空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「水声」 川上弘美 文藝春秋

2015-06-29 | 読書


家族の物語。
55歳になった都の思い出。
心にはいつも死んだママがいる。
ママが死んでから同居をしないといって出て行ったパパがいる。弟の陵がいる。
パパと呼んでいるが実は叔父で子供の時からママと一緒にいるのでずっとパパと呼んでいる家族だ。
一緒に暮らしている陵は弟で生まれた時を知っている。

ママの心はいつも満たされていて、家族の中心だったが若いのに癌で死んでしまった。

最後のピクニックでママがいった。
「もうすぐあたし、死ぬのね」
「もうそれ,飽きたから、やめて」
「せっかくその気になっているのに」
「その気になってならなくていい」
「こんなにこの家で権力をふるえるのって,初めてのことなんですもの」
「あなたはいつだって、この家の一番だったでしょう」
パパは笑った。ママも私も、陵も。
「ねえ、後悔しちゃだめよ」
「何かを、してもしなくても、後悔はするんじゃない?」
陵がぽつりと言った。
「してもしなくても、後悔しちゃだめなの」
「それって、おなじようなものじゃないの」
「違うの。後悔なんかしないで、ただ生きていればいいの」
死んでいく人間の言うことはよく聞かなきゃ。ママはそう言って、おむすびを口に運んだ。


(意味を考えては、いけない)
(そこから何かがもれていってしまう、あるいは入り込んできてしまうから)
おれたちって、生まれてこのかたずっと、だだっぴろくて白っぽい野に投げ出されているみたいだよね。いつか陵が言ったことがある。
「たとえば荒野のように、雨風そのほかこっちにつきささってくる攻撃的なものから無防備な場所じゃなくて、なんだかぼんやりした抽象的な感じの場所」

この白い野のことを時折思うようになった。
その光景は次第に形を変えてきたが、やはり果てのない野だった。

陵と都が住んでいた家は古くなって取り壊された、今はマンションで隣り合わせに済むようになった。
お互いに訪ねあって暮らしている。

恋人を愛することと陵を愛することは、まったく違うことだった、けれど、その違いをわたしはうまく言葉にできない。誰かに聞かれる機会もないから、言葉にする必要もない。


パパとママの関係も陵と都の関係も世間から見るといびつな家族の形をしている。
その家族はそれでも、好きだといいあったり、同じベッドでねむっている。
しかし都はいつも白く広がっている野の風景を見ている。

陵は会社に行き都はうちでイラストを描く、世間の秩序に沿って暮らしているが、家族という絆とは違った結びつきの中で漂っている日々が、ママも思い出とともにたゆたうような言葉で読者を浮遊させる。

一気に読ませる不思議な魅力は相変わらず川上さんのものだ。



  
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「地獄変」 芥川龍之介 ハルキ文庫

2015-06-23 | 読書


北村さんの《私》シリーズの流れで読んでみました。4編収められている中、「六の宮の姫君」が目当てだったのですが、「舞踏会」は初めてだったものの、他の「地獄変」「藪の中」は何度か読んでいた作品でした。
特に「藪の中」はIpadで無料で読めると言うので喜んで読んでいたら、途中で終わっていました。
もう、消化不良になってしまったようで、探し回って最近読んだばかりでした。

こういう風に、一冊の本から広がり始めると読書熱に歯止めが利かなくなります。
でも、こういう機会でもないと、過去の寝遺作に触れる機会が無いと思います。いいチャンスでした。



「地獄変」
高名な絵師良秀が地獄絵の屏風を描くのだが、思う限りの地獄の有様を書き込んでも得心が行かなかった。眼で見たものしかかけない、牛車を燃やして見せて欲しいと言上する、聞き入れた殿様が目の前で火をつけると中にもだえ苦しむ娘が乗せられていた。呆然としたのもつかの間、良秀は筆を出して筆写して下命の「地獄変」の屏風を完成させた。
下女の視野からの話が生々しい。

「藪の中」
死んでいた男を発見した木こりと、通りかかった旅法師、検非違使、殺された男に同行していた娘の母、の話。
娘はその場から姿を消していた、母は捜して欲しいと哀願する。
捕まった犯人と、それぞれの証言が違っている。それぞれの思惑が交差して面白い。

「六の宮の姫君」
父母が相次いで亡くなり、暮らしに困ってきた。売るものもなくなったころ、乳母が男を見つけてきた。姫はその男に馴染んでいたが男は父親について遠い国に行ってしまった。待っても帰らない、また窮乏の生活に戻ってしまった。羅生門の下で姿かたちも衰えているところに、9年経って男が探しに来た。男は妻も娶っていた。姫は死にぎわに念仏を唱えなさいと言う法師の声も聞こえずうわごとを言いながら死んだ。男がまた訪ねると空に細く嘆きの声がして消えていった。

「舞踏会」
明子は舞踏会でフランス人の海軍将校と踊った。ベランダで花火を見たとき
―― 明子にはなぜかその花火が、ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美しく思われた。
「私は花火のことを考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火のことを」
しばらくして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下ろしながら、教えるような口調でこういった。――

老齢になった明子は鹿鳴館の舞踏会の話をした、名前はジュリアン・ヴィオだといった。それを聞いた青年は「ロティだったのですね、「お菊夫人」をかいたピエール・ロティだったのですね」
「いえあの方の名は、ジュリアン・ヴィオとおっしゃる方です」

これがなぜと思ったがあとがきで、老齢になった夫人の突き放し方が、時間の経過を一足飛びに書いたことによって知れるそうだが、ちょっと解らないところがあった。高名な作家になった将校を知らなかったと言うだけだと読めたが。ただロティとの花火の会話が芥川の人生観の一端だとしたら、少し理解できるように思う。





しかし芥川龍之介という、まだそう遠くない過去に、生きることに様々に迷いながら書いた名作を、肉声のように読むことが出来るのは、恐ろしい気もしました。こうして過去の名作の余韻を感じると、もっとそういう中に引き込まれて迷い込みそうで、周りに積んでいる、様々のエンタメに戻らなくては、と何か夢から醒める思いでした。


  
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「猫鳴り」 沼田まほかる 双葉文庫

2015-06-22 | 読書


沼田さんは、猫がゴロゴロと喉を鳴らす音を「猫鳴り」と書いている。

迷い猫「モン」と暮らした日々を三部に分けている。
いつも胸の奥深くにある、確かに一人の分身と思える自分の心、それを暗く厳しく、日常生活の中で見つめる作者の目はここでも健在だ。
その中に沈んでいる、生きていく日々の悲しみややるせなさ、孤独感が重くにじんでいる作品が、薄い本の中で充実している。
特に三部の「モン」との別れは、胸を締め付けられて涙が流れる。
沼田さんの作品を読むと、生きることにまっすぐに向かう強さと、書いているテーマの重さに読むのが苦しくなることがあるが、情に流されない乾いた筆致がこの作品では、時に揺れる。
「モン」に託した視線の暖かさや人の優しさに胸を打たれる。
長くなりそうな、「モン」の一生に付き合う話を、三部に分けた書き方も、語り巧者だと思う。


第一部
泥だらけで迷い込んできた手に中に納まるような小さな猫が、疎ましくて信枝は新聞紙にくるんで捨てた。だがなぜかよろよろと帰ってきた。今度は少しはなれた林に捨てた、だがまた帰ってきた。また捨てた、猫は林の中にずんずん入っていった。
信枝はやっと出来たわが子が流れて8ヶ月、何もいわないが夫の藤治も仔猫のことが心配げだった。
玄関を開けると女の子が立っていて猫を置いていったという、有山アヤメという子は猫を捨てたと知ると、林に向かって走っていった。藤治と信枝が追いかけていくが猫は見つかったが女の子は姿を消していた。
猫と藤治と信枝、猫の様子を見に来て居間に上がりこんで、肉じゃがを食べていくアヤメ、藤治の仕事仲間で将棋を指しにくる弟分の暮らしが始まった。「モン」は飼い安い猫だった

第二部
世間を憎み、母子家庭で父親にも構われなく育ち、不登校になった中学生が、公園で幼児を刺そうとして偶然に未遂に終わる。
顔見知りになったアヤメと他を威圧するほどたくましく成長した「モン」との付き合い。
幼児の母親に通報され警察の呼び出された時、親の心に触れ、初めて親しい感情を持つ。

第三部
信枝も亡くなり、アヤメも結婚して遠くに行った。老猫になった「モン」と暮らしている藤治。
「モン」は動きが少しずつ緩慢になり、食も細くなってきた。医者に見せると腎機能が病んでいると言う。手当ての方法が無く、食を補う注射をして、口に塗るペースト状の食材をくれる。「モン」は嫌がったが口に塗ると少し食べた。二階の信枝のベッドの下から出てこなくなり、名前を呼ぶと返事をして尻尾をパタパタと床に打ち付けた。
それも次第に弱しくなっていった。子供の頃から毛をすくと喜ぶので綺麗にすいてやり掃除機で吸い取るとそれも気持ちよさそうにしている。好きなところをなでてやるとゴロゴロと体全体が震えるほどの猫鳴りが聞こえる。
果物籠を見つけて入れてみると大きなからだが丁度収まった。ブランコのように揺すると嬉しそうな金色の目でジッと見つめてくる。だが籠がだんだん軽くなった。ベッドから出てくることも無くなって、綺麗好きの「モン」の毛が尿でぬれているようになった。からだをずらして拭いてやる。
美しい金色に輝いていた毛並みが汚れている、拭いてやると嬉しそうに顔を見た。だが何も食べなくなって皮膚が腹の下に滑り落ち、顔もとがってきた。

夜中の二時頃に、ベッドの下をのぞき込むと、奇妙な無表情さが猫の全身を覆っていた。呼吸もあやふやであるような気がした。
「モン」
名を呼んだ。
猫は半分はもうモノになりかけていた。それでも、尾がはっきりと応えた。床をうつてハタハタと優しい音を立てた。
もう一度呼び、もう一度応えた。

見事な別れを果たしきった猫を、やんやと褒めそやしてやりたい。その想いをありったけ指先に込めて、見開かれたままの琥珀色の眼も最後にそっと閉じてやった。



  
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「痺れる」 沼田まほかる 光文社文庫

2015-06-19 | 読書



沼田まほかるさんは三作目。傑作「ユリゴコロ」の作風がぴったり来ていた。

次に勢い込んで読んだ「9月が永遠に続けば」はその暗さに圧倒された、楽には生きられないにしても、自分で招いた不幸までも何か運命のように襲ってきて、その上不意の事故、おぞましい性癖、忌みごと、怖くやり切れなない思いでもう読むのは止めようかと思った。

ところがそんな毒に染まったのか、この本をふと手に取り、チラッと読んで、また取り込まれた。「悪は伝染する」とか「毒はじわじわ伝わる」とかあり来たりの言葉を、言い訳めいて思い出だしながら読んだのだが、面白いシーンは短く終わってしまった。私は迂闊にも短編集だと気がつかなかった。

これならいけると思った。そして読み進んで驚き、心から詫びた。沼田さんの作品は奇をてらうのではなく、ことさら暗さを呼び寄せるのではなく、常ならざる影がある。それが人生の底辺を流れている、それが生きること、そういう意志がみえてきた。それを作品にする力を持つ人なのだ。

三作目にして少し解った、と、このくらい書きたくなるほど、良く出来た短編集だった。ホラー、ミステリ、サスペンス、形は違ってもこれから読む沼田本はどんな毒でも素直に染まってみよう、それほどインパクトのある、様々なスタイルを持つ作品集だった。

こういう特異な作家は読者を選ぶかもしれない。でもそれぞれの短い話は絶品で、多少猟奇的でハードさが、いつか気持ちよくなる、そんな気持ちを共有してみたいと思うことでもあれば、強くお勧めする。

《林檎曼荼羅》
これがいい。認知症で独り暮らしの老女が、探し物をするので棚のものを出していく。それにつれて様々な思いが去来する。ユリゴコロに通じるような日常にある違和感、それが認知症の頭で歪んで見える、過去と現実がだぶる、探し物に紛れて秘めた過去が出てくる、じわっと恐ろしい。

《レイピスト》
不倫女性がレイプに会う、その結果は、という並でない話。

《ヤモリ》
これも面白い、最後であっという、もしかしてと言う感じがじわじわと。

《沼毛虫》
これも日常が普通に進んでいく家庭なのだが。曽祖母の話を聞く曾孫刃考える。あらわになる出来事が、それまで日常に生まれて過ぎてきた、不思議さが巧い。これが沼田さんの持ち味かな。

《テンガロンハット》
女の独り暮らしの話。古い家を修理してくれる庭師が器用で、おそろしい。ちょっと悲しいかも。

《TAKO》
いやぁ、参った。映画館の暗い観客席に少し秘密がある。最後の一行で名作になる。

《普通じゃない》
そう、コロンボって変なおじさんで、”どう見ても性格異常者だ”と思い私なら、彼の上を行く完全犯罪が出来る。どじなどしない。そして綿密に計画を練る。じこうしたが、最後のシーンが眩しい(笑)

《クモキリソウ》
この目立たない花がマニアックでいいのです。毎年、門の脇においてくれる人がいる、ミステリかな、ちょっと違う、優しい出来事。

《エトワール》
吉澤と不倫関係にある、吉澤は年上の妻も愛しているらしい。葛藤と嫉妬がわく。異常な感情に傾いていく。あぁ巧いな、きっとやられます。しまった。



300ページちょっと、すぐに読める、面白くて読み始めると勢いがついて止まらない、そんな短編集だ。
池上冬樹さんの解説にまで激しく同意。
 
 
 


 
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「風の陰陽師 ねむり姫 二」 三田村信行 ポプラ社

2015-06-19 | 読書



都の夜に不吉な兆しが現れ、次々に人を襲うようになった。闇の孕み子は道満に操られ人を遅い、黒主の妖術で都の夜は悪の跳梁する闇に包まれた。
気配を感じると清明は赤眉とともに退治に出て行ったが、闇はますばかりだった。

清明は中納言邸に結界を張って咲耶子を守ってきたが盗賊袴垂保輔は、咲耶子を隠れ家から連れ去ってしまう。

咲耶子は五条堀川に連れ去られていた。黒主と道満は 咲耶子が帝の后になるのを妨害する。加茂忠平が娘を宮中に入れたいと思っていた。二人はそれに加担し、咲耶子が永久に眠ってしまう術をかけた。

清明は祖父が亡くなり、都を留守にしていた。帰ってみると咲耶子は中納言の別荘で眠り続けていた。
清明は咲耶子のそばで祈っていた。そこに師の智徳が来て清明は咲耶子の夢の中に送り込んでもらった。
そこは夢魔の世界だった。出合った二人は大ムカデの秋津と戦って、目が覚めた。

現れた闇の嫗を智徳が追い払った。都は再び明るさを取り戻した。

咲耶子は帝の后になるために宮中に入った。清明の初恋が終わった。

母の葛の葉は祖父の後をついで棟梁になった玄馬と結婚した。





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「深紅」 野沢尚 講談社文庫

2015-06-18 | 読書

第22回吉川英治文学新人賞受賞



江戸川乱歩賞の「破線のマリス」は面白かった。その後も評判のいい本があったので買ってきて積んでいたが、この「深紅」がミステリを語る中で何度も目に入ったので読んでみた。衝撃的な出だしからすっかり夢中になって時間を忘れて最後まで読んでしまった。
目次は第一章から第五章まである。

まず第一章
事件が起きたとき修学旅行で信州の高原にいた小学校六年生の秋葉奏子(かなこ)の話。
旧友たちとふざけながら寝る用意をしていた時、緊張した気配で担任が部屋に入ってきて、すぐ自宅に帰れと言った。よくない予感がしたが、付き添われて高速道路を使って帰ってきた。行き先が監察医務院だと言う。不安は的中して、霊安室で両親と二人の弟に対面した。頭があるところがへこみ白布の上からでもいびつな形をしていた。家族思いで仕事も順調に成長し、新しい家も買った優しい父。ハミングしながら台所で働いていた母、可愛い年子の弟たち。呆然としている間に父方の叔母がきて、滞りなく葬儀が終わった。一人生き残った奏子に事件の話はひた隠しにされたが、テレビや週刊誌で自然に目に入ってきた。頭を金槌で殴られて倒れていった両親、可愛い幼い弟たち、床に広がった深紅、どんなに痛く苦しかっただろう。世間は一家に同情して、生き残った奏子に優しかった。事件現場で茫然自失の様子で座り込んでいた犯人はその場で逮捕された。人でなしの犯人は死刑にしろ。という。

第二章
犯人都築則夫の上申書が一回目の公判前に裁判長に提出された。

秋葉則夫は家庭が崩壊した農家の生まれで、高校卒業後教材会社に就職、関東以北の土地を営業で回っていた。知り合った学校職員の千代子と結婚し娘・未歩が生まれた。その頃は営業一課の係長になっていた、幸せだった。
その頃、秋葉由紀彦と知り合った。由紀彦の会社から機器を仕入れ、自社製品とセットにして売った。その利益の1%を秋葉の会社の口座に振り込んでいた。秋葉は取引先の要人という立場をとり目上の付き合いだった。
秋葉の実家は開業医だったが、能力がなくその劣等感をバネにしてきたが、成功して独立するのでよろしくといった。もちろん否といえる立場ではなかった。
その頃体が弱かった妻が死んで保険金が入った。8千万という金は今まで家を買い未歩の学資にと切り詰めてきた夫婦の気持ちが無念さだった。
世話になった秋葉は葬式の時にそっと涙をためて妻を見送ってくれた。それにほだされて、秋葉の父が予備校を開設するという、その資金の保証人を引き受けた。秋葉と連帯保証人ということだったが蓋を開けるとあ秋葉の名前が無く、全て自分の借金になっていた。取立て屋が来る頃は一千万円が二千五百万に膨れ上がっていた。それを貯金から返済した。秋葉はのらりくらりと言葉を濁し、ついに詐欺だったことがわかったのだが、秋葉の会社に依存して業績を伸ばした手前、会社の命運もかかっていた。バックマージンを2%に上げて分割で返していくと秋葉は言った。謹厳実直な性格はそれを許すことが出来ず、犯行に及んでしまった。夫婦を殺したことは覚えているが子供のことはショック状態で何も覚えていないと言う。心神耗弱か喪失常態か、裁判は子供殺しの点で紛糾した。上申書が公表されると、世間の風向きが変わってきた、だが一審の判決は死刑だった。
都築は控訴した。死刑は覚悟している罪は認めて償うといっていたが。


第三章から最終章まで
怒涛のようなショッキングな進行で読み進んだ後、ここからは8年後。奏子も未歩も二十歳を前にしている。
奏子が太めにした雑誌にッルポが乗っていた、以前取材に来た貴社の名前入りの記事だった。犯人の娘のその後が書いていった。
奏子は同じ年に生まれたその娘に合いたいと思う。立場は違っても辛い生き方は牡マジだろう、しかし自分は未歩の父のために取り返しの出来ない人生を歩む破目になっている。何とか未歩に合った自分の立場を知らせたい、娘に対して出来るなら復讐をしたい。

記者から無理に聞きだした未歩のアルバイト先に訪ねていき名前を隠して近づいていく。


あとがきは、吉川英治賞の選考委員の高橋克彦書いている。二章までの怒涛の展開、緊張感、重いテーマに絡ませる子供たちの立場、犯人の立場。稀に見る凄惨な現場を作り出した男。それを群を抜く作品として自信を持って認めた。奇跡的傑作だとある、亡き野沢さんへのオマージュの言葉と読めた。


読んでいてぞっとするほどの恐ろしい感じがある心理的に視覚的に。残された子供たち、世間の感心の深さ、マスコミの執拗さなど息が抜けない。
都築の控訴の根拠が読者に迷路を歩ませる。

三章から子供たちの話に移ると、日常生活の描写が幾分ゆるく感じられる。一、二章の流れで、読者の意識下に残虐なシーンが残っていてこそ、奏子に感情移入が出来るが、立場を変えると未歩の過去も悲惨である。
どう生きて来たか、これからどう生きるか、二人が生身でぶつかったとき、話の幕が閉じる。



44歳で亡くなった野沢さんは、多方面で心に残る作品を残している、創作でありながら孤独で悲しいこんなミステリはまだ読み足り無い。
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「まほろ駅前多田便利軒」 三浦しをん 文春文庫

2015-06-18 | 読書


135回直木賞受賞作


便利屋を営む多田啓介とそこに転がり込んだ仰天春彦と町の人々との繋がりの話。

高校時代の同級生、仰天春彦は三年間無口で過ごすようなちょっと変わった奴だったが、彼の小指の怪我に責任があると思う多田は、たまたま出合った、行く先がないという仰天と同居することになる。

草引きや池の掃除、引越しの手伝い、便利屋にはいろいろな仕事の依頼がある。
犬を預かったが、飼い主が期日になっても一向に引き取りにこない。仕方なく探して引越し先に届けにいってみると、その犬を可愛がっていた女の子は、今度の狭いアパートでは飼えないと言う。そこで仕方なく連れ帰った犬を預けようと、心から可愛がってくれそうな飼い主を探す。

まほろ駅裏はちょっと怪しげな人たちが住んでいる区域になっていた、ヤクザのヒモから逃げたい女だったが、話してみると気持ちの優しいところがあって、犬を渡してももいいと二人は思う。暫くしていって見ると、リボンをつけてもらったりして可愛がられていた。

小学生の塾の迎えをして、孤独な小生意気な男の子と少し心が通いだす。

そんな仕事のエピソードもあって、バツイチの二人組みの便利屋商売が、何とか回っていく。
子供や家庭をもったこともある二人には、今はかっての生活からも距離を置いているが、それぞれのの事情があった。
無口で変人に見える仰天と多田は、何とか巧く暮らしていけるようになる。
ソファに寝そべり犬を腹に乗せて眠る仰天の姿も見慣れてくるし、彼もなぜかいつも仕事場についてきて、気乗りしない風だったがそれでも手伝っている。

三浦しをんさんのこなれた読みやすい文章と、過去がある中年に差し掛かった二人の男の結びつきが、徐々に深まるところが暖かい。

多田は家族と別れた過去があり、仰天は不幸な子供時代がある。そんな二人をいつか包んでいるような少し筒仰天の気持ちもわかってくるような日々。
粗末な便利屋の事務所や、仕事から繋がりが出来ていく町の人たち、読んでいるとそういった世界に紛れ込んでしまう。
久し振りに読んだ三浦しをんさんの新しい顔を発見。


映画化されて多田啓介に瑛太 仰天春彦に松田龍平
二人並んだカバーがかかっているので、読み始からこの二人のイメージが定着していたが、違和感はなかった。
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「六の宮の姫君」 北村薫 創元推理文庫

2015-06-10 | 読書

この「私」シリーズでは推理作家協会賞を受けた「夜の蝉」の評判がいい。姉妹の心のふれあいが感動的だし《私》の周りの人たちも生き生きと魅力的だ。
それでもこの「六の宮の姫君」が一押しだと感じた。多分読み方の姿勢がちょっと変わってきたからだろう。

《私》は出版社でアルバイトを始めていて、4年生になって「芥川」についての卒論に本腰を入れ始めた。
切っ掛けは、芥川が「あれは玉突きだね。……いや、キャッチボールだ」と芥川は言ったという。
素材になった「今昔物語」を読んで今風のその言葉は謎だった。
《私》はそれが気になった。その疑問を解くため円紫師匠に相談し、全集を出すことになった現在の文壇の長老と知り合い話を聞く、そして古書店で評論や、芥川の周辺に人物の生活を知り芥川の日常を推理する。芥川が「六の宮の姫君」を書く切っ掛けを探す。

《私》のこのあたりの話は、実際に北村さんが書こうとした卒論の体験だそうだ。だから当時のそうそうたる文豪の作品や交流について詳しい。関係のある作品についても語っている。

特に「往生絵巻」が興味深い、悪事を尽くした五位の入道が、阿弥陀様を慕って「阿弥陀仏をや おおい、おおい」と叫びながら西に進み、ついに松の枯れ枝の上で死ね」それを芥川が書き、死人の口に白蓮華が咲いたとした、それを正宗白鳥はありえないという感想を書いた。それに芥川は手紙を書いたが、白鳥は譲らなかった。
《私》は芥川は遊びだったかもしれないが白蓮華が咲くと信じたい人だったと思う、がその小説についての吉田精一、宮本顕治の意見を紹介している部分は読みごたえがある。
「姫君」については、芥川が「私の英雄」と慕っていた菊池寛が「首縊り上人」を書いた。菊池は手を切られても足を切られても生に固執する三浦右衛門の最後をかいた。それが人というものだと。
芥川のは自分が創造した五位の入道の最後を菊池は、心のうちの美しいものを足蹴にしたと思った。そして「六の宮の姫君」を書いた。狂った姫は死にぎわに仏の名を呼ぶことさえ出来なかったという話だった。「上人」の話は芥川の表の顔「姫君」は裏の顔だった。
そして菊池と芥川は次第に疎遠になっていった。
菊池寛についても、文藝春秋創設当時から直木三十五とのつながりで、芥川賞、直木賞を作ろうと菊池寛が言うところもある。
今、文豪と呼ばれる 谷崎、川端、佐藤春夫、萩原朔太郎、」山本有三、志賀直哉などなど。多くの人たちが芥川とかかわり、死後も当時の様子を書き残している。《私》の調べる道筋に同行して推理するのは面白かった。

小説や評伝など参考資料にしたとある書名だけでも、読み甲斐があったと思う。
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[冷凍うどんで毎日食べたいレシピ」 主婦の友社

2015-06-09 | 読書

  

今日は、私のことを良く知っていてブログを覗いてくださる皆様方にご報告、ブログを読んでくださっている方にも。うどん好きのこんな人なのです。

昨日循環器の定期点検(?)だったのですが、今日は負荷心筋シンチ検査を受けてきました。体力も元通りになったところで、血管の若さも調べてもらえと言う指示でした。前に風邪を引いて山に登り心房細動を引き起こしたので、時々検査を受けるのですが。自転車(エルゴメータ)こぎこぎも軽くこなした後、時間はかかりましたが、横になると眠くなった寝ているうちに終わりました。なのでお知り合いの皆様、メールも元気です(笑)
これは前置きです。


朝は絶食だったので、ちょっと一段落した後、検査の空きが長いので、何か食べてきてくださいというので、中のコンビにをぶらぶらしていて、食べ物より前にこれを見つけました。
実においしそうです!!
朝はパン、お昼は好物の麺料理いろいろ、なので出来るだけ工夫しておいしく食べているのですが、目新しいものはなくて、でもこれはちょっと思いつかない組み合わせもあって手軽に作れて、それはおいしそう。

第1章  夏うどん
第2章  パスタ風うどん
第3章  カレーうどん
第4章  ひとり鍋うどん
第5章  ほっこりうどん

パソコンのレシピだけでなく、暫くは繰り返し作って食べよう。


このレシピはスーパーでおなじみ「讃岐冷凍うどん」を使っているのですが40周年を記念して発刊されています。
お世話になっているので、お祝いを言いま~す。
三年ほど前に 讃岐にうどんのはしごをしに行きました。本うどんはおいしかったです。
まぁ 大阪の「きつねうどん」も負けていませんが(^∇^)

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「夏目漱石 読んじゃえば?」 奥泉光 河出書房新社

2015-06-07 | 読書

 



よく見ると、これは14歳の世渡り術シリーズの一冊で、《知ることは生き延びること。未来が見えない今だから「考える力」を鍛えたい、行く手をてらす書き下ろしシリーズ》だと書いてある。その上 中学生以上大人まで。
よし、もう折り返し点は過ぎた大人だが読んでみよう。

奥村さんの書き下ろしというので喜んで開いてみた。漱石好き、漱石狂かなというくらい読み込んだそうで、そうでなくても言葉が豊かで少し距離がある視野から書いている、面白い小説を読んできた。残りもそのうちと思って積んである。漱石がそんなに面白いなら読み方を習おう。
漱石の面倒な読み方ではなく、小説の世界はどう楽しむのか、それは文章を楽しむこと、飛ばし読みでもいい、小説を面白くするのは自分自身だからという、繰り返し読むことなども勧めた肩のこらない案内書で、なんとなく知っていた漱石の世界が親しく見え始める。奥村さんの読み方を習って、漱石本と併読していきたくなった。

はじめに に続く目次

第1章  「我輩は猫である」 小説は全部読まなくてもいいのである
漱石作品の中でもとくに細部が面白い

第2章  「草枕」 小説はアートだと思うといいよ
漱石がこんな風に語っている
私の「草枕」は、この世間普通に言う小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯だ一種の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさえすればいよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロットもなければ、事件の発展もない。

第3章  「夢十夜」 「夢十一夜」を書いてみよう
もし夢の話が面白いとすれば、それはセンスのよさのなせる業。
百の「冥途」はまさに夢の話。「ただなんとなく」とか「ぼんやりして解らない」とか「はっきりしない」とかいうフレーズがたくさん出てきて、夢の中特有の辻褄の合わない感じを表現しているのがおもしろい。百h漱石とはまた違った形で夢の世界を描いている。

第4章  「坊ちゃん」 先入観を捨てて読んでみたら
威勢がいいのは「坊ちゃんではなくて文体にある。坊ちゃんはちょっとコミュ障で神経質。そして孤独。
「孤独」というのは漱石の小説全体のテーマだ。

第5章  「三四郎」 脇役に注意するといいかも
美禰子は都会派で三四郎は田舎出。そのギャップを読む。「迷える羊(ストレイシープ)という言葉は、解ったようでもある。また解らないようでもある。解る解らないはこの言葉に意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である」

第6章  ”短編集” 作者の実験精神を探ってみよう

第7章  「こころ」 傑作だなんて思わなくてもいい
自分自身を苦しめ自縄自縛に陥っていく先生の姿がとても残酷にあがかれている

第8章  「思い出す事など」 「物語」を脇に置こう

第9章  「それから」 イメージと戯れよう

第10章 「明暗」小説は未完でもいいのだ
明暗には未完であることを越えた、小説としての高い完成度がある。  

コラム1 漱石とお菓子 ―― 漱石はだいの甘党だった!?
コラム2 漱石と動物 ―― 漱石は犬派だった!?
 
 
 
 
 
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「シェパード」 フレデリック・フォーサイス 角川書店

2015-06-06 | 読書

フォーサイスは70年代に、大作3篇をもって世界で認められた。遅れて読んだけれど小説の世界にはまり込んでしまった。ところが小説の舞台を再現するかのようにクーデターを計画し失敗した。用意した武器が港で発見されたのだ。 彼はアフリカの大地から断筆宣言をして、ヘリでどこかに飛び去ったというニュースを何かで読んだ。 当時もうこれで終わりかと思っていたが、偶然文庫になっていた「シェパード」を見つけた。思いがけず薄い本で、読んで震えた。 今でこそ航空機が鳥のアタックで落ちたり、エンジントラブルでハドソン川に不時着する原因も、思いがけず知ることが出来るようになった。でも少し前まではボイスレコーダーというものも知らされず、空を飛ぶことは少し恐ろしかった。 これは、フォーサイスの体験も交えて、戦闘機がであった不思議な体験が、生々しく活写されその面白さは今でも忘れられない。 断筆宣言のはずが、暫くして又本屋で見かけるようになった。読んでみようと思って買ってきたが、ちょっと熱が冷めたのか本棚で眠っている。 さてこの「シェパード」なぜそんなに面白かったのか、再読してみた。 1957年12月のクリスマスイブ、ドイツにある英国空軍基地から戦闘機ヴァンパイアが飛び立った。その日最後の一機で、すぐに管制塔の灯が消えて、イブの騒ぎが湧き上がってきた。 操縦士の私はイギリスの故郷に帰るところで、風防は外気の冷たさを写していたが温まった単座の上でぬくぬくと出発した。 だが十分ほどたったころ突然計器が止まり無線も通じなくなった。 コンパスも回転したままで、進路も見失ってしまった。速度計と高度計だけがかろうじて生き残っていた。 飛びなれた目で見ても、夜の目印はぼんやり見える灯火だけで、それもきりに閉ざされてしまった。ライフジャケットをつけて降下したとしても北海の冷たさで忽ち凍りついてしまうだろう。 どこかの管制塔のレーダーにひっかることを念じるしかない。だが、イブの管制塔は、お祭り騒ぎの中だろう、落ち着いた管制官に発見される希望は薄い。 決められた措置として、変則の飛行行動をとる、そうすれば早期警戒システムのレーダーが捕捉してくれる。曹長の教育を思い出した。 二分間隔で大きな三角形を描く。レーダーは捉えてくれるだろうか、救援機(シェパード)は間に合うのだろうか。燃料は? 初めて神に祈った。 死を覚悟して絶叫した。まだ心残りがある。悲しかった。 左翼を月に向かって沈めた時、何かの影が横切ったような気がした。月は反対側にあって乗機の影ではない。 旋廻を続けながら高度を下げスピードを落としシェパードの左翼に並んだ。操縦士の影がはっきり見えた。 シェパードは大戦で活躍した戦闘爆撃機モスキートだった。現役最後のモスキートは二つのプロペラを持ちスマートな形で一世を風靡した。 飛行帽につつまれ風防メガネの二つの玉が光っていた。腕と指で出す合図が見えた。私は燃料が後5分でなくなると返事をした。 レーダー室からの指示が彼には届いているのだろう。私は水平飛行から降下していった。だがどこにも滑走路の灯火が見えなかった。 だが自信を持って誘導するシェパードについていった。突然ぼんやりと並ぶ燈が見えて滑走路が確認できた。どこの基地だろう。 着陸を確かめて、シェパードは飛び去っていった。 太った管制官が走ってきた、人気のない基地は廃屋になっていて、残っていた老人がかすかな音を聞いて灯火をつけたのだと言う。 私はついていた、ついていたんだ。 老人に案内されて、閑散としたした元兵舎の跡で泊まることになった。

老人は思い出話をする。

この部屋はモスキート乗りの部屋だった。愛機に乗って戦いに出たんだ。そして傷ついた戦闘機を誘導してつれて帰ったんだ。 やはりついていた、プロのシェパードが救援に来てくれたのだ。 その頃の話は続いた……。 三編の話が載っている ブラックレター 殺人完了 シェパード どれも捻りがあり、予想外のオチが効いている。長編もいいがそれに劣らない出来だった。 思い出した。「シェパード」の飛び切りの落ちは、クリスマスイブによ出された奇妙な味付けの御馳走だった。
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「秋の花」 北村薫 創元推理文庫

2015-06-05 | 読書


シリーズ三作目で初めての長編、最大の謎を残して死ぬ人がでる。ミステリらしいミステリになっている。

「私」は大学の三年になった。御馴染み正ちゃんが中性的な魅力で賑わしてくれる。

「フロベールの鸚鵡」という本が出ましてね、その中に「紋切り型辞典」のパロディが入っています」
「おやおや」
「その紋切り型を引用するのは俗物の証明みたいなものだけど、ルイ・ブリエというフロベールの友達は胸のない子にこういったそうよ。《心のすぐそばまで近寄ることができていいじゃないか》」
「そいつ、人がいいか、もの凄く嫌な奴かどっちかだね」

《えぐれ》と私に言っておいて正ちゃんはあっさりと片付ける。


近所に中のよい二人組みがいた。私は小さいときから知っていて、今では後輩に成長した。落語の「お神酒徳利」のようにいつも一緒でニコニコして入学の挨拶に来てくれた。津田真理子と和泉利恵。
百舌の声がするようになった頃、利恵の蹌踉とした、魂が抜けたような姿を見る。
夏休み前、恒例の大イベントだった文化祭の行事が中止になった、生徒会が主催する行事にこの二人も参加していたのだ。私も生徒会でその慌しさを経験していた。
だが、津田麻里子が屋上から転落して死亡。文化祭は取りやめになった。
そのショックからか利恵は不登校になり自分の中に閉じこもってしまった。

利恵は幼い頃、秋海棠が咲く麻里子の家の垣根のところまで三輪車できて呼びかけて友達になった。揃って高校生になったとき、二人の軌跡は断ち切れてしまった、利恵の喪失感は絶望に届くほど深い。


ポストに教科書のコピーが投げ込まれた。麻里子の棺に入れたはずの教科書だった。

私は円紫師匠の智恵を借りて謎を解いて利恵を救いたいと思う。

犯人は誰か、どうして真理子は落ちたのか。


私は思う

「アヌイ名作集」のアンティゴーヌも「ひばり」の乙女ジャンヌも大人になる前にその生を終える。おれでは生きながらえた時、少女の純粋はどうなるのか。しょせん、純粋は現実のあやうい影に過ぎないのか

私の誕生以前に生まれた人の生は、見えようのない部分があるだけに無限に過去に広がっているように思える、しかし津田さんにはそれがない私は生の有限を突然目の前に提示され、それに戸惑ったのだ


卒論も運命のように《芥川》と口に出す頃になった。作家論は誰を論じても自分を語ることだと言う意識がある。
円紫さんに悩みと疑問をぶつけてみる。

「ずっとこちらですか」ふと円紫さんがいった。
人は生まれるところを選ぶことは出来ない。どのような人間として生まれるかも選べない。気が付いたときには否応なしに存在する《自分》というものを育てるのはあるときからは自分自身であろう。それは大きな不安な仕事である。だからこそこの世に仮に一時でも、自分を背景ぐるみ全肯定してくれる人がいるかもしれない、という想像は、泉を見るような安らぎを与えてくれる。それは円紫さんから若い私への贈り物だろう。
 ここは、未来を絶たれた、私よりもさらに若い子の町でもある。


珍しいことに扉に秋海棠の写真がある。文中の二人の少女が出逢った垣根の根元に咲いていた花である。淡いピンクの瑞々しい花で、薄紅色の細い茎が枝分かれして小さな花が下がり気味に咲く。昨年9月に三千院に満開の秋海棠を見に行った、私もなくなった友を偲ぶ花なので秋の初めになると落ち着かない。
木陰や水辺を好み、ぎゅっと握り締めると 掌の中で水になって流れ出てしまいそうな花だが、文中では人を思って泣く涙が落ちてそこから生えた花だと書いている。
北村さんは花の名前にも詳しい。

この物語は、二人の少女に関わった私の後日談だが、二人の子供を持った母親の話でもある。悲嘆にくれながらも残った少女をいたわる、娘を亡くした母親の心を象徴する花でもある。


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「夜の蝉」 北村薫 創元推理文庫

2015-06-03 | 読書

第44回日本推理作家協会賞受賞(連作短編賞)




さて北村さんの第二巻「夜の蝉」、日本推理作家協会賞も肯首できる出来上がりだった。読み取ったテーマは「愛」かな、一巻と同じく特に変わりない暮らしの中からの不思議を解決してくれる、円紫さん。三人の友達に加え、お姉さんが出てくる。

朧夜の底
「私」は二年生になった。フランス語で挫折した江美ちゃんと一緒に、正ちゃんのサークル「吟」の発表会に来ている。「吟」は漢詩、和歌、俳句を朗々と吟じる、集まりである。

「観たいか」
もともと言葉遣いの乱暴な正ちゃんだが、これは照れているのである。
「見たい、見たい、顔がみたい」
「こいつめ」 という次第。

サークルが終わって、重いパイプイスを運ぶあんどーさんがカッコイイとひらめいた、探していた露文の小説を持っていた、待ち合わせて借りたら、返すときに「無気力と憂鬱、グロテスクとエロチィシズム」とい歌い文句に血の気が引くほど恥ずかしかった。その上アンドーさんは餡ドーナツ好きから来たニックネームだった。

不思議は正ちゃんが誕生日や血液型を教えない。その理由を円紫んはすらすらと解いてくれた。

六月の花嫁

しとしと、
しとしと、
しとしと、
と小休みなく、無数の白い線が天から地へと降りそそぎ、柔らかに柔らかにこの世を包む。
六月の午後。
円紫さんとのとりとめのない話 落語の題目「雑俳」「西行」「和歌三神」三題噺の「鰍沢」について。

友人の峯さんたちと軽井沢の別荘にいくことになった。車で乗り合わせ簡単に着いた。
そこでおかしなことが起きる。まずチェスのクイーンがなくなり、冷蔵庫のタマゴケースで見つかる、代わりに卵が消えバスルームの棚に。そこにあった小さな鏡が消えて、クーンをしまうはずの箱から見つかる。
なくなったものはないが誰がなぜこんな面倒なゲームを仕掛けたのか。恵美ちゃんが謎解きをしたが何か含みがあった。

そこで恵美ちゃんが一緒に行った吉村さんと将来の約束が出来ているのを知る。


夜の蝉
「私」の姉は凄い美人で、服装も化粧も完璧に仕上げてでかけていく。だが、となりのトコちゃんを自転車の荷台に乗せてお祭りに行った帰り、暗い顔して歩いてくる姉とすれ違った。
姉は好きな人がいた、それが「お化け」に邪魔されて、離れつつあった恋人から誤解を受けたという。
芝居のチケットをめぐる、姉の失恋の謎を縁紫さんが解く。

二人には今まで見えない拘りがあって、打ち解けて話すことがなかった。
だが姉は急に優しくなった。それまでの父親を挟んでのいきさつも、忘れたようだった。
姉と新潟に旅をする。良寛さんの住んだ庵を訪ね、年老いても恋の歌を初々しく読んだことに感激する。
年下の貞心尼に「あづさゆみ春になりなば草の庵を早く訪いませ逢ひたきものを」まっすぐな恋の歌から、二人は気づくことがある。
二人の姉妹が、話すこともなく、お互いに抱いてきた思いが、旅に中でゆるゆると溶けていく
扉の
―― 時の流れに
テーマ色濃く出て、特にこの「秋の蝉」が果たした役割が熱く暖かく浸みてきて感動する。


人は皮や肉では立てない、骨がなければ。そんなごく当たり前のことを確認して、17歳の私はいたく感動した。ふと私が気づいたこと。面白い。

北村さんの柔らかい自然描写と、円紫さんの謎解きの鮮やかさ。時とともに私も大人になっていく。優しく豊かな言葉の重なりが心地いい。

高校の古文の先生が、突然吟じ始めて驚いたことがある。二度目からはみんなも慣れたが、この吟詠というのも、発声や伸ばし方などの系統(派)があると言う。聞きなれるとだだの朗詠ではなく、百人一首の読み上げとも違う声には何か深い思いに届く、先生の声の響きを思い出した。

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