英国で人気のある新生児の名前は、”モハメッド”だという。いま欧州では、激増する移民や出生率の違いにより、人口構成の逆転が起きている。つまり、英国の男性の大半が”モハメッド”になっても、彼らは”英国的”であり続けられるだろうか?
第2次大戦後、労働力が不足する欧州の高度経済成長を支えたのは、トルコなどからの労働移民だった。そして2015年のシリア内戦を機に、膨大な数のイスラム系難民が欧州に押し寄せた。
ドイツのメルケル首相は”欧州は一体となり、各国が保護を求める難民への責任を分かち合わうべきだ”と、率先して難民を受け入れる姿勢を示した。
これは、メディアに一時は称賛されたが、大量のイスラム移民がEU域内で移動を始めた結果、社会に大きな混乱と変動をもたらした。
本書のタイトル「西洋の自死」は、こうした状況を”欧州は自死を遂げつつある”と例えた事に由来する(以上、読売新聞オンラインから)。
西洋の奇妙な死?
「西洋の自死〜移民•アイデンティティ•イスラム」は、西洋社会の行く末を悲観的に予測してベストセラーとなった「The Strange Death of Europe」の邦訳である。本書では、移民の受け入れにより欧州の社会や文化が壊死しつつある姿が克明に描かれています。
以下、”移民という「自死を選んだ」欧州から学ぶ事”から抜粋&編集です。
ここには、今のま西洋社会が直面する”奇妙な死”について書かれている。
そして、ここでいう”死”には、以下の2つの意味が込められてる。
1つは、欧州が大量の移民を受け入れた事により、西洋固有の文化的•歴史的な風景が失われ、中東やアフリカの様な雑風景になってしまった事。もう1つは、寛容を旨とするリベラリズムや多文化主義の理念の下に、基本的人権•法の支配•言論の自由といった価値観を共有しない人々を招き入れる事で、西洋的な価値観が失われてしまう事だ。
つまり近い将来、我々がイメージする西洋という文化そのものがなくなってしまうのだ。そして、こうした”奇妙な死”をもたらしたのが、欧州のリーダー達なのだ。
事実、欧州で移民受け入れの恩恵を受けたのは、低賃金労働力のうまみを享受し、自らは移民の少ない安全な地域に居住する富裕層や多文化主義を理想とする知識人だ。
他方、その負の側面を一手に引き受けてきたのが、移民の流入により賃金の低下や失業を余儀なくされ、治安の悪化やアイデンティティーの危機に晒された、貧しい地域に居住する中低所得層である。
移民に異を唱えれば、”人種差別主義”とか”排外主義者”といった烙印を押されてしまう為、政治や言論の場において移民の受け入れによって苦しむ国民の声は一切代弁されてこなかった。
そして、リベラルな理念の下で非リベラルな文化を無批判に受け入れてきた為に、リベラリズムそのものが否定されるという皮肉な事態を招いてしまったのだ。
欧州は、19世紀前半の聖書批判から始まった宗教という大きな物語の喪失以来、”欧州疲労”と呼ばれる精神的な疲れを抱えてきた。
宗教の時代から合理主義の時代を経て、欧州がたどり着いたのは、共産主義•全体主義であり、その終着点は悲惨な第2次世界大戦である。
そして、その後に訪れたのは、全てを疑い、相対化し、脱構築する現代思想であり、残されたのは、”価値判断は誤りであるという価値判断”だけである。
移民受け入れと犯罪とメディアの対応と
2000年代には、一時的にリベラリズムの希望が見えたが、それも中東政策の挫折と混乱によって打ち砕かれ、英国のEU離脱に見られる様に、もはやその意図する所とは逆の混乱と右傾化を招いた。
ジャーナリストでもある著者は、痛烈な批判を覚悟し、ジャーナリスト生命を懸けるつもりで世に送り出したが、”実際には賛同の声が圧倒的に多かった”と漏らす。
既に、事実上の移民を大量に受け入れており、昨年12月に“移民受け入れ法”を成立させた日本の将来を占う上でも、ぜひ読んでおきたい1冊である。
欧州において、移民の受け入れは次の様な論理によって正当化されてきた。
”移民は経済成長に必要だ”
”高齢化社会では移民を受け入れるしかない”
”移民は文化を多様で豊かなものとする”
”どっちにしても、グローバル化の時代では移民の流入は止められない”
これらの主張はいずれも、日本の移民推進論者たちにも踏襲されている。もっとも著者のマレーが論証する様に、どの主張も論拠を欠く。ところが欧州のエリートたちは、この主張のうちの1つが破綻すると、別の主張で置き換え、移民の受け入れの正当化を続けてきたのだ。
こうした一見尤もらしい浅はかな主張の後押しを受け、おびただしい数の移民が欧州に流入した。結果、欧州各地で文化的な風景が失われただけでなく、治安は明らかに悪化し、テロが頻発する様になる。
もっと深刻なのは、”第三の死”である西洋的な価値観が侵害された事だ。
エリートたちは、宗教的•文化的多様性に対する寛容という西洋的なリベラルな価値観を掲げ、移民の受け入れを正当化してきた。
しかし皮肉な事に、こうして受け入れられたイスラム系の移民の中には、非イスラム教徒や或いは女性やLGBTに対する差別意識を改めようとしない者たちも多い。
故に、移民による強姦•女子割礼•少女の人身売買といった蛮行が欧州で頻発する様になった。ところが、欧州の政府やマスメディアは、移民による犯罪の事実を極力隠蔽しようとした。そうする事で、人種差別主義者の烙印を押される事を恐れたのだ。
リベラリズムの自死
この異常事態は、もはや”全体主義的”と形容せざるをえない。寛容を旨とするリベラリズムが捻れ、非リベラルな文化に対しても寛容になり、人権•法の支配•言論の自由といったリベラリズムの中核的価値観を侵害するに至ったのだ。まさに”リベラリズムの自死”と言ってよい。
この”リベラリズムの自死”あるいは”リベラリズムによる全体主義”と言うべき異様な雰囲気の中で、保守派のマレーは本書を世に問うた。
彼は、移民の受け入れを徹底的に批判し、それを「欧州の自死」であると堂々断罪してみせたのだ。これは、ジャーナリストとしての政治生命を賭した”レジスタンス”と言っても過言ではない。
そんな中でも圧巻なのは、欧州人の精神や思想にまで分析を施している点だ。
マレーは、欧州人が移民の受け入れに反対するのを極度にためらう心理の底に、かつての帝国主義に対する罪悪感が横たわっていると指摘する。
この過去に対する罪悪感が現在の行動を支配し、歪めるという病理は、我々日本人にも大いに心当たりがあろうか。
その上で彼は、欧州人の精神的•哲学的な”疲れ”の問題を論じている。つまり、全てを疑い、相対化し、脱構築する現代思想により、欧州人は疲れ果て、燃え尽き症候群に陥ってしまい、もはや移民問題に取り組むエネルギーを失ってしまったと。
この”疲れ”や”捻れ”の問題は、ニーチェやシュペングラー以来の西洋思想の難問である。
この西洋思想の難問を、移民という実際的な問題を論じる文脈の中に置く所に、深い教養に裏打ちされたイギリスの保守系ジャーナリズムの神髄が表れてる。とはいえ、過去に移民に対する懸念を少しでも口走った政治家や知識人は、公の場から追放されてきたのだ。
本書はイギリスでベストセラーとなり、一般読者のみならず、批評家からも好評を得た。”政治的文筆、かくあるべし”と言うべきマレーの優れた文章力の勝利でもあろう。
これはよく言えば、本書を受け入れる健全なリベラリズムがイギリスにまだ残ってたという事を示している。だが悪く言えば、欧州が自死を遂げつつある事を誰も否定できなくなったという事実でもある。
そして日本もまた、欧州の後を追うかの様に、”自滅”への道を歩んでいる。もっとも、1人のマレーも出さぬままにだが・・・
以上、東洋経済オンラインからでした。
最後に
こう言うと無慈悲に聞こえるが、私も移民受け入れには反対だ。厳密に言えば、移民は多少は受け入れても難民(不法移民)は受け入れたくないというのが本音である。
一番危惧するのが、難民によるテロや犯罪である。勿論、文化や価値観の侵害や侵略も日本の”自死”に繋がるかもだが。
度重なるテロや犯罪や紛争によって、住み場を全てを失った彼らには、生き延びる事が全てなのだ。悪く言えば、生きる為には何でもする?という事だ。
そうでなくても、多くの移民を受け入れるだけのキャパも資金も日本にはない。低賃金重労働は日本列島の隅々にまで広がり、低い賃金を巡り、日本人労働者とのイザゴザが起きるのは自明である。そのイザコザは犯罪やテロに結びつくのも自明である。
例えば、香港からの移民であるアグネスチャンは、日本の芸能界で稼いだお金でアメリカの有名私大へ入学し、博士号まで取得した(ブログも参考です)。
アイドルを脱皮し、社会的地位が向上すると、今度は反日に鞍替えした挙げ句、寄付金をピンハネし、豪邸に住んでるという噂だ。全く、ごく普通の移民ですらこの有様だ。
勿論、平和ボンボンで几帳面で世話好きな日本人にも責任はある。カルロス•ゴーン被告がまんまと海外へ逃げ去ったのはその典型だろうか。
移民も移民だと開き直り、少しでも成功すれば何をしてもいいと思い上がる。”恩を仇で返す”移民が多すぎるのだ。
”郷に入っては郷に従え”とある様に、日本も外国人からしたら”住み難い国”にシフトすべきだろう。
日本人の感覚で移民を受け入れたら痛い目にあう。彼らは日本人みたいにお利口でもお行儀よくもない。生きる為なら、親をも祖国をも捨てる人種なのだから。と言ったらいい過ぎか。
つまり、生き延びるという事は、それ程までに純粋な事なのかも知れない。
新年からシリアスな記事ですね^_^;
paulさんと#114さんの数学コメントも十分に楽しませて頂きました。
今年も色エロと期待しています^_^
2日続けてシリアスな記事で何だか変な気分ですが。
そういう私こそ、リベラリズムの暴走で”ブログ内自死”を迎えそうです(^o^;
建国50年を超えるシンガポールは元々多民族国家なの。日本以上に国土の面積も小さく天然資源も少ないから外国人労働者の呼び込みは必須なのよ。
でも移民の人材開発がとても優れてるの。結局、労働のエキスパートに仕立て上げる事でアジア一の経済を作り上げたのね。
日本は人口が多いから、わざわざ移民を受け入れる必要はないのに、なぜ移民を受け入れるのかしら?労働者と労働の質を落とすような事をわざとやってるみたい。
これじゃシンガポールには一生勝てっこないわね。
今年もよろしくね(^^)ではバイバイ👋👋
最初の一歩で間違えちゃった。
NOとは言えなかったんだね。
Hoo嬢さん、今年も宜しくです。
難民を受け入れなきゃならんの?
労働の質も製品の質も落ちるのってのに
国際社会上での世間体なんだろうけど
ユダヤ系みたいに
知能の高い移民なら戦力になるけど
アグネスやゴーンみたいな
質の悪い移民は受け入れちゃダメなんだ
そういう意味ではトランプは偉いよ
難民は犯罪と薬物がセットになって入って来るからな
難民や移民を受け入れて死滅するのはもっと怖いです。
故中村医師の様に、枯れた大地を緑の大地にして、移民や難民を減らす努力が大切ですね。