空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

10月11日 日曜日 晴れ <白花のタデを見つけた>

2015-10-28 | 山野草

 
  

白い「タデ」を見つけた。
信号で止まった車からふと外を見ると、一本の白いタデが咲いていた。

よく白い動物はアルビノと呼ばれる、メラニン色素を失った状態で生まれ、白い色をしている。

植物にも白い花が咲くことがあるが動物の場合と違って植物は構成色素が光合成されず白い花を咲かせることで、名前の前に「シロバナ」とつけて呼んだりしている。「シロバナツユクサ」や「シロバナカタクリ」などを見つけると嬉しくなる。

「パウダー」という感動的な映画を見たことがある。妊娠中の母親が雷に打たれてことで、色素を失って生まれた少年の話だった。
祖父に地下室で育てられ、その祖父が亡くなった後初めて地上に出る。何もかも初めての体験の上、周囲には、白い体を見て「パウダー」と呼ばれいじめにあう。しかし彼は地下室にいる間に読書で得た知識と、高い知能指数を持っていた。様々な体験と、宇宙に繋がる意識が昇華する様子は、何度も繰り返してみたい映画の一つになっている。








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10月9日 金曜日 晴れ <真実一路の)

2015-10-19 | 山野草


田んぼ道を歩きながらふと考えた。時には考える。
事実と真実の間には暗くて深い川どころか、宇宙の果てぐらい遠い距離がありそうだ。
でも結局、男と女の間の川の距離も、事実と真実の間くらい離れているのではないだろうか。
真実なんて事実のずっと深いどこか、見えない底のほうにあって、見えるようで見えない風にチラチラしているので、見えたように錯覚して、生きていけるのではないだろうか。

事実だって分かりはしないのに真実なんて到底分かるものではない。

だったら、限界を知ってその中で、ちょっとつらい現実を生きていくのがいいのではないだろうか。
まぁいっか、という生き方も悪くなさそうだ。

こどものころに読んだ山本有三の「真実一路」を思い出した。昔のことはよく覚えているものだ。



ついでに北原白秋の詩


真実、あきらめ、ただひとり
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、
真実、鈴ふり、思い出す。


二人で居たれど、まださびし、
一人になったらなおさびし、
真実、二人はやるせなし、
真実、一人は堪えがたし。




秋だ、白秋だ うら寂しい。









ランタナ
秋だ、実も熟している


ノブドウ
毎日立ち止まって見ている。


クワクサ
庭に生えて困る、それでも小さな可愛い花が咲く。


暖かい日は黄蝶も元気だ。


コスモスの道


今日はこのコースは歩かないで記念に写しておく。


うす雲が出てきた。








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10月9日 金曜日 晴れ <ショートコース30分>

2015-10-17 | 日常の中の発見
いつも忙しくしている娘が来ると言うので、となりの部屋は、私の作業部屋にして便利に使っていたのを、片付けなくてはいけない。
まだ予定は少し先になるらしいが、前もってやってしまわないと落ち着かない困った性格で。
まず机に積み上げた積読の山を本箱に移動、でも見えないところだと読まないまま忘れるかもしれない。それで保存版を奥に異動、前に積読を並べた。あ~疲れた。
ミシンも雑巾だけ縫ってしまって片付けた。

押入れから布団を出し、日に干してベッドに積む。

朝夕寒くなったので冬仕様に模様替えをした方がいいかなと思って押入れを点検して見たり、ソワソワしてしまう、娘は時々来るのにやはり何をして遊ぼうかと思う、やっぱり気分はニコニコだ。




ショートコースを歩いただけで帰ってきた。

午後から一ヶ月毎の診察に行ったら、「体調はいいですね、ウォーキングも頑張りすぎないのがいいですよ」といわれた、順調に体重も減っているのに、こんな楽しいことはやめられないのに。
朝、クリニックのコースを歩いていて、主治医の先生にばったり出合った。診察室の外で出会うと照れる。
あの時間はまずい、先生が車が止めてある駐車場からクリニックまで歩いていくコースはまずい^^;
上り坂がきついし、でコース変更をした。
でも同じ時間に家を出ていると、顔見知りが増えてきた。散歩中の犬まで挨拶に来て手をなめてくれる。



  


ビニールハウスの中はほうれん草や、白菜が育っていた。


チェリーセージ
外国では野草だそうだ、元気がいい。


桐一葉 ならぬ柿一葉。
小学校一年生の時、先生と柿の葉を拾いに出て図画の時間に使ったなぁ。
 

アオサギ
何か見つけた目だな。









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10月8日 木曜日 晴れ <鳥の声>

2015-10-15 | その外のあれこれ
毎日爽やかな秋晴れが続いている。朝一時間くらい周りを歩いて少し汗をかく。丁度いい気温になった。
途中から右に折れて山を抜けるコースをゆっくり歩く。坂を上りきった所のヤブでいろいろな鳥が鳴いている。聞いていると6種類くらいはいるだろう、それぞれがテリトリーをきそって鳴いているのだろうか。
姿を見たいと思って待っていたが、1羽、電線に止まったのを見ただけだった。
ただ声を聞いてもどんな鳥か分からないのが残念。





名前が分からない、シジュウカラの仲間かなぁ


芙蓉がまだ綺麗。


クジャクアスターも満開。


センニンソウ


ノブドウの実
毒があるそうだが美しい。









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堺市立文化館 堺 アルフォンス・ミュシャ館 <ミュシャと世紀末の幻想2015年7月11日~2015年11月8日>

2015-10-14 | その外のあれこれ

堺市立文化館 堺 アルフォンス・ミュシャ館からのメッセージ
アルフォンス・ミュシャは、 現チェコ共和国の南モラヴィア地方に生まれ、19世紀末のヨーロッパで興った装飾様式アール・ヌーヴォーの旗手として不動の人気を得た画家です。
アルフォンス・ミュシャ館では毎回、ミュシャの色々な一面を取り上げたテーマで作品を展示しています。




 
もっと知りたいミュシャ―生涯と作品



シルバーウィークの混雑を避けて堺まで行ってきた。お目当てのミュシャ館までおよそ40分。高速で繋がる地域は速い。

個人所蔵のものを寄贈したそうだが、点数は多く代表作やポスターまで、当時アールヌーボーと呼ばれた時代を偲ばせるに十分だった。精緻を極めた中にも、次第に郷土愛・祖国への回帰はミュシャの生涯によって大きな課題であったのが感じ取られた。パリでの華麗な美しい絵は装飾的な精緻な画風で目を引き成功の証が感じられた。キリスト教を題材にした作品も見るべきところが多かった。

初心者のためのこの本は、ただアウトラインを述べるだけでなく、筆者の深い知識に裏打ちされたミュシャ入門書としてもふさわしいと思った。


サラ・ベルナールを描いて世に出たポスターを、一枚買ってきた。彼が認められたという「オリーブ」を持った絵だが、少し黄変したあたり時代を偲ばせる、ポスターより変形の額が高価だった
 
 
  

 

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10月7日 水曜日 晴れ <白鷺がいた>

2015-10-13 | 山野草


お天気よし。いつものAコースを40分歩いた。
何か役に立つことを考えれば散歩も有益だと思うが、無理に考えても出てくるものでない。
ぼんやりあたりを見て歩くのもいいかも知れない。

若い頃、お昼休みに5目ならべをしていた。周りを岡目八目というらしいが、「馬鹿な考え休むに似たり」といわれた。
私は何も考えずソウかと思ったが、そのときの相手は大いに憤慨して、「だったらお相手してよ」といった。
時代劇なら、「お手並拝見、お相手願おう」というところ。
「望むところ」となったが、相手が悪かった。超一流大学出身者。女の細腕(は関係ないか)ぼろぼろに負けた。女は負けると言うものでもないが、そのときは女に逃げた(笑)
「君は?」私のほうを向いて言うが、わたしなどはなから相手にはならない「ご遠慮申し上げる」と逃げた。

次の日、彼がまた来た、大人気ない。
以後私たちはもう碁盤をよけて音楽室で静かに「ツィゴイネルワイゼン」を聞いた。

時々、憂鬱なときは「馬鹿な考え休むに似たり」と独り言を言う。この台詞も少し役に立っているかも。


で、リズムに乗って歩いていると川に真っ白な点が見えた。白鷺だった。
ちょっと一休み、監察をして記念撮影。空を飛べて姿も美しい。

かえるを食べることは考えないでおこう。






コスモス
真っ盛り


青空が似合うなぁ。宇宙向けアンテナのようだ


白鷺
そばに行っても悠然としていた。






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10月4日 日曜日 晴れ <ウォーキングハイ?>

2015-10-10 | 山野草

門を出てどちらに行こうか考えた。日曜なので少し遅い出発だった、これなら図書館が開く頃には着くだろう、歩いてみるかな。
少し足に自信が出てきたし、予約の本が来ているというし、行ってみようと決めた。

前から気になっていた川端の「何とか散歩道」という札があるところから始めた。
そのあたりは住宅地開発前からの家々らしい。風格のある門構えと、様式が残っている。

車から見ていただけの自然巡回路を抜けて中学校を右に高校の通用門に着いた。そこまで約一時間。日曜日だが、中から校内放送の声や、体育館から歓声が響いてくる。ブラスバンドの音もする。
あの仲間にいた時代もあったのに、遠くなってしまったなぁとちょっとしんみりした。中庭の木立の中にベンチが点々とある。平日には生徒が座って話していることだろう。高校生時代は、体は若く健康であっても何か鬱屈したものもあったなぁと思いながら、暫く校庭の背が高いメタセコイアの陰に入って休んだ。

本を借り、帰り道は整備された巡回路を通った。時々散歩している人にすれ違うくらいで人気のない道を歩いていると、子供のころみんなが働いている山の畑まで一人うら寂しい気持ちで歩いていったことを思い出した。木の湿った匂いや鳥のさえずりや、少し下から川の音がして、何気なく過ごしてきた、大人ばかりの中で遊んでいた子供時代、今でも懐かしんでいるが、ひょっとしたら少し淋しかったのかなぁとふと思ったりした。

帰ってきてみると1万1000歩を越えていた。それでももエンジンは止まらず、着替えた後、お昼の用意をして買い物にまで行ってしまった。

これはランナーズハイには負けるが、ウォーキングハイではないだろうか。
でももう一度行くかというのはちょっとつらい、暫く鍛えなおしてからにする。片道4キロ強は遠かった。






ハナミズキ


ゆず
黄色になってきた。


うつぎ
ここに空木があったのか、初夏に花を見に来よう。


むかご
絡まったやまいもの蔓にむかごができていた。むかごご飯は秋の味だ。


ざくろ
畑にざくろの木があった。酸っぱい味を思い出した。






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激辛唐辛子 「ハバネロ」というもの

2015-10-08 | 山野草

今日は下に向かって歩こうと閃いた。まずは下り坂から。


アレはどうなっているだろう。

一週間ぶりの観察を楽しみにしていた。
いつもの道端の菜園で、奥さんがサツマイモを掘っていた。腰を伸ばして立ち上がったところに、こらえきれずに声を掛けた。
私「すみません、アレはなんですか。ピーマンのような、唐辛子のような、最初は青くて、紫になっていたのに今日は赤いですね。ホウズキみたいにも見えますが」

「アレですか、珍しいでしょう。ハバネロという唐辛子です」
私「ハバネラですか、踊りそうな名前ですね」
「薔薇をくわえて♪、、、そうでなくてハ・バ・ネ・ロ。ですねん」
そこで私は手を打った。こんな人だったのかいつもご主人と二人で仲良く畑作りをしていたが。コントの相棒になれそうだ。

あちらも
「話が遠いですね」と手を止めてそばに来られた。
私も道路のコンクリートの縁に腰掛けて話を聞くことにした。
「最初は一本植えたんですが、長女が触った手で目を拭いたらただれまして、もう作るのを止めろといわれたんですが、今年も苗を見つけましてね、こっそり植えたら、目立ってしまって、あはは これですわ」
私「でも植えたんですね」
「それで長女が、ラテックスの手袋をはめてきたんですが、それが奥さん、あきませんわ、手が真っ赤になりましてね」

私(へぇ~それでも作ったのか、ありがたや)

「胡瓜できゅうちゃんを作りますか」
私「さっと茹でて、このごろはそうめんつゆに漬けてます」
「包丁で切らないで、一口サイズにちぎって、このハバネロの小さいかけらを二つくらい入れるんです。もうそれで3本くらいだったら辛すぎるくらいに出来ます」

もの凄いではないか、激辛、超激辛。横目で見て通っていたこの可愛らしい赤い実がそんな秘密を抱えていたなんて。通るたびに変わった、珍しいものだとは思っていたが。

私「青い頃から写真にとってなんだろうと思っていたので、これも一枚」
「じゃぁ裏返してあげましょう、赤くてきれいでしょう」


その後、三世代6人家族で、たくさん作っているニラは餃子にするが半分は海老を入れる、とか
こうして草をかぶせておくとまだミョウガが出る、ホラ一つ上げましょう。とか
サツマイモを一畝作って掘ったけれど最近の子供も孫も喜ばないので、ふかして梅を干すざるに乗せて干すと柔らかくなって私が食べている。
白い粉が吹いた頃が一番好きだ。などと話が尽きず、私も合いの手を入れながら、聞いてきた。

そのうち、雲が増えてきたので、洗濯物が心配で、ハバネロとミョウガをもらって帰ってきた。ありがとう。


「ハバネロ」検索してみると、お~~さすがに話の通り超激辛。Wikiも企業のHPも生産者のHPまでみつかった。


袋に入れてくれたお土産を恐る恐る開けて写真を撮ったが、触った気がしないのに手から唐辛子のにおいがする、あわててキレイキレイで洗ってきた。

かぶれ易い家族だし、辛いものは苦手なので、飾って話の種にしよう。




裏返してくれた(^^)左手のをお土産に。


赤くて綺麗だ。 










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マグリット回顧展

2015-10-06 | 読書




京都市美術館のマグリット回顧展も後10日になったところで、あわてて行ってきた。
東京開催のニュースで、いつ来るのかとまっていたら、入場券をもらった。
秋晴れの気持ちのよい日、高速も順調に走って、40分ちょっとでついた。最新記録。



作品は131点、その他資料として、広告や楽譜の表紙、ポスターなど、生活のために関わった仕事の一部も展示されていた。

彼の絵画に使われた素材は分かりやすくて美しい。それがコラージュ風に組みあわせて画風を作り上げている。
初期の作品は、同時代の代表的な画家の作品を参考にして、自己を模索していた時代の流れを見ることができた。その後次第に自分のスタイルを生み出し、その中で、思索を深めていったことを表す、今の画風に移っていったことが、作品と横に彼の言葉を添えて展示されていた。

分かり易いモチーフの中に日常の深いイメージが伝わってくるが、それは感覚に迫るような、言葉を越えて意識の底を呼び覚ますような表現で伝わってきた。いくつかの絵の前で長いこと立ち止まってしまった。
有名な鳩や波や帽子をかぶった紳士たちが、まるで異世界を漂っているように不思議な表現で描かれそれが彼の人生観であり芸術感であるように思えた。

何よりも分かりやすい、世界で認められ一目でマグリットと分かる絵の中に、神秘的な日常を超えた感覚がこめられていることが、素晴らしかった。

この本は、同時代を生きたアンドレ・ブルドンの「シュルレアリズム宣言・溶ける魚」に並んでおいてあったので参考に読んでみようと思って買ってきた。

マグリットは多くの芸術家のように作品・才能のために日常生活が破綻するようなことがなかった。14歳で知り合った初恋の女性と結婚して、なくなるまでともに暮らし、ベルギーの田舎町の小さなアトリエで、静かに絵を描いて一生を終えた。
1967年になくなったそうだ。
コンピュタグラフィック技術が進み、写真や絵の加工が格段に進んだ現代、それでもマグリットの思想や感覚は生き生きと感じられる。



余談だが同行した息子が展示場の外でミュシャの絵を見つけた。天野喜孝が好きでミュシャも好き、マグリットも興味を持っていたようだ。
戦争で悲惨な晩年を過ごしたしたミュシャの絵が堺にあるというのでまた見に行くことにした。




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「本取り虫」 群ようこ ちくま文庫

2015-10-02 | 読書



女性に好かれるエッセイを書く人だと聞いて読んでみた。

1996年発行だから群さんは今より若かった。それでも取り上げられている本は、とても共感を持ったし、初めて紹介されているものは読んでみようかと思った。

単に本の紹介でなく、それを自分の生活に取り込んで語られているところ、以前同じ本から同じような感動を受けたことを思い出し、ナルホドと納得した

読書をただの絵空事ではなく、生活の中に浸みこませるような読み方は好きで、人によっては全く異なる読後感を持つことも察しられるが、群さんとは生き方や、受け止め方が当然異なった部分もあり、共通している部分もあって面白かった。

森茉莉「贅沢貧乏」 群さんの目から鱗が落ちた本に入っている。「自分さえ気に入っていれば、人がなんてったっていいじゃないか」これがいい。「どんな状況にいても自分は自分だ」というのもいい。

「檸檬」「山月記」の感覚的な読みもとても面白かった。初めて知ったのが学校の国語の教科書というのも出発は同じ。ただ、教科書を読んでよく分からなかったところが後年読み返し、中島敦の「虎」を読んで、これは人に対するおもいやりでもある。自分が好きになれない人を全く拒絶するのではなく、自分とは異質なものとして認めつつ、理解をするということを教えてくれているような気がする。哀しいだけでなく、一縷の救いがあるのだ。やっと私も「山月記」を読んで、じーんと出来るような歳になったのかと、しみじみとした。
と書いている。

「世間の約束事への挑戦」
「妖婦の世界」
「母娘の絆」
などは生活に照らした想いが述べられている。

「手作りの生活」
私も手作りが好きで編み物や縫い物をする、中でも温かい色合いを染め出す草木染のくだりは、読んでいるだけで豊かな気持ちになる。
日本古来の色や呼び名についての群さんの愛情が感じられる。

森南海子さんの「手縫いの旅」にふれて、生活に密着した手作りの文化を書き起こして、温かい気持ちにさせてくれる。

「古典ってこんなに面白い!」
という章もある。言葉遣いや馴染みのない漢字も読みこなしていけばこんなに面白いものはない。昔も今も変わらない、女はどこまでも女だし滑稽さに手を打つ気持ちにも、変わらない人々の生活がある。
古典は面白い、と書いている。

自分の面倒は自分で見るという独立した生き方でありながら、私のように専業主婦を喜んでいる女にも、そうだそうだと思わせてくれる、読み甲斐のある、新しい読書の世界まで見えるエッセイ 
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10月2日 金曜日 晴れ <竹藪・竹叢で>

2015-10-02 | 山野草

曇っていたが、ポイント情報を見ると、次第に晴れてくるという。急いで出発した。

朝は、いつものように不審者にならない程度に辺りを見回しながら歩く。

夜コースは、散歩の同行人がコンディションで名前をつけた。

・ミニコース(疲れてしまっている時)
・ショートカット(一応一日の気分的な締めであるく)
・一回り(程ほど疲れるくらい)
・フルコース(頑張って2000歩)

朝は、私なりに選んだ5コース+αがある。 今日は坂を下りたら向かいの田んぼに白鷺がいた。コース1だ。のんびり歩いていたので、そばまで行って飛ばしてみよう。と回りこんでじりじりと近ずく。白鷺って少し鈍いかな、ヨチヨチ歩いているのでカメラを構え、さぁお飛びなさいと、二三歩走り寄ってアップにした。これが間違い。飛んだことは飛んだが レンズの外に飛んでいてしまった。(誰も見てなかったとしよう)

またチャンスはあるさ。

つづきを歩き始めて、竹やぶに来た。珍しくもない、いつもの山に向かって竹ばかりがうっそうと茂っている所。山城のたけのこは甘く柔らかく名産品で有名だが、その流れでこのあたりも竹やぶが多くて春に朝掘りのたけのこの売店がでる。ただ悲しいことに若者が「たけのこ離れ」だそうで、気合の入った丸まるとしたたけのこはどこかの高級料亭に行くようだ。

ただ、春になると「むやみに中に入らないでください、警察が巡回しています」などと無粋な札が建つ。

竹やぶで足を止めて奥まで見通してみると、竹の梢は風で強く大きく揺れて、ぶつかるのかコンコン、たまに高い音でカンと鳴る。

竹は粘り強く、繊維が揃っていて種類も多い。生活になくてはならないものだっただろう。近くで野菜作りの人が私を珍しそうに見ていたが、このあたりではどこの屋敷にも少しの笹と竹やぶがあったのだと話してくれた。

そこで、不思議に思っていたので、竹に書いている数字は何かと聞いてみたら、たけのこが生えた年なのだそうだ。

俳句で、「竹の秋」というのは春の季語。たけのこに栄養をとられるので黄色くなるのだそうだが、そこはかとない親心がここにもある(笑)
「麦秋」というのも春だけれど、麦畑ももう近くにはない。花材になって竹の筒などに活けられているのをたまに見るくらいになった。

と、竹やぶ観察をして遊んでいたら、時計が8時半になっていた。9時に植木屋さんがくるといっていた。遅れないようにと普段にないスピードで帰ってきたが、もうトラックが止まっていた。大失敗。





雨雲が西から東に流れている。その上に青い空が見える。洗濯よしっ!


アカシヤのつぼみが出来ている。咲くのは梅の後なのに準備中。


白鷺に出会う。鳥だって物思う秋かも。


十月桜かな? 違った、スモモの花だった。


芋ほりの後、くず芋は捨ててある。時代だな


マイナンバー始まる。竹にも生まれた年がついていた。


「アオツヅラフジ」
秋の実の中でもひときわ美しい(と独断と偏見で思っている)


にんじんの花が咲いていた。セリ科の花らしく白い傘のように開いている。
同じ仲間でも、山や高原で見上げるようなシシウドに出会うと遠くに来た感じがする。







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10月1日 木曜日 曇り <秋風の音>

2015-10-01 | 山野草

今は曇っているけれど、雨の匂いがする風が追いかけてきた。結構きつくて寒かった。こういうときに着るのがウインドブレーカーなのか、名前に感心して、押入れから出さねばと思った。

いつもすれ違う日傘の二人連れも、さすがに傘をたたんで腕にぶら下げていた。

春に風の写真を撮ろうとして失敗した。秋風はどうかな。

春や秋には気圧の変わり目に風がきつい日がある、いつも通る家から風鈴の音がひときわ大きく聞こえてきた。見ると庭の木にぶら下げてある陶器と硝子の風鈴が鳴っている。
短冊が横に千切れるほどなびいて、壊れるのではないかと心配するほどだった。ヨシこれを写そう。「秋風の音だ」と思いつきはいい。
コンデジを構え、シャッタースピードを落としてみた。ぶれるぶれる。余り長くよその庭にカメラを向けるのも憚られて、これは手に負えないと諦めた。
うちの近くまで帰ってくると、今度はちょうちん型の飾りが5,6個くるくる回りながら揺れている。親しくしている家なので結構粘ってみた。
余りスピードを遅くするとぶれる、手持ちのコンデジのせいにして、静止画像のようなものを写してきたが、たかがコンデジ写真、でもそれなりに楽しみがある。

散歩が続けられるのは、歩く道に変化があって、となりの地区に入ると少し古い民家の趣が楽しめること、家が込み合った住宅街を抜けると、自然が残っていて季節の移り変わりが見えること。道の脇に、まだ野の花が咲いている。米作り農家の人たちが四季折々、季節に従って農作業にいそしんでいる。、

日常を少し離れてほっと一息つける、ゆっくり歩いて一時間、毎日の楽しみになっている。



雲が低い、雨が降りそうだ。


出会うと写したくなる「酔芙蓉」 でも数が減ってきた。


「ノブドウ」
アレ! 少し色がついてきた。


この色もいいけれど。


今年のコスモスはこれに決めた。童女のような無邪気な風情もいいし。


風がきつくて首を振っていた、「リンリン」と音が聞こえたことにしようかな。


いつの間にか一枚の田の刈り入れが終わって、鳩の群れが遊んでいた。


左右に揺れながらカラカラと回っていたけど、これは難しいなぁ(T_T)





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