空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

山に落ちた雨の子は

2014-04-30 | 山野草




雲の中からやっと落ちてきた
どんどん どんどん
落ちて落ちて
もう少しというところで 引っかかってしまった・・・

あの木の葉に潜って
大きな木の根を伝って
小さな川になって 蓮華畑を見て
海に行けば 魚と遊べると思ったのに
ひっかかってしまった・・・

みんなはやり直せるっていう
また雲になって、雪になって
落ちて解けて、海に行けるって言う




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デニス・ルヘイン原作の映画

2014-04-28 | 映画
デニス・ルヘインの「夜に生きる」を半分読んだところで、とまらないのを無理に止めて、気にかかっている映画をメモしておかねば。

ルヘイン原作の映画や、作品のことは、あとがきや解説で初めて知った。
原作は二冊([ミスティック・リバー] と [雨に祈りを]) しか読んでいない。
これはメモしてあるので思い出せたのだが、映画は見ただけでもう細かいことは 記憶が朧になってきている。

「ミスティック・リバー」「ゴーン・ベイビー・ゴーン」「シャッターアイランド」の三本を見たのだが゜(*´□`*)゜




「ミスティック・リバー」はアカデミー賞を受賞した。3人の遊び仲間のひとりが誘拐された。暫くして帰ってはきたのだが。その後成人した三人は過去から逃れることが出来ない上に、さらにおきた悲劇、原作の意図も良く伝わってきた。ショーンペンが名優ぶりをみせた。


「ゴーン・ベイビー・ゴーン」はベン・アフレックの監督、俳優もいいし身近なテーマも含めた問題作だった。
題名のように子どもの誘拐事件なのだが、話の結論は観客に任せたような形で、そういうところも迷いがなく案外好きだと思った。
劇場では公開されなかったそうでDVDしかないけど、余計なお世話かもしれないのに、一度見れば、面白いよと周りに勧めた。

ちょっと話がそれるけれど、ベン・アフレックといえば、先日彼の監督した「アルゴ」を見たがこれは面白かった。実話だそうだが、スリルありサスペンスあり、タイムリミットありというもの。テヘランが舞台で撮影も大変だったろうと思ったが、テヘランの雑踏を抜けて脱出するシーンは見所だった。
映画の中で映画を撮るというのも、実際は映画撮影という奇想天外な作戦であってハラハラドキドキ、文句なくおもしろかった。
史実は少し違うとかいう意見もあったそうだが。

「シャッターアイランド」は脳みそをかき混ぜられるような変った作品で、噛み砕いて時系列に、あるいは出来事順に分類して流れをつかんでから見直すという厄介な作品だったが、それも面白かった。
心理学や流行のシステムを使ったSF映画というか、込み入った内容だった。この程度しか覚えていないので、もう一度見直してみようと思っている。

ただ原作とは違った映画作品自身の価値というものもあるが。

後になって原作があると知れば興味も深まる、面白かった映画も出きるだけ怠けないでちょっとでもメモしておこう。


今読んでいる「夜に生きる」も面白い、残念なことに、この前につながりのある「運命の日」が出ているそうで、しまった!順番を間違えたと気がついたがもう遅い。二作目からでも十分面白いという解説に救われるが、良く調べもしなくて、何事にも軽々しい自分の性格を、改めてあきれながら見直している。でも、もうなおらない。
図書館に予約したが「上下」二巻の大部とかで、体力をつけておかないといけない(^^)





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「オオヤマレンゲ」から「ハナミズキへ」

2014-04-26 | 日日是好日
昨日は私事を大げさに書いたので、気になって仕方がなかった。
もうこんなことは起らないよう ちょっと(*/∇\*)

でも10時から5時半までかかった手術は大成功。一般病棟に移ったという。

言霊というものがあれば祈り霊もいるのだろうか。いつも「沈黙」している神も、凡人には聞こえない何かを伝えてくれるのだろうか。
訊けるものなら、異次元に行ってしまった遠藤先生に訊いてみたい。


ハナミズキ


そこで、今日は「ハナミズキ」 この花なんて可愛らしくて綺麗なのだろう。
木の下に車を止めて、蕾や花を手にとりながら思いっきり褒めた。 
「カナダから来たのでしょう、はじめてみた時は花びらがくっついて、お手玉のままかと思ったよ。」
多分グリーンゲイブルスで、あのアンもマリラも見たことでしょう。


日本にだって仲間はいる

ミズキ 花が小さいけど
カタチはどことなくにてる



ヤマボウシ  似てるのね(^^)






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「裏返しの男」 フレッド・ヴァルガス 創元推理文庫

2014-04-23 | 読書


待ち時間があったので図書館でぶらぶら。変な題名の背表紙をみつけた。
何が裏返っているのかな。男がうらがえって??どうなる?

いつものように、まず解説を読むと、これはアダムスベルグ警視が主人公のシリーズもので、前作からこの作品が出るまで首を長くして待っていたとか。
そうなのか。CWA賞を三回、その第二弾、何もかも初めてお目にかかるのだけれど面白いかも。
やはり初見ではまだ友達とはいえない見ず知らずの警視より、気になるのは表題の裏返っている男だ。これは現実か比喩か、それとも両方か。
書名で選び、受賞歴で選び、最優先で読んだ。


まず、フランスの出来事。勿論殺人事件が起きるのだが、次々に牧場の羊が襲われるところから、イタリアからアルプスを超えてきた、野生の狼の仕業ではないだろうか。
ところが傷跡から並みの大きさの狼ではないらしい。

そこで、狼男の話になる、体に毛の無い男、人付き合いを嫌って山にすんでいる白くて毛の無いマサールだ。
そう決め付けた牧場主のシュザンヌが殺された。姿を消したマサールが怪しい。
彼の皮膚には裏がえすと狼の毛が生えているに違いない。
狼男の話はこうして始まる。

テレビでこのニュースを見たアダムスベルグ警部は、映っている木陰の後姿はかっての恋人カミーユではないだろうか。テレビににじり寄って確かめるがはっきりしない。

カミーユはそこにいた。カナダ人でグリズリー研究家、今は狼について調べている恋人と一緒に。
彼女は作曲家で、修理工。工具をバッグに詰めてめて出かけていく。死んだ友達のシュザンヌに頼まれトイレの配管を直したりする。最後のボルトを閉めるまでそこを動かない、読んでいてちょっとウフフとなる。

羊は次々に殺され、マサールは依然見つからない。

マサールの小屋から見つかった地図に羊が襲われた地点にしるしがあった。家畜運搬車を改造して後を追う。先回りして羊殺しを未然に防ぐこと。

運転はカミーユ、同乗は殺されたシュザンヌの養子と老羊飼い。

しかし敵もさるものなかなか尻尾が掴めず、ついに警部の登場となる。特異な感覚と推理で活躍する警部が到着して事件が解決に向かう。

羊が殺されたり殺人もあったり、残虐なシーンも多いが、作風としては落ち着いた描写で読みやすい。会話は機智に富んで面白い。
良質な作品だ。

初めて読んでみると、警部の登場まで、そしてカミーユたちの車が走り出すまでは、あまり変化を感じない。
だが三人の追跡行が始まると実に興味深く面白い、これが本領か。

まだ馴染みがないだけに、話に没頭して一気に読むというところまで行かなかった。

裏返しの男には曰くがあり、巧い具合に納得できる。

警部が命を狙われていたり、恋しいカミーユが思い切れなかったり、スパイスもちょっと効いていて、これならファンもいるだろうと思った。

シュザンヌが黒人の赤ちゃんを見つけて抱き上げ息子にすると宣言するところ、女性作家ならではの情感があふれ、赤子の様子もとてもかわいい。

ちょっと時間はかかったが、風邪で休養中にはこのくらいの刺激がちょうどいいかもしれない。
機会があれば一作目も読んでみたいと思う。
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「龍神の雨」 道尾秀介 新潮社

2014-04-22 | 読書


9月、大型の台風が関東地方を吹き荒れていた。
渦巻く風だけでなく、風がやんでも小さな雨粒が地表を覆い部屋のなかまで湿ってしまったような、一歩外に出ると体中が濡れそぼるような日だった。

そんな、まるで一面に立ち込めた霧に覆われたような不幸の中で暮らしている、二組の兄弟がいた。
兄の辰也と圭介。もう一組は兄の蓮と妹の楓。

それぞれは不幸なだけでなく、大型の低気圧とともにやって来た、不運・悲運に襲われる。

蓮と楓は二人を連れて再婚した母と、継父という家庭だったが、母が突然交通事故で死に、血のつながらない継父は、中学生の楓に不審な様子を見せる。蓮は昼間は留守勝ちの父を疑っていた。

辰也と圭介は幸せだった海水浴で、心臓病の母が突然死に、父もしばらくしてすい臓がんで死んだ。

こうした環境が偶然二組を結びつける。

蓮のバイト先の酒屋で、辰也と圭介は万引きをする。雨はひどく吹き付けていたし、蓮は見逃すことにする。

蓮がアパートに帰ると父が死んでいた。楓が殺したという。床下収納庫を上げて地面に死体を寝かせ、凶器になった魔法瓶とともに隠した。
夜、父が乗っていた車で、秩父の山に穴を掘って埋めた。
雨は容赦なく降り続いていた。

中学で楓と顔見知りの辰也は、蓮のアパートに行き偶然二人が何か重いものを車に乗せるのを見た。

その荷物から風でスカーフが飛んできたが、それは真っ赤な色に染まっていた。彼はそれをポケットに入れた。

渦を巻いて窓に吹き付ける雨は、小学生の圭介には、禍々しく暴れる竜神の姿に見えた。

蓮のアルバイト先のオーナーがビルを建てかけで放置してあった。
そこで、吹き付ける暴風雨になって竜神が暴れ、二組の兄弟はいわれない悲運を招いてしまう。


あらすじはそういう話だが、竜神の雨というには竜神の造形が生きてない。
幻夢のようにわずかにそれと思わせるように現れはするが、全ては竜神が象徴するようなものではなく、遭遇した台風の日に起きてしまった不幸な出来事だということ。

「向日葵の咲かない夏」でも少しつめの甘さが気になった。

人生が始まったばかりの若者(子ども)たちが引き起こさなくてはならなかった事件、悲しみとともに胸が詰まる。
思いがけない結末は納得、やはり次の作品も読んでみたくなる。



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「はないかだ」今昔

2014-04-21 | 山野草



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ハナイカダ


ハナイカダ(花筏)を録るのに山に登った、雨のそぼ降る悪天候で、風邪をひいた。聞いたことがある名前の花が咲いているというので矢も盾もたまらず出かけたのだが。帰って聞くところ、生命力の強い木で、挿し木で育てられるという。植えるなら上げるよ、雌雄異株だから2種類あると実ができるし。

そんなことならもう少し早めに・・・いや待て、育っている環境を見ることが花が好きということでしょう。もらって育てるなんてもってのほかだと思いつつ、 やっぱり庭に植えてしまっているけど('-'*)

名前のいい花も多いが気の毒なものもある。この花は地味な色と目立たない形なのによく知られている。

いつかどこかの花の好きな人が山歩きの途中で「ヨッ」と腰を降ろしたところ、脇をくすぐる木があって(これ低木だし)良くよく見たら葉っぱの中ほどに花みたいなものがついている。ちぎって前の小川のせせらぎに流してみた「オ!風流ではないか、まるで花筏!」といったに違いない。とかく一人旅は珍しいものに気がついては独り言を言う、とか。


私はすこし(とても)マイペースなので、この花の名前を聞いた時は、勝手に二つの和歌が浮かんだ。

 御垣守衛士の焚く火の夜は燃えて昼は消えつつものをこそ思へ

 わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人のつり舟

所は須磨離宮あたり、門にかがり火、遠く海に釣り船の灯が、という絵だけど、須磨離宮は跡を訪ねただけだし、門などあったのか、衛士などいたのか、かまわず勝手に作った絵に「花筏」の響きがぴったりあっただけのこと。



ちょっとしたヒントがあると好きな歌や言葉が出てくる。

今日は三カ月に一度の検診日。「ヤダネッタラ、ヤだね」演歌に乗って出かけるのだ♪




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熱、咳つきの風邪にかかった

2014-04-20 | 日日是好日

ヒトリシズカ

ヒトリシズカっていい名前よね
フタリシズカって花もあるね あの名前だってとってもいいね
二人でいてゆったり静かなんて幸せでいいね。




今回は家族で持ち回りの風邪にやられた。私が最後で少し治りが悪い。

ちゃんとした微熱も出ている。

微熱のあとに病名が分かるのはろくなことではない。喉が痛くて咳が出て後からそろっと熱が出るのは、今回の風邪セットのようだ。

以前よく微熱が出た。それが狙ったように何かの予定の前で。
「またですか、お大事に」 「熱なんてお若いですね、年取ると熱も出ないです」
聞くのもツライが言う身にもなってほしい。と、ちょっといじける。

ところが、この微熱が大病の元だったのだ。ちょっとした体の声を聞き逃してはいけなかった。


今回は確かに風邪の付録で、これこそお構い無しの三食昼寝付きで、録画の消化、ゲームの点数稼ぎ、積ん読減らし、ついでにiPadで初めて日記を書いている。少しも進まないけど、何事も忍耐と努力だ(なんて時間があるときやってみようかなとおもっていただけ😢)


検索とパズルゲームで鍛えたキータッチもまんざらではないけど、ああ貴重な時間がのろのろと消えていく。


忘れないうちに

 読んだ本・・「椿山」「さざなみ情話」「霧の橋」乙川優三郎
       「竜神の雨」道尾秀介  「裏返しの男」フレッド・ヴァルガス       
 録画で・・・「塔の上のラプンツェル」「MOZU」「グラディエーター」これ何度目か(笑)
「ミス・ポター」「パトリオット」

明日からまた平凡な日が始まる、めでたし。


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「屋烏」 乙川優三郎 講談社

2014-04-14 | 読書


5つの短編が収められている。どれも人物や情景の繊細な描写が優れた名品揃いで、明るい未来を暗示する終わり方も、日常の疲れが癒されるようだった。

「生きる」で初めて出会い、続いて4冊借りてきて、順不同で読み始めた、聞くところによればこのほかにもっと評判の高いものがあるという。
随分読んだつもりでも知らない作家や作品は山のようにある。読書は楽しい。



「禿松」カブロマツ

奥田智之助、妻は「とせ」といった。上士からもらった嫁だったが、無愛想なのは、彼女の生い立ちに少し曰くがあるからだった、だがこの10年、妻としては非の打ち所がなかった。
ただ智之助は「とせ」より前に「初」という娘と婚約したことがあった。待ちきれず祝言の二ヶ月前につい手を出し現場を見られてしまった。すぐに破談になり「初」は自害を試みて、未遂に終わった。お互いに家庭を持つ身にはなったが、智之助は心の隅に「初」をそっと隠していた。
藩政のなかで家老と次席家老の争いが表面化し、家老失脚の話がまとまり、同志のなかから「初」の夫が上奏役に選ばれた。背格好の似ている智之助は「初」に関わりがあると聞き、囮になって追っ手を巻くことを引き受けてしまう。
「断れば生涯出世は諦めよ」といわれ、湯治という触れ込みの「初」夫婦の後から出発する。大筋はこうだが、話は智之助と妻の「とせ」との情愛で、頭の薄くなり始めた頃、やっと無愛想に見える「とせ」という妻の愛すべき本性に気がつく、悲運な初との再会がきっかけではあったが、いい話になっている。


「奥烏」オクウ

屋根にじっととまっている烏のように、亡くなった父母の代わりに弟たちを育て家を守り、婚期を過ぎるまで尽くしてきた揺枝。唯一の息抜きにしているお寺参りの途中で襲われる。それを救ったのは顔に傷のある何かと評判の悪い侍だった。揺枝は彼を忘れられず、礼にかこつけて家を訪れてみた。
だが、彼に他人に言えない役目があった。
そしてお互いの「奥烏」のような生き方を知る。結びがとてもいい。


「竹の春」

仇の高須蔵人が見つかったと兄が知らせてきた。出奔した勤皇派の蔵人は姪の許婚だった。蔵人が姪を連れて行ったことになっていたが、足手まといをつれて出奔するだろうか。
姪の「うね」は部屋住みの与五六にいつも優しく、成長しては塾生になって世の中に明るかった。与五六は「うね」から教えられることが多かった。
勤皇と左幕の志士の間で政治も揺れ動いている時代だった。探し当てた「うね」は身重で、日に焼けていたが、話してみるとしっかりした意志が伝わってきた。
志士狩りの追っ手から蔵人夫婦を助け、傷ついた余五六には、自分の行く道が見えた。


「病葉」

父の後添えは多一郎よりわずか三歳年上というだけであった。多一郎はその継母から放蕩に使う金をせびり続けていた。が父が倒れた。
一命を取り留めたが、寝たっきりで、その上、派閥争いに負けて減俸。逼塞させられた。
侘しい古家に移ったが、継母は献身的に父の世話をし、父も少しずつ動けるようになった。
そこに藩主が帰国、父も許され元の家禄に戻った。放蕩仲間が継母を下卑た話の種にした、そのとき多一郎は自分を振り返る。
窮乏した折、継母が薬代を工面したこと、それには暗い事情があった。
多一郎の再生と、介護ということ、それに伴う人と時代のあり方を描いている。


「穴惑い」

三十四年ぶりに本懐をとげ帰宅した上遠野関蔵は、冬眠の遅れたヘビが穴を捜して這っているのを見た。

帰国して見つけた我が家は、身分にそぐわない貧しい家で、妻の喜代は畑の世話をしていたが、お互い長い歳月のあとを残していて、にわかには見分けることが出来ないほどだった。
家を守っていたのは弟の栄之助だった。長い浪々の旅で蓄えた智恵は、薄情な栄之助の本性を見抜いた。
見込んだ甥を養子にして家督を譲ることを決めた。
栄之助は承知しないだろう。関蔵は栄之助の考えは手に取るように読めた。先手を打たなければならない。
家と仇討ちと言う不条理と、先行きのあれこれ、関蔵の生き方に胸がすく。「穴惑い」という題名もいい。


あらすじを書いたが、読めば短編の名手だということがわかる。





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風の話は

2014-04-10 | 山野草





遠い氷の頂から吹いてきた風が言った
「春の音を奏でてみてください」

ぺんぺん草は黙って微笑んだ


また風が言った
「可愛い舞を見せてくれませんか」

姫踊り子草は恥ずかしげに俯いた

凍える冬の国から来た風は
そよそよと吹くことを知らなかった




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「生きる」 乙川優三郎 文藝春秋

2014-04-09 | 読書


主人公が粉骨砕身するような、「生き方教本」ではないだろうかと少し手が出ずにいた。でも聞くところによると、そういう物語を書く人ではないらしい。
図書館でしばし立ち読み。
そして、衝撃を受けた。
短編が三作あって、その二作目「安穏河原」の冒頭。
少し長いが・・・。

 あれはたしか六歳の秋だったから、享保十七年のことになるだろうか。父母に連れられてどこかしら急な岨道を下ると、鮮やかな雑木紅葉の下に川の流れが見えて瀬音が冷たく聞こえてきた。薄暗い斜面から光の中へ出ると、そこは石の河原になっていて、元々そういう地形なのか雨の少ない年だったのか、川は見えるところでは細い流れになっていた。
 それまで歩いてきた道が暗かったので、双枝はその河原へ出た瞬間、夢の中でしか見られない別世界に踏み込んだような気がしたのをおぼえている。澄み切った空に映える照葉がたとえようもなく美しく、一目で目蓋に焼きつく光景だった。紅は漆や櫨で、黄葉は柏や櫟だったかも知れない。ときおり川面に憩う落ち葉が、いま思い出すとそんなふうだったような気がする。


繊細で色彩豊かな風景が、かって見たような、今でも心に奥底の原風景を震わすような美しい始まりだった。
読み進めるうちにそれは、その後の一家の行く末を暗示するような一時の安穏な思い出だったのかと気づく。

 当時、父は郡奉行で、夏が過ぎても日に焼けている顔はそれだけ逞しく見えた。どんなときでも毅然としている人で、躾もきびしかったが、その日だけは嘘のように優しかった印象がある。普段はいつ見ても険しい顔が、たえず口元がほころんでいたからだろう。双枝は晩秋という季節の寂しさも、じきに散ってしまう紅葉の儚さも知らなかったが、父は腹をくくって自身のそういう運命を笑っていたのかも知れなかった。人生の厳しい冬を前にして、父もいっとき輝いたような日だった。事実、それから数日後に父は退身し、一家は国を去ることになったのである。

こうして物語は始まり、いつまでも武家の矜持を持ち続けた父と娘の、その後が哀切極まりない。
窮乏生活を送ることになり、苦界に身を落とさせた父の願いと深い悔恨、娘はそれでも生きようとする。心を打たれる終章に行き着くまで何度か読み返しながら、繊細で暖かい物語を楽しんだ。


「生きる」

それは「生きる」ことではあるが、死ぬべき機会をなくして、「生きねばならなかった」男の物語だった。
庭に咲くアヤメの花で毎年の吉凶をささやかにうらなっているという、さりげない話も美しい。



「早梅記」

下働きの「ききょう」という娘に心を引かれながら、縁あって家に見合う娘と夫婦になった。その後の年月の間には子どもにも恵まれ無事勤めを終えた。
隠居後すぐに逝った妻のことなどを思い、なすこともなくなった無聊や、わずかな孤独も感じていた。

いつもの散歩道のさきに、足軽小屋があった。
婚儀の話が来るとすぐ、そそくさと行き先も告げずに去った「ききょう」はどうしているだろう。風の便りに足軽に嫁いだと聞いたが。




三篇ともに、余韻が残る筆致で、いつの世にも変わらない人の行き方の奥深くにある情感を、見事にえがいた感動作だった。






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「川あかり」 葉室麟 双葉社

2014-04-07 | 読書



「蜩の記」からしばらくたってこの本を見つけた。「読むべし!!」と思って図書館にリクエストしていたら忘れる頃になってやっと順番が来た。

最近口癖になってしまった「べしべし言葉」はドラマ「猫侍」を録画までして見た後遺症だ。
猫は可愛い。猫語も少しわかってきたら余計可愛いヾ(〃^∇^)ノ でも猫には「食べるべしネ」と
優しく言う(^^)

「川あかり」・・・ 陽がおちて、あたりに夕闇が迫る頃になっても川の流れだけが白々と見通されることをいう、
とか。

蛍の出る頃や花火を待つころ、あまり外に出ない時間に見た白い川を思い出した。「川あかり」というのか。
何にでも名前があるが、ただの呼び名の無機質な響きとはちがう、余韻のある言葉を選んだ作者の思いが伝わってくる。

・・・

主人公の七十郎は18歳。藩きっての臆病者だといわれている。

昨今の藩の窮乏は、江戸表にいる家老が大阪商人と癒着し私腹を肥やしているせいだという。
その家老が帰藩することになりその前に「斬るべし」という命がくだって、油断を誘うために七十郎を刺客にということになった。

川の手前まで来ると、雨が続き川止めになる。「雨上がる」のシーンを思い出すところ。
同宿は、貧しい小屋(木賃宿)に逃げ込んだその日暮らしの面々だった。一人ひとりは非常に胡散臭い。

だが何日も降り込められると自然に情も湧き、それぞれの持っている過去や、身分制度に裏打ちされた悲惨な運命の話にも身がいるようになる。
七十郎が上意討ちの刺客だということを知られた時には、みんなは臆病で刀もろくに使えそうも無いこのお人よしがどうなるものかと思う。
ただ誠実にまっすぐな生き方が、小屋の仲間を援けたり、病人のためになけなしの路銀を吐き出したりしているうちに、宿の得体の知れない人々の意識を少しずつ替えていく。
彼は、剣術はからっきし駄目で、指南した父も匙を投げるほどであったが、ある秘儀は伝えられていた。
それを宿の仲間を援けるために使うことはあったが、家老討ちには、体ごと真正面からぶつかって命をかけようと決心していた。

川止めが解け、家老が6人の護衛とともに渡ってくる。
決戦の日、彼は覚悟をして足を踏み出し、仲間が無事を祈って見守っている。

・・・

と、とんとんとテンポ良く話が進み、七十郎の人となりが、降り続く雨のように心に沁みてくる。いつ川止めが解けて彼はどうするのか、想像はむつかしくないが、そこがいい。裏切られない誠実さと、話運びのたくみさ、人物描写のあたたかさが、良質の作品になっている。


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桜が満開

2014-04-06 | 日日是好日



窓を開けてぼんやり遠くの山を見ていた。向いの低い山はまだ枯葉色で見慣れた風景だったが、はじめて見る珍しい白い花の列はどうも桜らしい。ゴルフ場の枯れた芝生の端に10本ほど並んで花の列が出来ていた。よく見ると木は若く、短い枝にやっと遠目に見分けられるほどの花がついたらしい。

二年ほど闘病気分で季節をゆっくり感じることもなかったが、健康を取り戻し一段落してみると、回りは春爛漫、そろそろ長い冬眠から覚める頃かもしれない。

車で通り過ぎる公園や、道の脇にはソメイヨシノが満開で、そのうちガレージの床に花びらが風に乗って来るのも遠くないだろう。


ブログをやすんでいると画像の貼り付けや、編集の仕方にも手間取った。


テレビで旅番組や、ドラマを見ていると、野山の何気ないシーンから春の香が伝わってくる。四季折々にカメラに残してきた山野草の咲く季節が来た。今年は近くの里山を歩いてみよう。

子供のころに咲くのを待ちわびていた山桜の一枚を貼り付けてみた。

http://www.sora-m.jp/cgi/album/album.cgi?mode=detail&no=169




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