空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「純平、考え直せ」 奥田英朗 光文社

2016-07-28 | 読書





久々に奥田さんを読もうとして、これにした。軽くて明るそうだ。そういうものが読みたい気分だった。読み始めると面白くてずんずん進む、これはもしかして当りかも。すぐ読みきった。
感想はいつものように感謝して甘い点をつけたかったが、辛かった。


兄貴に憧れ一途に尽くしてきた純平21歳、兄貴のようなヤクザになりたい。尽くして尽くしまくっているとき、組長からじきじきの命令だ出る。三日後に鉄砲玉になれ。
感激して、20万と貰った三日間を豪勢に暮らす。何しろ田舎出で、兄貴について見聞きしたことしか知らない、おずおずしたところが可愛らしいが、それなりに女の子と付き合い、勝手知った歌舞伎町で羽を伸ばす。兄貴に呼び出されない自由時間を満喫。そこでテキヤの兄弟分が出来、元学者の老人やコインランドリーにいるひ弱なゲイなどと知り合う。

一晩付き合ったOLになんとなく身の上話をすると、それを携帯サイトに投稿したものだから、大騒ぎ。
決行前夜は、付き合ったOLとまた会って怪しげな地下クラブで、初めてクスリを吸い、LSDでぶっ飛んでしまう。過去がミラーボールのように光って回りだし、人間離れをしたトリップ状態を経験する。

そして明ければ当日。盛り上がったサイトの「助けに行こう」も沈静化し、新聞を読もうかとやはり他人事だ。

なんかスッキリしない。侠客物では決してないし、ハードボイルドでもない人情新派にも堕ちてない。
現代風俗はそれでいいとして、ふと会いに行った母親だって相変わらヒモと場末で飲み屋暮らし。
故郷のかつての族仲間は家庭を持ち。
組に帰って留守番に聞くと、組長と兄貴の取引の道具にされているのだという。兄貴に限って。
純平はどこまでも一途だ。

面白かったのは途中で安定した家を出てグレてみたと言うたかりやの老人と、純平に心底憧れて兄弟分になってくれたテキヤの同い年。そこまでは面白い。
だが世相を反映させたと言う、むやみに騒ぐ携帯サイト、人それぞれの発言が面白いといえば面白いが。
その後の夜のクラブで、純平は何をした、読んでいて面白くもなんともない。最後の夜、もう「考え直せ」もあったものではない。
21歳の純平が、もう少し賢かったら、こういう風に沢山の人間と関わることもなかったかもしれない、一途なものは人をひきつける。
だが、撃つなら裏切り者の兄貴を撃て! 前後の話は奥田さんが面白くコミカルに書いてくれるだろう。
久々の奥田さん、 残念!!でした。☆2だと思ったが。、老人の話が面白かったし、さすがに伊良部さんを生み出したキャラ作りの見事さに☆3にした。

一気に読めるし面白いことは面白い。
光文社さんはどう思う?


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ガラスの街」 ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮社

2016-07-25 | 読書




今「ガラスの街」はニューヨーク三部作の第一作ということで記録されている。
「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「ムーン・パレス」「偶然の音楽」「幻影の書」と読んできて初期の作品を二冊残していたのは、中篇であり初期に書かれたもので、先に読んだ作品で感じた、私の中の名作「孤独の発明」が次の作品がどういう形で書かれたかにも興味があった。
ただ既読の5冊の中には、共通する実態の掴みにくい孤独感はが相変わらず座り込んで在り、それを包むように明晰で分かりやすい言葉が連なっている。

次第にストーリー性が増し、明確な風景の中から物語が立ち上がってきている。そういう傾向に移行したのかと感じたのだが。
ニューヨーク三部作の頃にはまだ主人公の回りは常に現実との境が曖昧で、存在自体も、本人にさえも見えない部分がある。
主人公たちは、その見えない部分を自分中や知り合った人たちに見たり触れたりしてして、鑑に写したように実感を得ようとしている。だがそれも次第に薄れていく。

ストーリーは、夜中の間違い電話が何度も懸かるので、「ポール・オースター?」ときかれ「そうだ」と答えてしまう。
実はダニエル・クインという探偵作家で、ペンネームはウィリアム・ウィルソンでありその陰に隠れていれば、エージェントとは私書箱を通しての付き合いで、顔を出すことがなかった。彼は半月書き、余った時間を自由に暮らしてきた。
間違い電話の主ピーター・スティルマンは子供のころ幽閉されていた過去がある障害者だった、世界に散見する研究対象で、誘拐されて見つかった子供のように、9年間、言葉や光のない部屋で育ち、父親に実験的暴行を受けて、13年間父が捕まっていたとき、今結婚している妻が教育してきた。父親が釈放される日が近いので殺されないように保護して欲しいと言う。
彼は満足に話せない。
---これはいわゆる話すという行為です。そういう呼び方だと思います。言葉が出て宙に飛んでいって、束の間生きて、死ぬ。不思議じゃありませんか---
彼は電話を受けた手前、彼は作中の探偵ワークとはもう架空の者ではなく、いつの間にか一体感を持っていたし、現在の状況は三人の人格が合体したものに感じられた。
--- 探偵とは、全てを見て、全てを聞き、物事や出来事がつくりだす混沌の中を動き回って、これらいっさいをひとつにまとめ意味を与える原理を探し出す存在にほかならない。実際、作家と探偵は入れ替え可能である。---
出所した父親らしい人物を見張り始める。安ホテルに泊まった老人はニューヨークを徘徊する。彼も後ろから歩いていく。何も怪しいそぶりもなく日が過ぎ。ついに彼は接触を試みる。老人は新しい言葉を作り出そうとしていた。彼は老人の意識を確かめるために話しかけるがもう既に過去のハーバードの秀才教授ではなかった。だが彼の知識の片片から生まれる物語は魅力的で、その奇妙な世界を聞きに何度も出会うようになる。
---ポー作品でデュパンはなんと言っているか?「推論者の知性を、相手のそれに同一化させる」ここではそれは、スティルマン父に当てはまる。」おそらくその方がもっとおぞましい。---
父親はかってヘンリー・ダークという名前で、今ここではないかつての楽園を作るために、乱れた言葉を元に戻すことを解く「新バベル論」について書いていた。その小冊子を見つけた。
赤いノートに記録しながらクインの尾行は続いた。
赤い手帳にはその日の出来事を書きながら見張っていたが老人は消えた。ホテルで聞くと投身自殺をしたそうだ。
くクインは依頼者のスティルマン夫婦のところに行くとマンションは誰もいない空室になっていた。
クインはついに、ポール・オースターを訪ねる。彼は全く何も知らなかった。
そして今書いているのは何かといといに答える。
「ドン・キホーテ」論だという。これはセルバンテスの作ではなくアラビアで書かれ、セルバンテスは翻訳されたものを編集したもので、そういうことは事実を語るのに疑いを挟ませない理由だと言った。そしてドンキ・ホーテは物語に魅せられた。しかし原作のアラビア人は登場する四人の組み合わさったものではないか」
クインの部屋は他人が入っていた。彼は依頼者のスティルマンがいた狭い窓にない部屋で眠る。次第に彼が何もかも億劫になり消えた。

オースターのところに来た友人にこの話をすると、友人はクインを心配して探してみたが彼のいた部屋は赤いノートだけが残っていた。

一人でいることは自由だと言うことだが、それが続くとクインはソローの本を探して読んでみたりする。この自由とは違う。
それでも過去にはウィリアム・ウィルソンであり、創作した探偵ワ-クであり、ミステリ作家のダニエル・クインであった。その頃は快い孤独感とともにニューヨークの町を歩いて楽しむことが出来た。
だが、ふと電話に出て見知らないポール・オースターになり、書く事をやめウィリアム・ウィルソンから離れてしまった、そのとき自分と一体であったものを切り離したあとの独り、このクインとは一体何者だろうか。
仕事だと思った老人の追跡が意味のないものになり、町は次第に陰をなくし、それに連れて存在も希薄になる。孤独というものの実感さえ浮かばなくなり生存するということが抜け堕ちてしまう。それがどんな意味があるのかとさえ考えることのないところに入ってしまう。究極の言葉によって形作られるみえない深い悲しみや空虚感が見事に作品になった、珍しい文学的な前衛だという言葉が分かる、初期ポール・オースターの作品だった。


この形式とセルバンテスの部分は少し共通の部分もあるように思うがここまでにする。

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「薔薇忌」 皆川博子 実業之日本社

2016-07-21 | 読書

久し振りの皆川博子さん、さんといっていいのか今年で85歳になられた今まで10指に余る賞を受けて、文化功労者にも選ばれた。
多くの作品は、幻想的と冠がつく、長編小説、切れのいい短編(それでもなお妖しい)ゴシックロマンといってもいい、海外を舞台にした、不思議な出来事、怪しい雰囲気を纏った作品群。
人の暗い部分を見る目を持っている人は、何かの気配に敏感だったり、時々常にない心もちに陥ったりする。
見たり聴いたり感じたりする本来の器官の働きに、敏感な特殊な能力を持っている人なのかもしれない。
皆川さんは、そういう異界の、異形のものだったり、現実何気ない気配を、幻のように書き出してみせてくれる。
幻想作家だと呼ばれたりするが、読み始めると日常を離れた感覚を纏った大舞台が待っていて、登場人物たちに導かれて不思議な体験をする。

脇腹で繋がったシャム双生児に生まれて、切り離された後世間体もあって日陰で育てられた。一人は名家を継ぎ一人は施設で医者の手伝いをして育つ、と言う生まれながら数奇な運命を予想させる、2人の子が世界を股にかけた雄大な物語「双頭のバビロン」

医学黎明期にイギリスの医学生たちが巻き込まれる殺人事件「開かせていただき光栄です」(本格ミステリ賞受賞)などいずれも大長編だったが、妖しく面白かった。


前置きはそこまでで今回の「薔薇忌」、短編なので物足りない感じもしたが、古典的な幻想小説だったり、自分の心の中に堕ちてしまう青年、何かに疲れて壊れてしまう人などそれぞれ面白かった。題名だけでも意味ありげでいい。



* 薔薇忌
劇団で雑務をしているえくぼの出来る後輩に気がついた。聴いてみると面白い話をする。
イタリアで、仕えていた公爵にゴマをするために本心(復讐心)を隠して仮面をかぶり続けたら仮面の下で腐ってしまった男がいたそうだ。
復讐の暗殺は成功したが彼は惨殺された。
腐っていく役っていいよね、
と言うので彼の書いた脚本を使うことにした。
刑罰には薔薇の花を降らせて窒息死させるっていいよね。
それ悪趣味だね。
そのうち姿が消えた、素封家の息子だったので人知れず家に帰り縊死していた。

* 禱鬼 
波乱にとんだ宇宙で、束の間生きるということが彼には魅惑的だった。
彼が惹かれたのは化粧をし衣装をつけ、別の人格にのっとられる、舞台の面白さだった。

* 紅地獄
夢はみるという。夢を聴くとも、夢を嗅ぐともいわない。非現実的であるけれどある状況の中を生きるのである。
濃密な抱かれる夢を見続け、その正体に出会う。

* 桔梗合戦
嫌ってはいなかった人だが暴行され妊娠した、彼女は白い衣装に白い桔梗を持って身重を隠して桔梗合戦を踊る。

* 化粧坂
子どもたちは山の上と下に住んでいて、一緒に遊ぶことが少なかった、転校生が来て皆に蜘蛛合戦を教えたので、盛んになった。山の上に住む僕は、彼が仲間に入れてくれた。
来いと言われこっそりついていくと、芝居小屋に入っていった。やがて化粧をして女踊りを見せた。出送りの女たちに騒がれる人気者だった。目配せするので化粧坂の下の崖で蜘蛛を捕まえていたた。夢中になっていると肩越しに息がかかるほど彼が近づいてきたので、驚いて跳ね飛ばしたら尖った石に頭をぶつけて死んでしまった。誰も行かない淋しい場所なので恐ろしくてそのまま帰った。旅役者の子供が山から堕ちて死んだそうだ。と一時噂が立ってそれっきりになった。

* 化鳥
楽屋に見知らぬ男が落ち着いた様子で座っていた。昔この部屋にいたといった思い出話をする。役者になりたかったが怪我をして衣装係になった。衣装は命を持っている。
私は見つけた男の子をプロディュースしようとしていた。少しずつ売れ出し男は家庭も持ったが、私は女形でないと演じられない瀧夜叉を演じさせたかった、瀧夜叉を宙摺りで客の上で舞わせるのだ。しかし、もう遅かった。中年太りのおやじになった彼の扮したのは、いくら衣粧をつけても既に化け物にしか見えなかった。

* 翡翠忌
90に近い老大女優は不意に引越しをした、若い者をあごで使って落ち着いたのは公園が見えるマンションだった。
彼女は若者と知り合っていた。公園の篠流れの小川には翡翠が飛ぶという。それを見ながらそばのベンチで2人で座って話をした。散歩もした。
2人は小さな劇団員で江見、須藤というの。
老女はそう話して時々公演に行くと、新劇の大御所が着てくれたと喜んでくれるの。
長年の相手役をしてきた山岸にそう話した。
山岸は言った。
また苛めたんだろうね、あんたは惚れると苛め抜いた。その……須藤か、その男のアラを、徹底的にあげつらったんだろう。
まるで見ていたようね。自殺したわ。
だれが 
あの子よ。

心配なんです。
先生は一人であの公園に出かけられるので心配でお供しようとしたらお叱りを受けました。東屋のベンチで、お一人で何かブツブツと……それが一度や二度ではないんです。

2人がいま出ている新宿の小さい劇場に千鶴を連れて行ったら迷妄から醒めるだろうか。
このごろ千鶴先生は見えませんね、とふたりは言った。

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「幻影の書」 ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮文庫

2016-07-18 | 読書




初期の「ニューヨーク三部作」がまだ二冊残っているが、これが図書館に来たので先に読むことにした。
「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「偶然の音楽」は若者が辿った運命の陰が色濃くにじんだ、思索的な作品だった。と、一からげには出来ない。それぞれに印象的な部分が多いが。それは先に残したレビューに託すとして、その後何作かの後にこの「幻影の書」が書かれている。

読了した「ムーン・パレス」は、詩を散ちばめような文章が、物語を語っている。
そして「ムーン・パレス」は主人公のストーリーの中に、彼の運命に交わる新たな人生の物語りが入り込んでくる形になっている。
その第二、第三の物語の感覚がいつか彼に反映して、より自分をくっきりと見ることができる。という方法を取り入れてくる。 その作中の第二・第三の物語が、主人公の人生と周辺の人々との時間だけでなく、入り込んだ別な時間(彼にとっては過去だった時間)に別な人生を生きてきた人物の時間が、ついに彼に追いつき、じわじわと入り込んで、彼の運命まで(良くも悪くも)狂わせてしまうことになる。
そういった形式が、顕著になっている。

この「幻影の書」では、彼のストーリーであったもの彼の運命であったものの中に、ここではヘクター・マンといういう喜劇俳優の話がジンマーの生活に否応なしに入り込んて、彼の運命に重なる様子が、実に重く苦しい。ジンマーの苦悩は消化できっずますます重みを増してくる、そしてヘクターとジンマーが生きていく(または生きてきた)悲しさが、ついには取り返しのつかない狂気にまでつながっていく。
暗い世界だったが、オースターのストーリー性が見事に発揮され、読まなくてはいられなかった。


主人公はデイヴィット・ジンマーという。「ムーンパレス」で瀕死のマーコを探し出す友人の名前と同じだ。
彼とマーコは別れた後、時がたってウォールストリートですれ違い軽く挨拶をして、その後二度と会わなかった。

暫くしてジンマーは教授になり愛する妻と息子か出来る。だが妻が両親に会いに行く飛行機が落ちて二人とも亡くなってしまった。どん底のジンマーは自殺を試みたが果たせず、光のない世界をさまよっていた。時が過ぎ、ふと夜につけたテレビで、サイレント映画の中でヘクター・マンという、喜劇俳優にはほど遠い、美青年が懸命に演技するのを見た、そのナンセンスな俳優とギャクの構成に思わず笑っていた。これが彼の苦悩の消滅の大きな前触れだった。
へクター・マンが作った古いサイレント映画のフィルムはもう少ししか残っていなかったが、彼は寄贈されたと言う12巻を追って海を渡り「ヘクター・マンの音のない世界」という本を書いた。

そこに美しい客が来る。死の床にあるあるヘクター・マンの招待だった。彼は何度も断り拳銃で脅され、ついに心の声に従ってヘクターに会いに行く。

最後の作品を残して失踪したといわれるへクターは生きていて、まさにその生の灯火が消えようとしていた。
ジンマーを迎えに来た女は、ヘクターの使用人兼当時のカメラマンの娘だった。
彼女はヘクターの自伝を書こうとしていた。
遠い道のりはヘクターの話を聞くのに十分だった。

彼は、また映画を撮っていた。だが死後24時間以内に彼に関する全てを燃やしてしまうように遺言した。彼は今までの人生で償輪なければならない重いものを抱えていた。ジンマーはその映画が見たかった。しかしそれにまつわる話が様々に入り組み、ジンマーや周りの人々まで巻き込み。やがてそれは炎になる。





随分前にDVDで「King of Kings」という、モノクロ、サイレント映画を見たことがあるのを思い出した。


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「プラナリア」  山本文緒 文春文庫

2016-07-17 | 読書

124回直木賞受賞作




初めて読む作家さんなので、まずは受賞作が無難だろう。280頁も頃合だし。題名もなんだか面白そうだ。
プラナリア、目も手足もないこういう形の生物は苦手だが、それじゃあ目があるからといってナメクジやでんでんむしやひるやだにも気持ち悪いと思いながら、身体分裂再生機能をもつプラナリア、どういった内容なのか興味津々で読んでみた。

*プラナリア
乳がんになってまだホルモン治療を受けている。結構辛い。飲み会などで受け狙いに病気の話をすると、彼氏が悪趣味だと嫌がる。
病院で知り合った人に出会って、仕事を手伝うことになったが。”絶対自分好き”と言う女だった。

*ネイキッド
店を手伝っていたが、夫よりやりすぎて離婚された。

--- 暇、と言うものがどういう状態で、どんな感じがするものかをわたしはこの歳になって生まれてはじめて知ったように思う。退屈とはちょっと違う。退屈だったらいくらでも経験してきた---

だらだらと暮らしていて、昔の部下に出会って付き合ってみた、ところが一言多くて嫌われたようだ、暇つぶしにも飽きた。
でも、来るかな電話しようかな、微妙に揺れる気持。

*どこかではないここ
リストラに会った夫は再就職したが、収入が減ったので夕方からレジのパートに出ることにした。子供たちも大きくなったけれど何かと気にかかる。
義父は入院。母は一人暮らしで用もないのに電話が来る。
ああ、やりきれない環境だ、バイト仲間に誘われたホテル行きを撃退してみたりしながらも、お母さんの痛々しくも逞しく頑張る姿が少し明るい話。

*囚われ人のジレンマ
--- 両者が相手の戦略を懸命に予想した結果、両者ともに損をしてしまうケースを「囚人のジレンマ」と呼ぶのだそうだ---

その研究をしている大学時代の彼と結婚するつもりで付き合っていたが、彼の訳ありに気がついた。まだ決心がつかないでいると、彼のアパートに不意に母親がやって来た。
奇襲攻撃かい。
憤慨してバスに乗って帰ってしまった。

*あいあるあした
離婚して居酒屋を始めた俺に会いに、娘が来た。分かれた妻は再婚している。海外にいくという娘が母親に無断で会いに来てくれた。
店に変わった娘が来て、手伝ったり手相を見たりしている。常連も出来て、何気ない付き合いがほのぼのとして暖かい。
女性作家らしくなく、俺と言う男をうまく書いている。


女について少し嫌味な部分が特にうまい。確かにそうだなぁと思うし、そういう女と付き合う男も、あるあると思わせる。
それだけに余り見たくない部分もあるが、こういう環境にいる気持ちは良く分かる。女性作家が嫌な女を書くとこうなる。



職場シリーズのような短編集だった、進んでは読まないが、主人公の心境を現実的に書き出すところは確かに受賞作だと感じた。
さて休日だしいい女に会いに行こう。
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「シャドー81」 ルシアン・ネイハム 早川書房

2016-07-14 | 読書




コールサイン「シャドー81」が表紙にあるような形でロサンゼルス発のボーイング747型機をハイジャックする話だけど、肝心なストーリーが裏表紙でも分かる。これがなければナと思ったのは私だけだろうか。と言う冒頭からの愚痴はさておく。

発刊されたのがベトナム戦争がパリで締結されてすぐ、著者はフリーの新聞記者で、現場に強く、その上パイロットの資格があり、航空機にはもちろん詳しい。面白くないわけがない。
第1回の「週刊文春、ベストミステリー10」で内外を含んで1位だったそうだ。読んで面白ければ1位も2位もないけれど、推理作家協会の作家の方々が文句ない賛辞を贈っている。
でしょうでしょう。戦争・冒険・金塊強奪・逃走劇・犯人像・航空関係者の敵味方を越えて生まれる連帯感・アメリカ大統領・国防長官・ペンタゴン・陸海軍長官・地区警察官の右往左往。新鋭爆撃戦闘機と古すぎる双発水陸重用航空機。もうこの言葉だけでも、わくわく要素はMAXで、それが最後まで続く。

まず、ベトナムに投入された最新鋭のTX75E戦闘爆撃機、垂直に離着陸でき翼をたたんで格納できる。爆弾はもとより、空対空、地対空ミサイルを搭載、ロケット弾も機関砲爆弾搭載。、これはどこにも知られたくない秘密兵器・火災兵器だった。
これには最エリートしか乗れない。

これが爆撃され行方不明になる。と言うのが幕開き。

そして、香港を舞台に細心緻密に計画されたハイジャック劇の前哨戦が始まる。金塊強奪用の船は古い貨物船を改造、中に漁船を格納、ボムボートも。ほかにも必要物資と、航海用の様々な計器と使途不明のもろもろ。

犯人は201人を人質に旅客機の背後、死角に入る。
管制塔主任と機長は貴重犯人が伝える指示に従いつつ打開策を講じるが、人質の保護の前にはなすすべもない、犯人は目的は別として紳士的で指示に無駄がない。

犯人たちは2000万ドルの金塊の在り処も、補助に使う双発ジェットの倉庫も調べ済みだった

燃料の限界が近づき、終盤を迎える。

どうして最新鋭の爆撃機が墜落と同時に爆発せよという指令があったとしても、木っ端微塵に吹っ飛んでいたか。

次のぺージをめくらずにはいられない。


最初に、姿を隠して用具をどうやって入出港書類が必要なふ船、電子機器まで調達したか。
貨物船に漁船を格納し、なおゴムボートや電子機器まで整備し、大西洋を目指したか。
船に乗っている犯人一味のグラントが時間待ちの間に過ごす愉快で奇妙な時間
地上で囚人護送車でダイナマイトを巻いたサンタの支持で、護送中の警官に銀行・宝石店・為替交換手などを襲う。警官も嬉々として山野の指示通り動き出す心理。


一方離陸間もなく意外な方法でハイジャックされた機内コックピットの冷静沈着な対応。
乗っていた次期大統領候補のこっけいな自己PR。
機内の様子も飛楽ながらいささか滑稽。


公に出来ない事情を持つベトナム戦争。かさむ軍事費。過激な解決案に対する大統領の苦慮。
中にちりばめたてた作者のユーモアも光る。長時間の緊張のうちにウォーキートーキを使って話している間に生まれる連帯感が、時に怒号のやり取りが、相手の心に響いたり、面白要素一杯で、少し長いが一気に読めた。
解説で「ジャッカルの目」「鷹は舞い降りた」などにつづく作品だと、読みながらもうこれこそおおいに気分転換の本、愉快な気分になった。
映画化されない事情も、そろそろ解禁してもいい頃かな。

「鷹は舞い降りた」は読んでない、そのうち。



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「なんらかの事情」 岸本佐和子 筑摩書房

2016-07-12 | 読書



身近な出来事が多い、勘違い、行き違い、誤解、早合点、何もかも思い当たる、エッセイにするとこうなるのか。
講談社のエッセイ賞を受賞した岸本さんに、今更だけれど。
読んで暫くして、不意にぽかっと浮かんでくる、ほんと不思議だなぁと言う感じが好きだ。
これからも何か見るたびに、あれ、これ何所かで読んだ感じだと思う。そんな身近な話題に思わずクスッと笑ってしまう話題が満載。



* 物言う物 トイレが喋った「自動水洗です」。だからどうだって言うのだ。
車が喋った「ガソリンがなくなりそうです」メーターを見れば分かる、それになぜみんな女なのか。
状況次第で切羽詰まっていたり懇願するようだったり厳しくトガメダテする調子が籠っていた方が訴求度も高い気がする。
(我が家でも風呂が喋る。ガステーブルがものを言う。温度が高くなっています、自動調節に切り替えます、鍋を置いてください、、設定温度になりました。賢いけどまだそんなにお世話にならないでもダイジョウブ)

物言わぬ臓器、肝臓など「もう堪忍してください」と言う風にコンディションを訴えたら無茶をしなくなって病気が減る。
でもお満員電車はうるさくて仕方がないだろう。「胃に穴があいています」「動脈が硬いです」・・・。

* 家の近くにあった旧式のポストを応援している。

* 日記
  ×月×日 エリツィンが死んだ。
  「同志ポリス・エリツィンに私は非情な親愛の情を感じておりました。何となればエリツィンの”ツィン”にプーチンの”チン””ツィン”と”チン”二つの間にはなんと響きあうものがあることでしょう!」
頭の中でプーチンが私の差し出した原稿をびりびりに破いて捨てる。

×月×日
「同志ポリス・エリツィンと私は無二の親友でありました。何となれば、二人の間には”髪型が木彫りっぽい”と言う共通点があり」
プチンが、私の原稿を読まずに捨てる。
何と何とわはは そうきました。

* アロマテラピーの話で、アロマオイルを買おうとしたら頭の中で
  アロマでごわす
と声がした。その瞬間、目に入る全てのものがごわす化した。「ごわす様」はそのごもたびたび現れては、私の素敵生活(アロマ生活のこと)を一瞬にして無効化した。
「ごわす様」には「ごんす」「がんす」「やんす」「でげす」ナドの仲間がいることもわかった。

* 気がつくと「イカどっくり」について考えている自分がいる。

* 「読書体験」大きい本を広げて読んでいると、抑えている両方の親指が二つの肉球に見えてきて気になる。

* 「海ほたる」古いカーナビなので友人は指示に従わない「いいのいいの、コレ古いから。こちらが早いの」
  アクアラインでは走っていても「海です」「海です」
「そうねぇ確かに海だわ」
江戸時代のナビだったら「三里先、関所です」「この先の首塚を右方向へ」と言うだろうか。

* 「やぼう」 ひらがなの「め」と「ぬ」はよく似ている。もしかして「め」は「ぬ」のことを自分を土台にして先っぽにちょろりと飾りをつけただけの紛い物、言うなれば自分の亜種である、などと苦々しく思っているだろうか。そして「ぬ」は「ぬ」で自分こそは完成形、末尾の優雅な丸まりのない「め」のごときは憐れな欠陥品よ。と蔑んでいるだろうか。両者は口も利かぬほどの犬猿の仲で、たまに、たとえば<ぬめり>などという言葉で一緒に仕事をしなければならぬ時などはお互い目もあわせず、険悪な空気が<ぬめり>じゅうに満ち満ち、板ばさみになった「い」がひとり対応に苦慮して居たりするだろうか。
同じような反目が生じるらしい文字が沢山ある、等々。井上やすしのキーボードの記号の話を思いだす。
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「気になる部分」 岸本佐知子 白水Uブックス

2016-07-12 | 読書



三冊のうちで、一番好きかも知れない。ビザールな(奇妙な)本に挙げられているものが私も特に好きだ。
最近読もうとした(最後まで読んでないけど)藤枝静雄、昔から読んできた筒井康隆(特に虚人たち)それに吉田知子、村田喜代子、それに、それに、奥泉光が(嬉)怖さがドッペルゲンガーのそれだ、と書いてある。私が好きなのもそのあたりか、裸で書割の窓に向かってサックスを吹くカフカかぶれの男など。なんとも言えず奇妙で面白い。
後、笙野 頼子(残念ながら未読、Wikiでは緊密な文体で鬱屈した観念・心理表現と澄明な幻想描写の融和を試行した、とある、読まねば)そして、川上弘美さんと酒を飲む夢。

言葉に拘って想像があらぬほうに飛んでいく話は、相変わらず突き抜けている。


* おかしな童謡編、「コガネムシンの子供に水あめをなめさせる」「山から小僧が下りてきた」短すぎるし何で小僧か。(私はこの小僧は冬将軍の孫で冬の前触れに偵察に来たのだと思っていた)

* 「根掘り 葉掘り」の「葉掘り」ってなんだ。

* 「おおよその見当がつけられない」
(私もこの先300Mで右折、と言われても車で走っていてみなさんは距離が分かるの?と思っていたら 今度の車は3.2.1と色が変わっていく。1になれば鼻の先で曲がるのだ。それでもタイミングが合わないことがあり信号を通過する)

* 「気になる部分」子供の頃社会見学でも、気になる部分にだけ目が行った。大人になって社長のほくろに気をとられた。

* 「透明人間」子どもの頃は自分の存在が希薄だったそうだ。
(最近読みたてなのに原典は忘れたが、透明人間は網膜も透明なので、盲目ではないかという疑問、なるほどと記憶)

* 「サルマタケ」はどう訳すか。辞書にもない、まして逆に「サルマタケ」を英訳する人はどうするのだろうと煩悶する。

---つね日ごろ英語で書かれた文章と向き合って、言語のちがいと文化の違いと言う薄いヴェール越しに、なんとかそこに表現されているものを感覚としてとらえようと四苦八苦しているせいなのだろうか。仕事と関係なく日本語の本を読んでいても、いつの間にか”もし自分が日本語以外の言葉を母国語としている翻訳者で今読んでいるこの文章を訳すとしたら”という視点で読んでいる自分に気づくのである。(略)頭の中で邪念の小人たちが勝手に苦悩し出してうるさいことこの上ない。---

* 数年前のアンケートあなたの夫になる男性にい一番望むものは、日本では「優しさ」アメリカの女性は「ユーモアのセンス」だったそうだ。


そんなこんなで興味深い話題が満載、一部を引いてみたが、こんなものだけではなく、こどものころの思い出、経験した不思議な出来事、いまでも折にふれて感じているあれこれが、私にも思い当たることが多くて一気に読んでしまえた。

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「ねにもつタイプ」 岸本佐知子 筑摩書房

2016-07-11 | 読書


岸本さんのエッセイのことを知った。ちょうど「中二階」を2/3ほど読んで、梃子摺って居たので、コレを訳した人って、という好奇心が、やっぱりねと言う嬉しい納得。
「中二階」は1ポイント小さくした注釈が本文に挟まって、その短いのやら長いのやらの終わりまで読んでいると、前の文章の尻尾をやっと捕まえる、そうしているうちに何か気がそれて、読み終わらないままになっている。この面白い内容と形を岸本さんが訳したのか。そういえばウィンターソンも三冊読んだ、この訳もそうなのか、ぶっ飛んでいながら、なにしろ深くおもしろかった。
そこで岸本さん研究にまとめて三冊積んでみた。すぐに読んでしまったので記録をと思ったら。、どうも長くなりそうなので 一冊ずつにした。
面白くておかしくて、読んでいるとお腹の皮がひくひくしてくる。それが胸から喉元に来て、声に出たときは実にやばい。

翻訳中に文字が気になってくる「人間」、、人の間って?
身近なものに名前をつけて友達になる冒頭の「ニグ」
足踏み式のミシンを見つけその構造を探る「マシン」、、、「中二階」のホチキスやエスカレーターの詳細描写を思い出す。
ロープウエイが風呂だった、雄大な風景を見ながらすれ違う箱に手を振る。
「ちょんまげ」と「月代」考 殿様のはげ隠しに家来が倣ったのかも、と言うのがおかしい。わはは
「Don’t Drean]を訳さないといけないのに「コアラの鼻」が気になって、アレは湿っているのか、新幹線の先に似ていてどちらもねじれば外れるだろうか。云々かんぬん コレは最高!
「生きる」、、、新しいトイレットペーパーが来て積み上げようとした、ひとつだけ残っていたのが奥に押しやられそうになった、そのときの先住のトイレットペーパーの嘆き。
翻訳家になりたいと言う人に「とりあえず普通に」という。会社勤めの数々の失敗や笑えない悩み、コレは経験しておいたほうがいい、とりあえず。
事件のづきは何で判で押したように「むしゃくしゃして」なんだろう。尋問中の刑事は最後にむしゃくしゃしてと記入。犯人は「いや」「そのうむしゃくしゃして?」などと言葉に詰まったら、訳の判らないことを話しており、と記入。訳のわからない、そこのところが知りたくなる。

などなど、読んでいても脳みそのシナプスがあっちへへろへろ、こっちへへろへろ伸びて揺れて引っ付いて、現実が過去の思い出に通じたり行き詰ったり、よじれていても暖かい気持がふんわり膨らんだり。日ごろからの疑問の回答はこんな形でもよかったのかと深くうなずいたり。気持ちよくなったりちょっと変になったり、入ってしまったが出口に迷ったり。面白くてやめられない岸本言語。そして、とどめの一言で我に返ったり帰らなかったりする。
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「ムーン・パレス」 ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮文庫

2016-07-07 | 読書




マーコは18歳でニューヨークに出てきた。母は11歳の時、雪の日にトラックに轢かれて亡くなっていた。コ
ロンビア大学の一年生の時に、寮からアパートに引っ越し、シカゴの伯父が千冊以上もある本を餞別にくれた。父は最初から居なかった。 
伯父と住むようになったが、この伯父はクラリネット吹きだった、気持ちのお落ち着かない人で、何か始めると次々に頭に夢想、幻想が現れ、それに導かれて纏まらない暮らしをしていた。

トラック会社の補償金と伯父の援助で暮らせたが、伯父が旅先で亡くなり、本は伯父の気分やを写して脈絡もなく読んだ順に部屋に残った。生活は逼迫してきた。ひとつの箱を開けては、読んだ分から売りに行った。大学は伯父の願いだったのでやっと卒業する。


---伯父さんの過去に足を踏み入れるたびに、現実社会において物質的な変化がもたらされた。それらの変化の具体的な具体的な結果はいつも僕も目前にあった。逃れるすべはなかった。残存する箱の数と、消滅した箱の数の和は、つねに一定なのだ。部屋の中を見回すだけで、事態は否応なしに目に入ってきた。部屋は僕が置かれた状況を測定する機器のようなものだった。僕というものがどれだけ残っていて、どれだけなくなってしまったか。。ぼくはそうした変容の犯人にして目撃者であり、たった一人の劇場における観客だった。自分の四肢が切断されるのを、僕はつぶさに見届けることができた。自分自身が消えて行く過程に、逐一立ち会うことが出来た---


こうしてアパートも出て公園をさまよい、風邪で死の幻が見えてきたとき、友人のジンマーと中国人キティーに助けられる。

動けるようになってジンマーがくれた「パンセ」のペーパーバックだけを持って老人の付き添いになる。

ここからこの物語は実に奇妙な展開になる。下肢の動かない90も過ぎた枯れたような老人は、家政婦に言わせれば「あの脳みその中はいつも何かぐつぐつ煮えていて確かにちょっとおかしいひと」だそうだ。
変り種の導師としての、エフィング。世界の神秘へと招きいれようとするエフィング、エキセントリックな先達、身勝手と傲慢、意地悪爺さん、燃え尽きた瘋癲男、すさまじい罵倒の言葉。そんな老人に半ば惹かれ、自分をおさえながらこの仕事を最後までやりぬいた。告別用の参考だというので老人の一代記を聞く。彼の話はまるで「ほら吹き男爵の冒険」かと思えるほど、虚実の曖昧な波乱万丈の物語だった。盗人の上前をはねた莫大な資金を資金にして今も暮らしている。だが、どこかにいる息子を探したいと人並みの感情がわいていた。

探し当てた息子は、小さな大学で教える教授だったが、彼と親しくなった。
物語を書いていると言う。そして「ケプラーの血」という題名の原稿を送ってきた。居なくなった父から始まる不思議なSFで自伝の様なものだった。
彼と親しくなった経緯とその後は、まるで偶然が運命のように襲いかかる、怒涛のストーリーといえるかもしれない。
人の繋がりが全編を通して暗く哀しく、オースターの作品を読んでいて、この入れ子のように構築された物語が、ウソと現実が、曖昧な現実を越えると、そこに深い、単に生きていることの不思議だけが残る。

ジンマーがいう。
「君は夢想家だからなぁ」と彼は言った。「君の心は月にいってしまっておる。たぶんこれからもずっとそうだろう。きみには野心と言うものがないし、金にもまるで興味がない。芸術に入れ込むには哲学的過ぎるどうしたものかなぁ」

しかし彼は不思議な偶然は神秘的かもしれないが、何らかの必然が働くこともあると知ってしまった。
ユタから徒歩の旅に出て行く。
次第に不思議な世界に連れ去られるようで、一気に読んだが興味深く面白かった。

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「緋文字」 ナサニエル・ホーソーン 新潮文庫 鈴木重吉訳

2016-07-05 | 読書



現代のオースターから手を広げて、と言うかアメリカ文学の金字塔ってどんな?という好奇心で読んでみた。
ナサニエル・ホーソーンの緋文字。ホーソンだと思っていたのでホーソーンとなると、-の分だけキー打ちが 増える。ホーソンの緋文字(ひもじ)このほうが題名の読みは、緋文字(ひもんじ)より言いやすい。
言語に詳しくは無いけれど直訳かなと思えたり、訳したのが1957年。窓掛けはカーテンだろう、姦通小説とはいまでは不倫とか浮気とか、でも常に世間を騒がすくらいの数はいつも話題になっている。昔ならこの話のように、罪の重さで天国の門はくぐれない人も多いことになる。
姦通といえば江戸時代は不義密通で、市中引き回しの上獄門打ち首、とか重罪だ、近松さんは心中を求めて走った。芸能記者だ、昨今は受け止め方も軽い。朝のニュースの時間に別枠の「エンタメ」あたりで興味津々で放送する。

やはり名作の薫り高い、全て言い尽くす濃密さ、植民地時代のアメリカの様子も、新教徒が住み始め、新しい文化や政治が整い始めたたころの勢いが書きこまれている。母国イギリスの古い伝統をよりい良い物にしようとした、戒律のより厳しいところ、階級で言うなら最高位に当たる地位の教会の牧師。

そんな背景の中で、姦通の罪で獄舎から出てきたへスター・プリン。裁判の結果3時間の見せしめで処刑台の下に立つことになった。本来なら死刑に当たる罪だが、徳が高く、皆に尊敬を一身に集めている若い牧師ディムスデイルが熱く擁護したのだ。
彼女は胸に罪のしるしの赤い文字を刺繍した服を着て証拠の子供を抱いていた。
彼女は周囲の蔑視の中でも縫い物の腕を生かして生きていく、その姿勢に人々はいつか彼女の罪を忘れていく。
子供はパールといった。妖精のように可愛く自由に育っていった。
七年後、かって母国イギリスで、行方が知れなくなっていた夫が、面変わりした姿で医者になって現れる。彼は若い牧師が健康に優れないところに取り入り、彼の病気は身体からでなく心の深いところに原因があると言う。
そして、ついにこの牧師こそパールの父であり、へスタの姦通の相手だったことが明かされる。
牧師の過酷な修業を自分に強いていた。
優れた学問でえた知識や慈しみ溢れる説教は教会員を虜にしていたが、彼はそういった評判に対して、自尊心と、罪に伴う深い悔恨、常に離れない、人を欺いているという意識に蝕まれていった。
医師は遠巻きに牧師を追い詰めていく。牧師はその高潔な人柄で疑うことなく医師を信頼し、一時は同じ部屋に住み、広い家があるとそこを借りて両翼に住んで常に行き来してきた。

牧師の破戒の罪という意識を、ホーソンは様々な面から書いていく、歴史や人間関係や、教義や本質的な人の心のゆれについて、これが文学性が高いということかと思う。
またそれぞれの心理描写にも打たれる。
ストーリーとしては、この牧師の苦悶が悲惨だが、平然と潔く赤い文字を晒して生きていくへスターの姿は牧師に比べて罪を意識しないでいられるのは子供という救いと、罪のしるしを緋文字にして常に胸につけ見せてしまっていることが心の軽さにつながっている。

牧師が集まった教会員の前で、死に際に罪を認め、へスターに看取られて息耐えるのは終盤で、話はあっさりと幕を閉じる。
その後のパールとヘスターの生き方に触れ、医師の残酷な目的のために地獄の門に向かうところで終わる。

ホーソンの宗教観は当時にあわせてあるにしても厳しい、牧師の苦しみは姦通を超えたところにある。
連綿とした彼の悩みの根源が、厳しい生き方を選ぶとすればそうだろうかとおもう。
宗教特に厳しいピューリタニズムは物語の中で、心理的には理解できなくて歴史的な事柄として読んだ。

現代文に親しんでくれば、やはり読みにくい所も多かった。
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