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アマプラで「美味しんぼ」(121話)を見てたら、結婚披露宴のシーンが流れてた。
披露宴の舞台で至高と究極のメニュー対決が行われるのだが、日本というのはつくづく”芸のない国”だなと、今更だが思い知らされる。
新郎新婦がどんなに着飾っても、いくら周りが大げさな舞台を用意しても、所詮は自己満足の域を出ない。だったら二人だけで式を挙げて”結婚しました”ってハガキもらった方が金銭的負担もないし、心から祝福できる。
1人もんであるせいか(説得力にも欠けるが)、私は披露宴というのが、どうも好きになれなくなってきた。葬儀や仏事は昔から嫌だったが、お祝いのイベントはそこまで嫌いじゃなかった。
歳を重ねる毎に披露宴という存在がアホ臭に、いやペテンに(もっと大げさに言えば)イカサマに思える様になってきた。
が若い頃は、友人や知人からの結婚披露宴の誘いがあれば、喜んで出掛けたもんだ。しかし、披露宴とて特別な事が起こり得る筈もなく、村祭りの様なドンチャン騒ぎと何ら変わりはない。
ドラマや映画に登場する様なメルヘンチックな出会いも、ミステリアスなエロい展開が待ち構えてる筈もない。只々、酒を呑んで盛り上がるだけの(何の創造性もない)ムラ社会の宴会の繰返しゲームである。
”囚人のジレンマ”じゃないが、参加しない事こそが最適解なのに、無意識に参加してしまい、不快や幻滅を感じる人も多いだろう。
それでも、若い頃はそれだけで楽しかった。無機質な群衆と戯れてるだけで満たされるものがあった。つまり、若いという事は愚かで浅はかなのである。
結婚披露宴の本質は(悲しいかな)結婚式と新婚旅行の費用を如何に巧みに稼ぎ出すかにある。
勿論、(人生にたった一度?のおめでたい船出を)多くの人に祝福してもらいたいという心情もあろうが、やはり人生は”お金”である。愛だけでは生き抜いてはいけないのだ。
幾ら素晴らしい結婚式でも、多額の損失が出れば失敗である。1人でも多くの人に参加してもらい、ご祝儀を1万円でも多く包んでもらう。輝かしい船出と演出の陰には、こうした腹黒い企みも含め、披露宴は成り立ってる。
故に、(葬儀と同じく)より多くのご祝儀を巻き上げるだけの空虚なイベントに成り下がるのも当然ではある。
最低の披露宴
思い出すだけで寒気が刺す、最低の披露宴が私には2つある。
30代後半の頃だったか、親友で呑み友の結婚式に呼ばれた。が、不運にもその日は、風邪を引いて中々熱が引かなく、立ち上がる事もままならなかった。
出席の返事をしてたので、参列する知人にご祝儀だけを渡し、披露宴には欠席するつもりでいた。
知人にご祝儀を渡そうと自宅で待ってたが、そのまま眠り込んでしまう。気が付いたら、披露宴が始まる時間であった。
知人はチャイムを何度鳴らしても返答がなかったので、そのまま披露宴ヘ向かったという。
仕方なく、礼服に着替え、式場に向かい、ご祝儀だけを渡し、そのまま帰宅しようと思ったが、式場に着いた時はまだ披露宴は始まってなく、休憩室には前職場の懐かしい顔ぶれがいた。
彼らと意気投合して盛り上がってる内に、何となく風邪が治った気分になり、そのまま披露宴に参加してしまったのだ。
これがケチのつき始めだった。
前職場の旧友と盛り上がったのは良かったが、イヤな上司もいた。
披露宴そのものは貧相だったが、そんなに悪くもなかった。がしかし、所詮はド田舎の宴会に過ぎず、時間が立つ程に悪酔いするクソ親父が目立ち始め、怪しい雰囲気になっていく。
私は絡まれない内に、早めに退席しようと思ったが、前職場の仲間がとても懐かしくもあり、二次会へとしつこく誘うので、そのまま付いていった。
そう、私は人が思う以上に情に脆いのだ。
この二次会が最悪だった。
ド汚いスナックの狭い一室に放り込まれ、私はなす術もない。
所詮は、中年同士の無機質で干からびた結婚式に過ぎず、そこは、人生の船出というより”運命の墓場”に近い。
それを如実に物語るかの様な典型の二次会でもあった。灰色のドンヨリとした空気の中、一人取り残された私に、昔の上司が怒鳴り声を発しながら絡んできた。
”なぜ?オレを無視した?”
私は改めて、この披露宴が悪酔いの場である事を認識した。
私は相手にしなかった。というより、どう対応していいのかわからなかった。しかし、一応はお世話になった昔の上司である。話を合わせるふりをして、席を外す。
若い会計係のような男が会費を請求してきたので、ヤンワリと拒否し、その場を後にした。
まるで、腐った結婚式だ。新郎も新婦も中途な年齢からか、腐った様な顔をしている。
それに、結婚式と新婚旅行の経費を稼ぐ為にとて、地元消防団員全員を呼ぶ事はないだろう。
この頃のご祝儀の相場は、4万から5万だったと思う。終始、殆ど盛り上がりに欠ける披露宴は最初から最後まで損失の連続だったように思う。
親友の結婚式だから悪くも言えないが、私が経験した最悪の披露宴でもあった。
もう一つは、従姉妹の結婚式である。
兄が死んだばかりで落ち込んでたから余計にそう思ったのであろうが、これも最悪であった。
朝9時に親戚や隣組一同が従姉妹宅に集合し、正午から柳川の”御花”で結婚式が開かれた。大した儀式でもなかったが、そこまでストレスが溜まる事もなかった。が、それからが地獄である。
披露宴は2時頃から始まり、終わったのが夕方である。再び親戚一同は従姉妹宅に集結し、ダラダラとした宴会が終わったのは11時頃だ。
つまり、朝9時から夜の11時まで、計15時間軟禁状態に遭った事になる。まるで、タリバンに監禁された欧米のジャーナリストの気分である。
これも30代後半だったから、この頃から結婚式も披露宴も一切イヤになった記憶がある。
特に、親戚連中との付き合いは一切やめようと思った。
元々、私の父と父の兄は犬猿の仲だった。故に、この従姉妹の結婚式も嫌な予感はしてはいた。まるで死んだ父の呪いを見てるかの様な地獄絵巻でもあった。
それでも、私以外の親戚連中は自己満足に浸った表情で苦痛の欠片もなかったように思える。つまり、私1人だけが地獄だったのだ。
最後に〜最高で最後の披露宴
一方で、最高の披露宴もある。
これも2度の地獄の披露宴と同じ頃に行われたが、隣組で幼馴染みである知人の結婚式は最高だった。
新郎の家は元々金持ちである。それに、新婦の弟が(見習いの)お笑い芸人という、田舎にしては珍しいケースでもあった。
西鉄久留米駅に隣接する中規模のホテルで行われたが、特に料理が絶品であった。
何が凄いかというと、出てくる料理が全て素晴らしく美味しいのだ。引き出物は殆どなく、料理に重点を置いてるのはすぐに理解できた。
握り寿司にステーキ、そしてデザート。メニューとしてはとてもシンプルだが、全てが一級品に思えた。
食事が”普通に美味しい”というだけで、披露宴がこれ程までに盛り上がるのか?
いや、下手な演出(虚飾)が全くなかったから良かったのだろうか。勿論、隣組の嫌な連中も大勢来てたから、最初は息苦しかったが、シンプルで出来すぎた料理が全てを吹き飛ばしてくれた。
決して豪華絢爛で派手な披露宴でもなかった。ホテルが用意した宴会場は狭い程だったし、派手に騒ぎ立てる人もいなかったし、大声で喚き散らすクソ親父もいなかった。
二次会は同級生だけの集まりだったが、とても盛り上がった。こういう披露宴なら何度でも良いと思った。
ゲーム理論には”パレード効果”ってのがあるが、それを地で行く様な披露宴でもあった。因みに、この披露宴が私が最後に出かけたお祝いのイベントでもある。
結局は、自己満足というあらゆる虚飾を排除し、互いがそこそこに満足する様なシンプルな披露宴こそが最高のイベントとなる。
「美味しんぼ」みたいに、”至高対究極”の対決なんて派手な虚に塗れた演出は必要ない。シンプルで普通に美味しい食事こそが、互いにとって最適利得なイベントでもある。
つまり、従来の殆どの披露宴が囚人の自己満足の典型であった様に、イベントに招待する側もされる側も”囚人のジレンマ”に陥ってた事は確かである。
言い換えれば、我ら大衆は囚人という名の奴隷であり、冠婚葬祭というムラ社会のイベントに浮かれ、中途に長い一生をなぞるだけで朽ち果てる。
結婚披露宴というイカサマに打ちのめされる度に、我ら庶民はムラ社会の絶滅と共に死滅の淵に堕ちていくのかもしれない。
結構、気を利かして披露宴など小規模に行ってくれるんでしょうが。
我が田舎では、披露宴の規模の大きさは一族の権威に関わるもので、どうしても派手に大きくなります。
まるでムラ社会の一族間の権力闘争丸出しですよ。
それに田舎は何も楽しい事はないので、冠婚葬祭や隣組の世話くらいが一番の生き甲斐。
ムラ社会の奴隷、、いや囚人そのものですが、それでも彼ら彼女らは大満足なんでしょうね。
私は一向に付いていけませんが・・・
ビコさんも優秀なご子孫に恵まれて、それだけでも究極の贅沢であり、至高の幸福とも言えますね。
ビコさんの地元も私の田舎も同じ様なものなんですね。
本人らが幾らシンプルにしたいと思おうが、親は同意しても親族が許さない。
つまり、結婚式とは一族の権威を示すムラ社会の掟なんです。
従姉妹の結婚式なんかその典型でした。その瞬間、親族とは縁を切ろうと判断しました。
故に、余程の事がない限り、親族とは挨拶もしません。
腐った一族主義というか歪んだ集団意識というか、そういうのも今では問題視されてきてる様で、いい方向に変わってくれればとは思いますが。
もう四半世紀以上前になりますが、
僕も「恥ずかしい披露宴」をした1人です。
親戚一同、職場の関係各位に
列席してもらいました。
時代の空気もあったとは思いますが、
「あんな事やるんじゃなかった」と
今となっては激しく後悔しております。
セレモニーは簡素簡略がいいですね。
では、また。
時代には逆らえないものですよ。
それに職場関係は生命線ですから。
当時は披露宴と職場は絶対に外せなかった。
それでも、昭和の時代は規模の大きい披露宴は豪勢にも贅沢にも思えたもんですが・・・
年を取る毎に次第にアホらしくなって、今となってみれば幻想を見てたんでしょね。
でも、特に田舎では、女性が派手な衣装を着れるのは限られてましたから
女性の立場からすれば、結婚披露宴は一生に一度の主役になれるイベントなんですかね。
コメント有難うございます。