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写真は日本語版の『コールガール』です。全く、デザインがね。世界中で称賛され、物議を醸した傑作にしては、カバーがイケてないというか。私めが代りにデザインしてもと、思う程です(笑)。
これじゃ、著者のジャネットも翻訳者の那波かおりも浮かばれませんな。お陰で、レヴューがイマイチだったんですね。
バルザックも言ってますね。”本が、その固有の価値の為に売れる事は殆どない。本の真価とは無関係な理由で売れるのだ”と。ブログも同じようなもんで(笑)。
新しい恋人ルイスとの出会い
経営者ピーチの自宅でのサロンは実に楽しかった。生活に張りと、”もう一つ”の興奮と幸福を与えてくれる。コカインをお酒を、そして楽しい機知に富んだ会話が、その”もう一つ”だった。そして、そこで知り合った、運転手のルイスに恋をした。
当然、ルイス・メンドーサとは深い仲になった。当然、睡眠不足に陥り、講義に支障が出るようになる。でも、頭の中はルイスの事で一杯だ。彼は理想の恋人だったし、私は彼を裏切らないように、精一杯背伸びした。
彼とのSEXは甘く親密で快楽も深かった。同じ組織で働いてるとはいえ、仕事とSEXを混同する事はなかった。いやそのつもりだったが。
金の為と愛の為のSEXを使い分けるのは、女の方が得意なのではって?
反論もあろうが、男にとってSEXとは気楽なもんだろうが、女にとってはそうじゃない。そこには感情が存在する。”気軽なSEX”に関与する女がいれば、それこそ"アバズレ"である。
亭主どもは女を買う事を、"意味のないSEXさ"と妻に説明するだろう。彼らはセックスを求め、快楽に浸り、満足する。それが全く意味がない行為とは到底思えない。
多くの男にとって、売春とは一つの職能ではなく、現実生活の一部であり、有り触れた日常生活からの脱却なのか。
娼婦のあるべき姿とは
娼婦の”性”は特別な”性”である。そこには、メニューがあり、オプションがある。彼女は貴方の望み通りにする為に、そこにいる。男には女に対して、あらゆる欲望や要求を持つが、彼女には必要も欲望も感情すらない。これこそが娼婦のSEXのあるべき姿。
コールガールは男を誘惑し、欲望を満たし、男が思い描く一時間を提供する。全ては貴方の歓びと悦楽と虚栄の為。彼女はまさにそれをやってのける女神。でも何故、これが恋人や妻に出来ないのか。
男は論理で考え、女は感情が支配する。結局、SEXも男から見れば、情けは必要ないし、女は愛や情が優先する。女が優しさに流され易いのもそのせいだろうか。
男の論理的立場からすると、仕事とはいっても、結構好きでやってんだって事になる。しかし多くの女性にとって、”性”とはギブ&テイクなのだろうか。野郎が感じてる様に、女性は感じないものだ。単純な男には女の演技とホンネが見抜けないのだ。
そう言われれば・・・。
つまり、コールガールは客の一方的要求を満たす”性の仕立て屋”の様なもの。客の元へ行く時、興奮するかと問われれば、スーパーへ買い物と同じだと。私は数え切れない程のオーガズムを演じた。でも苦痛じゃなかった、あれはSEXじゃないのだから。
他人を蹴落とす事と、性を売る事
かつて、私の大学の学部長が、博士課程のオリエンテーションで言い放った。
”ます、他人を蹴落とす事を身に付けなさい。排除される者の事を考えるな。立場が変れば、君の事など考えもしない”
この言葉には全くウンザリだ。私は正しい選択をしたと思ってるし、学部長の考えは倫理的に間違ってる。コールガールになる方が、ずっと倫理的な選択だと思えるのだが。
ここで個人的に一言。他人を蹴落とす事も性を売る事も、倫理的には同義だろう。客は娼婦の事なんか直ぐに忘れるが、女は客の事をずっと覚えてる。蹴落とした奴の事は直ぐに忘れるが、蹴落とされた奴はずっと根に思うのだ。
当然、この学部長もエスコートサービスの常連であろうね。偉そうな事言う奴に限ってやる事はヤッてる。”満足したソクラテスと不満足な娼婦”ってやつだ。
《ダブルという仕事》
”ダブル”という仕事も何ら抵抗なかった。大学時代、自分がストレートなのかレズなのか揺れ続けた。出た結論は誰もが”バイセクシャル”だという事。それに、男は女に夢中になる女を好きだという事。
2人の女と同時に交わりたいという、男のファンタジーは万国共通であろう。そういう私も男性誌を読み漁り、マスターベーションに耽ったもんだ。コールガールが男に与える賛美は、女が2人になれば倍になる。要はそれで男が果ててくれれば、別に構わない。
ペニスを這う2つの舌と、押し付けられる2人分の乳房。貴方はキャンディーショップに入った2人の少年の様に、2つの唇で、性器、お尻を撫で回す。
男は3Pを望むが、女は概してそれにファンタジーを持たない。大抵の女は、自分の恋人の側に同棲がいる事を好まないものだ。この目の前の女はライバル、侵略者、敵としてみなされるからだ。
実は、あのろくでなしの前恋人ピーターと私の親友で、何度か3Pを試した事がある。SEXと愛と所有欲と快楽を切り離す事が得意だった私も、辛く哀しい体験に終わった。立ち直るに暫く時間がかかったほどだ。
親友の"私が本物の女のテクを見せてあげるわ"という言葉が、今でも脳裏に焼き付いてる。
だから、他の一般人も上手くヤッてるとは到底思えない。だからこそ、コールガールに"ダブル"の要請が多いのだろう。日常生活での3Pとは、際どく危険な事なのだ。
だからダブルは止められない?
一方、コールガールにとって、ダブルは日常行為と同じだ。 それ以上に、多くのコールガールがこのダブルを好む。理由は明らかにお金。客の支払いもダブルになる。延長も容易で、次の客を待つより、ずっと楽だ。
結局、コールガールが気にするのは、SEXの中身より無為に潰す時間。客との電話での交渉は結構手間だし、ストレスにもなる。気の知れた常連でも、事に及ぶまでの手続きは億劫なもんだ。
それに、既に客のファンタジーを掴んでるから、それを餌に釣れるし、客が渋っても2人で攻め落とせる。他のコールガールの技も勉強になる。そんな理由で私もダブルを歓迎した。
それ以上に、ダブルの方が仕事量が少なくて済むし、疲れてる時は相棒に任せればいい。一人の男のペニスを2人で💋ぶるという奇妙な連帯感。
生理の時でも相棒が助けてくれる。場数さえ積めば、互いの連携は完璧で、客も大満足した。"本物のレズで、男とファックするのが好きな女。これを揃えてるのはあんたの処だけだ"と、ピーチは客から褒められたとか。
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