空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

今日も晴れてる ヽ(^o^)丿

2021-05-31 | 山野草

だれぇ しばらく雨って言ったのは、

答えがない。見回すとまた私の勘違いかも、

いつものことでした(-_-;)

 

で、この時を逃がすな。と庭に出たのです。

きりすぎて今年は数が少なく、ちょっと淋しい。

昨年はフェンスからいくつも花房を出して

通る人に撫でてもらっていたのですが。

毎年大きくなって隣の合歓が遠慮気味です。

今年初めて植えたのですが、きれいな種類です。

毎年青くなったりピンクになったり

今年はオレンジ寄りで珍しいです。

 



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「カラフル」 森絵都 文春文庫

2021-05-31 | 読書

真の体を借りて修行する羽目になった、僕はもう死んだのに。輪廻から外れふわふわの魂になって呑気にやろうと思っていたのに。下界でもう一年間生きてみるという抽選に当たってしまった。

僕はずいぶん悪いことをして死んだらしい。輪廻を外れ生まれ変われない魂になってゆるゆる流されている。
そこに天使がきて「おめでとうございますっ!あなたは抽選に当たりました。見事当選されたラッキー・ソウルです!!さぁ、下界に降りて一年間、再挑戦です」と少しくたびれてはいるが美形の天使が言う。
どんな大きな罪を犯したのか前世のことなどすっかり忘れて、今に満足している僕は、辞退してみた。なんとなく前世では疲れたという記憶がある。ところがガイドの天使プラプラが「ボスには逆らえません」という。その上「修行場は楽園ではないのです」などという。ますます気持ちが萎える。

そんなこんなで極彩色の渦に飲み込まれて降下。
危篤状態が持ち直さず魂が抜けたばかりの体(要するに亡くなったばかりの小林真の体)にすんなりと入った。修行先の体にホームステイしたというらしい。

プラプラの事前情報では。母親は不倫中、父は悪徳商法の罪で上司がごっそり抜けた会社で、ところてん式に部長になって喜んでいる俗物で、兄とは心底気が合わないらしい。
ところが目を開けるとベッドわきの三人が歓喜の大泣きで迎えてくれた。十分前に死亡告知をした医師もびっくり、それでも退院の時「もう充分だろう、二度と死ぬなよ」といってほっぺをつねった。

久しぶりの学校はというと中学三年で花の受験生。欠席は風邪ということだし、もともとはみ出し者でつきあいも悪く、友達もいないらしいし。嬉し寂しの状態。真はこんな奴だったんだ。

ただ美術室だけは心が休まる避難場所にぴったりで落ち着く。真は絵が上手かったらしい、僕もいささか自信がある。その上好きな桑原ひろかがいる。
ところがもう一人の女子、佐野唱子が鋭い。どうも雰囲気が変わったという。まぁ真相なんて誰も信じないし適当にあしらっておく。

そうして絵の世界では、不運な境遇や背の低さや孤独な惨めさが忘れられていたが。
ただ担任の沢田から中間試験のあと言われた。こんな浮世離れした成績不振で、いろいろきつかったことを踏まえても将来どうするのか。ときた。あぁ真の脳はこの程度だったのか。

意外なことに、進学について家族は親身(?)に気遣ってくれる。美術に強い私立はどうか、
授業料については皮肉と嫌みの塊の兄まで、医学部受験を後回しにするから私立を受けろ、という。
でもホームステイは一年、進学しても残りは半年、そんな、ありがたいけれど好意を無駄にはできない。
成績にあった公立に決めて少しはがんばってみるかなと、受験勉強を始めたのはいいが、味気ない日常に生気が抜けてきた。そこに父が釣りに行こうという。しぶしぶ行ってみるとなんだか自然の空気は爽快で、父はぽつぽつと胸の内を漏らす。家族への責任感もあり胡散臭くて居づらい二年間を死んだように忍び、今回会社でもなんとかやる気の出る部署に着いた。波乱万丈も捨てたものじゃないという。
そのとき僕は孤独に堕ちた。それもいいが死んだ真は誤解したままじゃないか。生き返る望みは全くなく死は続く。

渋滞の中でまた父が言う、地獄のような会社で二年間耐えた重みが吹っ飛んだ、お前が生き返ったんだ。人間ってのは大したもんだ、あの一瞬の喜び。その上兄が医者になりたいと言い出した。お前は未来を変えたんだ。

あの底意地の悪い兄の満が。
「医学部受験を今年諦めたのは俺のため?」「まさか、サルでもよかったんだ」
僕のことをこの時とばかりにずだ襤褸にけなして兄は机に向いてしまった。とぼとぼ部屋に帰ったが、眠れなかった。無念だった。父や母や兄の声を聞かしてやりたかった。真なぜ死んだんだ。

小林家が少しずつ色を変えていく。一色ではないよく見るとカラフルで見方によって色が違う。そうなんだ。

そしてあっと驚く、一年後。

初めての森絵都さん、ナツイチのリストにある「みかづき」を読もうと思ったら書店になくてもう書評も上がっていたし、それはそのうち読もうとこの「カラフル」を買ってきた。ワクチン接種も始まったもうこれで終息に向かうのだろうかと、お墓参りと買出しでちょっと気分転換の後に、ほんのり暖かいこの本にであえた。
 
 
 
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晴れも今日まで

2021-05-30 | 山野草

雨が続くと晴れてほしい。やっと晴れの二日目また干しました。なにもかも(o^―^o)ニコ。

周りの新緑も眩しくて、近くの山道でも走ってみますか?

でも寝坊しすぎて。近所を徘徊して収穫の花。

 

ハマナスが垣根から顔を出して

アップでもう一枚

(オオヤマレンゲは白でなくては)

朴ノ木でした m(__)m

 


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「草花たちの静かな誓い」 宮本輝 集英社

2021-05-29 | 読書
伯母(キクエ)が莫大な財産を残して亡くなった。遺言で相続人に指定された弦矢が叔母の家があるロスのランチョ・パロス・ヴァーデス半島を訪れる。広大な豪邸に驚きつつも意味なくうっすらと恐怖感が漂う所だった
 
弦矢が弁護士から知らされた遺産額はおよそ42億円、家の評価額が増えたとして46億円だということだった。
ただ、遺言書を預かっていた弁護士から6歳で行方不明になった伯母の一人娘のレイラにも相続権があり弦矢に探してほしいと伯母が依頼していた。
この娘は弦矢の両親には白血病で亡くなったと知らされていた。

彼は初めて訪れた叔母の家が豪邸で、それを囲む広大な芝生と伯母好みのハーブ園、四季の草花を植えた庭の広さに驚く。それを管理する庭師も花が咲き競いジャカランダの大木がある庭を愛していた。
弦矢は南カリフォルニア大学でMBAとCPAの資格を得ていた、それは叔母夫婦の強い勧めがあった、伯母と弦矢の両親とはそりが合わなかったが、伯母たちは優しく弦矢にとって最も近しい肉親だった。渡米は日本で亡くなった伯母の納骨が目的だった。

伯母の夫はボストンで自動車関連の会社を経営して成功していたが、二年前膵臓がんで亡くなっていた、独り身になった伯母は念願であった日本各地を旅するために帰国していて、突然修善寺の宿で亡くなった。
弦矢はいとこにあたるレイラを探す決心をする。もし生存していたら遺産は正しく彼女の物だ。
伯母のパソコンのロックを解き写真を見つける。パズルの箱の底から密かに隠してあったらしい手紙も見つける。差出人はモントリオールにいる妹で、それは亡くなった夫イアンにも見せられないものだったらしい。

散歩の途中で見かけたロシア系の大男ニコ(ニコライ・ベルセオスキー)に調査を依頼する。周りは止めたがなぜか信頼できる人物に思えたのだ。

滞在予定の10日間で、弦矢はレイラを探し出せるのか。レイラは亡くなったのではなく当時、行方が分からないと取り乱した伯母が警察に届けていた。それから20年経ち、まだ未解決のままではあるが、幼児誘拐や行方不明は多い。とっくに警察は関心をなくしていた。
散歩で知り合っただけのニコは、よく働いて核心に迫っていった。

ニコは解決後証拠を全て焼こうという。このニコについて
「ウクライナ人を怒らせるな」という昔からよく知られた格言のせいで、ウクライナ人はすぐに頭に血がのぼる過激な民族のように誤解されてはいるが、そうではない。
ウクライナ人は穏やかで朴訥で誠実な民族だ。だからこそ、自分たちの誠実さを利用して裏切るようなことをする人間への怒りは激しい。
格言には、そういう意味も含まれているのだ、誠実には誠実をという万国に共通する教訓を秘めた格言なのだ。

この作品に教訓はないとしても、かかわったすべての人の誠実さと暖かい優しさが底流になっている。
レイラの行方を含めて全てを知ったニコを邪推してはいけない。彼はそれを利用しようなどとは考えもしなかった。武骨で歯に衣着せないが切れる男と、頭はきれるがいささか世間慣れしていないがいい奴の弦矢が組んだ物語は、久しぶりに後味がよかった。


新聞連載だとか、さらさらと流れるように話が進んでいく、今の宮本輝さんを知らないでいたが、まだ健筆をふるい続け、大部の自伝的な小説を書き、初期の暗鬱な作風(泥の河と蛍川しか知らないでちょっといってみたけれど)からこういう作品を書かれるようになったのかと、何か心がほぐれるような気持がした。

遺産相続などといえば何かと人間の汚い欲望が表面化するような話が多い。しかし平凡な暮らしから見れば恵まれた生活で、美しい風景まで見えるようだったが、一方大小にかかわらず裏には隠さなくてはならない事情がある。人生の出来事の大小は傍から見れば主観的なものかもしれないが、子供に関しては悲しみに大小はないと思う。そういうテーマからキクエ伯母さんが人生も終わりが近づいたころになって、人生の気がかりを信頼していたものだけに打ち明けたことに、やはり作者の年輪が感じられる。

若い弦矢が悲しみを汲み取る心の柔らかさや、周りのすべての人々の善良さがこの話を支えている。無頼に見えるニコの使い方も爽快で、彼がいてこそ、このじんと来る結末が快い。ありえないような突然の遺産相続から出発したところは何かミステリアスな匂いがするが、そういった要素を織り交ぜながら、解決後はほのぼのとした明るい未来が見える。

ランチョ・パロス・ヴァーデス半島をグーグルアースで見てみた、キクヱ伯母さんの豪邸も財産も半島一帯の豪壮な邸宅群にあっては、遺産額も、文中の台詞によれば富豪という人の足元のチリ程度だとか。そうかでも、などと思うのは下司なことかも。ジェットもヨットもいらないけれど。ジャカランダの咲く花園はいいなぁ。
 
 
 
 
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庭の花

2021-05-28 | 山野草

シェード―ガーデンの予定が立って植え込みだけになりほっとしました。

今日は晴れたので庭に出てみました。

アゲタラム(バッソブルー)

ナデシコ(ダイアンサス)

 

バーベナ (スーパーベナ・アストゥインクル)

矮性千日紅

 

 


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「100年たったら」 石田睦美(著) あべ弘士(イラスト) アリス館

2021-05-27 | 読書

 

 

どう生きるかなどとと考える前に時々開いてみる絵本だと思いました。

100年は長いと思ってきましたが、身近に100歳になった人や90代の人が増えてきました。
この住宅地が開発されて整地されたころ、秋は下の田んぼの畦に真っ赤に咲くヒガンバナが見え、春はところどころ残っている林で驚くほど大きな声でウグイスが鳴いていました。
時の流れは早く今周りの土地も新しく造成されて、空き地がなくなりそばの山もなくなってしまいました。
広い土地に何ができるのかと思ったら介護ホームでした。

別れが多くなる年になりました。これは大人も読む絵本でした。

一日一日は過ぎてしまって振り返るとあっという間です。
母と親しくしていた近所のおばあちゃんは計算ができなくなりました。訪ねていくといつもいつも口癖で いつの間にか90歳も過ぎたのよ。といっています。本当は99歳でもうすぐ100歳です。


広い草原を駆け回っていたライオンは百獣の王だった時がありました。草原はすっかり寂しくなり、いつかライオンは一人ぼっちになりました。狩る動物もいなくなり草や虫を食べて生き延びていました。一日一日がそうして過ぎていったのです。

そこに小鳥が来ました、ライオンは食べませんでした。小鳥はもう飛ぶ力もなくライオンのたてがみに潜って眠ったり、話したりしていました。そうして一日一日が過ぎていきました。

小鳥は、また会えるよといって遠くに行ってしまいました。

100年が過ぎまた100年が過ぎ、ライオンは貝になり、おばあさんにもなりました。小鳥は貝に打ち寄せる波になり、おばあさんを慰める花になりました。

そして何度目かの100年が過ぎ、ライオンは男の子になり小鳥は女の子に生まれ変わりました。
女の子は転校生でしたが男の子はどこかで会ったように思いました。

男の子にも女の子にも時は過ぎていきますが、二人には100年は長く思えるかもしれません。
幸せだったり不幸だったりしながらも、同じように一日一日が過ぎ、ライオンだったことや小鳥や貝や波だったことは忘れてしまっても、また出会えることもあるでしょう。
どんなことがあっても気づかず、すっかり忘れてまた新しい100年が始まり、みんな同じように、一日が過ぎ、100年が過ぎ、次々に忘れてまた別れたり巡りあったりすることでしょう。

100年後いい出会いをしたいのですが、その時には過去は何もかもすっかり忘れてリセットされていることでしょう。
 
 
 

出版社からのコメント

あべ弘士さんの生命力あふれる絵と、
夏目漱石の「夢十夜」からインスピレーションを受けて石井睦美さんが書きあげた物語。
その文章に触発されたというあべさんが描く、鮮やかな絵。
絵本のダイナミズムと深い余韻を感じる作品です。
 
 
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「錦秋」 宮本輝 新潮文庫

2021-05-26 | 読書

 

 

悲しみを振り返る往復書簡。愛しながら離れてしまった夫婦が、過去と現在を少しずつ知らせ合い、次第に傷が癒されていく。
男女の愛情というものは、人の形のようにお互いの想いの形は少しずつ違っている。すべて都合にいいように理解できるものではない。振り返ってみて避けようがなかったことと、後悔も人生の一部だと受け入れていく。そうしなければ時間は重すぎる。

離婚して10年後、錦秋の蔵王のゴンドラで偶然出会った。二人は言葉の用意もなく分かれた。
こうして先ず女(勝沼亜紀)から長い長い手紙を書く。
(有馬靖朗)は、今の生活を知られたくない。無職で金に追われている。

亜紀はもう分かれた理由は分かっている、それで別れたのだ。靖明が別の女と付き合っていた、結婚後も続いていた。だまされてきた。だが靖明はその女と心中をして女が死んだ。そんな終わり方を許すことはできなかった。

その傷を忘れられないまま勧められて新しい夫を迎え、障害のある子を産んだ。

靖明は、青春時代を送った養子先で知り合った女が初恋だった。周りの目を引くような奔放な女に惹かれた。初めての恋などは自然に消えていく。だが靖明には二人の忘れられない出来事が結婚後も心に残っていた。
そしてふと逢ってみたいと思い、つながりが復活した。そんなことを書き送るようになった。
何度かの手紙で過去の出来事を書くようなっていく。

亜紀は靖明と分かれた後に結婚した夫も外に女がいた。息子の世話に明け暮れていたが、細やかさのない夫は子供をかわいがるように見えるが、夫婦のつながりは薄かった。

次第に過去から現在のくらしや心境を、知らせあうようになる。
靖明は何人かの女と交わってきたが、今の女と支え合って生きて行こうと思うと書く。
亜紀は今の夫と別れ子供を育てながら生きていくと知らせる。
そんな時間の流れが二人の手紙に書かれていく。

いつまで書いていてもきりがありません。いよいよ筆を擱くときが来たたようでございます。私はこの宇宙に、不思議な法則とからくりを秘めている宇宙に、あなたと令子さんのこれからをお祈りいたします。
さようなら。お体、どうかくれぐれもお大切に。さようなら。

人生には後悔はいくつもある。気づかないまま後になって気づくもの、故意に起こしたもの、運命だと諦めるもの、重くても軽くても、分岐点で進路を間違えたと気が付いた時には遅い。そんな中で生きて死んでいく。
その一つの形が手紙に中にあって、それは誰にとっても悲しみを生きることに繋がっていて共感を呼ぶ。
錦秋の蔵王があって、毎年四季を繰り返している。不意の出会い、そんな偶然で過去が繋がっても、思い出にして日常を生きて行かないといけない。そんな話だった。

 

 

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梅雨の晴れ間に

2021-05-25 | 山野草

しとしと降る雨は濡れなければ嫌いではないのですが、庭の草木の気持ちになると、やっぱり太陽を求めて少し首を伸ばし過ぎてしまって、折れるのではないかと心配になります。特に種から出てきた子供たちは特に伸びすぎます。今日はやっと晴れました。

 

この花のブログに参加してからは、美しい夢のあるお庭めぐりが楽しみです。今まで下ばかり向いて野草の観察をしてきましたが、木もあまり知らないし、大きな花を育てる庭もないし、園芸種はあまりわかりませんので、花の名前を見てはよく見かける花はこういう名前でこう植えるのかとお庭めぐりが楽しくなっています。

それに子供の頃親しんできた野生の花はもう見られないのかと思って、やっと方々探しまわって出会うと感激して写してきましたが、どうしても出会えない花があります。ネット上ではそういった花の写真を見かけます。こうしてPCの前に座っていても雨の日の楽しみが増えました。

それでまた晴れた今日は庭の花たちの観察をしました。

これは枯れかけていたので試しに根をきれいに洗って、春蘭の要領で

植えてみました。なんだか成功したようで、見ると花が咲いていました。

 

気をよくして、日陰で枯れかけていたので同じように洗って

植えてみましたが、どうも性質が違うようで

これはもう手遅れで駄目かも(´;ω;`)ウッ…

 

ユキノシタ

花好きでもこれは広がって困りものです。葉っぱの天ぷらは

おいしいそうですが、いろいろ薬効があっても食べる気持ちになりません。

お花は翁か少女かという不思議な形で、つい写してしまいます。

 

やっと咲きました、今年は色なしで素朴な姿です。

 

千日紅と間違う大きさで、手毬という名前も卓球台がいりそうです。

今年はピンク色に咲いていますが小さくて恥ずかしそうで可愛らしいです。

 

隅っこにカラーが威張って茂っていましたが、銀木犀の枝を切って

日当たりがよくなったからか、ミョウガがどこまでも増えていきます。

まぁ仲良く茂っていることだしミョウガの花を収穫するまで眺めています。

 

カラーをつくずく眺めてのぞき込んでいたら、中に変なものを見つけて

少しぞっとしました。よくよく見たらどの花の中にもあります。

なんだろうとあちこち調べましたがわかりません。

 

夕方になってもう気になって気になって。とうとう一つ花を切ってきて

プレパラート代わりにCDケースにいれ解剖しました。

カッターを今時備え付けている消毒液につけて花を真っ二つに。

中の青いものも真っ二つになりましたが種のような形状で

中の白い部分が子房のように見えます。蒔けば生えそうです。

でも根茎で増えるものでしょうカラーは。ただでさえ苞が渦巻いたような変な

花なのに、中にこんな緑の塊に角が生えたようなものができているなんて。

解剖しても何にもわかりませんでした。花が終わったら試しに

蒔いてみますけど。なんか変な奴感が去りません。

 

気をとり直して挿し木は、初めてなのにすくすくと育って

コンロンカばかり大きくなってきました。白い葉がひらひらして

綺麗なのですがこんなに元気だとコンロンカ畑でも作らないと('◇')ゞ

 

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「ネルーダ詩集」 田村とし子 翻訳 海外詩文庫 思潮社

2021-05-24 | 読書

 

溢れる言葉の前で俯いてしまった。素晴らしい詩は、スティーブ・エリクソンに教えてもらった。
唐突にスティーブ・エリクソンを読もうかなと思った。図書館でデビュー作「彷徨う日々」を見つけたので、やっぱり、めぐり逢いって変てこでおかしなものよね、呼んだわけでもないのに。と表紙をめくって読む気満々だった。それにしても横尾さんの表紙は慣れないものにはなかなかきつい、裸の男女の絡み具合が写実的で官能的で、その上に大きな怒りだか驚きだかの男の顔がなければ、貸出し窓でちょっと照れていたかもしれない。

話はそこではなくて、本文前の詩を読んで考えてしまった。これはこんな小説だったの。あらためて言葉にすればこれが現代の幻視作家エリクソンの始まりになるの。

それは、パブロ・ネルーダの詩

 旅人は自問した……
 もし一生が終わり、それまでの道程が無となれば
 悲嘆が始まったあの場所へ帰ることになるのだろうか?
 自分に与えられたアイデンティティをまたも散逸させ
 別れを告げ、旅立つことになるのだろうか?

本文を匂わせるような詩に違いないだろうと思いながら、薄々しか知らない南米のネルーダというノーベル賞詩人の詩はこれか、と肝心の本の中身を読む前に目と頭と心にこの詩が入ってしまった。
これは先にパブロ・ネルーダという人の詩から読まねば。また図書館を検索して、詩は詩人の田村さんの解説付きの詩集がいいと借りてきた。


詩集の表紙に代表作というかネルーダの詩が二編、こんな詩があったのかと、読みながら愛されるわけに頷きつつ。

マチュピチュよ おまえは
石の上には石を 土台には襤褸を敷いたのか
石炭のうえに石炭を 底には涙を
燃え立つ黄金 その中で震えているのは
大粒の赤い血の滴か

  (詩集 大いなる歌から マチュピチュ山頂)

歴史の下に沈んでしまったかつては生活があった町。産物も枯れ略奪と侵攻の跡はうずもれ、歴史の石や土や砂の底に眠ってしまった、写真などで見るたびに恐ろしく物悲しい遺跡をこんな言葉にした、埋ずまった風景を想い感じることができる。この詩を読んだ人たちもなにか厳粛な思いに気がつく。
ごく若いときに書かれた詩(「詩集 二十の愛の詩と一つの絶望の歌から」)は、セクシーで美しい、限りなく湧いてくる言葉を授かって生まれた人なのだと、この詩からも感じる。直諭暗喩を自在に使いこなす詩人はここから生まれたようで、女性の体を勢いよく詩にして今も読み継がれているという。

女の肉体(からだ) 白い丘 白い腿
その身をまかせたおまえの姿は 地球にも似て
おれの荒々しい農夫の肉体は おまえを掘りおこし
大地の底から 息子を踊りださせる

(詩集 二十の愛の詩と一つの絶望の歌)

膨大な抒情詩集、政治的な詩集、人々に呼び掛けた詩、ソネット、などの多くの詩集を残した。
ガルシア・マルケスは崇拝したネルーダについて、すごく困難な路地に入り込んでしまいながら,政治詩とか、戦争の詩とか彼が書いたもののなかにはいつも偉大な時があった。と語っている。
チリの政治を変えようとしてクーデターで亡くなったアジェンデにも触れて親友の死の後に亡くなったことを悼んでもいる。

自分の詩情に埋もれがちな詩人は多いがこうして外に目を向け実際に関わった活動的な詩人を知った。
もう少し多くの詩が引用されていたらなどと欲張ってみたが、田村さんの詩人論は心に残る詩人の姿を教えてくれた。勉強になった。

最後に、面白い詩を見つけたので。

たまねぎ
光っている丸い塊
ひとひら ひとひらの花びらで
お前の美しさは形づくられた
ガラスの鱗がお前を大きくしたのだ
そして 黒い土の神秘の中で
おまえの露の腹部は丸みをおびた
土の下での
奇跡であった

(……)

またわたしは忘れないだろう
おまえの存在がいかに
サラダの愛を豊かにするか
まるで 天が
おまえにあられのなめらかな形を与えて
トマトの半球体の上で
みじん切りにされたおまえの明るさをたたえているようだ
また 民衆の手にも届いて
油をそそがれ
わずかに塩をかけられて
険しい道で働く日雇い人夫の空腹を癒す
貧乏人たちの星
妖精の代母

(……)

長い詩なのでちょっとだけ引いてみましたが
この後
たまねぎを賞賛する 天然のクリスタルガラス
と続く

苦く悲しい哀悼の言葉を読んだ後は、こういう詩(たまねぎへのオード・海へのオード)を書いた楽しい詩人の時間を感じながら本を閉じたい。
 
 
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「奇妙な動物の話」

2021-05-23 | 読書
 
小心者なのに怖い本が好きで読んできた。 子供の頃に読んで、今でも思い出すたびに背筋が寒くなるのは、「猿の手」と御伽婢子の「牡丹燈籠」だ。
あの時も1989年出版のこの本を読んだのかもしれない、表紙は三本足の八咫烏(たぶん)のようで顔は耳が尖った狐だった。以後八咫烏もちょっと怖い。
 

コレコレと読んでみた。

名作「猿の手」については、題名が上がっていたり、引用されたりしていたので今では怖さもほどほどに薄まってきた。円朝作の「牡丹燈籠」は最近ドラマを見たがアレンジが過ぎたのかストーリーの陰になって恐怖感は薄れていた。

かもめ通信さん主催のコミュニティー文学部生物係に気がついて、「犬」か「猫」かと考えた時、題名のように動物が色々出るこの本を思い出した。犬も猫もいなくて「猿の手」があった!ということで(;^_^A

これも児童書かと思うくらい読みやすい。訳も相応にシンプルにしているのかと「青空文庫」を開いて比べてみたが内容について表現は違っても変わりなくて、かえって現代文のこちらがよかった。

いつものように雰囲気だけでもちょっと。

*ポー「黒猫」
気の優しい動物好きの男が豹変する。それも酒を飲んでは残酷に変身して、という、今時の理性を失うほど「キレる」男の象徴のような、心理描写にすぐれた話。ポーらしい。最後のシーンに戦慄する。

*マリアット「狼人間」
農奴の父が人を殺し、子供を連れて森に逃げ込んだ。呪われた森だった。そこで暮らしていた三人兄妹は、馬で通りかかった娘と父が結婚し、恐怖の生活が始まる。

*宮沢賢治「よだかの星」
醜い「よだか」は「たか」という名前のために虐められる。名前を変えろと迫られるのも悲しい。心優しい「よだか」は口に跳び込む虫を食べているが虫だってかわいそうで辛い。泣きながら空に昇り、力尽きて星になった。夜の風景描写も美しい。

*ジェイコブス 「猿の手」
三つの願いをかなえるという猿の手の話。
一度願いが叶いお金を得たので、手の呪いを信じて事故死した息子を呼び戻す願いをかけるが。

*キプリング「けものの印」
猿の神の像を汚した。その像の後ろから白い男が現れ抱きつかれた後で、胸に斑点が現れた。男は獣のようになってしまった。みんなでまた現れた白い男を捕まえて打ち据えると。

*フォルヌレ「草むらのダイアモンド」
蛍の幻想的な光が効果的。ホタルが光る小屋で逢っていた男が草むらで死んでいた。それを見た女も死んだ、二人の命が灯のように淡く儚く消えていった。

*エーヴァース「クモ」
向かい合った窓から見える女に惹かれていく男の心が徐々に死に近づいていく。これは曰くのあるホテルで、先に住んだ男たちが次々に死んだ謎を解こうと住んでみた男の話。カーテン越しに見える向かいの女に操られる様子が現実的で、究極の恐ろしい最後のシーンが印象的。

*森鴎外「蛇」
森鴎外が?怪談を書こうとしたのか偶然そうなったのか、よくわからないけれど、蛇嫌いなので、想像するだけで気味が悪い。
旧家の若婦人は気がふれた。仏壇の位牌の上にとぐろを巻いている蛇を見て、亡くなった姑をいじめた呪いかとおもったのだ。旧家に世話になってこんな話を聞いた。まだ蛇がいるという。新人類(?)の客は棒を持ってきて蛇を捕まえ、若婦人には精神科の医者を呼ぶように言った。

古い人間関係がつくりだした因習も絡めた鴎外の珍しい作品。こういうものを書いたことも知らなかったが、ほかにもあるのだろうか出典はない。

と調べたらなんと
『蛇』は鴎外の妻と母親、つまり嫁姑の不和を描いた『半日』の続編と言われている。森家の嫁姑の不和はよく知られたところで、家長たる鴎外は大いに頭を悩ませていたことだろう。


ということで「青空文庫」でも読める有名な作品だった(;^_^
 
 
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ユリノキの花

2021-05-22 | 山野草

市大の植物園が今月末まで閉園で、この分ならしばらくは開きそうにありません。

花の季節なのですが・・・。

近くの公園が拡張されて、脇道の両側にユリノキの並木ができました。なかなか花が咲かない幼木だったのですが、いつの間にか見上げるように大きくなって、今日そばの道から見るともう花はアップで写すことができなくなっていました。成長が早い木です。

 

チューリップツリーともよばれる

綺麗な花が咲いています。

 

広い薔薇園のある友人のところで「薔薇の会」という名前で同級生が毎年集まっていました。

持ち寄りの料理とお酒とカラオケの賑やかな会でした。残念ながら長く続いた集いも今は休会中です。

薔薇の名前を100くらいは言えるという薔薇好きの友人は100種を超すバラを育てています。

ふと温室を覗いていて、そばの大きな木の上の白い花を見つけました。よく見えないので二階の窓からのぞくと、白い珍しく受け咲の「オオヤマレンゲ」でした。持って帰っていいというので、運動部の元気な人が梯子をかけて折ってきてくれました。

 

名前のように蓮の花の上に人型が乗っているようで、蓮華の上に座っている仏像を連想しました。

それからは、この時期になると朴ノ木などモクレン科の仲間を探しました。

 

このユリノキもその仲間で、小ぶりですが黄色い模様があって美しい形をしています。

 

ユリノキと言えばポーの「黄金虫」でこの木に乗った髑髏の目から地面に縄を垂らして、宝物を見つけたのでした。葉が大きくて丈高くなる木がストーリーにぴったりだったのでしょうか。

 

志賀高原のオオヤマレンゲ

 


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クリスマスローズの種

2021-05-21 | 山野草

 

 

クリスマスローズの花にかけていた袋を開けてみました。

三個の個室に種が出来るようですが、今年初めて咲いた若い株だからでしょうか、一つの部屋に7粒入っているだけでした。

お互い種を作るのも、採るのも初心者同士です (^▽^)/

 

大きな園芸店が親切な動画にしては種から育て方まで教えてくれました。

実生だと半年後あたりで発芽するようで、発芽率は27%、これだと二粒弱です。若い花だから元気に芽を出すかもしれないと思って見ていますが期待はあまり膨らみません。

 

大体、自然の法則は種が地面に落ちる時が蒔き時なのかなぁと思ってしまいますが、人工的に交配して作り出される新しい品種は、もう原種の頃の習慣を忘れているかもしれません。

一応木陰に置いてみたり持ち出したり、覆いをしたりしてみようと思います。

 

掲載されている写真を見ると、どの花も美しく種類も多くて、クリスマスローズを集めて育てている人が、初めて種を採る話をすると「見に来て、種を上げる」と言ってくれます。

ついふらふらっと貰ってきそうになりますが、そこを我慢して。

 

自家製は初めてだし、じっと見ていると思いがけず黒いつやつやした種が、もうすでに可愛らしく見えます。

今ならアジサイなどもホント美くしい花がたくさん咲き誇っていますこれが揃って庭で咲いてくれたら嬉しいだろうと思うのですが、

どんな花が咲くかな、先祖返りということもあるし、二三年後に成長して咲いた時は、あの真っ白い花でなくてもまぁいいか、と今から気合いを入れています。

 

自然の中でも生き残りは難しくてそれなりの知恵を絞って今まで種をつないできたのでしょう。それぞれの花を見ると咲いた時の嬉しさと なんかちょっとしんどいことを背負った気がします。

どんな花が咲くか、その前にちゃんと芽を出すのか、育ての親になった気分で勉強中です。

 


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「影」 カーリン・アルヴテーゲン 柳沢由美子訳 小学館文庫

2021-05-21 | 読書

 

 

ノーベル文学賞を受けた作家の持つ光と影、その家族と、かかわった人々の人生。カーリン・アルヴテーゲンの5作目

 

カーリンの著作はシリーズになっていないので、順不同で手に入った順に読んできた。そしてここまできて、彼女の作品の拠り所というか底を流れる形が分かり掛けてきた。

 

まず何か障害にぶつかった後にそれを乗り越え、読者を安心させる。

生きていれば訪れる大小の逆境と思われる時期、人生の闇に落ち、憎悪し、悲哀の淵に沈むとき、その絶望と辛くも乗り越えてきた再生の過程などが形を変えて作品になっている。

小説というものはそんなテーマを繰り返しで、読者は主人公と共に悲喜こもごもの時間を過ごす。

 

ところが同じ作家の文章やストーリー運びに慣れてくると、ちょっと休みたくなる。

こんなことを言うと作品ごとに目新しい世界を作り上げるのは作家にしても苦しい仕事に違いない。よくわかっているが、そんなわがままでこの作家を一休みしていた。

図書館本の期限が来て、あとに誰も続いてないことで少し延滞しやっと読んで書き始めた。

 

「影」という題名もカーリンの世界だろうと想像した。

偉大なノーベル賞作家の持つ「影」だ。作家の名前を持つ家族、作家の栄光の陰で生きていく不自由な欺瞞の多い暮らし。そしてついに檻が崩壊して、落ちていく家族の姿がある。

 

子供の頃から、本はたくさんあった。ほとんど叔父たちの古い教科書や参考書、好みの文学書など。一冊だけ回し読みをしている月刊雑誌。そこには切れ切れの文豪作品の読みどころがあり、海外小説の翻訳本もあった。本は大切にし、床に置かず跨がず名文は覚えて朗読をする、そんな田舎暮らしだった。作家は見たことのない世界を作りだす偉大な創造主のように見え、成長して図書館の本棚に出会って驚き、少ない小遣いをはたいて溜めた本は、宝物のようだった。

 

作家が尊敬され、ましてノーベル文学賞を受けて世界に認められ、出す本は次々に売れてファンが群れ、生活は豊かになっていった、人々の想像通り偉大な世界を持つ偉大な作家になった時、人間離れをした実体が作られる。

現実の影はどんなものだろう。時が経ちそんな作家も作家でなくなる時がある。

影の真実の姿が出てくるときその顔は、予想した通りもうすでに光を失ったしなびた老人だった。

作家の栄光の余波で生きてきた家族、息子、嫁。

孫は陰におぼれて死んでしまい、同じように年取って頑迷な老婆になった妻はまだいた。

 

世評を覆すような過去が、長く使えていた家政婦から引き出されてくる。彼女は作家を尊敬しあがめていたが、大きな秘密を抱えて孤独に亡くなった。そこに後始末をする管財人の女性が部屋を訪れる。

秘密の顔はそこから徐々に現れてくる。

 

栄光と影を持つ偉大な世界的な賞は大きな光に照らされる。しかしそれは広く照らす光のわずかな一隅かもしれない。

 

大きな世界を作り出す文学作家、創造主に近づこうとする科学者たち。

それを探り超えようとする人間の知恵が顕彰される、ノーベル賞の影を描き出した作品。

人間の卑小な一面を見る濃い不幸を書き出している。

 


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庭の花つれづれ

2021-05-20 | 山野草

今日の庭の花は雨で喜んでいたり、しおれていたり。植物も生きる仲間だと思いながら、今日は写すだけ。

ワイルドストロベリー

小さな赤い実がなるのですが、グランドカバーにしたら

シュートが四方八方に伸びて元気です。

真っ白な八重のクリスマスローズが3年ぶりに咲きました。

あまり美しかったので、お茶袋をかぶせて種取りです。

茶色が透けているので晴れたら覗いてみます。

どこからか庭に種が飛んできてあちこちに生えます。

風に乗ってきたプロペラが着地したのでしょう。

これは赤い芽が鮮やかな種類で30センチくらいになりました。

ヤマアジサイも白から薄紫になって花も少し大きくなりました。

七変化が少し衣装を替えた所かな可愛らしい。

随分前にこの可憐さにひかれて買って来たようで。

ホウセンカベロニカ、元気に芽が出ています。

チゴユリ

もう亡くなった近所の山野草好きの方にいただいて

大切にしているのですが今年は咲きませんでした。

無くなるのではないかと心配しましたが、

山では目立たない花も庭に置くと貴重な花になっています。

 

ご近所だった二人の息子さんは遠くに進学して独立され

家は売家ののぼりが立ったと思ったらすぐに降ろされて

新しい家族に引き継がれました。

このばらを弟がきれいに包装して母の日に持ってきました。もう15年ほど前です。

母は体を悪くして同居していたのですが、優しい性格なのに口と頭は元気で

「もうそろそろかと、珍しく母の日を想い出して様子を見に来たんだね」

などと辛口でした。単身赴任で滅多に会えない弟が来たのに

まぁ素直に喜ばなかったこと。さすがの親子です。

毎年密かに期待して待っていたのでしょうか。

うちの庭の唯一の薔薇でツルバラですが

今でもおとなしく植木鉢で頑張っています。


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ナメクジ殺害計画

2021-05-19 | 山野草

毎日細かい雨が降り止まない。でもちらっと見たらバーベナの葉っぱがおかしい。

これは今年もいるな!!大嫌いな軟体動物。殻なし巻貝。

「今日はどこかに行った?」「うん ナメクジの餌を買いに」「餌?」

確かに一番おいしそうな高い奴を買ってきました。

「天誅だ!!」 一応やさしく「天に代わってお仕置きよ」

 

 

そうだ、外が雨ならキッチンです。

かれこれ一年、育ってます💛

新芽も出てきました、今年は咲くかな?

窓辺が気に入ったのか、いつまでも満開。

 


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