空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「新訳 説経節」 伊藤比呂美 平凡社

2018-01-28 | 読書





詩人伊藤比呂美さんの詩作品は、昔の詩誌で読んだことがある。性にまつわる言葉が力強く直説的にまた喩として埋め尽くされた詩で、生きる力が迫ってくる力作だった。
自分とはちょっと方向が違うかなと思い、その後すっかり離れてしまっていたが、時が過ぎた今「説経節」で再会した。
直接説経節を聞いたことがある世代、それに近い自分が今出会っていることを不思議に感じた、というより伊藤比呂美さんの名前を訳者に見た時は少し意外に感じた。

でも、若かった伊藤さんが、ここまでに味わった歳月を、説経節の中の男と女という形で自分に引き寄せている。それが詩の中にどんな形で描かれているのか近作は読んでいないが、個人の生活を開けてみせるようなその後の作品で、こういう生き方をしてきた人なのかと知った。

詩人、小説家エッセイストの伊藤さんが、言葉やストーリーに大きな関心を寄せる意味が少しわかり、内面から見た女を外から見た作品として、こういう形に結実していることを興味深く読んだ。
ここまでの生活はどういう形であっても、説経節三作を選んで、読みやすい現代語に訳し、その思いを登場人物に込めて自分の時間にも対比させているところに、自分自身も過去の時間を振り返り、お互い女として共通する思いが深かった。

説経節は巷を流れながら、結果的には庶民に仏の教えをとき、それを信じることで救われるという話が多く、わかりやすく物語にして節を付けて詠う、「説経節」の「キョウ」が「教える」という文字でないところがよくわかる。

私が育った河内にもその跡はのこっている。それは河内節・鉄砲節になって今も継がれてきているが、一世代前の人たちは辻々で語る鉄砲光三郎の河内音頭や鉄砲節で「河内十人斬り」を聞いたということだ。そういう事件があったことを初めて知った。
話がそれたが。
よく知られた説経節の「小栗判官」について簡単に。

☆小栗判官
 美濃の国安八郡(岐阜県)に鞍馬の毘沙門天に願かけて生まれた男の子は位も高く、その上美しく賢く育った。八幡の八幡様で元服し常陸小栗と名を改めた。だがなかなか妻が決まらない、21歳までに迎えて返した数が72人になった。

鞍馬に参って気に入るような妻を得よう。折よくそこで出会って手に入れた美しい姫は、深泥が池の大蛇だった。人々の噂にのぼりはじめ 常陸(茨城県)に追放される。そこで薬売りの後藤左衛門の紹介で照手姫を知る。

小栗はすっかり魂を奪われ恋文を出す。判じ物のような内容だったが非常に美しい文字だった。照手姫の下に通い始めたのだが、許しもなくということで、照手の父横山殿は大いに立腹、三男の三郎の悪知恵で国を与える祝い酒と称して酒に毒を入れた。姫も罰しなければ片手落ちと、牢船に乗せ念仏を唱えて相模川に流した。

姫の背後で千手観音が守り難を避けて情け深い男に助けられたが、妻の悪智慧で売られてしまう。下女の仕事をするがここでも千手観音の助けで生き延びている。

小栗は閻魔大王の一言で娑婆にもどれたが、三年の時がたっていたので、当時の身体は崩れて亡者のように見えた。その体に心は蘇ったが、歩けず目も見えず「餓鬼阿弥陀仏」という名をつけられ土車に乗せられた。

そこに立ち寄ったお上人が胸を見ると、熊野の湯に入れてやってくださいという閻魔様の札が下がっていた。
美濃の宿についた。そこからは様々な人に曳かれていくのですが、売られて流れて行った姫がそれを見た。誰ともわからない姿を憐れんで引いていくことにした。
「この者を一引けば、千僧供養、この者を二引けば万僧供養」と胸札に書いてあった。

姫は小栗なら引いただろうとしぶる長にから暇をもらって曳いていく。長にもらった暇もなくなり姫は泣く泣く引き返す。そこに修行の山伏が熊野まで引いていき湯に入れると元の小栗に返った。

そこに熊野権現が現れて二本の杖を買う。
小栗は館に帰るとその身なりを見て一度は追い払われたが、母と再会する。このうわさを聞いた帝から美濃の国を賜り、長の下にいき下女になっていた照手姫にも会い、常陸の国に帰る。
そこで長者として栄え、八十三歳で大往生を遂げた。

あらあらおめでとうございます。

この話は詳しい部分をすっかり忘れていたので簡単に残すことにしたが、熊野までの道中が地名を入れて節をつけて語られている。中に仏の教えや、徳行や善行を織り込み、時代を経るごとに次々に話を膨らませ、面白おかしく語っていった様子がわかる。これが説経節かとその面白さが少しわかった。

他に
 ☆しんとく丸
 ☆山椒大夫  が入っている。
 
しんとく丸と山椒大夫は、あらすじをおぼえているし、映画も見たので改めてほかの作品で読み直すことにした。

伊藤比呂美さんはあとがきで新訳を手掛けたいきさつにも触れていて、まず説経節にちなんだ詩を書き、その後訳を続けていて、池澤夏樹さん編集の「日本文学全集」に現代語訳を依頼されたそうだ。
説経節のリズム感や長い時代にわたって受け継がれてきた語りが読んでいても面白かった、あとがきを読んだだけでも知らないものも多くあって、今でも残っていることが興味をそそられる。




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映画 「ブレードランナー」

2018-01-27 | 映画
  
積読の山が増える一方で、山の方向に目を向けないようにしている。
でも今日のように小雪がちらつく休日はつい、部屋の整理がしたくなる。
まず本から。

で、また眼の端にいつもちらちらと見える『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が 気になる。

そこでちょっと外の空気を吸いに出てついでにDVDを借りて来た。

「ブレードランナー」

面白かった。

原作は1968年発刊
三度目のDVD最終版は1992年。

そして舞台は2019年。来年だった(*_*;

もうまったく人間と見分けがつかないまでに進化したアンドロイド(レプリカント)を判別しなくてはならない。確定した後のレプリカント狩りの壮絶なこと。人と見分けがつかないものを作り出し、血が通い、人と同じ精神活動を備えていても、殺さなくてはならない。

ロボットに生まれた悲哀と、ロボットを愛したブレードランナー(ハリソンフォードが若い)の矛盾した苦しみなどちょっと深みもある内容で、4年しか生きられないレプリカント作った人間の傲慢さも見える。

アシモフのロボット三原則はすでに霧のかなただった。

イメージが出来上がったところでそのうち読んでみよう。アンドロイドは電気羊の夢を見るのかどうか。







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蝋梅の香り

2018-01-26 | 山野草


蝋梅が暮れからぼつぼつ咲き出している。今年は冷え込みが厳しく各地で記録に残る積雪量のニュースが届いている。
関西地方は昨日風花が待ったくらいで、雪は積もっていないが、風が切るように冷たく蝋梅の花びらも細かく震えている。

この花が咲くとまた今年も花追いの季節が始まると思ってきた。
一年中時間を作って山の花を写してきたが、いつからか、蝋梅が咲き、まんさくが赤と黄色のはたきに似た細い花びらを伸ばして咲き、黄色い山茱萸が遠く煙のように見え始めると、少し気持ちが疲れるようになった。

でも庭の球根からおなじみの芽が出て、こんなところにいたのかと話しかけてみる。

秋に植えたビオラが寒さで頼りなく俯いていると、来年からは春の兆しが見えてきてから植えようと思う。
毎年の花の命の継承と、同じような思いが浮かんでくる。

それでも、今年もいい花と出会えるように、一年の花の見どころを選んでみたりする。





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何かがおかしい 

2018-01-25 | その外のあれこれ

夜の10時から2時に成長ホルモンが出るそうな。
10時過ぎに眠くなって寝てしまった。
気持ちよくパカっと目が覚めたので、服を着ていざと思ったら何かがおかしい。時計を見ると1時半だった。
半端に目が覚めると眠れないもので、いつものように「中二階」でベイカーさんに教わった羊数えを始めた。
広い野原の向こうに「羊が一匹・・・二匹・・・」百まで数えて、さぁ羊がみんなでこちらにやってくる。
だんだん近づいてくる。
足元まで来たが眠れない。
明日の予定はキャンセルだな。本でも読もう。

「ブラッド・メリディアン」
名無しの少年が、ホワイト大尉のインデアン討伐軍に入る。メキシコの砂漠を歩く、歩く。
荒涼とした砂漠を歩く、インディアンに襲われて死屍累々、無人になった家や崩れた教会がある村を通りかかる。
少年はそこで乾いたのどを潤し残った食料をあさる。

これでは眠れるわけがない、と思いつつ、
何もない荒れた土地をただ歩いていく軍列を描写するマッカーシーが面白い。

ちょっと人生あれやこれや、マッカーシーに触発されて、生きているこの宇宙のことなど思っていると三分の一くらいのところでとうとう夜が明けた。




  




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「夢枕獏の奇想家列伝」 夢枕獏 文藝春秋

2018-01-24 | 読書

 

  時代は様々ですが、印象的な人達を大雑把に知ることができました。夢枕獏さんの選んだ奇想家は獏さんの書籍関連のものが多い、時間を作って読んでみたいと思ったけれど。参考書のように広く浅く、面白かった。


見逃したという前に知らなかったが、NHKで放送したという「知るを楽しむ、この人この世界、夢枕獏の奇想家列伝」を本で読んだ。
放送後にテキストを活字にしたもので、簡単な案内書・入門書だった。
ただ残念なことに画像がない分文字で知ることになるが、少し添えられている写真が参考にはなる。
先に読んだ「弘法大師空海と出会う」の時にネットで空海歩きをしたのでこの本も見つけていた。幸いすぐに図書館で借りられた。
奇想家で思い浮かぶ人物は多いがここでは獏さんの好奇心が向かった人々や、その足跡を辿ってみた人が集められている。

☆第1章 玄奘三蔵 ―― 知に駆り立てられて
 いつだったか俳優が訪ねて、砂漠や山を越えていたのを過酷だなと思いながらTVで見たことがある。玄奘三蔵はウイグル自治区からインドへ、山を越え砂漠を歩く旅の末に経典を持ち帰った。もちろん猿も豚もかっぱもつれないで。その後20年かけてそれを翻訳した傑物、こうして知ればやはり奇想家だった。
私はいつかウイグル自治区という所に行ってブドウを食べたいとちっぽけな望みを持っていたが、計画倒れになった。経典とブドウ、比べるまでもなく小さ過ぎた(/ω\)。

☆第2章 空海 ―― 日本が生んだ最初の世界人
 三筆の一人立花逸勢に頼まれ帰国嘆願書を書いた。字がうまいだけでは用をなさない、空海の多才に驚く。
最澄と並んで語られるが、情の最澄知の空海という書き方で、友達になりたいのは空海だろうというのも面白い。なんでも一人でできる空海の開いた高野山はいったん寂れ、やり残したことが多い比叡山の天台宗は優れた弟子が継いだ。まさに最澄は傑物が補佐した三国志の劉備玄徳タイプだったのかな。

☆第3章 安倍晴明その一 ―「呪」の力
文字の多い岡野さんの漫画を読んで面白かった(これで小学館漫画賞を受賞されたかと)その後清明というとアンテナが動く。この原作者で夢枕獏さんを覚えたのだが、その後映画にもなり、親しみが増した。

☆第4章 安倍晴明その二―五芒星の道
五芒星の歴史が面白い。陰陽道が古代人の生活に深く結びついていたことがわかる。

☆第5章 阿倍仲麻呂―文明の絶頂を見た人
この人はきっと楊貴妃に会ったのだろう、李白も王維もいた時代に楊貴妃の華の時代と悲劇を見たに違いない。安禄山の変で衰えた唐の時代から次に興った新しい皇帝の時代に仕え、日本に帰ろうとして帰れずベトナムに流れ着いた。墓のありかもわからないがそれはそれで悪くない生涯だったように思う。

☆第6章 河口慧海―カタブツだからできたこと
 そのころ誰も行ったことがない「チベット」に初めて行って経典を持ち帰った。明治時代の人と知ってびっくり。この人を通してチベットは親しい国になった。

☆第7章 シナン―神が見える家
「シナン」知らなかった。カッパドギア地方で生まれたキリスト信者。
オスマン帝国の拡大とともに従軍し各地で建築を見てくる。四角い建物の上に丸いドームを作る技術で多くのモスクを作る。丸天井を石で作るのは難しそうで素晴らしい。   

☆第8章 平賀源内―才能がもたらした悲劇
  エレキテルというのは電気のことだと思っていたのだが、摩擦で電気を発生させる機械のことだった。恥
いろいろ好奇心旺盛だった出した人だが、エレキテルの利用は思いつかなかったそうで、コイルを巻いて磁石を作ったことぐらいしか知らない私はこのところはよくわからなかった。
長崎留学で進んだ文化を見たということが平賀源内の生涯の方向を決めたようでだ。

日本から出発した奇想家がほとんどですが、世界に目を向けると、私の乏しい知識の断片だけでもめまいがするほどで、これが作家、冒険家、歴史家 思想家などなど奇想の上に奇行までつければ一生読むのに困らない奇書が聳え立つのではないかと想像してしまった。




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1月10日 八尾市に「しんとく丸」ゆかりの鏡塚を訪ねました。

2018-01-24 | 山野草



国史跡 高安千塚古墳群 俊徳丸鏡塚古墳(大窪・山畑27号墳)

平成27年(2015)年3月10日に高安千塚古墳群の大窪・山畑支群内の1基として、国史跡指定されました。6世紀に造られた直径15m、高さ3.8mの円墳で内部は右片袖式の横穴式石室です。高安千塚古墳群中で構造・規模ともに典型例となるものです。
 また、この地は謡曲弱法師、浄瑠璃摂州合邦辻の舞台となった俊徳丸伝説の地です。日本画家で、身体障がい者の社会復帰に力を尽くした大石順教尼(1888~1968)の依頼で實川述若(二代目)や松本幸四郎(七代目)、尾上菊五郎(六代目)といった著名な歌舞伎役者が寄進した焼香台や手水鉢、灯篭の竿石があり、文学史跡としても貴重です。
                      平成29年3月
                     八尾市教育委員会   









小雨が降る寒い日でしたが、俊徳道にある知り合いの店で用事を済ませてその足で高安まで行ってみました。覚えている高安の地はすっかり住宅地になって、鏡塚は周りを家々に囲まれていました。
やはりここは、説経節にうたわれた「しんとく丸」伝承の地といえるかもしれません。
昔むかし高安長者が住み、俊徳丸が少年時代を過ごしたところを現代にしのぶのは少し難しく、修行にやられた信貴山を山すそから望むと、雨霧に霞む信貴生駒山系だけが、俊徳丸の物語を伝える風景として当時をしのぶことができました。





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「ニジンスキーの手」 赤江獏 角川文庫

2018-01-23 | 読書




今年早々にバレエダンサーの友人と話していて、ニジンスキーを思い出した。

「ニジンスキーの手」で登場した赤江獏さんは亡くなられたけれど、何冊か集めた本がある。再読してみようと思った。
少し古いが買いなおすこともないかと思ったが、奥付を見ると昭和60年の5版だった。でも再版されているということはファンがいるのでしょう、嬉しかった。

赤江獏さんの作品は、少し時代は新しいが、乱歩やそのあと読んだ高木彬光の「刺青殺人事件」のように、異常な物語が醸し出すホラーに近い雰囲気は、なにか初期の探偵小説が持っている薄気味悪さに通じる暗い雰囲気が漂っている。
この頃の作品は、背景が古典芸能などの、作者の好みや趣味というには深い世界が背景で、その中で主人公たちが巻き込まれた事件を題材にしている。芸事に精進する人たちならではの一途な生き方が、次第に暗闇に迷いこんでいく様子や、芸の世界で競い合う人間関係のもつれや、人間の持つ業や宿命といった日本的な悩み苦しみの世界が、少し胸につかえるくらいの濃い筆遣いで書き表されている。そこが魅力でもあり、読後の昏さにともに落ち込みそうになる不思議な魅力がある。

☆獣林寺妖変
 五山の送り火の火床の跡が残っている、京都の船山の麓にある獣林寺への山道を、務が崇夫と登ったのは霙が降る冬だった。獣林寺の方丈の広縁の天井は桃山城から移したもので、そこで自刃した人たちの血痕が残っていた。ところが最近の調査で古い血痕の上に新しいものが見つかったと話題になっていた。

務と崇夫は大学卒業と同時に歌舞伎の世界に入った。今は名題試験を通り独り立ちできてはいるが、カレッジ俳優という枠から出られなかった。美貌と才気を認められつつあった崇夫は明木屋の部屋に入った。しかし彼は乙丸屋の持つ魔の世界、神通力に魅せられた。乙丸屋がめったに演じない「滝夜叉」を見たいと師匠に頼み込んで断られ、のぞき見をしたが詫びを入れて事なきを得た。その裏には部屋ごとの濁った見栄がうかがわれた。顔見世の前日崇夫が失踪した。
途中で崇夫は「女形をやめようかと思う」「泥海だなぁ」というような言葉を吐いていた。
崇夫は乙丸屋の芸におぼれるあまり、乙丸屋の男と寝た。
務もその男と関係した、崇夫を知るために。
そして血天井に新たな血が加わった。

☆ ニジンスキーの手
 戦災孤児だった弓村高は暑熱に焼けそうな上野公園でロマノフに会い養子になった。ロマノフには逆光の中を野猿のように走り跳ぶ高の肢体は空中に浮いているように見えた。

弓村高はロマノフによって古典バレエの技術を叩き込まれた。ある冷え込んだ雪の日ロマノフが死んだ。
わずかな遺産で東京バレエ学院に入り、三か月後アメリかのギド・ジャストレムスキーの目にとまりその舞踊団に入った。
ギドは古典バレエの基礎を厳しく納めながら現代舞踊の講演をこなし、この性格から《双頭のギド》と呼ばれた。それは伝統があるイギリスやパリの舞踊団とも互角に組める実力があった。
弓村高はここで開花した、21歳で2百人以上いる団員の中で主力のプルミエールになった。

彼は往年のニジンスキーの再来を思わせニジンスキーの特質はまさに彼のものだった。
回りがニジンスキーとの結びつきを感じたのは彼が振り付けた「クレタの牛」だった。
それはニジンスキーが振り付けた「牧神の午後」を彷彿とさせたが、彼は動じなかった。
過去にこういうことはあっただろう。ニジンスキーの演目が彼にあっていたということもある。

彼の「クレタの牛」の後観客が湧いた。
ギドは弓村高の「クレタの牛」に手を入れた。
弓村高はそれを踊ることはギドに成功を譲ることになる、アメリカ財団の保護を受けているこの舞踊団のボスに抗うことができない。彼はいったん心を鎮めた。

次の舞台で弓村高は、ギドの真意を知った。ギドが仕掛けた挑戦は、新しい「牛」をアンコールでも完全に踊りきることだった、最初から最後まで。そこで初演の感動をさらに高めなければならない。ギドの赤毛が燃えていた。

翌朝、新聞はギドの事故死の記事が出た。
一紙は弓村高のつよさをアメリカの政治的現実と重ね合わせた。
一紙はニジンスキーと並べていた。

風間徹は弓村高から連絡を受け取った。今の境遇の違いは大きかったが、かつては孤児院の仲間で友達だった。
記者に囲まれて弓村高は「お忍びできたのだがぶち壊しだ」といい「目をつぶってろよ」という18年前の弓村高の口癖で言った。

弓村高にスパイ容疑がかかった。「クレタの牛」の舞踊賦が素人には読み解けなかったこと、唯一残っているニジンスキーの未発表の舞踊譜の盗作ではないかというのだった。
彼は作譜を手伝った団員の証言で容疑は晴れた。だが記者の前でニジンスキーとの類似点を列挙することになった、疑は晴れたが、その席で弓村高は思う以上に「その手」に掴まっていることを実感した。

弓村高が自分の舞踊譜には「一頭の神」と名付けるといった。

ニジンスキーの日記には、彼は自分のことを神だと書いていた。彼の狂いかけた頭脳はこの神という言葉に支配されていたのだろう。弓村高もなぜかこのタイトルにした。

譜にストーリーを付けてほしいと風間に弓村高はいった。風間は冴えない地方局の台本書きだ。自信がなかった。
化野念仏寺をモチーフにして。と弓村高はいった。

雪の朝、一人の記者が念仏寺で死んでいた。弓村高のところにも警官が来た。

ここからがミステリとしての最終章。
殺人事件が起こった。

この弓村高とニジンスキーとギドをからませたバレエ界と舞踊家の題材は、他の多くの作品に流れている妖気が薄れている分、それぞれの心理描写が面白く短いけれど読み甲斐がある。

京都の見どころもさりげなくはいって雰囲気を高めている。

だが、読み終わると作者の意図はあまり成功したとは言えない、しりすぼみ感がある、短編のためか軽く終わっているのが惜しい。

他に

☆禽獣の門 
 能のシテ方の家柄だったが、そこを飛びだして暮らしている男の話、その男に惚れた女。男も彼女を愛して結婚した。
前半は二人の甘い暮らしがあり、後半は男が墜ちた妖しい世界になる。
何か腑に落ちないエピソードが移っていき、言葉や雰囲気は読ませるが、現実的な目で見れば世界観が受け入れられないところまで広がっていく。

☆殺し蜜狂い蜜
 タイトルは主人公の書いた詩のタイトルでこれで大きな賞を受けた。
だがこの詩にはいわくがあり、もう一人の主人公との関係が終始よじれているのがこの作品だ。
しかし無理やりな感じもあり、あまり面白くなかった。世間と距離がある伝統芸能などを題材にする作家でその死生観も色濃いが、耽美、妖気ふんぷんとした文章力は素晴らしく好きだか、アングラ演劇を指導する詩人や、集蜜家に題材をとってストーリーに絡ませてはいるが、下半身を蜂に刺されて興奮するシーン、など特異な人格形成は馴染みにくい。



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「木漏れ日に泳ぐ魚」 恩田陸 文春文庫

2018-01-16 | 読書


アパートの部屋から明日出て行こうとしている二人の気持ちを、交互の独白で表現する。
そこはもう荷物を出した後のがらんとした最後の一夜の部屋は、非日常の見慣れない夜である。

こういう形式は珍しくないが、それがお互いが殺人事件の犯人ではないかと密かな疑いの気持ちが潜んでいるとしたら、展開が気になる。

その上、ふたりの間柄を知ると、男女の微妙な心理が、思い切り不思議な雰囲気を醸し出していく。

事件にふれる過去の風景に徐々に迫っていく心理は、恩田さんらしく息が詰まるようだが。
ストーリーを追うものにとっては、事件そのものは少し底が浅く、途中までは退屈する。

殺人と書いたが事故死で処理された出来事に、二人が深くかかわっていることが少しづつ明らかになっていく。

二人が山歩きのガイドに選んだ男が崖で足を滑らせて死んだ。偶然男は二人の父親で、この二人は双子だった。血縁の二人が成人してめぐり逢い同居をを始める。
と書いたが ネタばれにはならない。これから続く話の進め方は技巧的でそれが恩田的にうまい。

次第に心の奥に芽生える微妙な心理、他人だと割り切れない感情が生まれる。
これを形を変えた悲恋と読むのは現代的ではない。昔の道徳観や倫理観に縛られた時代ではないと思うこともできるが、やはりこの二人は、別れることに何か心残りがある。


ブーン、と音がして台所の換気扇が回り始めた。
毎日聞いていたはずの音が、やけにうるさく、大きく感じられる。
少しずつ空気が入れ替わっていくのと同時に、二人の歳月が薄まっていくような気がした。明日、この部屋は無人になり、また新しい誰かが入る。ここで僕たちが過ごした時間は、もうどこにも存在しない


その上複雑な家族関係が影を落としている。

というストーリーで、恩田さんがこの話を思いついて書こうとした気持ちがよくわかる。
この設定で、ここまで読み進められる技術に引きずられて、やっと読了した。

でもありそうな話が次々に重なって、いびつな家族の形の中で育った二人の関係が、徐々に明らかになっていく。
それもあまり目新しいものではないが。

殺人か、人為的な事故か、少しの謎が隠されているがそれも動機としては浅い。

読むのをやめようとして、それでも読んでしまった。
最後まで謎解きが残るし。
あれこれといいながら、やはり筆の運びに引き摺られたられたようで。こういう謎解きや、二人の男女の禁断?の恋愛に近い感情を醸し出している作品は、人気があっても不思議ではない。

爽やかな印象を受ける題名は作者も気に入ったのか、結末の部分で、幻想的な木漏れ日の風景が爽やかな別れを演出している。

ただ面白かったのかどうかおかしなレビューになったが、いまいち感のある話で残念だった。
書店を歩いていると恩田さんの作品は題名に惹かれて買ってしまう。



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「遣唐使船の時代」遣唐使船再現シンポジウム編 角川選書

2018-01-11 | 読書


学問的な関心よりも「空海」関連の書籍を読んでみようと手に取った一冊で、古代の国から東アジア大陸から文化を取り入れ、新たな歴史を刻もうとした時代には、夢がある。
そしてその夢の実現に命を懸けて挑み、持ち帰った文化の多くの進んだ情報がどんな形で残っているかということも興味深いものだった。


復原された遣唐使船は奈良時代の遣唐使船と同様に、五月八日に大阪(往時の難波津)を出航、瀬戸内海、博多を経て、五島列島に至り、東シナ海を横断し、六月一二日には無事上海に到着して二一世紀の日中友好関係の新たな歴史の使者になった。本書は主に人を通じた遣唐使の交流をテーマに紙上に再現したものである。

空海の足跡を知ろうと読み始めたが、こういった時代背景ををざっと知り、遣唐使として大きな危険を負いながら、日本の国際化の一端を担った人たちの歴史を読んでいった。

昔の学習の記憶が、おぼろげに蘇る人々の名前を改めて読み、そういった著名な人たちの陰で、当然ながら船を支えた多くの無名の人々がいたことも忘れてはいけないと思う。



遣唐使船で往来した人物群像。歴史を変えたその超人的な活躍を追う!
阿倍仲麻呂、吉備真備、最澄、空海、円仁そして鑑真。遣唐使船が行き交った古代の東アジア・ネットワークと、唐の文化を移入した遣唐使、留学僧らの超人的な活躍、その精華として結実した古代文化を描く。

〈目次〉
   はじめに
第1章 遣唐使と古代の東アジア──鈴木靖民
  1 遣唐使の時期区分と性格
  2 文化移植と東アジア情勢──第一期(七世紀中葉・後半)
  3 東アジア国際社会への参入──第二期(八世紀)
  4 最先端文化の導入と日本的信仰システム──第三期(九世紀)
  5 東アジア・東ユーラシアへの広がり

第2章 遣唐使と天平文化──上田正昭
  1 大仏開眼供養会
  2 遣唐使と平城遷都
  3 春日大社と遣唐使

第3章 遣唐使と歌──平群広成と阿倍仲麻呂をめぐる夢想──上野 誠
  1 春日山と御蓋山
  2 平群朝臣広成のこと
  3 阿倍仲麻呂の登場

第4章 遣唐留学者の役割──森 公章
  1 遣唐使と留学者
  2 吉備真備
  3 弁正と秦忌寸朝元

第5章 来日した唐人たち──榎本淳一
  1 来日唐人の全体像
  2 遣唐使時代の外交制度と来日唐人
  3 日本と朝鮮諸国における唐使

第6章 最澄・空海と霊仙──武内孝善
  1 延暦の遣唐使
  2 最澄の入唐求法とその成果
  3 空海の入唐求法とその成果
  4 雲仙三蔵の入唐としその足跡

第7章 阿倍仲麻呂と玄宗、楊貴妃の唐長安──王巍
  1 阿倍仲麻呂
  2 阿倍仲麻呂と唐の長安城
  3 唐長安城と平城京、平安京

第8章 最後の遣唐使と円仁の入唐求法──田中史生
  1 国際交易時代の遣唐使
  2 円仁の求法活動を支えたもの

第9章 遣唐使と唐物への憧憬──河添房江
  1 「唐物」の初例と遣唐使
  2 『竹取物語』と遣唐使・唐物
  3 『うつほ物語』と遣唐使・唐物

最澄と空海は同時期に唐に向かった。だが同じ密教であっても受法してもち帰った教え(経典)は少し異なる、しかし最澄は天皇の信頼も厚く世に受け入れられた。天台宗の祖となる。
一方空海は、二十年予定の留学生生活を三年で切り上げて帰朝した。恵果和尚から伝授されたすべてと「胎蔵、金剛界」の灌頂を受けて経典と曼荼羅をもって帰朝した。真言宗の祖となる。

一度帰ろうとして帰ることができなかった阿部仲麻呂は、玄宗皇帝・楊貴妃の時代に高官にまで上り詰め唐に骨をうずめた。墳墓などの遺跡はいまだに発見されていない。

二度唐に渡った天才留学生の吉備真備も、様々な文化(暦法や楽器など)を持ち帰り、大仏建立にも関わり、多少の紆余曲折はあったものの恵まれた生涯を終えた。

興味深くとても楽しんで読めた。




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HNことなみ

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「身毒丸」 折口信夫 

2018-01-09 | 読書



附言より
説教節や伝説を小説形式にしたことに言及されています。
「この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去って、最原始的な物語にかへして書いたものなのです」

この附言は短いものですが解説も親切で、伝説からひも解く「しんとくまる」の話は、時間とともに様々に変化して来たことが、学問的な経路を見ると興味深く思われます。

謡曲の弱法師(よろぼし)が説教節に採用され、また一方では浄瑠璃になり、現代でも演じられる芝居に脚色されたというように、形を変えて残っていることが、どの時代でも庶民に受けいれられてきたのを感じます。

また、「しんとくまる」という名前も、漢字表記では、伝説だったものが時代が下って新しい形式に組み込まれた後、それぞれに文字が変化していっているということが、とにかく長い歴史を経た月日が感じられます。

俊徳丸という文字は、のちの当て字としています。

私が通勤通学に乗っていて、今も利用する近鉄には「俊徳道」という駅があります。
ここから、伝説が残る「高安駅」まではあまり遠くありません。身毒丸の一行が祭礼の折などに立ち寄った街道のひとつだったのかもしれません。

話がそれましたが、このように、伝説や弱法師という流れから見れば、身毒丸という文字表記はストーリーの意味に近く、わかりやすいと思えました。

この附言にあるように、身毒丸の小説は、高安長者伝説とは少し異なった部分あるように思えました。

説経節にうたわれる伝説では長者の子供が悲惨な業病に憑りつかれ、四天王寺で浮浪生活を送り、ついに観音菩薩に救われるという話で、伝わる過程で脚色され、時には信仰による救いに昇華することによって庶民に受け入れられてきたように思えます。

継子苛めや、ライ病に冒されて捨てられる境遇が、説教節では、避けがたい生来の受難が物語に力を与え、身を落とす前の四天王寺奉納で舞う華麗な姿から、次第に零落していく悪運もまた、底辺にあって運命に左右され続けた庶民には受け入れやすい物語であったろうと思えます。
身毒丸という文字にしたことで一種の象徴になったこの小説は、伝説とは別の舞台で演じられる物語のようです。

こちらは父親に捨てられ、親から受け継いだ病を持ちながら、田楽師の一行に交じって旅をするという話で、身毒丸は可愛い童から美しい若者に成長していく。そこに一座の親方である師匠との妖しい関係を示唆しながら、自然な成長で、幼子からいつか大人に近づいていく。
当時の祭りに奉納される田楽舞の風景や、舞楽を演じる流浪の芸人であって、下層にいながらもより下層の集団の中で生きていく、そんな人々の中で幼児のころから育っていく過程や、狭い旅の途中の風景が何か特殊な日常に隔離されたような世界に紛れ込んでいく。夢か現かという物語を作り出していく。
父親はこの世界から逃れてしまい、彼は孤児で育っても自然な性徴が見せるのだろう、不安定 な時期の女性に対する憧れは感覚的で幻想的な風景を見せる。物語は彼の一座だ折々に立ち寄る道筋の出来事を語りつつ終わっている。

外国にも社会集団から滑り落ちたロマなどと呼ばれる人々がいるという。人類共通の生活意識からまるで隔絶されたかのような環境にある人々のような、何か不思議な感覚を持っている身毒丸の世界。あるいは人になってから長い歴史を重ねてもまだ深層の心理の底には、自然の中に生きた生活の痕跡や回帰本能があるのかもしれないという宇宙感のようなものを書き出そうとしたのだろうか。

説教節や歌舞伎の形からは少し距離があるように思える「しんとくまる」という話を礎にした、とても興味深い人の悲しみが伴う話だった。

私の育った地に近いところに残る伝説がもとになっている高安には「鏡塚」という史跡も残っているという。

「死者の書」の一種の宇宙観を伴った物語の幽玄ともいえる雰囲気にふれて、感銘を受けたが、説教節という今に残っている話の歴史を、これからももう少し拾い出して読んでみたいと思う。



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