空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ゆっくりさよならをとなえる」 川上弘美 新潮社

2019-12-30 | 読書
  



一編が文庫3ぺージに収まる長さで、ほっと心が休まるエッセイ集。
あ~そうですそうですと、思い当たるようなちょっとした出来事や、出先で見聞きしたことなどが書いてある。
中でも川上さんが引用されている本は、読みたくなってしまう。

好きな食べ物は飽きるまで食べる、なんかそのこだわりが良く分かる。私も米粉パンを卒業して今は塩バターパンに凝っている。

どこを読んでも、川上さんの人柄がにじみ出ている。拘らない楽そうな生き方や、作家で主婦でお母さんの、ゆったりした毎日が微笑ましい。
身近なものに向ける視線もユーモア含みのほっとする文章が納まっている。

" 織田作之助の「楢雄は心の淋しい時に蝿を獲った」にふれ、そうやって楢雄は自分の不器用な生をめいっぱい喜んでいたんじゃないだろうか、その人の奥底も知らずに、と思う。
少し淋しかったので風呂場に潜んでいた蚊を潰した。”

言葉で書いてある「あやとり」をやってみる。

そして再び小説に、もどる。安らかさとは正反対のところにある営為に。正反対にあるからこそ、いっそのこと安らかなのかもしれない、営為に。


博物館に行ったり、古本屋をめぐったり、昼顔を見たり、漫画の欠けた巻が近所ではどこにもないので、電車に乗って探しにいく。

あてもなくのんびりと電車に乗って隣りの町に行くことを信条としている私の人生が、たった一冊のマンガによってすっかり血走ったものになってしまった。



”「田紳有楽」という本を借りた。仰天したままその日のうちに本を読み終えた。「すごいね」とマリ子さんに言うと、マリ子さんはエヘへと笑った。以来私は「田紳有楽」という本を愛してやまないのだが、いまだにその全貌をうまく把握することができない。なんだかわからないけれど、小説ってものは、やはり凄いな、と私は思ったのだ。”


数えてみれば全部で59編あった。218ページにそんなに入っているのに、楽しく暖かい。

最後に詩のように日々の生活から切り取った言葉が並んでいる。
”(略)今まで言ったさよならの中でいちばんしみじみとしたさよならはどのさよならだったかを決める(決まったら心の中でゆっくりさよならをとなえる)

連載エッセイを書いていて、最後の回になると、私はさみしくてたまらなくなってしまいます、表題作も連載最後の回に書いた文章です。” 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ある一生」 ローベルト・ゼーターラー 浅井晶子訳 新潮クレスト・ブックス

2019-12-29 | 読書


アンドレアス・エッガーという男の生涯は幸せだったというが、読んだ後になって、彼が過ごした年月の跡は心の底に雪のように積もって、思い出すごとにじわっと暖かい思いと感動が湧きあがってくる。


アンドレアス・エッガーという男の物心ついてから死ぬまでの物語。

生まれて死ぬということは命の継承ということから見て自然なことだ。それを運命とか宿命と名付けて生涯の時間の経過に乗せて、様々に人は過ごしていく。そしてこの物語のように一人一人の人生がある。

エッガーは周りの影響を受けない。相対とか絶対という言葉の外で生きていた。人の思惑や環境はどんなものでも彼は向き合うことはない、ただ心に深く焼き付いた出来事は時々浮かび上がっては来るが。
生きていくために、働くことは必要であり、厳しいアルプスの麓では冬の脅威にさらされることもある、寒さの厳しい村では生活の知恵は備えていなくてはいけない。
それだけが彼の暮らしを支えるもので、言葉にするほどの自覚があるかないか内省というものも乏しい本人には定かでもなく、いわば「生きることはそれなりに、なるようになっていく」という素直な流れに沿って歳を重ねていく。

野心や向上心という言葉は多分知らない。記憶もバラバラでとりとめないが時々強烈に思い出す風景もある。

母が死んで私生児だった彼は街からアルプスの麓の農場に連れて来られた。義理の叔父がいる牧場で働きながら成長する。愛情のかけらもない折檻は太いハシバミの枝でつくった鞭で打たれることで、ついに右足を骨折した。

言葉も知らず文字も読めなかったが小学校に入り言葉を覚え、それを並べて少しずつ文章にすることができるようになった。
足のことをからかわれながらも13.4歳になると背丈が延び筋肉がついて力仕事が成人並みに出来るようになる。

エッガーは逞しかったが緩慢だった、ゆっくり考えゆっくり話しゆっくり歩いたしかしその後をしっかり残した。それもその種の跡が残るべきだと考える場所に。
脚は曲がったまま治らず、あたかも右足だけが、体のほかの部分よりも一拍だけ長い時間を必要とするようだった。一歩踏み出す前にまず、そんな苦労をする甲斐があるのだろうかと考えねばならないかのようだった。。

牧場のおばあが言った。「成長するにつれてもとに戻るさ、人生のすべてと同じようにね。」あばあが死んで牧場主が言った「どこへ行ったか分からないが、これでよかったんだ。古いものが死ねば新しいものの場所ができる。そういうものだしこれからもそれは変わらない」
馬が暴れ、おばあの柩が開いて転がり腕が外に突き出してそれがエッガーに別れを告げているように揺れていた。

エッガーは少しずつ貯めた金で谷の向いの石だらけの小さな土地を買う。牧場主には「俺を殴ったら殺す」と言ってそこを出た。
エッガーは、屈強な肉体を持ってはいるがいつまでも片足は不自由だった、心は自由になった、地位も名誉もないが。
星空を見上げながら未来を思った。何一つ期待しないからこそ果てしなく遠くまで広がっている未来のことを。

あの時エッガーは30過ぎ、二月の厳しい寒さで雪が深い日ふと予感がして山羊飼いの小屋に行ってみる。そこでやせ細った山羊飼いのヨハネス(ヤギハネス)が瀕死の状態で横たわっていた。エッガーは山羊を運ぶ籠に乗せて麓に運ぼうとする。すでに死の国に片足掛けていたようなヤギハネスはエッガーが転んだ隙に逃げ出して、山を駆け上っていく。「どこに埋葬されても同じことだ食いちぎるような寒さ、一番に魂を食いちぎられる。骨や心や魂や一生の間しがみついてきたもの信じてきたものぜんぶだ。死は何にも生み出したりはしない!氷の女なんだよ。」
「ひどい話だな」
ヤギハネスが霧に溶けるように消えたことを忘れることはできなかった。

酒場で見かけたマリーに仲間が山に火の文字を書いてくれて求婚した。美しい名前を持った女は優しく未来への夢を彩ってくれた。孤独ではなくなった。
33歳になった。義務を自覚した。村に来た観光開発でロープウエイの敷設仕事があった。鉄塔の基礎づくりで穴を掘り危険な高架線の上で仕事をした。
村に電気がともり人が増え道路が舗装された。ある日事務所に行き「もっと仕事が欲しい」と訴えた。「家庭を作るんだ」事務長は時給を上げてくれた。「身を粉にして働くのだ」
人を箱に入れ、椅子に座らせて山頂に運ぶ、エッガーにすればばかばかしいような工事が完成した。37人の命を飲み込んで。「死んだら死んだ、それだけだ」と腕をもぎ取られたマトルは言って死んだ。

だがエッガーの狭い土地を雪崩がすべてを押し流し飲み込んだ。雪庇が剥がれ大きな塊になって転がり落ち雪崩をおこしたのだ。エッガーは悲しみに硬直し病んだ。
彼は病が癒えたころ機械の保守点検係になった。誰もやり手がなかったのだ。綱から綱へ油かすや鳥の糞を取り除いた。カラビナを付けると山の清浄な空気が徐々に彼を薄れさせ、純粋な悲しみだけが残った。

彼は家と妻を失い起きた戦争に身を投じた。足のせいで遅れ終戦前の人海政策でロシア、コーカサスの前線で爆破に使う発破穴を掘り続けた。終戦になった時彼は捕虜だった。前線で2か月、捕虜で8年以上過ぎた。さらに6年後、解放され服を焼いて駅にむかった。

村に帰ったが昔の会社は無くなっていた。除隊金も使い果たし道に迷った老人夫婦の観光案内をして、山の案内人になった。よくわからないが、観光客にも飽くことのない山への憧れを感じることができた。
若者が言った「どこもかしこもこんなにきれいなのにあなたには見えていないのかい!」エッガーは言った「見えている、だがすぐ雨になる、地面が泥濘んできたらきれいな景色も何もあったもんじゃない」

案内をやめ古い家畜小屋で暮らし始めた。ぼろぼろの木のような体だった。谷で見つかったヤギハネスの死体には腕がなかった。空気が顔を掠め氷の女が見えた。
これからするべきこと考えながら、その後白昼夢を見て死んだ後なにも残さない幸せな一生を送ったと感じていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「誰かが足りない」 宮下奈都 双葉社

2019-12-27 | 読書


分かりやすい、優しい物語だった。うっすらとした寂しさが絵になったような日々の中に、訪れた「ハライ」というレストランでの幸せな時間が、しみじみとしみる。


読む本の中にはむずかしい漢字ばかりの時がある。鋭く心の中をかき回してあとはわずかに理解の外にあるような疑問符を残す。考え続けて著者の深遠な思いに気が付いたり、迷路に迷い込んだりする。
そんな何かを求める読書もたまにはいい。生きている実感がある。それでもこうした暖かい日々を優しい言葉でつづってくれる小説に、癒されたいときもある。

文字好きが選ぶ文章は、生きていく指針だったり喜びだったりするが、生活の中で、そんな文字好きだけでなく、いろいろな手段で喜びを感じて生きている人に感動する。アスリートは身体を使って、書家は墨と筆で、料理人は食材で人を慰め喜ばす。幸せの輪に包み込まれるなら何だっていい。読書家の世界にだけにとどまらない、自分に合った生き方がある。

「ハライ」というレストランの評判がいい。行ってみたいけれどまだ行ってない人たちが、幸せな時間を過す事になる。6組の人たちが「ハライ」に行くことになった出来事が、そのちょっとした心の旅が暖かく書かれている。

何げない生活が描かれてはいるが、中でも
「予約 4」
ビデオ越しでないと生活できなくなった僕。何をするにも右手に重いビデオカメラを持っている。
三年前に母が何気ない微笑みを浮かべてもうすぐ死ぬのだといった。そして死んでしまった。その笑顔を憎み人が信じられなくなって部屋に閉じこもった、結婚する姉や妹のことを思うとそれではいけないと気が付いてはいた。姉の婚約式の時ビデオ係をかって出てみた。それは勇気がいったが何とか写すことができた。それからはビデオカメラ越しなら何か変化が起きるのがみつかるのではないかと探し続けている。
妹の友人が転がり込んできた。学校にも行かず昼間もひっそりと過ごしているだけ。静かな彼女に僕はいらいらしたが、次第に彼女の存在にもなれていき、彼女がこもっているわけを知った。彼女は言う「ビデオは過去じゃないですか」
妹は僕にも友人にも何も聞かなかった、彼女と二人でおにぎりを食べた。窓を開けて季節の風を感じた。
「ねぇ ハライに三人で行かない?」と妹が言った。


かいつまんだけれどこんな話が6編、レストランに行くだけのことに勇気がいったり、日常のこだわりを解決したり、孤独を乗り越えたり、ささやかな気持ちの切り替えで、足りない誰かや何かを見つけて席を埋めるいい話。

この本は宮下奈都さんファンから勧められたが、年甲斐もなく切った張ったや密室連続殺人や、争いの中を歩きたがる変な読書人を少しは日常に戻そうと思ってくれたのかもしれない。「ハライ」の代わりにどこかに誘ってみよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「絵のない絵本」アンデルセン 川崎峰隆訳 角川文庫

2019-12-23 | 読書


本選びで時々失敗をする。アンデルセンの童話なのですが、なんだか暗い話が多く、序でに暗い感想を残します。

雑談は大変役に立つ(ことが多い)もので、特に本読みが集まると意外な発見があってやめられません、結構な薀蓄が披露され勉強にもなります。
そこで本の題名のあれこれが話題になりました。不思議な題名や見事な題名やありきたりの魅力がない題名という話で、なかなか辛辣な意見が出ていました。
そこでひそかに「絵のない絵本」と、中身は読んでなくてもどこかで見た「醒めてみる夢」が浮かんでいました。「醒めてみる夢」はとっさに浮かんだだけなのでそれが何だったか思い出せず、後になってやっぱりいい加減なことを言わなくてよかったという気がしましたが。
帰って「絵のない絵本」の意味を解決してみるかなと、先立つ雑用をさておき探してみたのですが。

この薄い本はなかなか手ごわかったです。取り掛かったのはいいのですが訳を読みこなすのにもう苦心惨憺で、二度読んで、もう意地になって三度読んでも馴染めなかったのです。

これが理数系本や哲学書ならぽつぽつと文字を読んでいって結果よくわからなかったというのも納得なのですが、アンデルセンさん相手なので、もう読むのをやめて、お口直しに読みかけの妖しい愉快本、有栖川さんにしようかと思ったくらいです。

アンデルセン童話は子供の頃おじいちゃんの膝の中で読んでもらった記憶があります。
話ではおじいちゃんは三才の時亡くなったそうなので半分以上は思い出の創作映像のようです。
童話もほとんど、覚えているものは勝手にカスタマイズされてしまっています。それでも見聞きする機会が多いので有名どころはなんとなく知っているのですが、これが改めて子供に話すとなるといまだに私の記憶はまことに怪しく、グリムかアンデルセンか、イソップまでかき混ぜられてしまっています。
でもよくしたもので、本屋さんに行けば「アンデルセン童話集」がたくさん並んでいます。昔の話で在庫があるところを見ると子供が勝手に読んだようですが、

で、本題は「絵のない絵本」ですが、これを読むのは初めてだったのに、ちょっと気合いが足りませんでした。
一言でいえば、アンデルセンさんの、脳内幻想という形で、世界各国を歩いた風景を元にして、童話が編まれているのです。
絵描きさんに月が語りかける、という形で、一夜から三十三夜まであります。
これは当時の日常風景でしょうが、月の光に照らされた風景というだけでもう世界は幻想的でその上、今と違って人々にとって世界は宇宙のように広かった時代、こんな異郷の物語はとても興味深かったことでしょう。お話も、やや子供向けというのは疑問があっても、喜びや悲しみがこもったお話はやはりアンデルセンさんの童話でした。ここに不満はなかったのです。

ところが事をややこしくしていて、意味不明な感じの元凶は訳でした、訳者の方にいうことではないようですが、昭和25年の初版で、当時の言葉がそのまま使われていることで、言葉がこれほど変化していることに驚きました。

わずかな間のようですが、馴染みがなくなっている言葉は、ストーリーに沿って現代語に置き換えて読まないと入りにくかったです。
これは近代文学を読むのとはまた違った経験でした。

童話を楽しむというよりは、なぜわかりにくいのかということを考えました。そんな気分で読んでいると、拘りの一語を考えている間に連想が様々に拡散して、お話に戻りにくく時間がかかってしまいます。
例えば
「花の吐息はくんくんとにおい」
くんくんは薫々でしょうか。そこで立ち止まると、つい薫大将を思い出したり、写真で見た北村薫さんの顔が浮かんできます。こういう珍しい経験をしながら三度目にやっとまあいいか状態で読み終えて、付録のアンデルセンの生涯に進みました。

このもやもやを何とかしようと思って図書館を歩いてみました。そこでぴったりくる福音館で最近出版された「絵のない絵本」を見つけました。
一読して、これだと思い、アンデルセンはこうして読みたかったのだとなんだか胸のつかえが下りました。

ついでに童話集を借りてきて、読み直しています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「神のふたつの貌」 貫井徳郎 文春文庫

2019-12-07 | 読書



ぼくは神の存在を確かめたかった。

特にこの作者のものを全部読みたいと思っているわけではなくて、前に読んだ「慟哭」が頭に残っていたので買ってきた。
読み始めてこれは困ったなと思った。
キリスト教も仏教もよく分からない。だから読んでいても、日常の生活を通して感じている信仰者の心理というものを想像するしかなかったが、キリスト教の枝分かれした難しいあり方とは別に、プロテスタントだという牧師一家の、信仰を持つゆえの悲劇がそれなりに理解することは出来た。

牧師館で生まれた早乙女輝は無痛症だった。
小学生の頃、環境のせいもあって、痛みや死、死後の魂の行方、などに関心がありカエルなどを殺してその有様を見て、それらを想像しているような子供だった。
彼は神が万能であり、自分に似せて人間を創り、人の人生のあり方は、生まれる前にした神との契約があって、その生き方はすでに決められたものだというように聖書から学んでいた。
父も牧師であって厳しい戒律の中で生きてきたということは、いつの間にか人間性を脱ぎ捨て、全てを神に捧げてしまっていた。
そんな父は何の疑いもなくその生活に慣れきっているようだった。それが人々に尊敬され賞賛されるという生き方だと教えられ、早乙女も跡継ぎとして厳しい生活を義務付けられていた。
だが神には忠実な父だったが、家族に対しての情愛は感じられなかった。

彼は牧師を継ぐということに不満はなかった、それでも父がどんな時にも手放さずに読んでいる聖書からは神の存在を感じることができなかった。
神に近づき理解するために、神の声を聞きたいと切に願っていた。
教会に来る信者の中には深い信仰心を持ち、神を信じることに満足している人たちがいた。
早乙女は現実に神の存在を試したいと思った。
常に傍観者のように見える神を試すために信仰の厚い信者を殺してみた。それが殺人だったとしても、神を信じる行為なら自分の信仰はゆるぎないものだと証明されるはずだと思っていた。

牧師館にヤクザに追われて男が逃げこんでくる。
美貌の彼は暫くかくまわれ、母とともに車で出かけた先で事故にあい、二人とも炎の中で焼死してしまう。
このことで牧師館の静かな生活は壊れてしまった。

コンビニでアルバイトを始めた20歳の早乙女は、家出をしていたオーナーの息子が戻って一緒に働き始める。
今まで店長だった君塚が売上金を持ち逃げした。息子の琢馬は自分は不幸を呼び寄せるのだと過去の出来事を語り、死にたいと悩み続けている。
琢馬の気持は早乙女の心も暗くして、夜も眠れずに彼を救う方法を考える。
ついに彼を殺すことで解決できる、それは琢馬を救うことだ、と思いこみ密かに実行する。

恋人が出来て妊娠させてしまう。彼女は足が不自由だったが、それゆえ神の福音が得られたことを実感したという。
早乙女は彼女がうらやましかった。
彼には子供を育てるという気持はなかった。
彼女は生みたいとせがみ、早乙女はついに彼女に暴力を振るい流産させてしまう。
こんなことをする自分に神は福音を与えるだろうか。
残った父と子はこんなにも神に近づき神に仕えているということで福音を得られるのだろうか。



父と牧師館の歴史と、母親の事件。
この物語は、神に心から仕え続けた、牧師一家の犯罪を語る。
そして常に「沈黙」している神を身近に感じることで、自己の生き方を確立したいという親子の願いが絡んだ、変わった面白いミステリだった。

犯人も犯した罪もすでに分っているのですが、ストーリーにはパズルを解くようなスリルがある。残念ながらわかる人にはすぐにわかるかもしれないけれど、取り敢えず作者には騙されたくないナァと思っている、ミステリ好きの方にオススメします(してみます)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ロートレック荘事件」 筒井康隆 新潮文庫

2019-12-06 | 読書


平成2年初刊行の文庫版で平成7年発行。 筒井さんにしては珍しい推理小説。でも読み終わってみると、やはり読者に対してサービス満点というところの筒井作品だった。


今のミステリ小説はジャンルが豊富で作品数が多くなりストーリーも多彩で、人気作はシリーズ化するのが定石のようになってきているが、この時代、推理小説が発表されたころはまだは今のように推理小説がメインの賞も少なかったようで、当時の水準がよくわからなかった。私の知識不足もありそうなので、声がだんだん小さくなるが。

と調べてみたのは、筒井さんが自信をもって発表した(らしい)作品のストーリーには、期待したほどには驚かなかった。ちょっと構えて読み始めたので。
それに閉ざされた別荘に集まった人たちの中に犯人がいるという設定は歴史があるし。

叙述トリックというのは、もっと頭をひねって、パズルを解くようにあれやこれやと作者と知恵を競って犯人を探すものだと思っていたが、初読みにも拘わらず早々に、意図に思い当たってしまった。
まぐれ当たりもあるかもしれないと思いながら、今回は解説も後回しにしたが、それでも読み進めるのをやめなかったのはミスリードされてどこかにどんでん返しでもと期待があった。

筒井さんならきっと何かあるだろう。やはりあったが。それ以上に予想があたってわくわくで面白かった。

筒井さんはやはり面白いし頭脳的だ。
トリックの肝は変わった設計の家で起きる事件で、建物の展開図でもないと文章では犯人の足跡がちょっとわかりにくい。こんな曲がりくねった話はおいそれと書けるものではないのはよくわかった。

この古い本に手を出したのは筒井好きもあるが、立ち読みした第一章で引き込まれ続きが読みたくなった、それほど巧みな幕開けだった。



俺と重樹がともに8歳の夏。俺は重樹が滑り台の中ほどで止まってしまっていたのを、上からローラースケートを尻に敷いて滑り降り、彼を突き落としてしまった。重樹は下のコンクリートの角で脊椎を打ち下半身の成長が止まった。
俺は慚愧の思いと責任感で一生重樹と離れず、彼を助けて見守る決心をした。

そして二人が28歳になった夏、重樹は将来を嘱望される画家になっていた。
ロートレックの収集家の別荘に三人の有望な青年と美しい女性たちが集まった。
別荘の持ち主夫妻と令嬢の母親もいた。

そこで二発の銃声が聞こえ女性の一人が殺される。
次々に三人の女性が殺されていく。最後には美しい女性はみな殺されてしまう。
なぜ?
動機も侵入経路も確定できない。
建物の奇妙なつくりが面白い。この作品が既成のタイプに似ていたにしても面白い。

トリックが優れた機知にとんだストーリー展開と、ミスリードと見せかけてあちこちに散らばって巧みに織り込んであるヒント。注意深く読めば作者の親切な遊びがわかる。

これは筒井さんの機智とユーモアと読者への挑戦と試みが融合した実に面白い一冊だった。

とりとめのない感想しか書けないけれど、エンタメなのです。狙いは最後にやられた!と言わせたい狙いで犯人の独白というか告白付き、最後は先に読まないで下さいというのがお約束、これも懐かしいスタイルだった。



先日、新刊本の建物と中古本の建物が棟続きで新装開店と本屋さんのチラシが入っていたのでこういうの大好きなので見逃せない。ではではと覗きに行った。

古本の匂いもいいなぁと長時間楽しんできた。

とげとげしくなりそうなときに読もうと思った古今東西の、ほのぼの優しいほっとするようなものも見つかった。

本ばかり増やすのが自分なりに気が咎めて、嵩低く早く読めるような薄い本を探した。古い本ばかりだったけれど帰ってみると20冊近くあった。
気合いを入れて読もうとしたらほのぼのどころか半数以上が変な、奇妙な味のものだった。
短いものだけに種(味が)ギュッと詰まっている。
一応裏のあらすじを読んで、それぞれ面白そうなのでいいか。
薄い本ばかりで山は低いのも救い。その中の一冊。



※気を付けたのですが、ネタバレ注意!
結末や犯人など重要な内容が推測される場合がありますm(__)m






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「虹の岬の喫茶店」 森沢明夫 幻冬社

2019-12-05 | 読書

生きるって、祈ることなのよ。 トンネルを抜けたら、ガードレールの切れ目をすぐ左折、雑草の生える荒れ地を進むと、小さな岬の先端に、ふいに喫茶店が現れる(帯より)
 
図書館のお勧めで読んだ。噂では聞いていたが、もう胸が詰まって、二度読んだ。 将来の目標はミス・マープルさんだったけれど、しばらくは悦子さんがいい、そうしよう。

 第一章《春》アメイジング・グレイス 
妻が白血病で亡くなった。40歳の男の心は窓の外の雨交じりの空のように暗い、生きていることが不思議に思えた。4歳の娘と二人のぎこちない生活にもいちいち思い出すことが多い。娘は母の習慣を教えながら今を受け入れて父を気遣っていた。朝食の後虹が出た。ゴールデンウイークだ、娘と旅に出よう。 虹を探す旅。車を走らせ、小さな看板を見つけて横道に入った。大きな白い犬が案内した先に小さな喫茶店があった。娘の希実にはバナナアイスとリンゴジュースを出してくれた。店主の初老の女性は柏木悦子さんといった。私は淹れてくれたコーヒーを飲んだ、飛び切りおいしい芳醇な味がした。壁に賭けられた虹の絵を見て娘も私も虹探しの冒険が大成功だったと感謝した。妻が他界したことを伝えると悦子さんは、アメイジング・グレイスをかけてくれた。

 第二章《夏》ガールズ・オン・ザ・ビーチ
 就職活動がうまくいかない。気晴らしにツーリングに出たのはいいがガス欠。梅雨の晴れ間の蒸し暑い中バイクを押していくと間の悪いことに腹がチクチク痛み出した。こんなところで、見渡してもトイレはおろか家影もない。ピーンチ! そこで小さな看板を見つけて、白い犬コースで喫茶店にたどり着く、危機一髪、隣棟にあるトイレに飛び込んだ。 ぼくはそこで旨すぎるコーヒーを入れてくれた悦子さんと知り合う、隣に住む塗装業の浩司さん、画家志望のみどりさんとも知り合う。 就職は2.3流大学出では面接官にも真面目に取り合ってもらえず、思い出してまた岬の喫茶店に行ってみる。浩司さんと釣りに行き聞いてみた。「就職ってしないといけない?」彼はあさってのようなことをいった「迷ったときにはよロッケンロールが面白れえぞ」「ワクワクする方へ行くんだよ」

 第三章《秋》ザ・プレイヤー
 初心者泥棒だ。出刃包丁一つ構えて喫茶店に入ることにした。風が強い。音に紛れていく、安普請だが何かあるだろう。 私のじいさんは鍛冶屋で包丁を作っていた。不況になり廃業、研ぎをしていた私は刀から包丁に代えて御用聞きに回ったがそれも行き詰った。包丁づくりを目指した背水の陣で起こした会社もつぶれた。最後の手段は盗みよりない。そこでここから始めたのだが、ボロ屋でもなんかあるだろう。 気に入った虹の絵に見とれていたが、そう言う場合ではない。レジがガチャンと音を立てて開き。ついでに隣でガチャンと陶器が割れる音。たまげたヤバい。音とともにコーヒーの香りが。「あ、あ、あ」「いらっしゃいませ」とおばあさんが言って香ばしいコーヒーが出た。 我に返って「俺は泥棒だ!」が通じなかった。やはり初心者か。 「ゴスペルっていうの」我に返ると音楽が流れていた。隣の建てかけの家に泊めてもらった、私は朝、気合いを込めた研ぎの業物、包丁を一本残して消えた。

 第四章《冬》ラヴ・ミー・テンダー
天体望遠鏡をセットしてくれて「誕生日おめでとう」といった。「タニさん覚えてくれたんだ」 タニさんは誕生祝に月の土地の権利書もくれた。時々来て二人で暖かい時間を過ごして来た。だがタニさんの建設会社は不況の波を受け、大阪に出向することになった。 悦子さんはタニさんの気持ちは分かっていたが、亡き夫の虹の絵がある岬の喫茶店を離れられなかった。夫と同じ虹を見たい。 タニさんは岬のずっと先を船で通っていった、悦子さんは望遠鏡を見ながら別れを告げた。

 第五章《春》サンキュー・フォー・ザ・ミュージック
俺は建てかけの岬の家を着々と完成させていた。皆で集まる時を待って。 カウンタ―のある店の体裁を整えた。悪くない。完成したら昔の仲間でぶち上げライブ。ロッケンロールだ。 しかし、あいつは来るだろうか。くしゃくしゃになった古い紙を出してみる。五線紙が薄れてきている。「ブルームーン」このタイトルは一度も演奏することがなかった。 あいつはだらしがなかった。作曲の想が湧いたらライブの時間にもかかわらず遅れた、もしかしたら登竜門になったかもしれなかったあの時も遅れてきて夢を打ち砕いてくれた。殴り倒して別れた。その後一度もあっていない。 カウンターも椅子も揃った、ライブにかつてのバンド「セブンシーズ」の仲間が集まったが、彼は来なかった。 噂話に、今は紅茶の輸入売買を始め成功して忙しいらしい。今も出張中だ。とこっそり消息を教えてくれた。 会社のホームページがあるそうだ。俺は見るつもりはなかった。迷った末それでも覗いてみた。彼は近況を伝えていた。ただの事業報告の日記だった。個人情報は少なかった。ず~~と諦めずスクロールするのだ。と仲間が言っていた。下の下に、、、彼のコメントが極極小さく書いてあった。《SSの連中は、ここをクリック》《よくこのページに気づいたな ……息子の運動会にライブなんかするんじゃねぇ》口癖だった《この、バーカ♪》が大きな青い文字でついていた。

 
岬の風と波の音 時は流れた。隣の浩司の店は閉店したが奥さんと二人の子供が暮らしている。浩司は又塗装業を始めた。私は「ばーば」と呼ばれこの子たちとバナナジュースを作っている。 タニさんはずっと関西に住み続け会うこともないまま訃報が届いた、タニさんにもらった月の土地は望遠鏡をのぞいた子供たちにも教えた。台風が荒れた日も無事にやり過ごした。「こっちに来るか」と浩司は言ってくれるけれど「大丈夫」といっている。 コタローが吠えるので外を見たら荘厳な朝の虹がかかっていた。まさかこの絵が朝の虹だったなんて。
また「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ」といって小さな喫茶店でコーヒーを入れている。

これは悦子さんが淹れてくれた甘すぎないおいしいコーヒーのようで、読み始めの一章から感動した。図書館のお勧めがないと自分では選ばなかったかもしれない。辛辛でなくて少しは甘辛で行こうかな。 

  


読書日記ランキング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「グランドアヴェニュー」 ジョイ・フィールデング 文春文庫

2019-12-04 | 読書

 

ハーレクイン風の作家かと思っていたが、何かで書評を読んで面白そうで借りてきた。4人の若い母親が子育てをしながら、それぞれが将来に対する違った望みを抱いていて、いつか幸せに繋がると信じていた。
 
グランド・アヴェニューに沿って住んでいる4組の親子の話。

 突き当たりの公園で、小さい子供を遊ばせていて知り合った家族のその後。
今で言う公園デヴューして出合ったと母と子。
それぞれの母親は全く違った個性をもっていながら、深く結びつく。

そして25年、自分で作り出した不幸、避けられなかった不幸に見舞われ、賢く、つよく、時には避けきれず、それぞれ 形の違う人生を歩んでいった。 未来の歴史が、公園からもうすでに始まっていた。 現代が色濃くこまやかに映し出され、女性の作家らしい気配りが見える。
 
美容整形で若さを保ちたいという執念を持つ人。
大学で学びなおして社会参加をする人、
弁護士のキャリアに満足できない人。
夫の暴力にさらされておびえている人。

 満たされない思いがやがて大きな悲劇となる。自分の不幸のさなかで母は娘達に何をしたか。
25年後を4人が揃って見る事は出来なかった。死の謎は母と娘のその後の人生でもあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「過ぎ去りし世界」 デニス・ルヘイン ハヤカワポケミス1906 加賀山卓朗訳

2019-12-03 | 読書

前作「運命の日」では、兄たちから離れていたが、当時13歳だったジョーのそれから。
 
 
「運命の日」から時代は少し移って、今度は三男のジョー(ジョセフ)が主人公。

 父がボストン市警の警視正という家庭で育ったが、13歳のとき、悪がき三人でニューススタンドに火をつけ、小金を稼いだ。
それを皮切りにジョーの生活は夜に向かって滑り出す。出あった街のボスの情婦に一目で恋をする。 20歳、銀行を狙って警察に追われるが、恋人に気をとられていたこともあり、仲間が裏切ったかもしれない状況でミスをしてしまう。 父親の機転で警官殺しは免れたが、5年の実刑で刑務所に入る。

 刑務所にはメキシコ湾岸を牛耳る大物マソ(ペスカトーレ)がいた。が刑務所の中でもファミリー同士の小競り合いはあった。マソが出所し、外からの攻撃を仕掛け、マソの下で、ジョーは刑務所内で密造酒の腕を持つ一派と話をつけた。

出所したジョーはタンパから葉巻の街イーボーに落ち着いた。 灼熱の街イーボーに着くと幼馴染のディオンが生きて待っていた、彼はウラのつながりにも街の裏道にも馴染んでいた、そこでラムの密造を始める。ラムの材料が横流しで手に入らなくなった。それを対立するボスのゲーリー・スミスを追放することで解決する。
「どちらかを選べ、その汽車に乗るか」 「われわれが汽車の下敷きにするかだ」
車に戻りながら、ディオンが言った。「本気なのか」 「ああ」ジョーはまた苛立っていた。理由はわからない。ときどき闇に取り憑かれる。突然こういう暗い気分に押し包まれるのは刑務所に入ってからだと言えるといいが、じつのところ、記憶が始まる昔から闇は下りて来ていた、ときになんの理由も、予兆もなく。
だが今回は、スミスが子どもの話をしたのがきっかけだったように思う。
ジョーは船を使ってメキシコ湾沿岸の密造酒を牛耳るようになる。 最初の女エマの死は信じられないままだったが、彼はキューバの活動家の妻と住み息子が出来る。 キューバと妻のためにアメリカの海軍戦艦を襲い大量の銃を盗る。

ジョーは無法者と名乗っていたが次第にギャングと呼ばれるようになる。 多くの死を見る度に、そのことが心から離れない。
成功はしたが彼はどこかに、同時代に生きた「ギャッツビー」的悲哀をにじませている。 満たされることが無いままに選んだ夜の生き方。縄張り争い、地位の奪いあいの日々。それが輝いて見えたとき以来、犯罪に憧れスリルを求め、漬かり、流されてもがいて来た生き方である。
 

ギャング小説も、ノワールという分野も異世界に感じるが、読めばその人の生き様に入り込んでしまう。感情移入が強すぎるかも知れないが、登場人物に親しみがわいてくる。 この小説の類型を見つけるのは簡単かもしれない、育ちの良さや、父親の影から完全に抜け出ることが出来ない若者の話は多い。

 貧しい移民や人種の混交の街で、法の枠外に生きることがたやすかった若いころ、優れた頭脳は犯罪にも向いていた。だが成長してさらに深みの底に溜まっている汚泥を見れば、やがて将来は心の枷になってくる。当然、彼が生きる境界線は法律だと心の底では気づいている。 ルヘインは非情な場面に叙情を絡ませた表現をする。人の弱さを見せる。主人公の苦しみは読む人にもだぶるところがある。

 最後の牧歌的記述が少し長かったようだが、それまでの一気に進んできた後の緊張がゆるんだ一時、ほっとする面もある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜に生きる」 デニス・ルヘイン ハヤカワポケミス1869 加賀山卓朗訳

2019-12-03 | 日日是好日

前作「運命の日」では、兄たちから離れていたが、当時13歳だったジョーのそれから。
 
「運命の日」から時代は少し移って、今度は三男のジョー(ジョセフ)が主人公になっている。
父がボストン市警の警視正という家庭で育ったが、13歳のとき、悪がき三人でニューススタンドに火をつけ、小金を稼いだ。
それを皮切りにジョーの生活は夜に向かって滑り出す。出あった街のボスの情婦に一目で恋をする。
 
 20歳、銀行を狙って警察に追われるが、恋人に気をとられていたこともあり、仲間が裏切ったかもしれない状況でミスをしてしまう。 父親の機転で警官殺しは免れたが、5年の実刑で刑務所に入る。

 刑務所にはメキシコ湾岸を牛耳る大物マソ(ペスカトーレ)がいた。が刑務所の中でもファミリー同士の小競り合いはあった。マソが出所し、外からの攻撃を仕掛け、マソの下で、ジョーは刑務所内で密造酒の腕を持つ一派と話をつけた。

出所したジョーはタンパから葉巻の街イーボーに落ち着いた。 灼熱の街イーボーに着くと幼馴染のディオンが生きて待っていた、彼はウラのつながりにも街の裏道にも馴染んでいた、そこでラムの密造を始める。ラムの材料が横流しで手に入らなくなった。それを対立するボスのゲーリー・スミスを追放することで解決する。
「どちらかを選べ、その汽車に乗るか」 「われわれが汽車の下敷きにするかだ」
車に戻りながら、ディオンが言った。「本気なのか」 「ああ」ジョーはまた苛立っていた。理由はわからない。ときどき闇に取り憑かれる。突然こういう暗い気分に押し包まれるのは刑務所に入ってからだと言えるといいが、じつのところ、記憶が始まる昔から闇は下りて来ていた、ときになんの理由も、予兆もなく。だが今回は、スミスが子どもの話をしたのがきっかけだったように思う。

ジョーは船を使ってメキシコ湾沿岸の密造酒を牛耳るようになる。 最初の女エマの死は信じられないままだったが、彼はキューバの活動家の妻と住み息子が出来る。 キューバと妻のためにアメリカの海軍戦艦を襲い大量の銃を盗る。

ジョーは無法者と名乗っていたが次第にギャングと呼ばれるようになる。 多くの死を見る度に、そのことが心から離れない。成功はしたが彼はどこかに、同時代に生きた「ギャッツビー」的悲哀をにじませている。 満たされることが無いままに選んだ夜の生き方。縄張り争い、地位の奪いあいの日々。それが輝いて見えたとき以来、犯罪に憧れスリルを求め、漬かり、流されてもがいて来た生き方である。
 

ギャング小説も、ノワールという分野も異世界に感じるが、読めばその人の生き様に入り込んでしまう。感情移入が強すぎるかも知れないが、登場人物に親しみがわいてくる。 この小説の類型を見つけるのは簡単かもしれない、育ちの良さや、父親の影から完全に抜け出ることが出来ない若者の話は多い。

 貧しい移民や人種の混交の街で、法の枠外に生きることがたやすかった若いころ、優れた頭脳は犯罪にも向いていた。だが成長してさらに深みの底に溜まっている汚泥を見れば、やがて将来は心の枷になってくる。当然、彼が生きる境界線は法律だと心の底では気づいている。 ルヘインは非情な場面に叙情を絡ませた表現をする。人の弱さを見せる。主人公の苦しみは読む人にもだぶるところがある。

 最後の牧歌的記述が少し長かったようだが、それまでの一気に進んできた後の緊張がゆるんだ一時、ほっとする面もある。

 

2014に読んで掲載のシリーズをリライトしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「運命の日」 デニス・ルヘイン ハヤカワミステリ文庫 加賀山卓朗訳

2019-12-03 | 読書

 

運命の日(上下巻の感想です)

ボストンで起きた警官のストライキ。「運命の日」ボストン署の警部だった父と三人の息子は信念に従ってこの時を精一杯生きた。       
 
これは並みのミステリではない。ミステリというジャンルから生まれた、歴史の一片を語る叙事詩のような作品だった。 上下巻二段組みの長編を読み通したのは、面白く、ストーリーに破綻もなく読み手を楽しませる、手法、構成から目が離せずにいたこともある、しかし一方ではこの長さがちょっと苦しかった。特に上巻の家庭や警察内部の動き、兄弟、親子のいざこざなどが、まだ話の流れに乗り切らない時点で通り過ぎるのに時間がかかった。
「チボー家の人々」や「収容所群島」などなど、世界の名作といわれる長編に夢中になり、話が長いほど嬉しかった時代は遠くなった。

ボストンの警官が待遇改善を求めてストライキをする「その決行の時」に向かって進んでいく様子が息づまるように書かれる。史実を含め、ボストンの歴史であり当時のアメリカの政治を背景に、革命を叫ぶもの、テロをたくらむもの、世情不安の中に投げ込まれた主人公たちの生き様が、息もつかせず読ませる。

まず上巻を開いて読み始めると、ベーブ・ルースがナショナルリーグに向かって列車の旅をしている。レッドソックスやカブスの選手もいる。オハイオまで来たとき列車の故障で、2.3時間停車する。気分転換に下りて、黒人たちの草野球に出会う。投打ともにプロに匹敵する巧さだ。ベーブは近づいていく、そして白人選手たちと黒人のチーム対戦になる。プロもたじたじの実力にベーブたちは押されて、9回二死満塁、6対3でプロが負け越している。打順が回ってきたベーブは、前の打者がダブルプレーで試合が終了するのを密かに願っていた。だが皮肉なことに打順は巡り、狙った球が来て外野の頭上高く打ち上げる。だが落下点に神業のような俊足ルーサーがいた。ベーブは快心の当たりでなかったことに気がついていた。ルーサーは球の真下にいたが。ボールをポトリと目の前の地面に落としたまま帰り支度をして振り向きもしないで行ってしまう。ファールをフェアだといい、審判の曖昧な判定にセーフだと言い切る白人たち、当時の白人気質を当然のように持ち込んだ傲慢なプロの選手、黒人蔑視がスポーツのルールも曲げてしまう。白熱した試合の様子から書き出し、社会情勢を映し出す、その上、今後の登場人物を紹介もする、これだけでも優れた短編小説を読んだような気分になる。

トマス・コグリンを父に三人の息子がいる、父はボストン署の警部、息子のダニーは巡査、次男のコナーは地区検事補、末弟のジョーは13歳だった。 ボストンでは労働者、特に黒人移民の労働者階級は低賃金と過酷な労働を強いられ、警官は不安な世情の見張りで、慢性睡眠不足に加え、これも低賃金、超過勤務で疲れ果てていた。
交渉は200ドルで決裂した。
 
        「年200ドルは戦前の数字だ。今貧困といわれるレベルは年収1500ドルで、ほとんど
         の警官はそれにはるかに及ばない。彼らは警察なのだ、それが黒人や女より低い賃金で働 
         いている」市警の警官たちがストライキをすれば大企業が勝つ。ストライキを棍棒として
         労 働組合 員、アイルランド人、民主党員を殴り倒す、労働者階級は30年分後退する
         ことになるぞ」
 
街は警官のストライキを引き金にして怒りや不満が爆発し暴動が起きると判ってはいた。だが先の暗さを感じながらストを回避できなかった。
テロ、共産主義団体、アナーキスト、警官の労働組合の動きが気になる中で、警部の父はダニーの名づけ親(マッケンナ、ボストン市警部補)に言う。
「フォン・クラヴゼヴイッツは、戦争はほかの手段をもってする政治だと思っていた」トマスは穏やかに微笑んで、ブランデーを口にした。「私は、政治こそほかの手段をもってする戦争だといつも思っていた」
そういった中でダニーは警官の反政府思想に傾き、ついにストライキに入る。市民を巻き込んだ歴史に残る警官のストは、上層部の対抗措置のまえに犠牲者を出し、街を破壊する。 市警察はスト関係者に解雇通知を出す。
一方、ルーサーは手を出したギャングの世界でボスを撃つ。
またしても関わったマッケンナはルーサーに言う。 「わたしがタルサ市警に電話し、流血事件の唯一の生き残りに職務質問をしてくれと依頼し、その職務質問の途中で、タルサから来たルーサー・ローレンスという男がここボストンにいると相手に伝えてくれ、といわない限りな」眼が光った。「そうなると、あとどのくらい隠れる場所がある?」 ルーサーは闘争心が湧くそばから死んでいくのを感じた。それはただ倒れ、枯れていった。
ルーサーは保護者の持つ組織員のリストを渡す約束をさせられ、巻き込まれていく。
次男コナーの事件は鉄鋼員に関するものだった。 コナーはついに理解した
そして法律家でいる限りこの信条が自分の益になることを願った最高の弁論とは感情や扇情的な修辞を拝したものなのだ。あくまで法に従い論争を避け前例に代弁させ、相手の弁護士に上訴し法の健全さと闘うかどうかを選ばせる。
これは一つの閃きだった。
コナーは法の下、ダニーとは異なった道を歩き出した。
当日、うちを出たジョーをさがしに街に来たコナーは暴徒に巻き込まれ、顔の横で割られた硝子で失明する。
ストの日の後トマスの息子たちはそれぞれ傷をおった。ダニーは心身ともに疲れ、撃たれて人事不省に陥るが一命を取り留めた。 コナーは未来を模索していた。 父トマスは老けた。
「運命の日」という、初めて知ったボストンの一つの歴史を読んだ。 デニス・ルヘイン原作の映画「ミスティックリバー」で見た街がこの物語でいっそう身近で鮮明な映像になった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「龍宮」 川上弘美 文春文庫

2019-12-02 | 読書

 

川上さんは「ぐにゃぐにゃ」したり「ヌルッと」したものを言葉に変換して、それらを人の形にして連れてくる。
 
大風の吹く日は浜に降りて歩きたくなる。時間が止まったような気分になるときがある。 そんな時ぐにゃっとした感じのするものに呼び止められた。金がないから「おもってくれ」という。奢ってがうまく言えない。無職で金は1763円しか持ってなかった。 赤ちょうちんで「酎ね」と勝手に注文してお湯割りを吸うようにして飲んだ。 「昔、蛸だった」という。気にいった蛸壺につい入ってしまった。逃げ出して畑の芋を食べて、そこにいた女に巻き付いた、女はよがった、「女ならまかしたまえ」などといい、葛飾某の絵のモデルだという。男は北斎の春画を引き合いに出すいささか下品で女好き、世渡り指南を垂れて言葉尻に「心するように」などとつけて繰り返す。 「人の世はつらい浮世だったが女はよかった、蛸にかえる」といって「わぁ」と大声を出した後闇に消えた。 海とも知れない海の闇から現れた異形の男を、蛸のように、蛸だったように書いて、蛸に返す、川上マジックが描く妖しい話。「北斎」
 
イトという名前だけがある人型の生物は曾祖母だった。 訳の分からない言葉を「おらぶ」人は霊言かと驚く、霊力がある巫女かとあがめられたりする。 無限に女とも男とも交合し続けだんだん小さくなっていく。 腹具合が悪くなったら子を産むと治る。子をつないで物乞いをする。子がスルリと逃げて入った家は栄えたりする。 現実にあるのかないのか「龍宮」という異界になぞらえたのか、イトという人型をした14歳くらいの可愛い顔つきをした者が、オトと呼ばれたり、イトという名だったりするのだが、どこか不思議な操り人形のような生物に見える。 人を殺して海に捨てると海は荒れ、夜明けには何事もなかったように凪いでいたりする。 題名が何かというよりもイトという生物が生臭く時には命の淡いを見せてくれる。 「龍宮」
 
93歳の正太は時々「ケーン」と鳴く。元古本屋だったとかで部屋は古本で埋まっていて浴槽にはエロ本が積んである。週に二、三回通っているヘルパー53歳の話。裸が好きだというので脱いで触らせたりする。 離れて住んでいるボケかけた姪がいる。入院したというので着替えなどを持って行った。四人部屋でよくしゃべるおばあさんは斑猫そっくりで、帰りがけに振り向くとギーギー鳴いていた。
私はときどき自分がまだ世界を押し上げていない、夜明け前の霜柱であるような気分になる。そういうとき、とてもこころぼそい心もちになる。 霜柱の心もちになるとき、世界はとても小さく見える。正太の頭が蟻の頭くらいに見える。正太の背中もたんぽぽの花びらも、よそよそしい、空気も生物も物もみんなよそよそしい
正太の布団で一緒に寝たりしていてもう帰らなくなる。ヘルパーに行くと、どの人間もどこか人間でない部分を持っていると思う。「狐塚」
 
結婚して社宅に入り、私は壁をはがして食べたり、万引きをしたり、男と寝てお金をもらったりして暮らしている。台所の冷蔵庫の下に小さい荒神様がいて床を走り回ったりしている。幼い頃に神様は大切にしなさいと言われたので拝んだりする。部屋にグリーンを置くと荒神様が喜んで走り回るので、床はグリーンでいっぱいになった。近所の奥さんとの付き合いも自然にできていてイタチが出て困るという噂も知っている。「荒神」
 
「あんた人間じゃないだろう」「人間じゃないですよ、むろん」「何威張ってんの、動物のくせに」「なになに、人間だった動物の一種ではありませんか」「え、そりゃそうだな」 穴で暮らす「鼹鼠」のはなし。人間を拾ってポケットに入れるときは深更、明け方に鼹鼠(うごろもち)は子を産む、死んだら穴に放り込む。人間は弱くて儚くて鼹鼠に拾われている、身につまされる話。「鼹鼠」(うごろもち・もぐら)
 
ありえないような世界が、あたかも一人の人間の生き死にがどこかで見えるような話になって幕を閉じるのだが。その過程がこれぞ川上作品という、不思議で妖しく不気味な趣がある、長くなるのであらすじが書けないほどだが、面白い、こういう虚実の境が溶けあった世界が本領なのだと思う。「轟」
 
七代前の先祖に一目ぼれした。二百年も生きていて初めてのことで舞い上がった、先祖は何もないアパートに住んで、人生相談を受けるのが仕事らしい。先祖を熱愛した様子が現実的で熱いが、先祖も私も次第に年取って痩せていく。先祖の死が見える、何かこういう世界もあるかと思う巧みな筆に乗せられるが、気持ちは乗り切れない 、遠い異界の妖しい世界に見える。「島崎」
 
誘われて海から出たら、次々に飼い主が変わり夫になる。そのたびに交わって子ができる。子供は人間らしく育った、人でないものとの子であるのに。4番目は変わった女の子だった。レンタルビデオ店でアルバイトをしている。夜は海のようで好きだといった。この子はどこかしら私に似ている。 海が無性に恋しくなって帰りたくなる。大嵐が来て大荒れにあれたとき、4番目が走っていった、頭が大水の中に消えていった。  これは全く幻想が日常に溶け込んだような作品で、どちらかといえばこういう発想が特に面白い。
「海馬」
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「卵の緒」 瀬尾まいこ 新潮文庫

2019-12-01 | 読書

 

 

こういう暖かい本もなくては暮らせない。いいなぁ瀬尾まいこさん

新潮文庫のフェアに乗っかって在庫整理をしている。 瀬尾さんの「卵の緒」を買って来た。買って増やしたら在庫整理といえなくなっているけれど。リストには100冊もあるんだから在庫がなくても当然、と気持ちを勝手に整理する。

 好きで読んでいるミステリは、日ごろは見せたくない苦い心理をさらけ出すような生々しさがあって、尖った気持ちがより尖って、毒をもって制すのかと思わせる。小説の中の安心圏はどこか遠くの星にあるというあらかじめのお約束で距離感をもって読むところが面白い。

でもときどきこういう本を読むと、いやいや近場で、ついそこという所には、少しは波風が立っても、特に目立つこともなくほのぼのとした家庭が多いのかもしれないという、尖った気持ちが丸くなるような気分になる。

こんな時に見つけて読んでみると、北村薫さんの「月の砂漠をさばさばと」や西加奈子さんの「円卓」「きりこについて」を思い出すような、周りにいるお母さんや大人たちの、子供との触れ合いが何か賢く暖かい作品だ。
 

 「卵の緒」秀逸。
僕は捨て子だ、根拠もある。おじいちゃんとおばあちゃんに訊くと、ぎょっとした顔をした。こんな時は動揺などしないで切り返してほしかった。 お母さんなどはもっと始末に悪い。食べ物だって「え~これ嫌いだったっけ」などといまさら言う。 捨て子扱いに慣れているのだ。
 先生は「お母さんとつながっていた証拠の<へその緒>がある」という。 そこで聞いてみるとおかあさんは「学校ってろくなこと教えないのね」
粘るとこの間貰った紅白饅頭の箱に似たものを持ってきた。中から出てきたのは「卵の殻」だった。 「育生は卵で産んだからね」とけろりとしていった。この宇宙へも行く時代に!「これが証しだよ」「そんなこと言って僕が捨て子だからなんでしょう」「証しは目に見えないんだよ、特別に見せてあげる」お母さんは僕を力いっぱい抱きしめた。「見えたでしょう証し」「見えない痛かっただけだ」 疑惑は消えなかったがこのお母さんなら卵も産むでしょう、と一旦考えるのをやめた。考えると髪が抜けるとお母さんが言うから。

お母さんは料理が上手い、同僚でお気に入りの朝ちゃんを何度かご飯によんだりしていたが結婚するという。朝ちゃんはいい人だ。 お腹が大きくなってきたとき「今度は卵では産まない」と言ってから、特別に打ち明け話をしてくれた。
大学時代無我夢中で好きになった教授がなくなった時小さな男の子がいた。その子を連れてきてしまった。周囲の反対を押し切ってね。と打ち明け話をした。 僕は驚かなかった。ただ泣いた。わかったって頷いた。

 朝ちゃんと子育ての練習をしながら待っていると女の子が生まれた。朝ちゃんと二人で勝手に男の子だと決めて名前を付けた。その「育太郎」を待っていたのに、育子がきた。かわいい。


 7’s blood もまたいい。
七子と七生。 七生はお父さんの愛人の子だ。七生のお母さんが障害事件で刑務所に入ったし、お父さんはいない。 お母さんは「七生の周りでは私が一番まともだったから」引き取ったという。 母さんは二度あっただけで「結構可愛いよあんたに似てるしね」とさっさと段取りをしてしまったらしい。七生は素直で卑屈さも全くないいい子だった。 お母さんが入院した時など家事はいそいそと七生がした。

 七生は6年生、七子は高校で受験生。いい奴だけれど少々ガサツな同級生と付き合っている。 朝はいつも七生が起こしてくれる。
「ねぇ~ななちゃん起きてよ遅刻するよ」 お母さんが入院しても七生がいるので暮らしていける。 七生はクラスにお母さんが刑務所にいることを言ったので七子は先生に呼ばれたりするが、七生はあくまでも無邪気で気にしてない風。
七子の母が亡くなった。七生には親戚の心ない言葉が耳に入っただろう。気にした様子はなかったが微笑みかけてみるとわずかにほっとした顔をした。

 七生と夜の散歩をした。 七生のお母さんが二日後に出所してくる。七生は帰り支度をした。 七子は七生の髪を切ってやった。七生も七子の髪を切ってくれた。6年生にもなって七生だけいまだにくたびれたランドセルをしょっていた。
 帰りは七子が買った新しいリュックをしょって駅に歩いて行った。七生の家は案外近い、「いつでも会えるね」といった。
新しい記憶が生まれその中には七生が言った血の繋がりもあるようだ。

 事件とか事故とか大きな不幸に会うような小説を好んで読んでいると、テーマには憎しみはあっても普通の人との結びつきや家族の暖かさが少ない。 こういったいい話は当然読むべきなのに、求めてまで読んでいない。どこまでわがままに暮らしているのだろうと読後にはちょっと心境が変わる。 優しい言葉で日々の出来事を書いているが、ほんのちょっとイタイところがいい。
まいこさん永久保存版。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする