WOWOWの番組表を眺めてたら、ロマチェンコvsガンボソスの試合が組まれてあった。
ロマチェンコと言えば、現役ボクサーの中で階級を超えた最強ボクサーとされる。言い換えれば、PFP(パウンド・フォー・パウンド)という言葉を世に知らしめた、初めてのボクサーとも言える。
ウクライナの英雄でもあるワシル・ロマチェンコは、ロシア=ウクライナ戦争でリングから遠ざかっていたが、今年5月のIBF世界ライト級王座決定戦でカンボソスJr(豪州)に11回TKO勝ちし、約3年7か月ぶりに世界王座の返り咲きを果たした。
今や36歳とはいえ、パワーとスピードは健在だったが、元世界同級3団体統一王者同士の一戦にしては物足りなさも感じた。
”精密機械”と”ゴールデンボーイ”
世界最速の世界3階級(フェザー・Sフェザー・ライト)制覇王者で、アマ戦歴は400近い戦歴を誇り、負けたのは僅かに1回だけで、ダウンは1度もない。
北京(フェザー級)・ロンドン(ライト級)と2大会連続の金メダリストで、世界選手権も2連覇を果たす。因みに、”ハイテク”(精密機械)の異名を持ち、超高精度のパンチや抜群のスピードと技術で相手を圧倒し続けてきた。
しかし、2020年10月にテオフィモ・ロペス(米国)に僅差の判定負けで王座陥落。18年のリナレス戦で痛め、手術を受けた右肩の痛みが再発した事も影響したとされたが、再び右肩の手術を受ける。
再起後は、22年4月にロシアに侵攻を受け、母国の軍隊に入るなど不遇のキャリアを過ごしたが、復帰した同年10月には3連勝を飾るも、昨年5月の4団体統一王者だったデビン・ヘイニー(米国)にこれまた僅差の判定負けで、カンボソス戦は(ウクライナ戦争で1度は延期された)1年ぶりの再起戦だった。
ロマチェンコのボクシングは、典型の”打っては打たせない”スタイルだが、サウスポーにしては珍しく、強く踏み込む”モンスターレフト”を放たない。つまり、顔面に多彩で細かいパンチを揃え、精密機械の如く次々とヒットさせる。更に、相手のガードが上がった所をタイミングのいい左ボディーで留めを刺す。
このコンビネーションが実に芸術的で神憑りだが、防御も完璧で、397戦で僅か1敗のみ戦歴は(勿論だが)飾りではないし、”難攻不落のサウスポー”との言葉は彼の為にある。
一方、帝拳ジム所属のホルヘ・リナレスは、端正な顔立ちに華麗なスタイル、強烈なロングレンジからの速射砲と強打は、日本でも実証済みである。
プロボクサーだった父の影響でボクシングを始め、アマ時代はベネズエラのJr選手権を5連覇するなど、ロマチェンコにも劣らない経歴を持つ。17歳で来日し、順調に戦歴を重ね、07年7月、ベネズエラの”ゴールデンボーイ”との愛称を持つリナレスは、無敗のまま24戦目で世界初挑戦を迎える。
WBC世界フェザー級王座決定戦では、オスカー・ラリオス(メキシコ)に10回TKO勝ちし、初の世界王者となる。その後、Sフェザー級王座を獲得したものの、09年10月の2度目の防衛戦でカルロス・サルガドの左右の連打をもろに食らい、初回1分13秒TKO負け。プロ初黒星を喫し、打たれ弱さを露呈する。
再起後は3連勝を果たし、ライト級に階級を上げ、3階級制覇を目指すも2連続KO負けを喫した。スタッフを総入れ替えして臨んだ14年12月、WBCライト級王座決定戦で4回KO勝ちを収め、念願の3階級制覇を達成。
以降、3度の防衛戦を判定勝ちでクリアし、僅か11戦で全階級最強(PFP)の称号を与えられたロマチェンコの挑戦をNY(MSG)で受ける事になる。
世紀の対決
時は2018年の5月、様々な困難を克服し、見事に復調したリナレス(32)は、ノンタイトルを含め、復帰後13連勝と完全復活を果たし、戦歴は44勝(27KO)3敗。KO一辺倒ではなく判定でも相手を圧倒する熟練の域にあった。
一方、既にPFP1位に君臨するロマチェンコ(30)の戦歴は10勝(8KO)1敗と圧倒的だが、直近の4試合では対戦相手がラウンド終了後に棄権するという消化不良的な展開が続いていた。故に、この試合は非常に稀に見る、特別の意味を持つファイトになると思われた。事実、その通りになったのだが・・・
前置きが長くなったが、試合を振り返ってみよう。
まず、リング上に対峙した2人を見てると、リナレスが一回り大きく感じた。故に、パワーのリナレスか、スピードとフットワークのロマチェンコか、という展開は容易に予想できる。ただ思った以上に、ロマチェンコは攻守に引き出しが多く、非常に完成度の高いボクシングをする印象が強かった。
1Rと2Rは、ロマチェンコの手数が上回った様に思えたが、私にはほぼ互角に見える。
3Rに入ると、ロマチェンコが主導権を握り始める。細かいパンチをリナレスの顔面に小気味よく集中し、時折放つボデーショットも正確で、ロマチェンコやや優勢か・・・
4Rには、リナレスの両目が薄っすらと腫れ上がり、視界が濁ったのか、ロマチェンコの連打をもろに浴びるケースが目立つ。リナレスも負けじと応戦するが、力みが目立ち、何度かローブローの注意を受けた。4Rと5Rもロマチェンコの明確な優勢で終わる。
6R、”細かくパンチを放て”とのセコンドの指示があったのか、何とか劣勢を断ち切りたいリナレスは、細かいコンビネーションをロマチェンコの顔面に纏め、リズムを掴んだかに見えた。が、ロマチェンコの正確無比な連打と軽快なフットワークはリナレスを苦しめ続けた。
ロマチェンコは楽勝だと油断したのか、両足が揃った所にリナレスの右ショートをもろに食らい、(プロアマ含め)自身ボクシングキャリア初のダウンを喫す。
これには会場も異様な雰囲気に包まれ、ロマチェンコ本人もダメージは殆どないものの、精神的動揺がハッキリと見て取れる。
一方で、多彩なアングルから放つパンチと超人的なハンドスピードで相手を翻弄する筈だったロマチェンコだが、”ハイテク”と称される精密機械も少しでも隙きを見せれば、百戦錬磨のリナレスが見逃す筈もない。
事実、ロマチェンコは試合後に”少し油断した。終始、僕のペースだと思っていた。だが、その考えは間違っていた。でも、あのパンチは見えてたし、彼の方が巧かった”と語っていた。
ただ惜しむらくは、若干力み過ぎたせいか、ロマチェンコに致命傷を与える事が出来なかったのが、その後の展開に大きな陰をもたらす事となる。という事で、6Rは10-8でリナレスのラウンド。
続く7R、生涯初のダウンを喫し、前半に見せていた余裕がなくなったのか、ロマチェンコも必死でペースを掴もうとするが、リナレスも負けじと応戦し、ロマチェンコがリナレスの強烈な右をまともに食らうシーンが目立ち、この回もリナレスが僅かに優勢。
8Rは、ロマチェンコが気を取り直し、軽快なフットワークでかき回し、リナレスに距離を詰めさせず、焦るリナレスにロマチェンコはコンビネーションを的確に当てる。この回はロマチェンコが僅かに優勢だ。
9R、何とか一気に勝負をつけたいロマチェンコがペースを上げるが、リナレスも必死に応戦し、互角のままこの回を終える。
互いのセコンドを見る限り、リナレスはスタミナが切れかけ、へばり気味で、ロマチェンコは表情に全くの余裕がない。
一方、9Rを終えて、記者の採点(ロマチェンコ-リナレス)は3者3様(86-84、84-86、85-85)のドローで、私の採点(87-86)とほぼ同じである。
運命のラウンド
確かに、リナレスはよく健闘してはいたが、全般的に力みが目立ち、カウンターを狙い過ぎたせいか、細かなパンチやボディブローが少ない様に思えた。
一方で、ロマチェンコはよく動いたし、ボディーと顔面の打ち分けが非常に巧い。力を入れて打つパンチが殆どなく、故に、スタミナの消耗も自身の損耗も少ない。
私は、初めてロマチェンコの試合を通して見たが、強いと言うより”完成されてる”とのイメージが強い。全てにおいて完成度が高いから、殆ど突け入る隙きがない。
逆にリナレスからすれば、序盤から辛抱強く細かなパンチをボディー顔面と多彩に打ち分け、距離を保ち、ロングレンジの連打で追い詰めるしか策がなかったろう。しかし、セコンドは”カウンター狙い”を指示してたようだが、強振しないロマチェンコには通用しない。
そして運命の10R、ロマチェンコはいつも通り、多彩な連打を繰り出し、リナレスを追い詰めるが、リナレスも力で押し返す。
ややリナレス優勢かと思えた瞬間、ロマチェンコの一連のコンビネーションの中で素早くかつ軽く放たれた左ボディだが、リナレスの脇腹をタイミングよく抉り、腰からくの字に折れ曲がる様にしてリングに沈んだ。
苦悶の表情を浮かべるリナレスだが、何とか立ち上がったものの、明らかに戦闘意欲は削がれていたし、レフェリーのTKOの判断は正解だったと思う。
体格で上回るリナレスに、手数と素早いフットワークで対抗したロマチェンコだが”最後は練習通りにボディーで決めるつもりだった”と想定内の激闘を冷製に振り返った。一方で”リナレスには感謝したい。彼は私に、更なるボクシングのレッスンを教えてくれた”と付け加え、感謝の念を忘れない。
こうした試合後のリナレスへの賞賛は、ロマチェンコの正直な思いであろう。今まで無敵の荒野を突っ走ってきた最強の王者が初めて味わった動揺と苦戦。6回以降は”難攻不落のオーラ”は薄れ、試合は非常に見ごたえのあるものになってただろう。
リナレスは試合後”(ロマチェンコの技量に)驚かされる事はなかった。接戦だったし、興味深いファイトになった。ただ、最後のボディには驚かされた。まだ戦いを続けたかったが・・”と、下馬評で不利とされた一戦をほぼ互角に戦った自負と、最後でプランを果たし切れなかった無念さの両方が滲んでいた。
”ずっと頑張ってきて我慢してやっと手にしたチャンス。だからこそ、この試合は絶対に負けられない”と試合前には言い放ったが、最後はロマチェンコの引き出しの多さに屈した。
”敗戦を通じて知名度や評価はむしろ上がったのではないか”との、帝拳ジムの本田会長の慰めに近い言葉に偽りはなかったし、それだけの価値ある特別な試合だった。
だが現実は容赦しない。
”5月12日に敗者はいなかった”と評されたこの激闘も、リナレスにとっては最後の大舞台でのファイトとなる。
あの頃はコロナ前だったから、ボクシングもPFPの話題でそこそこ盛り上がってたけど
ロマチェンコに関して言えば
アマ時代は約7年間で397試合を戦ったが、プロでは約12年間で僅かに21試合。
KO率は6割7分と高いが、大半が相手の棄権やボディーブローに依るもので、敗戦も3つあるが全てが僅差の疑惑の判定で、今も議論に上がる。
転んだ君が言ってたように、非常に完成度の高いボクサーで、典型の打たせないで打つボクサータイプのファイターと言える。
リナレスもいいボクシングしたと思うけど、序盤から身体が固かった。
<絶対に負けられない>との意識が強すぎたせいか、カウンターにばかり拘り、最後はスタミナが切れた結果となった。
ロマチェンコもリナレス戦以降は右肩の負傷や手術とかで思う様なファイトが出来なかったし、ウクライナ戦争でキャリアが中断し、試合数も激減したけど
戦争がなかったらって今でも思う所はある。
でもPFP1位に一番相応しいボクサーなんだろうね。
それをスピードと完全な多彩なテクニックでカバーするんですが、東部への細かい連打で一回り大きい相手を疲労させ、トドメは左ボディーで制す。
ライト級に関しては、こう来る事は明白なので、リナレスもガンボソスも十分には警戒してたでしょうが、必殺のボディーショットはコンビネーションの一環で軽く放つだけに、相手からすれば出何処の見えないパンチとなるんでしょうか。
プランの勝利と言えばそれまでですが、そういうのも含めて完璧なんですよね。
ただリナレスに関して言えば、力んだ分だけ致命傷を与えられなかった。
以下にボクシングというものがパワーだけで成し得るものではないという事を教えられた気がします。