空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

お正月の栗

2021-01-02 | 日日是好日

栗には思い入れがある。子供の頃乏しいおやつの中で、珍しくておいしい栗が大好きだった。

果実を植えるのが好きな祖父も栗だけは植えていなかった。山栗の樹がところどころ生えていて、大人たちが暇なときは拾ってきてくれた、小さいシバグリで茹でても皮がむけないくらい小さい実だったが、甘くておいしかった。干してあるものは固く噛めないくらい固かったがどうしてこんなものにするのだろうともらっても嬉しくなかった。

小学校に入学して、祖父母の家から学校に近い所に引っ越したがそこで栗を栽培していること友達になった。

秋になると大きな実がはじけて落ちていて、中で実が健康そうにつやつや光っていた。売り物で「丹波栗」といって、勝手にとっても拾ってもいけないものだった。

その後田舎を離れたが、通りの脇で甘い匂いを振りまく天津甘栗>というものを知った。

小石に交じってかき混ぜられている栗は大粒でおいしそうだった。大人になるまで甘いものは苦手だったが、栗だけは好きだった。なぜかお土産によく栗をもらった、きれいに編んだ籠に笹だか杉の葉だかを敷いて大きな栗の山を持ってきてくれる伯母さんは、いつ帰るのかまだかな、と様子をうかがっていたが、どうも気に入られて好きな栗をお土産にくれることを両親が笑い話にしていた。「気が利かない子だね。お茶ぐらい出しなさい」と言われてそれから気が利かない子なのだと思い込んだ。

気の利かない子で成長して、職場は気を利かさなくてはいけない部署に配属されて苦労をした。気が利かないというのは気が付かないともいうので、気がついた時はもう遅かった。4年たってどうも働きづらいと気がついたのは気が利かないせいだと後年やっと気がついた。

そんなわけで気がつかないから余計な気を回さない、いたって健康的なところもあったらしい、仕事を離れマイペースで生きてきたがあまり敵はいなさそうだ。気づかないだけか。

 

栗で話が脱線したが、今年もお正月前に習慣で天津甘栗を買った。二袋も?という声は無視。

でも大失敗だった。小粒で固くて振ってもコロコロ音がしない、変に硬くてまずかった。

ほら、袋入りを衝動買いするから、と言われたが、なんの好きこそ執念で時間ををかけている、じっと見ていると子供時代の<大きかったら登って採ってくるのに>という悔しさがしみじみ思い出されて爪の先にも力が入る。

今日で半分ほど減った。

なんでお正月に栗?とふと思った。

あれは縁起を担いて「勝ち栗」が始まりだそうな、戦国の世、干し飯と勝ち栗でも食べながら、私の先祖は重い旗など捧げ持って、藁草履をすり減らして走っていたのかもしれない。

山之内家の下級武士だった先祖の話を聞いたことがある、馬にも乗れず走った頃は苦しかっただろう。それでもこうして生きている子孫を残した。

新年のお墓参りは少し先にしたが、栗饅頭でも持って行こうかな。

栗(くり)の栄養価と効能:旬の果物百科 - FoodsLink.jp

https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/kuri3.htm

栗には様々なアミノ酸も豊富に含まれています。. 下の表は五訂日本食品標準成分表に掲載されている栗にに含まれているアミノ酸の一覧です。. アミノ酸(mg/100g中). イソロイシン. 90. チロシン. …

栗っていいものなんだ。今度はよく見て買ってくるのだ。

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2021年 新年のご挨拶

2021-01-02 | 日日是好日

遅くなりました。

あ~あ今年も一日過ぎた寝なければと横になって。

今年もまた春が着て夏が来てなどと思い、カレンダーをしみじみと見ているイメージが浮かんだところで、ガバっと起きた。

もう深夜、二日目の二時だ。早々にこれではイカン寝ている時ではない。

とご挨拶。

今年もよろしくお付き合いください。まぁ変わらずこんな態度で、気まぐれですが(-_-;)

 

12月の初めに、主治医の先生が、胃腸の検査をした方がいいです、一年に一度くらいは。

あれこれ病気が出る年になったのかなぁ、この通り元気な体育会系だ、なんでもおいしい雑食女だ。マダマダ体力はある、と思っていたのはかれこれ何年前かと全部の指を折ってみる。

だから近所のクリニックの先生を信頼して、そろそろ眼科に行っては(特に目を使うことがが趣味でと言っているし)、ついでに胃カメラも腸も一度くらいは調べてきましょうとのご宣託で紹介状を持って病院に。

私は長くお世話になって、やっと成人病となかよくなりそうな自分の体の構造が判り掛けているので、それにつれてお医者さんて偉いなぁとしみじみ思い、よく言うことを聞くじつに賢い患者なのです。

そして見つかったのです。ポリープが怪しい仕事を始めていたので、とりましょう、とりましたということで、まぁ一日休んで帰ってください。やったぜという先生のにこにこ顔で病院に留め置かれました。

ということで一晩入院したのですが、病院の先生はベストタイミングですね。しばらく安静にしてまた来年お会いしましょう、それまで年末でおとなしくしているうちに大掃除が済んでました。おせちは既製品ですがとってもおいしいです。

四人部屋でしたが、だれもいないのかと思うくらい気配だけで静かな人たちで、先生の足音と話声で、あぁ病気の人が入っているんだと気がついたのです、うるさすぎも困りますがなれないところで静かすぎるのも怖いようで。お礼を言わないといけないのですが。私は消灯の10時から検査の疲れもあって朝までぐっすり眠り検温の看護師さんに起こしてもらいました。

どこが遠くで叫び声が聞こえていてちょっと震えました。病院は病人がいるところでした。

コロナ禍のためにお見舞いは詰所までということで、静かに厳戒態勢下であるのが判りました。

私はコロナに出会うこともなく年内に片がつきました。

まぁなんということか、噂に聞いて二の足を踏んでいた検査というのは、鎮静剤のおかげで気づかないうちにあっという間に終わり、ついでに帰っても安静だよという声もあまり気にならないうちに、今年も行ってしまい、来る年は絶好調で迎えました。

ということで、あまり不調も感じなくても、見えないところで何が起きているかわからないものです。

よく失くし物を探すときにスマホなら返事するけど、呼んでも答えないものは困ったものだ。などと言い訳をするのですが、静かに仕事をしている自分の体も、時々は調べて変調がないか気を付けて声をかけてみるようにしなければと思ったのです。

さすがに検査ということで、結果を持ちながら、どうとかなっていたらまだ本も山になっているし、身辺整理もできてないのにとちょっと心配をしましたが。

平常に戻って迎えた新年は生まれて初めて、元気に年を越したという実感があります。

また一つ年を取る、一里塚だと新年もめでたくないようなめでたいような年になっていましたが、真剣に向き合う今年の始まりは感慨深いです。

またこっそり小声で今年の目標を自分なりに決めてみていますが、守れたためしがありません。

しっかり規則正しい暮らしをしようかなどと(お戯れをという声がしますが)確かに休日の早寝早起きは守れないようですが散歩やウィーキングをしながら季節を感じようと思っています。

二日目も夜中の三時。

今年は子供の時から続けてきた初詣も小正月にしようか、などと相談していますが。早く晴れ晴れと出かけられる年になるよう、お寺があるあたりに向かってお願いしました。

健康で明るい幸せな年でありますよう。

コロナ年などというのを忘れてしまえるよう。それまでおとなしくやり過ごします。

 

いつもの田んぼの上の山には藪椿がきれいです。いつまでも伐らないでほしいと願っています。

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