体Qを基礎体とし、ζ=cos(2π/n)+isin(2π/n)を追加した体Q(ζ)の拡大次数を調べるのと等しいとなります。
ここら辺は非常に抽象的でややこしいのですが、ガロア理論のお陰で(代数学を含め)現代数学は大きな飛躍を遂げたとも言えますが
四則演算とルートのみの計算がコンパスと定規だけの作図に直結する所も数学の偉大なるロマンと言えるんですかね。
ガロア群に関しては、途中で頓挫したままなので何もコメントできませんが、作図可能性が群の拡大に繋がるのもこれまたロマンです。
コメントとても勉強になります。
単位円上で長さcos(2π/n)の線分が目盛りのない定規とコンパスだけで作成できる時に限られ、その為には、cos(2π/n)が整数の四則演算とルートのみで表現される必要があるんだよな。
一応、補足でした。
ご指摘、とても助かります。
言い換えれば
幾何学的に正n角形が作図可能という事は、xⁿ=1が代数的に解き得る事です。
勿論、cos(2π/n)の値は今では関数電卓で求められますが、幾何学的に正確に作図する為には、その長さをコンパスと定規だけで記す必要があります。
つまり、cos(2π/n)の値がルートと四則だけで表記される必要があり、もっと言えば、2次(以下の)方程式だけで算出できる。
更にその必要十分条件として、n=2ᵐF₁⋯Fₖとなる非負整数mと互いに異なるフェルマー数F₁,⋯,Fₖが存在する事もガウスは証明します。
因みに、作図可能なnは、小さい順から3,4,5,6,8,10,12,15,16,17,20,24,30,32,34,40,48,・・・
こうなると私にはお手上げですね。
でも、この様なnは、(xⁿ=1の解である)1の原始n乗根ζₙのガロア群の構造が2次拡大の繰り返しによって得られる事が知られています。つまり、”作図可能な線分の長さ”の集合は”1つの体をなす”とも言えます。
故に、UNICORNさんのコメントを借りれば、
正n角形の作図可能性は、”有理数体Qを2次拡大する有限回の繰返しで作る拡大体Knの中にある数でのみ作図可能である”事から、有理数体Qを基礎体とし、ζₙ=cos(2π/n)+isin(2π/n)を追加した体Q(ζ)の拡大次数が2ⁿとなる必要があります。
これは、作図可能な点を元に描いた円や直線の交点から新しい点(や線分)を繰返し求めるという幾何学的な行為が、2次の方程式を連立させ、その解を求めるという代数学的行為に他なりません。
つまり、作図という(昔ながらの)幾何学的な問題は代数方程式の解法に、そして、代数学の体の理論(ガロア理論)に置き換える事が出来ます。
まさに、ガウスの発見は数学史上に残る壮大なるロマンだったんでしょうか。