空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

銀座「四宝堂」文房具店

2025-01-18 | 読書
 
銀座「四宝堂」文房具店
 
 
読み初めに相応しい暖かくいい話。おまけに文房具店が舞台で素敵な店主がいる。できればお勧めの文具をいろいろ買って帰りたい。文具だけでなく勿論店主のお兄さん付きで(初夢) 5つの短編集。
 
☆万年筆
しのぎを削った新人研修で生き残りついに初任給を手にした。ふと耳にした「お世話になった方に何か送るべし」なるほど。優しい先輩が地図を書いてくれた銀座の文房具店にたどり着いた。店主は宝田硯という。夏子さん(祖母)に一筆添えて贈る。だがこの一筆が難物。書いたことも読んだこともない。そこで彼を救う有難い薀蓄をこめた店長のお話が、ここの読みどころ。
無事体裁の整った初だよりを出すことができた。
趣のあるレターセットや数寄好みの文具などいろいろが取り揃えてある。垂涎の文具譚の始まり。

☆システム手帳
ホステス教育というより人間教育をして暖かく見守ってくれた恩人のママがいる。そんな店をやめることにした。退職用の便せんと封筒を買いに銀座の「四宝堂」に行くと定休日だった。だが偶然帰宅した店主に会い事情を話すと裏口からイベントや展示会用の二階に案内される。ながい歴史を刻んだ老舗の二階の建築描写が味わい深い。退職届を出すつもりだった、が退職願との違いを聞いて、どちらにするのがいいのか、退職する経緯を聞いてもらう。恩人を裏切ることになりはしないかという迷いが大きい。店長の話を聞いているうちに人と人のつながり、良い出会いに恵まれた人の幸いな思いに気が付いてくる。

☆大学ノート
「四宝堂」のそばにある喫茶店「ほゝづえ」の話。近い距離にある老舗同士代々の付き合いは、子供たちの歴史にも重なっている。
「ほゝづえ」の娘良子は店を手伝っているが訪ねてきてくれた七海とは父母の代からの付き合いで、久しぶりに出会ったのだが悩みがあるようで分厚い何冊もの大学ノートを持ってきた。
七海は今高校生で弓道部に入っていて副将をしている。主将は男子で交代で練習記録ノートをつけているが、そのことで悩んでいて良子が相談に乗る。まじめな悩みが話すことで解決し主将との友情が深まっていく。

☆絵葉書
母の遺言は弔辞を別れた父に読んでほしいということ。離婚後私は母のもとで育った。
その間母と私は堅実に暮らして来た。母は化粧品の開発で成功していた。
葬儀は年の瀬だった。父はいつも頼んでいた年賀状の印刷を断りに「四宝堂」に行く。
文面に悩みながら二階を借りて弔辞を書き始める。
「四宝堂」とは名刺を印刷していた縁で今もつきあいがある。
父母が結婚することになったそもそもの始まりは、父が海外で仕事を始めたころ。母は売店で働いていて頻繁に絵葉書を買いに来る父と知り合った。当時海外からの絵葉書は取引先に喜ばれていた。そんな時代だった。
二人は付き合い始め、親しくなって結婚した。
会社の成長とともに仕事がらみで始まった父の生活はどんどん派手になり、浮気をし、家庭も破綻して離婚。二度目の結婚をしたがやはり家庭は壊れ離婚。一人になって病気に倒れる。そこでも看護婦を気に入り3度目の結婚。
話が混乱するので1度目はカミさん、二度目は奥さん、三度目の妻はワイフと呼んでいた。だが三度目も結局離婚。子供は母違いで、女の子ばかり恵まれた。
近くの喫茶店「ほゝづえ」の良子ちゃんが差し入れてくれた珈琲とエクレアがなくなるころ、紋切り型の(実に正しく味気ない)弔辞が出来上がった。波乱万丈、ありきたりでない男が読む弔辞はそれでいいのだ、解ってくれるのだ。
とはいえ悲しいことに最近のワイドニュースは賑やかでこの程度ではあまり驚かなくなった、のは、どうなんでしょう。これはどん底というにはそうでもない緊迫感に欠ける、あららとでもいうテーマかもしれないが、やはり結びはほのぼの話で締めてある。

☆メモパッド予算
寿司職人が独立して店を持った。ギリギリの予算でも現場監督のお陰で予想以上の店ができた。
「四宝堂」に頼んでいた開店の挨拶状を取りに行った。
この歴史のある評判の文房具店は非の打ち所のない出来で筆耕も美しく、納品の点検をするのも恥入るようだった。
ただ、案内を送付するだけでは済まない恩人がいた。会って言葉で報告したい感謝を伝えたい。言い尽くせない恩がある。道を踏みはずさないでここまで来られたお礼が言いたい。
あれこれ出来事が心をよぎる。あの人は懐かしい横浜の老舗洋食店主人。恩人だ。不良だった時生きる道を指し示してくれた人。
よくあるストーリーかもしれないが構えず読める。複雑な人生を生き抜いてきた支えは、苦しい時の恩人の言葉だった。
私などなんでもすぐに都合よく忘れるのを恥じてしまう。
読んでいていい気分になれる。こんな読書が心地いいということかもしれないが。全ての道はローマに通ず。十把一絡げの主婦でも読んだ後は素直にローマに向いてみようかと思う、こんな読書もいいと思った。
 
 
今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。健やかでよいお年でありますよう。
 

 
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しろいろの街の、その骨の体温の 村田沙也加 朝日文庫

2024-12-17 | 読書
 
しろいろの街の、その骨の体温の (朝日文庫)
 
村田さんの世界観が面白くて読んでいるので、本屋さんでも名前が目に留まる。 三島由紀夫賞の受賞作。ふと思った、こともあろうに三島由紀夫賞か。
三島由紀夫賞ってざっくり二三人の受賞者しか知らないで、口幅ったいではないですか。私。
とりあえず村田さんのこの作品から憶測してみよう。

やはりユニークな世界観はおなじみだけれど、主人公たちは小学生で驚いた。私の時代や経験とは今はこんなに違っているのか。主に思春期に入った時代にもまれる少女が主人公。
小学校からスクールカーストの枠が出来ているようで、無邪気な子供時代がこの枠の中で成長していくのは息苦しい。村田さんの描く主人公まで、この枠に入ることで悩んでいる。

周りに馴染みづらいユニークな性格の少女は、新興住宅地に住んでいる、白い新しく並んだ家は尖った光を放って分譲地に散らばっている、町は完成していなくて空き地や途切れた道がある。
そこで彼女は成長していく。成長痛と初潮で始まるもの思う時代に。
今は授業で驚くほど具体的に詳しく男女の成長過程については教えられているようだ。育っていく身体と同時に心の成長も無自覚であっても自然に動き出す、本能的に異性に対してわいてくる感情をどう受け入れるのか。少女は揺れながら育つ。
隣の男の子が気になってくる、そんな気持ちの揺れが村田さんの筆は生々しくも具体的に描写する。
これがまさに村田作品だと感じるところ。大人とは違う初めて出会うような少年少女の、お互いに不安定な揺れる感覚が、今は昔の遠い思いを反芻させる。そして生き物のサガの様な、初めて出会う性と向き合わなければいけない年齢が今は小学校三年生あたりであることに驚いた。それとともに異性や社会への目が開いていく過程も村田作品らしい。
彼女が馴染めない街とともに成長していく。その白々しい外観は骨の痛みに共鳴する。

傷つきながら書いて読ませる村田さんのこの作品を、解説している西加奈子さん
も素晴らしい。


知らなかったので調べてみました。
三島由紀夫賞(みしまゆきおしょう)は、作家・三島由紀夫の業績を記念し新潮社の新潮文芸振興会が主催する文学賞[1]。略称は「三島賞」。新潮社は新潮社文学賞(1954 - 1967年)、日本文学大賞(1969 - 1987年)を主催してきたが、それに代わるものとして、三島没後17年の1987年(昭和62年)9月1日に創設され[1]、翌1988年(昭和63年)に選考・授与が開始された[2]。
三島由紀夫は新潮社と付き合いが深く、『愛の渇き』『潮騒』をはじめ、書き下ろしの小説を何冊も出し、晩年は『豊饒の海』四部作を雑誌『新潮』に連載した。没後は新潮社から全集が出され、小説と戯曲の多くが新潮文庫に収録された。新潮社が芥川賞・直木賞と同種のカテゴリーを要求しつつ新しい才能を求めるべく打ち出したのが、三島由紀夫賞と山本周五郎賞である。
対象は小説、評論、詩歌、戯曲の「文学の前途を拓く新鋭の作品一篇に授与する」としている[1][3]。1993年(平成5年)に福田和也の評論が受賞する等、小説以外も幅広く顕彰しているのが特徴であるが[4]、過去の候補作・受賞作のほとんどは小説作品である。
選考会は5月中旬頃(前年の4月1日から選考年の3月31日までの発表作品が選考対象)。受賞作家には、記念品および副賞100万円が授与される。選考委員は任期制で4年ごとに入れ替わることになっているが、再任が可能である。このため宮本輝は20年の長期にわたり選考することになった。
純文学以外のジャンル出身作家からの受賞がある(舞城王太郎、古川日出男、岡田利規など)。中堅作家やベテランが受賞することがある(矢作俊彦、蓮實重彦など)。
 
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文庫のカバーを外してみたら

2024-12-14 | 読書

ハン・ガンの本が集まったのでまずは何をおいてもノーベル賞!、を読んだ。

素敵な表紙だなぁ。眺めていて何気なくカバーを外してみたら、なんだか懐かしいデザインで。

本棚で見つけた岩波文庫と似ていた。

面白いので並べてみる。(岩波文庫の方は読んだ覚えがないけれど読んだのかなそんな気もするけどww)

雨が降って寒い休日でした。読書日和というか、、周りもしんとしている。

 

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目標とか計画とか。。。。

2024-12-12 | 読書

生まれて初めて声に出して言ってみた「今年100冊は読んで感想をかくつもり」用心のために、一応「つもり」。

 

年はじめに駅前の大型書店に行って、取りあえずそこそこ読みやすそうな本を選んできた。

滑り出しはよかった。二冊ほどするすると読んで感想を書いた。

 

近くのスーパーにダイソーがある。そこに園芸用品を買いにいった(越冬中の花たちの防寒衣)

そこで文房具売り場を覗いたのが運の尽き(年頭から考えたくない言葉)

手帳が見えた。ビニールの表紙がカラフル、その上B4サイズで栞が付いている。もう考えもしないで買ってしまった。

なんというか、軽~い、メモを綴じてビニールをかぶせたような。誰にも見せないのだから、ナンテ。

丁度いい、これに今年の読むつもり本を書いておこう。一応題名だけでも。まぁその気になったら著者名と出版社も入れてみて。

書いてみると、1ページで10冊は並ぶ。題名だけだから。100冊なら10ページ。

すぐに埋まった。

えい! 残りは読むつもりの予定本だ。

そしてだらだら書いていると200冊を超えてしまった、破れかぶれで、新聞の書評欄や出版社の広告からも読みたい本があってメモした。

それでも埋まったのは約半分。後は落書きで埋めた。

それが昨年のこと。

 

そして、今年もダイソーで同じ手帳をかった。もう病気。手帳好きというので何冊ももらったのに。

読書目標を減らして50冊にしてみたが、やっはり同じことを繰り返して、読みたい本の題名が200冊はとっくに超えて、あっという間に年末を迎えた。

もう倍々に増えている。

今年読んで書いた本はわずかに27冊。一応書いてないだけでもう少しは、倍くらいは読んでいるかも(言い訳)

 

今年の手帳に書き込む予定がずいぶん遅れていて、もう目標などないも同じだけれど、頑張れば昨年の繰り越し分が少しは消化できるかも。

読みたい本を読みたいときに読んでいいのだし、読書といっても試験もノルマもない主婦暮らし(これも自分に向かっての言い訳)

言い訳をなぜするか、掃除を減らしても、家族の食事に冷凍食品を入れても、食器や洗濯物が少し積んであっても。本の世界にそんなものはないし見えないし。

と思いながらできない不幸を幸せだと思うこともあって。

それでも年末になって(もう気に入ってしまっている)ビニール表紙の手帳を開けると、もうすぐ新年、次はなに色にしようか。

こんなにたまっている面白そうな本を残してはいられないので。

 

余談だけれど、今年のお盆休み(焼けそうな季節)に高知に行った。車は涼しい、燃える外気も何のその、新築のホテルもまた快適。

だったが観光は車で一巡り、お城も四万十川もチンチン電車も、熱気に揺れているようで、入ったところが蔦屋書店、これがまた涼しいしセンスのいい品ぞろえ、喜んで時間をつぶして、本だって12冊ゲットした。

お土産はカツオのたたきと生節。いや~~あの本屋さんはよかった、また行きたい高知、だけど今でも積んでいる本が半分。

 

今年はもう終わりそうで。ダイソーに行くとまた次の手帳を買ってしまいそう。

 

読まねば、書かねば。

こんな面白そうな、人生ちょっと深堀出来そうな

わくわく本が呼んでいるのに。

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おきなぐさ 宮沢賢治、陣崎草子 出版社:三起商行株式会社

2023-05-20 | 読書
 
おきなぐさ
 
 
子供の頃、畑の畦や野原でこの優しい花をよく見かけました。初夏には長いひげをもつ種子ができていました。
転勤先の岩手に住んでいた頃、山に行くと懐かしいいろいろな花に出会えました。
枯れた野原でこの花を見つけた時その話をすると「おきなぐさ」は「うずのしゅげ」と呼ばれていると教えてもらいました。
「うず」は「おじいさん」。「しゅげ」は「ひげ」という意味だそうです。
たまたま車で通りかかった道なのですが、岩手のどこかの山ではまだこの花が咲いているかもしれません。今はどうなっているだろうと時々思い出していました。
子供の頃歩いた故郷の野山はすっかり変わってもう見ることはできません。

偶然通りかかった花屋さんで見つけたオキナグサは記憶の花と同じ形をしていますが、色が薄くたぶん園芸種なのだと思います。それでも買ってきて植えてみました、元気に育って咲きました。次は「髭」を見ようと楽しみにしています。

挿絵が美しい宮沢賢治の絵本を図書館で見つけました。
「宮沢賢治コレクション4 雁の童子」が底本になっています。


              ☆☆☆


 私は去年の丁度今ごろの風のすきとおったある日のひるまを思い出します。
 それは小岩井農場の南、
 あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわでした。

 この花は黒繻子ででもこしらえた変わり型のコップのように見えますが
 蟻にたずねます
 うずのしゅげはすきかい
 大好きです
 あの花は真っ黒だよ
 いいえ黒く見えるときもそれはあります   
 けれどもまるで燃えあがって真赤な時もあります。
 いいえ、お日さまの光の降る時なら
 誰にだってまっ赤に見えるだろうと思います

 蟻はそして花の全身を覆っている柔らかい銀の糸のことも話します
 山男も、空高く舞うひばりも、この花が大好きでした。
 花が終わり長いひげが旅立つ時が来ました。

 綺麗なすきとおった風がやって参りました。
 まず向こうのポプラをひるがえし
 青の燕麦に波をたててそれから丘に登って来ました。
 うずのしゅげは光ってまるで踊るように
 ふらふらして叫びました
「さようなら、ひばりさん、さようなら、みなさん
 お日さん、ありがとうございました」
 そして丁度星が砕けて散るときのように体がばらばらになって
 一本ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のように北の方へ飛んでいきました。 

           ☆☆☆ 



これは抜き書きですが
賢治のたくさんの話の風景の中に「おきなぐさ」も咲いていて、こんな美しい言葉になっているのが嬉しくて何度も読み返しました。
 
今年、庭で咲いたおきなぐさです。
 
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3月26日 「本か好き!」から転載
 
 
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予言の島 澤村伊智 KADOKAWA

2022-09-06 | 読書
 
オカルトか、超常現象か、怨霊の仕業か。 悲惨な出来事が閉ざされた島で起きる。恐怖条件がそろっていて期待したが次第に興味が薄れるような結果だった。カドブン夏フェア2022
一度全国を席巻したオカルトブームは、地下鉄サリン事件の後自粛ムードに入った。だがじわじわと火が付きまた予言者に人気が出て、占いや心霊スポットに関心が湧いてきた。
そのころ、22年前には心霊タレントも出てくるようになった。

テレビクルーが預言者の宇都木幽子を伴って、曰くのある瀬戸内の小島に来た。だが幽子は体調を崩し、不気味な予言を残して島を去って二年後に亡くなった。


兵庫在住の友人たち三人で旅行に出ることになった。高校時代の同級生だが、東京にいた秀才の宗作が退職して戻ってきた。死のうとしているところに父親が駆け付けて助け出したそうだ。親心は深い。なんとなく感じた第六感で間に合った。超常現象っぽい雰囲気で始まる。
岬春生は風来坊だが、ちょうど戻ってきて、宗作歓迎の計画は任せろと言った。地元にいる淳は勿論賛成。
春生が選んだ島はかつての流刑地で、ヒキタという男が無残な姿になって山に駆け上って死んだと言われている。大小の山から成りヒキタの怨霊がこもる疋田山には登るなと言われている。

島に渡ってみると明日は人が死ぬ日だと幽子が予言したということで宿を断られる。そこに、よそ者で民宿を開いている男が泊めてくれるという。
幽子の孫という小柄な女性と派手な女と妙に過保護な親子も同宿する。派手な女は幽子を崇拝していて予言は当たると信じ切っていて占い師になっていた。

ただ明日が6人が死ぬと予言された日だった
折悪しく台風の進路が四国から瀬戸内海に当たり、島に着いた頃から風雨が強まってきた。

春夫が出て行ったまま帰らない。淳が探しに行くと海に浮かんで死んでいた。橘という駐在も頭を殴られて死んでいた。
どこの家も戸をぴったり占めて閉じこもり誰も出てこない。
古畑という老人が奇声を上げていた。そばに意識不明の宗作が倒れていた。
彼を宿に連れて帰る。
予言通り次々に死んでいく。
だが幽子の孫は予言を否定して疋田山に登る。淳も後を追っていく。

風が吹き上げてきて人々は山の上の避難小屋に逃げ込む、村人がひしめいていて、伝承は実現する、ヒキタの怨霊が来ると怯えている。

河を渡って山に避難しようとした老人二人が奇妙な死に方をした。これで四人。

村で最後の生徒だった、今では風貌も老いさらばえた古畑は小学校で縊れて死んだ。
これで5人。

やはり幽子の預言は正しいのか、6人目は?


だが古畑を追って来た孫は予言を解説していう。祖母は偽物だった。予言も信じられない。


伝承や祟りなどが伝えられてきた島、古くからある民間伝承だった、そこへ幽子が来て予言を残して死んでしまった。
今その予言が実現に起きている、と怯えている。
流人の話もヒキタの無惨な死にざまも現実なのだ。


ホラーや神秘体験はいつかは死ぬという「死」を背負った人間の(恐怖)心理をうまく乗せて、まだ見ることのない死後の世界を体験させたり、予感させたり、死人と会話させたりする。
現実にはあり得ないような出来事や実現したかのような予言で、信じこませたり恐怖させたりする。
ありえないと言い切ることができない不思議な出来事や力に、学問として科学的な専門知識を持っていても惑わされてしまうこともある。

ひとは自分が「どこからきてどこへ行くのか」と問うことで思考回路に迷いこんでしまうこともおおい、すべては見ても聞いても恐怖なのかもしれない。

だがこの作品を読んでいて、非現実な世界に誘いこもうとする作為に疲れた。作品として時系列や表現に少し距離があり過ぎ、たとえ話にしても、それが今、我に返った読者は信じられるのか。

伝承があったとしても恐怖の元は今、行われている現代の暮らしの中から生まれていることの方が多い、多くは科学的に解明されていることも多い。伝承はひとびとの暮らしや風景の中に郷愁と共に埋もれようとしている。
 
 
結論が余りに現代と距離があり、文化の交流のない老人ばかりの島にしてもただ自然を相手に長い時間を無駄にして愚かだ。

そうそう締めは、作者の思惑は効果的で、びっくり、読み直してみるかな。
 
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山女日記 湊かなえ 幻冬舎

2022-09-04 | 読書
ありきたりな山歩きかもしれないが、柔らかい言葉に沿って辿って行きながら、主人公の心境に共感を覚える。
湊さんは山好き花好きでした、この本を読んで知ったのだが、日記という題名は本人のものではなく、参加して登山情報を得ているSNSの名前でした。

8つの題名のように登った8か所の山にまつわる話で。薄ぅく繋がっている。
主人公はアラサー女子。

もう遠くなったが、軽々と峰を超えていた頃を思い出す。あの頃の穂高や白馬を、足が追いつかなくなってからも未練たっぷりに麓から仰いだことも何度かある。

ガレ場を歩く感じや鎖場の感触など懐かしいシーンに、うら悲しいような気持でメンバーの顔を思いだした。

アラサーが微妙かどうか。生き方を自由に選ぶことができるようになってきた現代。女子の年齢に不自由な時代が、少しずつ変化してきているし、独身であろうとなかろうと、自立さえしていれば周りは大目に見てくれている。

それぞれの生き方や周りの思惑まで山に引き摺っているのは、適齢期とか生産年齢とか、親の気持ちとか何やかやの生きづらい思いがまだ絡みついているからだろう。

異性に惹かれる年頃になると、いやだと言っても面倒なことが山にまでついてくる。
という山の風景と心の風景がリンクしたり離れたり、メンバーに寄り添ったり、迷惑だったり、地上と変わらない気持ちからは解放されないことよくわかる、それでも湊さんの飾らない山歩きが心地よかった。苦しい道を踏破しながらじっくりと自分を見つめなおしたり、頂に立って大きな広い世界を見て少し違った生き方に目覚めたりする。



目次

* 妙鉱山
こんなはずでなかった結婚
⋆ 火打山
捨て去れない華やいだ過去
⋆ 槍ヶ岳
父に言ってしまったあの言葉
* 利尻山
  ぬぐい切れない姉への劣等感
⋆ 白馬岳
夫から切り出された別離
⋆ 金時山
突然見失った将来の目標
* トンガリロ
いつの間にか心が離れた恋人


そして、ア~~私も行きたかった!!
ニュージーランド、ロード・オブ・ザ・リングのトンガリロ、三色のクレーター・火山湖

 ニュージーランドのトレッキングとともに終わった吉田君との登山行。
彼女もまたいつか、登山のように紆余曲折した思い出の道を。辿るのかも。
 
☆ 転載漏れでしたので追加しました。
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「偽りの春」降田天 角川書店

2022-07-10 | 読書

偽りの春神倉駅前交番狩野雷太の推理[降田天]

毎年のカドブンの夏フェアで、初めて出会う作家や作品を読むのをとても楽しみにしている。この作品は面白すぎて降田天の作品リストを作った、知らなかったのは私だけかも、日本推理作家協会賞受賞作。
短編が5編
日常で起きる犯罪がテーマで、謎解きは元刑事で今は交番勤務の狩野雷太。
彼の見かけは砕け過ぎた服装と態度で、のらりくらりと質問をする。それが次第に事件の核心に迫り自縄自縛、他縄自縛?に追い込まれていく。読みながらなぜこんな質問をと思っているうちにハハァと腑に落ちる。この展開が愉快で面白い。ストーリーも軽いものが多いが(犯罪ではあり被害者もいることはいるが)
この狩野雷太がなぜできる刑事から神倉駅前の交番勤務になったのか。
個々の事件はさすがに関係者の思惑も重いが、短編でもスッキリ曰く因縁の種明かしがあるところなど、さすがに受賞作。

☆鎖された赤
僕は誘拐した消去を神倉にのある蔵に監禁している。

話変わって、介護施設に入って空き家になっている祖父の家の様子を見に行った僕は庭の奥の蔵を見つける。三重の扉を開ける鍵がある。中を確かめるとどことなく既視感があった。
ぼくと祖父の蔵のイメージが重なって、心の深いところに応える部分がある。僕の深奥に潜む心理が巧みな語りで味があり特に面白い。文芸作品の高度なテクも感じられる。

☆偽りの春
シニアの詐欺集団。リーダーの和枝は、平等に分配していた金を仲間に持ち逃げされる。その上1000万円出せと脅迫状が来る。脛は傷だらけ。金の工面に知恵を絞って手に入れるが、途中で出会った親切なおまわりさんが家まで送ってくれた、彼は鼻が効いた。これは狩野紹介作品。でもオチが絶品。

☆名前のない薔薇
新種の薔薇は挿し芽でも増やせる。薔薇新種育種で有名になったいい子の理恵ちゃんは母も気に入っていた。
しかし俺は内緒だが泥棒。理恵にあげたくて薔薇屋敷から薔薇を一輪盗んできた。品種登録のない美しい薔薇。
理恵も薔薇を育てていた。そして彼女がつくりだしたという薔薇は絶賛されて売れた。理恵も人気が出た。しかし人気に陰が。

☆見知らぬ親友
恵まれた友達と、貧しいながら美大に通っている私。親友と言われて同じマンションに無償で住まわせてくれ何かと援助してくれる。無邪気に私を親友で好きだと言ってくれる、私はそのたびに密かに彼女を憎む。恵まれている彼女は私に故意に施しをしているのではないだろうか。苦学生ゆえに疑心暗鬼に陥ってしまう女性の心理の行き先が。
詰めが少し甘いように思うが、それでもミステリとしては面白い。

☆サロメの遺言
売れている作家は、過去に付き合った女が死ぬのを見ていた。作品に出演させろと脅し半分で懇願された結果だが、逮捕されても黙秘を続け、狩野と話したいという。
取り調べは父の犯罪にかかわった狩野で。彼になら真実を話すという。
父は美術教師だったが、生徒を焼死させて自殺した。取り調べのいきさつを知りたい。
狩野の重い過去と共に息子の願いも重い。


全く知らなかった降田天という作家を初めて読んだ。面白くて読みやすく、一気読みの本に出合ったことが嬉しい。

降田 天 (ふるた てん)は日本の小説家・推理作家。 萩野 瑛 (はぎの えい)と 鮎川 颯 (あゆかわ そう)が小説を書くために用いている筆名のひとつ。 他に 鮎川 はぎの (あゆかわ はぎの)、 高瀬 ゆのか (たかせ ゆのか)の名義がある [Wikipedia]
 
 
 
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「切り裂きジャックの告白」 中山七里 角川文庫

2022-07-08 | 読書
 
 
「カインの傲慢」を読み始めてあれ?このメンバーに覚えがあると気がついた。先に「切り裂きジャックの告白」を読んでいた。犬養隼人シリーズだ。記録がなくて、改めてまた読み返した。
スト―リーは残念ながらあまり覚えてなくて、その上人間関係が思い出せない、登場人物の人間関係は大切。まぁ知らないでも作品を楽しむことはできるけれど。シリーズ作品は順番通りに読めれば流れに乗りやすく面白い。

中山七里という作家は一度テーマを決めると、どんどん深堀をして話に厚みを持たせる人らしい。ここでは犯罪の元になるのは臓器移植だが、非常に臨場感があり考えさせられるところも多く時間がかかった。
命の重みを考えると単に臓器の受け渡しだけでは済まない多くの問題があり、関係者の心情も複雑になる。


殺害方法は、絞殺後にY字に切り裂いて内臓を全て取り出しているという、残忍な方法だった。
犯人は声明文を新聞社に送り付けてジャックと名乗った。
切り裂きジャックの模倣犯なら一件では済まないだろう、捜査本部も緊張する。

第一の殺人は、マラソンランナーが発見する、公園の椅子に何気ない様子で座っていた女性は、絞殺され見事なメス捌きで内臓が取り出されていた。
深川署と公園は道路を隔てただけの至近距離だった。

本庁から麻生班が捜査本部に参加した、犬養と古手川もペアを組んで捜査に当たる。
二枚目の犬養は30代、元気な古手川は20代。

一人目の犠牲者は劇症肝炎で肝臓移植を受けていた。二人目は細菌性肺炎だったが治療が遅れて肺移植が必要になる。成功して仕事に戻っていた。
臓器移植法が制定されてドナーからの移植が可能になっても、ドナーについての情報はコーディネーターだけが知る、ドナーと患者の詳細は漏らせない。
それがなぜ漏れてこの事件になったのか。
まずコーディネーターを疑え、しかし彼女にはアリバイがあった。だがここまでくると彼女も職業倫理などを振りかざしている状況ではない。
三人目は腎臓を移植された男だという。最近のひどい遊びぶりが話題になっていた。
まだ間に合う、彼を張り込もう。
だが競馬場にいた男は男の声で連絡が入り一足違いで殺された。

二週間に三人、犯人は医療関係者か、それでもなぜ情報が漏れた。

四人目の移植患者は三田村という青年、次は彼を狙うだろう。彼には身辺警護の承諾を得た。

犬養は執刀医のアリバイも調べる、だが全員疑わしいところはなかった。その上執刀医にもドナー情報は開示されていなかった。

執刀した神の手と言われる真境名教授と榊原教授。立場は移植推進派と慎重派に分かれていた。

ついにドナーの情報を得る。高野冴子の倫理観と道徳観、その上情報が洩れて殺人事件が起き四人目も危うい彼女は決心した。ドナーは鬼子母志郎。交通事故死したが彼は母一人子一人の母子家庭だった。

ジャックも最後の目的に向かう。
最後はなぜか人情がらみで解決する。少々犯人も人間的で。

ストーリーの展開は、様々な要素が織こまれている。
応援に加わった犬養・古手川コンビもいい。
犬養は古手川に対する先入観が少しずつ変わってくる。古手川の野生人風でいて繊細なところもある。
傍若無人に見えるキャラクターで別のシリーズにも顔を出すらしい。
お馴染み警察内部のキャリア官僚との軋轢。

移植については
脳死判定は慎重にも慎重に。、時間を争いながら様々な医療手続きがある。脳が死んでも体は生きている。
声明文を受け取った新聞社やマスコミの反応。
医師と宗教家との対談(これは臓器移植に対する歴史に育まれた宗教観、死生観、と現場医師の立場を超えた話が興味深い)こういう心理を織り込むところ効果的。
患者は苦痛から解放されてもまだ長い治療時間が必要になる、移植は完全な治癒ではなく代替の臓器との共存であり、莫大な費用が掛かるということ。

中山七里さんが書くミステリはこういう医療問題を取り上げても説得力がある。それをつないで物語にする力を持った稀有な作家なのだろう。
犯人を追いながら臓器移植が必要な娘を持つ父親として、二度の離婚の後別に住む娘を見舞う父親の心理も盛り込み、グロテスクな話の裏に柔らかいところもある。
 
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「ピンクとグレー」 加藤シゲアキ 角川文庫

2022-06-25 | 読書

 

ピンクとグレー (角川文庫)

この本は加藤ヒデアキさんのデビュー作だというので、読んでみた。タレント本という読みを離れて、一日もかからず読了した。#カドブン夏フェア2022
 
住んでいる芸能界が舞台で話の展開も滞ることがなく、主人公たち二人の青年の成長と挫折を真正面に見ている。
文芸作品のような暗い泥沼ではなく、精神的には重そうなタレントの世界の明暗も、新鮮な描写が印象的だった。

小学生の時に父親の転勤で大阪から横浜に来た河田大貴。
子供ながら少し斜に構えていたりする。
ところが真吾を「ごっち」と呼ぶようになり気がつけば同じマンションに住んでいる同級生の二人も加わって一緒に行動するようになる。
周りがスタンドバイミーのようだなどと言い、河田は少しリバー・フェニックスに似ているというので「りばちゃん」などと呼ばれるようになる。

学年が進み中学生になるころ真吾と大貴は親友になって同じ大学に進む。
学生時代はバンド仲間で、真吾は作詞、大貴はボーカル。
部屋代を折半して大学に近い安マンションに住んでいた。

ふたりに小さい芸能事務所から声がかかりとくにこだわってもいない世界から時々都合のいい仕事がくる。
アルバイトとは言っても、地味にチラシのモデルや通行人といった仕事をするようになった。

次第に写真などが認知され人気が出てくる鈴木真吾。
真吾にドラマの仕事が来て、芸名も白木蓮吾になった。主役の映画も作られた。
いつが彼は麻布十番のタワーマンションに住むようになり、その時当然同居するものだと思っていたりばちゃんが実家に帰るといった。

忙しくなって二人はいつか会うこともなく距離は開いていった。

久しぶりに同窓会が開かれ、スターの蓮吾は周りを囲まれ話す機会がなかった、別れ際に翌日に会いたいといった。
そして蓮吾を訪ねて行った日、彼の姿を目にすることになる。


ふたりの想い出が大貴を過去に呼び戻す。蓮吾との友情と裏に潜んでいるそれぞれの孤独を感じてはいるが、それは芸能界の持っている影に次第に飲み込まれていった。
大貴は今も芸能界から離れることもなく、細い糸でつながりながらも定職はなく今ではフリーターと呼ばれる生き方をしていた。
蓮吾と共に彼はすべてを失った。

芸能人が芸能界を書く事で物語に真実味が加わっている。
若い頃の喪失感はどの時代でも、その時を過ごした後で多少は思い当たるような部分がある。

よくできた青春小説というものは、読んでみれば何かもの悲しい思いで帰らない時代を思い出す。
加藤シゲアキという作家のデビュー作は新鮮な感覚が満ちたいい作品だった、描写も巧みで、文章も爽やか、内容は重い悲しみに満ちていても、読後感はよかった。

思えば文豪も青春小説から始めていたりする。井上ひさし作「モッキンポット氏の後始末」
石川達三だと「青春の蹉跌」漱石「坊ちゃん」海外でも続々と名作が浮かぶ。

若い作家が初めて世に出す作品ということで、世代の差だろうか共有する世界が少しずれる感は致し方ないと思う。もうとっくに通り過ぎた思い出の世界ということで。

 
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「検事の信義」柚月裕子 

2022-06-21 | 読書

 

今回も佐方検事は相変わらず罪人をまっとうに裁くという信念を曲げない、ただ朴訥にまっすぐに職務を遂行する。彼の迷いのない生き方に胸がすく、4つの短編から成る #2022カドブン夏フェア
 
☆裁きを望む
裁判で最後に検事による論告求刑という記事を読むことがある、まっとうに裁くということはこの求刑が罪に対して相当であるかないかということだが、裁判はどういう流れかなどということにはまったく疎いけれど、佐方検事は罪に対する罰の重みを常に考え行動する。

柚月さんはここで、地検内部で刑事部が起訴した案件に疑問をとなえた公判部の佐方の生き方をくっきりと見せる。この事件がまずスタートには最適。

事業に成功した資産家が亡くなり高価な腕時計を持っていた男が窃盗と住居侵入で逮捕される。男は無実を訴え続けている。
佐方はこの男の裁判の論告の最後に「無罪と考えます」と締めた。
なぜか。男を起訴している刑事部との軋轢は眼に見えていたが。

☆恨みを刻む
問題ありだといわれている刑事が男を逮捕した。スナック経営の女から情報を得て男の自宅を捜査し覚醒剤を見つけた。
佐方はこの女の情報に不審を覚えた。その証言のちょっとした齟齬を調べ始める。言い訳は通らない。結果刑事の思惑も見えてくる。佐方検事の爽快な解決が読みどころ。

☆正義を質す
佐方検事は広島出身だった。年末年始休暇で帰省する予定だったが、広島地検にいる同期の木浦に若い頃の想い出の宮島で逢いたいと誘われた。木浦は婚約破棄など失意の時期で郷里には帰省し辛いという。逢ってみるのもいいだろうと約束をした。
木浦は広島でのやくざの抗争を止めたいという。その上検察の裏金問題を内部告発の形で暴露記事に書かれている。佐方も思い当たるところはあるが全国の地検ではこういうことは真相にふれることはない。
またやくざの抗争に無駄に市民を巻き込むことはないなどという。
広島、やくざというと、広島には刑事の日岡がいた。話題作「孤狼の血」はここにも繋がっていた。
抗争の話の元は日岡だったが、彼はやくざの抗争を止める策は、佐方の手を借りて幹部を保釈することにあるといった。
様々な思惑がこの宮島の出会いにある。これだけの情報がさらりと短編にまとめてあり面白かった。

☆信義を守る
これは佐方の人情味溢れる話。
母親殺しで逮捕された男は老いた母親が重荷になったなどと自分勝手な事情を話す。親の介護から逃れたいという息子の殺人罪は重い。
手に負えない認知症の親をおもてあましその上最近職場がいやになりやめたという。今は無職で親の年金だけの極貧生活。持ち家があるので生活保護も受けられないなどともいう。
佐方は雑木林で母を殺して放置し近くをうろついていた息子の行動に不信感を覚える。
彼は近隣や息子の職場を訪れてみると、その人柄は評判がよく、特別好感を持たれていた。母親を殺すなどは孝行息子にはふさわしくない意外な出来事だと揃っていう。

心を揺さぶられるような話で、現代の世相を見るような出来事に、不幸を背負った人生の救いの手はどこにあるのだろうと思う、検事の信義はどこまで照らしているのか、物語に中だけでは済まない気がするが。
 
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「銃」中村文則 河出文庫

2022-01-16 | 読書
 
雨が降りしきる河原の草むらで大学生の西川は動かない男を見つけた。その右手の先に落ちていた銃。拾い上げた時。鈍く光るそれに一目で惹かれた。
 
素人目にも明らかに自殺体だったが、銃がないと捜査も混乱するだろう。それを見越してもその強い魅力に惹かれて持ち帰ってしまった。

部屋で手に持って確かめてみる。大きさは手のひら大で色が沈んだシルバー、鈍い光が美しい。LAWMAN Ⅲ 357 MAGNAM とあった。

握るとそれぞれの指がぴったり収まった。一層愛着がわいた。

部屋の隅のカバンにそっと納めた。銃があるという緊張感と高揚感は日常を変えた。それはいつも頭を離れず心を満たした。

大学に行くと知り合いには笑顔を向けすれ違って肩をぶつけた男を殴り倒そうかと思うくらい気分が高揚し力が湧いていた。
なぜか自分は機嫌がいいのだとウキウキした。
すべて箱の中に納まっている自分の銃のせいで。


女との付き合いもほどほどに気がのらなくなった。
反動か次第に撃ってみたい、力を感じてみたい。日に日に欲求がふくらむ。
もう部屋に隠しては置けない。じかに感じていたい。
ポケットに滑り込まで重さを実感する、歩くと歩く毎に揺れて銃を感じ続けている。
人気のないところでは左胸から出してもって歩く。夜など握って歩いてみる。

新聞を見ると、男の遺体が発見され、他殺だと発表されていた。
記事にショックを受けたが自分は殺していない、なんの証拠もないだろう。

銃との暮らしが続き、高揚感にも慣れた。
ついに撃ってみたい欲求に耐えられなくなった頃、コンビ帰りの夜の暗い公園で死にかけた猫が苦しんでいるのを見かけた。
人気はない一気に死なせるのがいい。
撃ち時だと緊張で震えながら二発撃つと猫は死んだ。

公園から走り出た若い男を見たというコンビにの店員の話で刑事が聴き込みに来た。風采は上がらないが鋭い。
彼は本部の中では自殺説だったが認められていない。しかし確信を持った質問が続く。
証拠がないのを楯に平然とした風を崩さないで返答しうまくいった。

だが刑事は忠告を残して去った。
「早く手放すのだ、分解してもいい、人生がかかっているのだよ」
銃との暮らしは手放せない。やり抜く自信はあると内心覚悟した。

隣に越してきた子持ちのシングルマザーが泣きわめいている声が壁越しに響く。男の子を虐待もしているらしい。耐えられすラジオのボリュームをいっぱいに上げる。

女は夜になると仕事に出る、あれを標的にしよう。刀やナイフと違って拳銃は隠れたところからでも狙える。安全だ。そこがいい。

友人関係も気持ちがそれて破綻し掛けている。
他人の心情を思いやる余裕もなくなり銃の影響はまさに狂気を孕んでくる。、銃に人格を支配されているように思える。

女の後をつけ夜帰宅時間を設定、隠れ場所から迎え撃つ。
しかし万全だと思ったが間際になり女が歩いてくると、そこに怯えだったか恐怖心もあったかふるえがきた。
これこそわずか銃の力が及ばない心の隙間だったのか。チャンスを逃した。

間の悪い時だ。虐待を受けた実父の行方が知れた。もう余命幾ばくも無い病院のベッドから呼んでいるという。
両親に捨てられ施設に入れられ、あとで養子にはいった先では板を張った小屋に閉じ込められて育った。今思えば忘れかけた父という男になど会いに行く恩も義理もない。

しかし殺人に失敗したついでにあってみた。干からびた手が伸びてきたが触りもしないで帰ってきた。

彼の異常な執着癖は狂ってくる。、拳銃は即人を殺せる、心の隅の悪を密かに実現出来る武器だという、怯えと共に憧れがあった。

後半で生い立ちのいびつさを書き、意表な心理がどこから来るのかを書く、ただのマニアックな興味だけではない、根本的な悪の心理と結びついた人格まで凌駕した物体の生々しさを追っていく。

理性を次第に失っていく様子は理性をなくし悪に操られていく過程のようだ。
荒川の土手に転がっていた自殺者の中年男性に巡り合い、銃と共に暮らす若者。
あるかもしれない心理の現実性が、西川という名前の大学生の姿を借りた緊張感のある流れになる。
中村文則のデビュー作で名高いのも納得できる。
やはりその世界は暗い。文章も粘らない文体で初期の作品はこうだったのかと興味深かった。

最後の短編「火」については

運命に恵まれなかった売春婦の精神科での告白で性体験の描写が多い。
精神科医にむかってあからさまに語っている。
犯罪を犯す過程も、婚家の非道な扱いも、一面身から出た錆のようで、語り口は悲しみの物語だが、話中には露骨な性行為の描写も多く。愚かに切羽詰まったと思える殺人行為もどうも入り込めない底辺の貧困を纏った堕落論だった。
 

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「汚れた手をそこで拭かない」 芦沢央 文藝春秋

2022-01-13 | 読書

前の二作がとても面白かったので、見つかった三冊を集めて読んでみた。日常から短編が5編。巧い。
どれも面白かった。

☆ただ運が悪かっただけ
ふすまを開け閉めしている音がいつまでも続いていると思ったのは、夫が鉋をかけている音だった。いつまでたっても削り終わらない。
夫は工務店をやめて建具屋になった。作業場にベッドを入れて寝ながら夫を見ている。余命半年の私。夫は夜毎うなされている、今はただ鉋をかけ続けている。なにを悩んでいるのか。今なら聞けるかも。
夫はやっと打ち明けた「昔人を殺した、罪にはならなかったが」工務店時代常に難癖をつけては、雑用に呼びつける客を殺した。
改築した家の吹き抜けに、電球をつけに来いという。高い長い梯子をもっていった。
電気はついたが。ああ言えばこう言う憎らしい口で「その梯子を売ってくれ」という。新しい梯子を買って来ると言えば「いやなのか、それがいいのだ」と言って分厚い札束の入った財布を見せた。仕方なく売ってきたが、いやな客に古い梯子を。聞いた親方や同僚に褒められた。客は半年後その梯子から落ちて死んだ。梯子の踏み段を止めるボルトが錆びて落ちたのだ。絶縁状態だった娘がひょっこり来合わせて「運が悪かっただけ」といった。
だがその客は宝くじで三千万円を当てていた。娘は知らなかったはず。外に置いてあった梯子の留め金が腐ったのは誰のせいでもない。しかしまだ意識のあった客は「おれに限って…」と言っていた。
死期の迫った私は、夫の気持ちを軽くする名推理を働かせる。

☆埋め合わせ
空が青い、プールの水に空が写って、と思ったらおかしい、色の反射が低い。水が抜けていた。バルブを締め忘れたのか昨日。ぞっとした。すぐに給水口を開けたが間に合うのか。
プールの水代が多額に上り流出させた教諭が弁済したという記事があった。プール半分の水代を計算してみる。良案ではないが思いついた。外の水道を流しっぱなしにして消えた水をそのせいにするのだ。ばたばたと隙を伺うが何かと邪魔が入る。そこに味方が。
三十万円競馬ですった同僚の穴埋めに共犯にされるのか。さすがに計算は早い。

☆忘却
公害からアパートに引っ越してきた夫婦。夏真っ盛りに隣の年寄りが熱中症で亡くなっていた。耐えられない状況に窓を閉じて息を詰める。
息子のすすめで近くに越して来たが、その息子が突然死してしまった、妻は気落ちして認知症になった。
「エアコンが止まっていたそうよ」「電気代の滞納ですって」
間違って配達された「送電停止」と書かれた請求書。妻が渡しておくといったがそのまま忘れたのか。しかし気持ちの負い目はそこではなかった。
元電機屋だった隣人はちょっとした電気のトラブルは気軽に直してくれたのに。電化製品のトラブルには通じていたはずなのに。

☆お蔵入り
いい絵が撮れた。監督は、名優で大御所の岸野に礼を言った。「こちらこそいい映画に出させてもらって」
この会話をメイキングに使おう。
スタッフが走ってきた。岸野さんに薬物使用疑惑が。そうなればもう公開は無理になる。
スタッフが相談した、岸野に詰問したら「もういいよ、今更やめられないもん」と答えた。
スタッフ三人は人気のない6階のベランダから岸野を突き落として口裏を合わせた。
ニュースでは自殺か?事故か?と報道されていた。メイキングに使う映像が繰り返し流れて、追悼番組が組まれ、遺作になる今回の作品は紹介もされている。
しかし当然だが蟻の一穴、そううまくはいかなかった。

☆ミモザ
サイン会に来た彼は「変わらないな」といった。昔の恋人。彼も変わっていなかった。
22歳のバイト先の先輩との不倫関係は奥さんを訪ねたことで壊れた、今になってはそれがよかったと思っている。
彼にはおいしい料理屋に連れて行って貰って味を知った、料理ブログを書いて本になりベストセラーになった。
彼は仕事をやめて仏師になったという。離婚もしていた。今更、と優しい夫を想い浮かべる。
「金貸して?」サラッという。会ったのが間違いだった。奥さんに逃げられ今はゴミ集めの清掃業者。
男は「三十万」。一応と言われて借用書に署名すると男はそれを何気なくポケットに入れた。
また来た「二十万」「何なら十万でいいよ」
部屋に押し入り夫と鉢合わせ、男を一応隠したが最悪の展開になった。
ドアを閉めたらミモザのリースが揺れた。
 
 
 
 
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「ひと」小野寺史宜 祥伝社

2022-01-10 | 読書

 

2022年。ベストセラーで幕開け。20歳で両親を亡くした柏木聖輔、母が勧めてくれた東京の大学を中退して職探しを始める。彼はめげない、輝く向日性は周りを暖かく明るく照らす。
 
料理人の父は東京で修業して、母の郷里鳥取に戻って店を始めた。店はうまくいってなかった。運転する車が猫をよけて電柱にぶつかって父は亡くなってしまった。下りた保険金は店の借金で消えた。母は大学の食堂で働き始めていた。郷里からの突然の訃報に驚いて帰省したが母の死に目には間に合わなかった。鳥取大の木のベンチで項垂れて泣いた。
聖輔は母の勧めで東京の大学に進んでいた。軽音でベースを弾いていたがもう続けていけなくなった、退学と同時にやめた。

下宿に近い砂町銀座を歩いていた。空腹だった。惣菜店の匂いに誘われるがポケットには55円しかなかった。
一個だけ残っていたコロッケが見えた、50円、税込なら54円お釣りが1円か。買おうとして近づいたところ、後ろのおばあさんの勢いに負けで譲ってしまった。
20時間何も食べてなかった。それでも自転車にぶつかりそうだった女性に道を譲り、コロッケも譲り、空腹を抱えて店の前に立っていた。

目の端に入った「アルバイト募集」の貼り紙。彼は即決心した、惣菜店「おかずの田野倉」で働きたい。
店主は密かに見ていた、学校をやめた「いろいろの事情」も深堀しない人だった。「一応履歴書持っておいで、ホイおまけだ、揚げたてハムカツ」
好みだ、厚すぎず、薄すぎず、で熱すぎる、うますぎる。道の陰で頬ばった。久しぶりに人と喋った。これではいけない聖輔は前を見ることにした。

彼はいい。採用だ。
同僚の映樹は気がいいし要領もいい。店主の督次さんも奥さんの詩子さんともうまくやっていけそうだ。
彼は両親譲りの器用さでうまくジャガイモの皮をむく。手作りのお惣菜店。調理を任せられるにも順がある。
皮むきを任され、揚げ物を任され、店先の挨拶も板についてきた。近所の注文に出前もする。

と道を譲った女性がやってきたアレ?見たことがある。彼女は鳥取の同級生でびっくり。
彼女は高校の学園祭でベースを弾いた聖輔の応援団だった、あの時友人と模擬店を抜け出して、席から立ち上がり振り付きで拍手をしてくれた、あの人だ。名前は青葉さんだった。
看護師を目指して健康福祉学部だそうだ、お母さんは看護師。離婚し再婚しても何とか生活できた職業だから、それを目指している、求人も多いから。

彼女には慶応の彼氏がいた。東大早稲田慶応にはついスゴイと言ってしまう。
慶応の彼がきた。どうも目線が違う、しかし彼はそう育ってきたらしい。
彼女は郷里の知り合いだろう、と念を押された、そんな人柄は微妙。
そう郷里の知り合いだからか青葉さんは一人で来て、連絡先を聞かれた。それから気軽に東京を二人で歩く、小さい遊園地や銀座など。気取らず楽しく懐かしい。彼氏は育ちの差というかどことなく感覚がずれて、などと言いながら聖輔と一緒にいると気楽そうだ。

店の休みに両親が働いていた店を訪ねてみる。まだ当時の知り合いがいた、板前は恰好がいい向いているような気がする。別に店を構えた知り合いがお父さんはいい腕だったと言ってくれた。

昼間は空いている下宿で休ませてというバンド仲間が、熱が出たので督次さんに帰るように言われて帰ってみると彼女と寝ていたり。ゴメンもう二度と使わないって。でもバイト先に近いし時々休ませてといったり。
店の映樹さんは彼女の妹の方に気が移って遂に妊娠騒ぎで足が地に着かなかったリ、姉の方はそんなことは露知らず映樹の遅刻の言い訳をするほど気の優しいいいひとだったり。
妹の妊娠は間もなく解決したが、暫くして姉が妊娠、結婚することになった映樹さんはコロッと変わって真面目に喜んでいたり。

母が残してくれたわずかな金を目当てに叔父が、貸した金を返せと言って来て、督次さんは追い払ってけりをつけてくれた。シミジミ独りだと思う。
督次さん夫婦には子供がない、店を継いでほしいと話が出た時将来を決めた。店は映樹さん夫婦が継ぐのがいい。聖輔は調理師の学校に行き父と同じ道を歩こう。

青葉さんと一緒にいるときは楽しくて気が楽で、彼女は明るく優しい。いつまでも二人連れがいい。今度言ってみようか。


彼は賢く控えめで余計なことは話さない。見習いたいほど。
愛用のベースを巡る話も胸が熱くなる、暖かいいい話です。

 

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冷血(下) 高村薫 新潮文庫

2021-12-08 | 読書

 

逮捕、それは巨大な謎の始まりだった。「罪と罰」を根源から問う圧倒的長編(帯より)
 
下巻は逮捕した二人の供述を基にして、犯行を立証できる明確な理由付けを求めるのに、長い時間を費やしている。
「GT-Rを潰されたからスイッチが入ったのか?金が要ったのか」 
…べつに
「なぜATM強盗だったのか?」 
…ユンボを見たから
「車を潰された、危険を感じて逃げた、ユンボを見た、行く先はない予想外の展開だな」
… そんな大層な話ではないっす。訳の分からないことがあると頭が停止するだけで
「襲撃計画は勿論真面目に考えたのだろう、確信があったから仲間まで募集したんだろう?」
… 成功するとかしないとか考えたことはない。一人では無理だから仲間を募っただけで
「あの現場を見て戸田は笑ってしまったって。冗談だと思ったとさ」
… あの歯痛男が?俺もメチャクチャだけど、ついてくる男もメチャクチャだ、いちいち考えないっすよ。考えていたら何もできない。メチャクチャというのはそういう意味っす。

井上の暴行はストレートで中学生並みに雑念がなかった。また激しい気分の上下がありこれは遺伝性の精神障害だった。

戸田はそれを見抜いていたが、新鮮でうらやましいとも感じていたようだ。
町田でマジェスタからハイエースに乗り換えた。
…リベンジしようといったのは戸田っす。
バタフライナイフを忍ばせた戸田に恐怖も感じない井上の、現実から遊離した受け答えに困惑するのみだった。

合田は戸田が精神的にチンピラから殺人強盗犯に乖離した時期はわからない。その論証を極めたい普通人間には、到底理解できない領域で生きている二人に、話を聞いて理解できるものがあるか。考えると合田も困惑を深めた。

「理屈ではない」「分からない」「なんとなく、っす」「それだけっす」

井上に深い考えはなかった。戸田も同じように繰り返される質問には苛立っている。
過去は掘り起こすたびに少しずつ変貌する、実質や真実はどこでどうなっていくのか。変化のない日常でも同様ではないのか。
人間の真実や過去の事実を鮮明に掘り起こすことができるのか。
そういった生き様の奥を、罪というものを通して形に残そうとする、犯人性の認定は困難を極め、警察や検察は浮き上がったような認識しか持たない犯人を前に、死刑にあたる罪を形にしたい。

戸田は考えることをやめた人間だった、二人がなんとなく分かれずに行動を共にしたことも不可解だったが。あるいは心の底の底にかすかに寄り添って居たい物でもあったのだろうか。
戸田の「顎の骨に達して暴れる病」の治療が先行した。癌化も見られ顎半分を削ってしまった顔はもう元の形を留めていなかった。
過去の暮らしや犯罪の痕跡の事実確認よりも、身近な歯痛との戦いに疲弊し、彼は死亡により残忍な殺人を行った罪深い人生から消えていった。

深く考えれば、井上のように生きることはわからないというのが正しいかもしれない。しかし分からないまま人を無惨に殺し、まして穏やかな家庭を壊し、子供たちの命まで奪った。
法律は見えなくても、人間として成長すること、集団の中で生きるのは最低のルールがある。まして遠い過去の命の誕生には手が届かない。科学が進んだSFでもないと未来永劫単独で命を作り出すことはできない。殺すことはできても。
ふたりは最低自分の命だけを守り心の赴くままに生きてきた。教えられることもなく考える必要もなく生きてきた。

宿業の中で苦しみつつ死んだ戸田、常に居場所がなかった井上。彼らの犯した罪はやはり命で贖うことしかなかったのか。
今、人為的に贖わせる以外に方法は見いだせていない。罪と罰に対して人はそれぞれの意見を持つ。

人は人をどこまで裁くことができるのか、命を作り出す崇高な作業を神業というなら生まれた命を人の手で殺していいのか。
生きる辛さ暗さを手探りしながら犯罪の根源を探ろうとする高村さんの作品は人間の犯した罪の重さを、内向きに考えることをしない犯人の許されない罪を裁く困難な部分に踏み込んだ重厚な作品だった。
カポーティの「冷血」は長く残っているノンフィクションだ。だが高村さんが作り出したこの世界もやはり傑作だろう。


黄金を抱いて翔べ
リヴィエラを撃て
地を這う虫
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