ユージン・スミスの水俣での写真が、日本だけでなく世界的にも大きな反響を呼んだ事もあり、”1973年春、チッソ(新日本窒素肥料株式会社)は賠償金および医療費と生活保証金の支払いに合意した。だがその後、チッソと日本政府は十分な責任を果たしてはいない。
<水銀被害は克服した>という2013年の首相発言は、今も苦しむ数万人の思いを否定するものである。
ライフ誌の1972年12月の最終号でユージンと妻アイリーンが撮った「入浴する智子と母」は、フォトジャーナリズム史に残る作品となる”
映画「MINAMATA-ミナマタ」(2021)はユージン・スミス夫妻が1970年代、水銀中毒(水俣病)が熊本県水俣市の市民に及ぼす影響を記録した写真集「MINAMATA」(1975)を基に映画化された。写真家のユージン・スミス(1918-1978)の水俣での奮闘を、主演と製作を兼務するジョニー・デップが演じた事で、世界ではともかく日本では大きな話題となった。
泥沼の離婚訴訟で問題を抱えるジョニー・デップを、敢えて起用した所がいまいち理解出来なくもないが、晩年の酒に溺れてたユージン・スミスとイメージが急落しつつあるジョニーデップの相似性としてみれば・・・ひょっとして私が思う以上の作品なのかもしれない。
そうこう思いながら、アマプラで放送されてた「MINAMATA」を見た。
水俣かユージン・スミスか
ユージン・スミスの名も水俣病の事も少しは知ってはいた。
水俣病を初めて知る人にとっては感動ある作品になるかもしれないが、記録映画でリアルな水俣病を知ってる人からすれば、残念な作品に映ったであろう。
つまり結果から言えば、この作品は秀作でありながらも中途に終わったとも言える。
肝心の評価だが、RotteTomatoesによれば、平均点は10点満点中6.3点、批評家の見解は”真心はこもっているが混乱している”と手厳しい。Metacriticもドキュメンタリー映画として評価しつつ、平均点は55点に留まった。
事実、舞台となる熊本県水俣市の高岡市長も(市として協力する姿勢を示しながらも)”1970年代の水俣で起こった事が正確に伝えられる事が大切だし、地域にとって負のイメージだけが広がらないようお願いしたい。水俣を担う若い世代に自らの古里に自信を持てる内容となる事を期待してる”と内容への要望を皮肉っぽく口にした。
”今さら水俣、されど水俣”の感もなくはないが、水俣病のリアルなドキュメンタリーとして見れば、ジョニー・デップの起用は正解だったのだろうか?
勿論、ユージン・スミスというカメラマンの感動のドキュメントとしてみれば、デップの起用もアリだったかもしれない。がしかし、昨今の人気が急落しつつある彼のイメージを払拭させる為の映画なら、水俣市にとってはこれ程の屈辱と侮辱もない。
つまり、この作品は”MINAMATA”ではなく”ユージン・スミスと水俣”とすべきだったか・・・
ドキュメンタリーか?感動か?
見終わった後の感想として、ドキュメンタリーとして見なければ、いや、”作られた”ドキュメンタリーとしてみればだが、実によく出来たドラマだと思う。
特にエンディングの歌は、(冒頭でも書いた)エンドロールのテロップが真実かどうかは抜きにして、とても美しく感動的だった。
ドキュメンタリーと言っても、所詮は興行が目的の”作られた”映画である。多少の脚色やウソが混じってても、目くじらを立てる程でもない。つまり、見る側も大人にならないと映画は漫画に成り下がる。
事実、ドキュメント映画のドラマ性を高める為に、巨悪な大企業に困難を承知で立ち向かう写真家をヒーローにした勧善懲悪モノとして、事実に反する脚色がなされる事はよくある事だ。それに多少の時間軸がズレてても、目くじら立てて騒ぐ程の事でもない。
例えば、チッソの社長がユージンに買収を持ちかける場面は実際にはなかったとされる。が、一方でチッソ附属病院の医師が工場の廃水の人体に与える毒性を上層部に指摘してるのに、その事を(1968年9月に)政府が認めるまでの10年近く操業は停止されず、メチル水銀化合物を含む廃水を湾に流してた事実も簡略化されている。
因みに、映画での廃液が太いパイプから流れるシーン(写真)だが、ユージン・スミス夫妻が水俣に来たのは1971年の事だから明らかにウソだと判る。それ以外にも、ユージンの仕事小屋が放火されたり、チッソ附属病院に潜入したりのシーンも事実無根だとされる。更に、ユージンがチッソ工場の前で従業員に暴行を受けて大怪我した事も事実ではないとされる。
それ以上に、ユージン・スミスという人間に焦点を当てた事で、チッソ工場が雇用や税収などの面で地元の経済に大きな影響を与えてた事が水俣病の拡大を防止できなかった要因の1つだった事や、患者と連帯活動し、裁判で真実を証言したチッソ従業員がいた事が省かれている。こうした事は、ウソを重ねて薄っぺらになりがなドキュメンタリーに、厚みや広がりをもたせる上では大きなマイナスとなる。
しかし一方で、作品の評価が中途半端でも「入浴する智子と母」の写真をユージン夫妻が撮影する再現場面を家族が許可してくれた事は、少なくともこの作品が世に出る意味を生んだとも言える。
事実、このシーンはこの作品のクライマックスであり、かつ本質でもある。更にユージン・スミスの全てでもあり、このシーンに涙した人も多いではないだろうか。実に印象的なシーンであったのは確かであった。
最後に〜ユージンの奇怪な最期
但し、ユージンとアイリーンの結晶である写真集「MINAMATA」(1975)が世に出た直後に、2人が離婚したいう事実も今となっては興味深く映る。
事実、ユージンが1971年8月に来日し、まもなく撮影助手のアイリーンと結婚したが、その後の(日米を行き来し)水俣の仕事に携わった3年間は経済的にも行き詰まり、2人の関係は急速に冷え込んでいく。
更に、ユージンはアメリカに帰国した際、シェリー・シュリスという写真学生に熱を上げてたというから、洒落にもならない。
因みに、水俣でのユージン夫妻の活動を経済的にも色んな意味でも支えたのが、無給で助手をしてた写真学生の石川武志である事を忘れてはならない。多分彼の存在がなければ、写真集「MINAMATA」が世に出る事はなかったであろう。もっと言えば、政府やチッソを屈服させる事もなかったろうか。
人生の不可思議と言えば、離婚後のユージンは、NYからアリゾナ州ツーソンへ引っ越し、シェリー・シュリスと同棲する。
その直後、写真「入浴する智子と母」の被写体である上村智子が亡くなった1977年12月、ほぼ同じ時期に脳出血の発作を起こすも、その時は運良く命を食い止めた。が、翌年の春、食料品店で転倒し、頭を打って死亡した(享年59歳)。
まるで、智子の霊が乗り写ったかの様なユージンの奇怪な晩年だが、彼は口々に”写真は魂を奪う”と語っていた。つまり、「MINAMATA」の写真がユージンの魂と命をも奪ったのであろうか。
そう思うと、映画「MINAMATA」も見る者の魂を奪い取る作品であるかの様にも感じる。
そういう意味では、非常に興味深いユージン・スミスの水俣でのドキュメンタリーとも言えなくもない。
僕にとっては、エンディングテロップの写真の方が映画本編より訴えかけるものがありました。
伝記フィクションとドキュメンタリー。
フィクションはどこまで脚色が許されるのか?
常についてまわるテーマですよね。
ジョン・ナッシュを描いた『ビューティフルマインド』もそうでした。
キャパの『崩れ落ちる兵士』は脚色があるらしいですし、映画『硫黄島からの手紙』では星条旗を立てるアメリカ兵の写真はやらせだと描かれていました。
大衆にはガチガチのドキュメンタリーよりは脚色されたドキュメンタリーの方が受け入れやすいんでしょうね。
映画はビジネスでもありますし。
ガチのドキュメントよりも
上手に脚色されたノンフィクションの方が受け入れやすいし、ストレスも溜まらない。
でも製作側は”感動のドキュメンタリー”と派手に宣伝する。つまり、”感動のノンフィクション”では誰も見ない。
しかし、感動とドキュメントは両立するのか?
結局、人を感動させる為には脚色は不可欠で、一方でドキュメント性は薄れていく。
かと言って、一つ間違えれば記録映画となる。
それらのバランスのとり方が、監督の腕の見せ所なんですよね。
ただ、エンディングでは、響き渡る歌声が実に印象的でした。
コメントとても参考になります。
いま福島で行われようとしています。
MINAMATAとFUKUSIMA
この2つは悲劇を象徴する世界標準の言葉です。
水銀中毒と放射能汚染
両者共に母体を通じて子供に入り込む。
その後どうなるかは自明の理ですよね。
ユージンスミスが生きてたら、FUKUSIMAをどういう写真で表現するんでしょうか。
処理水を放出してる写真をタイムズ紙に載せるとか・・・
タイトルは「福島の悲劇再び」とかなるんでしょうか。
でも、日本政府には水俣の惨劇が少なくとも教訓にはなってはいないようですね。
全く悲しい限りです。