今年で40周年の”佐賀バルーンフェスタ”です。
初日の今日は、パシフィックカップ(パイロットが離陸前に自分自身のゴールを宣言し、そのゴールに近付いてマーカーを投下する)と、フェスタ(競技本部が指定したゴールに向け飛行し、中心に向かってマーカーを投下します。ターゲットの中心に近い所にマーカーを投下した選手に1000ポイントが与えられる)が行われました。
大会初日にしてはバルーンの数も少なく、色鮮やかな気球が天空を舞うイメージを予想してたんですが、少し期待外れでした。
”ファンタジーこそお祭り”でも述べた様に、実は1989年の世界大会の時に、このバルーンフェスタを始めて見ました。
流石に、この時は気球の数も多く、隣の大川市からも色彩りの気球を眺める事が出来ました。
因みにこの時は、117万人を集めたそうです。確かにその盛り上がりが、大川市の隣の柳川市にまで伝わってきそうな勢いでしたね。
今日は佐賀県立図書館に図書館に本を返す帰りに、折角だからと河川敷のバルーンフェスタ会場にまで足を運びました。
1989年以来の熱気球大会ですが、その後何度か足を運ぼうとしたんですが、渋滞に巻き込まれ頓挫してました。
渋滞が酷かったらそのまま帰るつもりでしたが、殆ど空いてたので、河川敷に直行です。
しかし、空を舞う気球が中々見えません。地元の人に尋ねても、”やってる事はやってんだろうけどね”って、感じで心配になってきました。大体において、嫌な予感は命中するもんですな。
昔は、バルーンフェスタ会場の中まで直接車を入れる事が出来たので、非常に楽だったんですが。今では遠くの指定された駐車場に車を留め、数百メートルは歩かねばなりません。
しかし、河川敷近くまで行くと、着陸するそこそこの数の気球が見れました。夕方(終了は5時)という事もあり、人混みは半ば程でしたが、駐車場が何処も満杯?らしく、適当な所に路上駐車し、会場へと足を運びました。
ラジオ佐賀のパーソナリティの音声がデカすぎて、ウンザリでしたが(田舎のイベントは音声がいつもデカすぎる💢)。
何とか運動不足の脚を引き摺って、会場へと辿り着きました。
久光製薬がメインスポンサーになってるらしく、腰にサロンパスを貼り必死に歩きましたな(悲)。
ある地元の老夫婦は、”何時もこんなんで、代わり映えしないね”と漏らしてました。
この言葉が全てを物語る様に、日本のお祭りというのは何時も何処も殆ど代わり映えしない。
”日本から祭りがなくなる”でも書いた様に、日本のお祭りは何処も同じだ。1mmすらの変化も誤差もない(笑)。
まるで”答えの出ない”マイケル•サンデルの講義を受けてるみたいで、流石にうんざりする。
しかし私めは、30年ぶりのバルーンフェスタに何かを期待した。いや、何かある筈と直感した。でも大体において、直感というもんは外れるもんです(悲)。
会場内には、数多くの出店やテナントが用意されてた。昔は出店なんて殆どなかった様な記憶がある。
ま、それだけは新鮮でしたが。哀しいかな売ってるものと言えば、たこ焼きにポテトチップスに焼きそばに焼き鳥と、お祭りの”定番”メニューでしたな。
嫌な予感と直感が見事に的中し、疲れがドバっと出た瞬間でした。
同じ様な出店がコピー&ペーストされたみたいに、延々と連なる異様な光景に、流石の私も引きましたな。
”この惑星の民は未だに、石器時代の原始的なお祭りを必要としてる”(笑)
ここまで来るとお祭りというより、神や祖先を祭る農耕族の伝統ある祭祀に近い。
やはり、日本は未だ神の惑星だと思い知らされた。
そういう目でバルーンを見たせいか、何ら感動もファンタジーも覚えなかった。周りを歩く人たちも、心なしか足取りが重たい様に思えた。
来年の東京オリンピックもこんな感じになるのだろうか?多分(悲)。
でも、久しぶりに祭りの気分らしきものを味わったのは新鮮でした。
だけど、現代は、ネットが毎日お祭りみたいなものだから、リアルなお祭りも退屈に思えてしまうのかも。
と、瞬時にコメントがつけられるこの喜びに勝るお祭りなど、もはやない?