空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

落ちた! 転んだ!!

2018-05-31 | 日日是好日

馬手に風鈴、弓手にスダレ♪
とうたいながら窓枠に手を掛けたら、足台にしていた椅子が倒れた。
ワォという間も無く落下した。
腰のあたりを打ったらしいが、一瞬悶絶。息がつまって一瞬仮死状態(-_-;)

かかり付けの先生から病院に連絡してもらって、診察を受けることができた。
「すぐ行くなら救急車いりますか?」
「家族が帰ってからうちの車で行きます」何事も救急車より忍耐だ、まだ生きているし(恥)

夕方までベッドに丸まって我慢した。

”オオ、変身か芋虫か、奥泉さんのイモナベか”

病院は時間外だったが、係の方が車椅子を準備してくれた。
即CT撮影。

温和な先生は、「よかった骨に異常なし、帰れますよ。」とニコニコ。私も泣き笑いで帰宅した。

しかし、即効という鎮痛剤もわずかしか効かず、気力でソロリソロリとすり足で「能」歩き。5日目にやっと人心地が付いた。

スダレと風鈴で今年の夏支度は個人的には痛い大事件を経験した。

治りかけた頃にシップも鎮痛剤も劇的に効いてきた(遅)

車の運転はこれまで以上に慎重にしよう、大事故を免れても人間は強打撲でも命がけ、余裕が出てからシミジミ思うこと。

しかし、頼りの運動神経も鈍って来たものだ。クッ o( `ω´)o


それで気付くとヤブデマリのかわいい時期を見逃してしまっていた。
蝶々のような白い花はもう寂れ始めていた。


ヤブデマリ 市大植物園



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「罪と罰」を読まない 三浦しをん 岸本佐知子 吉田篤弘 吉田浩美 文藝春秋

2018-05-14 | 読書



「罪と罰」をさかなに、笑いと涙の座談会 読まずに読むで幕開け。岸本さんが最初と最後の一部を訳して配布する。立会人として読んでいる文藝春秋の編集者が参加して、時々本文のごく一部を朗読して軌道修正をする。


「四人が知っている数少ない情報を寄せ集めて、そこから探偵のように推理していくわけです」(吉田篤弘) 

読まない!(未読座談・其の一)
 <誰も読んでいないまま、冒頭を訳した岸本さんがまず口火を切るが、それぞれの持っている情報は大雑把で、背景や人物などについて異口同音に「へ~」という感じで始まる。
ここで、ドストエフスキーがシベリアに流刑、死刑執行直前に回避された。と「三浦さん」の情報。その後大作を書き始めたそうでこの後カラマーゾフの兄弟を書いている>
また
「岸本さん」ラスコはね、なんか二人殺してるっぽいんですよ。
「三浦さん」 ええーっ
「篤弘さん」ホントに?

<という具合に少しの情報で驚き、推理していく。このあたりから名前を省略、ドストエフスキーは「ドスト」にラスコーリニコフは「ラスコ」に。ラズミーヒンは「馬」に爆笑 
 約束で編集さんに少し読んでもらうと、「イリヤってだれ?」>
「岸本さん」殺し終わってから出てくるなんてイリヤもわるいやつだねえ。
「三浦さん」私たち他に人名を知りませんからね(どや)
「三浦さん」そうか、捨てキャラか。
「岸本さん」捨てキャラ!
<やはり作家さんたちはこの方向でも読む (笑)
びくびく者のラスコ判明、そして「浩美さん」が15分放送した影絵を見ているので少し知っている。ついでに殺してしまった二人目のリザヴェータについてもソーニャと知り合いだったというと>
「三浦さん」『リザヴェータおばさんを殺したのは誰なの!』ソーニャは悲憤し、ついに安楽椅子から立ち上がった。」
「篤弘さん」名探偵ソーニャ。
「浩美さん」つかまえたら、わりにイケメンだった―――。
<ここ「79p」三浦さんなりきって創作話を独演> 
「三浦さん」第二部はこのようにハーレクイン的に攻めて、第三部で神の残酷さを本格的に問う宗教論争になだれ込む。
「岸本さん」盛り沢山で、いろいろしないとね、なにしろ、この長さだし。

読むのかな…(未読座談・其の二)
<ラスコーリニコフって苗字なんだ。と始まり謎解きに至る。
ラスコが酒場で知り合った飲んだくれの親父がソーニャの父親と判明「浩美さん」の影絵情報。>
「三浦さん」父親が飲んだくれだからソーニャが娼婦をやっていると。
(朗読)ラスコは母と妹をしっかり抱きしめ…一歩前に踏み出すと、ぐらっとよろめいて、つんのめるように床に倒れ、そのまま気を失った。戸口に立っていたラズミーヒンは。
後で話題になるがラスコはよく気を失ったり病気になったりして倒れる。
「三浦さん」ラズミーヒンて、誰?響きからして馬?
「岸本さん」戸口に立っているし!
「三浦さん」「はニャー、ご主人様、しっかりしてくださいなりー」

読んだりして…(未読座談・其の三)
ラスコ婚約するの巻
<長くなるので発言を勝手に総合すると>、あまりきれいでない娘は家主の子で、家賃の滞納で、政略結婚?娘とつながっていれば踏み倒せるかも、ってなんか、超ワルじゃない。不細工で持て余して、いい男が入ってきたからくっつけちゃえ、みたいな。そっちか。「三浦さん」まずそっちかと思った。「篤弘さん」どっちがワルなんだ。
「三浦さん」「金銭的にまずいぜ俺」となって革命もしなくちゃならない。そこであわてて因業婆を殺した――違うかな?」
「岸本さん」辻褄はそれで合うよね。
「三浦さん」え、辻褄、合ってましたか?

殺してお金とってきたんでしたかね。取ってたんじゃなかったっけ。思想があるんですよラスコは。その思想自体ラスコのいいわけだとおもうんですが、一番の動機は当座のかねじゃないでしょうか。
ラスコの思惑通りにいかない、そこに惹かれて読んでいくんじゃないでしょうかね。思惑通りに運ばない、とういう追い詰め展開にするはずですよ。

<こあたりミステリ的推理の流れになっていて、推測の筋道も何気に面白い>
「篤弘さん」お金なのか社会へのメッセージなのか。
「三浦さん」両方だと思います。
「岸本さん」ラスコって「顔だけ男」で、友達もいない。

正しいと思っていたけど、ついでに犯した第二の殺人が重荷になってくる。(篤弘)
ラスコが悩む理由は二人目の殺人がソーニャの知り合いだったからではないか(三浦)

<お母さんとドーニャ(妹)がサントペテルブルグに来る、ここまでで一日しかたってないことに驚く4人。「罪と罰」って二週間くらいの話?、一つのエピソードを異様に長く書いている。ここも作家の目で>

「罪と罰」登場人物紹介 P198~202
これをよめば大筋もなんとなく理解できる。名前が長い長い、ニックネームを付けてあるので話が早い。
それでも
マルメラードフって誰でしたっけ?(三浦さん)
「岸本さん」マメ父ですよ。(ソーニャの飲んだくれの父親)
<名前からも推測が広がっていく、この登場人物一覧は素晴らしい忘れたころにまた役に立つかも、図書館本なのでコピーしておきたい>

そしてついに「あらすじ」の公開<これもコピーして永久保存>


というわけで「罪と罰」を読み終えた4人は、再び都内某所に集い、それぞれが読んだ文庫本と、読みながら控えたメモとノートを机上にならべ、立会人による開会宣言を待たずして、なし崩し的に話し始める。最初の話題は、読書会に選定された二種類の翻訳本
の、どちらを選んだか――。

<光文社古典新訳文庫と新潮文庫>

最初の一言は揃って
面白かった!だそうで、
人多すぎ、しゃべりすぎ(岸本さん)後出てくる人はみんな頭おかしい(三浦さん)
カテリーナさん(ソーニャの義理のお母さん)は皆さん大好きで、でも一番人気はスヴィドリガイロフ(ドーニャが雇われていた主人、妻が死んだあとドーニャを追いかけている)
「篤弘さん」スヴィドリガイロフはこの人が小説の鍵ですね。あと本編で経過する時間が二週間くらいで本当に短くて驚いた。

泉鏡花やニコルソン・ベイカーに似ているかもといったのは岸本さん。

<読後の締めあたりでも様々に参考になる話題が広がって、ただ面白いだけでなく幅広い読みっぷりに感激。肩肘張らない会話がまた気持ちを楽にしてくれる。名作といわれる重厚さが見た目だけで、長いけれど一面エンタメ風味もあるかのような。ドストエフスキーのこの折り紙付きの名作がどことなく怪作に思えたりする。登場人物にも次第に親しみがわいてくるところが伝わってきた、さすがにこの方たちの読みは幅広く(妄想だけでなく)深い。どんな本もこう読めればいいが>

中学卒業したころにカラマーゾフの兄弟、白痴、悪霊を読んだけれど、はっきりした記憶は欠片も残ってない。きっと読まないといけないところがわからなかったのかもしれない。この対談はしみじみと面白かった。メンバーも好きだったし。





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「悲しみを聴く石」アティーク・ラヒーミー 関口涼子訳 白水社

2018-05-13 | 読書

 


原題の「サンゲ・サブール」とは「忍耐の石」その石に向かって、人にいえない不幸や苦しみを打ち明けると石は聞き飲み込みある日粉々に割れる。その瞬間人は苦しみから解放されるというペルシアの神話によるそうだ。


父親は人が来るとその黒い石に向かって話した。石に話すとその言葉をすべて吸い取り、石が割れるとすべてから解放されると言った。

夫の父を看取った時、亡くなる前の日にその黒い石の話をした。

「死の使いが来た、大天使から託されたことを伝えよう。石は神の住まわれるメッカにある。多くの巡礼がその周りを巡っている。神は石に自分の苦しみや悲しみを話すことができるようにしてくださった。…この石は地上に生きるあらゆる不幸な者たちのためにあるのだ。そこに行きなさい。そして、石が砕けるまでお前の秘密を告白しなさい、苦しみから解放されるまで」

女は「何世紀も前から、巡礼者はメッカに行ってその石の周りを回っているのに、どうしてその石はまだくだけないのかしら」と思う。

女は首の後ろに弾をめり込ませたまま戻ってきて動かない夫に、話しかけている。三週間ほどで意識が戻るというお告げはとっくに過ぎた。コーランを読んで祈り数珠の玉を数えながら敬虔なムスリムの女は、夫に話しかける。

夫は石だ。チューブを流れる点滴液と半眼の目にさす目薬で生き続けている。

女は夫になった夜のこと、夫が動けないと知って見捨てた親兄弟のこと、二人の娘のこと。子供を産めないで家にいられなくなった叔母のこと。尊敬する夫の父から聞いた言い伝えのこと。
女は話し続け、声を荒げついに叫ぶ。石に向かうように今まで言えなかった自分だけの秘密。夫にも言えなかった今の暮らし、体を売っている夜のこと。

外では銃の音や人声が響いて、戦争の足音はすぐそばまで来ている。兵士が踏み込んできて、コーランまでも浚えていって部屋を荒らす。
夫をカーテンの裏の物入れに隠し、今までの日々を何もかも話し、後でその重みと呵責に耐えかねて祈り、また夫につらい言葉を浴びせる。
日替わりの聖人の名前を唱えていたものがいつか、夫を「サンゲ・サブール」と名付けその石のような体に言葉を浴びせかける。夫の代わりに交わった男の事も。戦争に志願して、英雄と呼ばれ石になって戻ってきた男に向かって叫ぶ。

アフガニスタン出身の作者は長い時間をかけてフランス語でこの物語を書いたそうで、母国語でない言葉は慎重に選択されているのか短いセンテンスに重みがある。
定点撮影のような、一場だけの舞台劇のような構成が面白い。床に直に敷いたマットレスに横たわったまま胸の動きで生きているのがわかる、遠目には石像のような男。
女は部屋から出てまた現れる、輸液を満たし男の目に目薬を差す。そして胸にたまった滓を言葉にして吐き出す。

あるいはこういうシーンは場所を変えれば、また形を変えれば起きていることかもしれない。
過ぎた忍耐は人を狂わせる。
この作品の普遍は、鮮明なシーンを作り出し、脚本のような展開で、退場する女は目前からフェードアウトする、詩のような短い言葉を残して。女が部屋から消えては現れ、次第に狂っていく様子も映像的に鮮明に書かれている。
衝撃的で、心に刺さるような、読み終えた後もしばらくの間、圧倒されてしまうような作品だった。





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「チャリングクロス街84番地」ヘレーン・ハンフ 江藤淳訳 文春文庫 

2018-05-05 | 読書




20年にわたる往復文書。イギリスの古書店の人たちとアメリカに住む一人の女性作家との心温まる交流の実録。


チャリングクロス街84番地にあるマークス古書店に一通の手紙が来る。アメリカの若い女性作家から書籍の注文だった。
古書店のフランク・ドエルは、注文の本を郵送し、手元にないものは同じものを紹介したり探しに行ったりした。希望の文書がほかの本に収録されているものがあればそれを参考に書き添えた。
こうして、絶版本や稀覯本なども手に入れ、お互いに交流を深めていく。
美しい装丁や製本のものを選んで送られてくるたびに、ヘレーンは包みを開けて涙ぐむほど喜び手紙を書く。

そのうちイギリスは大戦後の物資不足に見舞われる。アメリカで手に入るものを古書店の人たちに贈りお返しに、美しい刺繍のテーブルクロスが送られてきたりする。

女性の店員からは生活情報を手紙に書いてくるようになる。
主になって買い付けや本探しをする目利きのフランクは、書籍についての造詣が深く、また役立ちそうな本を見つけて情報も送る。

ヘレーンはイギリスの文化や文学に親しむにつれ行きたいという思いが募り何度も手紙に書いている。
古書店のひとたちも楽しみに待っているがなかなか実現しないうちに時が流れる。

20年後、作家のヘレーン・ハンフも仕事が増え、古書店を訪れることもできないまま、フランクは亡くなり二人の娘は成人し、親しかった店員の人々も退職したり、転居したりしている。


「絶版本もできるだけ手に入れます」という広告を見た時から始まった交流が、次第に深まって、社名だけの型通りの文書が、本名で届きだす。物資を送ったことで書店員の人たちとの私信も増えていく。

江藤淳さんという名高い文学者の訳文は思いがけずとても読みやすかった。
注文する署名を読んでもほとんど知らないものばかりで、超有名なディッケンズやバーナードショウその他の名前もただ知っているだけだったが、丁寧な注釈は読むだけで役に立った。

粗末な下宿住まいだったヘレーン・ハンフがTVドラマの脚本を書くようになり、古書店の人々とのほのぼのとした交流も時とともに終わりに近づいていく。



実はこういう私的なものを公開することに少し抵抗があるが、教えて貰わなくては知る機会もない。
江藤さんはあとがきでこう書いている。

『チャリング・クロス街84番地』を読む人々は書物というものの本来あるべき姿を思い、真に書物を愛する人々がどのような人々であるかを思い、そういう人々の心が奏でた善意の音楽を聴くであろう。世の中が荒れ果て、悪意と敵意に占領され人と人とのあいだの信頼が軽んじられるような風潮がさかんな現代にあってこそ、このようなささやかな本の存在意義は大きいように思われる。



チャリング・クロスという街の名前を読むと、クリスティの街で、シャーロックホームズもいたなと思う。
そこに古書店マークス社のフランク・ドエルさんや店の人々も入れよう。




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