昭和7年が舞台。まだ、戦前からの爵位が残り、上流階級という別世界が公然と世間の中に位置していた頃。主人公の花村英子もそういった家庭のお嬢様で、士族に属し社長を勤める父の元で伸び伸びと育っている。
そこに進歩的な父の計らいで女性運転手が採用された。英子の通学の送り迎えや外出の供をする、ほかにお芳さんという付き添いもいる。という生活で、この女性運転手の苗字が別宮(べっく)という。
丁度集まりで「虚栄の市」という言葉が出て、気になって、自宅にあった原本を読んでいたときで、その主人公レベッカ・シャープに因んで、彼女を「ベッキーさん」と呼ぶことにした。それがそもそもの始まり。
ベッキーさんは武芸にも秀で、文学的な素養も深い、そこが読者には謎なのだが、どういう背景を持った人物なのか好奇心をそそられる。
シリーズは三部作なので、これは面白そうだと期待した。
事件は身近に起きることもあるが、英子が日常の会話の中や事件について、ふと疑問を持ってベッキーさんに話すことから始まることが多い。
中篇三編が収められている。
虚栄の市
花村英子は麹町のうちを出て、皇族、華族、貴族の子弟の通う学校に通っている。女子ばかりのおっとりとした気風で、言葉遣いも独特なものが多い。その中で英子は軍人の家系で士族、財閥系の会社を経営している家柄で、帝大に通う兄がいる。まぁ庶民には無縁の育ちで裕福な生活の中にいる。ときにはそういった上流階級だけの季節の集いに、招かれたり招いたりという付き合いをしている。
指折りの資産家である有川伯爵家の「雛の宴」に招かれた。令嬢が英語の達者な英子に興味を持ち近づいてきて親しくなり、誘われたのだ。
華族の集まりには園遊会という名前で折に触れての集まりがある。
「雛の宴」帰り際、有川家の友人八重子姫から「花さん《ヴァニティ・フェア》って何のことかしら」と訊かれた。
ここからサッカレーの「虚栄の市」の話になる。
ここまでで、英子の暮らす上流階級のしきたりや学校生活がうまく紹介されている。
大正からの生き残りのような階級の話なのだろうか、よくある、生活に困らない別世界に住むお嬢様が、庶民の生活を珍しく監察するような物語、そんな暮らしが舞台だと距離がありすぎて面白くないのでは、というのは杞憂だった。
気風のいい美人のベッキーさん、物怖じしない英子さんは、「ベッキーさんと私シリーズ」三冊を十分楽しませてくれた。
銀座八丁
進歩的な父親が就けてくれた運転手のベッキーさんの運転で銀座に出かける。当時の服部時計店にいき、そのころの風景を描き出す。
また華族の桐原邸に招かれる、そこには軍参謀本部付けの大尉である兄がいた。健康的な人物でベッキーさんを認め世情について話したりする。
戦前ではあるが、こういう軍の階級制度には、いつしか不穏な未来を暗示させる部分もある。
ここでのミステリ部分は軽い、学校で流行っている暗号を解くと言うもの。兄にも友人の謎賭けがあって、それが銀座と関わりがあり、ベッキーさんと街の裏道を通り、貧しい庶民の生活を感じる。そういった世界も知っているベッキーさんの話から、英子の世界が広がっていく。
街の灯
表題になった三編目は読み応えがある。
夏になると軽井沢に行き恒例の避暑生活に入る。学校の友人たちも同じようなもので、道でであったりする。
招かれた映画会で人が死ぬ。今回の謎解きのテーマ。
だが、それだけではない、年頃のお嬢様が、将来を選ぶ時、しきたりや生活の安定、家同士のつりあいなど、拘らなければやすやすと手に入れることが出来ることに少しの不満と、大きな安心を感じていることもまたありがち。
検事で作家の叔父がちょっと顔を出しているところも面白い。
「街の灯」はチャップリンの映画から採っているが、そこの部分がとてもいい。話を引き締めている。
英子はどう育つのだろうか。ベッキーさんの目から広い世界が見え始めてくる。
作者の安定した穏やかな筆致を楽しみながら、「即興詩人」を引き「ブッポウソウ」について知る。様々な雑学(博学)が彩る中を読み進めることが出来る味わい深い一冊になっている。
余談だが、私が始めて持ったペンタックスの「アサヒペン」らしい描写がある、普通なら一齣分のフィルムに二枚写せる。時代が違ってもこうしてあのカメラは生まれたのかと嬉しかった。
参考にされた巻末の沢山の文献を見ながら、当時の風景を忠実に織り込みながら出来上がった小説が読めることが嬉しい。