岡山県のPTA連合会が”会員の大幅減少で活動を継続できない”として、2024年度末で解散し、日本PTA全国協議会から退会する事が分かった。文部科学省によると、県レベルでPTAが解散するのは全国初との事だ。
同PTA連合会は1948年設立。08年度の会員は約18万人だったが、今年5月には9800人にまで急落していた(高知新聞)。
隣組(自治会)や老人会と同じで、(言い方は悪いが)ご年配の方達には失望を招く結果となった。
PTA(ParentTeacherAssociation)とは文字通り、保護者と教職員による学校運営を支援する集まりで、運動会やバザーなどの手伝いや通学路の見守りなどを主な活動とする。
従来、学校にPTAがあるのは当然の慣習となってはいたが、近年は解散するケースが増え、長野県内でも松本市の筑摩野中学校で解散が決まった。今年度の生徒数は約700人で市内一の規模だが、そのPTAが昨年末、解散との決断をした。
県PTA連合会によると、解散は長野市の大岡小中学校のPTAに次いで県内2例目だ。
大岡小中学校のケースは児童や生徒が減り、保護者が連続して役員になるなど、負担が増した事が主な要因だった。
以下、「PTAはもう限界?」より一部抜粋です。
一方で、筑摩野中はやや事情が異なる。
校長やPTA会長の話では、解散理由の1つが”加入率低下”の問題である。
ある保護者から”PTAへの加入は任意の筈だが・・”とあった。これを受けてPTAは”加入は任意”として、書面での意思確認をした。すると、昨年度の加入率は9割以上だったが、今年度は8割ほどに低下し、学年によっては7割程度や6割近い学級も出てきた。
解散理由の2つ目は”難航する役員選び”である。事実、数年前からPTAの役員決めが難航し、共働きなどを理由に断る保護者が相次いでいた。PTAは”このまま続けるのは困難”として、解散と新たな有志団体を設ける事へのアンケートを実施。9割以上が賛同した事で解散を決めた。
”他に良案があれば・・だが、このままでは組織として機能しないと思った。保護者にとって前向きな決断だ。ただ伝統を繋ぐ事ができず申し訳ない”(PTA会長)
全国に広がる、PTA解散の連鎖
これに対し、地域では様々な声が上がる。
”解散までする必要あったのか・・(PTAに)
加入と非加入で不平等さがある事から、ヤメちゃえって話になったのでは”
”面倒臭いからやらないのも何だか・・負担がそこまでない形で何かできるようになっていけば・・”
”解散は大いに賛成。PTAの内容自体が不明確すぎるし、何の為にと聞いても<例年通り>が当り前で、意味がない”
”びっくりだ。やって当たり前というか、自分や学校や子供の為にもなるし・・”(PTA役員経験者、60代)
”行事をやるにも親を集めるにも、先生の負担も増える。それで行事が減れば子供達にマイナスになる。<なり手がないからPTAやめます>はNG”(PTA会長経験、60代)
一方で、就職支援の専門家は”1つは感染症の拡大の影響が一番象徴的だが、保護者も毎日の生活を維持するのに精一杯で、そんな余力がない中で学校の教育活動に関わる事のハードルが上がっているのでは・・”と、コロナ禍以前からPTA活動には疑問があった。
更に”任意加入にもかかわらず強制的な部分があり、役員という立場に関しても、その決め方に理不尽な部分があるし、様々な課題が運営面では指摘されています”と付け加える。
近年、全国でもPTA解散が続く中、東京都立川市でも、全校児童およそ550人の市立柏小学校は”PTAを解散する決断をした。今の時代にPTAという組織は合っていない。活動として土日も使うし、共働き世代になると時間を取る事が難しい”(市立柏小学校・PTA吉沢会長)。
整理されたPTA室を見ながら、元会長(40)は5年間会長を務める中、活動が惰性になっている事や役員選びで協力が得られ難くなってる事を痛感する。そこで保護者にアンケートを実施し、98.7%が解散に賛同した事から解散を決定し、小学校もそれを受け入れた。
吉沢さん達は今後、解散の効果や影響を検証していく事になるが、”なくなって、本当に必要なものが見えてくるかもしれない。解散が妥当だったのか否か、我々が解散を決めた責任として、検証をやっていこうと思う”と語る。
PTA解散は県内でも広がるのだろうか。長野県松本市の臥雲市長は、筑摩野中PTAの決断を前向きに捉えている。”元々、PTAとは任意のボランティア組織であり、<仕切り直し>というのが今回の解散だと思う。今の状態を惰性で続けていくより、いずれプラスになると受け止めている”と前向きに捉える。
前出の荒井准教授も”(解散の動きは)今後も拡大傾向にあるのでは・・・これをを私たちがどう捉えていくのか・・<関わり易さ>と<関わり甲斐>を両立できる様な活動を模索する事が求められている”と語る。
以上、長野放送NEWSからでした。
最後に〜PTAと老害
意外にも、PTA解散には前向きな意見が多く、個人的にはホッとしている。
一方では、”何が何でもPTAは存続”とか”教師と親の繋がりは絶対に必要”とか言った、古株の会長や役員経験者らの意見も目立つ。
だが、私から見れば、老害以外の何物でもない様に映るのだが、存続派の意見は時代錯誤で強制的なものに偏り過ぎてると思う。
勿論、PTAを解散した数年後に、PTAと似た様な(学校とは独立した)組織を立ち上げた地区もある。が、組織である限り、役員性や強制参加的な側面は避けられない。但し、これもPTAを排除した結果の新たな模索の1つと思えば、古く腐りつつあるPTAの存続に比べたら、ずっとマシではないだろうか。
ただ、今やPTAは多くの保護者にとっては(目に見えない静かなる)地雷原になりつつあるという事を忘れてはならない。
勿論、PTA解散における都心と地方の格差は無視できる筈もなく、税収の多い恵まれた都心部ならPTAがなくても何ら影響はないかもだが、過疎地域となると、PTA消滅は地域社会の命綱であるコミニュケーションそのものの断絶を意味する。
だが、岡山県の様に県単位でPTAが壊滅した事実は、全国の地方自治体も深刻に捉えるべきだろう。つまり、PTAは地方にとっては”静かなる脅威”でもあったのだ。
”昔からやってる事だから”という老害的かつ慣習的な理由で続けているのなら、すぐにでも排除すべきである。少なくとも、”保護者の負担”という側面について真剣に議論する時に来ている。
だが、悲しい事に、PTA存続派は役員経験者が多いのも疚しい現実である。つまり、組織というものは、(違法ドラッグと同じで)一度でも役員という美味しい汁を吸うと、ヤメられなくなるのだろうか?
因みに、PTAの本質はあくまでボランティア精神にあり、会長や役員の意向やワガママや、更には強制参加を保護者に押し付けるべきではない。
私がPTA存続派を”老害”と揶揄するのはこの為である。
つまり、これ以上、老人の自己満足を保護者らに強制的に背負わせるのは、迷惑や負担を通り越した一種の犯罪ではないだろうか?
寿命を設定していないと、老化して機能不全になっても生き続けようとしてあがきます。いくらヨボヨボの組織でも解散させるにはさせられるでしょう。むしろ、寿命をすぎても長期に生き続けている組織ほどたいへんですね。
組織をつくるときは、目標を明確にして、期限(寿命)を設定することを忘れてはいけないと、現役時代は、必ず主張してました。
つまり、目標も組織も出来るだけシンプルにしないと、寿命が尽きた時の処分に困る。
言われる通り、こうした組織は腐る程に厄介ですから、解散したらしたで後々に因縁や遺恨を残しがちなんですかね。
隣組もそうですが、実質は”寝たきり”状態にあり、廃棄するにも負担が掛かる。特に過疎地方は深刻な老害になりつつあります。
つまり、伝統や慣習も度が過ぎると、百害あって・・となるんでしょうね。
コメント参考になります。
PTAや老人会を含む隣組だけでなく
メディアを沸かせたプロスポーツや芸能バラエティに、オリンピックや24時間TVもそうだけど、日本古来の伝統やお祭りや慣習も同じ。
すでに死滅して腐敗臭を放ってるのに、無理に存続させようとする。
米露の2つの旧大国も、中国3000年の歴史もとっくに寿命が来てんだよ。
オリンピックも24時間TVも止めようにも、中途にスポンサーがつくから止められない。
でも結果でみれば、明らかに失敗ですね。
私の田舎にも”青年部”という百姓サンの組織がありますが、今や高齢化し老人会状態です。
それでもしぶとく青年部として活動する。
気持ちは判りますが・・・
生命というものは潔く散ってこそ美しいものなんでしょうか。
保護者というより
暇つぶしの為のオバサンの集まりって感じが強いけど
結局はオバサンも寂しいのよ
家事や育児といってもパターンは決まってくるし、子供がある程度大きくなれば手もかからなくなるし、、、
PTAというのは
そんな暇つぶしに丁度よかったのかな
でも時代も人も知らずうちに変わるのよ
PTAだってほっとけば死滅するように出来てんだから
役員や会長は高齢者の重鎮が多く、若い人はなかなか逆らえない。
そんな矛盾と限界が詰まった組織の中での解散(死滅)という自然の流れですね。
ただ、保護者たちにすれば、せっかくの組織だから何か意味のある事をしようと思ったんでしょう。
でも、これが一番の”余計”でした。
自然発生的なボランティアのままでよかった。つまり、普段は何もしないで、何かあった時に臨時的に集まるだけでよかった。
結局、人は余計をする生き物なんですよ。