まえに「枝垂れ桜」の美しさに気がついた時は(魅せられたともいうかな)夢の中にまで出てきて、近くの公園に何度も見に行った。
気になって仕方がなくてどうも仕様がないことがある。今まではそれが花や読書にかぎられていた。
これが思春期で、気になる異性が目の前にぬっと出て一目ぼれ、などということになるとめでたいことなのだが、残念ながら花や本が相手だとそういうことにはならない。が気持はなんだか似ていなくもないかな。人間相手の「ラブストーリーは突然に♪」ということはないけれど、たまに花にはポっとなる。。なんのお話だったか(´▽`*)
そんなこんなで(なにが?笑)去年からどうも「藤の花」が気になるようだ、という自分の気持に気が付いた。
「藤」は別に珍しい花ではない。子供の頃から見ているし、春は花の下、夏は藤棚の下で一休みして、ペットボトルを出して飲む、そのあたりにはベンチもよく置いてある。
花が気になるということは、近寄って強度の近視かと思われるくらい鼻を摺り寄せて見たくなったということで、その結果、マメ科特有の蝶型の花びらは、何の変哲もない形だと思っていたことを急に改めたくなった。
よくみると上品な紫色が柔らかなグラデーションになり、細長い形もプロポーションのよさを見せている。
この写真の頃はまだ咲きはじめで、房の上の方のものが開いていた、これが次々と下のつぼみが開いて、小さな粒のようなところまで咲ききった後は下にポロンと落ちる。
数が多いので薄ムラサキの絨毯のようになることもある。
古代から好まれた花で、日本的な春から夏の花だといわれている。
初夏の山に行くと、山の上にたなびく霧のように流れ下っている薄紫の色を、見ることがある。蔓を伸ばして木々を覆ってしまったいるようで、木にとっては嬉しくもないだろうが花が終わると色も森に埋もれてしまうのだろう。
立ち枯れした大きな木のテッペンまで登って、まるで木が生き返ったように花をつけているのを見たこともある。
それはあまりよく見慣れた光景で、初夏にはほかに地上で見るべき花が次々咲く季節だ。
今まで特に気にもとめなたったのも分る。
藤には藤(野田藤)というものと山藤があるそうだ、私の記憶はほとんど全てヤマフジが占める。
田舎では庭に藤を植えなくても、藤棚や鉢植えにしなくても、見渡せばどこかに一本くらいは古い大きなヤマフジが咲いている。山道には薄紫の雪のように花びらが積もっているところもある。
藤は遠くから花房の重なりを見るもので、一つひとつの房には小さなベビー帽をかぶったような花が付いているということを、注意して見たことがなかった。
園芸用の改良された品種は房が1Mにもなり、日本建築の寺社の庭に趣を添えているということにも気が付かなかった。
なんて美しい花なのだろう。
近くに寄って花を見て、遠くから霞む花の波も見て、いつか思う存分写してみたいと思う。
そうすれば夢にも幻にも出てこなくなるでしょう。多分。