約1ヶ月ぶりの”ファウンダー”ブログですが。”その10”からの後半は『マクドナルド〜わが豊穣の人材』をメインにしますので、タイトルから”ファウンダー”を省きます。悪しからずです。
前回の後半から、レイクロックの快進撃が続きますが。様々な人材の支えが絡み合って、マクドナルドが急成長する過程が手に取る様に理解できますね。
前回は、クロック自身が苦手としてた広告&宣伝活動に加え、契約した広告会社(クーパー)が打って出たマスメディア戦略と慈善事業が見事なまでに的中し、クロックもマクドナルドもフランチャイジーと共に急成長します。
中部から東海岸の”スター”になったクロックは、フランチャイジーのマーケティングにても革命を起こします。独立と創意と自由を優先した起業型にシフトしたフランチャイズは、賢い販促のアイデアを次々と生み出し、従来の新聞広告からラジオのCMソングに転化し、大成功を収めた店舗も登場します。
ミネアポリスの店主であるジム・ジーンは、ラジオCMで大成功を収め、その上ラジオからTVCMに大きくシフトし、広告費全てを子供向け番組のCMに費やす事で、子供をターゲットにしたマクドナルドのTV広告の方針が、絶大なる効果を発揮していくんですが。
以上、前回のあらすじでした。さてと、本題に入ります。
勝敗を分けた15秒の店員教育テープ____
ミルウォーキーのジム・バイオスは、DMを有効に使い、50%の回収率を誇り、売上を伸ばした。。
一方、コネチカット州ニューイングランドの保守系の地には、マクドの最大のライバルである全米最王手の外食チェーンのハワードジョンソンがいた。
ループ・テイラーは窓口のサービスを徹底した。僅か15秒間の店員教育テープが勝敗を分けた。”その9”で述べた大型融資を成功させるキッカケとなった店である。
この3号店は、1964年にはマクドナルド店で初めて、年間売上50万ドルを達成した。まさにマクドナルドを救ったのが、このテイラー様々だったのです。
フレッド•ターナーは、この教育テープを基に店舗サービスの映画を作り、全店舗に流した。今日、テイラーが考え出したこの”接客法”に従わないファーストフード店は殆どない。
マクド最強のG&Gコンビ_________
何といっても、ギブソンとゴールドスタインのコンビほど、マクドのマーケティング戦略に大きな貢献をしたフランチャイジーはいない。
二人はワシントンの店舗を互いの長所で支え合った。ギブソンは経理を、ゴールドスタインは管理と営業をと、まるでソナボーンとクロックの関係である。このゴールドスタインも直ぐに過大な広告を打ち出した。
先ず”ポーゾのサーカス”番組に目をつけた彼は、このポーゾにマクドナルドのピエロ役を演じさせた。これが見事に的中し、お陰でポーゾはワシントンからマクドナルドのスターにのし上がった。
G&Gの売上は飛躍的に伸び、ワシントン地区に25店舗を構え、マクド最大のフランチャイジーとなる。
ドナルド・マクドナルド参上________
しかし、1963年になるとポーゾ人気は急落し、マクドとG&Gはメインの広告塔を失った。新しいピエロを売り込む必要に迫られたG&Gが、苦し紛れに作ったのがこの”ドナルド・マクドナルド”なのである。
帽子には、スチロール製のハンバーガーとフレンチフライとミルクシェイクを載せ、靴はパンの形。花はマクドナルドのコップ、ベルトのバックルはハンバーガーという”全身これコマーシャル”のピエロの誕生であった。
ポーゾ同様に、再びピエロ役を務めるウィラード・スコットの発案で、ドナルドと呼ぶ事にした。
”二匹目のドジョウ”に不安もあったが、この年の10月にはポーゾを凌ぐ人気者になった。お陰でこのワシントン地区の店主達は、年間50万ドルの広告費の大半をドナルドに注いだ。この額はマクドナルドの本社も及ばぬ投資であった。
ゴールドスタインは、この”ピエロ”を全チェーンに展開しようと本社に訴えるも、広告を嫌がるソナボーンは、案の定反対する。が、当時販促部長になってたクーパーが数字を挙げて説得し、1965年には、マクド初のTV広告キャンペーンに乗り出した。
ドナルドマクドナルドが全米デビューすると、サンタと並ぶブラウン管の人気者に君臨する。マクドナルドはここにて子供をターゲットにする市場を一気に制覇したのだ。
マクドがファーストフード界のリーダーになり得たのは、いち早く広告を通じ、子どもたちにアピールしてたからで、遅れ馳せて他のライバルチェーンが子供達に媚びても、振り向く筈もなかった。
苦難に満ちた全国広告組合の設立_____
とはいえ当時は、大半のフランチャイジーが自前でTV広告を打ち出せる程の資金力はある筈もない。前述のジーンやG&Gは例外で、ペイするだけの数の店舗と資金力があったからだ。
そこでクロックは考えた。フランチャイジーの平均化を図る為、区域の細分化を試した。フランチャイジー達が共同で広告費を出費し、貧相な店舗でもTV広告を打ち出そうとしたが。規模の大きい店舗には制約が掛かり、反発も大きかった。特にクロックの地元シカゴではそれが顕著になっていた。
現場コンサルタントのニック・カロスはクリーブランドで共同広告を試す。6人の店主たちは、売上の3%をTVCFの費用として捻出し合った。マクドナルド初の広告共同組合の誕生であった。売上の2.5%が広告費に義務付けられてた頃である。
問題のロスアンゼルス地区________
クロックの悩みの種であったロスアンゼルス地区は惨めな程酷かった。チェーンの平均売上が20万ドルの時に、LA地区の平均は16万5千ドル。
1962年5月、クロックはLAに移住する。フードチェーンにとって最も理想的な機構に恵まれた筈の土地で、”喝を入れる”為である。
前述のニック・カロスを営業主任に任命した。クリーブランドでの成功例を語るも誰も信じない。何とか広告共同組合を設立するまでは良かったが、TVCFを打てるだけの資金がない。資金難で売上の1%以上は捻出できなかったのだ。
カロスから助けを求められたターナーは、18万7千ドルの資金援助を決めた。本社がTV広告にお金を使ったのはこれが初めてだったが、効果はすぐに現れた。
LA地区の売上は22%に伸び、翌年は更に21%も伸びた。このLA地区での大成功が伝えられると、TV広告の絶大なる効果を疑う者はいなくなった。
お陰で他の地域のフランチャイジーも共同組合の結成に次々と乗りかかった。1967年には全米各地で広告共同組合が結成され、各組合に広告代理店がつくようになる。
新商品の開発、その1__________
広告と並ぶマクドのマーケティングのもう一つの柱が新商品の開発だ。クロック自伝に相反する様に、クロックの新メニュー開発には苦い思い出が沢山詰まってる。故に、1972年のジャンボバーガーまで、ヒットした新商品は皆無だった。
その後もヒットしたのは、チキンナゲットくらいで、他の主な新商品は地方のフランチャイジーによるものだった。というのも、彼らが本社よりも市場と密な関係にあり、市場の動きを察知し易いにあったからだ。
そもそもクロックを除き、初期のマクドナルドには新商品開発の気運はなかった。
ターナーを含めた本社幹部は、せっかく努力して組み立てた作業効率が新商品に関わって低下する事を恐れた。シンプルイズベストですもんね、気持ち察しますよ。
新商品開発に熱心なのは専らフランチャイジーの方で、必死に売り込むも本社は話に乗ろうとはしない。
シンチナチのルー・グリーンは、カトリック教徒が多い地区で、経営不振に陥ってた。彼らは金曜日には肉を食べない。ライバル店は大ヒラメのサンドイッチでマクドに対抗し人気を博してた。
そこでグリーンは、魚のサンドイッチをメニューに加えたいと申し出た。本社は、客はハンバーガーが欲しくて店に来ると、呆気なく却下する。
彼は本社幹部に、売上の数字と魚サンドの調理法を並べて説明した。グリーンの気迫に押された本社は、要求を呑み、効果はテキメンに現れた。
金曜日の売上は5倍に跳ね上がり、金曜日以外の売上も大きく伸びた。
倒産を救ったのは”魚”だったのだ。でも大ヒラメのサンドとは豪勢ですな。
新商品の開発、その2__________
しかし、本社だけでは新商品開発の力がなかったので、スタッフのアル・バーナディンは魚を支給する業者を探した。呼びかけに応じたのは、ゴードンコーポレーションただ一つ。
今でこそ冷凍魚販売で知られる会社だが、当時はチッポケな”魚屋”だ。主任のスウィーニーは大口取引のチャンスと捉え、すぐさまシカゴに飛ぶ。
しかし、大ヒラメでは数に限りがあるし、値動きが激しすぎる。スウィーニーは3ヶ月間無給で試作を続けた。しかし、マクドナルドが納得する様な商品は何一つ生まれない。
更に試練は3ヶ月続いたが、これまたソナボーンにアッサリと却下される。
しかし、マクドナルドはスウィーニーに試作を続けさせた。それでも客の反応はソナボーンと同じだった。”マクドにシーフードは似合わない”と。
スウィーニーの奮闘は続く。店に戻り、週に30時間をも費やし、新商品の開発を急いだ。
3ヶ月後、バーナディンの協力を得て、タラを使ったフィッシュサンドが完成する。マクドから声が掛かって丸1年の孤軍奮闘であった。タラは大ヒラメよりも量が多く価格も安定してる。特性のタルタルソースも大評判で、その上チーズを乗せる事で、魚特有の臭みを消した。
魚嫌いのアメリカ人にフィッシュバーガーを食わせるにはホント苦労したろうね。ご苦労さんです。
彼の孤軍奮闘はまだまだ続いた。納入業者とフランチャイジーを結びつけ、彼らに冷凍保存法を教え、メニューに加えるよう辛抱強く説得し続けた。
中央集権型と地方分散型の間で______
ファーストフードのフランチャイズには2通りある。1つは、本部が設備や材料の大半を提供する代り、収益をゴソっと取っていく”中央集権型”。今の日本でさえこれですな。
2つ目は、営業やマーケティングは加盟店の判断に任せる”地方分権型”。
つまり、マクドナルドはその中間を上手く行き来した。営業基準や現場教育、設備や経理では中央集権型で、規格化する事で最大の効率を狙った。一方、宣伝&広告、販促や商品開発等は加盟店の裁量に任せた。
こういった分野では顧客と親密な関係を持つフランチャイジーの方がずっと有利なのだ。
こうやって、クロックが最初の店をデスプレーンズに出して丁度10年、あらゆる方面でライバルに大きな差をつけた。最強の経理スタッフを集め、強固な財務基盤を築き、店舗数も最多を誇り、史上最強のブランドを誇った。
しかし、クロックの最大の功績は目立たない所にあると。
彼が作ったのは一つの”巨大な会社”ではなく、独立しながら互いに依存し合い、同じ目標を目指す”会社連合体”をまとめる”組織”だった。
その組織内のあらゆる所から芽生える共同と協調の精神は、極めてユニークであった。クロックですら、その重要性を悟るには、10年の時間を要したほどだ。
この1950年代の終り、クロックはマクドナルドをもっと中央集権型の組織にしたいと考えた。
しかし、フランチャイジーも納入業者も急成長し、クロックは彼らの力なくして、この業界では君臨する事は出来ないとも痛感する様になっていた。
マクドナルドの”最初の10年”を終えた所で、”その12”を終えます。次回は60年代の”攻めと守り”のマクドナルドです。かなり長くなりましたが、これからも宜しくです。
マック赤坂は最高で~ス
スマイル45度が最強!?
その甲斐あって?読み応えがありました。
が、マクドの努力もすごいですね。
私は若いころは絶対ハンバーグは肉派でしたが、最近食べるとしたら、魚のほうがいいですね。が、大体、年取ってからマクドは食べなくなりました。なぜかは自分でもわかりません。
この”わが豊穣なる人材”は、ビジネス本としては空前の傑作と思います。故に私も連載化したんですが。まともに読んでくれる人がいなくて閉鎖しようとも思ってたんですが。
でも、これだけの著書が脚光を浴びてないとはとても悲しいです。
レイクロック自伝の”成功はゴミ箱の中に”はベストセラーになったし、映画”ファウンダー”は結構な話題になりました。
しかし、”わが豊穣の人材”に比べたら、クロック自伝もファウンダーもカスみたいなもんです。ただあまりにも実直過ぎて、読んでる日本人は殆どいないでしょうか。
そういう意味ではビコさんの読書眼は流石ですね。こういった闇に埋もれた超傑作は誰かが紹介する義務があります。
ネタをバラしますと、単にパクってるだけですが(笑)。本文の贅肉を思い切り削ぎ落とし、自分の言葉に置き換え、主観とオチを混ぜる事で原作を超えた模倣になる可能性はありますかね。
45セントの頃のマックバーガーを食べたいです。
とにかく、安くて質の高いハンバーガーのみを提供する事だけに拘った戦略をとってたなら。
確かに今ほどの大成功はなかったろうが、今ほどの榱落もなかったろうか。
45セントのハンバーガーの頃の質を保ち続けてたら、ハンバーガー自体が世界の食の王道となり得たであろうか。
これこそ、マクドナルドアナザストーリーですが。転んだサンはどう想像しますか。
宣伝や慈善事業もいいんですが、肝心のひき肉の質を維持しないと、フード産業にしては本末転倒でしょうか。
60年代から70年代にかけてのマクドナルドと、現在のマクドナルドでは雲泥の違いがありそうですね。変わらないのはブランド力とアピール。
そういう私もたまにマクドナルドを利用するんですが、肉の味なんて全くしない。ケチャップの味だけです。
何でもそうですが、成長するには時間が掛かりますが、衰退する時はあっという間ですね。
マクドナルドアナザストーリーですが、ステーキ用の肉を粗挽きして、ステーキバーガーで他を圧倒してたんでしょうか。
広告費や慈善事業には一切手を出さず、加盟店の大半を不動産業にシフトし、極々一部の店舗だけをハンバーガー専門の店に残してたんでしょうか。
どっちに転んでも成功は間違いなかったような気もしますが(笑)。
今のマクドナルドは、ブランドだけで生き延びてる感じです。ケチャップの味しかしないとは、皆が感じてることでしょう。
ひょっとして、不動産業に途中からシフトしてた方がずっとずっと安定した信用ある大企業に君臨してたと思います。
ファーストフードチェーンなんて、何十年も持つ職種ではないような気がします。クロックが正しかったのか?ソンネボーンが正しかったのか?
確かにハンバーガーチェーンなんて、金持ちの道楽ならウッテツケですが。一生の仕事となると流石に引きますね。
ソナボーンの意向通り、不動産業にシフトしてたら、今頃は世界を牛耳る不動産王になってたでしょうか。アメリカをも牛耳る存在になってたかもです。
その一方で、”たかがハンバーガーされどハンバーガー”というクロックの純粋な気持ちも理解できますが。