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「漢和辞典的に申しますと。」 円満字二郎 文春文庫

2019-01-13 | 読書



言葉や文字って面白い。故事来歴はもっと面白い。漢字に限って言えば、じっと眺めていて想像します。この漢字はこういう感じかしら。いやいやそんなことよりもっと深いものでした。


まず目次から 

1 食べる漢字と飲む漢字
2 体育会系の漢字たち
3 漢字で見る夢のいろいろ
4 理数の国の漢字たち
5 漢和辞典的人生訓
6 ニュースの漢字、気になる漢字
7 季節はめぐり、漢字はうつろう
8 漢和辞典編集者の悩み


私は子供の頃祖父母がいた山の中で育ちましたので、年上の叔父たちの教科書や読み古した本や、屋根裏にある、枚数が少し足りなくなって散らかった百人一首の札、古くなった雑誌や本を読んでいました。雑誌の漢字にはたいていルビが振ってありましたので、小学生になって田舎を出ても、あまり読みには困らなかったと思います。漢字テストでも覚えたものに合わないものは形から答えが判ることもありました。それも時が過ぎて霞んできていますが(-_-;)
そんなこともあって、今でも漢字が好きなのですが、この本にはまったく見たことのない形や、別の読みや意味があってさすがに言語学者の研究成果、辞典編集に長く携わっている方の知識はなんて面白いものか、この本は何度読んでも飽きることがありません。

少しご紹介します
《回》魯迅の痛烈なインテリ批判
魯迅の「孔乙己」という短編から。孔乙己(コンイーチー)は頭がいいと自惚れていたが官僚試験に受からず今では酒浸り。ウイキョウ豆のウイの字はどう書く?子供が答えると、じゃ「回」の字は?4通りの書き方ができるか。
漢和辞典にあるのは3コ、残りは「康煕字典」から「□」の中に「目」と書いた文字が載っています。ただ魯迅はこの小説で細かい知識はあっても生活能力はからっきしないそんなインテリを批判したかっただけなのでしょうか。
確かに、細かすぎる漢字の知識をいくら持っていても実生活では何の役にもたちませんものねぇ……。
(これはこれから読むこの本を書かれた円満字さんの謙遜だと思いますが(^▽^))


《幽》太宰治「斜陽」の稀有な世界。
スープを飲んでいた「おかあさま」が、「あ。」と「幽かな叫び声をお挙げになった」
「かすか」とは“あるかないかわからないくらい”という意味。
今では「微か」と書くのが普通ですが、「幽」は紀元前1300年ぐらいに使われていた漢字の祖先「甲骨文字」ではもともと“火”に関係のある漢字で“明かりが薄暗くてよく見えない”という意味なのです。また「幽」には“存在しているかどうか怪しい”というイメージがあります。
実際「斜陽」の「お母さま」もすぐさま「何事もなかったように」スープを飲み続けます、叫び声など、挙げなかったように。
「幽」のイメージを踏まえて読むとなかなか印象的な感じの使い方ですよね。

《愁》樋口一葉の孤独
「愁」は「うれい」とよみます。「郷愁」「旅愁」いかにもさみしげな気配が漂ってきます。
ところで樋口一葉は、この漢字を独特な意味合いで使います。たとえば「私は何(ど)んな愁(つ)らきことありとも、必ず辛抱しとげて、一人前の男になり」『にごりえ』
「ひとには左(さ)もなきに我ばかり愁(つ)らき所為(しうち)をみせ」『たけくらべ』
一葉は愁を憂いと読むことを知らなかったわけではありません。「つらい」と読ませる方が圧倒的に多い、のは確かです。「つらい」を「辛い」と書き表すこともありません。
だれかと「つらさ」を分かち合う。「つらさ」にはそんな側面もあるはずです。一葉は、それを知らずに逝ってしまったのでしょうか……。

《髭》二葉亭四迷の使い分け
二葉亭四迷には言文一致の小説「浮雲」があります。
物語は、お役人さんが、仕事を終えてぞろぞろ出てくる場面から始まります。当時の成人男性は髭を生やしているのが定番。
「口髭、頬髯、あごの鬚、暴に興起(おや)した拿破崙(ナポレオン)髭に狆の口めいた瓦斯馬克(ビスマルク)髭、そのほか矮鶏髭、貉髭、ありやなしやの幻の鬚」
「髭」は唇の上 「髯」は頬、「鬚」はあごから垂れたひげ。使い方はお見事。こう分けてしまうのももろ刃の剣、ひげはつながっているが、二葉先生の割り切り方も必要かも。

と、中から作家関係の項目を選んでみました。

目次に沿った様々な漢字の成り立ちや、生生流転(?)の様子まで。
遠い時代に生まれて伝わった漢字の流れや、それぞれに刻んできた歴史、変化を繰り返した時代の不思議が詰まった面白い短編集のようでした。

項目の後にちょっとしたコラムなのですが

画数の一番多い漢字は 
「龍」を四つ組み合わせて「テツ」と読みます。ほかにも凄い字が。それが中国では今も使われているなんて!

画数の一番少ない漢字は
一番長い読み方をする漢字は
一番読み方の数が多い漢字は
漢字の数が一番多い読み方は
漢字の数が一番多い部首は
漢字の数が一番少ない部首は

という本で新年を楽しみました。






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HNことなみ

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あかいふうせん ラモリス 岸田衿子訳 偕成社

2019-01-09 | 読書


  

映画で見た「赤い風船」を絵本で読んでみました。



ずっと前にTVで見た映画です。ストーリーは忘れていたけれど、部屋の窓からのぞいている赤い風船が。
煙ったような色彩のパリの風景の中の、鮮やかな赤い色の記憶が時々浮かんできます。
可愛い妖精のような男の子の後ろから、どこまでもついてくる赤い風船は、体よりも大きくてバスに乗せてもらえませんでした。こんなエピソードもある風船と男の子のお話で、1956年にフランスのアルベール・ラモリス監督が原作を書いて撮影されました。パルムドール賞やアカデミー賞を受賞した名作です。
短い作品でしたが私は映画を見た後、夢を見るほど感動しました。

岸田衿子さんが、ラモリス監督が書かれたものを訳して絵本にされたのを図書館で見つけました。
いわさきちひろさんが是非絵を描きたいということで「いわさきちひろの絵本」になって生まれた本だそうです。このシリーズは「赤い靴」も借りてきましたので楽しみです。

男の子・パスカルががふと見上げると街灯に赤い大きな風船が引っかかっていました。柱に上って風船の糸をほどいたのですが、映画では糸を口にくわえておりてくるのが可愛かったです。
学校に行くバスで大きな風船は入れられないと断られました。それで風船をもって走っていきました。
学校にも入れられないので守衛さんに預け帰りに連れて帰りました。
雨が降ってきたので傘に入れてもらったのですが、風船が濡れないようにしたのでパスカルはずぶ濡れになってしまいました。
お母さんは風船を家に入れてくれませんでした。
「どこにも行かないで」と風船に言うと窓の外で風船は部屋を覗いてゆらゆらと揺れていました。
それからはどこに行くにもついてきます。
それでも風船は、可愛い青い風船を持った女の子のところに行きたかったり、日向ぼっこをしに空に昇ってみたり、男の子をハラハラさせます。
とうとう悪ガキに見つかってしまいました。
石を投げられて風船が破れました。
パスカルは泣きました。
ところが不思議なことに、街のあちこちから風船がゆらゆらと集まり始めました。
パスカルは糸を集めて握りしめました。
足が地面を離れ空に高く高く舞い上がっていきました。

映画の、可愛いパスカルは監督の息子さんで、青い風船を持った女の子は娘さんだそうです。






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HNことなみ

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ダヴィンチの最後の晩餐はなぜ傑作か 小学館新書 高階秀爾

2019-01-08 | 読書


淡路島を通るとき、時々大塚国際美術館に寄ってみます。精巧に作られた陶板画を見ていると、図鑑では得られない力を感じます。いつも最初に行くシスティーナ礼拝堂の迫力と美しさには圧倒されます。


高階先生のこの本は、絵に表わされた物語を読み解く手ほどきをしてくれました。背景の時代的な変化や描法の進化。画家の創意工夫など。天井画の図解付きの解説は、新しい発見でした。創世記からは、ミケランジェロの有名な「アダムの創造」「エヴァの創造」中でも「光と闇の創造」「天と水の創造」は拡大した図解があり、眼からウロコでした。


「光と闇の創造」ではまだ太陽はなく、光は神自らがつくりだしています。周囲の四人の裸体の人物は、神の手が光と闇を分けている隅にいるのが「朝」、白い光の隅にいるのが「昼」、下半身側の闇の隅にいるのが「夕」、顔を背けて逆光になっているのが「夜」をそれぞれ表す「擬人像」です。「擬人像」とは、観念や事物、自然現象、場所などを人物の姿で表したもので、西洋絵画ではよく用いられる手法です。

こんな風に代表する絵画について説明があります。
「受胎告知」で必ず百合と鳩が象徴的に描かれていること。様々な画家が題材にしている「原罪・アダムとエヴァの楽園追放」オスカー・ワイルドが創造した「サロメ」は、題材にしたそれ以前の画家たちの創造による変容も興味深かったのですがサロメもヨカナーンの首も画家によって違った印象で書かれているのが解説付きで見比べてよくわかりました。

聖書に「書かれていないこと」の描き方です。

ところで、旧約であれ新訳であれ、聖書中に書かれていないことがらをどのように描くかという問題です。
例えば「知恵の実」はリンゴの事であると思われがちですが、聖書にはそれがどのような実であったのかは実際には書かれていません。むしろヨーロッパのさまざまな伝説や神話において古くから、リンゴが知恵や豊穣の象徴とされていたからこそ、「知恵の実」として描かれるようになったのです。

このように指摘されたところは部分的に拡大されてよくわかります。

ダヴィンチの「最後の晩餐」は修復前の物と修復後の二枚があります。修復中にキリストの口が少し開いていることで「ユダの裏切りを告げた後」だということが判りました。弟子たちの驚きが横並びの構図でよくわかります。

それまで「ユダ」を離して描いていたのが横に弟子たちと同じ位置に並べています。構図的にイエスに向かう視線が収斂していき、静的な構図と動的な描写から、衝撃を受けた弟子たちの動揺が伝わり、明日磔刑に処されることを知っていながら静かに食事をするイエスの姿を描き出しています。

「パッション」という映画をご覧になったでしょうか。メル・ギブソン監督で当時話題になりました。私も映画館で見たのですが、明日処刑されるというゲッセマネの夜に、犯罪者として処刑されることに血の汗を流しながら苦悶するイエスの姿に感動をしました。

そんなことを思いながら見ると、穏やかな晩餐の場面の静かさに打たれます。


イエスの衝撃を与える言葉の力が描かれているのだともいえるでしょう。しかし同時に、これらの動静は、イエスを中心とする古典的な均整の取れた構図の中で秩序立てられ、いわば止揚されています、つまり、この場を支配しているのはあくまでもイエスであり、この絵が新約聖書の単なる図解でなく、この物語の中心であるイエスの内面を描いていることもまた明らかになるのです。


絵を読み解く手がかりになりました。知っているつもりの名画の持つ物語りや時代、当時の画法など
同じ高階秀爾先生監修の「西洋美術史」も参考にしましたが、ルネッサンス期の名画に的を絞ったこの書籍は、的確な画像選びと、わかりやすくその上名文の解説がとても役にたちました。

ゆっくりじっくり見てきていない、近代、現代もまた改めて読んでみたいと思います。
美術展でもなければ現物を目にすることができませんし、世界各地の大聖堂など見る機会はないだろうと残念に思います。
先月久しぶりに訪ねてみて、この時代の絵は、見ることも大切ですが、宗教画を読み解く知識があればあるほど興味深いことがよく判りました。
首が痛くなるほど上を見上げて、あれはどういうシーンだろうと思いながらも、聖書については分からないことが多く、今まで見過ごしていたことなど胸のつかえが少し下りた気がしています。






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