象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

神様か?それともカントールか?(その6)〜対角線数とデカルトの座標

2022年09月04日 13時47分27秒 | 数学のお話

 ここ最近は、古くなった居間の補修&補強や解体などの作業に時間を取られ、ブログから遠ざかってます。
 特に、大好きなカントールの記事は今月の12日以来となりますが、2ヶ月ほど前に既に書き溜めてたのが4話ほどあります。出来るだけ早く纏めて紹介したいんですが・・・
 (数学の記事に関しては)少しでも時間をおくと、自身が納得して書いた事を理解できないという矛盾が働き、どうも上手くいかない。
 つまり、自分で書いておきながら、自分が袋小路に彷徨ってる。何だか変な自分がいて、そういう意味では、数学とはミステリーな学問なんですね。 

 前回”その5”では、カントールによる素朴集合論の誕生と非可算無限(実無限)の発見と、実無限を証明する為のツールである対角線論法の触りの部分を述べました。
 本来なら、(前回説明不足であった)素朴集合論と選択公理をもう少し突っ込んで説明したい所ですが、敢えて先へ進みます。

 そこで今日は、”対角線論法”の本質に迫っていきます。
 特に、”対角線数”の概念はカントールの無限の考察の中核を成すもので、このエピソードだけは、理解出来ようが出来まいが、ぜひ読んで頂きたい(と強く思う)。


対角線数

 1874年当時、若干29歳のカントールと14歳年上のデデキントは独自の実数論を主張していた。二人に共通する仮定は、”実数とは単に数を数珠繋ぎにした様なものではなく、もっと深い連続性が存在する”というものだ。
 事実、無理数は有理数とは比較にならないほど奥が深い。有理数と√2の様な整数のベキ根を含めた”代数的数”は離散的にしか存在しないが、その隙間を埋め数直線に連続性をもたらしてるものこそが、πやe(ネイビア数)などの”超越数”である。因みに、複素数はその殆どが超越数です。
 事実カントールは、1872年にデデキントに宛てた手紙で、この超越数に関する1つの疑問を提起し、その研究に掛かりきりになる。そして翌年のクリスマス直前に、(超越数を含む実数)は非可算であり、高次の無限に属する事を証明した。
 これこそが”対角線論法による実無限(非可算無限)の存在”の証明になるのだが、彼は0と1の間の実数に焦点を絞り、自然数と1対1の対応付けでリストを作り、その矛盾を導き、0~1間の実数と全有理数(整数含む)の集合のサイズ(濃度)の違いを導きます。

 そこで、今回は(私のではなく)アミール・アグゼル的説明で”対角線論法”を説明します。
 まず、0~1までの実数を順番にリストアップする。例えば
 0.1242156743789543・・・
 0.2341176299829547・・・
 0.7763982396546611・・・
 0.4829534479012375・・・
 0.0348109432162984・・・
 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・ 
 として、リストの最初の数字を1に、次の数字を2に対応させる(順番には意味はない)。
 カントールはここに、0~1の全ての数がリストされたものとし、この無限に存在する数のそれぞれから対角線上に1つずつ数字を取り出し、”対角線数”と呼ぶものを定義した。
 例えば、リスト1の数からは小数点第1位の数字、リスト2の数からは小数点第2位の数字・・・と、1つずつ数字を取り出して作った対角線数は0.13691...となる。
 次に彼は、対角線数の各桁の数字を変更するという巧妙なテクニックを使った。例えば、各数字にそれぞれ1を加えれば、0.24702...となる。
 こうして新たに作った数は上のリストのどの数とも、いや無限に存在するどの数とも異なる筈だ。何故なら、その数は少なくともリストのどの数から取り出した桁の所で1だけズレてるからだ。
 つまり、カントールが作ったこの数はリストのどの数とも異なる(外れる)から、整数の1対1対応で0~1の全ての数(実数)をリストするのは不可能となる。つまり、全有理数の可算無限を超えてしまう。
 故に、区間[0,1]の実数からなる集合のサイズは有理数(整数含む)からなる集合のサイズよりも大きい事がわかる。つまり、全ての実数ならもっともっと大きい。
 よって、ここに実数が非可算無限という事が、数学史上初めて証明された訳である。
 私の記事(小山信也氏のやり方)では、小数点以下の数字を(整数ではなく)0と1に限定して、対角線数を作り、矛盾を導いたが、やり方は全く同じでした。

 因みに、カントールのオリジナルな証明では、リストをa₁,a₂,a₃,...とし(1を加えるではなく)、区間0~1を[0,1/3]と[1/3,2/3]と[2/3,1]の3つの閉区間に分割し、これらの区間からリストの1番目の項a₁を含まないものを1つ選ぶ。仮に選ばれた区間が[0,1/3]とすれば、更にその区間を3つに分割し、これらの区間からリストの2番目の項a₂を含まないものを1つ選ぶ。
 これを無限に続けると、縮小する無限個の閉区間列は少なくとも1つの点を共有するが(入れ子になった区間の構造から)この数はa₁,a₂,a₃,...の列には含まれない事が解る。
 故に、1対1対応が成立しなくなリ、矛盾が導き出せる。少し抽象的ですが、やってる事は同じですね。

 一方でカントールは、実数の集合が整数の集合よりもどれくらい大きいかを示す事はできなかった。
 こうした全実数をリストアップできない事は直感でも理解しやすいが、カントールはこの論法により、無限は1つでない事を証明した。 
 まず初めに、有理数の無限(可算無限)という階層があり、それとは異なる実数の無限(非可算無限)という階層がある。後者の無限が前者の無限よりも高位の階層に来る事は解っていた。
 だが、この2つの無限の間に別の階層が存在するのだろうか?これは後に”連続体仮説”として知られる事になるが、これに関しては、彼は答えをもってはいなかった。
 やがて彼は、無限に関する次元の考察に立ち向かう事になる。


”我見るも、我信ぜず”

 カントールはこの結果を公表すべきか迷っていた。
 事実、ベルリンには無理数や集合のサイズを扱う彼の主張を毛嫌いする敵対勢力がいる事は判っている。特にクロネッカーは要注意人物であった。
 そこで物議を醸すだろう内容をカモフラージュするタイトルをつけ、「実代数的数の全体が持つ1つの性質について」(1873)という論文でクレレ誌に掲載された。
 4年後の1877年6月、カントールはデデキントに1通の手紙を書く。そこには”我見るも、我信ぜず”とあった。
 (言葉通り)彼は、自身が発見した”無限の証明”に興奮してはいたが、落ち込んでもいた。皆がどう解釈してくれるのか?見当すらつかなかったのだ。
 やがてカントールは自問した。
 ”次元が異なる時、無限の順序はどうなるのか?更に、n次元の無限は1次元の無限とどう違うのか?”

 そこで彼はこの問いに答える為に、デカルトのアイデアを思いつく。
 軍人でもあり哲学者でもあるルネ・デカルト(1596-1650)はフランスが生んだ大数学者である。彼はパスカルやフェルマー、ガリレオなどの大数学者を排出した時代にあり、最も名を知られた存在で、解析幾何学という新しい分野を作り上げた功績は今でも語り継がれている。
 ”近代哲学の父”と称されるデカルトは、幾何学の中に代数学を持ち込んだ初の数学者でもあった。特に”デカルトの座標”は画期的な発見で、与えられた空間内での曲線や関数の特性を数値的に調べる事が可能だというものだ。

 デカルトの天才は、平面を4つの領域に分割し、今で言う”X-Y座標”を作った事にある。 
 このデカルトの座標系は、数学のみならず科学の領域でも有用で、あまりにも日常生活に浸透し過ぎてる為に気づかない程だが、スマホ画面やPCモニタやTV液晶のピクセルはこの座標系を元にデジタル化されてる。
 一方で、3次元のデカルト座標系にはX-Y-Z座標が使われ、次元をそれ以上に高く出来るが、視覚化する事はできない。
 但し、この3次元よりも高い次元は、数学だけでなく統計などの応用分野でも威力を発揮する。
 例えば、5つの質問からなるアンケートを実施する場合、1人の回答者を5次元空間における1つの点とみなせば、回答者相互の”距離”(意見の偏り)という概念を用いての解析が可能になる。
 因みに、私が昔やってたCGでは、X-Y-Z-Wという4次元のワールド座標を使う。3次元座標の中に3次元座標を組み込み、視認性をよくし、仕事の効率化を図る為です。


デカルトの座標

 カントールは、このデカルトの座標の概念を使い、無限の性質(本質)を調べる事にした。
 まず、”平面(2次元)上にある数は直線(1次元)上にある数よりも多いのだろうか?”という疑問について考えた。
 彼は、先と同じ様に0と1の間の数で調べ上げ、(”その2”で述べた)ボルツァーノによって得られた結論を用いれば、0と1の区間でも一般性は失われず、その解析は大幅に短縮された。
 そこで、[0,1]の閉区間を描き、その隣に辺の長さが1の正方形を描いた。一方でデカルトの座標によれば、正方形上に乗ってる全ての点は、2つの数(X-Y座標)によって一意的に表される。
 またX軸上の区間[0,1]の全ての点はそれぞれ1つの点で表されるから(当り前)、例えば、0と1の間の数を0.234116759882456・・・とおき、これを一般的に0.a₁b₁a₂b₂a₃b₃・・・と表す。
 カントールの疑問は、こうした正方形上の点を数直線上の点と1対1対応がなせるかどうかにあった。辺の長さが1の正方形上の全ての点は[0,1]区間のデカルト(X-Y)座標で表される。
 そこで、その点のX座標を0.a₁a₂a₃・・・、Y座標を0.b₁b₂b₃・・・として、彼は平面から線分の変換を定義した。その変換とは2つの数の小数点以下の数字を交互に並べるというもので、0.a₁b₁a₂b₂a₃b₃・・・と出来る。
 つまり、平面上の点は全て線分上の点に対応できるという事でもある。これをデカルト的に言えば、正方形上の1点の座標を考え、X座標の数字とY座標の数字を交互に並べて1つの小数を作れば、その数は数直線上の座標における。
 こうしてカントールは、”平面上には直線上と同じだけの点がある”という驚くべき結論を導き出した。
 更に同様の議論から、”3次元や4次元いや高次の空間でもそこに存在する点の数は直線上に存在する数と同じだ”という事も証明された。

 この事は、カントールですらも予想だにしない事であった。
 つまり、”無限に関する限り次元という概念は意味がない”ものであり、”連続空間なら何であれ、直線でも平面でも更にN次元空間であろうが――連続体と同じだけの点を持つ”。これは、カントールが既に証明した非可算無限の点を持つ事と同じですね。
 カントールが、こうした次元に関する問題を初めて提起したのは、1874年1月の頃である。デデキントへの手紙で彼は、”面と直線にただ一通りに写し、直線上の全ての点を平面上の全ての点に対応させる事は可能だろうか?”と問いかけた。しかし、彼の答えは”ノー”であった。つまり、面は線よりも次元が高いからだ。が、例えそうだとしても、”その様な変換が存在しない事は証明する必要がある”と彼は考えた。
 多くの知人は口を揃えて、”複数の変数を1個の変数に還元するのはどうしても不可能だから、そんな対応関係を見つけようとするのは馬鹿げてる”と答えた。勿論、カントールも同じ事を考えていた
 3年後、その馬鹿げた試みに成功したカントールは、再びデデキントに手紙を送り、自らの発見を伝えた。彼は”N次元連続空間には1次元の直線と同じだけの点が存在する”事を証明した。
 集合論では、これを”同じ濃度を持つ”と言うが、集合と集合の間に1対1対応(全単射)が成立する時、その2つの集合は同じ濃度を持つと呼ぶ。

 カントールは、”この発見が大きな議論を呼ぶ事は承知している”と書いた。
 まずは信じてくれないだろうし、それ以上に幾何学の概念がひっくり返る事になるからだ。彼が”我見るも信じぜず”と書いたのもこの時である。
 しかし、デデキントは慎重だった。現実主義者の彼は猛烈な反発を受けるだろうと考えた。そこで彼は、カントールが証明に成功した事に祝福を述べるも、強い調子で”・・・広く信じられてる次元という概念に公に挑むような事はしないでほしい・・・”と返事を返した。


最後に

 という事で、今回も長くなりすぎましたが(悲)、この32歳の時のカントールは、数学人生においての全盛期だったでしょうか。

 特に、対角線数への変換のアイデアは数学史上において特筆すべきものです。
 フェルマー予想も、ポアンカレ予想もそうでしたが、大体において難題というのは変換理論でその分厚い壁を攻略するケースが多く、カントールの実無限の考察も例外じゃありませんでした。
 特に、カントールの対角線数へ変換のアイデアは、(大げさに言えばですが)小学生でも理解できそうなものです。私が彼の大ファンになったのも、こうした彼の人間としての純朴さと彼のアイデアの素朴さにありました。
 カントールの集合論を”素朴”と呼びますが、この素朴さこそが彼の総てを表してる様な気がします。

 神の領域を超える唯一の武器が彼の素朴さにあったのなら、流石の神様もアッパレと思ってる事でしょうね。
 しかし、それ以降、かつては最愛の師であったクロネッカーの悪質で執拗な口撃に悩まされ、唯一の親友デデキントとの決別もあり、カントールは歩むべき道を踏み外したかの様に、下り坂に差し掛かり、連続体仮説の研究に差し掛かる頃には、(巷で言われる様に)精神に異常をきたす様になります。
 勿論、これも彼の純朴さが故の事でしょうが、もう少し周りが彼に対して、温かい言葉を投げ掛けてくれさえいれば、とも思ったりもします。



4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ビコさん (象が転んだ)
2022-09-06 18:11:00
高校の数学と本当の数学は全くの別モンですから、無理もないですよね。
高校の数学は答えが必ずある数学で、本当の数学には答えがない(多分)。
故に、初期条件を付けて答えを導くんですが、条件の付け方次第では、色んな矛盾が発生するスリラー&サスペンス&ヒューマンドラマ系のユニークな学問です。

でも、カントールの名前は覚えておいて損はないですね。
何せ”19世紀が生んだ最高の知性の一人”ですから。
返信する
Unknown (1948219suisen)
2022-09-06 16:11:32
私は、わからないところもわからないくらいわからないです。昔は、これでも数学が得意科目科目だったんですけどね。とは言っても文系コースの数学でしたけれども。でもカントールという名前は覚えました。笑
返信する
Hooさん (象が転んだ)
2022-09-06 11:15:21
流石に、いい所ついてますね。
私の意図を理解してくれて嬉しいです。

X-Y座標上の任意の点の要素を{a₁b₁,a₂b₂,a₃b₃,・・・}とすれば、見通しが明るいですね(多分)。
カントールの素朴な疑問は、そのまま素朴な集合論を生み出し、無限の考察という神の領域にある不可解な闇を大きく照らし出しました。

Hoo嬢がいう疑問は、集合論の抽象的な所でもありますが、素朴集合論に対し、論理系集合論には、集合の種類(要素の属性)により公理が異なるので、余計に疑問や矛盾も増えますから、深く考えんようにです。
返信する
素朴な疑問 (HooRoo)
2022-09-06 05:51:13
数直線上の点と平面上の点が
1対1対応を満たすってことなんだけど
X座標の点0.a₁a₂a₃・・・を{a₁,a₂,a₃,・・・}という集合の要素として考えた所に
カントール先生の凄さがあるのかしら?

そこで
Y座標の点0.b₁b₂b₃・・・の要素{b₁,b₂,b₃,・・・}と交互に組み合わせれば
平面上のXY座標(0.a₁a₂a₃・・・,0.b₁b₂b₃・・・)は数直線上の点0.a₁b₁a₂b₂a₃b₃・・・と
1対1対応になるってことでいいのかな?

何だかわかったようでわかんない(*_*; 
返信する

コメントを投稿