空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「パライソ・トラベル」 ホルヘ・フランコ 田村さと子訳  河出書房新社

2016-12-27 | 読書



読み終わるまで時間がかかった。面白くないのではないし、分かりにくくもない。それでもなかなか進まなかったのは、珍しい構成だったので馴染むのに時間がかかった。一度目は、時間の流れに慌てた。コロンビアからニューヨークに密入国する話なのだが、行き着くまでの旅の話からニューヨークで道に迷って拾われるまで。

話の流れはそうなのだが、唐突にシーンが切り替わる。パッチワークのようにつぎはぎされた話は、頭を切り替えて流れを掴まないとついていけなかった。何か意図があってこういう書き方をしたのだろうか。そこはよく分からない。

そこで大まかなストーリが分かったところで読み直してみた。まずはラブストーリーだろう。アドベンチャーストーリーかもしれないし見失った自分と祖国を発見する青年の成長物語の部分もある。最後が気持ちよくおさまって、読後は最初の混乱を忘れて、読んでよかったと思えた。

訳者が丁寧にストーリーを整理して書いてくれている。主人公2人の祖国、コロンビアの政情がいまだに収まっていないところも良く分かった。ラテンアメリカ、南米というところは、先日のリオ・オリンピックの警戒態勢から見てもマダマダ不安定なところで、過去にも長く外国の支配下に置かれていた、言葉も、大陸名にアメリカとつくのはアメリカの南にある大陸という意味しか持たないようだ。若者が高度成長の象徴ようなきらびやかなニューヨークに憧れるのも、2人の話の発端として納得できる。

大雑把な話は、コロンビアのメデジンに住んでいるマーロンとレイナ、マーロンは中流家庭とはいえ、私立大学に入れるほど裕福ではない、同じ町に帰って来たレイナを見かけ選んでくれた嬉しさで舞い上がりつきあうようになる。レイナはニューヨークに行きたがった。

迷いはあったがマーロンも一緒にいきたいが費用がない。そのときに降って湧いたようにドル札の詰まった財布を持って叔母の婚約者が来る。レイナが盗み、旅費が出来た、が詐欺まがいの「パライソ・トラベル」と名乗る会社から女が来て、パスポートなしでも引き受けるという。未成年で、政情不安な国では容易にパスポートは取れないだろう、2人は金を払って国を出た。詰め込まれた飛行機、降りてバス、小船に乗り換え、くりぬいた丸太に潜ってニューヨークまでたどり着く話はさすがに痛々しく、乗り継ぎのたびに世話人と称した男たちがいて持ち金が減っていく。それでも何とかたどり着けたのは幸いと言うほかない。

マーロンが部屋から出てタバコを吸っていて警官に肩をたたかれパニックになる。闇雲に逃げて迷路のような道に入りレイナとはぐれてしまう。それから1年レイナを探してさ迷いボロと垢にまみれ放心状態でレストランの夫婦に助けられる。

レストランでトイレ掃除のアルバイトに雇われ、三人部屋を探してもらってそこから通いはじめる。同室の男がなかなか面白い。彼の人に言えない得意技で鞄に滑り込ませた新しい服を、マーロンにくれたりする。ここでもみんな貧しい。
一年と三ヶ月ほど過ぎた頃一緒にニューヨークに来た女がレイナの居場所を探し当ててくれた。彼女はマイアミにいた。アーロンはすぐにバスに乗る。

一応パッピーエンドなのだが、時間はマーロンに、前と違った目で自分と国を見せ始め、レイナはコロンビアから消えた母を見つけて一緒に住むようになっていた。

マーロンは新しい生活の入り口に立っている。マーロン側からの生活が物語の主になっているので、レイナにも会えて彼の回想が終わる。善意を引き寄せるような生き方は読んでいてもいいものだ。パライソ・トラベル、パラダイスという社名も胡散臭いが、なにか惹かれるネーミング。

「何で、死んでしまわなかったのよ」「死んだ方がましじゃないの?マーロン」
ぼくの返事を待ちながら、あるいは僕の死を期待しながら、レイナは涙ぐんだ目で僕を見つめている。
今日は死にたくないよ、レイナ。ときとして<時>の流れは寛容さを示してくれ、今公明正大に時間は過ぎていく。僕はもうきみを探し終えたし、そのことで負い目はない。
君が祖国を取り替えたいと思ったとき、祖国とはどこであっても愛情の存在する場所であることに気づかなかったんだよ。今僕には、僕の足が何処に向かっていくかわかっている。

読みにくいのはラテンアメリカという文学に馴染んでいないからかもしれない、訳は優れていても、馴染みのない構文、なれない国の言葉となると、訳文もいささか異質に感じられるのかも知れないとふと感じた。
ストーリー上何かと都合よく行くな、という箇所など小説だからねと思いながら、人の善意が都合よくいきすぎると読むより、主人公の持ち味から生まれるものだと理由付けしたが。

ガルシア=マルケスが将来を託したいといったという作者のホルヘ・フランコは新時代の作家として注目されているそうだ。読み返していると付箋を貼りたくなる表現や言葉が多くて、独特の感じ方が深い光を放つ。優れた作家だと感じた。





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「1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編」 O・ヘンリー  芹澤恵訳 光文社

2016-12-22 | 読書


最近、短編集を読む機会が多い、以前は落ち着いて読むのは長編小説がいいと思っていて、短編集というものにあまり目が向かなかった。
何気なく買ってきたものが、国内外を問わず短編だったりすると、自分のうっかりを棚に上げて、また短編なのかと思った。
それが読みなれてきたのか、発刊されるのに短編集が多くなったのか。読後にピリッとした味が嬉しくなってきた。

そうなると作品の評判が気になる。作家の背景も知りたくなる。
そしてこの本に回り逢えた。海外小説フェアのおかげで、少し目が開いた気がする。短編集ははじめての作家の入門書のように思っていたが、全く別物で、短編というれっきとした作品で、短いながら読んでしまってからも、心の中で輝いたり感動を残すものだと知った。今更というか、やっとというか。

O・ヘンリーは、この短編集に収まっているどの作品を読んでも素晴らしい、彼は仕事に恵まれず家庭にも恵まれず健康的でもなかった。作品が認められてからも花の時期は短く一種の生活破綻者のように死んだ。
南部時代から小説家を目指して多数の短編小説を書き、やっと認められ自信を持ったが、3年間刑務所に入ることになる、そこでも非合法ではあったが味方を得て旺盛な創作活動をした、その後逃げて中米まで行き、逃亡中の強盗犯と知り合い「ある列車強盗の告白」というルポを書いた。

各地を転々としそれを題材にしたものもある。読んでいると、住んだ土地と、彼の仕事がよく分かってくる。題材には事欠かず料理法は素晴らしく気が効いて深みがある。人間性も豊かに、経験も深まり、持ち味もますます軽妙になっていったが、不思議に、読んでいるうちに、作者を思い悲しい気持ちにとらわれた。よい作品というのは読んでいて少し高い境地を見せてくれる。

やはり晩年暮らしたニューヨークのものが多く収録されている。
全部で表題作も入れると23編がおさまっている。どれも名手という言葉を実感した。


 多忙な株式仲買人のロマンス
忙しすぎて結婚していることを忘れて、空き時間に大慌てでポロポーズしたら、、。奥さんのリアクションが暖かい。ニューヨーク時代の秀作。

 犠牲打
最後の一言は、ハチの一刺し(古い?)

 赤い族長の身代金
子供を誘拐して身代金を取る計画で、裕福な家の息子を捕まえた。というより元気がよすぎる息子は目を輝かして自ら誘拐された子供になった。ところが身代金を盗る手続きをしている間に、見張り役の相棒が、息子にこき使われて満身創痍、音を上げた。可笑しいが思い出すと愉快。南部テキサス時代の作品。

 伯爵と婚礼の客
捻ってあるが心温まるオチ。

「甦った改心」
名人の釘師は最後の仕事をして足を洗った、新しい土地ではじめた商売が当たって、名士の娘の婿になった。
義父が経営する銀行に、最新式の金庫が来てとくとく披露している最中に、遊んでいた孫娘が閉じ込められて。後は想像通りの展開で、これは語りの巧みさで後に残った。
刑務所時代の作とか。

 しみったれな恋人
美人のメイシーは百貨店の従業員だった。一目ぼれしたカーターは裕福な紳士だった、誘ってみると結婚できそうな気配に意を強くして、夢を語った。あなたと一緒に世界の素敵なところをみんな旅したい。
メイシーは友人に言った、あのしみったれは新婚旅行先はコニーアイランドですって、お話にならないわ。
ニューユー句の生活に馴染んできたころの作品。富豪の世界を遊園地と取り違えてしまった、皮肉にも住む世界の違いがこのあたりで分かってよかったかも。

 1ドルの価値
オルティスは1ドルの偽銀貨を使って捕まった。偽銀貨は柔らかく細工しやすいものだった。「私が作ったの」と女が名乗り出たが相手にしなかった、彼にはすでに様々な罪状がついていた。
「がらがら蛇」という名前で、検事の私に逆恨みの手紙が来てた。よくあることさ。
私は婚約者と鹿狩りに行って「がらがら蛇」にライフルで狙われた。鹿狩り用の猟銃では射程距が短い。相手は距離を測って狙ってくる。ついに弾がなくなった。
ポケットに何気なく入れた偽銀貨があったのだが。

「最後の一葉」
これは知る人ぞ知る代表作。というか分かりやすく感動的なので教科書で読める。
病んだ娘が窓の外の蔦の落ち葉を数えている。最後の一葉に命の望みを繋いで、、、。緑と枯葉色の混じったその葉は冬の強い風にも落ちないで持ちこたえている。
ニューヨークの貧しい芸術家が、安いビルに住んで夢を追っていた時代があった。

「靴」
靴などはいた事がない人ばかりのところに、だまされて大量の靴を送ってしまった。さてどうする。
で、どうしたか、読んでのお楽しみ。愉快で気分爽快。

「賢者の贈り物」
これも有名、知る人ぞ知る。
貧しい夫婦の情愛が美しい。泣ける。

全部で23編、抜き書きでも長い。ちょっと他の本と比べてみると、どれもよく選んで編んであるので嬉しかった、少しずつ読んでも旅のお供に充分。
これが本棚にあってよかった、図書館本だったら即注文したかも。






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「クリスマス・プレゼント」 ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳 文春文庫

2016-12-21 | 読書



クリスマスにふさわしい気の利いた短編集で、ページを開くのが楽しみだった。ただ、ディーヴァーの短編というのは知らなかったので、海外フェアに入っていなかったら読まなかったかもしれない。
ビギナー向きだったし、すぐに読めそうだったが、文庫で600ページ近く、読み終わるのに時間がかかった。


短編というと最後のどんでん返しとが、気が利いたコント風とか、パズルを解く楽しみとか、短い中にも遊びがあるものが多い。

これはディーヴァーらしくというのか、短編といえどもストーリー性があって、読んでいると物語が出来上がる、それが面白いこともあれば何か少し気合が入りきらないものもあった。

「ジョナサンがいない」「サービス料として」
だまそうとして馬鹿な失敗する。計画を煉りつくしたつもりで墓穴を掘ってしまう。

「三角関係」
どうも他に好きな人が出来たらしい。「三角関係」という本を買ってきてじっくり読んで研究をする。この手なら相手をうまく殺せるのではないか。何食わぬ顔をして、一緒に猟に出かける。ここだ!と本の通りの場面は逃したが、何とか目的は達した。さて空港まで帰ってきたら。
これは最後でやられた。そうだったのか。これオススメ、巧い。

もう一編

「この世はすべてひとつの舞台」
シェークスピアが意欲的に脚本を書いていた頃だという時代がかった物語が実にうまい。
芝居を楽しんで帰り道、名士だった父親がムルタにはめられた話を聞く。今は好きな芝居代もやりくりする生活だ。敵は父親の土地を元に肥え太っている。復讐だ。橋の上で決闘だ。今ではムルタは宮中にまで取り入っている男である。決闘の声で治安官が駆けつけた時にはムルタは橋から突き落とされ岩に頭をぶつけて死んでいた。
裁判が行われた、犯人にされたクーパーは申し開きにこういった。
「わたしたちは芝居の稽古をしていたのです、そこに通りかかったムルタさまが、私があまりに下手で稽古をつけてくれたのです。軽く突くとよろけて、手摺にぶつかり不幸にして崩れ、落ちてしまわれたので私は胸が塞がる思いでございます」
ムルタは芝居好きだったが。民衆に憎まれている。うぬぼれやでつい剣を抜いたのだろう。と検察官は考えた。
そこで呼ばれたシェークスピアが証人に立った。「クーパーは芝居を愛好していて、一度舞台で演じてみたいといって来ました。台詞も優雅でいいので剣も練習して置くようにといったのです」
私の次の戯曲ですか?推敲中ですが。仮の題は「ヴェニスのムーア人、オセロー」と呼んでおります。
クーパーは放免された。
その夜は仲間が集まって祝杯を挙げた、決闘中どういう手順で誰が助けたか興味深いが、少なくともシェークスピアは一枚噛んでいた。

「クリスマス・プレゼント」
短編というには少し量が多い。車椅子の気難しいリンカーン・ライムはクリスマスの騒ぎが気に入らない。母親が家出したという少女が尋ねてきた。なんだかだとぶつくさ言いながらそれでも少女の訴えに協力する。リンカーンファミリー総出で、アメリアは昔のカーレースの腕を生かして雪の積もった橋の上を突っ走って、真っ赤なカマロを追跡する。介護師のトムは車椅子の後ろにリースをつけてライムに怒鳴られる。ちょっとテレもあってクリスマスをあからさまに楽しめないライムがなんだか可愛いらしい。
母親も無事に見つかり、結婚詐欺師まで捕まえて、ご機嫌なライムは主義に反して母子のパーティに参加する。オールスターが顔をそろえた、クリスマスストーリーだった。





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「クリスマスの思い出」 トルーマン・カポーティ 村上春樹訳 山本容子銅版画 文藝春秋

2016-12-15 | 読書




美しいリボンを飾って贈り物にしたいようなお話です。

先に「ヌレエフの犬」という本を読みました。オブローモフと名づけられた犬は、ニューヨークのトルーマン・カポーティのパーティに紛れ込んで、床で酔いつぶれたカーポーティと同じ皿でウイスキーを舐めていたのです。そしてヌレエフが気に入って彼の犬になったというお話でした。

トルーマンカポーティとヌレエフが交差した時があったということを知ったのですが、トルーマンカポーティは昔「冷血」というとても刺激的な本を読んで、彼は何か偏った嗜好のものを書く人かと勝手に思い込んでいました。
調べてみると、有名な「ティファニーで朝食を」の著者で、他にも美しい短編を残しているとのことでした。
中でも名作と言われているこの本を読んでみました。前おきが長いですが、あとがきで村上春樹さんが言い尽くされているように、とても暖かい、善意に溢れたとても感動的な物語でした。

親戚から疎まれ貧しい小屋で、老いた遠縁のいとこと犬のクイーニーと暮らしている7歳のバディーのお話(すでに思い出になっています)です。

毎年11月が来ると「フルーツケーキの季節が来たよ!」とわが友(いとこ)が高らかに叫んで、クリスマスの用意が始まるのです。貧しい貧しい中から節約して溜めた、中味は殆どコインの財布を持ってケーキの材料を買いに町に繰り出します。ペカンは農場の木の下で拾ってきます。必需品の高価ウイスキーは瓶に一本分けてもらいます。そして出来た31個のフルーツケーキは、毎年知り合ったひとたちや子供に送ります。大統領からもお礼の便りが届きます。

そして、クリスマス用のモミの木は背丈の三倍の高さと決まっています、それを切り出して2人で雪の上を曳いてきます。紙で作った飾りと古くなった電球で飾ります。交換するプレゼントは凧です。2人は草原に寝転んで高く舞う凧を眺めます。クイーニーには骨付き肉をプレゼントすると、いつも草原の土に埋めています。

こんなクリスマスの風景は、彼が大きくなって寄宿舎に入るまで続きます。無邪気な汚れを知らないような二人の日々が、クリスマスの出来事の中から伝わってきます。
カポーティの少年時代と重なっているそうですが、大人になったもいつまでの心の隅にあった風景なのでしょう。まさに平凡な言葉ですが珠玉のような思い出、カポーティは荒れた晩年を過ごしたそうですが彼の心の中にいつもこんな幸せな思い出が灯っていたのかもしれません。



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「ガラパゴスの箱舟」 カート・ヴォネガット 朝倉久志訳 早川書房

2016-12-14 | 読書

 



ヴォネガット のユーモアとウイット、引用文についつい笑いを誘われるが、テーマは人類の進化である。
そこに着くまでに設定した百万年という時の流れは、大きな不安を孕んでいる。巨大化した脳は残酷さに寛容であり、心の痛みを転嫁し、過ちを進化と勘違いした。

西暦1986年、ヴォネガットの描く巨大脳を持つようになった人類の性が、本能に導かれて到達した環境といえば、反抗する隙もない、人間性という言葉の影もない、独自に進化を遂げた世界だった。どこか今に通じる現代世界の姿がかいま見える。煉りに煉られた物語で、その緻密さ巧みさは面白い、登場人物の狂気までも気の利いたジョーク交じりで進行していく。人々の狂っていく姿は喜劇的でさえある。

現実の1986年をググってみると、アメリカは世界の指導者を自認し、レーガンはリビアに経済制裁を加え、戦艦ミズーリを再就役、ソビエトではチェルノブイリ原子力発電所事故が起き、日本車はどんどん売れ、各社こぞって新モデルを発売していた。

作中、経済危機に瀕し、恐慌に陥る各国は次々に破綻していくが、富豪たちは強いドルと日本円を保有し経済的にはなんら影響がなかった。そして富豪の兄弟が広告宣伝も兼ねて、所有のホテルと豪華客船バイア・デ・ダーウィン号を使いガラパゴスの自然観察を目的に「世紀の大自然クルーズ」を計画する。

語り部は時を越えて人々を描写する。その実態は百万年前にベトナム戦争で死んだ兵士だが、彼は死後の世界に行かず、ガラパゴス行きの観光船に乗り組み、目に見えない姿で人々に付き従っていく。百万年後まで彼の語りは続き、人類がなぜ船に乗り、どうなっていったか、どんな形に進化をとげたか、彼の目を通して見ることになる。

まず初めて読む構成で、過去から現在を振り返る、結果を元に、クルーズに参加した人たちの運命を振り返り、その間に世界の変貌をみる。国際ブックフェアから人間の卵子を食う微生物が世界に広がっていった。さながらダビデとゴリアテの物語の繰り返しのように。人類はここで滅びようとしていた。

ストーリーは二部に分かれている。一部は船に乗るまでの人々の運命。旅の途中で亡くなった人は名前の前に*印をつけている。彼はもうすぐ船の出航を待たずに死ぬ、というように未来の出来事を語る部分が何度もある。このあたりヴォネガットの遊びだろうかという感じがする。

第一部 そのむかし


今から百万年前の西暦1986年、グアヤキルはエクアドルという南米の小さな民主国が持つ最大の貿易港だった。

人類の発達した巨大脳が生み出した結果は、産業の危機、経済の破綻、飢餓、常にどこかで戦争をしているという世界は末期状態になっていた。

そのころグアヤキルからガラパゴスに向けて「世紀の大自然クルーズ」の旅が計画された.
参加者には各国の著名人を招待していた、だが地球上は危機的状況になり通信も断絶してしまった。先にホテルに到着していた、アメリカ人4人と日本人夫婦だけになる。偶然、グアヤキルの奥地、熱帯雨林の民であった、カンカ・ボノ族の飢えた少女たちが乗り込んできたことで、百万年後の人種の子孫は大きな影響を受ける。
招待客にキッシンジャー、ピカソ、ジャクリーン・オナシスやヌレエフ、ミックジャガーなどの名前があるのも愛嬌か。国務省が警告を発し、彼らは船に乗ることは出来なかったが。

第二部 そして、それから

百万年後、ガラパゴスの白い砂浜、青い礁湖、そこに人類はたどり着いている。
語り部の過去と現在も明かされる。

ここでヴォネガット の夢は、美しい穏やかな世界であることが分かる。

紆余曲折を経てガラパゴスに着いた人たちが、ひとりの女性の特殊な生殖技術で、新しい種が生まれ、島に生存していた生き物たちと共生していくのに適した形にしだいに変化する。人類の体の形は、食料を得るためにだけ適したものなり、もちろんその形では脳はごく小さなものでなくてはならず、両手はひれの形になって海の中でも陸でもお穏やかに静かに暮らしていけるようになっていく。

1986年からまた時が過ぎ2016年末にこの本を読んだ私。ヴォネガットの世界より今の人類は脳の形は小さいかもしれない、地球は災厄をこうむっているかもしれないが、テクノロジーの進歩は人類にとって災厄だけでなく人類を生かすことも含まれ、貢献しているのではないだろうか。楽観的過ぎるのは危険だとヴォネガットは言うだろう。
SFといえばスパースオペラと思うような初心者からすればSFらしくない世界だったが、人の狂気と底知れない欲望がむき出しになった巨大脳の作り出すものは、宗教や社会常識を超えたものに変わる恐れがある。そこここに展開する人々の運命が、わが身にいつ起きるかもしれないと感じさせるような力のある興味深い作品だった。



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「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」 ジェフリー・ユージェニデス 佐々田雅子訳 早川書房

2016-12-05 | 読書



暗すぎる話で我に帰るのに時間がかかった。
ヘビトンボの幼虫は川に網を入れて掬うとヤゴなどと一緒に捕まえられたが、見るからに気持ち悪く、羽化するとますます胴長で嫌な感じになる、さすが昆虫に強くても余り好きな虫ではなく、これを題名に使った作品は想像どおりだった。

ちょっとひるんだが図書館にあるし、予約してみたら、折り返し来たのでビックリ、やっぱり読む人は少ないのかと思いつつ、図書館本優先で読んた。

手首をきったが見つかって、一命を取りとめていたリズボン家の13歳の末娘が窓からとびおりた、塀の上に落ちて助からなかった。

5人の娘はみな年子だった、こういう家庭は珍しいが、ない事もないだろう。両親は厳格過ぎるほどだったが、5人いれば自分たちだけの世界が作れる。それぞれの性格にあった暮らし方で、貧しいながら学校にも通っていた。

美人ぞろいで、近所の男の子の関心の的だったが、ひとり目が自殺した後、一時残りの娘たちは、自分たちだけの世界の閉じこもってしまった。次第に落ち着き周りには正常に見えてきた。だが母親は何もしなくなった、茫然自失というふうで、数学教師の父親も勤めには行くが次第に奇矯な振る舞いが多くなってクビになる。その頃は、姉妹も家庭の鎖からは解かれたようだったが、それぞれの輪の中からは出てこなくなった。家は荒れ、姉妹は閉じこもってしまった。

関心を持った記者は姉妹の心理を想像してあれこれと書きたてたが、噂も次第に静まっていった。

20年後、この騒ぎを見続けた近所に住んでいた男の子たちは、そのとき姉妹を助けようとした、いざ出発というとき、残りの娘たちもそれぞれの方法で自殺していた。

なぜなのか、助けようと努力した男の子たちはいつになっても衝撃から抜けきれない。

ありそうもない美人五人姉妹の自殺が、最後のシーンだった。そこに至るまでには、穏やかに見える日もあった、だが様子を窺っているとひとりの娘の奔放な生活が見え、中には信仰に生きている娘も見える、また自分の美しさに酔っているようでもある。性格は違うが、閉ざされた中で、異常なことを異常だと感じない、もう学校にも行かず家の中の暮らしがたまらなく暗い。

娘たちの青春、それを見続けた男の子たちの青春は、最初の末娘の自殺から宙に浮いてしまった。

中に入れば姉妹の日々はそれなりに過ぎていったのだ。外の生活を知ってはいるがいざ外に向かって拓かれるときが来ると、明るいものよりも妹が飛び込んだ闇の中がふさわしく思えたのかもしれない。
死者は残されたものの悲嘆と諦めを残して去っていける、だが若い姉妹にとって末娘の死にざま、痛ましさ、醜さに出逢った衝撃は、既に一部が壊れるのに十分だっただろう。時がたてばそれは美しい死に変われるものだろうか、成熟過程の不安定なとき、それを青春物語にして、成長過程の不安定さに持ってくるのはいい、死に憧れたのか?それも間違いではない、事件があった家で残りの年子たちが一塊になって身を守ることは十分考えられる。両親も生きることを放棄して娘たちにも関心がなく、何くれとなく世話を焼いた近隣の人々も、リスボン家はそういうものだと見慣れてしまう。
作者は何を言いたかったのか分からないが、残酷で惨めで恐ろしい。青春の痛み?厳格な両親に対する反抗?これを読みとれというのだろうか、こうした結末にいたったという物語は十分に書きつくされているとは思うが。





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