週に二回は近所のスーパーに行く。そこでよく話しかけられる。まずレジの係りの人
「今日は遅いですね」「秋ですね」「これ二つで値引きですが・・」「これ何にしてもおいしいですね(山芋)」
ナスを買っていると、すっと寄ってきて聞かれた。「これどうします?」「揚げて煮浸にしたらおいしいかと」「私は、はさみ揚げも好きです」「あ~~おいしいですね」「今日のは綺麗でいいですね」
りんご売り場で知らない人が「おいしい季節ですね、りんごお好きですか」「ええ、これからですね」「季節がいいし、お彼岸参りに行ってきたんですよ」「私も行きました。気持ちいいお天気でしたね」
「うちは遠くて奈良に近いほうです、疲れました 83歳にもなるとね」
そこで私はすかさず「お若いですね。お元気そうだし」という。
少しずつ端によって買い物をしようとすると、話は続く。聞いていると私の育ったところだった。「お墓は信貴山の下ですか?遊園地のほう?」「そこそこ遊園地そばのお寺です」
話が長引きそうだった。でも80過ぎだって、活動的で綺麗な人だった。
聞く前にお年を言う人は見かけが若い。挨拶くらいで済まそうと思うのだが、つい「お若いですね」と言ってしまう。あんなふうに年取りたいと言う本音が出てしまう。
元気で楽しそうで、話好きらしいそれでも話し相手が欲しい、そんな人に私は人畜無害に見えるのだろうか。
申し訳ないけれど、暇のない駆け足の買い物のときは見てみない振りをして欲しいと思うこともある。
昨日はまた買出しにお店を一巡り、余るほどあるのに本屋さんに行った。ここでは話しかけられもしない。まぁ一応にすまし顔で淡々と立ち読みをしている。
読みかけが三冊になって、図書館からも三冊予約した本が来たそうだ。
読みたい本はまだまだで280人も待っている。来年になるのかな、鬼だって笑うでしょう(^^)
お昼は手抜きで外食。お寿司がいいねと意見が一致。
御嶽山の被害者の方の数が増えて、亡くなった方も多い。お天気がいい行楽の一日が、お気の毒だ。
近所の公園では花好きの人が 綺麗に花を咲かせて見せてくれる。車を止めて写して来た。秋の花は晴れ上がった空の下で元気そうだった。
ワレモコウと菊
コスモスとアメジストセージ
また 「ことわざの論理」 戸山磁比古
話半分腹八分
ある社内報を見ていたら、「三十分の健康法」と言う見出しの文章が目についた。はじめは三十分ずつ毎日する健康法かと思ったが、どうもそうではなさそうだ。何だろうとつい読んでみるきになった。そのなかに妙な算術がでてくる。
腹 八分
仕事 十分
睡眠 十二分
この三つ合わせて三十分というのである。これは三十プ(p)ンではなくて、三十ブ(b)ンと読むべきだろう。仕事は存分にやれ。寝るのは存分以上によく眠れ。ただし、腹はいっぱいでなく八分におさえておけ、というのである。これなら健康間違いなし。社内報の筆者はそんなことを書いていた。八分プラス十分ぷらす十二分でしめて三十分というところがミソ。
私はかねてから二十四分の人生ということをとなえている。。奇妙な算術をもてあそぶ所は先の三十分法と同工である。
腹 八分
仕事 八分
口 八分
合計二十四分というわけ。食べすぎがいけないのは同じだが、仕事も十分やってはしすぎである、もうちょっとしたいと思うところをおさえてやめておく。ブレーキのきいた仕事ぶりである。いやな仕事なら十分にやってよい。自分では十分やったつもりでもよそ目からすれば八分くらいにしか見えない。それでいい。
口八丁手八丁などと言うが、口も手も八丁もいかないが、話しかけられると答えぐらいする。戦わない生き方の一部みたいに。「あの~~」と言われると「ナンでしょうか」と返事をしてしまう。
道であってもあの人みたことがあるなぁ、とお互いに思っている様子をしていることがおおい。あれ誰だったかなぁ、どこかであったことがあるけどなぁ。
何かの会合ではお互いにしげしげと見合うことがあるが、深入りはしない、心の中で独り言を言う。(聞いてみるか?何所かで私を見たことがありますか? ヤメトコ)