閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「峠の我が家」

2017-10-04 14:59:09 | 今日の歌
今日は、新しく入った男声 I さんの歓迎会をやりました。いつもの「えぼし」で
のランチ会を兼ねましたが、皆さん気心も知れ楽しい時間になりましたね。
練習後に一杯やりながら語らうのは何よりです。
次回は、I さんの奥様を呼ぶためにもう一人の I さんの奥様を呼ぶことが肝要と
なりましたが、どうなりますか。

さて、今日の練習曲は、下記でした。
■ 峠の我が家
■ 赤鼻のトナカイ
■ Sound of Silence
■ コロラドの月
■ 浦のあけくれ
クリスマスコンサートに向け、まずは、音程をしっかりと確認した今日でした。

今日の歌は「峠の我が家」です。この歌の日本語題名には元の歌とは違った意
味が込められているのが解りました。 


歌はコメントから聴けます。

「峠の我が家」 アメリカ民謡 訳詞:岩谷時子

1 あの山をいつか越えて 帰ろうよ我が家へ
  この胸に今日も浮かぶ ふるさとの家路よ
  (コーラス*)
   ああ我が家よ 日の光り輝く
   草の道 歌いながら
   ふるさとへ帰ろう

2 あの山を誰と越えて 帰ろうか我が家へ
  流れゆく雲の彼方 ふるさとは遠いよ
   (コーラス*)
   ああ我が家よ 日の光り輝く
   丘の道歌いながら
   故郷へ帰ろう

原語詞です。
" Home On The Range " 作詞:Brewster Higley (1876)

1. Oh, give me a home where the Buffalo roam
Where the Deer and the Antelope play;
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not cloudy all day.
(Chorus*)
A home! A home!
Where the Deer and the Antelope play,
Where seldom is heard a discouraging word,
And the sky is not clouded all day.

2. Oh! give me a land where the bright diamond sand
Throws its light from the glittering streams,
Where glideth along the graceful white swan,
Like the maid in her heavenly dreams.
(Chorus*)

3. Oh! give me a gale of the Solomon vale,
Where the life streams with buoyancy flow;
On the banks of the Beaver, where seldom if ever,
Any poisonous herbage doth grow.
(Chorus*)

4. How often at night, when the heavens were bright,
With the light of the twinkling stars
Have I stood here amazed, and asked as I gazed,
If their glory exceed that of ours.
(Chorus*)

「二木紘三のうた物語」から引用です。(時間のある方はどうぞ)

1871年、医師ブリュースター・ヒグリー(Brewster Higley)は、インディアナ州か
らカンザス州に移住、小さな土地に小屋を建てて暮らしていました。

 ある日、彼は小屋の近くを流れるビーヴァー川の川岸に腰を下ろし、目路をかぎり
の豊かな草原を楽しんでいました。そこかしこで群れ遊ぶバッファローや鹿、アンテ
ロープなどを眺めているうちに、一つの詩想が浮かびました。

 彼はそれをノートに書きつけ、小屋に帰ってから"My Western Home"(『西部の我
が家』)という詩に仕上げました。1872年秋のことです。
 これがのちにアメリカ中で、さらには世界中で歌われるようになった"Home on the
Range"(『峠の我が家』)の原詞です。

 彼はこれを発表するつもりはとくになかったのですが、ある日訪ねてきた地元民の
T.リーズという男がこれを読んで大感激し、ぜひ歌にすべきだとヒグリーを説得した
のです。
 たまたまヒグリーの友人にダニエル・E・ケリー(Daniel E. Kelley)というヴァ
イオリン奏者がいて、彼が作曲を引き受けることになりました。

 できあがった歌は、たちまちその地方一帯の住民たちに愛唱されるようになり、さ
らにその地を通過する移住者や牧童たちによって、西部各地に広められていきまし
た。

 歌詞は自然に恵まれたふるさとを恋うという人間の普遍的な感情を歌ったもの。そ
のため、自分のふるさとを歌った歌詞が付け加えやすく、"My Colorado Home"(『コ
ロラドの我が家』)や"My Arizona Home"(『アリゾナの我が家』)といったヴァリ
エーションが続々と生まれました。

 さまざまな歌詞が広まっていくうちに、もとの作詞者・作曲者の名前はすっかり忘
れられてしまいました。

 原作者が問題になったのは、1920年代に入って、レコードが発売されたり、ラジオ
で流されたりするようになってからです。2人組のアリゾナ人が、曲は自分たちが
作ったものだと主張して、NBCラジオやレコード会社を訴えたのです。
 そのため、"Home on the Range"は、放送もレコード販売もできなくなってしまい
ました。

 被告側も黙っていませんでした。弁護士を雇ってオリジナルを探させたのです。弁
護士は、ミシシッピからカンザスまで中西部各州を歩き回り、ついにヒグリーのオリ
ジナル"My Western Home" の1876年版を発見したのです。
 これにより、原作者問題は決着がつき、放送もレコード販売もできるようになりま
した。

 ヒグリーは1911年、ケリーは1905年に亡くなっていた(ケリーは自殺)ので、この
ドタバタ騒ぎを知ることはありませんでした。

 この歌は、フランクリン・ルーズベルト大統領が1932年に、最も好きな歌だ、と述
べたことで有名です。また、1947年には、この歌がカンザス州の公式の州歌となりま
した。

 ところで、"Home on the Range"は、日本語詞ではいずれも『峠の我が家』となっ
ています。しかし、rangeには峠という意味はありません。
 rangeは連なりとか範囲を示す言葉で、地形について言えば、山脈とか高地、平
原、草原、広野、牧草地などを意味します。ですから、"Home on the Range"をその
まま訳すと、「草原の我が家」とか「牧場の我が家」といった言葉になります。

 だいいち、カンザス州はプレーリーのまっただ中にあり、峠らしい峠、少なくとも
日本人が峠と感じるような地形は見当たりません。州全体が、西のコロラド高原から
東のミズーリに向かって緩やかに傾斜する大平原です。

 それでは、日本語詞の作詞者たちは、なぜ「峠の我が家」としたのでしょうか。

 大平原が広がるアメリカ中西部やモンゴルなどと違って、山の多い日本では、ふる
さとから出て行くにしても帰ってくるにしても、多かれ少なかれ峠を通ることになり
ます。もちろん今はトンネルや道路が整備されて、峠越えしなくてはならないところ
はあまりありません。

 しかし、日本人の長い生活史のなかで、ふるさとは峠のイメージと密接に結びつい
ています。そこで、あえて『峠の我が家』としたのではないでしょうか。
 『峠の我が家』には、峠にある我が家という意味のほかに、峠の先にある我が家と
いう意味も含まれていると思いますが、いかがでしょうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする