映画「ワールド・イズ・ノット・イナフ」(1999)を見ていた。
007シリーズの第19弾という事だが、(安っぽいイケメン風の)ピアース・ブロスナン(写真左)が好きになれず、TVを消そうかなとも思ったが、ソフィ・マルソーさん(写真右)がとても妖艶で魅惑的に映り、彼女に見惚れるようにして最後まで見てしまう。
ソフィ・マルソーが有名なフランスの女優さんという事は知ってたが、若い時は”タレ目の女”という位のイメージしかなかった。が、この映画に関しては、彼女の1人舞台の様にも思えた。
一方で、もう1人のボンドガールであるデニース・リチャーズは、(シリコンで膨らました豊胸もあってか)合成着色料満載の加工食品を食わされてるみたいで、ブロスナンが哀れにも思えた。
1966年生まれのソフィ・マルソーさんだが、ほぼ同世代の私にとっては気になる女優さんではある。この映画の時は33歳ほどで、30を過ぎた白人女優にしては、とても妖艶で若く映った。一方、デニス・リチャーズはソフィより5歳年下で、この時は28歳ほどだが、典型の”劣化したブロンド”に成り下がっていた。
ストーリーは子供向けのチンケなもんだが、ソフィ・マルソーの魅力だけが引き立つ映画でもあった。
公園と美女と娘
夢の中で、私はある大きな公園のど真ん中にいた。
私は1人の小さな女の子を抱いていた。
小学校に入ったばかりの年頃だろうか、金髪で青い瞳の娘だったが、どうやら母親を見失ったらしく、必死で母親の名前を叫んでいる。
娘は最後には涙目になり、私は彼女を励ました。
”大丈夫、すぐに戻ってくるさ。君みたいな美人を置いてけぼりにする人間なんて、世界中に誰一人としていない筈さ”
娘は少しゴキゲンになり、笑顔になる。
笑顔は運をも惹きつけた。
しばらくすると、母親らしき女性がこちらにやってくるではないか。
スラリとしたブロンド美人で、戸惑いを見せながらも少し微笑みながら、娘に軽くキスをする。
”あら、ゴメンナさい。フレンチドッグが美味しそうだったので、見惚れてたら娘を見逃しちゃったみたい”
目の前の美女は、私にフレンチドッグを手渡すではないか。
どうやら彼女と私とは、友人か?少なくとも知人の関係らしい。
私はもう一度彼女を見た。
映画に登場したソフィ・マルソーそのものだった。目の周りの(微妙に)魅惑的なメイクも見事なまでのスレンダーな肢体も、映画の中そのものだ。
”間違いない。目の前の女はあのソフィ・マルソーだ”
微妙に歳を食ってたが、その妖艶さは周りの群衆の目を惹きつける程に群を抜いてた。
少し興奮した私は、彼女のさらりとしたやや栗色がかった髪の毛を両手で掬い上げ、頭のテッペンに持ち上げた。
”何よ、こんな所で・・・”
”いや、映画で見たボンドガールとソックリだなって感心してた所さ”
”もう、子持ちのオバさんよ・・・”
”周りを見てみろよ、みんな君に夢中さ”
私は(どさくさに紛れ)彼女にキスをしようとした。
しかし、彼女は戸惑った何だか様子でもある。
何と、娘がいなくなったのだ。
”せっかく、いい所だったのに・・・”
今度は母親ではなく、娘が失踪した。
私は彼女に見惚れ、娘の事をすっかり忘れていたのだ。
私は彼女と二人で娘を探し回る。
とても広い公園だったので、簡単に見つかる筈もない。
しかし彼女は、困惑した様子でもない。まるで二人っきりの時間と空間を楽しんでるみたいだった。
どれくらい探しただろうか・・・
結局、娘は見つからなかった。
そして気がついたら、いつの間にか彼女もいなくなっている。
私は一人ぼっちになった。
寂しい時間と孤独な空間が私を支配する。
裏通りと老婆の声
そのうち公園には、誰もいなくなった。
”娘はそして彼女は、単なる幻影だったのか?”
私は仕方なくその場を離れ、帰宅する事にした。
不思議と娘の顔を思い出せなかった。
”なぜ私は娘を抱いてたんだろうか?私の娘じゃない事は確かだろうが、あの美女は一体何者か?”
そうこう考える内に、日が暮れていく。
すると遠くから聞いたような声がする。
”ここよ、私はここよ・・・”
私は声の方に顔を向けた。
彼女には違いなかったが、かなり歳を食っていた。
女は笑いながら、小走りでこっちに向かってくる。
”何よ?驚いたような顔をして”
”君なのか?先程の君なのか?”
”先ほどってなんなのよ?私よ、ワ・タ・シ”
私は女をよーく見た。
最初に出会った時よりもかなり老けてはいるが、目元はソフィ・マルソーに近かった。が、髪の毛はブロンドとは程遠く黒毛でまばらに白髪化していた。
そして、次第に彼女の影は薄くなっていく。
気がついた時は、私は再び一人になっていた。
”やはり全ては幻想だったんだ”
その時、夢の舞台が変わった。
私は、荒んだ歓楽街の裏通りを歩いていた。
表通りは、そこそこの洒落た新興住宅街だが、裏に入ると腐敗しきったスラムに近い。
焼鳥でも食おうと、ある店の暖簾を潜ろうとすると、隣からある声がする。
”こっちよこっち!ほら私よ、ワ・タ・シ”
どこかで聞いた事のある声だった。
”そうだ、公園での彼女の声だ”
私は声の方に振り返ると、一人の老婆が立っていた。
何処かで見たような顔だった。
老婆は少し笑っていた。
”まさか・・・”
最後に
その時、夢から覚めた。
公園で抱きかかえていた娘も、ソフィ・マルソー似のブロンドの美女も、白髪化した中年女も、そして最後に見た歓楽街の老婆も、同じ人物だったとしたら?
人は誰でも歳をとる。
猫だって人間ほどには劣化しないが、歳をとる。
でもなぜ?人間だけがボロボロになるまで歳をとるのだろう。
老化という残酷物語は、人間の為にあるのだろうか?
美女を急速に襲う老化と劣化。
夢に登場したソフィ・マルソーも、老化と劣化には抗えなかった。
彼女の髪の毛を両手で掬い上げた時、時間が止まってほしいと神に願った。
しかし、時間は(特に)残酷である。
娘⇒美女⇒中年女⇒老婆と、(夢の中で)一気に時計の針を進めたのだ。
ソフィ・マルソーさんの両親は彼女が9歳の時に離婚してる。
夢の中の失踪した娘は、その時の彼女だったんだろうか?
その娘を探していた母親は、映画の中のボンドガールだったのだろうか?
今現在のソフィ・マルソーさんは(往年の美の欠片もない)50代後半のオバサマである。
しかし、彼女が女優業を選択したのは運命である。これから彼女は(その運命に引きずられるかの如く)老婆に突き進むだろう。
喜べそうで喜べない微妙な夢だったが、夢の中で残酷な現実を思い知らされるとは、夢とは罪なもんである。
まだ成熟しきれてなくて
あまり魅力的でもなかったけど
このボンドガールの時は
一番美しく成熟してた時かな
でも残念でした👅
美しすぎる華はすぐに散るものよ
成熟がもたらした至高の美って感じでした。
デヴューの頃はそんなにでもなかったんですが、30をピークに駆け上っていった感じもします。
しかし、女優の華の時間は短すぎますよね。
夢の中でも、一瞬の出来事でしたもの。
アカデミー授賞式をやるハリウッド業界の呑気さも??だけど
司会者のジョークには全く笑えんかったし
ウィルスミスのビンタも微妙に中途半端だった。
もっと、胸ぐら掴んで乱闘騒ぎになると思いきや、最後には涙ながらに謝罪するこれまた中途な結末。
授賞式なんて、目立たがり人種のママゴトで
授賞式も暴力もよせばいいものをね。
も期待したんですが、結局は国際長編映画賞だけだったですね。
でも時期が時期だけに、大人し目の穏やかな感動を呼ぶ作品が高く評価されました。
そんな中でのウィル・スミスのビンタ劇でしたが、人間はつくづく攻撃的に出来てると思いましたね。
そういう意味では残念だったです。