象が転んだ

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「素数たちの孤独」に見る本当の恋愛とは?〜ロマンスの真髄は素数の中にある〜

2020年05月13日 02時45分40秒 | 読書

 ”スキー中の事故で脚に癒せない傷を負ったアリーチェ。けた外れの数学の才能を持ちながら孤独の殻に閉じこもるマッティア。
 この少女と少年の出会いは必然だった。ふたりは理由も分からず惹かれあい、喧嘩をしながら互いに寄り添いながら大人になった。
 だが、些細な誤解がかけがえのない恋を引き裂く・・・”

 人口6千万人のイタリアで異例の2百万部超を記録した。同国最高峰のストレーガ賞に輝き、40カ国以上に販売され、オランダやスペインでもベストセラーとなった。

 「素数たちの孤独」(2013年、ハヤカワ文庫)の初版単行本には、”至高の恋愛小説”との謳い文句だったらしいが、ちっともロマンチックじゃないという批判もある。
 しかし、”素数は疑り深い孤独な数たち〜双子素数はどちらも孤独で途方に暮れ、互い近くにいるけど、本当に触れあうには遠すぎる”
 これは、主人公のマッティアがアリーチェとの関係を喩える詩的な場面だが、ここにこそロマンスの真髄がある。


”双子素数”というロマンスと

 この作品の中では、マッティアがアリーチェの関係を”双子素数”に喩えている。

 素数の謎をかじった事がある人には、”双子素数”という言葉を聞いただけで、心がときめき、”至高のロマンス”を思い浮かべる人も多いだろうか。
 因みに”双子素数”とは、差が2である2つの素数の組(カップル)の事で、双子素数が無限に存在する事はギリシャ時代から知られてるが、証明は未だなされてはいない。
 素数定理(≒x/logx)と同様に、その漸化式は2Cx/(logx)²という非常にロマンチックな形で表される。
 (3,5),(5,7),(11,13),(17,19), (29,31),,,,という双子素数だが。各組の2素数の平均値は、4,6,12,18,30,42,60,72,,,,となるから、双子素数のロマンスの謎は複雑も美しい。 

 つまり、ありきたりな恋人同士のロマンス物語ではないという事だ。
 お陰でそういう私も、本のタイトルの「素数たちの孤独」という言葉を聞いただけで、すぐにピーンと閃いた。故に、”至高の恋愛小説”とは、場違いな宣伝文句ではなかったのだ。

 素数の持つ純粋なロマンスが、この作品には存在する。
 ”自傷癖のある天才少年と拒食症のワガママ少女の物語”という意地悪いレヴューもあるが、そんな単純なものでもない。素数の謎はロマンスの謎と同様にずっと奥深いのだ。

 平和ボンボンなロマンス被れした日本人からすれば、悲劇的な結末ばかりが批判されがちだが、”痛切に心に響く”恋愛小説(文庫本評)としてみれば、何ら不満はない。
 現実の恋愛とは、主観的で身勝手で切ないもんだ。故にこの小説に、ありきたりな”恋愛小説”を求めようとする方が場違いなんだ。
 素数が割り切れない様に、このロマンスも最後まで割り切れないのだから。
 故にハッキリ言って、「タイタニック」で涙した脊椎反射系人種は、この小説は読まない方がいい(笑)。


物理学者が書いた恋愛小説

 素粒子物理学者であるパオロ•ジョルダーノが書いた作品であるが故に、まるで数学者の儚くも尊いロマンスと孤独な憂鬱を描いてる様にも思える。
 タイトルにもあるように「孤独」という言葉がメインのテーマになり、それをとても切なく、物理学者とは思えない、とても美しい文体で綴っている。
 ここで言う「孤独」とは”Solitude”であり、”Loneliness”ではない。
 因みに、本来の自分らしさを取り戻す為に敢えて”一人”になる事を”Solitude”といい、社会との関係を断ち切られ”孤立”した状態を”Loneliness”という。
 故に、孤独な悲しい二人の物語ではなく、近づきつつ離れつつ、心の底で互いを強く求めながら、結局は結びつく事のない恋愛。
 双子素数と同様に、互いに自分(素数)であリ続けるが故の、永遠に割り切れる筈もない切ない物語。

 傷つき合った二人が癒される話でもない。その痛みをとことん追求し、その傷口に更に爪を突き立てる様な冷徹ぶり。
 イタリア的と言えばそれまでだが、繊細な人間の弱く脆い部分に、素数という冷酷で美しい要素を突っ込んだ所が評価されたのだろうか。
 全ての整数が素因数分解により素数の積で表現できる様に、全ての恋愛も素数で表現できるのだろうか?という事は、全てのロマンスは割り切れないという事になのか?

 現実は孤独との闘いでもある。その孤独から逃げる為にロマンスに走り、その恋愛が素数の様に”割り切れない”ものだとしたら、これほど切ないものもない。


素数とロマンスとの微妙な関係

 1982年生まれの若き物理学者は、ロマンスというものを素数の視点から捉えたんだと思う。
 素数はとても美しい。が故に、多くの謎が未だに存在する。ロマンスも同様に、美しいが故にとても儚いものでもある。

 素数を奏でる様にロマンスを語れたら、いやロマンスを定義できたら。
 偉大な数学者たちは、ロマンスを追い求める様に、素数の謎を追い求めた。素数が”割り切れない”と解ってても諦めなかった。
 そして、若きジョルダーノ氏も例外じゃなかった。彼もまたこの小説の中で素数というロマンスを追い求めたのだ。

 リーマンは、この素数を完全に”割り切れる”形で証明しようとした。リーマンの明示公式(1859)はその典型だ。
 しかし、その為には未だに証明されてないリーマン予想の解決が必要である。

 素数の謎が解明できなくとも、それが切ない訳でもない。むしろ解明できたとしたら、それこそが切ない事だろうか。
 ロマンスが全てハッピーエンドだとしたら、それこそが切ないのだ。

 そう、自然科学者という生き物はロマンスに生き、ロマンチックな人種なのだから。



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