眼鏡スタンド 今のところ空っぽ
とりとめの無いことを書いてみる。
最近このブログの横にあるカレンダーが見やすくなった、黒い背景なので緑色の日が目立って、黒い穴が気になるようになった。いいことか悪いことか分からないが、あの日どんな日と後から読み返すならカキコミマークの緑の日が多いのがいい。
それで今一番気になっている眼鏡が見つからないことをグチグチと書くことにした。眼鏡は後輩が作ってくれる。弟の学校時代からの親友で眼鏡屋さんなのだが、実にぴったりで違和感の無いものを作ってくれる。近視になったのは中学三年生の夏休み明け(だと思っている)に身体検査で1.2の視力が急に0.5に落ちた。受験勉強のし過ぎだという陰口が耳に入ったが、そんなことは気にしない特異体質だったし、その頃までは頭はよくないがよくいう写真的記憶力(だから応用力はない)で、遊んでいても本を読みふけってもテストの心配が無かった。思うに、実に奇妙な体験だが、その頃自分で「これが自我意識というものか」とはっきり文字が感覚になって感じられる出来事があった。きっとそれが成長の一段階を登ったときで、又言うなら第何次かの成長期とかいったものかも知れず付随して目の方にも何かの変化があったのかもしれない、成長(性徴)というにはちょっと無理があるようにも思うが。
それから近視の眼鏡がいるようになった、体育会系には実に邪魔物だったが、以来会社勤めの頃コンタクトレンズを使ったりした時を除いてずっとかけ続けている。それが近視だけだったのに近視の眼鏡では車の計器が見づらくなり、といっても遠視移行課程であったのか、今でも小さい文字も読めるし針のメドも通せる。でも遠近両用という度数に差がついた実にいい眼鏡を作ってもらった。そうこうしているうちに乱視もひどいというので、遠近乱という三重苦に適したものに変えてくれた、見つからないのがコレ。こんなときのためにスペアがあるので不自由はしないが、アレはプラスティックで軽く、ハードコートで瑕がつかずさっと拭くだけで綺麗になる優れもの。デザインも気に入っている。外す所は決まっていて(パソコンのときには眼鏡が邪魔なので)メガネスタンドもちゃんといつものところにある。それがポッカリ空いていると落ち着かない。探せるところは探したのだがどこかの隙間にでも滑りこんだのか。娘が誕生日に買ってくれた耳のところからぶら下がる綺麗なネックレスのような下げ紐をつけておいたらよかったかもしれないなどと思ったり。そのうち出てくるとは思ったり。最近少し度が違ってきたような気がして作り変えようかなと思ったのを読まれたのかとおもったり。まさかゴミ箱に滑り落ちて今頃は灰になってるのではないだろうかと心配したり。気に入っていたのに。オーイと呼んでも返事は無いし。