前回の”2の3”では、無限大の考察と逆数の和について述べましたが。今回はいよいよ素数の謎の心臓部である、”素数はどれだけ沢山あるのか?”を考えます。
かのギリシャ時代の大天才ユークリッドですら、思いもつかなかった謎でした。
そこでオイラーは、逆数の和はどれ位大きいのか?いやどれ位小さいのか?これにより素数の大きさを考えたんです。
勿論、この問題の解決には天才オイラーの力が必要でした。
そしてオイラーは遂に、素数の逆数の和が無限大という1/2+1/3+1/5+1/7+1/11+・・・=∞を証明したんですが。彼が30歳(1737)の時ですから、平方数の逆数の和がπ/6²という”バーゼル問題”を発見し、天才オイラーの衝撃的デビューを飾った2年後の事でした。
つまり、”素数の逆数の和が無限大”とは、素数の無限大が2べきや平方数よりも格段に大きいという事。ある意味、自然数と同じ位大きいと。
オイラーは、”2の3”でも書いた様に、1+1/2+1/2²+1/2³+1/2⁴+・・・=2(ヤコブ)、
1+1/2²+1/3²+1/4²+・・・=π/6²(オイラー)、
1+1/2+1/3+1/4+・・・=∞(オーレム)、
の3式を既に見出してましたから、この素数の逆数の和が無限大であるという発見は、彼自身も驚きと同時に想定内でもあったでしょうか。
つまりここにて、現代数学がギリシャ数学の分厚い壁を乗り越えたんです。
天才オイラーの離れ業と
それにしてもオイラーは、どうやって素数の逆数の和を計算したのか?これこそが天才の持つ離れ業である”積分解”なのだ。
先ず彼は、自然数の逆数の和を”式ごとに素因数分解”しました。
以下に示す様に、1+1/2+1/3+1/4+•••=(1+1/2+1/2²+1/2³+•••)×(1+1/3+1/3²+1/3³+•••)×(1+1/5+1/5²+1/5³+•••)ו••=∞ー①と変形した。
つまり、素数毎のべき乗の逆数の和の無限積になってると。この時点で”無限和=無限積”というオイラー積の骨格が出来上がってたんです。
①の右辺を展開する時、この無限個の各括弧内から1項ずつを選び、掛け合せた結果が、展開式の項として全て出てくるから、この等式が正しい事が直感的に解る。
それに、各括弧内から各項を選ぶ際、初項の1以外を無限回選んで掛け合せると0になる。何故なら、1以外の項は最大1/2で、1以外の項を無限回掛け合せたものは、1/2を無限回掛け合せたものより小さいからだ。
故に、1/2を無限回掛け合せれば0に収束し、1以外の項を無限回掛け合せたものものも0となる。
よって、右辺の展開項として出てくるのは、有限個の括弧のみ1以外の項を選び、他の括弧からは全て1を選んだ項である。
すると、”どんな自然数も、ただ一通りに素因数分解できる”(素因数分解の一意性)から、1/12=1/2²×1/3の様に、右辺の展開項には自然数の逆数が全て1回ずつ現れる。故に上の等式①が示せます。
でも何だか直感的で曖昧?にも思えますが。
事実、上の”一対一対応”で登場した右辺の展開項は、”有限個を除いた残りの無限個の素数に対し、初項の1を選択”したもののみで、これ以外の”無限個の素数に対し、第2項以降を選択”した項は計算に入れてない。そういう項は1未満の分数を無数に掛けるから0に収束するとみなし、無視したのが上の証明である。
確かに、”個々の項は0に近づくかもだが、実際にはそんな項が無数に存在する為に、全て加えたものも0に収束するかどうかは自明ではない。そういう意味ではこの証明は不完全だ”と小山氏。
しかし、”絶対収束してれば項の順序によらない”という定理があるので、それを用い、①の絶対収束を証明すれば、それで構わない。つまり、オイラー積は絶対収束というのが前提になるんですね。
”無限積=無限和”とオイラー積の原型
オイラーはまず最初に、①式の対数をとったんです。
元々、対数とは全ての数を底の何乗かで表現する関数で、底が1より大きければ数の大きさに比例し、対数も大きくなる。
そこで、無限大の対数は無限大より、①の左辺=∞より、log(①の右辺)=∞ですね。
故に、log{(1+1/2+1/2²+1/2³+•••)×(1+1/3+1/3²+1/3³+•••)×(1+1/5+1/5²+1/5³+•••)ו••}
=log(1+1/2+1/2²+1/2³+•••)+log(1+1/3+1/3²+1/3³+•••)+log(1+1/5+1/5²+1/5³+•••)+•••=∞ー②。これまた”無限積=無限和”というオイラー積の原型になってます。
ここで、log(1+x)のテイラー展開を考えます。log(1+x)=x−1/2x²+1/3x³−1/4x⁴+ •••≒x、−1<x<1でした。
故に、log(1+1/2+1/2²+1/2³+•••)≒1/2+1/2²+1/2³+•••となり、同様に、log(1+1/3+1/3²+1/3³+•••)≒1/3+1/3²+1/3³+•••、log(1+1/5+1/5²+1/5³+•••)≒1/5+1/5²+1/5³+•••、7以上の素数pにても、1/p+1/p²+1/p³+•••、となります。
よって②の右辺は、(1/2+1/3+1/5+•••)+(1/2²+1/3²+1/5²+•••)+(1/2³+1/3³+1/5³+•••)+(1/2⁴+1/3⁴+1/5⁴+•••)+•••=∞と変形出来ます。
今問題なのは一番最初のカッコ内の和、つまり”素数の逆数の和”です。それ以外の部分は素数の2乗以上の逆数の和です。
ここで、”2の3”で述べた、”平方数が非常に少ない”という事実を使う。
つまり、1+1/2²+1/3²+1/4²+•••<2より、1/2²+1/3²+1/4²+•••<1となります。
②の右辺の展開項のうち、素数が2回以上掛かってる項の和は有限(<1)であり、素数が1回しか掛かってない項の和は無限となり、素数の逆数の和が無限大であると。
以上が、天才オイラーの得た結論、1/2+1/3+1/5+•••=∞の証明です。
素数は”非常に大きい無限大”である
この結果、素数が”非常に多い”事が証明された。単に素数が無限大であるだけじゃなく、前回”2の3”で述べた様に、無限個存在する”べき乗数”や”平方数”よりもずっと”大きな無限大”である事を、ユークリッド以来数千年ぶりに、毅然とした定理として漕ぎ着けたのです。
この”素数の逆数の和が無限大である”という”オイラーの定理”は、数学史上最大級の定理として讃えられるべきものである。
それに、このオイラーの証明はユークリッドの方法を全く用いない。背理法を使い、素数が無限大にある事も使ってない。全ての素数の積に1を加えるというユークリッドのやり方も使ってない。
つまり、ユークリッドの結果を元に新たな結果を上乗せしたんでなく、全く別証を得て同時に結果の改良まで成し遂げた点でも驚異に値する。
小山氏の熱い咆哮が、天国のオイラーにまで届きそうですだ。
オイラー積からオイラーの定理へ
最後に、”全ての素数pに渡る”オイラー積を使い、素数の逆数が無限大というオイラーの定理を証明します。
”2の1”ではオーレムの定理と背理法を使った簡易な証明でしたが、ここでは背理法を使わない方法を紹介です。
先ず、ζ(s)=Σₙ[1,∞]1/nˢ=Πₚ(1−p⁻ˢ)⁻¹で表されるオイラー積ですが。この両辺の対数をとると、logζ(s)=logΠₚ(1−p⁻ˢ)⁻¹=−Σₚlog(1−p⁻ˢ)。
ここで、log(1−p⁻ˢ)のテイラー展開を使います。log(1+x)=x−1/2x²+1/3x³−1/4x⁴−•••でしたから、log(1−p⁻ˢ)=−(1/pˢ+1/2p²ˢ+1/3p³ˢ+1/4p⁴ˢ+•••)となり、logζ(s)=ΣₚΣₘ[1,∞]1/mpᵐˢー③となります。
そこで、③の右辺=Σₚ(1/pˢ+Σₘ[2,∞]1/mpᵐˢ)
=Σₚ1/pˢ+ΣₚΣₘ[2,∞]1/mpᵐˢー④と変形し、この第1項のΣₚ1/pˢで、s→1としたのが”素数の逆数の和”なります。
この時、ζ(s)もlogζ(s)も∞となり、④の右辺の第2項のΣₚΣₘ[2,∞]1/mpᵐˢの収束を示せば、念願の素数の逆数の和が無限大”Σₚ1/p=∞”が示せます。
Σₘ[2,∞]1/mpᵐˢ<Σₘ[2,∞]1/2pᵐˢ
=1/2p²ˢΣₘ[0,∞]1/pᵐˢ=1/2p²ˢ*(1/(1−1/pˢ))<1/2p²ˢ*(1/(1−1/2))=1/p²ˢとなります。
これは、Σmp>Σ2pよりΣ1/mpᵐˢ<Σ1/2pᵐˢ、またs>1より2<pˢとなり1/(1−1/pˢ)<1/(1−1/2)が成立し、Σₘ1/pᵐˢ=1/(1−1/pˢ)も無限等比級数の公式から明らかですね。
以上より、Σₘ[2,∞]1/mpᵐˢ<1/p²ˢとなり、
ΣₚΣₘ[2,∞]1/mpᵐˢ<Σₚ1/p²ˢ<Σₙ[1,∞]1/n²ˢ<Σₙ[1,∞]1/n²=π/6²(バーゼル問題、1735)。
故に④の右辺の第2項が収束し、よって、④の右辺の第1項である素数の逆数の和”Σₚ1/p”が無限大である事が証明できました。めでたしです。
最後に
素数の性質である素因数分解と対数をとり、対数の性質である”無限和=無限積”と、そして、最後はテイラー展開を用いる事で、素数の逆数の和の無限大を証明し、素数の無限の大きさを実証したオイラーの見事な手腕は、現代数学の王道とも言えますね。
この”素数の無限大に関する”オイラーの定理の別証明は多くの数学者によって発見されてます。
「素数とゼータ関数」では、ポール•エルデシュ(1938)とヒレル•ファステンバーグ(1980)の別証明が紹介されてますが。全く素数の謎って今も深く広く息衝いてんです。
次回”2の5”では、素数の占める割合が%である事と、n番目の素数の大きさ(粗い素数定理)についてサラッと述べる事にします。あくまでも予定です。
その絶対収束って、つまり絶対ヤラせてくれるってことよね。転んだサン的にいえばね。という事は、オイラー積もヤラせてくれなければ成り立たないのよ。
どーよ、私の理論は完璧でしょ?オイラーもリーマンも女にはスケベには弱いのよ。
では、バイバイ。
数学は収束が前提なんで、オイラー積が収束する事を別途証明する必要があります。でも数学の世界って、SEXと同じでヤルって事が前提なんですね。女性からすれば、ヤラせるっていう定義になるんでしょうが。
でも収束と絶対収束どう違うのって。収束値を持つものでも、延々と不規則に少数が続くものがありますね。無理数なんかその典型ですが。
女性にもいますね、ホテルに連れ込んでもヤラセないのとか。日本の風俗やデリヘルなんかもその典型ですが。
そういう意味では、数学も男女の下半身の関係も謎が多いんですね。
ではバイバイ。
人間最後にはハートなんです。オイラーの離れ業も凄いんですが。それを真っ向から真正直に紹介する転んだサンの意気込みも半端ないです。
このブログには殺気めいたものを感じる程です。素数が有限であると仮定し、ζ(1)が無限大になる事で背理法を使った証明は、明らかに結果論ですね。間違いじゃないんですが。
でもHoo嬢のツッコミも半端ないですね(^-^)
全く同感です。才能や知能もそうですが、やはり最後はハートですよね。数学者はハートが命です。リーマンブログを書いててつくづくそう思います。
そういう私も何度も躓きそうになりましたが、その度にオイラーがリーマンが味わった試練を思い出すかのようです。勿論彼らには遠く及ばない貧相なレベルなんですが。
オイラーの偉業って読むほどに凄みが増してきますね。
でも、じっくりと腰を据えて読んでみると、オイラーの洞窟に忍び込んだ気になりますね。素数の謎を探ることが、ユークリッドのギリシャ時代から始まり、今に至る。世界の数学者が血眼になってこの素数に取り組んでる。
この潔さが数学を支えてる。数学が美しいのはその為でもあるのでしょうか。
まだまだオイラーの偉業は続くんでしょうね。転んだサンも大変でしょうが、オイラー探訪の旅、楽しみにしてます。
数学という洞窟の中に迷い込んでも、光を当て堅い岩を細かく砕き、絶対の真相を探り出そうとする。だから嫌われるんですが。
勿論世の中には知らない方がいい事も沢山ありますね。だから数学には誤解も多いんですが。
という事で少し愚痴っぽくなりましたが、今後も宜しくです。