空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

冷血(下) 高村薫 新潮文庫

2021-12-08 | 読書

 

逮捕、それは巨大な謎の始まりだった。「罪と罰」を根源から問う圧倒的長編(帯より)
 
下巻は逮捕した二人の供述を基にして、犯行を立証できる明確な理由付けを求めるのに、長い時間を費やしている。
「GT-Rを潰されたからスイッチが入ったのか?金が要ったのか」 
…べつに
「なぜATM強盗だったのか?」 
…ユンボを見たから
「車を潰された、危険を感じて逃げた、ユンボを見た、行く先はない予想外の展開だな」
… そんな大層な話ではないっす。訳の分からないことがあると頭が停止するだけで
「襲撃計画は勿論真面目に考えたのだろう、確信があったから仲間まで募集したんだろう?」
… 成功するとかしないとか考えたことはない。一人では無理だから仲間を募っただけで
「あの現場を見て戸田は笑ってしまったって。冗談だと思ったとさ」
… あの歯痛男が?俺もメチャクチャだけど、ついてくる男もメチャクチャだ、いちいち考えないっすよ。考えていたら何もできない。メチャクチャというのはそういう意味っす。

井上の暴行はストレートで中学生並みに雑念がなかった。また激しい気分の上下がありこれは遺伝性の精神障害だった。

戸田はそれを見抜いていたが、新鮮でうらやましいとも感じていたようだ。
町田でマジェスタからハイエースに乗り換えた。
…リベンジしようといったのは戸田っす。
バタフライナイフを忍ばせた戸田に恐怖も感じない井上の、現実から遊離した受け答えに困惑するのみだった。

合田は戸田が精神的にチンピラから殺人強盗犯に乖離した時期はわからない。その論証を極めたい普通人間には、到底理解できない領域で生きている二人に、話を聞いて理解できるものがあるか。考えると合田も困惑を深めた。

「理屈ではない」「分からない」「なんとなく、っす」「それだけっす」

井上に深い考えはなかった。戸田も同じように繰り返される質問には苛立っている。
過去は掘り起こすたびに少しずつ変貌する、実質や真実はどこでどうなっていくのか。変化のない日常でも同様ではないのか。
人間の真実や過去の事実を鮮明に掘り起こすことができるのか。
そういった生き様の奥を、罪というものを通して形に残そうとする、犯人性の認定は困難を極め、警察や検察は浮き上がったような認識しか持たない犯人を前に、死刑にあたる罪を形にしたい。

戸田は考えることをやめた人間だった、二人がなんとなく分かれずに行動を共にしたことも不可解だったが。あるいは心の底の底にかすかに寄り添って居たい物でもあったのだろうか。
戸田の「顎の骨に達して暴れる病」の治療が先行した。癌化も見られ顎半分を削ってしまった顔はもう元の形を留めていなかった。
過去の暮らしや犯罪の痕跡の事実確認よりも、身近な歯痛との戦いに疲弊し、彼は死亡により残忍な殺人を行った罪深い人生から消えていった。

深く考えれば、井上のように生きることはわからないというのが正しいかもしれない。しかし分からないまま人を無惨に殺し、まして穏やかな家庭を壊し、子供たちの命まで奪った。
法律は見えなくても、人間として成長すること、集団の中で生きるのは最低のルールがある。まして遠い過去の命の誕生には手が届かない。科学が進んだSFでもないと未来永劫単独で命を作り出すことはできない。殺すことはできても。
ふたりは最低自分の命だけを守り心の赴くままに生きてきた。教えられることもなく考える必要もなく生きてきた。

宿業の中で苦しみつつ死んだ戸田、常に居場所がなかった井上。彼らの犯した罪はやはり命で贖うことしかなかったのか。
今、人為的に贖わせる以外に方法は見いだせていない。罪と罰に対して人はそれぞれの意見を持つ。

人は人をどこまで裁くことができるのか、命を作り出す崇高な作業を神業というなら生まれた命を人の手で殺していいのか。
生きる辛さ暗さを手探りしながら犯罪の根源を探ろうとする高村さんの作品は人間の犯した罪の重さを、内向きに考えることをしない犯人の許されない罪を裁く困難な部分に踏み込んだ重厚な作品だった。
カポーティの「冷血」は長く残っているノンフィクションだ。だが高村さんが作り出したこの世界もやはり傑作だろう。


黄金を抱いて翔べ
リヴィエラを撃て
地を這う虫
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「冷血(上)」 高村薫 新潮文庫

2021-12-07 | 読書

在り来たりの言い方になるが、ふと袖振り合っただけの二人は犯した殺人の罪の意識も浅く、最後まで心が解け合うこともない。底の底にある孤独だけが二人を引き寄せ、支え合ったような……。

 

本棚を見ると高村さんの本が並んでいて、今年こそ読書の秋に何とか読もう思いつつもう12月。
密度の高い文章から始まり、暫くすると危険な物語の展開がスピード感を増す。そしていつの間にか渦中に引き込まれ、引き摺りそうな緊張感がまとわりつきながら終わりまで続く。

「冷血」の横にトルーマン・カポーティまで寄り添っていたが、まず上下二冊になったフィクションの「冷血」から。合田雄一郎シリーズの5作目にあたるがストーリーに惹かれて順不同で。

刑務所を出てから新聞配達をしている戸田吉生はふと携帯の求人サイトを見て、イノウエからの書き込みを見つけた。≪スタッフ募集。一気ニ稼ゲマス。素人歓迎≫ 試しにメールを返してみた。仕事先ハ、現金輸送車トカデスカ? 返事はすぐに ATMのホウデ、ドウデスカ?ときた。

ふたりのそもそもの始まりはこれで、このメールが戸田のなんとなく現実からの脱出という夢想に引っかかった。想う、これもご愛嬌だと。
そして待ち合わせの池袋の五差路の端に立っている。腐った親知らずがじくじく痛む。歩くと熱の振り子が揺れる。
イノウエのオレンジのニット帽が近づいてきた。トダさん?イノウエです。
ただ出会って名乗り合い、事故ってバタバタして。待ちました?
なんにもない無頓着さで二人はロッテリアで朝食を済ませ、お互いに刑務所経験者だと知る。ATM破壊用のユンボを井上が動かし、逃走用に盗んだトラックを戸田が乗り付けた。しかしATM襲撃は手ごわく失敗。

正直なところ、身体に溜まったエネルギーが解放された感じもなく,振り上げた拳を下ろす先がないような心地のまま、もう一軒やる?隣に声をかけるとトダは薄笑いを浮かべて言いやがったものだ。べつに俺はいいっすけど。さいていっすよね、っと。
ハライセに16号線沿いのコンビニを襲い、井上はチクショウ、チクショウと言い続けていた。

井上克美はまっさらな朝に目が醒めたと思ったら外に止めてあった愛車のGT-Rがぼこぼこに壊されていた。思い当たらないこともない暮らし方。知り合いの解体屋に引き渡し姉のマンションまで送らせて刑務所に入っている義兄のマジェスタに乗り込んだ。そして池袋、だった。
戸田は車を乗り換えましょう。と言い井上も同意、電車に乗って移動。温泉施設の駐車場で白いシルビアを盗んで乗り換えた。

下見した歯科医宅は4人の表札で、なんか面倒くせえなと井上がつぶやく。地味な家だが暮らしは庶民以上だろう。成り行き任せでと、二人は一応納得。
井上が行ったことがあるという道順で歯科医院に向かって戸田はブラブラと歩いて行った。女名前の院長で年末年始の休日の案内が出ていた12月20日~23日。12月28日~29日。1月1日~5日
明日から4日間休み。これはやるには地味すぎると戸田は思いながら通り過ぎた。先にある自宅はまずまずだったが、なぜか運命かなという不穏な思いが湧いた。
戸田は、いいっすか、一軒家はコンビニとは違う。やるんなら、留守を狙う。殺しはやらない、いいっすね?
小鼻を膨らませて、偉そうに、殺シハヤラナイ、だって。無性に可笑しく克美は噴き出した。府中に6年か、半端なせいぜい強盗未満だろう。結構毛だれらけ、猫灰だらけ。
井上は上品な家を見てみるのも悪くないな、いいっすよ OKすよと戸田に言った。
どうも一家は年末ディズニーシーに行くらしい。それで決まり。

戸田の鎮痛剤の量が増え飲んだ後は意識が薄らぐ、井上を待ちながら細菌が顎骨に侵入したらしい残るは激痛か。
もういまではやりたいことがわからない。笑いたいほど何もない。

12月24日 高梨家の向いの主婦がいぶかった、誰も出てこない。子供もいないのか。携帯に返事もない。何かあったのだ。何かあったのだ。何かあったのだ。
警察電話の激しい応酬。
勝手口がこじ開けられ。男女の変死体。異臭がある。
二階から子供の遺体が二体。

合田雄一郎は医療過誤の調べをしていた。電話から歯科医の事件が流れ雄一郎も検分に立ち会うことになった。
一階で男女が倒れ二階では子供二人が熟睡中に布団の上から殴打され死亡していた。
二階の寝室からキャッシュカードが無くなっていた、脅して暗証番号を聞きだしたのか。
それにしても過剰な荒らし方だ。

捜査線上に白のフルエアロの改造した白のシルビアが浮かぶ、目立つ車だ。大雑把な二人組。
足跡をたどると16号線に沿って白いシルビアでコンビの強盗、ATM狙い。

GT-Rか襲われて破壊された後にシーマで解体屋へ、その線だ。その後マジェスタからシルビアと、車から追跡が始まる。
シーマに乗る解体屋から、GTーRの持ち主が井上克美、という名前がわかる。

井上の犯歴と顔写真があかされる。高階歯科医院で女が治療を受け井上が支払いをした記録が見つかる。しかし相棒は。シルビアから戸田の指紋も出る。戸田は二級整備士で、解体屋は連れの男が手際よくナンバープレートを付け替えていたという。
本ボシか。

捜査の輪が絞られ翌3月3日、神戸長田で戸田逮捕。奥歯の激痛に耐えかねて歯科医に走り込んでいた。
また井上も我孫子で逮捕。空に魂が泳ぐような空っぽの表情でスロットマシンの前にいた。

二人の子供っぽい供述から井上は崩壊家族の産物、戸田は教育者の親の期待に沿えない受験戦争の敗者だった。

殺された歯科医一家の穏やかな日常が娘の言葉で語られる。それに比べ非情なまでに自己に無頓着な二人の無慈悲さが高村さんの「冷血」になっている。
逮捕後二人を裁く人と、犯人の罪の意識とは、起訴固めと裁判のいきさつが下巻に続く。

ミステリの範疇を超えたこの物語は、血の通わないような残虐な罪とそれをを裁く側から、突然前途を絶たれ恐怖の瞬間を迎えた家族に対しこれから徐々に罪の深さが明かされていくようだ。
 
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「そばかすの少年」 ジーン・ポーター 鹿田昌美訳 光文社古典新訳文庫

2021-12-05 | 読書

「そばかす」という名前の天涯孤独な少年が、暖かい人々と厳しい自然の中で成長していく物語。
 
小学校の図書室で初めて読んだときは涙が止まらなかった。今でていく物語も感動するだろうか。

調べてみると最初は2015年に河出文庫から出ている。村岡花子さんの訳で竹宮恵子さんが解説を書いている。
今回図書館で借りたのは1964年(昭和39年。昭和39年は東京オリンピックの年だった)
の初版で、読んでみたがちょっと言葉遣いが違う、今年のオリンピックの騒ぎもまだ新しいがあの東京オリンピックからは57年の時が流れた。

なるほど村岡花子さんが初めて紹介した「赤毛のアン」の初版は1952年(昭和27年)はこういう言葉で訳されていたのかなと、ついでに調べてみた。
アンシリーズで書棚に並んでいるのは1979年版10冊(昭和54年版で45刷)セットで買うと12冊、12冊?みんな読んだつもりが10冊しかない。あと2冊は何?とまた虫が騒いで調べてみたら「アンの想い出の日々、上下巻」が増えていた。これは読んでないが戦死した魅力的なウォルターの想い出もあるなら読んでみなくては。

訳の言葉遣いに気を取られて一瞬「そばかす」を忘れていた。
尖がった本を読みかけていて、冷えてしまった思いをあたためようと新訳のKindleアプリを開いた。
図書館の村岡訳はそんな風で読みにくかった。それで光文社の新訳で読み返したが、やはり古典の名作も読みやすい新訳が楽だった。


乳児院に捨てられ、赤毛で顔中にそばかすがありおまけに右手首がない。子供時代どこにも貰い手がなく、ろくに学問も受けられなかった。浮浪者のようななりで、アメリカ南部、リンバロストの森にたどり着いた。木材会社の飯場は活気がありそこの支配人に近づいていった。
痩せてみぼらしい若者は一目で役に立たないと思えた。マックリーン支配人は一言で断ったが、なぜか話だけは聞くことにした。若者は正確できれいな言葉を話し声は澄んで礼儀正しかった。
ただ南に広がる深い森の見回りは到底無理だと思えた。
しかし若者は真剣に頼み込んだ。試しに使ってみよう。御者長夫婦と子供たちが森のそばに住んでいた。そこに下宿させて様子を見ることにした。

若者は「そばかす」という名前しかなかった、名無しでは困る。支配人は尊敬する父の名を与えた。

若者の仕事は一日二回南の作業場までの小道を回って張ってある鉄条網が無事か調べ、極上の材木が盗まれないよう目を光らせなくてはならない。
森は深く沼は淀んで蛇もいる聞きなれない鳥が甲高い声で啼く。始めは一歩ごとに恐怖で体がすくみ上がった。それにも慣れ。様々な鳥の声が聞き分けられ、その可愛らしい姿や巣作りを見、野生の花の可憐な美しさや四季折々に木々が葉を染めて散りまた新芽が芽吹く。冬は残り物を生物に与える、鳥は体のまわりで飛び、頭や肩に止まって餌をねだりノウサギやリスも集まるようになる。
そこで彼の心は豊かにのびのびと育っていった。御者長のダンカン夫妻や子供たちは優しくおおらかで暖かい家庭の仲間に加えられた。支配人のお気に入りになり、あまり使い道のない給料で買った本を読んで森の生物の名前を知り、小屋を花で飾りくつろぐようにもなった。

野鳥を撮って調べるバードレディーや、美しいエンゼルとも知り合った。
そして偶然行方のしれない子供を探している貴族がやってくる。

この読みどころは森は銘木を探している者や会社には宝の山だが、そこに入ってみると自然の息吹は豊かで厳しい中にも美しく、生物たちの世界は自然の流れのままに、鳥は去ってまた訪れ、花は咲き、常に豊かで変わらない。
優しさや厳しさを身をもって感じそれに育てられる「そばかす」の日常が感動的で、心身ともに逞しくまっすぐに育っていく様子が、忘れ物を見つけたような感動的な名作だった。
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