
昨年10月に書いた記事で少し古くなりますが、どうも私めは世界陸上になると、黒人女子アスリートのお尻ばかりを眺める悪い癖がある。
これじゃ「プールサイド小景」ではなく「トラックサイド小景」ってとこか(笑)。
というのも、人間離れした肢体とその躍動には、異次元の憧憬すら感じてしまう。
勿論、彼女たちはアスリートだから、女優の様に特別な程に美人ではない。しかし、美女を超えた何かを発散してる。獰猛で荒々しくも優雅な何かを発露してる様に思える。
村上春樹さんだったかな、シドニーオリンピック観戦記「シドニー」で、陸上の特に黒人女子のアスリートの躍動する姿に心を奪われたとあった。彼女たちが走ると、時空が歪んだかのように我ら観衆は異次元の世界に引き込まれる。
ファンタジーでもなく、セクシーでもない。妖艶でも魅惑でもない。そこにあるのは、”獰猛なる性のカーニバル”なのだ。
黒人女性の場合、他の人種と比べ、骨盤一つ分胴体が短く、露骨なまでにコンパクトに出来てる。まるで脚だけで走ってるように見える。
それもスラリと伸びた野性味溢れる”肉付きのいい”脚がである。背中からお尻へ、そして太ももに至るまでの美しいラインは鮮やかで滑らかで、くびれすらない。筋肉が美を奏でるとはこういう事だ。
肩の筋肉がそのまま脚の筋肉に直結し、まるでヒョウが滑走する様に、二本脚で一気に駆け抜ける。勿論、白人女性やアジアの洗練された女性アスリートもも負けてはいないが、見てて次元が違う様にも思える。
言い方はエロいが、あのケツの締まり具合を見てるだけで、異次元のファンタジーと悦楽と欲情を専有した気分に浸る。
これを”黒光りするエロチックな咆哮”と言ったらいいのか。
黒い縮れた髪を色とりどりに染め上げ、コース紹介では、レース前の緊張感は何処吹くかの如く、屈託のない笑顔をさらけ出す。
まるで、雛壇で客を待ち構える異次元の別世界のコールガールだ。先ず顔を映し、締まり切った胴体を映し、カメラアングルが脚体に下ると、私めの興奮は絶頂に達する。
彼女達は、神から授かった美しく麗しき肢体と、持ち前の躍動感溢れる高次元の走りを披露し、これまた異次元の性的ファンタジーをも提供してくれる。一粒で二度美味しいとはこの事だ。
黒人女性が強くて美しいのは当り前である。人類の祖先は”黒人”というホモ•サピエンスであり、白人は一度は滅びた筈の単なる”落ちこぼれの亜種”に過ぎない。差別的発言で失礼だが、”ブラック•サピエンス”と変名した方がいいだろうか。
でも虚構の世界では、(ホワイト)サピエンスという名の白人が頂点に立ってはいるが、既に白人社会は綻び始めてる。
これからの時代は躍動する有色サピエンスの到来だと信じたいが、トランプを見てるとまだまだ白人もしぶとい。
アメリカの白人社会が、どれほどの殺戮と抑圧との上に築かれたのか?今日のアメリカがあるのは、徹底した人種差別と抑圧と殺戮の結果なのだから、この”人種問題”に触れようとすればアメリカは内部から確実に崩壊する。だから、表向きには触れる事が出来ないのだ。
故に、黒人アスリートが闘ったのは、単に対戦相手だけではなかった。白人社会の差別という巨大な敵との間に、どれ程の熾烈な戦いが、苦悩が犠牲があったのだろうか。
つまり、そういう諸々の気の遠くなる様な苦難を生き延びた美しさと強さとエロスが存在するのは、至極当然の事ではある。
私は思うが、生き延びるとはエロスの為にあると思ってる。人はエロスに埋没し、翻弄され、エロに重伏する。エロスは神様が与えた最も偉大な幻想でもある。
私はある夢(”真夜中の訪問者18”参照)で、アメリカが日本との戦争に負け、アメリカ白人たちが石器時代の様な穴蔵の中で、顔を真っ黒にし、強かに生きてる様子を目にした。とても夢とは思えなかった。。
そこには白人のもう一つの現実が存在した。そして、彼らは彼女らはとても輝いていた。黒ずんで図太くなった手足が、かつて存在したネアンデルタールを彷彿させてる様で、非常にセクシーに逞しく見えた。
その夢の中で、穴蔵の中でTVレポーターをしてる白人女性に声を掛けた。
”アメリカに戻ろう!ここはまるで石器時代だ”と。
すると彼女は爽やかに叫んだ。
”でもこっちの方がずっと居心地がいいわ、それに私にはこっちのほうがあってるし”
躍動する肉体と高騰する精神の発露。
これこそが我らサピエンスの基本姿勢なのかも知れない。
エリザベス女王を最後に英国王室を廃止した方が英国の為の様な気もしないでもないです。
EUも離脱したし、王室も離脱する?