トミー・モリソンというボクサーをご存知だろうか?
ボクシング通なら誰もが知ってる筈だが、「ロッキー5」(1990)のトミー・“ザ”マシン・ガン役と言えば、思い出す人も多いだろうか?
私は、モリソンがてっきり新進気鋭の肉体派俳優だと信じ切っていた。ボクサーを演じるには美形すぎると思ったからだ。
しかし、色々と過去の動画を見ると、スクリーンに登場するトミー・ガン以上にタフなファイターだと判り、驚きを隠せなかった。
そのトミー・モリソンだが、精悍な甘いマスクとは裏腹に、壮絶な闇の人生を歩んでいた。
荒れた家庭(兄弟は後に強姦罪で懲役15年、母親は殺人容疑で無罪判決を受けた過去がある)に生まれ、父親に虐待されながら育つ。
幼少期には両親が離婚、学校を辞め、建築現場などで働いた。13歳の時にIDカードを偽造し、タフマンコンテストに出場、2倍近い年齢と体格の大人たちと殴り合った。51回闘って負けたのは僅かに1度だけ、まさにその豪腕は子供の時から健在だったのだ。
その後、アマボクシングへ転向、オリンピック国内予選決勝でレイ・マーサーに敗れ、プロへ転向する。アマチュアでは通算、222勝20敗の戦績を積み重ねた。
モリソンの壮絶なる生き様
1988年のプロデビューを初回KO勝ちで飾り、その後28連勝(24KO)をマーク。90年には、スタローンの敵役として、映画「ロッキー5」に出演、甘いマスクとパワフルなスタイルで、”ホワイトホープ”と一躍人気者になる。
そして91年、29戦目にして世界初挑戦となるも、(アマ時代に1度敗れている)WBO王者レイ・マーサーに5回TKOで敗れる。3Rまでは圧倒的に押してただけに、打たれ弱さの一面を曝け出した形となった。
93年6月、ジョージ・フォアマンに12R判定で勝利し、WBO世界ヘビー級タイトルを獲得したが、内容的にはフォアマンが押していた。44歳の老雄が相手とは言え、24歳のモリソンの逃げ腰ファイトには失望を感じた人も少なくなかったろう。
同年10月、2度目の防衛戦でマイケル・ベントに初回TKO負けを喫し、まさかの番狂わせで同王座を失う。
95年6月、ドノバン・ラドックに6RTKOで勝利し、IBCヘビー級タイトルを獲得するが、同年10月のレノックス・ルイスに6回TKOで敗れる。
この2つの試合では、明らかにモリソンのピークが過ぎた感があり、特にルイスとは実力差もあったが、負けるべきして負けた印象が強い。
その後、試合前の検査でHIVの陽性反応を示し、これによりマイク・タイソン戦を含む3試合の3800万ドルの契約が取消しとなる。
そ以降は血液検査を拒否したり、HIVの疑惑が晴れず、検査の義務がない日本やメキシコで試合を行った。
更に2007年には総合格闘技デビューを果たすが、2011年には胸筋の移植手術をした部分が感染症にかかり、摘出手術を受ける。
2013年9月、エイズの末期にあったモリソンは寝たきりのまま死亡(享年44歳)。
因みに、HIVに罹ってからのモリソンの犯罪歴はまさに異常そのもので、武器輸送で6ヶ月の執行猶予判決(96/10)、飲酒運転(97/3)で有罪判決を食らう。
再び飲酒運転で2年の執行猶予判決と、薬物と銃器が見つかり逮捕(99/9)。同年11月、飲酒運転と武器の携帯で逮捕。その後、懲役2年の有罪判決で14ヶ月間服役(2000/1)、マリファナ所持で逮捕(2010/3)。
現役中に1000万ドル以上稼いだとされてたが、最後にはほぼ無一文となり、裁判の供述書に家も車も所有なしと記入していた。
以上、ウィキから一部抜粋でした。
最後のホワイトホープ
結局は、真の意味で(映画みたいに)スターの座へは届かなかったものの、当時待望されてた白人(アイリッシュ系)によるヘビー級世界王座の奪還という期待を背負った、”最後のホワイトホープ”だった事は間違いない。
以下「追悼トミー・モリソン」より一部抜粋です。
無敗で引退したロッキー・マルシアノ以来の白人世界ヘビー級王者の誕生が長らく求められてた時代。
ジェリー・クォーリーやゲーリー・クーニーらにその夢が託されてた事もあったが夢叶わず。モリソンは彼らの”ホワイトホープ”(アメリカ白人の希望)に比べると、その素質や実力は段違いでしたが、それでもマイナー王座を獲るのが限界だった。
第21代ヘビー級王者のフロイド・パターソンを倒したインゲマル・ヨハンソンはデンマーク人で.最近のクリチコ兄弟らは旧ソ連圏の白人王者に過ぎない。今では、タイソン・フューリー(現WBA王者)なんて白人巨漢も存在するが、悲しいかな英国籍である。
ブロンドヘアに精悍な顔立ち、それにバランスが取れた肉体から繰り出すパワフルで豪快無比なフルコンボは魅力的に映った。しかし、身体と防御が硬く、KOされた3つの試合ではパンチをもろに食らった挙句のド派手な玉砕で、スラム特有の守りの脆さを垣間見た気もする。
それに、僅か25歳を過ぎた辺りからの急速なパワーダウンには、子供の頃のタフ過ぎた生き様が大きく影響を及ぼしてた様に思える。
一方で、メジャーな世界タイトルには届かなかったものの、52戦48勝(42KO)3敗1分と、過去のホワイトホープらの中でも抜群の実績を残している。
勝利も敗北もド派手なパフォーマンスを披露したが、44歳のフォアマンには流石に力負けし、手数の多さと徹底したアウトボクシングで何とかポイントを稼ぎ、WBO王者に輝いた時がピークだったかもしれない。
パンクラスの船木誠勝がモリソンと戦いたいと訴えて時があった。
”何故モリソンなのか?”と聞かれた時、”リングの佇まいが美しい”と船木は答えたという。ボクサーにとって、これほどの褒め言葉は存在しない。
確かにモリソンは、真のトップには君臨出来なかったものの、観る者を魅了する”プロの色気”に溢れていた。だからこそスタローンも「ロッキー5」の敵役に抜擢したのではないだろうか。
以上、アメーバブログからでした。
最後に
まるで、スラムと犯罪の遺伝子を真っ向から受け継いだ様な壮絶な人生でもあったが、それらとは対照的に眩い程に光り輝いた時期もあった。
スラム上がりのホワイトホープは、アメリカ白人に多くの夢と希望を与えてくれた。
モリソンの躍動はアメリカの躍動であり、彼の鼓動はアメリカ白人の鼓動でもあった。
彼のファイトスタイルは、彼の苦難に満ちた生涯そのものだった。目の前の困難は力づくで破壊し、不幸な生い立ちや数々の障害を、殴り合いの中で払拭しようとした。
彼はアメリカ白人の為に戦ったんじゃない。自分の負の生い立ちを消し去る為にリングに上がっていたのだ。
しかしスラムの遺伝は、成功の階段を上り詰める無邪気な若者には容赦なかった。
やがて、犯罪のDNAは再びモリソンを覆い尽くし、HIVウイルスは彼の全てを破壊した。
しかし若き日のモリソンは、神様に愛されたかの様な精悍な風貌を誇り、正義の剣を与えられたかの様に目の前の相手を叩きのめし続けた。
それだけでも、十分過ぎる事じゃないだろうか。
少なくとも世界的な大金持ちになり、自らを”成功の化身”と勘違いし、最後には妻にも子供にも捨てられ、生涯稼いだ財産の半分を持っていかれ、挙げ句にはサイコパスとか小児性愛者とまで叩かれる人生に比べたら、ずっと充実した人生だったのではないだろうか。
今は、悪を行使する人種が容易く成功する時代である。そんな時代に、自らの内部に棲み付く悪魔と戦い、一時は悪そのものを克服した。
しかし、その克服した筈の悪魔に最後には潰されてしまう。
ただ、モリソンの闘う背中はとても美しかった。まるで、女神が宿ったかの様な”純朴な佇まい”があった。
勿論それは幻想に過ぎなかったが、善と悪が共存できた瞬間でもあった。
リングには神様が宿ってるというのは、どいうやら本当らしい。
悲しいかなボクシングの世界には、闇世界の腐敗した人種が群がります。
ボクシング自体はとても崇高なスポーツなんですが・・・今はボクシングそのものが衰洛した様な気もしますね。