空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「鳥肌が」 穂村弘 PHP研究所

2018-04-28 | 読書



44編を集めたエッセイ集。初めて読んでみたが、じわっときたり、ぞぞぞときたりその怖さが面白かった。


話題の穂村さんのエッセイを初めて読んだ。題名が「鳥肌が」(?)
穂村さんの名前はよく見かけていたし訳された本(スナーク狩り)も読んだので、穂村エッセイに嵌まって全刊読了という人がいると知って借りて来た。図書館では話の予想がつかなかったが。怖い話を集めたものだった。怖いは、気持ち悪いから心理的に恐ろしいものまでさまざまで、後を引くような忘れられないような怖さから、訳が分かればナンダと解決するものまで44編。
いつも「びくびく」暮らしているそうだが、私だって正真正銘、引けを取らない小心者。だから閉所だって高所だって次のシーンを想像しただけで足がすくむ。思い当たるところが多くて面白かった。

☆「母」なるもの
優しくおいしい食事を塩漬けにして、お風呂は熱めで夫にすすめて、、、という話があるがいらないものを愛もどきにまぶして排除していく、というのもなかなか怖いものがある。
ここでは「母」の愛情が柔らかい竹の子の穂先をいつまでも娘には食べさせる。母を通して娘の生まれる前と生まれた後はつながっている。「愛」の極めつけが一面怖い。

「Fちゃんが死ぬのを見届けてからじゃないと、私も死ねない」
怖い。こどもの後に死にたいのか。
まぁ心情がわかるけれど。子供には「ありがとう。じゃね」といって先に死にたいが。

☆ 原材料という不安
ちょっと思い出して、薬品に含まれる「タルク」について調べたばかりで、薬や食品の原材料にはわからない怖さがある。タルクはアスベストに似て非なるもので一応危険なものではないらしいという結論だった。
誰かが甘いものは毒だという極論を言っていた。それにしても過度の肥満はよくない。私も商品の裏を見カロリーもチェックする。生産地も読む。

単純に化学式をカタカナ化したようなものは怖い気がする。カカオマス、麦芽糖はいい
そう、こういうものだとなんだか安心で穂村さんに一票。

☆ 現実の素顔
知識と現実は違う、殺人事件もテレビでは生々しい描写はひかえているし、臨終もあんなものかとおもっている。しかし現実の死はもっとおぞましい姿だろう。それが自分の将来かと思うと恐ろしい。自分だけは違うという今を生きている。父も母も苦しまなかった。未来が見えないのが幸せかもと思う。
手術室で思った。華岡青洲さんのおかげだ。麻酔というものがなかったら超えられなかったかもしれない。ノミの心臓だし。

☆ ヤゴと電車

蜻蛉を喰いたいと蛙がいうのだ。おたまじゃくしの仇を討つと 
                           中村みゆき
一見すると異様な言葉の背後には「論理」の文脈があったのだ。

おたまじゃくしの間にヤゴに柔らかい足を喰われるということがあったそうだ。
穂村さんの、固い文脈、定型の限られた世界の中を想像して読みこなす柔らかい心が見える。
言葉数が限られた文藝では、背後の世界は読み手の持ち分で面白くなるのだなとあたらめて思う。

☆ 落ちている

道に手袋などか落ちているとドキッとする。哀しい存在に見える。

私もツタンカーメンのミイラはあまり怖くなかったが、枕元に展示されていた皮の手袋が一番気味悪かった。はるか紀元前、この中に肉体が入っていたのかと、生々しい妙に迫るものがあった。
同じように、博物館などで観る故人の肉筆というものなども、初めて見るとうら哀しい。

☆ しまった、しまった、しまった

この世界にこれ以上存在したくなくなって実行に移す人がいる。
「ビルの屋上に呼ばれて別れ話をしていたら突然、『俺のこと、忘れられなくさせやるよ』といって目の前から消えちゃった。笑顔でした」

あ~そういうことか。
少し前に似たような本を読んだ。尽くし過ぎた女の目の前で男が消える話だった。死んだわけは、恨みだろうか。絶望だろうか。復讐だろうか。作者が出家したことがあるというのだから宗教的な意味があるのだろうか。単純にもう此岸にいたくはない自分も彼女も自由にしてやろう、彼岸の方が居心地がいい。などと思ったのだろうか。
わからなかったが、こういうこともあるかもしれないと目が開いた気がした。

身近な人間の裏は知りたくない、と強く思った。知らないことは同じだろうか。


☆ ケジャン

この世には思いがけない危険が満ちている。でも立ち向かうための気合いや胆力が私には欠けている。

穂村さんも普通の人だ。そうだから立場を変えて思いやりも生まれる。そうでなかったら歴史に残るだろう。これは小心だが、今の私にだけ通じる人生観で、それも本を読むたびにころころ変わるが。

短編集をより短くしてしまったが、一編ごとに納得のじわっと来る怖さがあった




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「偽りのレベッカ」 アンナ・スヌクストラ 北沢あかね 講談社文庫

2018-04-24 | 読書



レベッカは16歳の時失踪した。11年たってもまだ行方が分からない。万引きで捕まった主人公は「誘拐されたレベッカ・ウインター」ですといった。


efさんのレビューで面白そうだと図書館に予約したらすぐに来た。主にミステリを読むようなって10年くらいになる、定石通りの展開には驚かなくなって困っていた、映画を見過ぎて無駄に細かい所に気が付くようになってしまったように、知るほどにミステリの海は広く深いが、どこかから新味のあるものを掘り出したいなぁなどと、自分は海の浅い所で泳いでいて考え始めたところだったので、ホント面白くて嬉しかった。


主人公は13歳で家出したままホームレスになってしまったが、今も家に帰る気はない、継母だし父親は好きでない。
だが空腹は耐え難い、でもお金はない。
何度か万引きがうまくいっていた、ところが運悪く警備員に捕まってしまった。警官も来た。
尋問され進退窮まって、最近ニュースで見た捜索中の家出人を思い出した。
ツレ(最近覚えたいろいろに使える便利な言葉、今回は彼氏のピーター)が「あれっ 君じゃないか」というほど似ていた。

切羽詰まった。
バレてもともと「名前はレベッカ・ウインター、11年前に誘拐されたの」


ここからいよいよストーリーが動き出す。

そして11年前のレベッカの話と、なりすましたレベッカの暮らしが交互に進んでいく。面白い展開。

両親は涙ながらに迎え入れてくれた。双子の弟たちも駆けつけて来た。

ところが、歓迎されてはいるが、両親の態度はおかしい。双子は成長して家を離れているが、それにしても二人だけの世界は今でも固い。

11年の歳月が流れたにしても、レベッカとそんなにそっくりなのだろうか。

11年前は16歳だったレベッカの暮らしは。
「マクドナルド」からアルバイト帰りに失踪した。ストーリーはレベッカの消えた時間に徐々に近づいていく。
殺されたのか、消えたのか。
親友のリジーも成人しているが、歳月を感じないくらいだ。

居心地がよいと感じたのもつかの間、なんだかおかしい家の雰囲気。失踪した時のままの部屋。
消えたレベッカも何かにおびえていたようだ。

過去と現在のこの不安な雰囲気は何だろう。

と、様々な出来事が起こり緊張感を孕んで時間が進んでいく。

こうなると先が知りたくて一気読み。


作者はオーストラリアの人でデビュー作とか。



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「コナン・ドイル」 ジュリアン・シモンズ  深町眞理子訳 東京創元社

2018-04-23 | 読書



先に読んだコナン・ドイルの作者紹介があまり短くまとまりすぎて、褒めるにしても、何というか身も蓋もないので、読んでみた。


これではシャーロキアン(私はミーハーで主にBBC制作のカンバ―バッチ・シャーロックのファンでしたが)は少し物足りないでしょう。生みの親のコナン・ドイルについても世界にいるというシャーロキアンならとっくにご存じでしょうが、頼まれもしないのにこの本を読んでみた。ホームズというのも、ドラマのタイトル(SHERLOCK)に漬かりすぎて、ホームズとは呼びにくい。180ページほどで写真も多く、好感が持てる面白い本だった。説明されると、コナン・ドイルという人を「善良な巨人」と呼んだというフランスのジャーナリストの言葉に納得した。
コナン・ドイルってどんな人?
本名サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイルというのでね、と知ったかぶりができる。
でもWikipediaでも相当詳しいのを発見した。

コナン・ドイルの自伝や評伝もたくさん見つかったが、推理作家でポーの伝記も書いているというジュリアン・シモンズの本を選んだのがよかった、これは訳者もお勧めで、闊達で簡潔で伝記と作品の評論を合わせて読むことができるそうで、写真も多く作品評はわかりやすかった。

コナン・ドイルという人はお父さんが酒好きで苦労したようですが、お母さんは愛情深く厳しく、学問にも日常生活もきっちり子供たちを教育しました。お母さん好きのコナン・ドイルはどこにいても近況を手紙に書いて、生活費のやりくりを助け、その手紙の写真が載っている。

成績もよくお母さんの希望だったのですが、それに応えるように在学中なのに金を稼ごうと捕鯨船の船医になった。これで彼のロマンティックな気持ちは大いに満足したのですが、尊敬する母(マーム)に稼いできた50ポンドの金貨を渡すのに服のあちこちに隠して楽しませ、船旅で見た外国の風景が気に入って、次に寒い所から今度は熱い国に憧れたのかアフリカ海岸に向かう貨客船に乗った。そこで病気になり(たぶんマラリア)『死神と死闘を演じ』たと書いている。航海から戻って学校も無事卒業して開業することになった。

彼は大柄でスポーツマンだった。今でいう体育会系、思い立ったら性急に一直線に進む気性で、ラグビー仲間に共同経営で医院をどうかと誘われて乗った。患者は多くて順調だった。

だがこの友人は変わった治療法と薬の濫用で利益はほとんど薬代、おまけに趣味の発明癖があった。
マームからの手紙に「彼はいかがわしい山師に思える」と書いてあった。その手紙が盗み読みされていたと知り、別れて開業したが約束の経済援助もなく窮地に陥った。
マームの援助もあってまた新たに開業したが思わしくなく、短編でわずかに稼いだこともあり、今度は長編を書こうとした。だがまだ名もない身で断られ続け、8年後にやっと「ガールストーン会社」が刊行された。次に「緋色の研究」が25ポンドで売れた。
これまで8年間短編を書き続けていたが本人は歴史小説が書きたかった。評判が良かったので二冊目のシャーロック・ホームズもので「四人の署名」を書いた。この支払いで何とか息を継いだ。
書きたかった長編歴史小説「ホワイトカンパニー」は最高の自信作に仕上がった。書き上げた時は「やったぞ」と叫んだそうでそれでもまだ本業は医者で、まだドイルにとって小説は副業だった。だが弟のヤニスを寄宿させて育てていて生活は楽ではなかった。
弟と二人きりの生活は短く、最初の妻と結婚した。

コナン・ドイルは新しいことに挑戦するタイプで、それも熟慮してということはなく軽々と決断する癖があった。ドイツの新しい結核の治療法が見つかったと知ると妻を連れてドイツまで行った。ドイツで切りあった医師の勧めで進んだ知識を取り入れるためウィーンに向かったが、ドイツ語に躓いて帰国する。
新しい医院には相変わらず患者が来ず、重い風邪を引いたこともあってこの時文筆一本にかけることを決心した。

次第に名前を知られるようになりアメリカで歓迎されたが、妻が結核に侵され長い介護生活に入る。この頃のストレスをさけるため書斎と外の生活に逃げた。


飾り気がなく、外交的で親しみやすい人だったが、自分が好きで直情径行、スポーツマンで愛国者だった。

ロードレースにも参加した。
わくわくするような出来事に出来るだけ近づきたいという本能こそ、一生を通じてしばしばそうであったように、彼を衝き動かしている最も大きなものだったろう
と、シモンズは述べている。
ボーア戦争で前線に出たり、捕虜収容所を訪れ、自由人の気概を読み取り親近感を持ったが、この戦争での体験、彼はすべてに強烈な反応を示したが、この熱中癖は彼の持って生まれた性癖の中で最も魅力的な一面だった。

また 初期の読者を何よりも驚嘆させ、喜ばせたのは、ホームズの推理法であった。つまり、一目見てある人物の職業を言いあてたり、ときには、ワトスンの視線の方向と表情の変化とから、その心のうちを読みとりさえするそのやりかたである。


あけっぴろげで、親しみやすく、情にもろく喧嘩っ早い、コナン・ドイルという人が、一癖も二癖もあり嫌味なところもあるシャーロックを書いて名を高めたが、実は短編も含めて、好きな歴史小説が書きたかった。SFや伝記や詩も戯曲も書いているがあまり知られていないそうだ。
ただ晩年は心霊現象の研究に打ち込んだ。妖精がいると信じていた。

婦人参政権には憤懣をもって、女は家に入るべしだと思っていたそうだ。
彼が力を入れた作品の多くは過去のものになったが、シャーロック・ホームズは今でも読み続けられている。でも短編集を含めて9冊しかない。

1930年心不全で亡くなった。71歳。

簡単なメモ仕様なので、読んでいただいてもあまり役立たないと思います。知っている人は知っている、知らない私はそれなりに(古)、書いてみました。




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「ブラッド・メリディアン」 コーマックマッカーシー 黒原敏行訳 早川書房

2018-04-11 | 読書




美しい風景描写に救われるが、そこに血の跡を残していくインディアン討伐隊。マッカーシーは汚れつつ生まれたアメリカ開拓期の一面にある、人と命を直視する。


半分ちょっと読み残している「平原の町」が気になるが、これはYasuhiroさんがレビューされた素晴らしい労作に感謝して「Cities of the Plain」を読んで解決したつもりになってます。
ビリーが繰り返す不幸そうな恋愛と、ジョン・グレイディの共演は面白そうですがなんだか気が乗らずおいてあったのですっきりしました。これも又機会があれば読みたいと思っています。

そして取り掛かったのが「ブラッド・メリディアン」でこれは読んでおかないと一応マッカーシーの締めにならないと思って。
あとがきでは「20世紀アメリカ文学屈指の傑作。歴史的現実を尊重するもの」とか。あちこちでこれは傑作だという評があふれています。でもしっかり理解できず多少のもどかしさが残るのです。特に、時を経て判事と少年が再会して何を話して何が起きたのかよくわからなかった。ここは勝手な想像でいいのだろうか。

少年(the kid)とだけ呼ばれる14歳の主人公は1833年に生まれている。まさにインディアン狩りの渦中に成長している。孤児になった彼は生きるすべとして誘われるままに頭皮狩りの一団に加わる。
文字通り頭の皮をはぐ、頭皮狩りのなんと血なまぐさい、残虐とくれば非道。なぶり殺し、斬り殺し、吊るし、もちろん葬りもしないが、時には穴に放り込んで埋めることはあっても、それは自分たちを守るため。
政府の政策で殺した頭の皮の数で金をもらう、米墨戦争の後兵士たちが仕事にあぶれ、生きるために選んだ仕事がインディアン狩りなのだ。
建国の途上にあったアメリカは、国土拡張路線で各地でインディアン排除の戦いが繰り広げられていた。西部開拓史の始まりは、戦争の歴史で、騎兵隊、インディアンともに名高い戦争英雄の物語を残した。だが人間の暗い行為の歴史の後を残してもいる。

マッカーシーはこの時代のド真ん中に筆をおいて書いている。
批判するでもなく同調するでもなく、登場人物の行為に沿ってリアルな光景を描き出している。

グラントン将軍を頭にした頭皮狩りの一団は、インディアン部落を探して、砂漠を渡り山を越えて、谷間の貧しい集落を襲う。これは実話に基づいていて隊員にはモデルがあったそうだ。

水辺で逃げまどう人々を狙撃し、動物を殺し、大人も子供も頭の皮をはぎ髪でつなぎ、首や耳を戦利品代わりに首にぶら下げて行進する。読み始めは泡立つような不快感があるが哀しいかな不思議に慣れて読んでいく。
中には逆に襲われて命を落とす隊員も出る。
町につくと皮を数えて高値で売り捌き、女と暴力、酔った勢いで手当たり次第の破壊行為、殺人、無法の限りを尽くし、町に入ったときは歓迎の声に迎えられたが、出るときは怯えた人々は顔も見せない。

主な人物は隊長のグラントン、ホールデン判事、元司祭、少年、黒人と白人の同名の二人。斥候に出るデラウェア族のインディアンたち。隊員が殺されたり死んだりして、隊員が減ると街で募集する。
障がい者の弟を連れた兄が加わる。グラントはなぜかその知的障がいをもつ弟を檻に入れて曳かせる。
何を思ったか迷い犬に餌をやりいつも連れている。
ヒューマニズムというものでもない、彼は隊に加えて連れて行き、不要になれば無残に切り捨てていく。

独特の存在感がある身長二メートルをこす無毛のホールデン判事。眉毛もまつげも頭髪も体毛もない禿頭の彼が聳えるように 登場すると不気味な空気に包まれる。外国語を自国語のように話し絵を描き、科学に通じ学識が豊かで、歌もダンスもうまい。何気に隊に加わりインディアンを無感動に殺し、自説をとうとうと述べる。その説や思想は 一面正当にも聞こえる。コーマックはこれ聞き流すように書き続ける。この説が彼の何に起因しているのかはわからないが、判事という人格の一面を著しているには違いない。

生と死に関した彼の説は興味深い。

人間は遊戯をするために生まれて来たんだ。ほかのどんなことのためでもでもなく。子供は誰でも仕事より遊戯の方が高貴であるのを知っている。遊戯の価値とは遊戯そのものの価値ではなくそこで賭けられるものの価値がということもね。

カード・ゲームをする二人の男が命以外に賭けるものを持っていないとしょう。こういう話は誰でも聴いたことがあるだろう。カードの一めくり。この遊戯をする人間にとっては自分が死ぬか相手が死ぬかを決定するその一めくりに宇宙全体が収斂する。一人の人間の値打ちを検証する方法としてこれほど確かなものはあるかね。遊戯がこの究極の状態まで高まれば運命というものが存在することには議論の余地がなくなる。あの人間でなくこの人間が選ばれるというのは絶対的で取り消し不可能な選択であってこれほど深遠な決定に何者の作用もはたらいていないとか意味などないという人間は鈍いとしか言いようがない。負けた方が抹殺される遊戯では勝負の結果は明確だ。ある組み合わせのカードを手にしている者は抹殺される。これこそがまさに戦争の本質であってその遊戯の意味も経緯も正当性も賭けに勝ったものが手に入れることになるんだ。こんなふうに見れば戦争とは一番確かな占いと言えるだろう。それは一方の側の意思を試しもう一方の側の意思を試すがそれらを試すより大きな意思はこの二つの意思を結び合わせるがゆえに選択を強いられる。戦争が究極の遊戯だというのは要するに選択の統一を強いるものだからだ。戦争は神だ。


言い切る判事は狂っているのか。戦争は神だ本能だと言い切る。
彼の信念はゆるぎなく、集まった人々に向かって延々と話し続ける。彼の肩にかけた袋には頭皮と引き換えた金貨や銀貨で膨れている。
神を信じない元司祭が時々反論する。

こういったシーンが多いが、一面狂ったような、しかしある時代にはそれが正義であった生き方を語る中に、難しい命についての論理(そうと言わないまでも一種の哲学)が挟み込まれている。無残に殺される人々は、選んでもいない環境や運命の中でもがいて死ぬ。
空を見上げる、時には雨上がりの霧に方向を見失うような何もない荒れた世界から平和に戻った文化文明は、ただ時の流れとともに人の知恵や力の結果生み出されるものだけだったのだろうか。
10日、半月あるいは何年も飢えや渇きに耐えて生き続け、罪の意識なしに同じ人間の命を奪う。狂った時代に生きた人々の、善悪を超えた論理を書いていく。
討伐禁止令が出て彼らは追われるものになる。

命がけの究極の選択(例えばユタ族との戦いで多くの犠牲を出し逃げる、砂の山を上るか下るか川を渡るのは生か死かというシーン)の中でも、マッカーシーは隊員のエゴはそのまま無惨な風景を描写する。光るあるいは澄み切った言葉たちをつかって現実の風景を掬いあげる。続く作品につながる命と一体化した透明なほど美しい言葉が作る宇宙観は、ここから始まったのかと思いながら読む。
ここでも変わらない見事に澄み切った詩的な風景描写。月や星座の巡りや雷鳴や砂の流れや落日の描写だけでも無数にある。
マッカーシーの作品には心理描写がないといわれる中で、こうした風景から浮かび上がってくる、人の心のありかたの抒情は、優れた自然描写が虚空に繋がり心に訴えかける見事さは、残酷な行為を描いているにしても、時々しんとした静寂に包まれ深い感銘を受ける。

最後のページ
短いエピローグは何を意味するのだろう。大きな視野から見た人間の営みのことだろうか。
判らないたとえ(スパークする鉄球)の、不思議な文章だった。


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「あの紫は」 皆川博子 実業の日本社

2018-04-09 | 読書



わらべ歌と詩をモチーフにしている。それは夢の中から生まれたように、今になって現実ににじみ出てくる、夢だったのだろうか。その不思議にとらえられた人たちの話がなにか妖しい情感を醸し出している。


前に読んだ「蝶」は詩や和歌が取り上げられていた。おなじように歌がモチーフになっている。
童話や童謡、わらべ歌などはよく読んでみると文字通り恐ろしい出来事などがさらっと歌われていることに気が付く。「わらべ歌は恐ろしい」とか一時はグリム童話などとともにも話題になった。
「ことろ」という歌があった「コトロコトロ ドノコヲ トロウ」と祖母の歌をまねて私も何気なく歌っていたし「はないちもんめ」も、「どの子が欲しい」とうたっていた。

ただ皆川さんのこの本には西城八十や白秋の「詩」と、「わらべ歌」も入っている。様々な工夫を凝らした短い話の底の底に、詩や歌になぞらえて、そこからにじみ出る幻想的な風景が哀しく、中には狂気じみたストーリーになっている。それが身近な生々しい現実につながって皆川ワールドが展開する。
図書館で見つけて借りてきたが、1994年の初版だった。とりあえず備忘録として。

「薔薇」 船の中の 赤い薔薇を 拾ったものは
水たまりに落ちていた本はここでちぎれていた。荒れた社の前で千釵子が「返して」といった。二人とも家族と馴染めなかった。女学生の千釵子は僕より7つ年上だったが不良だと言われていた。社の階段を上がると千釵子はサーカスにいた彼が行方不明になったといった。そして僕をきつく抱きしめた。そして。

「百八燈」兄さは川を超えなれも 兄さは舟にのりなれも
歌声が聞こえた。ペルゴレージの「スタバト・マーテル」この悲しみの調べにふと足が止まった。幻聴。
五人で映画を撮る相談をした、一億の半分は目途がついた。アミダで決めれば。「片眼、片足、片手、おれが三千万作る」「ばか、やめろ」
父親も映画を撮っていた。ちょっと話題になったそうだ。二度目の若い母に累子が来て女の子が生まれた。ナデシコと名付けた。「かさねとは八重撫子の名なるべし」父が曽良の句を引き合いに出した。「怪談累が淵」か。
兄さは川をこえなれも 
累子の兄はバイク事故で死んだという。5千万あてができた時、金は父の脚本に流れた。5千万のために俺はバイクで当たって失敗した。思うと累子がけしかけたのだ。昔の累子と俺。これは俺、死者の記憶だ。

「具足の袂に」 具足の袂に矢を受けて 兄から貰うた笙の笛 姉から貰うた小刀
母が死んで預けられた叔父の家の空き部屋は、息子の肇の部屋だった。肇は頭の病で入院中だと女中がいった。押し入れには彼が買い集めたという本があった。禁断の本の中には禍々しい世界が蠱惑的な挿絵とともにあった。中にあった一節を口ずさんでいると、蔵の中から次女の百合子が出て来た。彼女も同じように口ずさみ、肇は蔵の中にいるといった。

「あの紫は」 あの紫は お姉ちゃんの振袖 
水の面に手が咲いている。(印象的な書き出し)
子供時代の一つの夢の思い出がある。その花のように開いた掌に青い葩びらを落とした。つゆ草のひとひらと、女の手の記憶だった。
退屈しのぎに乗った金沢行き飛行機のシートで夢を見ていると、端の席の女の香りと重なった。なぜか手首の話を漏らした。初対面の女は今時珍しい匂い手袋をしていた。あの手と同じではないのに手首のことを話してしまった。
手首の女は紫の着物を着ていた、そんな矛盾した話も夢だから、、、。
口をついてでた死んだ姉の手帳にあった鏡花の詞、女はそれに曲をつけるといった。私作曲家なの。
そして彼女は「時」と「時間」について言葉を探しながら話した。時は刹那だし永遠でもあるの。
飛行機が揺れた。過去は今と同時に存在するわ、手袋を脱いだ掌に青いしみがあった。
あなたは水に沈む私を見ていたのね。
彼女はのぞいている子供を見たのだろうか。

「花折りに」 花折りにいかんか なんの花折りに 彼岸花折りに
うたいながら石段を上る小さな少女、少年も石段を上る。上は曼殊沙華が咲き乱れる墓地。二人は雨をよけて身を寄せ合って眠り、雨の中で曼殊沙華を手折って踊った。
浪人中の由比は相良に出会い映画作りの手伝いになった。現場は下手な女優久美、と叔父だという古藤がいた。
ふと古藤は久美が妹だと漏らした。姓が違うのは俺が私生児だから。添い寝するのは久美の悪夢を見てやるためさ。
石段を上る小さな少女、少年も石段を上る。上は曼殊沙華が咲き乱れる墓地。
俺は夢を見ているのか。これは古藤の夢か。
夕べさ、久美子孕んだかな。これも古藤の夢か。

「睡り流し」 睡り流し 睡り流し 睡り流して捨て申そ
雨をよけて入った喫茶店で隅に座っていた男から声を掛けられ、その話を聞いた。
医者の家系だったがなぜか男の子が短命だった。
姉が私のことを、捨てられっ子の拾われっこだといったのです。
子供の頃のことは,襤褸小屋に流れ鍛冶の家族がいたことしか覚えていないのですが、そこで鍛冶屋の女房が駆け込んできたのです。夫がけがをしたというので。傷が治って一家はどこかに移っていきましたが。
それは夢のような記憶です。
東北に、眠りながしという祭りがあるそうです。ねぶた流しの源流だとか。夏の眠気醒ましの祭りと言われていますが、不運不幸を眠りと一緒に流す催しだという説もあるようです。
でもあなた早世しなかったのでしょう。どうかな生きている実感が薄くて。
捨てられっ子の拾われっ子だった彼は無事育ったのですが。
この話はとりとめもなく、鍛冶屋の話がなにかしら、気味悪く面白かった。

「雪花散らんせ」雪花散らんせ 空に花咲かんせ 薄刀腰にさして きりりっと舞わんせ
足元に封筒が墜ちていた。――新聞で「雪花散らんせ」というエッセイを拝読したのですが――
納戸に「雪花散らんせ」という絵があり、ビアズレーの悪魔的な美と国貞の錦絵とを融合させたような画風であった。

女にしては凛々しく、男であるなら優雅に過ぎる。
しどけなくまとった曙染めの大振袖の衣裳は右肩から半ば滑り落ち、ふくらみのない胸から右腕にかけて肌があらわになっている。その右腕は肘から先がなかった。左の肩にかろうじてかかる衣の袖は、だらりと垂れている。つまり、左の腕もないのである。極彩色だった。金泥をぼかした背景に、散り舞う桜は渦を巻いていた。「さゆめ」という署名があった

これが皆川さんの語りで、既に妖艶な世界に誘われる。

エッセイが縁で、田上に差出人である作者の孫という喫茶店のマスターと、木版画に出会う「牡丹燈籠画譜 沙羅さゆめ」という題簽がついていた。
マスターは天野と言い筆を折った画家だった。
雪花散らんせ は偶然現れた詞だったが、夢の中の歌だと言ってマスターの前で歌った。マスタ―も歌い「私も夢で覚えたんです」といった。
そして立てかけてある屏風絵を見せた。

妖しについての友人との会話、マスターの持っていた絵の来歴。血の流れる絵のおぞましさ、などが歌のような雪花の舞う絢爛の中に秘められた歌舞伎役者の姿を絡め、最終章にふさわしい厚みがある。ただ最後のところ少し平仄が合い過ぎかも。

一気に読める短編集で面白かった。皆川さんは作品の数が多いので次は何を読もうかと楽しみになる。




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「消された政治家菅原道真」 平田耿二 文藝春秋

2018-04-01 | 読書

  
難しい官位の読みや意味にぶつかりながら読んでいると、1100年の流れの向こうに道真という人を感じることができた。 著者の平易な解説で疑問が少し薄れたようだ。
 
***

先に読んだ大岡信著の「詩人菅原道真」は、歴史と文学の面から主に道真の残した詩文に光を当てていた。
主として文人としての道真像が(当時の歴史的な背景の影響も書かれていたが)漢詩人であり、優れた学識を備えた学者として学問の神になったという歴史の流れや、一方で学聖と呼ばれるに至った経緯などは、近年の研究書も伝記も多く残っていて、私なども今までの大雑把な知識としても理解できるものだった。

だが、政治家という面から見ると、一時は権勢を極める地位にいて、力を尽くして多くの政治的改革案を準備したがその地位が一夜にして崩壊し、遠い太宰府に左遷されたという事件は、その根底にある不思議な経緯については疑問符とともに大雑把に想像される範囲だけだった。
藤原氏との長い確執の末、根本は権力争いという面を持つクーデターに敗れたということはよく知られているが。

この「消された政治家」という表題はとてもインパクトがあって、政治家菅原道真がその大きな流れのなかから、支流に追いやられたというより抹殺されたのに等しい非常にショッキングな出来事を研究者の目で知ることができた。

文人道真の面からしか知らなかったけれど、当時の政治とその根幹を支える税制の形、時代とともに逼迫してきた経済事情など、多くの問題を解決しようとした道真の業績は、現在は政変後、藤原時平の輝かしい業績になって残っていて、基礎になったとおぼしい道真の綿密な草案(実行案)は資料がのこっていないそうだ。

余談だけれど、一昨年の秋「浄瑠璃寺」の帰り「恭仁京跡」に寄ってみた。広い空き地を少し高くした土地に塔の跡だけがあり心柱の礎石が残っていた、当時遷都を繰り返しさまよった聖武天皇と光明皇后一行はその費用も莫大だったろうし、大仏開眼の材料費や人件費はどうなったのだろう、租庸調の税で滞りなくまかなえたのだろうかと、些細な家庭の会計を預かる身に過ぎないけれど、なんだか歴史の跡を訪ねてロマンに浸っていてもいいのだろうかと、ここでも庶民の目には不思議に映っていた。

読んでいると、初期の律令財政はよく機能して国の経済はまかなえたようだ。だが人頭財を基礎として成り立っている間に、道真が実地調査をしてみれば書面上だけでは解決できない出来事も多く、結果財源が不安定になって来ていた。使途は拡大し監査制度も地方に行くと杜撰なものになり、単純な収支費目の裏には多くの矛盾が発生してきていた。
歴史の流れにはこういうことは起こりうることで、実情に合わない原因は、口分田から上がる租税を私有化したり人頭税にかかわる戸籍を偽って減収になることも多く、収支のバランスが大きく崩れ始めてくる。経済的にも苦しく暮らしも貧窮度が深まると村人は逃げ出して人口が減り、帳簿と合わなくなる、記載漏れの減籍という不具合も起きる。

道真は戸籍の不明確な人数による課税制度をあまり変化のない土地税に替え、改めて検地を行うことを定めようとした。
その時に遣唐使の廃止も含まれている(資料が少なく様々な説があるが)道真が派遣されることが決まってすぐの廃止の上奏はその原因に疑惑を生じたことも述べられているが、やはり政治危機、律令制度の行き詰まりから国政改革を優先した決断だろうと推察されている。
しかし、土地改革は多くの寺院や富豪層にも大きな影響を与えた。私有化の増加という問題もあった。
そのために現地調査の検税史の派遣が必要だという案が浮上した、しかし道真は正確に機能するのかを確信できず廃止案を奏上した。税の申告やその調査は人の信頼の上に立つ。律令制度の乱れはそういった人々の欲望から徐々に乱れ財政をひっ迫させていたと考えた。

律令制度の乱れは根本的な改革が必要だという考えは、当時の宇多天皇に受け入れられ権大納言、右大将に任じられ最高の地位について、即実施できることになった。
左大将、大納言に先任の藤原能有の後を継いだ藤原時平が任じられた。以後二人は政治の車の両輪として働くことになる。

その後、宇多天皇は出家して譲位し、13歳の醍醐天皇の世になる。宇多天皇は二人の大臣に助言を求めるよう若い帝に伝えた。この譲位の思惑については諸説あるようだが一線から退くことは道真も賛成したというがその影響を考えなかったわけはない。それでも何もかも二人を通さなくてはならないというのは双頭政治の窮屈さも感じられる。

そして、さあ国政改革に取り掛かろうとした矢先、確執のあった文学博士の三善清行から、陰陽道を元にした道真への引退勧告が出た。藤原氏の敵愾心や反発が表に出たものだという説で、道真は取り合わなかった。
身の危険を感じて道真も減給や官位辞退を申し出ていたが、醍醐天皇が詔で道真の援護をしていた。
しかし、陰陽師説の時代で、予告された不吉な「辛酉の年」を迎えた。道真の新制改革は次々に実現して、藤原氏の影が薄くなっていた正月7日に道真はさらに昇進した。そして25日醍醐天皇から突然、追放の宣命が出た。もっとも輝いていた大臣の地位から一挙に太宰権帥として左遷されたのだった。

宇多法王は二度擁護のために馳せつけたが参内が許されなかった。道真とその家族兄弟一党と藤原氏の明暗が確定した時だった。

東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主人なしとて 春を忘るな
君がすむ やどの梢を ゆくゆくと かくるるまでも かへりみしはや

こうして長い陸路を通って太宰府につく。過酷な指令が出て援助もなく、食料や替え馬を与えないこと、俸給も従者も与えず政務に関係させないこと、など前途は非常に厳しいものだった。
連れて行った子供二人とも貧しい生活で亡くし、道真も59歳で亡くなりその土地に葬られた。「菅家後集」

去年の今夜 清涼に侍す
秋思の詩論 独り腸を絶つ
恩賜の御衣 今ここに在り
捧持して 毎日余香を排す
    
若き17歳の新帝に抱いた愛着を57歳の老臣が深い感慨を込めて回想したもの。彼は天道に無実を叫び、荘子の哲学に救いを求め、流罪の苦しさを歌った。天皇に対する忠誠の心は時として乱れることもあったが心の支えであった。


その後天皇家に不幸が続き、また藤原氏も主流の家柄は続かず様々な天変地異が続いた。それを道真に結び付け供養と贖罪の意味を込めて神殿を建て今に至る。

罷免の理由などは推測だが、多くの不明な点はまだ残っている。現代の研究では道真の冤罪に傾き、有罪説より多いそうで、やはり讒言による悲運と、天皇の意思も時流には逆らえないという、いつの時代にも変わらない流れがある。道真は家系も亜流であり政治的な後ろ盾は天皇と道真の私塾に集まったサロン出の官僚が半分を占めていたことで、その優秀な集まりがかえって反感を買った。
道真を排除した後、新しい国家体制がスタートした。後期王朝国家になり鎌倉幕府の崩壊まで続く。

この頃はまた難しい室町時代王朝貴族と武家が並行するする歴史が始まった。

***
子供の頃、新年に友達と藤井寺の道明寺にお参りした。道明寺天満宮は、道真の伯母を祭る尼寺で、今では国宝になっている道真の遺品や筆がある。
今は近くに菅原神社が二か所あり(どうしてふたつ近い所にあるのかが不思議だが)やはり梅の花が咲くころに行くと美しい。毎年初詣に行きおみくじを引いて年が改まる。






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HNことなみ


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