空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

うろんな客 エドワード・ゴーリー 柴田元幸訳 河出書房新社

2021-03-18 | 読書

ゴーリーの絵本。ユニークでシュールで特に深い意味もないが読んで眺めると胸がくすぐられる。ああ楽しくてほんのり暖かくて面白い。
「うろんな客」が突然現れた、顔は尖がったオオアリクイかバクのようだが直立歩行で人のようでもある生物。
風の強い冬の夜にベルも鳴らさずやってきた。

わずか30ペ―ジほどで左半分に二行ほどの英語文と訳、右にイラストがある。

解説を読めばもう言葉は尽きるけれど。

風の強いとある冬の晩、館に妙な奴が闖入(ちんにゅう)してきた。そいつは声をかけても応答せず、壁に向かって鼻を押しあて、ただ黙って立つばかり。翌朝からは、大喰らいで皿まで食べる、蓄音機の喇叭(らっぱ)をはずす、眠りながら夜中に徘徊、本を破る、家中のタオルを隠すなどの、奇行の数々。でもどういうわけか、一家はその客を追い出すふうでもない。
アメリカ生まれの異色のアーティスト、エドワード・ゴーリーによる、1957年初版の人気の絵物語。なんといっても、「うろんな客」の姿形がチャーミングで、忘れがたい。とがった顔に短足。お腹がふくらみ、重心が下にある幼児型が、稚拙な仕草をほうふつさせる。
この客、傍若無人ながらも憎めないのは、多分、彼が無心に行動するからだろう。たとえば子どもにせよ、ペットにせよ、無垢で無心な存在に、手はかかるけれども案外私たちは救われているのでは。そう思うと、この超然とした招かれざる客には思いあたるふしがある、と深いところで納得させられもするだろう。
白黒の、タッチの強いペン画と、文語調の短歌形式の訳が、古色蒼然としたヴィクトリア風館の雰囲気を、うまく醸し出している。明治時代の翻訳本のようなレトロ感も魅力。原文はゴーリー得意の、脚韻を踏んだ対句形式。どのページの絵も、これまた芝居の名場面のようにピタリときまって、子ども大人共に楽しめる絵本だ。(中村えつこ)


もうこれで何も加える言葉はないが、それでもどこが好きかというと、この家族がいい。三世代の五人が住んでいる中流家庭のようだが、変な客に振り回されながら「もう、困ったやつ」「おいおいそれは捨てるな」と一応言ってみるだけ。客は好き勝手に暮らしていて、振り返ってみるとかれこれもう17年も住み着いているのだ。

シュールといえば「スナーク狩り」も何が何だか説明のできないおかしみがあった。穂信さんのリズム感のある訳もノリノリで、ちょっとどころか全く異世界のようなずれた話なのに取り込まれた。

そんな類の絵本だろうか。ありそうでなさそうな、へんてこなお話がなぜ心に残るのだろう。
もしかすると、今生きている世界も自分が納得しているだけで、違った眼鏡をかけると大いにずれた暮らし方かもしれない。

この「うろんな客」をあまり抵抗なく受け入れている家族もそんな少しずれた世界に住んでいる。でもそんなことには気がついてなくて、「うろんな客」もまたそんなずれが居心地いいのかもしれない。

訳の柴田元幸さんは、韻をふんだ原文を四文字熟語に置き換える面白い試みをしている。

小さい薄い絵本でもこんなにこんなに広い世界で遊ぶことができて楽しい。
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3月16日の散歩

2021-03-18 | 日日是好日

風邪気味でちょっと外出を控えていたが、外に出て歩いてみた。春なのに♬ うちにはいられない♬

黄砂かPM2.5か山の上は霞んで、くしゃみが止まらない。

公園の桜のつぼみはどのくらい膨らんだかな?

まだこのくらい。

ユキヤナギもうっすらと白くなった。

ローズマリーって今頃咲くのだ。何度挿し木しても失敗する。

可愛い顔に似合わず丈夫で育てやすい。今満開。

匂いすみれの香りは周りの花よりも強くて嬉しい。

昔々中国から海を越えてきた。古事記の時代から今でも数を増やし続けている。

紫木蓮もいいが明るい白やピンクも春らしく美しい。

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「生まれながらの犠牲者」 ヒラリー・ウォー 法村里絵翻訳 小学館文庫

2021-03-18 | 読書

これは「失踪当時の服装は」と似た雰囲気だが、随分後に書かれた、フェローズ署長が指揮を執る別のシリーズ。衝撃のラストという言葉通りの作品。
これを先に積んでいたが、初めての作者なので発表された順がいいだろうと「失踪当時の服装は」から読み始めた。

コネチカット州ストックフォード警察署、フェローズ署長が指揮を執るシリーズ。
「失踪当時の服装は」とは別なシリーズになるが、よくあるメンバーの私生活や個人的なつながりに深入りしていないので個別な作品として楽しめた。

続けて読んでよかったのはプロットがよく似ているし混同しそうだった点だが、並べてみるとストーリーの違いが整理できた。
警察の捜査方法も、書かれた時代を反映している。今から見るとスマホもなく科学捜査の点でも足を使っての証拠集めが主になっているのもよく似ている。
ただ「失踪当時の服装は」に比べて「犠牲者」という言葉があるところが登場人物は重く、社会的な影が濃く、個人の人生を踏まえた深みがある。
どちらかといえばミステリに哀切な色付けがされた時代背景や社会環境の影響が濃い作品だと感じた。

代表作とされる「失踪当時の服装は」と雰囲気が同じようなところも多かったが、やはり読んでよかった作品だった。
題名のとおり「生まれながらの犠牲者」が語る最終章が、まさに慟哭の結末で、伏線にも気づかないで一気読みをした。

ヒラリー・ウォーはチャールズ・ボウエルのノンフィクション「彼女たちは、みな若くして死んだ」に啓発されてミステリを書き始めて成功したのだそうだが、参考図書を読むのは好きだが、こういった犯罪はフィクションだから読めるので、現実に起きた事件なら悲惨な結果に眼をそむけたくなるだろう。犯人も被害者もいわば不幸な出会いがあり、被害者になり加害者になった。その不幸は環境や素質の歪みであったとしても、即犯罪に結びつくのはやはり異常で、ミステリにだけ許されることだろう。昨今の似たような事件でも死刑判決が出て執行された例がある。だがやはり罪は罪で被害者がどんなに恵まれない環境で育ち性格が大きく歪んだ結果にしても犠牲者の人生を恐怖に陥れることはできない。

この作品で美しい13歳の少女の人生がどんなふうに閉じられたか。捜査の足並みが深みに踏み込むにつれ、伏線も見逃す新しい視点で読んだ。二作を比較して同じようでいながら犯人は誰だというミステリの根本はこうも書けるのだという新しい読み方ができた。
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週末なので、葉玉ねぎでまた二日分の献立でも

2021-03-12 | 日日是好日

明日と明後日の献立を考えながら空を見ると雨が降りそうな曇天。

まぁ一回りしてから買い物にでも行こうかな。今日はちょっと違った道を歩いて花を見つけよう。

下り坂をだらだら下りると畑や田んぼが広がっている。そこで直販とかで葉玉ねぎを売っていた。

今日のはこれから収穫らしいので声をかけると、畑に入って「新鮮な方がいいでしょう」と抜いてきてくれた。

3本100円、とれたてだし安い。100円分だけというのもちょっとと思って6本買ったら、長い葉っぱ付きで結構重かった。

ちょうど「分葱のぬた」って今頃かなぁと思っていたので、玉ねぎの柔らかそうな葉っぱがおいしそうだったし、もう散歩は早々に切り上げて帰ってきたら雨がぽつぽつ。

桜のつぼみが膨らんできた。空が曇ってそろそろ雨が降り出しそう。

明日も明後日も雨模様で、コロナ禍の休日「ウィルス流し」の雨になぁれ。

近くの果樹園のお店。毎年レモンを20個買う。行かない間に季節が過ぎて

レモンは買いそびれてしまった、アマナツがカゴの底に売れ残っていた。

こんなに集まるときれいだな。ホトケノザの群生。

ここはオオイヌノフグリの青い絨毯だったが野草の世界も

生き残りの戦いが。

ここも。

ツクシが三本、見つけた(^▽^)/

地味な直売店、これから並べるらしい。畑の中で作業中の人が見えた。

何を売るのか聞くと、太ネギと畑のわきのアマナツと葉玉ねぎだそうで

葉玉ねぎを買った。柔らかくておいしそう。ラッキー♬

もともと広い玉ねぎ畑だった。作る人が無くなって、ホトケノザの

花畑が多くなっている(-_-;)、広い胡麻の畑もいつの間にか20軒ほどの

お洒落な住宅が建って、すぐに人が住んで洗濯物と車が見える。

玉ねぎを葉っぱごと使って夕食はスキヤキ風に、葉っぱはチンして

からし多めでヌタに。スライスしてサラダに。「玉ねぎづくし?」と言いながら

食べてくれた。まだまだある。明日はピザトーストに使うのだ(^▽^)/

 

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3月11日、近所の散歩道。

2021-03-12 | 日日是好日

快晴の朝、近くの散歩道を一回りした。放射冷却で畑のまわりは霜が光っていた。(6604歩 ちょっと少ないかも)

定点観察(^▽^)/ 快晴霜の朝

ナズナもホトケノザも、霜化粧?

ミズナの花?

トンボみたいなカラスノエンドウ

ネコヤナギは毛皮で霜よけ

 

赤いつぼみのユキヤナギ

樹影譚(丸谷才一)を読んだせいか木の影を写してみた。

木蓮の並木の影が防音壁に写っていた。

散歩のご夫婦も多い、仲良きことは美しき哉(実篤)(⌒∇⌒)

 

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つくしを摘んできた 春よ春♬

2021-03-10 | 日日是好日

暖かくなると、春が気になる。

昨日のこと。山の方に走って行ってみた。つくしが見つかるかもしれない。

数年前までは友人を誘って、レジ袋を提げて摘みに行った。それも昔話( ´艸`)

レジ袋の消滅(?)とともにつくしの土手も消えた。

つくしがチラホラしか見えないのは枯草を焼いて掘り返したせいらしい。

その上進入禁止の綱も張ってあった。

 

実は近くの田んぼの畦で密かに見つけていたのだ、私。ほんの一握りだが、これで食卓にも小さな春が来た。

子供の頃摘んだつくしは丸々と太って背も高かった。

それでも田んぼの隅で細々と生き残っているのは偉い!

これが昨日の収穫、半分は厚焼き玉子に入れて巻いた。

残りは今日、胡麻和えにでもして(^▽^)/

今日の収穫は、これからハカマを取って明日の一品に。

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「娘を呑んだ道」スティーナ・ジャクソン 田口俊樹訳 小学館文庫

2021-03-08 | 読書
 
立て続けに娘たちの失踪事件を読んだ。立て続けと思ったが、ミステリのテーマでは珍くないとも思い返した。娘はどこへなぜ消えた? それがミステリだ。
17歳の美しい娘が消えた。レレ(レナード・グスタフソン、数学教師)はアルバイトに行く娘リナをバス停まで送っていった。そのまま娘は帰ってこなかった。

絶えずその時のことを思い返す、なぜバスに乗るまで見守っていなかったのか。何度妻にも責められ悲嘆にくれたことか。
レレは娘を見つけ出すという目的に向かって、ひたすら車を走らせ続けることしかできない。
妻は出て行き家庭は破綻した。悲しみと後悔は心の底に固まって、毎夜毎夜車を走らせることで何とか持ちこたえている。

彼がもうすでに三年、娘の痕跡を探して往復しているシルヴァーロード。銀の採掘のために通された北部の海側と国境地帯に向かう一本道(国道95号線)も荒廃し、森林地帯は湿って道のわきに人家もまばらな、人もあまり寄り付かない地域になっている。銀が尽き廃坑になっても、道は残っている。海側から始まり湖沼が点在する深い森林地帯を縫う道路。そこをレレの車のライトが三年の月日を往復してきた。
この道の描写がいい。そこで育った作者は、自然の様々な匂いや風や静寂や季節の音の中を、レレの重荷を包む風景を情感豊かに描きあげており、それが暗い出来事に関わる人々の心を深くより昏く描き出す。
シルヴァーロードは一帯に広がる細い血管、それに毛細血管と彼とをつなぐ大動脈のような道路だった。雑草のはびこった無垢材の切り出し道に、冬はスノーモービルでないと走れないような道、それにくたびれ切ったような道。それらが見捨てられた村や過疎化が進む集落の間をくねくねと這っていた。川に湖、それに地上と地下の両方を流れるほんの小さなせせらぎ、じくじくしたかすり傷のように広がり、湯気を立てている沼地、さらに黒い独眼のような底なし小湖。そんな一帯をやみくもに走り回り、失踪人を探すというのは一生かけても終わる仕事ではない。

彼は助手席に幻の娘を載せて話しながら走っている。そして道が終わると娘が消えてしまう。

道のわきに車を止め。小道を探す。
あちこちに点在する人目を避けたような家がある。彼は小屋をうかがい住んでいる人と挨拶を交わす。顔見知りになる。世間から外れた人たち。そんな家族もある。
そこにはいくら探しても娘の痕跡は見つけられなかった。

レレは学校で転校生のメイヤと知り合う。
彼女は男にすがって国内を転々と住居を変える母に従って来た。母はネットで知り合った年上の男と住むことにした。男は一人暮らしの垢をつけて異臭がしたが母は気にもしないでベッドを共にして、食べていけることに満足していた。

警官の友人ハッサンからこの親子連れのことを聞き、メイヤの境遇はレレに強い印象を残した。

メイヤは湖のほとりで釣りをしている三人の兄弟と知り合った。末のヨハンに惹かれ付き合い始める。そして学校を休んでいたメイヤも消えた。

メイヤはヨハンの家にいた。ヨーラン、バール、ヨハンの三兄弟は魅力的だった。父親も母親も彼女を迎え入れてくれた。初めて家族を待ったのだ。彼女は割り当てられた仕事をこなし、朝は鶏小屋から卵を集めた。そして次第に暮らしに馴染んできたが。

ミステリだ。レレもなにかに感づいてきた。

リナは生きているのかどこにいるのか。
学校に来なくなったメイヤは。

やっと糸口が見えてくる。

面白かった。話の結末も納得で、風景に溶け込んだような暮らしや、それに育まれた人々の醸し出す雰囲気も、娘の跡を追う父親の心情も、湿った霧の中から生まれてくるような日々を、ストーリーとともに過ごすことができた。

子供時代に過ごした森の生活を思い出す。真っ暗で光のない漆黒の闇夜。大きく輝いていた月。森の下草の中で咲いていた可憐な花々。私はきっとこんな森の暮らしが今でも好きなのだろう。自分の中から沸き上がる物語が遠い過去の暮らしにもつながっているような。スティーナ・ジャクソンに親しみを覚えた。

2018年スェーデン推理作家アカデミー「最優秀犯罪小説賞」
2019年「ガラスの鍵」賞。同年スウェーデン「ブック・オブ・ザ・イヤー」
受賞作。
 
 
2021.1.18 再
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「尹東柱詩 空と風と星と詩」 尹東柱 金時鐘編訳 岩波書店

2021-03-06 | 読書

ネットで本を注文したらこの詩集が届いた。どこで間違えて私行きの線路に乗ったのだろうか。薄い本だし読んでみようと手に取った。この韓国籍の詩人は27歳の若さで獄死したと表紙にあった。

文字数が少ない詩なので、読んでみるのは時間がかからなかった。
これはちょっと近代詩に近い、清冽な抒情詩のようだった。だが解説やネットで調べた背景の重さを知れば知るほど、若くして亡くなった思想犯だったという詩人はこんな美しい詩を残したのかと、尹東柱という人の詩を知るために繰り返し読んでみた。

「序詩」
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が、風にかすれて泣いている。


こうして最初に掲げてある詩を読んでも、若者の汚れていない詩心や抒情的な風景や,
生きる意味などで埋められた言葉が並んでいる。二度目に読んで、なぜ太平洋戦争の真っただ中、その頃植民地だった韓国から日本の大学に留学し、福岡刑務所に収監されわずかな時間に亡くなったのか。

尹東柱の詩は知れば知るほど、暗く重い歴史の闇を背負っていながら、キリスト教の精神を自分の心の糧にしている。死の間際まで濁った川を流れる清らかなせせらぎのように美しい世界を書き続け、過去も現実もストイックなほどにその中に閉じ込め、歌って書いて亡くなったことを知った。
短い人生や過酷な環境に気づいてはいても恨むでもなく人生を悔いるでもなく、思い出を優しいまま残している。
当時どれだけの人が、異国人を虐げそれを罪とは思わないで国是としていたか。人は時代を超えることはできないという人がいる。そうした人の中に私もいて、小さな声を聞かないふりをしている。だが尹東柱の詩の前ではなぜか恥じ入ってしまう。
政治活動や政治批判が見当たらない詩を読んで、疑問符が頭から溢れそうになり、金時鐘さんの解説を読み始めた。


「金時鐘」さんは「解説に替えて」でこう書いている。

まずもってかつての日本の表立たない歴史的事実の数かずと、被植民地人であったわが同胞文学者たちの、愛憎相半ばする文学流転の人間模様を視野に止めて尹東柱の詩を推し計らなければ、尹東柱はまさしく、時代の嵐のただ中で身をこごめて瞳をこらしていた、時勢にまみれることのない澄んだ抒情の民族詩人でありました。

素朴な抒情詩に見えることについては

詩が素朴さに徹するということはほんとうはむずかしいことなのです。飾ることの一切を捨て去って、言い表したいことだけを紡ぎださねばならないのですから。表現者の思考体質がそれだけ素朴でなければなりません。ですので説明の要素も当然、作品の行間から省かれていきます。伝えたいことはほとんど暗喩(メタファー)となって読者に迫るわけです。


私は詩を読むのが好きですが、このメタファーは個人的な心理の奥底から発せられるもので、同じ体質であり上質なものでなくては共感を得られない、尹東柱の詩について初読みで抱いた誤解はこのあたりにあったのかと気が付いたのです。

2021.02.16 再
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「喪失」 カーリン・アルヴテーゲン 柳沢由美子訳 小学館文庫

2021-03-03 | 読書
 
この本を読んで「偶然の祝福」という小川洋子さんの本を思い出した。短編集だった、その中のもの哀しい「失踪者たちの王国」という一編がこの作品のどこかに細くつながっているような気がしてならなかったが。
これは題名「喪失」からの単なる連想で読む前はこんなことだろうと思っていた。
小川さんの文芸作品とミステリの違いにちょっと気づいた。文芸作品は言葉や雰囲気が後に残るがミステリはストーリーの面白さかな、などとあとになって感じるところもあった。


「喪失」は主人公のシビラが両親の顔色を窺がう生活を捨てること、社会的な身分証明をなくしてまで自由な暮らしを手に入れようとしたことを指している。

裕福な暮らしは窮屈だった。家柄を鼻にかけ見栄を張る母親と、町の人々の殆どを雇っていると自負する会社経営者の父親。
18年間シビラは子供社会でも枠外にいた、子供ながらの嫉妬と偏見にさらされ味方はいなかった。 母の叱責を逃れるために先回りして心理を読み取る術も覚えた。

母親の言葉の矛先を逃れようと耐えてきた、その鋭い嗅覚と判断力を武器にしてついに「失踪」する。
そして32歳の今までホームレス同様の自由な王国を手に入れてきた。
食事と寝床が欲しいときは、よく使う手で甘い男に近寄り食事を奢らせ、ホテルの部屋をとらせる。そして久しぶりにのびのびとゆっくり風呂に入りベッドで眠った。
ところが翌朝になってドアの外が騒がしい。後ろ暗いシビラは裏口から逃げた。
新聞広告で昨夜の男が惨殺されたという記事を読む。ホテルマンの証言でシビラが容疑者になっていた。

殺人は続いて起きた。シビラは連続殺人犯として指名手配され新聞に写真が出る。
さぁどうして冤罪を証明するか。
警察の網をかいくぐり、髪を染め服を変え逃げなくてはならない。

母も気がとがめたのか月々少額ながら送金してきた、シビラは私書箱に届いた金はできるだけ使わず、いつか小さな家を買いたいと思って溜めていた。だが犯人をつかまえて冤罪を晴らさなくてはならない。鍵の壊れた屋根裏に居場所を見つけてふと思った。何もかも諦めてしまえば簡単なのに。

面白いことに、シビラは生きるすべを見つける知恵は人並外れていたが、やはり世の中の進化には遅れていた。
夜、眼鏡の少年が屋根裏に上がってきた。15歳の彼はパトリックと言い、シビラが浮浪者とみると本物のホームレスに出会って「COOL!!」といって驚き、好奇心に目を輝かして話を聞きたがった。

シビラの話を信じ始めるところから、やっと何とかなりそうだと読む方も力が入る。おまけにこの子はいまどきだ、パソコンにも強い。両親にはなにか言い訳をしてきたらしく一晩は話ながら並んで寝た。
そしてその夜また四件目の殺人が起きる。
これでパトリックは心からシビラの無実を信じることになる。ワトスン君を得て、シビラは真相解明に向かう覚悟ができる。

殺された4人はどういうつながりがあり、なぜ殺されたのか。
ワトスン君のネット友達の天才が、料金は高いがコンピュータに侵入して非公開の情報を手に入れられるという。
彼のおかげで手がかりができた。真実は深い穴の底から不気味な顔をのぞかせた。

まぁシビラの失踪までの事情もなかなか哀れだが、ありふれたストーリーになるところをよく切り抜けて読ませる。
パトリックもご都合主義だと悟らせない存在感があり、何と言っても終盤の真相で文字通り度肝を抜かれる。
女性作家らしい終わり方は今回も味わい深く、余韻もある。


ストーリーのさわりは備忘録のようなものだが、自由に生きようとするシビラの「喪失」は、最初に感じた失踪者たちのむなしい未来と残された過去の想いが、人の蒸発という言葉に置き換えても胸に迫るような思いがあった。存在がなくなる、過去だけを残してふっといなくなること、テーマの底にある哀感をうまく語っているようで、この作品は多くの共感を得て「ガラスの鍵賞」を受賞している。
 
 
2021.2.12再
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「ささらさや」 加納明子 幻冬舎文庫

2021-03-02 | 読書

サヤに言わせれば、人生とはまだ語られていない物語だそうだ。俺とサヤが出会って恋をして、やがて二人が結婚してユウ坊が生まれたことも、すべて物語の正しい筋道に沿った流れなのだという。
 
俺の意見はかなり違っていた。
馬鹿だなぁ、サヤ。人生なんて、ほんのちょっとした弾みで、どんどん思いも寄らない方向に転がっていってしまうもんだよ。ごくささいな行き違いから、俺とサヤはそれぞれ別の人間と結ばれていたかもしれない、ユウ坊はこの世に居なかったかもしれないんだぞ……。


本音だか、からかいだか、夢だか、現実だか、生きてみなくては分からないが、日曜のうららかな散歩日和、ユウ坊の乳母車を押しながら散歩に出た。
ニンニクをきかせたカツオのたたきもいいな。
俺が上機嫌の時トラックが突っ込んできた。俺は吹っ飛んでサヤと世界が分かれた。

ところが、俺は魂になってしばらくこの世に止まることになった。何しろサヤは口下手で人づきあいが苦手で、要領が悪くて目が離せない。その上お人好しで、、死んでも死にきれないのだ。

ユウ坊は義兄夫婦に養子にと狙われる。サヤは亡くなった伯母が隠遁用に買っていた佐々良市の家をもらっていた。そこにこっそり逃げてくる。

俺の魂は、いざというときは人の姿を借りてサヤを助けることができた。葬式の時はとりついた親友の坊主に俺が見えたらしい。ユウ坊も気配は感じたらしい。サヤには気づかれていないが。

大きな箱型の古風な乳母車にユウ坊を乗せてサヤは佐々良市にやってきた。まだ何かにつけて涙が止まらない。それでもユウ坊を守らなければいけない。サヤは勇気を振り絞って伯母車を押していく。

泣き虫で頼りないサヤは、道に迷い、不動産屋に利用され、女学校の同級生だという活きのいいおばぁちゃんたちに目を付けられる。
彼女たちはとうとうもう辛抱できないと口を出し手を出し、ユウ坊ごとサヤまで面倒を見て、育て始める。

サヤは公園デビューに失敗し落ち込んでいるところに、子連れで強いエリカと知り合う。
エリカってのは荒れ野に咲く強い花だと胸を張り、息子のダイヤは大也と書くが、どうも言葉が遅くて、とそれなりに母の顔も持っている。なかなか生き強い。

様々あってサヤにも親友ができた。

おばぁちゃんたちだってそれなりに生活があり過去があり今は悩みもある。日常には小さなミステリもある。それでも無邪気なユウ坊と頼りないサヤの世話に夢中で、喜々として子育ての奥義を伝授してくれる。

と佐々良市に住むようになってユウ坊とサヤは少しずつ成長して、俺のこの世にいる時間は短くなっていく。

そう、やはり未来は、人生は語られていない物語だ。

サンキュ、サヤ。そして、バイバイ。
あと五,六十年も経って君がよぼよぼのおばぁちゃんになったらまた会おう。ゆっくり未来の話を聞かせてくれよ。君自身のことも、ユウスケのことも、細大漏らさず、時間はたっぷりあるだろうから、だからそれまではほんとうに、バイバイ。
 
 
 
 
2021-02-15 初
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ホタルイカの目は?

2021-03-01 | 日日是好日

ホタルイカの下処理は?とGoogleさんに訊いてみた。動画が始まるといろんな人が丁寧に教えてくれた。

と ホタルイカは前置きで笑 

横に小さく研ナオコさんのアイメイクの画面が出ていた。

Before Afterで驚いた。美しいではないですか。夜更けにもかかわらず、穴のあくほど繰り返し見てしまったのです。

今朝になって、用もないのにカメラをもってぶらつくことにした。もちろんアイメイクバッチリで。

のつもりが、眉毛をかく短いペンしか無いのに気がついた。

そこで目のまわりに薄く線を描き(勿論自分にもまつげなんてあったことに気がついたがメイク道具がなくては始まらない)

ハイライトを入れると言っていたが、と教わったようにパウダーを瞼の丸みの上にはたいてみた。

最近は目だけしか出してないのでこれで良し!

「ここが目です」というささやかな努力で出かけてみた。

 

夕食の時家族は何も言わない。「今日は目がよく見えるわ」と言ってみた コレコレ これよ、気がつけよ。

ホラ塗ってみた、というと「う~~ん、なんだか」と言って目をそらした。

やっぱりなぁ お世辞の一つもいえないと世間では通用しない、大丈夫だろうか。いや正直が何よりか。

ホタルイカを噛みながら、喜んでいいのかわるいのか、もう二度とやらん。

 

歩いてみるものだ、よその畑にネコヤナギ

今日の目玉のような隈取りツバキ

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