伊豆韮山にある重要文化財、
江川邸へ。
江川家は、平安時代の武将、源頼親を初代とし、現在まで続いているとても古い家系で、
江川邸は江川家の人々が代々住んできた屋敷で、江戸時代には幕府の代官所としても機能していました。
代官として活躍した江川家36代、江川太郎左衛門英龍(雅号は坦庵)の功績は大きく、
来航する外国船への沿岸防備として砲台を置く人工島(台場)を築きました。
今の東京のお台場はこの名残りなのです。
そして台場に設置する鉄製の大砲を作るための反射炉(韮山に現存)を建設したのです。
江川邸は高さ12メートル余の大屋根を支える豪壮な架構の建物です。
写真はその邸内から見た薬医門といわれる表門。
大河ドラマ「篤姫」の撮影にも使われた場所です。
北条早雲が植えたとの言い伝えもある古木「きささげ」。
樹木にも歴史を感じます。
韮山代官が担当していたのは、現在の静岡県東部から神奈川県、東京都、山梨県にまたがるとても広い地域でした。
江川家家紋、井桁に菊。
江川坦庵は私の母校の学祖でもあり、
坦庵公の座右の銘「忍」が校訓にもなっています。
忘れていた「忍」の精神。
大人になって失っていた精神だなーと反省。
千利休も使用したとされる珍しい韮山竹。
数十本に一本、根元にひび割れ(雪割れ)の入ったものがあり、
このひび割れが竹花入の「景色」として珍重されたのです。
表にひびは入っていますが、中にはひびがなく、非常に珍しい竹だそうです。
この日は特別公開でこの竹も拝見することができました。
秀吉の側近として従軍していた利休の作った最も著名な竹花入が、
「園城寺」という銘のある竹一重切花入(東京国立博物館貯蔵)です。
ひび割れがあることから、園城寺(三井寺)の割れ鏡に見立てて名づけられたこの竹花入は、
「韮山竹」が使われていたそうです。
学生の頃身近にあった歴史的建造物ですが、
改めて学ぶ機会を持つことができ大変勉強になりました。
この日は天気が良く、富士山がかわいい「笠」をかぶっていました。
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