空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

お若いですね~♪

2014-09-29 | その外のあれこれ

週に二回は近所のスーパーに行く。そこでよく話しかけられる。まずレジの係りの人
「今日は遅いですね」「秋ですね」「これ二つで値引きですが・・」「これ何にしてもおいしいですね(山芋)」

ナスを買っていると、すっと寄ってきて聞かれた。「これどうします?」「揚げて煮浸にしたらおいしいかと」「私は、はさみ揚げも好きです」「あ~~おいしいですね」「今日のは綺麗でいいですね」

りんご売り場で知らない人が「おいしい季節ですね、りんごお好きですか」「ええ、これからですね」「季節がいいし、お彼岸参りに行ってきたんですよ」「私も行きました。気持ちいいお天気でしたね」
「うちは遠くて奈良に近いほうです、疲れました 83歳にもなるとね」 
そこで私はすかさず「お若いですね。お元気そうだし」という。
少しずつ端によって買い物をしようとすると、話は続く。聞いていると私の育ったところだった。「お墓は信貴山の下ですか?遊園地のほう?」「そこそこ遊園地そばのお寺です」
話が長引きそうだった。でも80過ぎだって、活動的で綺麗な人だった。

聞く前にお年を言う人は見かけが若い。挨拶くらいで済まそうと思うのだが、つい「お若いですね」と言ってしまう。あんなふうに年取りたいと言う本音が出てしまう。
元気で楽しそうで、話好きらしいそれでも話し相手が欲しい、そんな人に私は人畜無害に見えるのだろうか。

申し訳ないけれど、暇のない駆け足の買い物のときは見てみない振りをして欲しいと思うこともある。

昨日はまた買出しにお店を一巡り、余るほどあるのに本屋さんに行った。ここでは話しかけられもしない。まぁ一応にすまし顔で淡々と立ち読みをしている。
読みかけが三冊になって、図書館からも三冊予約した本が来たそうだ。
読みたい本はまだまだで280人も待っている。来年になるのかな、鬼だって笑うでしょう(^^)

お昼は手抜きで外食。お寿司がいいねと意見が一致。


御嶽山の被害者の方の数が増えて、亡くなった方も多い。お天気がいい行楽の一日が、お気の毒だ。


近所の公園では花好きの人が 綺麗に花を咲かせて見せてくれる。車を止めて写して来た。秋の花は晴れ上がった空の下で元気そうだった。



ワレモコウと菊

 
コスモスとアメジストセージ 





また 「ことわざの論理」 戸山磁比古   


話半分腹八分
ある社内報を見ていたら、「三十分の健康法」と言う見出しの文章が目についた。はじめは三十分ずつ毎日する健康法かと思ったが、どうもそうではなさそうだ。何だろうとつい読んでみるきになった。そのなかに妙な算術がでてくる。
                
                    腹   八分
                    仕事  十分
                    睡眠  十二分


この三つ合わせて三十分というのである。これは三十プ(p)ンではなくて、三十ブ(b)ンと読むべきだろう。仕事は存分にやれ。寝るのは存分以上によく眠れ。ただし、腹はいっぱいでなく八分におさえておけ、というのである。これなら健康間違いなし。社内報の筆者はそんなことを書いていた。八分プラス十分ぷらす十二分でしめて三十分というところがミソ。
 私はかねてから二十四分の人生ということをとなえている。。奇妙な算術をもてあそぶ所は先の三十分法と同工である。
 
                    腹   八分
                    仕事  八分
                    口   八分

 合計二十四分というわけ。食べすぎがいけないのは同じだが、仕事も十分やってはしすぎである、もうちょっとしたいと思うところをおさえてやめておく。ブレーキのきいた仕事ぶりである。いやな仕事なら十分にやってよい。自分では十分やったつもりでもよそ目からすれば八分くらいにしか見えない。それでいい。


口八丁手八丁などと言うが、口も手も八丁もいかないが、話しかけられると答えぐらいする。戦わない生き方の一部みたいに。「あの~~」と言われると「ナンでしょうか」と返事をしてしまう。
道であってもあの人みたことがあるなぁ、とお互いに思っている様子をしていることがおおい。あれ誰だったかなぁ、どこかであったことがあるけどなぁ。

何かの会合ではお互いにしげしげと見合うことがあるが、深入りはしない、心の中で独り言を言う。(聞いてみるか?何所かで私を見たことがありますか? ヤメトコ)





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無料視聴で、ホラー映画「顔のない眼」を見た

2014-09-27 | 映画



 午後になって時間が出来たので本を読んでいるとすぐに時間が過ぎていった。急いで夕食の支度をしたら、もう夕方だった。

相撲を見なければと思い出してテレビをつけると御嶽山の噴火のニュースだった、こんなことに出会う受難の人もいるのだ。不意の災難は避けようがない、まだ噴火は続いているようだし。何度か通ったことがある御嶽山を思い出して、早く鎮まることを祈った。

相撲は、どちらも負けてほしくない取り組みだったが、やはり横綱の貫禄か、入幕したばかりの逸ノ 城は立会いの眼も少し力負けしていた。遠藤に続く若い力士が出てこれからが楽しみ。

部屋の中は早々に薄暗くなって、窓から見える空も遠い山も輪郭だけになり、沈んで見え始めた。なんだか不安な気分で座っていたらふいに昔見た恐ろしい映画を思い出した。

「顔のない眼」という題だった。
誰と行ったのか覚えてないが心斎橋を歩いていて、映画でも見ようということになった。(誰だか知らないがよく見ようと思いついたものだと今思う)
映画を見る前に近所にあった「びっくり善哉」という店の暖簾をくぐって入った。大きなどんぶりに大きなお餅が入って、噂どおりびっくりするほど大きかった。変わったものは見てみよう、食べてみようと言うので、子供のころから変な経験を積んでいる。今はなん言う映画館だったか建物はぼんやり思い出すが、どこにあったかは分からなくなった。
おいしいおいしいと全部食べてしまった。暖簾が下がった地味な店だったような記憶があるが、細かいことは忘れてしまった。

「びっくりうどん」というお店もあったと思うが、それはその頃、歌手の実演を見る劇場のそばだったようだが、周りでは誰も関心がなくて連れて行ってもらったことがなく「びっくりうどん」は食べたことがなかった。歌手をじかに見たい歌を聴きたいという人はいなかったのだろう。

それで思い出した映画は、以前テレビ欄に出ていたが見逃してしまっていた。どこかにないかとPCを探してみたら、昔の映画なので無料視聴が出来た。

食事か終わって早速90分、パソコン部屋に座り続けて見てしまった。怖かったシーンはところどころ覚えていた。ただ秘書が運転して被害者を運ぶシーンは終わりのほうで見たと思っていたが最初の場面だった。

今でこそ残虐なシーンもカットなしで見せているが、皮膚移植の生々しいシーンは当時としては余り見ることがなく、ここが恐ろしかったのかな、と後々まで折りに触れて思い出した。ほんと怖かった、幼い子なら夜泣きでもするところ。今なら少しのことくらいで驚かなくなったが、その頃は暫く夜になると誰かのそばにいた。

今にすれば短い映画だが、余り古さを感じない。ホラー映画の王道を行くような恐怖映画で、見直しても、場面だけでなく、ストーリーも相まって忘れられないのも道理だと思った。

外科医は皮膚移植の研究をしているのだが、皮膚が新しい身体に適応できず成功していない。原因は他人の皮膚なので抗体ができる、それを防ぐには放射線を当てるのがいい。と研究発表をする。今の医学ではこの部分はどうなのだろう、放射線が抗体をやっつけると言うことになっている。顔にやけどをした娘のためなのだが成功しない。今は自分の皮膚を取って部分的に移植していくようだが、ここでは他人の顔の部分を丸ごと移植しようとしている。代わりの顔の皮膚を手に入れる手段は、誰かを誘拐するほかはない。後の始末もある。半世紀以上の古い映画だが、細かい部分は面白く出来ていた。


その頃の恐ろしい日本映画は、怪談や猫化けなどが主で、私は弟を連れてよく映画を見ていた。お殿様が将棋に負けた悔しさで、相手の坊さんを斬り殺して祟られる話などは、学校に行って、同級生を集めて休み時間に話をした。
「怖いねー」とみんなが首をすくめるので、先生が通りかかって「なにがそんなに怖いの」と聞いたりした。

中学校を卒業するくらいまでは周りにいる友達と丸く座っていろいろの出来事を話をしていたので、今でも覚えている人がいるが。本人はもっとよく覚えている不思議な出来事や映画がある。

今日も一日があっという間に過ぎた。
朝に大まかな予定をたてるのだが、予定なので、映画を見たりして終わることもあって、心残りのまま。
明日は日曜日、いつもの休日のようにのんびりに過ごせるだろうと思っている。


唐突に、こんなことを思い出した。
 一般に情報は日々刻々変化しつづけ、それを受け止める人間の方は変化しない、と思われがちです。情報は日替わりだが、自分は変わらない、自分にはいつも「個性」がある、という考え方です。しかしこれもまた、実はあべこべの話です。
 少し考えてみればわかりますが、私たちは日々変化しています。ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言いました。人間は寝ている間も含めて成長なり老化なりをしているのですから、変化しつづけています。
 昨日の寝る前の「私」と起きた後の「私」は明らかに別人ですし、去年の「私」と今年の「私」も別人のはずです。しかし、起きるたびに、生まれ変わった、と言う実感は湧きません、それは脳の働きによるものです。
 脳は「自己同一性」を追求するという作業が、私たちそれぞれの脳の中でも、毎日行われている、それが「私は私」と思い込むことです。

                                    養老孟司  「バカの壁」より


明日は同じ明日ではないかも、流転しているんだから、、、、半世紀以上経っても恐ろしい映画は恐ろしい「私は私」で変化はない部分もあるし。
閑話休題、明日もいつもと同じ明日であればいいと願いながら今日もほぼ終りかけた。






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「偶然の祝福」 小川洋子 角川文庫

2014-09-26 | 読書


以前は、女性作家と日記、手記などは読まなかった。読書は空いた時間に、それも出来るだけ現実から遠いものを選んでいた。海外の小説が多いのも当時の気持ちや環境から距離があったからかもしれない。
時間に少し余裕が出来てベストセラーなども読むようになり、時間があまって来ると、本来の好奇心からかさまざまなジャンルのものを読み、手に取ったことがなかった女性作家のものが心に響くことに気がついた。

小川さんは長い間記憶の中で「博士の愛した数式」を書いた人だった。それがほかの作品も読んでみたい、と読んだ途端好きな作家に入ってしまった。
どの作品も独特の味があって、ちょっと変わっている。

余りたくさん読んでいないので、この作品に限って思うことは、たとえでも身近な描写でも大胆で奇妙な現実の雰囲気が纏わりついている。
なにかが消え、なきかがあらわれる。消滅していく流れがあり、そこには深い悲しみが沈んでいる。そして再生は全く違った形でありながら、稀にその悲しみを埋めるような現象が起きたりする。
別れていくことが当然の人の営みのように、消えて行く。奇妙な現象が手を繋いで輪を作り、その中に作者の現実や、生身の姿を髣髴とさせる、低いベース音のように、そんな姿が奥底に流れ続けているような、短編集だった。


「失踪者たちの王国」
これは何かで読んだことがあった。それ以後ニュースや、ドキュメンタリー番組は気になってよく観ていた。年間8万人前後の失踪者(または行方不明者)がいると言う。私の身近なところでも昨年一人が、家を出たまま行方が知れない。事業に失敗していなくなったのだがその後見つかったという話を聞かない。
ミステリなども家出の後行方が知れないという書き出しや、事件の始まりになっているものも多い。
ここでは、知っている人がふっといなくなったという。帰って来ない友達の叔父さん、歯医者さんに行って入れ歯を置いたままいなくなったおじいさん、先生の婚約者は「ちょっと行ってくるよ」と言ったままいなくなった。
叔母さんは一人になっても働かないで、家財を売って暮らしているようだったが、嘔吐袋を集めていた。そして何も言わず綺麗に失踪した。

失踪した人は、垢を落として生まれ変わったように楽になるのだろうか、反対に現実の重みが降りかかってくるのだろうか。
一度踏み込んでみたい気もするが、こちら側にいるとあちらは陰の中にいるようで薄ら寒い。

不思議にも彼らは私を慰めてくれる。王国ははるか遠いはずなのに、彼らは洞穴に舞い降りてきて、いつまでも辛抱強く、そばに寄り添ってくれる。その吐息を私は頬のあたりに感じることができる



「盗作」
聞いた話を書いて賞を貰った。将来を嘱望された水泳選手が片腕が上がったまま動かなくなってしまったという。その後病棟の談話室に英語版の「BACKSTROKE」と書いてある古い本を見た。

背泳ぎの選手だった弟が、左腕から徐々に死に近づいていく話だった。私が書いたのと、彼女が語ったのと同じ話がそこにあった



「キリコさんの失敗」
なくしたものを見つける名人のキリコさんの話。リコーダーをなくしたら木で作ったのを持ってきてくれた。海外旅行の土産の万年筆で毎日いろいろなことを書いた。インクがなくなってうろたえているとキリコさんが町の文房具屋さんで補充のインクを買ってきてくれた。
ある日キリコさんの自転車にパンが置かれていた。毎日それを分けて食べていたが、パン職人が自殺した。そこにキリコさん宛ての手紙があったという。キリコさんはすっかり元気をなくしてしまった。
無くした万年筆は、むいた栗の皮に紛れて捨てられ焼却炉で溶けた。
キリコさんは、骨董の壷を頼まれて渡しに行って人違いをした。サインをしているのを見るとなくなった万年筆と同じものだった。買い取ると言うとキリコさんの手に乗せてくれた。だがその万年筆を持っていた買い主は偽者だった。
キリコさんはパン屋さんのことや、だまされて盗られた骨董品が気にかかったのか去っていった。



「エーデルワイズ」
私の本のファンで、衣服にポケットを作り体中に本を入れて歩いている男に出会った。手紙をもらったが、本の一部を寄せ集めた意味不明の奇妙な文章がぎっしり詰まっていた。男は私の困惑にも構わず「エーデルワイズ」の歌を歌ってくれた。付きまとわれていたが、雨の日に転んで本を全部だめにした。そしていなくなった。



「涙腺水晶結石症」
飼い犬が病気になったので、医者に見せようと雨の中を歩いていた。
車で通りかかった男が犬と一緒に乗せてくれたが、獣医だといった。
犬を見て涙腺水晶結石症だと言ってまぶたをしぼって石を取り出してくれた。

「さあ・・・・・」
よく見えるように彼は掌を私に近づけた。それは白く半透明な結晶だた。ちいさな金平糖状の粒がいくつもくっつき合って、一つの精密な形を成していた




「時計工場」
旅行記の取材で行った島で、籠に一杯の果物を背負った老人に合う。首に黄色い蝶のあざがあった。ホテルの図書室で識者の男に出会う。彼の首にも黄色い蝶のあざがあった。
小説を書くという苦しみが象徴的に語られている。



「蘇生」
息子の睾丸がはれていた。そこには水の入った袋があるという。
手術のために入院したが、同室になったおばあさんは、「アナスタシア」という名前だといって、家系や歴史や親族についてとうとうと語る。どう見ても彼女は日本人だった。周りにはの文字を飾った刺繍が溢れていた。退院のとき刺繍糸のセットをあげるととても喜んで写真を撮ってくれた。切り取った袋は貰って帰った。
今度は私の背中に腫れ物が出来た。水が溜まっていると言う。簡単に袋を取って手術が終わった。その袋も貰って帰った。
ある朝突然言葉が出なくなった。言語療法士にも見てもらったがよくならない。
原稿用紙の前に座ると、言葉の壁が見えた。積みあがっているのは私が書いた言葉のようだ。
言語療法室に行ったらアナスタシがいた、喋り続けるので、言葉の繭にくるまれているように見えた。「アナスタシア」は「蘇生」と言う意味だという。
干からびた二つの袋を飲み込んだ「蘇生よ、蘇ること」アナスタシアの言葉が聞こえてきた。
「アポロ」と呼んだら犬の耳がぴくっと動いて言葉が戻ってきた。



なにかもの悲しい、人の営みとささやかな願いと、不思議な出来事が溶けあった作品。やはり好きだなぁと思う。











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「夏の嘘」 ベルンハルト・シュリンク 松永美穂訳 新潮クレストブックス

2014-09-25 | 読書




この作者の「朗読者」は途中で読むのを止めた、世界的なベストセラーをパスしてしまったのが気になって、それでこの本を読んで大正解(^^)
日常は、本人も相手も・みんなも罪のない嘘には目をつぶって、その中で暮らしている。悪意から出る嘘や思いやりのための嘘、裏側には多くの正義や真実がある。多くの言葉を抱えたままでつく嘘もある。
大人になることは嘘が上手になることだと読んだか聞いたか、上手な嘘のない暮らしは考えられない。
そんな、意識的な嘘や、無意識についた嘘の話が7編。後になってあれでよかったと思ったり、後悔したり、今あるのは嘘が原因だったり、嘘は心の奥にずっと尾を引いていたりする、そんな様々な暮らしが納得の語りで胸にしみだ。そして嘘の裏の真実に気がついたとき相手がどう思うか、嘘の罪が暴かれる、胸の痛い話もある。現実の生活をまざまざと見るような話もある。


シーズンオフ
ニューヨークの楽団でフルートを吹いている男がシーズンオフの避暑地に来た。シーズン中に来られないのは経済的な理由だった。そこで知り合った女性は小さなコテッジにすんでいた。p親しくなってみると、散歩で通り過ぎていた豪邸の持ち主だった。裕福な女性だったが、結婚して子供を欲しがっていた。男は休暇が終わり二人は空港で分かれたが、将来について悩む。庶民的な住処は馴染んだ生活観が有る。ほっと一息ついてどうしようかと悩む。ささやかなプライドと生活の質の問題でうじうじと悩む、どうするのだろう。どちらにしても又悩む体質なのではないだろうか。

バーデンバーデンの夜
脚本家は、自作の公演があるのでバーデンバーデンにいく、女性を連れて。恋人がいるので、彼女とは何もなく別れたが、高級ホテルに泊まり同じベッドでは寝た、それだけ。
恋人とは長い付き合いだったが、彼はフランクフルトで仕事をし、彼女はイギリスやアメリカなど各国の大学で講師をしていた。二人は共同生活には向かない環境で暮らしていた。
彼にはその後戯曲の注文がなかった。
女性とバーデンバーデンに行ったたこともばれて誤解された。
真実は人を自由にするだろうか、もしかしたら逆かもしれない、真実とともに生きることができるために、人は自由でなくてはいけないかもしれない。
真実を書き送ろう、彼女を失った後で、いい思い出を持っていてくれるように、又会えるように手紙を書く。仕事で活躍する彼女を持った悩める男の話。

森の中の家
彼と妻は作家だった、彼の評価は下がってきていたが妻は上り坂だった。森の中に家を買った。そこで二人とも仕事が出来、娘も伸び伸びと育つだろうと思った。だが妻のケイトは仕事に追われ、常に話は上の空だった。彼は電話線を切り町に通じる道を封鎖した。ケイトの車が突っ込み腕を骨折、娘は幸い軽症ですんだ。入院中に妻の受賞通知が着たがすぐには知らせなかった。「愛してるよケイト」と言ったが、妻は「あなたは狂ってる」と言った。なぜだろう、彼には分からなかった。
彼は退院してくる妻と娘を待ちながら封鎖した板切れを暖炉で燃やした。帰ってくれば又彼を愛していることを思い出すだろうと思っていた。

真夜中の他人
飛行機で隣り合った男性が話しかけてくる。彼は嫉妬で女をバルコニーから突き落として殺したと言う。
そのとき飛行機がエンジントラブルで、一時は危険な状態に陥ったが無事フランクフルトの空港に着陸した。
男は彼のパスポートを持って下りていった。五年後に男はやって来た。8年の刑期の後半は保護観察になったと言う。金を貸してくれと言うので貸した。
男は空港の人ごみに中に消えていった、後姿を見ながら僕はどうなってしまったのだろう、自分があの男にここまで翻弄されたとは、理解しがたいことだった。

最後の夏
大学で講義をするためにフランクフルトからニューヨークに行った、初めてのニューヨークでは教えるより自由を満喫したかった。アパートは狭くエアコンはうるさい音を立てていた。その風で副鼻腔炎になり手術をしたが、まだ血も止まらないのに退院させられた。だが彼は幸福でありたかったためにその不幸を認めなかった。
幸福でなくても常に幸福を見付出す努力をした。彼は退職して家の前のボートハウスのベンチに座っていたかった。ニューヨークの生活は終わりにした。付き合った女性と分かれたときも幸福だと思っていたが、実は女性が厄介だと感じ出していた、その時は幸福にならないといけないと思い込んでいたのだ、と今は思う。
今の結婚生活の幸不幸は考えないことにした。好きな景色の中にいることを楽しもうとしていた。夏の日、子供や孫が来て賑やかだった。彼はボートハウスの陰に置いた椅子からそれを見ていた。彼は癌だったが安楽死教会から「死の天使」と呼ばれるカクテルを貰っていた、それを飲むときが最後になるだろう。家族が眠ったとき飲んで朝発見されるのだ。痛みのない穏やかな死が訪れ家族とも穏やかに別れられるだろう。
最後の夏が不幸を含んでいても自分はそれを知ることはない。彼は夏を楽しむために家族にクレープを初めて焼いた。孫たちと出かけることもした。妻と思い出話をし一緒に寝た。次第に激しい痛みに襲われるようになった
妻がカクテルを見つけて意味を知った。妻は怒って出て行き子供たちもあわてて帰っていった。
奇跡を信じていたわけではない。しかし彼は自分がいささか勘違いしていたことに気づいた。痛みが次第に強くなり、どんどん耐えがたくなり、もう耐えられなくなったら、分かれの決断が自然にできるものだと想像していたのだ。カクテルを飲んでこの世に別れを告げる決断は、もはや自然にはできなくなっていた。彼が決断を下さなくてはいけないのだ。そして、まだ時間の余裕があったために、その決断がどれほど難しいか、彼はまだ意識していなかった。腕や足の骨が折れるまでになったらーーーそのときが決行のときなのだろうか?
彼は耳を澄ませてて足音や物音に注意したが誰も帰ってこなかった。望みがなくなったときから身の回りを構わなくなった。酔っ払って転倒し、意識をなくしたりした。骨折はしていたが家に帰れた。
タイプライターに向かい妻に詫びの手紙を書いた、薬の入った箱の鍵を中に入れた。何もかも妻に託すのか?そう思ったときスペアキーが見つかった。妻はいつ来るのか、彼は鍵を湖に投げた。



リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ
彼は映画のハッピーエンドで涙が出た。今まで人生の悲しみに出会ったときは泣きたいと思ったが泣けなかった。
父親とはよく意見の対立をしたが、父の勝を認めさせるのがイヤで泣かなかった。父には今まで反抗してきた。レストランで仲の良い家族が談笑していたのがねたましく思えた。
好きなバッハのコンサートのチケットを持って父を旅に誘った。プログラムを読んで父は「いいね」と言った。
昔の思い出を聞いていたが疲れた父は椅子を倒して眠ってしまった。
車は走り続けたが父は、夕方まで眠っていた。
朝になって父と浜辺に散歩に出た。父の弁護士時代の話や健康について聞いた。何かは話さなければと言う気持ちが次第に楽になって、父は窮屈な服を緩めて砂に座って黙っていた。父は今の心境について少し話した。
コンサートの前になると父は勢いよく喋り、とても楽しみにしていた。
演奏は硬かったが父の感想は暖かかった、まるで独り言を行っているように喋り続けた。
「どうしてそんなにバッハが好きなの?」
「なんて質問なんだ」
「バッハは反発するものたちを和解させるんだ。明るいものと暗いもの、強いものと弱いもの、過ぎ去ったもの・・・」
父はほんの一瞬息子の肩に手を置いた「おやすみ」
次の日は黙って散歩をして岬で休んだ。その後町のコンサートを楽しんだ。父とは無言のままだったがそっとして欲しい父をそっとしておいた。過去に父と共通の何もなかったことが感傷的にさせた。
次の日のプログラムについて父は話した。それは宗教音楽で、父は教会に行っていたが子供たちは行っていなかった。それを悲しんでいた。父の宗教的回心のことを尋ねたが「わしが何か劇的なことを隠しているなんて考えるべきではないよ」といった。
次のコンサートは宗教曲だった。
これまでバッハの音楽を甘美だと思ったことはなく、誰もバッハに関してそんなことを考えないだろうと思っていた。しかし彼が感じたのは、甘美さはときには痛みを伴うが、ときにはこの上なく幸福にもしてくれること、そしてコラールではその甘美さが魂の深い部分に和解をもたらすということだった。なぜバッハが好きなのか、と尋ねたときの父の答えを彼は思い出した。
無言で帰り、朝の集発に時間を確かめて父は「おやすみ」といった。
帰り道には、もう無言は不安でなくなっていたが、標識を見て父は思い出や知識を話した。彼は買ってきたバッハのCDをかけた。
雨をよけて橋の下に停まった。父は涙をぬぐってハンカチをきちんとたたんだ。「もう出発できるんじゃないかな」と言った。

南への旅
彼女は子どもを愛するのを止めた。愛情がなくなっていた。誕生祝には子供たちが孫を連れてきた。だが出て行った夫の再婚相手の話題は出なかった。
孫たちも彼女にお祝いのスピーチをした。
ウイルスのせいで高熱が出た 次男の娘のエミリアが付きっ切りで看病をしてくれた、医学部への入学前だった
彼女は熱にうなされ、舞踏会で片腕のない男と踊った夢を見た、若い頃の出来事を思い出したのだ。エミリアはその男を探し出してくれた。気が進まなかったが会いに行った、今は哲学書を出す学者になり粗末な家に住んでいた。彼女は彼に捨てられたと思っていたが、彼に聞くと彼を捨てたのは彼女のほうだった。幼馴染で家柄も釣り合い将来の有る男を選んで結婚し、記憶を都合のいいように変えてしまっていた。
「わたしの人生がうまくいかなかった話を聞きたいの?あのころ、あなたのことを待っているべきだったといいたいのね」
「ぼくは以前、そのテーマについて書いたことがあるんだ。人生を決めるような大きな決断は、正しかったり間違ってたりするわけじゃない。ただその結果によって、違う人生を送るというだけなんだ。きみの人生がうまくいかなかったとは、ぼくは思わないよ」

エミリアは彼女を家まで送り出発した。




どの男性も煮え切らない、自分本位に考えすぎて悩むところが、何か真に迫ってはいるが、女の方が前向きで元気がいい。最後の「南への旅」の女性は強すぎるようだが。
「最後の夏」は晩年の思いが、うら悲しい。死の目前にいる人の心境、現実の重みが迫ってくる。若い頃は自分の晩年を甘く考えている、言葉では言うがまだ実感がわかない、それを見通しが甘いとか考え不足というのだろうか、一言で嘘ともいい切れない、ガン末期の夫を置いて奥さんは怒って出て行ってしまうのだろうか。
「バーデンバーデンの夜」息子と父親はえてして意見が対立するようだが、いくつになっても理解しようとする試みもうまくいかないところがある。それぞれの心の動きが、少しずつは溶け合っていくところなど、将来に希望が持てる。






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大原散策 三千院 (聚碧園・有清園)

2014-09-24 | 山野草


三千院の画像を整理しました、今日は曇り空ですが、写真の整理をしながら、眩しいような苔の庭を思い出しました。紅葉の季節は混雑しますが、できれば行ってみたいと思っています。





大きい写真はこちらから






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般若寺(コスモス寺)・秋の花

2014-09-23 | 山野草

白鳳秘仏と胎内仏三尊(阿弥陀仏の台座に納入されていた小像)などが公開されていたので行ってきました。km
コスモスの咲く頃には何度も行っているのですが、秘仏の拝観は初めてでした。聖武天皇が平城京の鬼門鎮護を祈念して奉納した「霊像」と記されているそうです。









少し大きい写真はこちらです






面白い資料をいただきましたので、メモしました。

尋常小学校読本 巻九   文部省 大正7年(1918)制

第三十二 般若寺の御危難

笠置の城すでに北條の兵に攻破られ、後醍醐天皇は御いたわしくも、賊軍の手に落ち給ひぬ。笠置なる父帝の御もとへと志して、比叡山を立出て給ひし護良親王は、今や天下に身を置き給ふ所もなく、しばらく奈良の般若寺にかくれて、時の至るを待ち給へり。
かくと聞知りたる北條方の僧好専、或日の夜明方に、五百余騎の兵を率いて、不意に般若寺に押寄せたり。
折から御供の人々一人も居合はせざれば、親王、一防ぎ防ぎて、落ちのび給ふ暇もなし。
賊兵は早すき間もなく寺内に乱れ入りぬ。
親王今はのがれぬ所と思し召し、自害せんと御肌をぬがせられしが、いやいや、手立ての全くつきたる後、腹を切るとも遅からじ、かくれて見んと思ひ返し、仏殿の方を見給ふに、大般若経を入れたる三つの箱ふと御目にとまりたり。二つは蓋をしたるままなれど一つはだれが読みさしたるにや、半ば経巻を取り出して蓋もせず。これぞよきかくれ所と、蓋の明きたる箱に入り、経巻にて御身をおほひ、氷の如き刃を御腹に当て、敵若し「此処に」と言はば突立てんと、息を殺して神仏を祈りい給ふ。
其の時、賊兵ばらばらと仏殿に乱れ入り、仏壇の下、天井の上、残る所なく尋ぬれども、親王はいづくにも見え給わず。「あの蓋したる二つの箱こそあやしけれ。明けてみよ」とて、中をさがせどもおはせず。「蓋の明きたるは見るまでもなし」と言いすてて、賊兵は其のまま立去りぬ。
親王は思ひもよらず、危うき命を助かり給ひ、ただただ心地しておはしましが、賊若し立帰り来て、又尋ぬることもあらんかと思ひつき給ひ、先に賊兵がさがしたる箱のなかに入りかはりておはします。
案の如く賊兵また取って返し、「先に蓋の明きたる箱を見残したるが、心がかりなり」とて、経巻を取出しして中を改めしが、いよいよ思ひあきらめて、門外に出行きぬ。
親王は萬死に一生を得て、神仏の加護を謝し給ひ、熊野をさして落行き給ひとぞ。
                                                                   終



大正時代の教科書とはこんなことが書いてあったのかと勉強になりました。漢字は現代のものを使いました。
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秋の風景

2014-09-21 | 山野草
秋の風景

お墓参りに行きました。その後コスモス畑を見に行きましたが少し早く、まだひまわりや百日草などが咲き残っていました









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「64(ロクヨン)」 横山秀夫 文藝春秋

2014-09-20 | 読書



647頁の大作だったが、重いので持ち歩けず、雑用の合間に読んでいると進み方が遅くなってしまった。予想通りの面白さに一気読みがいいとわかっていたがやっと読みきってほっとした。
 前半は細かい職布を見るような書き方で、激動する内容だが警察内部の話が多くそれでも興味深かった。少し時間はかかったが、所々感動的なシーンがあってホロリとするので、外で読むのは少し照れるかなと思った。


三上はもと刑事だったが、今はD署の広報室を任されている。異動時期に刑事が続けられるよう実績を残してきたが、やはり広報に移された。しかし4人の部下は広報と言う仕事にプライドを持ってあたっていた。かれも広報マンのトップの自覚と誇りが芽生える。

娘が行方不明になり二度、死体検分に妻とともに出かけ、そのたびに娘ではなかったことを安堵したが次第に妻は家に籠るようになっていた。

14年前の「祥子ちゃん誘拐事件」の犯人が逮捕されず時効が一年後に迫っていた。突然、一週後に長官の視察があるという。祥子ちゃんの父親宅を尋ね、侘びとともに焼香したいという。三上はその連絡のために被害の雨宮芳男に了解を得てくることを託される。
三上は誘拐捜査で初動班にいたこともあり、未解決のままに父親に会うのは忸怩たる思いがあった。雨宮は一度はかたくなに断ったが、二度目の訪問で三上の情にほだされたのか承知した。
一方、記者室では刑事部の発表に反発して、広報は板ばさみ状態だった。

調べるうちに、祥子ちゃん誘拐の捜査の陰に不審な「幸田メモ」があることがわかる。
犯人の声を録音していた「日吉」と「幸田」が祥子ちゃんが殺害され、身代金をまんまと取られてしまった、捜査がこれからと言うときに退職し、日吉はその後14年間引籠っている。幸田は行方がわからない、なぜなのか。
刑事部の暗部が徐々に見えてくる。だが関係者は秘して黙し、三上には何も語らない。

刑事部に関する押し問答はやがて広報に向かって爆発する。

一方刑務部の二渡の行動が気にかかりだす。彼は新しい庁舎建設の件で動いていると言うが、人事権の裏方の実力者と言われる二渡の不審な行動が目に付く。

外では妊婦が老人を轢いて死亡させた。加害者の氏名は妊婦である上に重要人物の娘だった。刑事部は匿名で記者クラブに知らせろと言う。三上は記者たちの不満の騒動に巻き込まれる。

誘拐事件の匿名発表、事件の経緯などは協定が結ばれ、無言のうちに守られてきた。人道的な面からも記者たちは認めてきた、しかし、今回はおかしいではないか、と言う。三上は苦渋の末、尊敬する上司に問いかける。なぜ匿名なのか。

彼の広報魂が見える、感動的な場面に繋がる一つの山場である。

長官視察を明日に控え、また14年前をなぞるような誘拐事件が起きる。長官視察は取りやめられた。
これは様々な目的でおきた狂言ではないのか。
誘拐された少女はC子でもいい、ではなぜ両親の名まで秘匿するのか。
兄とも慕い尊敬する松岡に聞く。彼はいつもの独り言を言う。父親の名前住所。三上はあの協定が破られるのを恐れ、この情報だけでも流せることを喜んだ。しかし記者団は納得しなかった。

「俺がいえるのかここまでだ」
「しかしそれでは」
「ご再考願います、C子の名前なしでは協定は結べません。」「協定が流れてしまえば、何百人もの記者カメラマンが暴走します。捜査の妨げにもなります」
「言えん」「人間言えることと言えないことがある」


妙な言い方だった。様々に三上は考える。「便乗」誘拐事件の捜査で視察を中止に追い込む。視察は未解決の事件を種に地元警察の星、刑事部長職をキャリアに戻す案があると聞いている。

「本庁に刑事部長を奪われる。私も忸怩たる思いがあります。しかし、本件がもし狂言に乗じたものであるなら、事情はどうであれ、まさしく外道捜査」
「外道に正道を説けるのは外道、そういう言葉もある」
「ならば」
「くどい」「後はお前らの仕事だ、広報室の矜持とやらを総動員してブン屋を仕切ってみろ」


三上は犯人からの電話を聞き、松岡の温情で捜査車両に同乗する。

犯人はいるのか。14年前の誘拐事件をなぞるなら動機は何なのか。

長い長い感じがするが一週間の攻防。刑事部対刑務部。そして君臨する本庁。板ばさみの広報室室長、三上と広報室の団結。
記者会見の矢面に立たされた新米エリートの挫折と自立。

事件は緊迫した中で幕を閉じ、松岡の言葉も理解する。
三上は変わらない日常に帰る。
娘は自分にあった世界を見つけているかもしれない。娘からの電話を待っていた妻も、もと警察官として事件の解決に狩り出されて、渦中に身を置いたことで自分を取り戻す。


力作で、読み応えがあった。
創作の舞台であっても、登場人物たちの動きに同化して、盛り上がる部分では同じように気分が高揚した。

さすがに多くの人々が認めた傑作だった。

二渡は短編集「陰の季節」の最初の話で登場していた。彼の不審な動きはちょっとしたスパイスで、それは学生時代どうしても勝てなかった三上への報復でもあるのかと思えるところが、うまく出来ている。







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「あふれた愛」 天童荒太 集英社文庫

2014-09-19 | 読書


最近はミステリを主に読んでいるので、気分転換になるかと、題名に惹かれて買ってきた。
少し暗いが、溢れた愛の持ち主は、精神に障害があったり、少しばかり日常からはみ出すような人々で、平常でない日常の中からでもわずかながらもあふれ出すような愛の物語だった。


とりあえず、愛
磯崎武史は大手広告社から町の紙器の印刷業者に転職した。腎臓に疾患があり、入院のあと社長に拾われた会社だった。契約がうまくいき社長と共に喜んで、高揚した気分のまま帰宅すると、育児ノイローゼ気味の妻が待っていた。
娘の夜泣きとアアトピーなどで、なれない子育てに自信をなくし疲れているようだった。結婚の際両親の快諾を得なかったことで妻の実家は敷居が高かったが、妻子を預けた。妻は心療内科で治療を受けその後に入院したが、退院するとすぐに子供をつれて帰ってきた。
妻の誕生日を祝い、少したったころ、妻が出て行ってしまった。
納品の締め切りに追われ働きすぎた武史は倒れた。
入院先でむつまじい老夫婦に会った。妻は痴呆症で夫を判別できなくなっていた、夫は身体が不自由で車椅子だったが、介助を受けて週に一回ハナミズキの木の下で会うのだという。
何も解らないままに病室に帰る妻が、車椅子が傾いたので片手が上がったように見えた。夫は自分の「バイバイ」と言う声に妻がこたえたように見えて、顔を輝かせて看護師に向かってそのことを話していた。
見送っている武史のそばに妻が来た。「いつまで」「とりあえずもう少し」と妻が言った。

うつろな恋人
塩瀬彰二は過労から不安神経症になりストレス・ケアを受けるために入院した。外出が出来るようになり、入った喫茶店で健康的な笑顔のいい少女に出会った。
次の出会いは病院の談話コーナーだった。忘れた本を見つけてくれたのはあの少女だった。性的な内容の本だったが、古典文学だと薦められて読もうとしていたところだった。少女はそれを見て、なにか文字が書いてる和紙の綴りを見せた。開くと露骨で猥雑な言葉の連なった詩のようなものだった。
カウンセリングで担当医にその話をした。「彼女のイメージとは会わない詩を見せられたんですよ」
喫茶店に行くと彼女がいた。中野まで行って男に会って来たという。詩はデート相手が書いたものだといった。
続きも見てくれと行ってまた詩集を渡された。「私のことを書いてくれた詩なんです」という。
だがそれは、ボードレールが戯れに書いた詩の書き写しだった。彼女がいるという中野のアパートに行ってみると少女はそこの部屋で時間を潰して帰って来るだけだった。
彼女はまた入院した。彰二は退院して会いに行って見ると、詩を書いてくれる恋人の名前が今度は彰二になっていた。

やすらぎの香り
香苗は長女で責任感の強い努力家だった。次第に完璧を目指すことが目標になり神経を病んでいった。過食嘔吐を繰り返すようになっていたが、隠して親の勧める結婚をした。だが夫は全て両親に依存している男だった。見つかった嘔吐が妊娠でなかったというので、離婚。精神科に入院した。
次第に回復して社会復帰病棟に入った。そこは社会に適応するための施設で、外出も出来た。宗教の勧誘を受けて困惑していたとき助けたのが同じ病棟にいる男性だった。付き合い始めて一緒に住むようになった。半年後も変わらなければ結婚を許されることになった。二人は交互に日記を書いてそれを証明にした。
結婚届を貰いに行って緊張のために倒れてしまった。約束は後二日だった。妊娠していることもわかった。職場でも思いやりがあり、夫の茂樹も優しかった。
「やっていけるよ」と言ってくれた。

喪われゆく君に
高校を中退したまま保志浩はアルバイトで暮らしていた。クリスマスの日勤め先の店で男が倒れてそのまま亡くなった。何の手立ても出来なかったのがしこりになっていたが、ケーキを貰って帰ってくると美容師見習いの美季が来ていた。
暫くしてなくなった男の妻が尋ねてきた。様子を聞かせて欲しいと言う。浩之は表が騒がしいことにかこつけてすぐに店から出てしまった。帰って店に顔を出すとまだ妻は待っていた。
彼は様子が気になってアパートに訪ねていく。彼女は家に入れて夫が趣味にしていた風景写真を見せる。花の咲く四季折々の美しい風景がうつっていた、もう一度行きたがった妻に見せるために、美季と同じ風景を訊ねて同じように写真を撮ってくる。そのうち美季が不審がり同行を拒んだ。それからは一人で写真を撮った。
「どうして一人なの」妻は責めるように言い、暫くして引っ越していった。
手紙が来た、新しく出直す気持ちになったと言う。


簡単なあらすじだが、社会に適応できない人たちが、心の病を見つめなおしていく姿が温かい。暗く苦しい物語になっているが、小さな愛が立ち直る切っ掛けを作る、心の中にある欠けた部分を補い合ったり、支えあう姿が静かに胸に響く。
「家族狩り」「永遠の仔」を読んだが救いようのない暗さが印象に残っている。その後の作品は題名だけでも何か違った方向が見える。機会があれば読もうと思っている。



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京都 大原散策

2014-09-13 | 山野草

秋海棠の花が見ごろだと聞いて、高速道路が京都まで繋がったし、思い立って行ってみました。
大原は四季折々の風景が、大小のお寺にしっくり似合ってほっとする風情があり好きな所です。

紅葉にはまだ間があるので緑が多く、一組の高校生が修学旅行で来ていましたが、人もちらほらでゆっくり歩けました。

三千院の緑紅葉や庭の苔に日も射して美しく目にしみるほどでした。


写真の整理ができましたら、寂光院もあわせてみてください。



往生極楽院の庭


聚碧園



見ごろの秋海棠




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父の命日、紫苑の日

2014-09-10 | その外のあれこれ



父が死んだ日 庭の紫苑が満開だった。
たくさん集めた花束のように光に向かって開いていた。

今年の花は少ない
父の言葉のように少ない

父の言葉は生涯で人の一生の半分にも満たなかっただろう


部屋の中では碁石や将棋を握って手招きをした
夏は河原で一日釣りをして
冬は広場に出て北風の中で凧を上げていた

遊び慣れた言葉のいらない世界で・・・

父は今年も紫苑のように黙ったまま

風に揺れて私のもとに還ってくる。








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「白い眠り」 レイア・ルース・ロビンソン  新潮文庫

2014-09-09 | 読書



イブ(イブリン)はマンハッタンの北部、ハーレム地区の古い建物、ユニバーシティ病院の緊急室に勤務する外科のレジデントだ。
物騒な地区なので様々な患者が運び込まれてくる。

午後八時、大雪の日、同僚の外科医が雪道で転倒して、運び込まれ電話で呼び出された。

救急呼び出しで駆けつけると病院内はいつものように、酔っ払いや精神に問題のある患者などでごった返している。
骨を負った医師の治療中、深夜になってインターンで天才外科医と言われている、シェリーが夫に担がれて運び込まれる。

夫が帰宅したときにはソファーでぐったりしていたと言う。最近はアスピリンを大量に飲んでいたので、空き瓶を見ると、一度に全部飲んだことが原因だろうという。

シェリーは作家で、イブは書き上げられた後タイプで清書した原稿をチェックする手伝いをしていた。
二人とも人付き合いが下手で余り深い交流はなかった。呼吸も心拍も弱まり助からない状態に見えたが、驚き落胆しながらも手を尽くす。しかし手遅れだった。

シェリーは妊娠していたが、子供は欲しくないと言っていた。


検視の結果、自殺と言うことだったが、イブは不審なことに気がつく。


アスピリンを大量に飲んだと言うがシェリーの胃には残留物がなかった。

遺言もなかった。本の発刊を楽しみにしていた。


病院の医師、看護師、インターン、レジデントは休む暇もない。
体の不自由な年寄り、脳疾患で救急措置の要る患者、喧嘩や徘徊、夜には警官に付き添われて危険な患者が運び込まれ戦場の様な有様だが、それが日常。

睡眠時間は不足して、医師は健康管理もままならない。
仕事を離れたところでは個人の事情もあり、ストレスも溜まる。

イブはそんな中で、シェりーの死因を考えている。シェリーは、イブの恋人で精神科医のフィルに相談に行っていたらしい。しかしフィルは秘匿義務を守って何も話さない。


シェリーの死因と、自殺でなければ犯人は誰なのか、がメインストーリーだが、病院内部の描写が多く、ドラマのERの混雑と同じような場面が多い、さまざまな人間関係や患者の情報などとともに、イブとフィルの恋愛もある。

シェリーの死のナゾに付き合って最後まで読んだが、事件の解明よりも、医療現場の場面が多く会話も薬品や処置、手術のシーンなど専門的な細かさで、読むのには少し疲れる。



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「検察側の罪人」 雫井脩介 文藝春秋

2014-09-08 | 読書



 矛盾したような意味深長な題名で、題名の謎解きも含めて面白かった。
つい名作の「弁護側の証人」を思い浮かべた。

司法修習生の研修会場で最上は検事の卵たちの指導教官だった。そこで沖野という修習生が、検事になる決意を最上に告げる。未来に希望を持ち瞳を輝かした若者だった。

5年間の地方勤務から東京地検に異動して、その後一年を経て刑事部に配属される。そこの上司が最上だった。
「法という剣を究めて世の中の悪を一刀両断にする・・・」彼は最上のはなむけの言葉を繰り返し、なお、法律は叡智の結晶でもその剣は生かすものの力量に匹敵するではないかと言う。
だが最上はそれを肯定する姿勢を見せなかった。

その時点で、凶悪犯罪の公訴の時効は10年から25年に改正されていた。
「俺は少なくとも、凶悪犯罪に時効はいらないと思っている。
「時効が存在する理由は法解釈でいろいろ挙げられたりしているが、結局そんなものはただの慰みだ。個々の事件で判断すればいいことであって、一律に線引きする理由にはならない。人間の能力として犯罪者を捕まえられないと言うのなら、それは仕方がない、しかし、法律が限界を区切るのは法律の負けだ」
「時効が撤廃されたとしても、それまでに時効が成立した事件は、やはりそのままということになるだろう。俺はいいとき人を殺したとほくそ笑むわけだ。
自分が手にした剣も万能ではない・・・そういいたくもなるってもんだ。


飲み屋でするような話をしてしまったと最上は思ったが、沖野は畏まって聞きいり、話の通じるやつだと言われ嬉しそうだった。


鎌田で老夫婦二人の刺殺事件が起きた。夫の趣味だった競馬仲間に小額の金を貸していたが、現場からは、犯人の決め手になるような証拠は見つからなかった。
借用書は残っていたが、抜かれている可能性もある。とりあえず出入りしていた競馬仲間を調べることになる。そこで最上は、昔殺人事件の容疑者になった松倉という名前を見つける。かっての事件で彼は少女殺しの重要容疑者と見られていたが、最後まで罪を否認して迷宮入りになり、時効が成立していた。

過去の松倉の事件というのは、会社の寮を管理していた夫婦の六年生の一人娘が、犯されその数日後に管理人の留守を狙って、また犯されて殺されていた。北海道つながりで最上は学生時代この寮に下宿していた。
余った部屋には会社員や現場作業員などが住んでいた。
最上達は司法試験を目指し勉強中だった。仲間は4人いたが、現在は弁護士、政治家、記者、などと道が分かれている。

政治家になった仲間は、義父の罪をかぶって自殺した。彼は重要な位置にある義父の生き方を清濁あわせて信頼し、将来の政治に必要な人物だと最上にいった。そして自分が盾になって死んでいった。

最上は、自分の検事という仕事を考えることになる。

松倉は別件で逮捕し、事件について取調べを始める。
沖野は最上からまかされて、松浦を取り調べるが、決定的な証拠がなく、松倉は否認し続ける。
かって起こした事件はすらすらと認めた。時効が成立してしまっている事件で、認めるのは簡単だった。
沖野の尋問は苛烈を極め、口汚くののしり、ついには逆上した様子までも見せて追い詰めていく。法という基準がなければ、彼のこういった取調べは、一人になって振り返ると、逆に自己崩壊を招きかねない心理状態を自覚するほどだった。

しかし、最上は、決して松倉の否認を認めず、取調べの手も緩めなかった。

沖野は、追い詰める側の究極の苦しみを知る。そして、ここまで確信を持って責めろと言う最上に何か割り切れないものを感じ始める。


決め手の証拠と容疑者の自白を求め、捜査官と検察官が粘り続けるうち、居酒屋でやはり容疑者として浮かんでいた弓岡という競馬仲間が、事件に触れて話していたと言うニュースが入る。
そして、弓岡に接触してみると、今までの矛盾点が明らかになるような話をする。

松倉に固執する最上は、一つの解決法を思いつく。



面白かった。最上について書きたいこともあるが、流れに沿って終章まで行くのが、読書の楽しみかもしれない。
沖野は辞職し、迷った末弁護士登録をする。
「正義」と言う言葉が何度か出てくる。法の正義の刃は使う人の正義によっては切れ味も違ってくると考える沖野の正義は、人権派という看板によりかかった弁護士とも相容れないところにあって、読者に明るい未来を見せてくれる。




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先に映画を見てからの、原作は?

2014-09-04 | その外のあれこれ
  


「愛を読むひと」の原作「朗読者」を見つけました。帯で絶賛されていたし、映画もよかったので買ってきました。

それで読み始めたけれど、どうも進まない。
15歳の少年が21歳年上の女性に恋をして付き合い始めるのですが、学校帰りに、車掌をしている女性の帰りを待っていたり、両親が旅行に出ると一緒に自転車旅行に出掛けたりします。
それはいいのですが、一緒にお風呂に入ったり、ベッドに入ったりとにかく、この話が長い。女性(ハンナ)にせがまれて、毎日、本を読んで聞かせているので朗読者です。
(少し飽きてしまって)少年も初めてという「オデッセイア」を読んだと言うので、私もギリシャ神話を検索してみたりしていましたが。

こういう話が一章だけで1/3は占めていて、。読み飛ばすことも出来ないし(こういう名作が解らない年になったのかとも思うし)よく考えてみると、ハンナが失踪したところから、これはミステリで、結末を珍しく覚えているのがまずいのかも知れないと思ったり。この後の展開がわかるし、一番感動的で、ハンナの悲しみが伝わるところを見てしまった.姿を消したわけを知ってしまっている。
挙句にこんなに原作に忠実なら読まなかったのにと思いながらまだ側に置いて悩んでいるところです。わざわざ書くほどのこともないのですが。
また失敗したかなぁ、時間と本代と思って。

映画は戦争のためにいろいろあって(ネタバレみたいで書けないけど)悲しくて美しい優れた作品でした。

映画化された「愛を読むひと」の監督は、「イングリッシュ・ペイシェント」「コールドマウンテン」のアンソニー・ミンゲラ(早く亡くなってしまって残念)。「イングリッシュ・ペイシェント」は余り好きな映画ではなかったけれど、高く評価された作品でした。
主演はケイト・ウィンスレットとレイフ・ファインズ で、レイフ・ファインズがちょっと変人っぽくて?好きだし、でDVDで見て、とても悲しい話で後々まで尾を引いたのですが。
本は停止したままです('-'*)。


また、余計なお世話ですが、その時一緒に借りた「海を飛ぶ夢」は素晴らしい作品でした。
主演は「ノーカントリー」のハビエル・バルデムでしたが、脊椎損傷で首から下は動かなくなった男が死にとり付かれている時、介添え人と一緒に、一文字一文字、目を使って書いた話を映画化したものです。実話なのですが、感動しました。
もしまだでしたらオススメします。
 ハビエル・バルデムは「ノーカントリー」でおかしな癖のある執拗な殺し屋を演じていた俳優で、この殺し屋はボンベが武器で殺しをコインで占ったり、狂気じみたところがまたおかしい味がある役でした。保安官の二つの夢も絡んでとても面白かったです。

コーエン兄弟の監督で、彼らは「ファーゴ」「処刑人」というオススメ映画も作っています。

雑談ばかりですが、庭に白花桜蓼が咲いていました。
少し早いようですが秋の花です。





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可愛すぎるけど困る 「コミカンソウ」

2014-09-03 | 山野草
  


 友人がコミカンソウを写していた。「どこで見たのそんな珍しいもの?」
「庭にいくらでも生えて困ってるのよ」と言っていた。

 それなら家でも、無かったら近所で聞いてみるかな、と早速探し回ったが見つからなかった。
 それが、一本生えていた、上から見るとそれと全く解らなかった。それが随分前の話で、それから毎年生えてくる。
 友人は困っていると言っていたが、最近は困るほど生えてくる。

 花はなかなか育たないのに、コミカンソウとタツナミソウは領土を広げて、交配の末にやっと生まれた様な珍しいバラの根元に群がっている。肥料など我先にと盗ってしまいそうな勢いで茎まで太ってきた。

 今日は秋めいて気持ちがいいので、咲き出したという秋の花を写しに行こうと思ったら風が強い。
茎の細い「ツリガネニンジン」などはダメだろうし、空を見てふと足元を見ると、「コミカンソウ」が大きな葉を広げて(大きな顔をして)ミニバラの鉢に茂っている。

 何日か前に見たときは無かったのにと抜いてきたが、よく見ると可愛らしい実が名前のように並んでいる。可哀想なのでグラスに挿してみた。

 夕日が沈むと葉を閉じているのを発見、ネムのような葉だと思っていたが、一人前に眠るのね とびっくりした。


どうも写真がうまく写せなくて(;;)

前に写したほうがましかも「コミカンソウ



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