私の悪い癖だが、難しい問題に出くわすと、それを避けたがる傾向にある。大半の人類もそうだが、100%そんな人種だと、人類は100%破滅する。
”リーマンの謎”ブログはこれまで52回書いてきたが、正直、苦難とまではいかないが、大きな壁にぶつかりながら、何度も辞めようと思ったが、不思議とここまで続けてきた。
”その3”と”その4”を一気に書き終え、最終章の”その5”へと向かうつもりだった。
私が6月中旬にブログを停止したのは、この”リーマンの謎”に迷い込んでしまったからだ。
実は、その間に最終章”その5”の10話分ほどを書き溜めておいた。しかし整理するうちに、初歩的な些細な疑問に混乱してしまった。
お陰で、順調に行く筈だった最終章は頓挫してしまった。そこで、”その3”に舞い戻り、オイラーやディリクレのゼータ級数やL関数を述べる前に、素数定理の真髄でもあるコーシーの複素解析から紹介する事にした。
それはそれで正解だった。いやその筈だった。
リーマンがそうした様に、素数定理に複素解析を適用するには、コーシーの複素積分やそれに基づく留数、それに正則性や解析性といった非常に高度な考え方が必要となる。
複素積分や留数の概念は解ってはいたつもりだが、実際にやってみると結構ややこしい。(高校生でも解る)「複素解析の神秘性」を参考に勉強したつもりだが、これまたややこしい。私が考えてたスケッチと全く違うのだ。
そこで再び頓挫し、”リーマンの謎”をしばらく放っておいた。
結局、人は無力なのか?
私は政治家や議員にケチばかりつけるが、数学に関して言えば、同類なのかも知れない。コロナが収束しない限り、経済をコントロールできない様に、複素関数が収束してくれない事には、項別積分も出来ないし、”リーマンの謎”は謎のままなのだ。
人はいつかは踏み出さないといけない。西川きよしの様に、”出来る事からコツコツと”では、一向に前には進まない。出来ない筈の事をやろうとする事で、見えないものが見える事もある。
先が見えない闇の中で、ただ一人そこで立ち止まり、人生を終えるのか?重たい腰を持ち上げ、手探りで少しずつ先へ進むのか?
結果はどうなるのかわからない。何もしない方が救われたりもするし、下手に動いたお陰で死滅する事もある。
大雪の影響で、福井県の北陸自動車道では9日午後以降、一時1000台を超える車の立ち往生が発生し、11日午前3時の時点でも約130台が孤立してる。陸上自衛隊の450人がその解消に向け、除雪作業などにあたった。停止中の車両に、水や食料や燃料を届け、今のところ死者は出てはいない。
もし、スマホやGPS等のハイテク機器がなかったら、千台を超える車の中に閉じ込められてた人達の大半は、凍死してたであろうか。
下手に車から飛び出し、救助を求める猛者がいたら、確実に死んでたろうか。
ただ言えるのは、人類は窮地に陥ると自身の力だけでは何も出来ないという事。しかし、サピエンスが創り上げたインターネットは遠く離れた人と人との繋りを生み出し、今回の北陸道の大雪の壮絶なパニックの中でも、遺憾なくその力を発揮した。
故に、パニックや難題から人類を救うには、高度なツールが必要である。忍耐や精神論や体力では限界がある。しかし、高度なツールほどその仕組みを理解するのは難しいし、ある程度は理解しない限り、正確に使いこなす事は不可能である。
ある番組で、”やるなら今でしょ”の林修とホストの帝王ローランド(写真)の対談が面白かった。”高学歴ニート”が話題になる中、”勉強は果たして必要か?”のテーマで熱弁を繰り返す当りは、実に興味深い。
因みに私の答えは、”思考を遮る勉強や受験なら、やめた方がいい”である。
大きく道を逸れましたが、数学的思考を遮らない為に、昨年11/9以来、約2ヵ月振りとなるリーマンの謎に舞戻ります。
素数定理と留数と正則性
まずは前回のおさらいからですが、それまでの経過は前回”3の5”(要CLICK)を参考にして下さい。
”3の5”では、もう一つの素数定理の鍵でもある”タウバー型定理”について述べました。
因みに、”タウバー型定理”とは素数定理の証明を簡略化したものと考えて下さい。
これは池原氏がこの定理をディリクレ級数に拡張した事(ウィーナー=池原の定理)で、ζ(s)がRe(s)=1上で零点(解)を持たず、s=1の留数1の1位の極を除き、Re(s)≥1で解析的である事から、−ζ’/ζのラプラス変換による変形である−1/(s+1)*ζ’(s+1)/ζ(s+1)−1/sが、Re(s)≥0まで正則に解析接続される事を示し、極(留数)を除去し、ψ(x)~xを導き、素数定理の証明に繋げました。
勿論、このタウバー型定理を使わず、コーシーの積分定理を使い、−ζ’/ζの正則性から、θ(x)~xを導き、素数定理のシンプルな証明に繋げる事も可能です(1980年、ニューマン)。
上(赤字)の”池原の定理”を判り易く言えば、Sₙ=Σ[n≤x]aₖのn→∞での漸近挙動(S(x)~Ax)を、非負実数列{aₙ}のディリクレ級数Σₙ[1,∞]aₙ/nˢの極での挙動から得るというものでした。
素数定理は、π(n)の階差をδ[π]とすると、π(n)=Σₖ[1,∞]δ[π](k)となり、aₙ=δ[π](n)=1(nが素数の時)、aₙ=δ[π](n)=0(それ以外で)とした場合になる。[π]はπを超えない最大整数でしたね。
仮にaₙ=1とすれば、ディリクレ級数はゼータ関数ζ(s)=Σₙ[1,∞]1/nˢとなり、s=1の留数1の1位の極を除き、Re(s)≥1で解析的(正則)であるから、S(x)=Σ[n≤x]1=[x]~x、(x→∞)が成立します。
事実、素数定理は漸近挙動に関する定理であり、Sₙの漸近挙動と同じである。
つまり、Σₖ[1,∞]aₖの漸近挙動を知りたいなら、ディリクレ級数Σₙ[1,∞]aₙ/nˢを作り、”s=1での留数を調べれば、その挙動が解る”というものだ。
寄せられたコメントにある様に、素数定理π(x)も階差関数があり、この留数を調べる事で、素数定理の証明がシンプルになる。
事実、Λ(n)がψ(x)の階差関数になり、同時にΛ(n)のディリクレ関数がゼータの対数微分−ζ’/ζになり、このラプラス変換による変形式がRe(s)≥0での正則性からψ(x)~xが従い、素数定理を導いた。また、θ(x)にも階差関数λ(n)があり、これはΛ(n)よりもシンプルで、λ(n)のディリクレ関数の正則性からもθ(x)~xが従い、素数定理が導ける。
先程のπ(n)の階差関数δ[π](n)だが、π(x)~xではないので”池原の定理”は使えない筈だ。しかし素数定理はπ(x)~x/logxより、π(x)logx~xと変形し、p<<xにおけるlogpとlogxの影響の差は小さいと考える。
故に、aₙ=δ[π](n)ではなく、aₙ=δ[π](n)logn=logp(nが素数の時)、aₙ=δ[π](n)logn=0(それ以外)とおく。前回でも書いた様に、この時aₙ=Λ(n)であり、この総和関数Σ[p≤x]logpはθ(x)となる。
つまり、Λ(n)のディリクレ級数−ζ’(s)/ζ(s)は、s=1の留数1の1位の極を除き、Re(s)≥1で解析的(正則)であるから、−ζ’(s)/ζ(s)のラプラス変換の変形式がRe(s)≥0で解析的(正則)である事を示し、”池原の定理”からθ(x)~xが従い、素数定理が導ける。
故に、前回の最後で書いた様に、”ディリクレ級数の(s=1での)留数と(Re(s)≥1での)正則性を、ラプラス変換を使う事でRe(s)≥0まで拡張し、素数定理を導く”事が出来る。
最後に〜難題は誰が為にある
結局、数学という学問は難題を現代のツールを使い、如何にシンプルに解くかという事を教えてくれる。
その中でも、素数の個数関数がその階差関数の留数に直結するとは、これこそ神の仕業と言いたくもなる。数学とは神秘性をシンプルな形に解明する学問とも言えますね。
勇気を持って難題?に一歩だけ踏み込んだお陰で、複素積分と素数定理の密な関係を垣間見る事が出来ました。
こうしてみると、オイラーやガウスから受け継いだ素数定理と、それをゼータ関数と結びつけたディリクレ、それにコーシーからリーマンに受け継がれた複素解析のお陰で素数定理の研究が大きく飛躍しました。
故に、素数と複素解析が結びついた結果が素数の謎を解き明かすとしたら、これこそが神秘ですね。でも数学者は神秘を暴こうと、とてもシンプルでキレイな答えを生み出すけれど、それこそが数学の神秘なのかもしれない。
しかし、その数学者にも悪いくせがある。それは解けない難題に直面すると、神の仕業にする事だ。数学者は、自ら生み出した学問の答えを探すべく自ら混乱する。
神の神秘というより、数学いや数学者の神秘の方がずっと奥行きと深みがある様な気もします。
今日は前置きがとても長くなりましたが、次回は、ディリクレ級数(関数)における正則性と解析性と留数について述べたいと思います。一応予定ですが、悪しからずです。
素数定理の証明の簡素化と言っても、いきなりラプラス変換ですもんね。
留数定理や正則性から入ったので頓挫する筈ですよね。
私も色々とサイトを調べましたが、それぞれの答えがあり、まとめるのが難しいです。
この先どうなるかはわかりませんが、これからも宜しくです。
これはψ(eᵗ)のラプラス変換が−1/s*ζ'/ζである事に起因し、Re(s)≥1で正則かつ解析可能な−1/s*ζ'/ζをどうやって、Re(s)≥0まで引き伸ばすかだが。
ψ(eᵗ)のラプラス変換£(ψ(eᵗ))=∫ψ(eᵗ)e⁻ˢᵗdt
を−1だけ平行移動すれば、∫(ψ(eᵗ)−1)e⁻ˢᵗdtとなり、これはψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1のラプラス変換になり、極(留数)が取り除けるわけだ。
つまり、£(ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1)=∫(ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1)e⁻ˢᵗdt=−1/(s+1)*ζ'(s+1)/ζ(s+1)−1/sとなるから、−1/(s+1)*ζ'(s+1)/ζ(s+1)−1/sはRe(s)≥0まで正則となる。
一方で、∫(ψ(x)−x)dx/x²=∫(ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1)dtだから、この値が収束するには、£(ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1)=∫(ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1)e⁻ˢᵗdtがRe(s)≥0まで正則に解析接続される事が条件となる。
また、∫(ψ(x)−x)dx/x²が収束するなら、ψ(x)~xとなるからめでたく素数定理の証明となる。
素数定理では、ζ(s)がRe(s)=1上で零点(解)を持たない事が必須なんだが、その為には、−1/(s+1)*ζ'(s+1)/ζ(s+1)−1/sがRe(s)≥0まで正則となる事が十分条件なんだろう。
偉そうに書いてるオレも、実はよく解ってはいないが。正則性や留数定理だけでクリアできないことは確かだよね。
まず、−ζ’(s)/ζ(s)=Σₙ[1,∞]Λ(n)/nˢ=Σₙ[1,∞](ψ(n)−ψ(n−1))/nˢ=s∫[1,∞]ψ(x)/xˢ⁺¹dx=s∫[0,∞]ψ(eᵗ)e⁻ˢᵗdtと変形しますが。
ψ(eᵗ)のラプラス変換が、£(ψ(eᵗ))=∫[0,∞]ψ(eᵗ)e⁻ˢᵗdtとなるより、£(ψ(eᵗ))=−1/s*ζ’(s)/ζ(s)となります。
また、−1/s*ζ’(s)/ζ(s)はRe(s)≥1で解析可能で留数1(s=1)の極以外はRe(s)≥0で正則より、ψ(eᵗ)のラプラス変換を−1だけ平行移動し、極を取り除く為には、ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1のラプラス変換を考えればいい。
故に、£(ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1)=∫[0,∞](ψ(eᵗ)e⁻ᵗ−1)e⁻ˢᵗdt=−1/(s+1)*ζ’(s+1)/ζ(s+1)−1/s。ζ’/ζはRe(s)≥1で正則より、−1/(s+1)*ζ’(s+1)/ζ(s+1)−1/sはRe(s)≥0で正則となる。
これは丁度、ラプラス変換によるタウバー定理を留数解析を用いたNewmanのやり方ですかね。
慌てて書いたんで、不足多いですが、次回で纏めたいと思いますが、私も自信ないです。
しかし、ゼータ関数ζ(s)を複素関数上で解析する事で素数の謎を解いたリーマンの偉業は、その後に引き継がれ、”Re(s)=1上に零点を持たない”という弱いリーマン予想から素数定理を導びける事をアダマールとプサンが証明しました。
ζ'(s)/ζ(s)は元々、ζの定義であるRe(s)≥1で正則ですが、素数定理”Ψ(x)~x”を満たすには、ラプラス変換したζ'/ζを、−1/(s+1)*ζ'(s+1)/ζ(s+1)−1/sと変形し、これがRe(s)≥0で正則を示すことが条件になります。
ζ'/ζのRe(s)≥0における正則性というより、ζ'/ζをラプラス変換で変形し、Re(s)≥0における正則性が示せれば、という意味かもしれません。
正確な所はよくわからないのですが、留数1(s=1)での極を正則関数に含めるかどうかで、Re(s)>0かRe(s)≥0となるのですが、自信がありません。
特に、−ζ’/ζのRe(s)>0における正則性を導く所が厄介なんです。数学ではこうした基本的で初等的な所が大きな壁になる事があります。
複素解析に関する本は入門書でも少し高価ですが、読んでみるのも数学の神秘に触れるいい機会になるかもです。
Hoo女史なら理解できると思いますから、トライしてみて下さい。きっと新しい発見があると思います。
マイペースで無理なくやっていこうかなと思ってます。
さっすが!転んだ先生!言うことの次元が違う
ディリクレ級数の留数や正則性を調べることで素数定理の証明を簡単にしたってことかな
リーマンの謎が素数と複素関数が結びつくことで解き明かされたとしたら
これこそ神の神秘を超えた数学の神秘だってことよね
わたしには難しすぎますが、頑張ってください。