昨日は、暗号の仕組みとタイタニックのバックナンバーを読んで下さった方有難うです。特に暗号の仕組みですが。このブログを読んで下さる人がいるとは、少し信じられないです。私が読みたくない程ですもの(笑)。
この数学バカブログに関しては、言い方が少し辛辣すぎるので、オリジナルをできるだけ変えない程度に修正です。
全く、最近は更新に追われます。身から出たサビという事で、ご勘弁をです(悲)。イラストも少し変えてます。
数学バカとかアインシュタインを少し揶揄して言ってますが。彼等は天才の中の天才のレヴェルでの事で、誤解せぬ様にです。
でも、コメントにある様に、どうも彼はマジシャンぽく見える。ニュートンやガリレオやジョブスみたいに、上手く世論を利用し、味方に付けるとか。
一方数学者は、実直過ぎてバカ正直だから、他の学問から虐げられるのは、非常に歯痒いですね。
それに、アインシュタインの相対性理論も、”リーマンが元になってるやんけ”と言いたくもなる。 でも現代の傑出した理論が、ずっと昔の理論を土台にしてる事はよくある事ですがね。
アインシュタインの”一般相対性理論”では、重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述してる。
でもアインシュタインが、超難解なリーマン幾何を用いた所を、もっと評価して欲しいです。そうすれば、彼の等身大の素晴らしい評価がもっとなされた事でしょうか。実に残念な事です。
因みに、アインシュタインが原爆の生みの親みたいに言われますが、全然誤解です。彼は原爆の威力を誇示するだけで戦争は終結すると、大統領に進言しただけです。
つまり、”落としたら絶対にアカン”と提言した。アインシュタインの言う事を聞いてれば、広島や長崎の悲劇は避けられたかもです。
彼はある意味、情の深い人道家で革命家でもあったんですかね。少しアインシュタイン博士を擁護します。
さてと、本題に戻ります。数学を学ぶには計算ドリルではなく”高度な数学”から学び始める方が効果的というコラムを読んだ。
全く賛成です。小学生の頃は好きだった算数も、内容が高度になるつれ、大嫌いになったという数学アレルギーは非常に多いとか。
そういう私は、大学の線形代数で完全失速した。関数論という学科があったなら、結構いいトコ行けたとも、イヤ思わないか(笑)。
”数学”を学ぶまでに、四則演算、小数・分数などの計算をコツコツを積み重ね、方程式を窓口に、代数・幾何、微分積分と順序立ての学習方法は、日本だけではなく世界的にも一般的なスタイルだと。
そして、大多数の人が高校生になると数学で挫折、数学嫌いになるというのも、世界共通だとしてる。
アメリカの数学カリキュラムの設計に携わるマリア・ドロクバさんは、数学嫌いを減らす為、子どもの頃から”高度な数学的な考え方に触れる”という学習方法を提唱する。
高度な数学は難しい数学ではなく、物事の根底を支える概念。つまり、高度な数学的要素があるものを指し、問題解決の難度とは別だという。
高度な数学的学習方法は、”複雑だが簡単な事”であり、典型的な計算ドリルのような”単純だが難しい事”に比べると、はるかに数学の学習に効果的であると。
ドロクバさんの提唱する”遊びを通じて数学を学ぶ事”とは、数学的な素養の基礎として、遊びの要素のない学習とは質が違うと。
遊びの要素のない計算ドリルを、強制的に解かせるスタイルでは、論理的思考を問題解決の感性を奪うとする。
故に自由な発想で、遊びの要素を取り込む事は、将来、数学を学ぶのに役立つ筈だと語る。全くですね。
数学は数の学問ではなく、抽象的な概念の学問であり、小さい頃に計算ドリルで潰され、傷付いた論理思考では、とても高度な数学に付いていける筈もないと、私も思う。
単調な重労働が社会勉強になる筈もない様に(イヤなるかも)。計算という単純作業は脳みそを腐らすだけだと思う。
日本の政治家が二重外交が苦手なのは、数学的論理思考が未熟なせいだと私は考える。島国の農耕族は、計算は得意だが、複雑な論理思考が苦手なのだ。
多重外交が出来ないから、簡単にハニートラップに引っ掛かる。阿呆なブロンド娘の二枚舌すら聞き分けられない(哀)。
政治は社会は経済は、そして、将来はもう多重論理に移行しつつある。しかし、日本はメディアも含め、経済が成長したとか、GDPが幾らだとか、勝ち組負け組とか、一次元的尺度でしか物事を考えられないでいる。
全く拡張性思考のない民族なのだろうか。もっと多面的に捉える視野というものも必要ではと、思わなくもない。
ブログやコラムでも、数理的なジャンルは少ないし、立ち上げてもごく僅かの人しか読まないから、当然フリーズした様な、凝り固まるテーマに成り下がる。浪花節風哲学系ブログ全盛で、お涙頂戴どころか、クリック頂戴の世界なのか。
でも、読んでクリックして下さる皆さん、ホントに有難うね(笑)。私もやはり日本人だから、最後はどうしてもお涙頂戴になりますな。
勿論、小さい頃にアーベルをオイラーを理解しろってんじゃない。勿論、私もチンプンカンプンだ。でもそういった高度で高質な数学に、数学の一番甘い蜜に、イメージで感覚で感性で触れる事は、誰でも出来る筈。
しかし、世の中には、単純計算しか能がない数学教授もゴマンといる。一晩中、行列の計算をしてる変態教授も。俺はそんな変質教授によくイジメられた。
彼らは根性と体力と精神力で、難問が解けると信じてる。過去の偉大な数学者も、そういった叩き上げ人種だと信じ切ってる。
しかし、僅か20歳で他界したガロアが、26歳で病死したアーベルが、それら根性&精神力的叩き上げ型伝説を打ち砕いてくれたのも事実。
39歳で死んだリーマンだって、家計も貧しく病弱で、純粋に数学に没頭出来たのは、実質10年にも満たなかったという。
彼ら知の巨人達は、ごく僅かな時間で、数学の歴史を一変させる程の定理や関数等式群を発見したのだ。若く柔らかく高質な感性と才能が、従来の叩き上げ伝説を凌駕した典型ですね。
殆どの人は、数学を”数の学問”と勘違いしてる。事実、ギリシャ時代から続く古代数学は数の学問でもあった。大天才カントールがいなかったら、数学は未だに数の学問であったろうか。
因みに、カントールの”無限大の考察”(対角線論法)については、リーマンブログで紹介する予定です。
流石の数学者でも、難題に遭遇すると、センスがイメージが概念が抽象的論理思考が、そしてバランス感覚が欠け、無駄でウンザリする計算に逃げる傾向にあるのでは。
数学者にこそ卓越したセンスと絶妙なバランス感覚が、常に必要とされると思うのです。
しかし現実には、誰もが”計算バカ”に迷い込んでしまうのです。勿論私もデスが。
そんな単純作業系知的労働者を産出しない為にも、子供の頃に数学の華やかで、美しい甘い蜜を吸わせるべきだと思うのですが。
因みに、第二次世界大戦を終結させたのは、原爆でもアメリカでも、ナチス侵攻に耐え忍んだ旧ソ連でもない。
大戦の半分を終結させたのは、暗号を解読した数学者たちなのだ、イヤそう思いたい。
今や世界の驚異となってるプルトニウムだって、数学者のフォンノイマンがいなかったら、完成しなかったろう。だが、その核が国家を人類を脅かし、戦争の抑止力になってるのも皮肉ですが。
人類の歴史と将来を大きく左右する学問としての数学。学問の真の王者としての数学。それは、歴史が証明してきた筈。
それでも貴方は、数学は金にならないからと、自らの無脳さに言い訳し、数学に背を向ける。多分、その子供も数学的思考を破棄する筈だ。金に背は向けられないし、数学で女は買えないし、幸せも買えないか。
数学が出来なくても、誰もアホとは言わない。寧ろできない方がカッコよく見える。リッカチの定理を、ベルヌーイ級数を、クレローの方程式を知らなくても、立派に生きていける。ソンナン知ってても夜の女にモテる訳でもない。金が天から降ってくる筈もない。
寧ろ、数学なんて知らない方がずっと出世する。逆にそういうガチな事を理解出来ても、数学バカ呼ばわりされ、村八分されるのがオチだ。
それに現実には、好きで数学をやるなんて、全くの自殺行為で、生涯孤独な真剣勝負の苦吟の連続なんです。
しかし、そんな数学的思考を人類が失った時、ハンナアーレントではないが。何度も出てきますな(笑)。慢性化した全体主義に陥るのは目に見えてる。
数学が出来なくとも、平和的に暮らす事ができる。しかし、数学的思考は、全ての生活の基盤になってる事を知ってる人は少ない。
数学は原理を追求する学問です。物理学を含めた工学は、その原理を土台にし、発展させる学問です。
論理的に物事を考え、難題を解決していく学問としての数学。 数学的な人は論理的思考のプロでもある、という専門家も多いのです。いい響きの言葉ですな(笑)。
何度もしつこく言いますが。数学は計算する学問ではなく、徹底的に論理的思考を鍛える学問です。故に、考える癖をつける学問でもあると。
つまり、数学から目を背ける事は、考える事を放棄する事と同義で。勿論、考える事を放棄しても、生きる事は出来ます。ワニもヘビも立派に生きてますしね(笑)。イヤ、彼らは人類以上に考えてるかもな。
しかし、人類は彼らみたいにタフにはできてない。数カ月も食わずして生き抜くなんて不可能。だから人類は考える。この考える力で、ヒト科の脊椎動物は生き延びてきたのです。
でも、私を含め、何も考えずに生きれたらと願う人種が、大半ではないでしょうか。いや、エロい事だけ考え、贅沢出来たら、どれ程幸せな事でしょうか。
嗚呼、ホントいうとそういう人生が送りたいんですがね。
これからの高度化し、複雑化した厳しい時代を生き抜くには、この数学的思考が不可欠だと、阿呆な私は考える。
考えるとは、数学的思考を駆使し、人生を切り開く意欲だと、無能な私は考える。
長々と愚痴っぽくなりました。勿論、言ってる事に責任は負えません(笑)。少し表現を柔らかくしました、悪しからずです。
でも、なんか創られてる様な天才とも言えなくもない。確かに、数学者とは異なったタイプかと。ニュートンやジョブスと似てて、狡賢いというかタチが悪いというか。二人と同じように、相対性理論も盗んだとか。
多分、象が転んださんは、そういう所を突いてるのかもしれませんが。でも一般人からすると、天才というカテゴリーで括ってた方が無難かな。
少し言いすぎかもしれませんが。数学者も数学バカと揶揄されますし、アインシュタインにも数学者の労苦を背負って貰う、という意味ですね。
ただ、あまりに有名過ぎる、誰もが知ってる、まるで絵本に出てくる様な偉人達は、ニュートンにしてもガリレオにしても、少し勘繰りますね。
その全く逆な例がベーブルースです。彼は伝記で語リ尽くせる様な人物ではない。まさに神様が生み出した偉人ですね。それに比べると、アインシュタインは創られた天才みたいに思えてくるんです。
でも、アインシュタインって色んな噂もありますね。超の付く天才には変わりないんですが。
偉人も余りにも目立ち過ぎると、色々と揶揄されたり大変なんですが。
そういうアインシュタインも、得意だったはずの数学を揶揄したのは、やはり数学者に対して何か劣なる意識があったのかもしれませんが。
全く、アインシュタインという人は好きになれませんな。ブログでも書いた様に、リーマンを利用しながらも数学を扱き下ろすんですから。
せめて、一般相対性理論はリーマン様々のお陰ですと言って欲しいもんですな。なのに、ノーベル賞からも外しやがってです。
それに、ノーベル賞なんて怪しいもんですよ、アカデミー賞と同じ様にね。
どうも、ジョーデマジオとアインシュタインには、辛く当たりますな。愚痴っぽくなりました。スミマセンです。
なら、こんな難しいところに来るな!
ですけどね~(^-^;💦💦
私、象さんの言いたいことが、
少しは分かったつもりなので・・
エーッ!😆
オーマイガーーッ!
オマイガカー!
オマエガカー・・ですけどね
私も、アカデミー賞やノーベル賞など、
なんだかな~派です。
それは・・
その陰で、
本当の偉人が消されてきた!
そう思ってしまうからです(ノД`)・゜・。
そういうとことろに
焦点を当ててしまう象さんは、
勇気ある優しい人だと思うのです・・😰
最初は遊び半分で書いた奴ですが。振り返ると凄く重たいですね。修正してて嫌になった。もう少し軽く平和なテーマをと反省です。
因みに、ノーベル賞も毎年やる必要あんのかと。該当者無しもアリかな。米大横領なんて何ら実績も残してないのに、名前だけで受賞する。
メディアは騒ぎたて、受賞者はアイドル扱い。ホント何だかなーです。Vivaサンいいトコ突いてる。
でも、日本から受賞者が出ると励みにはなりますが。直に忘れますモンね。
重たいブログ読んで、少しでも眠くなってくれればです。
大体において、転んださんのブログは重いんですが。(>_<)
このテーマも一見コミカルで非常に固く重たいですか。前回読んだ時より表現は柔らかくはなってますが。
易しを選ぶか、難しを選ぶか。とても考えさせられます。転んださんの気持ちも理解できますし、安易な方向を選択したがる気持ちも当然ある。
転んださんは、その両面から捉えてるので、読む側は混乱する部分があるんですが。そこが転んださんの狙いでもある様な気がします。
バルザックの読み過ぎともとれませんが。久し振りに読んでて考えさせられました。
重いブログで何時もいつも迷惑掛けますね(笑)。
書いてる内にドンドン重くなっていくんですね。
hitmanサンの言うとおり、数学バカの立場と数学を毛嫌いする立場になって書いたら、重くなった。軽い冗談のつもりがね。
これからもよろしくです。
もうすぐ昼ですけどね😅
象さんの記事は重いとは思っていません。
何故か?
難しい記事は
適当にスキップしましから・・
でもね不思議なんですよ~
象さんの記事は読もうとなります。
芸術性を感じるんです
分かったような事を言ってますが・・
分かってないのですがね・・
なら口を挟むな~
ですけどね
台風の風が強いみたいですよ。
福岡だもんね~
象さんが、
風邪で飛ばされるかが心配です
台風は九州北部をかすめそうです。
数学のお話に飽きたら、戦争モノも宜しくです。重たいですが、結構力入れてます。
では、おやすみです。