私たちはフクシマの悲劇を遠くから眺めてるに過ぎない。
表向きは可哀想だと同情しつつも、内面では距離をおいて見つめてる所がある。
メディアはスポーツ選手やミュージックスターや芸能人を担ぎ上げ、”野球で勇気を”とか”歌で励ましを”とか、無機質で中身のない単調な宣伝文句を延々と繰り返す。
これは勇気や励ましというより、慰めに過ぎないし、慰めと復興は別物だ。
事実、”3−11”の悲劇から10年が経つが、実質上の復興は夢のまた夢の様に思える。
先日も、NHKでフクシマの実情についてのドキュメンタリーが放送されていた。番組の内容は予想通りのものだった。
お涙頂戴の”頑張ろうフクシマ”に、見事にマッチする仕上がりに構成されてはいた。
しかし番組の最後に、汚染された土を運ぶトラックの一群が新しく出来た北陸ハイウェーを走ってるのを見て、私は愕然とした。
その時初めて、私がフクシマを遠くから眺めていた事に気が付いた。
もう1つの現実
私は目を疑った。
汚染された土(写真)やゴミが被災現場にそのまま残っていた。つまり、放射能汚染されたものが10年間も放ったらかしにされているのだ。
民法は記念番組として、「Fukusima 50」(2020)を流していた。まるで”焼け石に水”を流してる様にも思えた。
今、日本のメディアが一番報道すべきは、復興の実態や経過でもなく、復興の大きな壁になっている放射能に汚染された土やゴミの処分の問題であろう。
勿論、汚染された土を海に捨て、汚染されたゴミを焼却処分できれば、これ程楽な事はないし、わずか数カ月で済む事だろう。
その後、住民が戻り、街を再構築し、地場産業が復活すれば、フクシマの明日はもうすぐだ。どんなお涙頂戴のドキュメンタリーも大受けするだろう。
しかし、問題はそう単純じゃない。相手は災害の壮絶さでも災害そのものでも、深く傷ついたフクシマの人たちの心でもない。
つまり、”放射能”という最悪の難題が残っていたのだ。
そういう私もフクシマを距離をおいて眺めてただけに、こうした単純で難解な問題を忘れていた。
3年前の”政府にも無視されたフクシマ”でも書いたが、震災から7年経った当時でも、福島原発の廃炉の行方が確定していなかった。
この廃炉作業は最大で40年掛かると言われ、東京五輪が終わる2021年から燃料デブリの取出しの開始を行う、と政府と東電が発表した。因みに、スリーマイル島原発事故(1979)では結局11年が掛かり、1990年に完了した。
流石にこの時も、福島の復興の現状に愕然としたが、今回もまた、同じ様な悪夢に騒然としてしまった。
毎年3月11日になると、決まった様にフクシマが特集される。
多くの日本人は”可哀想に”と心を痛め、フクシマの真の”本質”には触れないままに、同情の蓋をかぶせる。
まるで、”臭いものには蓋をする”の典型でもある。つまり、”同情はするが本質には触れない”日本人の特性が露骨に現れている。
汚染された土はどこへ向かう?
東京電力福島第一原発事故によって福島県内で出た汚染土の中間貯蔵施設について、国は公有地を含む候補地1600haの75%を取得し、民有地に限れば、91%の1150haが契約済みだ。しかし、各地から汚染土搬入は進むが、県外での最終処分は候補地探しすらも始まっていない。
中間貯蔵に搬入予定の汚染土やゴミは1400㎥。東京ドーム11個を遥かに超える量だ。
このうち8割は、2045年までに放射性物質の濃度が8000Bq(/kg)以下になるとして、環境省は公共事業の盛り土などに再利用する方針を示している。ただ、同省が示した再利用の基準値は原子炉規制法に基づく規則で、”放射性廃棄物”とされる100Bq(/kg)以上という基準より80倍も高く、反対意見は根強い。
帰還困難区域の多くは除染の予定がないが、地元自治体が要望する全域除染が実現すれば汚染土はさらに増え、必要となる最終処分場の容量にも影響する。国が自治体の要望を受け入れるかは不透明である。
地元住民からは”どうせ運び出せない。最終処分地になる”と諦めの声も聞こえる。
30年以内の県外搬出について、小泉環境相は”地元との約束だ。必ず守れる様に取り組む”と説明しているが。
以上、”福島原発事故10年”(東京新聞)から抜粋でした。
この諦めの声こそが、今そこにあるフクシマの叫びであろうか。野球で歌で勇気を与えても、我ら庶民がいくら同情を重ねても、放射能は除染できない。
実は、総額2兆9000億円を投じて除染が行われたが、それにより生じた東京ドーム13杯分の汚染された土地や草木やゴミの放置問題は、2年前から問題視されていた。
以下、”除染ゴミなぜなくならない?福島からの訴え”から一部抜粋です。
福島県には、原発事故から8年が経つ今も民家の軒先や駐車場などに、緑色のシートに覆われた除染ゴミ”現場保管”されている。
当初は速やかに対処するとしていたが、10万か所以上残ったままだ。更に、国の方針の県外での最終処分の目処が全く立たない中、国は放射性物質の濃度が一定基準を下回った除染ゴミを道路や防潮堤の建設資材などに、再生利用する方針を打ち出したが、地元から反対の声が上がっていた。
矛盾過ぎた政府の汚染ゴミ対策
しかし、この計画には狂いが生じた。仮置場は3年程度で解消するとしてたが、3年を過ぎても殆どががそのまま。理由は、国が4年前に搬入を始めた、中間貯蔵施設の整備の遅れだった。
現場保管されたゴミは各自治体が管理する仮置場に置かれ、その後、中間貯蔵施設に運び込まれ、2045年までに福島県外で最終処分する計画であった。1600haを予定してたが、用地交渉に時間が掛かり、整備が長期化し、2019年時点で県内の除染ゴミの17%しか運び込めていない。
国の責任で処分が進められてる筈の大量の除染ゴミ。しかし、住民の不満の矢面に立たされてるのは、実務を担う地元自治体の福島市の除染推進室だ。ここに寄せられる苦情や相談は、今も月に約200件に上る。
法律では、汚染ゴミは福島県外で最終処分される事になっていたが、県外での最終処分が難航するのを見据え、国は除染ゴミの再生利用を考えた。つまり、除染土の中から放射性濃度が低い土を選び、全国の公共工事などで使おうという計画だ。ただ、この場所として真っ先に選ばれたのが、福島県内という矛盾過ぎる悲劇。
勿論、地元では、”本来県外で処分する筈の汚染土が、なぜ福島で利用されるのか?”と反発の声が上がる。
3年前の避難勧告からようやく住民が戻り始めた、福島第一原発から北に20㌔の南相馬市羽倉地区では、2018年12月に地域を揺るがす事態が起きた。羽倉地区で(汚染土の)再生利用の実証事業を行いたいと、国が要請してきたのだ。
汚染土を羽倉地区の高速道路拡張やや防潮堤などの建設に使う計画である。勿論、地元住民は”絶対に受け入れられない”と反対した。
結局、3年経った今も何にも変わらない。
国が約束を果たさぬまま除染で出た土を新たに運び込もうとする事に、住民は憤りを感じている。
”何で弱い住民や地区にばかりしわ寄せするの。安全が確保できるというなら、(汚染土を)東京に持って行き、オリンピックで実証すればいいではないか”
区長の決断は全くの正論である。
しかし一方では、汚染ゴミの実証事業を受け入れた地区もある。除染土を運び込み、その上に汚染されていない土を被せ、花などを栽培する環境庁の計画だ。
飯舘村長泥地区の区長はこう語る。
”オイラも正しいとは思ってない。他の地域と同じく全部除染して下さいよと、皆で訴えた。でも国はそれは聞けないと言う。全く国は差別するなと”
結局、国が進める再生利用の実証事業を受け入れれば、除染の範囲も拡大するというので、区長たちは、迷ったあげく受け入れ、除染の範囲は3haから140haまで広がった。
”弱い者イジメする様な気するけど、これを止めたら、荒れた状態で終りになるかもしれない。他から見れば、<なんで汚染土を田畑さ入れるだ?>って言われる。悪い事わかってんだよ。それでも認めない訳にいかない。この辛さがきつい”
以上、NHK.or.jpからでした。
同情するなら、汚染ゴミを受け入れろ?
結局、被災地に汚染ゴミを運ぶという”虐めのパラドクス”を政府は選択した。そして地元住民も、この”悲劇のパラドクス”を受け容れざるを得ない状況に追い込まれる。
被災者の本音が、汚染土をフクシマ以外の県外で受け容れる事にあるのは、明らかだろう。
もし、アナタの地元に汚染土が運ばれたなら、”ハイ分かりました”と2つ返事で快く受け入れるだろうか?
表面では、”可愛そうね被災者の皆さん”と同情を示しても、いざ汚染土が運び込まれるとなれば、途端にイヤな顔をするだろうか。
”フクシマの問題はフクシマで解決しろ”と口が避けても言えるのか?
フクシマの悲劇は日本の悲劇である筈だ。だったら理屈ではあるが、フクシマの悲劇も分配する必要がある。
そういう私もきれい事を言わせてもらえば、汚染土の公平で安全な分配こそがフクシマの悲劇の公平な分配に繋がると考える。勿論、横浜市の例もあるから、安全が保証された上での分配が絶対条件ではあるが。
故に、このフクシマの悲劇と矛盾は我らも受け入れるべきだろうか。
しかし、そういう事が判りきっていながら、政府は未だにその難題をフクシマに押し付ける。フクシマだけで解決できる筈もないのに、あの手この手を使い、弱い立場の住民に更なる悲劇を押し付ける。
いくら汚染土の上にキレイな土地を被せたとしても、政府の汚職や不正と同じですぐに剥き出しになる筈だ。
”臭いものには蓋をしろ”や”難題は常に後回し”といった国の政策は、コロナ対策でも全く同じだった。
同情するのは誰でも何時でも出来る。しかし、解決できないとしても目の前の難題を直視する事は、なかなか出来ないもんだ。
少なくとも銀座の高級クラブでバカ騒ぎしてる政治家が、内閣府にいる間は余計にそうであろう。事実、田中真紀子は科学技術庁(現環境庁)長官時代、3マイル島原発の件でホウ酸水が放射能(ウラン)を中和する事すら知らなかった。
フクシマの悲劇は我々の悲劇であり、フクシマの危機は我々の危機である。それこそが本当の同情と言うもんだろう。
しかし、その同情が同調に変わった時、汚染ゴミが公平に分配されるのだろうか?
我々日本人は、フクシマの悲劇を感情という曖昧な視点で眺める前に、もう一度”放射能”というものをゼロから勉強し直す必要がある。
そうすれば、少なくとも政府とは違った答えが見つかるかもしれない。
でも途中で切りました。
日本人はここに来ても未だに感情論や精神論なんですよ。
それにしても、汚染土を福島の高速道路や公共事業や園芸作物に使うという政府の無知には驚かされました。
福島の訴えは今や諦めの叫びにも聞こえます。これを本当の悲劇というんでしょうか。
先祖代々守り続けてきた土地を捨てる痛みはよくわかります。が、それしかないのではないかと思ったのでした。
現在のように汚染土をどこかに持っていくというやり方自体が間違っていたと思うのです。そんな無駄なことに大事な税金を使うのなら、被災された方々の生存のために使ったほうが余程お金が生きたと思うのです。
少子高齢化の日本には現在国中に空き家があります。また仕事は人材不足で外国から労働者を受け入れているくらいだから探せばあるはずです。
そんなこんなを考え合わせれば、放射能で汚染した地域は一旦捨てて被災者の方々は新天地に住まわれるようにするのが一番の解決策になるのではないかと思います。もちろん被災者の方々には厚い補償をすることが前提になりますけれども…。
そしてそれを適当に方方に運んでるだけで、横浜市の遊園地近くへの汚染土の埋め立て問題も呆れてものが言えません。
放射能よりも政府の無知のほうがずっと怖いですよね。
勿論、被災地の人たちの意向は絶対ですから、除染してくれと言われれば従う必要があります。
NHKもそこら辺を問題にしてて、戻る筈の住民が戻ってこない事を危惧してました。つまり、私たち外部が思ってるほど物事は単純じゃないんですよね。
でも一番アカンのがこういった汚染土の危険過ぎる再利用を、政府が秘密裏に勧めてるという事です。横浜市の問題もそれなんですよ。住民に黙って埋め立てちゃった。
夜の会食もですが、いつも政府はコソコソと不正や汚職を平気でやる。
我々はもっとフクシマの復興については、もっと意見やアイデアを出すべきですよね。
汚染された所には戻りたくない住民
放射能濃度にもよるけれど
汚染が酷い地域の人は戻りたくないだろうし
そんなに酷くない所は戻りたいだろうし
要は除染した土の処分の仕方だけど
本当に専門家を交えて話あったんだろうか
汚染土の処分にしても、全てを分厚いコンクリで覆う訳にもいかないし・・・
放射性物質の半減期を早める方法をいち早く模索しないと思うんですが、東工大では高速炉を活用し、最終的に1/100まで低減させる研究が進められてます。
故に何か画期的な方法が見つからない限り、汚染土の処分は難航するでしょうね。