暑い。連休の中日だからなのか、
なんか急に街に人が増えた気もする。
ふつうに走ってるだけで、
わき道から人や車が飛び出してきたり、
目の前を横切られたりする日もあるかと思えば、
きょうは真逆の日。
自転車が四つ角のミラーに映ってるなあと思って、
ブレーキをかけたら、相手は完全に止まって待っていてくれたり、
逆に脇道から少し広い道に出ようとしたら、
わき道に入ってこようとしている車が、やっぱり待っていてくれたり。
最終的には、歩いてくるのが見えたのか、
エレベーターも扉を開けて待っててくれる人がいたり。
こういうときは自分も人にやさしくできたらいいなと思う。
暑かったり寒かったりするくらいなら、
イヤだけど暑い方がまし。
しゃっきりするし、本も読める。
「漱石漫談」最後まで読んだ。
お二人さん、八尾のアリオにも来られたとか。
けっこうさんざんな言われよう。
でも、松山の人が「坊っちゃん」を自慢する気持ちもわかる。
ここって自分が行くときは、
たいてい「コンドルは飛んでいく」みたいなのをやってるイメージ。
「俳味」とか「禅味」とか、
最近気になってた「やばみ」「つらみ」みたいなのが、
漱石のころからあったのもびっくりだし、
虚子との関係もちょっとおもしろい。
子規が病気にならず、そのまま活躍し続けたとしたら、
どうなっていたかもおもしろそう。
だいたいおもしろかったんだけど、
たまに引っかかるところが…
三四郎が弁当のゴミを捨てることについて、
当時のゴミの意識から、新興国のマナーの話になるけれど、
その当時のゴミって、たぶん土に還りそうな気がするし、
むかし自分もやってただろ、っていうのは、
こどもがおとなにする最低レベルの言いわけでしかない。
『共同体の慣れ親しんだもの同士が交わす会話に
ユーモアとアイロニーが守られている』っていうのは、すごくわかる。
いわゆる「エスニックジョーク」っていうのもそうだと思うし、
ある種の潤滑剤にもなっているのだと思う。
でも、そこで「ヘイト」がどうこうってなるのが…
「あべしね」とか「ゲリゾー」とかって、
喜んでる人たちがいることにも言及しないのはおかしい。
相撲ファンとか収集癖で有名な某マンガ家の絵もひどいし、
風刺にも皮肉にもなっていない、ただの誹謗中傷でも、
政権批判ならなんでも許される感じって、
どうにかならんのかな。
あえて挑戦する国芳みたいな人たちだったり、
もっというと雨傘の人たちみたいに命がけでやるならともかく、
そもそも自由になんでも発言できる国で、
あえて厭味ったらしい風刺や皮肉をしなければいけない理由もない。
まあ、絶対的に有利な存在になるために、
弱者としての仮面をがちがちにかぶって、
ちょっとした皮肉も許さない、って人たちもいるわけで、
逆にそういう形での批判しかできない風潮になることのほうが、
もっとこわいといえばこわいけど。