空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ハーレムの闘う本屋」ウォーンダ・ミショー・ネルソン あすなろ書房 

2018-06-27 | 読書



20世紀初頭、ニューヨークのスラム街に黒人専門の書店が誕生した。


黒人はスラム街に住んでいるということだけで、肌の色が黒いというだけで差別されてきた。
アメリカは20世紀当時もまだ白人の物だった。

9人兄弟を父親は魚売りで育てた。だが父とルイスだけよく似ていた。ルイスは盗みで捕まった時、盗みについて、恐れ気もなく裁判官に言う「白人はインデアンから国を盗みアフリカから黒人を盗み奴隷にした」

父親は歴史を見ることができた、黒人のための機関や施設を増やさないといけない。教育を受けなくてはならない。その言葉はルイスに受け継がれた。
民族としての黒人、アメリカ国民としての黒人、しかし白人に比べてないものが多すぎる。

兄ライトフットは母の信仰を受け継いで牧師になった。ルイスにも神の道を歩んでほしかった。だがルイスの生き方は違っていた。
黒人の牧師は行動することで彼の思想を広めていった。

ルイスはギャンブルに目を付けて盗んだ金で店を開いた。繁盛したが警察に捕まり抵抗して片目を失った。

ルイスは兄の教会で働き始めたが違和感があった。天国を目指す前に現実を知らなくてはならない。
大学で学ぶのは白人社会の知識だ。しかし奴隷制度についての知識だけ学んだくらいでは人間としての真の尊厳を学んではいない。黒人は知らなくてはならない。学ばなくてならない。知識は頭や心の中にある、そして本の中にある。本というものを知って読まないといけない。

彼は兄の宗教活動を手伝いながら、もっと広くこの世の問題の多くを見る必要を感じた。

42歳で教会を出た。黒人がなぜ抑圧されてきたのか、それを社会のせいにしてきた。だが、黒人は正しく認められなくてはならない。人として。

兄が閉めようとした事務所は本屋にうってつけだ。
どこの本屋にでも売っているような本のことではない。黒人のために黒人が書いたアメリカだけでなく世界中の黒人について書かれている本だ。「いわゆるニグロ」たちは世の黒人男女が発する声を聞き学ぶ必要がある。ここはうってつけだ「私の本屋に」

兄は本屋のことは理解できたがギャンブルのように見えるルイスの将来が不安だった。
それでも開店資金を出し、ルイスは理解者から5冊の本を手にいれ100ドルの金で開店した。

手押し車に本を載せて売って歩いていた。「よってらっしゃい見てらっしゃい」ルイスは呼び込みをした。

通信販売も滑り出しがよく蔵書は少しずつ増えて行った。

ルイスは店に来る人を拒まなかった、読みたい本があれば店で読ませ、質問には答え教授と呼ばれるようになった。


ルイス・ミショーは本のこと、そして、本の販売のことに詳しかった。しかも、その知識を熱心に教えてくれた。やや自信過剰気味ではあるが魅力的な人物で、彼の書店、ナショナル、メモリアル・アフリカン・ブックストアは貴重な文献の宝庫だ


でたらめの記事を書かれ悪意にもさらされ、黒人が集まるというのでFBIにも目を付けられていた。

やがて黒人作家や活動家も本を読みに来た。そこで少年が育ち、詩人になった。

公民権運動のさなか、店で読書に没頭していたマルコムXが暗殺された。続いてバス・ボイコット運動のキング牧師が暗殺された。偉大な指導者の名前は残っているが、それに参加した多くの市民は名もなく悲惨な犠牲者も多かった。その人たちに公民権が認められ人種差別は表面的には法で退けられ、人の尊厳は守られることになった。

一粒の種をまくにもつよい意思と努力がいる。それを理解して協力する人がある。

差別・区別することから逃れることがないのは人間本能の負い目だと思う。それを超えるヒントの一部はがこの本にある。



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HNことなみ

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「超音速漂流」 ネルソン・デミル トマス・ブロック 村上博基訳 文春文庫

2018-06-21 | 読書


裏表紙に「今や古典となった航空サスペンス」とあった。それを全面加筆して決定版にした。それでも手元にあるのは2001年版だったが。映画化もされたようだが極上のパニック・サスペンスで面白かった。


トランス・ユナイテッド航空の旅客機52便、ストラトン797はサンフランシスコを39分遅れで飛び立ち、太平洋上を東京に向かっていた。マッハ1、8 時速930マイル。高度6万2千フィート。窓の外はなにもない亜宇宙が広がっていた。
コックピットは自動操縦に変わり飛行計画通り飛んでいた。
しかし今日は出発が少し遅れた、その上気象予報によりコースをやや南に変えていた。
ファーストクラスのラウンジでは若いピアにストが演奏し、乗務員も仕事をこなしながらくつろいでいた。

中部太平洋上に原子力空母ニミッツが秘密の実験のために待機していた。国際条約には違反するが密かに自動誘導システムの特殊テストを行おうとしていた。テスト用の軍事用超高速無人標的機を飛ばし、フェニックスミサイルで撃ち落とす作戦だった。
そのためにミサイルを二個搭載したF18が飛び立ち、操縦士マトスはスクリーンに輝く点を確認した。ためらわず自己の昇進のかかった発射ボタンを押した。ミサイルの軌跡は輝点に向かっていった。
しかし同時にレ-ダー・スクリーンにはもう一つの弱い輝点を認めてもいた。
これはスクリーンシステムの誤作動かゴーストに違いない。
だがミサイルが到達した先の輝点はそのまま飛び続けている。弱々しい輝点の方は小さく弧を描いて落下して行った。おかしい。彼は機を大きな点の方角に向けた。
そこには胴体に二つの穴が開いた旅客機が徐々に高度を下げながら飛び続けていた、1万1千フィートで水平飛行にはいった。そんなはずはない。
彼は近づいてみたが人影はない。コックピットも無人だった。
空母に知らせた。「誤射しました。ストラトン797、トランス・ユナイテッド機です、人影は見えません」

穴の開いた旅客機の中は、固定されていなものは人とともに飛び出していった。瞬時の減圧の影響で人々の体内が破壊され脳組織も損なわれた。人が人でなくなり形をとどめていても制御不応のロボットのようにてんでに動き汚物にまみれあたりは出血で汚れた。
酸素補給も圧力によって用をなさずかろうじて燃料の循環装置が損なわれず働いていた。
たまたま3つの化粧室にいた人たちだけが小さなダメージで生き残った。
ジョン・ベリーも化粧室の与圧装置に守られてかろうじて生き残った。呼吸可能高度で外に出ると、まだ生き残りが三人いた。
少女と男性が一人、フライト・アテンダントのシャロン。
機長は亡くなり2人のパイロットは意識がなかった。
ベリーはセスナを飛ばしたことがあった。しかし大型旅客機は勝手が違う。それでも落下を食い止めるために操縦席につく。そのうち計器も読めるようになるだろう。

空母ニミッツでは誤射を確認して対策に追われていた。ミサイルはもう一発積んでいる。

過去に、暗号装置を備えた駆逐艦が航行不能となっていたことがある、敵に曳航させないために、生存者ともども撃沈した。

飛行の障害になる機は除かなくてはならない。幸いミサイルはまだ残っている。その上海軍に要らぬ疑いをもたれてはならない。トマスに汚い仕事をさせるのだ。

ユナイテッド航空はストラトン通常運航データを待っていた。だが通信室には何も入ってきていない。プリント装置を備えた航空機とのダイレクト・リンクが一瞬瞬いて消えた。SOSと読めたような。馬鹿な今どき時代遅れのシグナル「SOS」とは何かのいたずらだろう。

52便でベリーは応答を待っていた。ランプが瞬いたように思った。誰だ!
ベリーのメッセージを送る手が震えた。
受け手の航空管制官は一目見て叫んだ。ジーサス・クライスト。
メーデー・・・機体損傷・・・無線故障  ダイレクト・リンクが文字を吐き出し始めた。

ベネフィシャル保険会社でも担当者が事態に備えた。提案が採択され乗客賠償保険を引き受けていた。だが今は不時着の恐れがある。町を擦りつぶしたら。彼は将来の暗雲を見た。一生涯の保証は家族にも及ぶ向こう75年はかかるだろう。
1億ドルを超す機体保険がなかったのが幸いだった。

ベリーはハワイ島に着陸せよという連絡に不審を持った。燃料ギリギリであの小さい島になぜ着陸せよという。
彼は回転して引き返し、ベテランに誘導してほしいと送信した。

空母上では最後のミサイルを発射しなかったトマスとともに誤射機を消した。


様々な組織につながる人々は、組織の保全と自己の将来のため策を練る。ちょっとした過失が招いたかもしれない。この事故を消しにかかった。
中には道徳観に縛られながら苦しみ、それでも逃れる方法を探す人もいたにはいたが。

そしてヒーローの出番になる。
ベリーは、命を見捨てない。
無事を祈るというメッセージが何度も繰り返されるのを見る。

いい話だ。緊張感が盛り上がる中に、地上の人々の醜い心理や、潔い決断や、読みどころが最後まで詰め込まれ500ページ近いストーリーが飽きることない。逃げない男になるのは命がけ。だが小説というのはこうでないと。掴み所も外してない。作家と元パイロットの共作は極上の冒険小説になっている。




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「詩歌の待ち伏せ1」 北村薫 文春文庫

2018-06-20 | 読書



<待ち伏せ>という題名。読書好きにとってこういうシーンが多ければ多いほどいい。本を開いて出会った言葉や文章に再会する感動とか、懐かしい題名を思い出し長い疑問が解けることがあるとか。


北村さんの、そんな嬉しい出会い、まるで待ち伏せに逢ったような驚きと感激が満載のエッセイ。

読書を積み重ねていると、忘れられない言葉や文章に出会う。それに思いがけない所でまた出会う。作者が引用していたり、登場人物のふと浮かんだ想いだったりする。
 北村さんが取り上げる様々な詩歌との出会いは時の流れに埋もれていたのを改めて思い出す。ああそうだった、そんなところが好きだったと。

ここではタイトルのように詩や俳句短歌に限っているが、それでも読書量に比べて一冊には収まり切れなかったらしい。い1,2,3とシリーズが出ている。

あげられているものは、人柄を写してほのぼのと暖かい、どこでどんな風に出会ったか。収められている詩や俳句の断片が、作者の歴史と重なり、読んでいると、昇華されていなかった謎解きやほかの読み手が受け取った違った面や新しい意味に目が開く。知識を広げる爽快さも味わうことができる。そして鑑賞の深さや理解が、また違った楽しみを開いてくれる。
面白かった。
200ページに足りない本だが自分を振り返りながら読むと、読むことがどんなに愉快で心にしみるものか、幸せを感じた。

例えば少年少女の詩に,純粋に驚き感動する。

「じ」 松田豊子 京都・竹田小4年


おとうさんは
「じ」だった
せんそうに行かれなかった
せんそうにいけなかってよかった
ばくだんで
家のとんだ人
おとうさんに死にわかれた人
しょういだんでやけ死んだ人

お父さんは
「じ」でよかった
「じ」でよかった

不謹慎ながら吹き出し、捕らえられた。病気にユーモラスなものはないし、生理的に読むのが苦手だが力を持っている。
たまたま「キリンの詩集」でこの「じ」に再会して嬉しかった。


私も生理的な言葉を露骨に書いているのは特に苦手で、途中で本を置いてしまう、文学というものの価値を知るには読まなくてはいけないこともあるとは思うけれど。

サキサキとセロリ嚙みいてあどきなき汝を愛する理由はいらず  佐々木幸綱

セロリはお洒落、野性的という人もいたけれど
北村さんは都会的と読む

胸に抱く青きセロリと新刊書  舘岡幸子

きゅうりをかじってもセロリをかじる日常はまだ現実ではなかった。
堀口大學はある女性をセロリの芯コにたとえた「日本のウグイス 堀口大學聞き書き」
母白い。
サキサキという音で、砂漠の歌の「サキちゃんも思い出す」
「月の砂漠をさばさばと」とはいい話だった。

『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』
その蝉はなにぜみか。北村さんはいっぴきのアブラゼミのように思っていた。
ニイニイ蝉や法師蝉では軽すぎるし日暮は寂しいし、アブラゼミが一匹ジーと鳴いて染みこんでいくと。
ところが大人になって諸説あることを知った。現在ではニイニイ蝉であろうということに落ち着いている「芭蕉全句 加藤楸邨」
また多数説もあるらしい。


多数という説があるのには驚きました。感じ方は色々あるものです。それは面白かった。しかし『作られた時と場所を考えるといた蝉はこれこれだ』などという迫り方には、正しくとも、あまり有り難味を感じませんでした、事実と真実は違います。


私はとても共感を覚えます。読書の楽しみ方もそれぞれでいいと思っているのです。

少し引用しましたが
三好達治「測量船」から「乳母車」の詩について、心惹かれる詩人は詩集がいい。

西城八十について、歌謡、流行歌を多く残しているが、生き方の他方の面から考察もしている。

黄泉路かへし母よふらここおしたまえ 星野慶子

「ふらここ」ブランコのこと
響きも優しい。「鞦韆」という固い響きもいいが、やはり日本語のふんわりとした言葉や淡い悲しみが感じられる歌に親しみを覚える。
目次は21ある、数え歌しりとり歌もあって懐かしい。
2も読んでみよう.




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