象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

なぜ、ソフィ・マルソーが?〜真夜中の訪問者”その103”

2022年03月29日 05時54分58秒 | 真夜中の訪問者

 映画「ワールド・イズ・ノット・イナフ」(1999)を見ていた。
 007シリーズの第19弾という事だが、(安っぽいイケメン風の)ピアース・ブロスナン(写真左)が好きになれず、TVを消そうかなとも思ったが、ソフィ・マルソーさん(写真右)がとても妖艶で魅惑的に映り、彼女に見惚れるようにして最後まで見てしまう。
 ソフィ・マルソーが有名なフランスの女優さんという事は知ってたが、若い時は”タレ目の女”という位のイメージしかなかった。が、この映画に関しては、彼女の1人舞台の様にも思えた。
 一方で、もう1人のボンドガールであるデニース・リチャーズは、(シリコンで膨らました豊胸もあってか)合成着色料満載の加工食品を食わされてるみたいで、ブロスナンが哀れにも思えた。

 1966年生まれのソフィ・マルソーさんだが、ほぼ同世代の私にとっては気になる女優さんではある。この映画の時は33歳ほどで、30を過ぎた白人女優にしては、とても妖艶で若く映った。一方、デニス・リチャーズはソフィより5歳年下で、この時は28歳ほどだが、典型の”劣化したブロンド”に成り下がっていた。

 ストーリーは子供向けのチンケなもんだが、ソフィ・マルソーの魅力だけが引き立つ映画でもあった。


公園と美女と娘

 夢の中で、私はある大きな公園のど真ん中にいた。
 私は1人の小さな女の子を抱いていた。
 小学校に入ったばかりの年頃だろうか、金髪で青い瞳の娘だったが、どうやら母親を見失ったらしく、必死で母親の名前を叫んでいる。
 娘は最後には涙目になり、私は彼女を励ました。
 ”大丈夫、すぐに戻ってくるさ。君みたいな美人を置いてけぼりにする人間なんて、世界中に誰一人としていない筈さ”
 娘は少しゴキゲンになり、笑顔になる。

 笑顔は運をも惹きつけた。
 しばらくすると、母親らしき女性がこちらにやってくるではないか。
 スラリとしたブロンド美人で、戸惑いを見せながらも少し微笑みながら、娘に軽くキスをする。
 ”あら、ゴメンナさい。フレンチドッグが美味しそうだったので、見惚れてたら娘を見逃しちゃったみたい”
 目の前の美女は、私にフレンチドッグを手渡すではないか。
 どうやら彼女と私とは、友人か?少なくとも知人の関係らしい。

 私はもう一度彼女を見た。
 映画に登場したソフィ・マルソーそのものだった。目の周りの(微妙に)魅惑的なメイクも見事なまでのスレンダーな肢体も、映画の中そのものだ。
 ”間違いない。目の前の女はあのソフィ・マルソーだ”
 微妙に歳を食ってたが、その妖艶さは周りの群衆の目を惹きつける程に群を抜いてた。

 少し興奮した私は、彼女のさらりとしたやや栗色がかった髪の毛を両手で掬い上げ、頭のテッペンに持ち上げた。
 ”何よ、こんな所で・・・”
 ”いや、映画で見たボンドガールとソックリだなって感心してた所さ”
 ”もう、子持ちのオバさんよ・・・”
 ”周りを見てみろよ、みんな君に夢中さ”

 私は(どさくさに紛れ)彼女にキスをしようとした。
 しかし、彼女は戸惑った何だか様子でもある。
 何と、娘がいなくなったのだ。
 ”せっかく、いい所だったのに・・・”

 今度は母親ではなく、娘が失踪した。
 私は彼女に見惚れ、娘の事をすっかり忘れていたのだ。
 私は彼女と二人で娘を探し回る。
 とても広い公園だったので、簡単に見つかる筈もない。
 しかし彼女は、困惑した様子でもない。まるで二人っきりの時間と空間を楽しんでるみたいだった。
 どれくらい探しただろうか・・・

 結局、娘は見つからなかった。
 そして気がついたら、いつの間にか彼女もいなくなっている。
 私は一人ぼっちになった。
 寂しい時間と孤独な空間が私を支配する。


裏通りと老婆の声

 そのうち公園には、誰もいなくなった。
 ”娘はそして彼女は、単なる幻影だったのか?”
 私は仕方なくその場を離れ、帰宅する事にした。
 不思議と娘の顔を思い出せなかった。
 ”なぜ私は娘を抱いてたんだろうか?私の娘じゃない事は確かだろうが、あの美女は一体何者か?”
 そうこう考える内に、日が暮れていく。
 すると遠くから聞いたような声がする。
 ”ここよ、私はここよ・・・”

 私は声の方に顔を向けた。
 彼女には違いなかったが、かなり歳を食っていた。
 女は笑いながら、小走りでこっちに向かってくる。
 ”何よ?驚いたような顔をして”
 ”君なのか?先程の君なのか?”
 ”先ほどってなんなのよ?私よ、ワ・タ・シ”

 私は女をよーく見た。
 最初に出会った時よりもかなり老けてはいるが、目元はソフィ・マルソーに近かった。が、髪の毛はブロンドとは程遠く黒毛でまばらに白髪化していた。
 そして、次第に彼女の影は薄くなっていく。

 気がついた時は、私は再び一人になっていた。
 ”やはり全ては幻想だったんだ”
 その時、夢の舞台が変わった。

 私は、荒んだ歓楽街の裏通りを歩いていた。
 表通りは、そこそこの洒落た新興住宅街だが、裏に入ると腐敗しきったスラムに近い。
 焼鳥でも食おうと、ある店の暖簾を潜ろうとすると、隣からある声がする。
 ”こっちよこっち!ほら私よ、ワ・タ・シ”
 どこかで聞いた事のある声だった。
 ”そうだ、公園での彼女の声だ”
 私は声の方に振り返ると、一人の老婆が立っていた。
 何処かで見たような顔だった。
 老婆は少し笑っていた。
 ”まさか・・・”


最後に

 その時、夢から覚めた。
 公園で抱きかかえていた娘も、ソフィ・マルソー似のブロンドの美女も、白髪化した中年女も、そして最後に見た歓楽街の老婆も、同じ人物だったとしたら?

 人は誰でも歳をとる。
 猫だって人間ほどには劣化しないが、歳をとる。
 でもなぜ?人間だけがボロボロになるまで歳をとるのだろう。
 老化という残酷物語は、人間の為にあるのだろうか? 
 美女を急速に襲う老化と劣化。
 夢に登場したソフィ・マルソーも、老化と劣化には抗えなかった。
 彼女の髪の毛を両手で掬い上げた時、時間が止まってほしいと神に願った。
 しかし、時間は(特に)残酷である。
 娘⇒美女⇒中年女⇒老婆と、(夢の中で)一気に時計の針を進めたのだ。

 ソフィ・マルソーさんの両親は彼女が9歳の時に離婚してる。
 夢の中の失踪した娘は、その時の彼女だったんだろうか?
 その娘を探していた母親は、映画の中のボンドガールだったのだろうか?
 今現在のソフィ・マルソーさんは(往年の美の欠片もない)50代後半のオバサマである。
 しかし、彼女が女優業を選択したのは運命である。これから彼女は(その運命に引きずられるかの如く)老婆に突き進むだろう。

 喜べそうで喜べない微妙な夢だったが、夢の中で残酷な現実を思い知らされるとは、夢とは罪なもんである。



4 コメント

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ラブーム (HooRoo)
2022-03-29 10:09:16
の時の彼女は
まだ成熟しきれてなくて
あまり魅力的でもなかったけど
このボンドガールの時は
一番美しく成熟してた時かな

でも残念でした👅
美しすぎる華はすぐに散るものよ
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Hooさん (象が転んだ)
2022-03-29 11:45:25
言われる通り
成熟がもたらした至高の美って感じでした。
デヴューの頃はそんなにでもなかったんですが、30をピークに駆け上っていった感じもします。
しかし、女優の華の時間は短すぎますよね。
夢の中でも、一瞬の出来事でしたもの。
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テーマは変わるけど (toko)
2022-03-29 16:33:28
今のこんな時勢に
アカデミー授賞式をやるハリウッド業界の呑気さも??だけど
司会者のジョークには全く笑えんかったし
ウィルスミスのビンタも微妙に中途半端だった。
もっと、胸ぐら掴んで乱闘騒ぎになると思いきや、最後には涙ながらに謝罪するこれまた中途な結末。

授賞式なんて、目立たがり人種のママゴトで
授賞式も暴力もよせばいいものをね。
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tokoさん (象が転んだ)
2022-03-29 17:39:15
ドライブ・マイ・カー
も期待したんですが、結局は国際長編映画賞だけだったですね。
でも時期が時期だけに、大人し目の穏やかな感動を呼ぶ作品が高く評価されました。

そんな中でのウィル・スミスのビンタ劇でしたが、人間はつくづく攻撃的に出来てると思いましたね。
そういう意味では残念だったです。
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