実は最近、ジャスティライザーくらいしか見てません。
日曜朝に至ってはここ2年全滅。
……好みの問題と言えば確かにそうなんですが、しかし。こうなってくると最早、単なる当たり外れの問題ではなさそうですね。
基本的に特撮=ヒーロー物。その内容は偉大なるマンネリズムと様式美、特に戦隊シリーズともなると四半世紀も前に確立されたテンプレートというものがあり、そのテンプレに沿って設定を考えれば誰でも自分戦隊を組織できるんじゃないかとさえ思えるような、そんな型にはまりまくった世界だった訳なんですが。
しかしここ数年は特撮の世界も脱マンネリ、今までのパターンにとらわれず新しいものを作って行こう!……という流れがあるようです。
それ自体はいいと思うんですけどね。
結局それって、『これまでのパターン』をある程度相対化して把握した上で、敢えてそれを外して一から作品世界を構築する、ということをしないと絶対に成功しないんじゃないかと思います。
こんなこと言うのは信者っぽくて嫌なんですけど、結局の所それをちゃんとやれてるの、小林さんだけなんじゃないかなと思うんですが。
タイムの時は一見忠実にテンプレをなぞってるように見せながら、本質的な部分でテンプレを外していた。テンプレの本質の部分をちゃんと見てないと出来ない芸当だと思います。
龍騎に至っては、『ヒーロー物』の構図と世界観を全部理解しているからこそ、それを徹底的に破壊することも出来たんだと思います。
他の脚本家でいうと、天の邪鬼な井上氏が辛うじてそれっぽいことをやってますが、この人も割とその場のノリでひねくれて見せてるだけなので、自分が書いてるものの基本的な構造はあんまり理解してないっぽい。
それ以外の人となると、なんていうか……ヒーロー物の文法にどっぷり浸かり過ぎて、自分がどれくらいそれに浸かってるのかも分からなくなってる状態で形だけヒーロー物の定石を外そうとしているような気がします。
有り体に言うと、ヒーローの世界って現実的ではないんですよね。現実には「自分たちを悪だと自覚し」「その世界で起きる全ての災厄は彼らに起因し」「彼らを倒す事ですべてが解決し」「尚かつ、説得や和解など、『倒す』以外の解決方法は選択できない」……という都合の良い絶対悪は存在しない。故に、絶対悪の存在によって相対的に正義となり得る『正義の味方』も存在できない。
これをファンタジーだと割り切ってしまうなら、それはそれでアリだと思います。……が、この、基本的に『現実ではない』部分を無自覚に背負ったまま、目先の変化を求めて枝葉末節だけのリアルを追求してしまうと、物語の構造自体が歪んで来るような気がする。
……どうも最近、特に東映特撮見てると、設定の段階でどうもこの『歪み』がちらつくような気がして、それで結局見る気になれないまま終わってしまう、というパターンに陥りつつあります。
そういう訳で、まだある種のバカに徹しつつ、それなりに試行錯誤しながらがんばってる東宝組の方に最近心惹かれる模様。
……ていうか、今になってようやく気付いたんですが、『グランセイザー』。
みんなバカにしてたけど、あれ結構すごいぞ。
センスが古いとか昭和的特撮だとかさんざん言われながら、最後は
「話し合いで戦争を終結させる」
という、特撮史上稀に見る近代的なオチを付けたんだから。
もちろんその仕掛けとしてステキ悪役ベルゼウス様というスケープゴートを用意した辺りはそれでもヒーロー王道パターンを踏襲していましたが、そのベルゼウス様でさえ「裁判にかける」という意外と文明的なオチ。
(ちょっとまてベルゼウスよりは善良そうな宇宙人いっぱい死んでるぞとかそういうツッコミはなしで)
すっかり長くなりましたので、現行の東宝組である『ジャスティライザー』については又、後日。
日曜朝に至ってはここ2年全滅。
……好みの問題と言えば確かにそうなんですが、しかし。こうなってくると最早、単なる当たり外れの問題ではなさそうですね。
基本的に特撮=ヒーロー物。その内容は偉大なるマンネリズムと様式美、特に戦隊シリーズともなると四半世紀も前に確立されたテンプレートというものがあり、そのテンプレに沿って設定を考えれば誰でも自分戦隊を組織できるんじゃないかとさえ思えるような、そんな型にはまりまくった世界だった訳なんですが。
しかしここ数年は特撮の世界も脱マンネリ、今までのパターンにとらわれず新しいものを作って行こう!……という流れがあるようです。
それ自体はいいと思うんですけどね。
結局それって、『これまでのパターン』をある程度相対化して把握した上で、敢えてそれを外して一から作品世界を構築する、ということをしないと絶対に成功しないんじゃないかと思います。
こんなこと言うのは信者っぽくて嫌なんですけど、結局の所それをちゃんとやれてるの、小林さんだけなんじゃないかなと思うんですが。
タイムの時は一見忠実にテンプレをなぞってるように見せながら、本質的な部分でテンプレを外していた。テンプレの本質の部分をちゃんと見てないと出来ない芸当だと思います。
龍騎に至っては、『ヒーロー物』の構図と世界観を全部理解しているからこそ、それを徹底的に破壊することも出来たんだと思います。
他の脚本家でいうと、天の邪鬼な井上氏が辛うじてそれっぽいことをやってますが、この人も割とその場のノリでひねくれて見せてるだけなので、自分が書いてるものの基本的な構造はあんまり理解してないっぽい。
それ以外の人となると、なんていうか……ヒーロー物の文法にどっぷり浸かり過ぎて、自分がどれくらいそれに浸かってるのかも分からなくなってる状態で形だけヒーロー物の定石を外そうとしているような気がします。
有り体に言うと、ヒーローの世界って現実的ではないんですよね。現実には「自分たちを悪だと自覚し」「その世界で起きる全ての災厄は彼らに起因し」「彼らを倒す事ですべてが解決し」「尚かつ、説得や和解など、『倒す』以外の解決方法は選択できない」……という都合の良い絶対悪は存在しない。故に、絶対悪の存在によって相対的に正義となり得る『正義の味方』も存在できない。
これをファンタジーだと割り切ってしまうなら、それはそれでアリだと思います。……が、この、基本的に『現実ではない』部分を無自覚に背負ったまま、目先の変化を求めて枝葉末節だけのリアルを追求してしまうと、物語の構造自体が歪んで来るような気がする。
……どうも最近、特に東映特撮見てると、設定の段階でどうもこの『歪み』がちらつくような気がして、それで結局見る気になれないまま終わってしまう、というパターンに陥りつつあります。
そういう訳で、まだある種のバカに徹しつつ、それなりに試行錯誤しながらがんばってる東宝組の方に最近心惹かれる模様。
……ていうか、今になってようやく気付いたんですが、『グランセイザー』。
みんなバカにしてたけど、あれ結構すごいぞ。
センスが古いとか昭和的特撮だとかさんざん言われながら、最後は
「話し合いで戦争を終結させる」
という、特撮史上稀に見る近代的なオチを付けたんだから。
もちろんその仕掛けとしてステキ悪役ベルゼウス様というスケープゴートを用意した辺りはそれでもヒーロー王道パターンを踏襲していましたが、そのベルゼウス様でさえ「裁判にかける」という意外と文明的なオチ。
(ちょっとまてベルゼウスよりは善良そうな宇宙人いっぱい死んでるぞとかそういうツッコミはなしで)
すっかり長くなりましたので、現行の東宝組である『ジャスティライザー』については又、後日。
こんにちは、コメントありがとうございます。
確かに、お約束ならお約束で全然OKだし、新しい
ものを作ろうという意欲も決して間違いではないと
思うんですけどね。
仰る通り、正義側のヒーローだけを考えても片手落
ちでしょうね。
ていうか、『どんな敵と』『何を争点に』戦うのか
ということは、そのヒーローの性格(キャラの性格
ではなく、物語の構造上の性格)を決める上で最も
重要なファクターなんじゃないかと思います。
お約束じゃないヒーローを描くなら尚更そうだと思
うんですが、どうもこの部分に関して詰めが甘い作
品がこの頃多いような。
……って私も大概偉そうですね(笑)。
ヒーロー物は一種のファンタジーだと考えています。テンプレあり、お約束ありの世界。そういう基本は誰の頭にでも無意識に入っているでしょうね。
で、最近しばしば見られるような気がするパターンは、「新しい物」を作ろうとした時に最初にキャラクター、それも正義側を考える。そしてそのキャラでちょっと目新しい雰囲気を作ってみる……その時点で止まってしまっていることではないかと思います。
でも定石を破ることまでは考えない、あるいは考えもつかない為に、小手先のリアル路線やキャラ萌え路線に走ってしまうのではないかと。更に下手をすると、目新しいキャラを考えたのはいいが作り手自身がそのキャラを把握できなかったり動かす能力が無かったりして、結局破綻してしまうということにも……。
実際、キャラを考えるところまでは誰にでもできるのではないでしょうか。だけど「新しい物」を作る時に最初にするべきことは、それではなくてドラマの根本的な構造を見直すことではないかと思えますね。
……長文かつ偉そうなコメント、失礼しました(汗)。
超星神シリーズに心惹かれるのは私も同様です。