空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

おきなぐさ 宮沢賢治、陣崎草子 出版社:三起商行株式会社

2023-05-20 | 読書
 
おきなぐさ
 
 
子供の頃、畑の畦や野原でこの優しい花をよく見かけました。初夏には長いひげをもつ種子ができていました。
転勤先の岩手に住んでいた頃、山に行くと懐かしいいろいろな花に出会えました。
枯れた野原でこの花を見つけた時その話をすると「おきなぐさ」は「うずのしゅげ」と呼ばれていると教えてもらいました。
「うず」は「おじいさん」。「しゅげ」は「ひげ」という意味だそうです。
たまたま車で通りかかった道なのですが、岩手のどこかの山ではまだこの花が咲いているかもしれません。今はどうなっているだろうと時々思い出していました。
子供の頃歩いた故郷の野山はすっかり変わってもう見ることはできません。

偶然通りかかった花屋さんで見つけたオキナグサは記憶の花と同じ形をしていますが、色が薄くたぶん園芸種なのだと思います。それでも買ってきて植えてみました、元気に育って咲きました。次は「髭」を見ようと楽しみにしています。

挿絵が美しい宮沢賢治の絵本を図書館で見つけました。
「宮沢賢治コレクション4 雁の童子」が底本になっています。


              ☆☆☆


 私は去年の丁度今ごろの風のすきとおったある日のひるまを思い出します。
 それは小岩井農場の南、
 あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわでした。

 この花は黒繻子ででもこしらえた変わり型のコップのように見えますが
 蟻にたずねます
 うずのしゅげはすきかい
 大好きです
 あの花は真っ黒だよ
 いいえ黒く見えるときもそれはあります   
 けれどもまるで燃えあがって真赤な時もあります。
 いいえ、お日さまの光の降る時なら
 誰にだってまっ赤に見えるだろうと思います

 蟻はそして花の全身を覆っている柔らかい銀の糸のことも話します
 山男も、空高く舞うひばりも、この花が大好きでした。
 花が終わり長いひげが旅立つ時が来ました。

 綺麗なすきとおった風がやって参りました。
 まず向こうのポプラをひるがえし
 青の燕麦に波をたててそれから丘に登って来ました。
 うずのしゅげは光ってまるで踊るように
 ふらふらして叫びました
「さようなら、ひばりさん、さようなら、みなさん
 お日さん、ありがとうございました」
 そして丁度星が砕けて散るときのように体がばらばらになって
 一本ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のように北の方へ飛んでいきました。 

           ☆☆☆ 



これは抜き書きですが
賢治のたくさんの話の風景の中に「おきなぐさ」も咲いていて、こんな美しい言葉になっているのが嬉しくて何度も読み返しました。
 
今年、庭で咲いたおきなぐさです。
 
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3月26日 「本か好き!」から転載
 
 
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予言の島 澤村伊智 KADOKAWA

2022-09-06 | 読書
 
オカルトか、超常現象か、怨霊の仕業か。 悲惨な出来事が閉ざされた島で起きる。恐怖条件がそろっていて期待したが次第に興味が薄れるような結果だった。カドブン夏フェア2022
一度全国を席巻したオカルトブームは、地下鉄サリン事件の後自粛ムードに入った。だがじわじわと火が付きまた予言者に人気が出て、占いや心霊スポットに関心が湧いてきた。
そのころ、22年前には心霊タレントも出てくるようになった。

テレビクルーが預言者の宇都木幽子を伴って、曰くのある瀬戸内の小島に来た。だが幽子は体調を崩し、不気味な予言を残して島を去って二年後に亡くなった。


兵庫在住の友人たち三人で旅行に出ることになった。高校時代の同級生だが、東京にいた秀才の宗作が退職して戻ってきた。死のうとしているところに父親が駆け付けて助け出したそうだ。親心は深い。なんとなく感じた第六感で間に合った。超常現象っぽい雰囲気で始まる。
岬春生は風来坊だが、ちょうど戻ってきて、宗作歓迎の計画は任せろと言った。地元にいる淳は勿論賛成。
春生が選んだ島はかつての流刑地で、ヒキタという男が無残な姿になって山に駆け上って死んだと言われている。大小の山から成りヒキタの怨霊がこもる疋田山には登るなと言われている。

島に渡ってみると明日は人が死ぬ日だと幽子が予言したということで宿を断られる。そこに、よそ者で民宿を開いている男が泊めてくれるという。
幽子の孫という小柄な女性と派手な女と妙に過保護な親子も同宿する。派手な女は幽子を崇拝していて予言は当たると信じ切っていて占い師になっていた。

ただ明日が6人が死ぬと予言された日だった
折悪しく台風の進路が四国から瀬戸内海に当たり、島に着いた頃から風雨が強まってきた。

春夫が出て行ったまま帰らない。淳が探しに行くと海に浮かんで死んでいた。橘という駐在も頭を殴られて死んでいた。
どこの家も戸をぴったり占めて閉じこもり誰も出てこない。
古畑という老人が奇声を上げていた。そばに意識不明の宗作が倒れていた。
彼を宿に連れて帰る。
予言通り次々に死んでいく。
だが幽子の孫は予言を否定して疋田山に登る。淳も後を追っていく。

風が吹き上げてきて人々は山の上の避難小屋に逃げ込む、村人がひしめいていて、伝承は実現する、ヒキタの怨霊が来ると怯えている。

河を渡って山に避難しようとした老人二人が奇妙な死に方をした。これで四人。

村で最後の生徒だった、今では風貌も老いさらばえた古畑は小学校で縊れて死んだ。
これで5人。

やはり幽子の預言は正しいのか、6人目は?


だが古畑を追って来た孫は予言を解説していう。祖母は偽物だった。予言も信じられない。


伝承や祟りなどが伝えられてきた島、古くからある民間伝承だった、そこへ幽子が来て予言を残して死んでしまった。
今その予言が実現に起きている、と怯えている。
流人の話もヒキタの無惨な死にざまも現実なのだ。


ホラーや神秘体験はいつかは死ぬという「死」を背負った人間の(恐怖)心理をうまく乗せて、まだ見ることのない死後の世界を体験させたり、予感させたり、死人と会話させたりする。
現実にはあり得ないような出来事や実現したかのような予言で、信じこませたり恐怖させたりする。
ありえないと言い切ることができない不思議な出来事や力に、学問として科学的な専門知識を持っていても惑わされてしまうこともある。

ひとは自分が「どこからきてどこへ行くのか」と問うことで思考回路に迷いこんでしまうこともおおい、すべては見ても聞いても恐怖なのかもしれない。

だがこの作品を読んでいて、非現実な世界に誘いこもうとする作為に疲れた。作品として時系列や表現に少し距離があり過ぎ、たとえ話にしても、それが今、我に返った読者は信じられるのか。

伝承があったとしても恐怖の元は今、行われている現代の暮らしの中から生まれていることの方が多い、多くは科学的に解明されていることも多い。伝承はひとびとの暮らしや風景の中に郷愁と共に埋もれようとしている。
 
 
結論が余りに現代と距離があり、文化の交流のない老人ばかりの島にしてもただ自然を相手に長い時間を無駄にして愚かだ。

そうそう締めは、作者の思惑は効果的で、びっくり、読み直してみるかな。
 
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山女日記 湊かなえ 幻冬舎

2022-09-04 | 読書
ありきたりな山歩きかもしれないが、柔らかい言葉に沿って辿って行きながら、主人公の心境に共感を覚える。
湊さんは山好き花好きでした、この本を読んで知ったのだが、日記という題名は本人のものではなく、参加して登山情報を得ているSNSの名前でした。

8つの題名のように登った8か所の山にまつわる話で。薄ぅく繋がっている。
主人公はアラサー女子。

もう遠くなったが、軽々と峰を超えていた頃を思い出す。あの頃の穂高や白馬を、足が追いつかなくなってからも未練たっぷりに麓から仰いだことも何度かある。

ガレ場を歩く感じや鎖場の感触など懐かしいシーンに、うら悲しいような気持でメンバーの顔を思いだした。

アラサーが微妙かどうか。生き方を自由に選ぶことができるようになってきた現代。女子の年齢に不自由な時代が、少しずつ変化してきているし、独身であろうとなかろうと、自立さえしていれば周りは大目に見てくれている。

それぞれの生き方や周りの思惑まで山に引き摺っているのは、適齢期とか生産年齢とか、親の気持ちとか何やかやの生きづらい思いがまだ絡みついているからだろう。

異性に惹かれる年頃になると、いやだと言っても面倒なことが山にまでついてくる。
という山の風景と心の風景がリンクしたり離れたり、メンバーに寄り添ったり、迷惑だったり、地上と変わらない気持ちからは解放されないことよくわかる、それでも湊さんの飾らない山歩きが心地よかった。苦しい道を踏破しながらじっくりと自分を見つめなおしたり、頂に立って大きな広い世界を見て少し違った生き方に目覚めたりする。



目次

* 妙鉱山
こんなはずでなかった結婚
⋆ 火打山
捨て去れない華やいだ過去
⋆ 槍ヶ岳
父に言ってしまったあの言葉
* 利尻山
  ぬぐい切れない姉への劣等感
⋆ 白馬岳
夫から切り出された別離
⋆ 金時山
突然見失った将来の目標
* トンガリロ
いつの間にか心が離れた恋人


そして、ア~~私も行きたかった!!
ニュージーランド、ロード・オブ・ザ・リングのトンガリロ、三色のクレーター・火山湖

 ニュージーランドのトレッキングとともに終わった吉田君との登山行。
彼女もまたいつか、登山のように紆余曲折した思い出の道を。辿るのかも。
 
☆ 転載漏れでしたので追加しました。
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「偽りの春」降田天 角川書店

2022-07-10 | 読書

偽りの春神倉駅前交番狩野雷太の推理[降田天]

毎年のカドブンの夏フェアで、初めて出会う作家や作品を読むのをとても楽しみにしている。この作品は面白すぎて降田天の作品リストを作った、知らなかったのは私だけかも、日本推理作家協会賞受賞作。
短編が5編
日常で起きる犯罪がテーマで、謎解きは元刑事で今は交番勤務の狩野雷太。
彼の見かけは砕け過ぎた服装と態度で、のらりくらりと質問をする。それが次第に事件の核心に迫り自縄自縛、他縄自縛?に追い込まれていく。読みながらなぜこんな質問をと思っているうちにハハァと腑に落ちる。この展開が愉快で面白い。ストーリーも軽いものが多いが(犯罪ではあり被害者もいることはいるが)
この狩野雷太がなぜできる刑事から神倉駅前の交番勤務になったのか。
個々の事件はさすがに関係者の思惑も重いが、短編でもスッキリ曰く因縁の種明かしがあるところなど、さすがに受賞作。

☆鎖された赤
僕は誘拐した消去を神倉にのある蔵に監禁している。

話変わって、介護施設に入って空き家になっている祖父の家の様子を見に行った僕は庭の奥の蔵を見つける。三重の扉を開ける鍵がある。中を確かめるとどことなく既視感があった。
ぼくと祖父の蔵のイメージが重なって、心の深いところに応える部分がある。僕の深奥に潜む心理が巧みな語りで味があり特に面白い。文芸作品の高度なテクも感じられる。

☆偽りの春
シニアの詐欺集団。リーダーの和枝は、平等に分配していた金を仲間に持ち逃げされる。その上1000万円出せと脅迫状が来る。脛は傷だらけ。金の工面に知恵を絞って手に入れるが、途中で出会った親切なおまわりさんが家まで送ってくれた、彼は鼻が効いた。これは狩野紹介作品。でもオチが絶品。

☆名前のない薔薇
新種の薔薇は挿し芽でも増やせる。薔薇新種育種で有名になったいい子の理恵ちゃんは母も気に入っていた。
しかし俺は内緒だが泥棒。理恵にあげたくて薔薇屋敷から薔薇を一輪盗んできた。品種登録のない美しい薔薇。
理恵も薔薇を育てていた。そして彼女がつくりだしたという薔薇は絶賛されて売れた。理恵も人気が出た。しかし人気に陰が。

☆見知らぬ親友
恵まれた友達と、貧しいながら美大に通っている私。親友と言われて同じマンションに無償で住まわせてくれ何かと援助してくれる。無邪気に私を親友で好きだと言ってくれる、私はそのたびに密かに彼女を憎む。恵まれている彼女は私に故意に施しをしているのではないだろうか。苦学生ゆえに疑心暗鬼に陥ってしまう女性の心理の行き先が。
詰めが少し甘いように思うが、それでもミステリとしては面白い。

☆サロメの遺言
売れている作家は、過去に付き合った女が死ぬのを見ていた。作品に出演させろと脅し半分で懇願された結果だが、逮捕されても黙秘を続け、狩野と話したいという。
取り調べは父の犯罪にかかわった狩野で。彼になら真実を話すという。
父は美術教師だったが、生徒を焼死させて自殺した。取り調べのいきさつを知りたい。
狩野の重い過去と共に息子の願いも重い。


全く知らなかった降田天という作家を初めて読んだ。面白くて読みやすく、一気読みの本に出合ったことが嬉しい。

降田 天 (ふるた てん)は日本の小説家・推理作家。 萩野 瑛 (はぎの えい)と 鮎川 颯 (あゆかわ そう)が小説を書くために用いている筆名のひとつ。 他に 鮎川 はぎの (あゆかわ はぎの)、 高瀬 ゆのか (たかせ ゆのか)の名義がある [Wikipedia]
 
 
 
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「切り裂きジャックの告白」 中山七里 角川文庫

2022-07-08 | 読書
 
 
「カインの傲慢」を読み始めてあれ?このメンバーに覚えがあると気がついた。先に「切り裂きジャックの告白」を読んでいた。犬養隼人シリーズだ。記録がなくて、改めてまた読み返した。
スト―リーは残念ながらあまり覚えてなくて、その上人間関係が思い出せない、登場人物の人間関係は大切。まぁ知らないでも作品を楽しむことはできるけれど。シリーズ作品は順番通りに読めれば流れに乗りやすく面白い。

中山七里という作家は一度テーマを決めると、どんどん深堀をして話に厚みを持たせる人らしい。ここでは犯罪の元になるのは臓器移植だが、非常に臨場感があり考えさせられるところも多く時間がかかった。
命の重みを考えると単に臓器の受け渡しだけでは済まない多くの問題があり、関係者の心情も複雑になる。


殺害方法は、絞殺後にY字に切り裂いて内臓を全て取り出しているという、残忍な方法だった。
犯人は声明文を新聞社に送り付けてジャックと名乗った。
切り裂きジャックの模倣犯なら一件では済まないだろう、捜査本部も緊張する。

第一の殺人は、マラソンランナーが発見する、公園の椅子に何気ない様子で座っていた女性は、絞殺され見事なメス捌きで内臓が取り出されていた。
深川署と公園は道路を隔てただけの至近距離だった。

本庁から麻生班が捜査本部に参加した、犬養と古手川もペアを組んで捜査に当たる。
二枚目の犬養は30代、元気な古手川は20代。

一人目の犠牲者は劇症肝炎で肝臓移植を受けていた。二人目は細菌性肺炎だったが治療が遅れて肺移植が必要になる。成功して仕事に戻っていた。
臓器移植法が制定されてドナーからの移植が可能になっても、ドナーについての情報はコーディネーターだけが知る、ドナーと患者の詳細は漏らせない。
それがなぜ漏れてこの事件になったのか。
まずコーディネーターを疑え、しかし彼女にはアリバイがあった。だがここまでくると彼女も職業倫理などを振りかざしている状況ではない。
三人目は腎臓を移植された男だという。最近のひどい遊びぶりが話題になっていた。
まだ間に合う、彼を張り込もう。
だが競馬場にいた男は男の声で連絡が入り一足違いで殺された。

二週間に三人、犯人は医療関係者か、それでもなぜ情報が漏れた。

四人目の移植患者は三田村という青年、次は彼を狙うだろう。彼には身辺警護の承諾を得た。

犬養は執刀医のアリバイも調べる、だが全員疑わしいところはなかった。その上執刀医にもドナー情報は開示されていなかった。

執刀した神の手と言われる真境名教授と榊原教授。立場は移植推進派と慎重派に分かれていた。

ついにドナーの情報を得る。高野冴子の倫理観と道徳観、その上情報が洩れて殺人事件が起き四人目も危うい彼女は決心した。ドナーは鬼子母志郎。交通事故死したが彼は母一人子一人の母子家庭だった。

ジャックも最後の目的に向かう。
最後はなぜか人情がらみで解決する。少々犯人も人間的で。

ストーリーの展開は、様々な要素が織こまれている。
応援に加わった犬養・古手川コンビもいい。
犬養は古手川に対する先入観が少しずつ変わってくる。古手川の野生人風でいて繊細なところもある。
傍若無人に見えるキャラクターで別のシリーズにも顔を出すらしい。
お馴染み警察内部のキャリア官僚との軋轢。

移植については
脳死判定は慎重にも慎重に。、時間を争いながら様々な医療手続きがある。脳が死んでも体は生きている。
声明文を受け取った新聞社やマスコミの反応。
医師と宗教家との対談(これは臓器移植に対する歴史に育まれた宗教観、死生観、と現場医師の立場を超えた話が興味深い)こういう心理を織り込むところ効果的。
患者は苦痛から解放されてもまだ長い治療時間が必要になる、移植は完全な治癒ではなく代替の臓器との共存であり、莫大な費用が掛かるということ。

中山七里さんが書くミステリはこういう医療問題を取り上げても説得力がある。それをつないで物語にする力を持った稀有な作家なのだろう。
犯人を追いながら臓器移植が必要な娘を持つ父親として、二度の離婚の後別に住む娘を見舞う父親の心理も盛り込み、グロテスクな話の裏に柔らかいところもある。
 
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「ピンクとグレー」 加藤シゲアキ 角川文庫

2022-06-25 | 読書

 

ピンクとグレー (角川文庫)

この本は加藤ヒデアキさんのデビュー作だというので、読んでみた。タレント本という読みを離れて、一日もかからず読了した。#カドブン夏フェア2022
 
住んでいる芸能界が舞台で話の展開も滞ることがなく、主人公たち二人の青年の成長と挫折を真正面に見ている。
文芸作品のような暗い泥沼ではなく、精神的には重そうなタレントの世界の明暗も、新鮮な描写が印象的だった。

小学生の時に父親の転勤で大阪から横浜に来た河田大貴。
子供ながら少し斜に構えていたりする。
ところが真吾を「ごっち」と呼ぶようになり気がつけば同じマンションに住んでいる同級生の二人も加わって一緒に行動するようになる。
周りがスタンドバイミーのようだなどと言い、河田は少しリバー・フェニックスに似ているというので「りばちゃん」などと呼ばれるようになる。

学年が進み中学生になるころ真吾と大貴は親友になって同じ大学に進む。
学生時代はバンド仲間で、真吾は作詞、大貴はボーカル。
部屋代を折半して大学に近い安マンションに住んでいた。

ふたりに小さい芸能事務所から声がかかりとくにこだわってもいない世界から時々都合のいい仕事がくる。
アルバイトとは言っても、地味にチラシのモデルや通行人といった仕事をするようになった。

次第に写真などが認知され人気が出てくる鈴木真吾。
真吾にドラマの仕事が来て、芸名も白木蓮吾になった。主役の映画も作られた。
いつが彼は麻布十番のタワーマンションに住むようになり、その時当然同居するものだと思っていたりばちゃんが実家に帰るといった。

忙しくなって二人はいつか会うこともなく距離は開いていった。

久しぶりに同窓会が開かれ、スターの蓮吾は周りを囲まれ話す機会がなかった、別れ際に翌日に会いたいといった。
そして蓮吾を訪ねて行った日、彼の姿を目にすることになる。


ふたりの想い出が大貴を過去に呼び戻す。蓮吾との友情と裏に潜んでいるそれぞれの孤独を感じてはいるが、それは芸能界の持っている影に次第に飲み込まれていった。
大貴は今も芸能界から離れることもなく、細い糸でつながりながらも定職はなく今ではフリーターと呼ばれる生き方をしていた。
蓮吾と共に彼はすべてを失った。

芸能人が芸能界を書く事で物語に真実味が加わっている。
若い頃の喪失感はどの時代でも、その時を過ごした後で多少は思い当たるような部分がある。

よくできた青春小説というものは、読んでみれば何かもの悲しい思いで帰らない時代を思い出す。
加藤シゲアキという作家のデビュー作は新鮮な感覚が満ちたいい作品だった、描写も巧みで、文章も爽やか、内容は重い悲しみに満ちていても、読後感はよかった。

思えば文豪も青春小説から始めていたりする。井上ひさし作「モッキンポット氏の後始末」
石川達三だと「青春の蹉跌」漱石「坊ちゃん」海外でも続々と名作が浮かぶ。

若い作家が初めて世に出す作品ということで、世代の差だろうか共有する世界が少しずれる感は致し方ないと思う。もうとっくに通り過ぎた思い出の世界ということで。

 
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「検事の信義」柚月裕子 

2022-06-21 | 読書

 

今回も佐方検事は相変わらず罪人をまっとうに裁くという信念を曲げない、ただ朴訥にまっすぐに職務を遂行する。彼の迷いのない生き方に胸がすく、4つの短編から成る #2022カドブン夏フェア
 
☆裁きを望む
裁判で最後に検事による論告求刑という記事を読むことがある、まっとうに裁くということはこの求刑が罪に対して相当であるかないかということだが、裁判はどういう流れかなどということにはまったく疎いけれど、佐方検事は罪に対する罰の重みを常に考え行動する。

柚月さんはここで、地検内部で刑事部が起訴した案件に疑問をとなえた公判部の佐方の生き方をくっきりと見せる。この事件がまずスタートには最適。

事業に成功した資産家が亡くなり高価な腕時計を持っていた男が窃盗と住居侵入で逮捕される。男は無実を訴え続けている。
佐方はこの男の裁判の論告の最後に「無罪と考えます」と締めた。
なぜか。男を起訴している刑事部との軋轢は眼に見えていたが。

☆恨みを刻む
問題ありだといわれている刑事が男を逮捕した。スナック経営の女から情報を得て男の自宅を捜査し覚醒剤を見つけた。
佐方はこの女の情報に不審を覚えた。その証言のちょっとした齟齬を調べ始める。言い訳は通らない。結果刑事の思惑も見えてくる。佐方検事の爽快な解決が読みどころ。

☆正義を質す
佐方検事は広島出身だった。年末年始休暇で帰省する予定だったが、広島地検にいる同期の木浦に若い頃の想い出の宮島で逢いたいと誘われた。木浦は婚約破棄など失意の時期で郷里には帰省し辛いという。逢ってみるのもいいだろうと約束をした。
木浦は広島でのやくざの抗争を止めたいという。その上検察の裏金問題を内部告発の形で暴露記事に書かれている。佐方も思い当たるところはあるが全国の地検ではこういうことは真相にふれることはない。
またやくざの抗争に無駄に市民を巻き込むことはないなどという。
広島、やくざというと、広島には刑事の日岡がいた。話題作「孤狼の血」はここにも繋がっていた。
抗争の話の元は日岡だったが、彼はやくざの抗争を止める策は、佐方の手を借りて幹部を保釈することにあるといった。
様々な思惑がこの宮島の出会いにある。これだけの情報がさらりと短編にまとめてあり面白かった。

☆信義を守る
これは佐方の人情味溢れる話。
母親殺しで逮捕された男は老いた母親が重荷になったなどと自分勝手な事情を話す。親の介護から逃れたいという息子の殺人罪は重い。
手に負えない認知症の親をおもてあましその上最近職場がいやになりやめたという。今は無職で親の年金だけの極貧生活。持ち家があるので生活保護も受けられないなどともいう。
佐方は雑木林で母を殺して放置し近くをうろついていた息子の行動に不信感を覚える。
彼は近隣や息子の職場を訪れてみると、その人柄は評判がよく、特別好感を持たれていた。母親を殺すなどは孝行息子にはふさわしくない意外な出来事だと揃っていう。

心を揺さぶられるような話で、現代の世相を見るような出来事に、不幸を背負った人生の救いの手はどこにあるのだろうと思う、検事の信義はどこまで照らしているのか、物語に中だけでは済まない気がするが。
 
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「銃」中村文則 河出文庫

2022-01-16 | 読書
 
雨が降りしきる河原の草むらで大学生の西川は動かない男を見つけた。その右手の先に落ちていた銃。拾い上げた時。鈍く光るそれに一目で惹かれた。
 
素人目にも明らかに自殺体だったが、銃がないと捜査も混乱するだろう。それを見越してもその強い魅力に惹かれて持ち帰ってしまった。

部屋で手に持って確かめてみる。大きさは手のひら大で色が沈んだシルバー、鈍い光が美しい。LAWMAN Ⅲ 357 MAGNAM とあった。

握るとそれぞれの指がぴったり収まった。一層愛着がわいた。

部屋の隅のカバンにそっと納めた。銃があるという緊張感と高揚感は日常を変えた。それはいつも頭を離れず心を満たした。

大学に行くと知り合いには笑顔を向けすれ違って肩をぶつけた男を殴り倒そうかと思うくらい気分が高揚し力が湧いていた。
なぜか自分は機嫌がいいのだとウキウキした。
すべて箱の中に納まっている自分の銃のせいで。


女との付き合いもほどほどに気がのらなくなった。
反動か次第に撃ってみたい、力を感じてみたい。日に日に欲求がふくらむ。
もう部屋に隠しては置けない。じかに感じていたい。
ポケットに滑り込まで重さを実感する、歩くと歩く毎に揺れて銃を感じ続けている。
人気のないところでは左胸から出してもって歩く。夜など握って歩いてみる。

新聞を見ると、男の遺体が発見され、他殺だと発表されていた。
記事にショックを受けたが自分は殺していない、なんの証拠もないだろう。

銃との暮らしが続き、高揚感にも慣れた。
ついに撃ってみたい欲求に耐えられなくなった頃、コンビ帰りの夜の暗い公園で死にかけた猫が苦しんでいるのを見かけた。
人気はない一気に死なせるのがいい。
撃ち時だと緊張で震えながら二発撃つと猫は死んだ。

公園から走り出た若い男を見たというコンビにの店員の話で刑事が聴き込みに来た。風采は上がらないが鋭い。
彼は本部の中では自殺説だったが認められていない。しかし確信を持った質問が続く。
証拠がないのを楯に平然とした風を崩さないで返答しうまくいった。

だが刑事は忠告を残して去った。
「早く手放すのだ、分解してもいい、人生がかかっているのだよ」
銃との暮らしは手放せない。やり抜く自信はあると内心覚悟した。

隣に越してきた子持ちのシングルマザーが泣きわめいている声が壁越しに響く。男の子を虐待もしているらしい。耐えられすラジオのボリュームをいっぱいに上げる。

女は夜になると仕事に出る、あれを標的にしよう。刀やナイフと違って拳銃は隠れたところからでも狙える。安全だ。そこがいい。

友人関係も気持ちがそれて破綻し掛けている。
他人の心情を思いやる余裕もなくなり銃の影響はまさに狂気を孕んでくる。、銃に人格を支配されているように思える。

女の後をつけ夜帰宅時間を設定、隠れ場所から迎え撃つ。
しかし万全だと思ったが間際になり女が歩いてくると、そこに怯えだったか恐怖心もあったかふるえがきた。
これこそわずか銃の力が及ばない心の隙間だったのか。チャンスを逃した。

間の悪い時だ。虐待を受けた実父の行方が知れた。もう余命幾ばくも無い病院のベッドから呼んでいるという。
両親に捨てられ施設に入れられ、あとで養子にはいった先では板を張った小屋に閉じ込められて育った。今思えば忘れかけた父という男になど会いに行く恩も義理もない。

しかし殺人に失敗したついでにあってみた。干からびた手が伸びてきたが触りもしないで帰ってきた。

彼の異常な執着癖は狂ってくる。、拳銃は即人を殺せる、心の隅の悪を密かに実現出来る武器だという、怯えと共に憧れがあった。

後半で生い立ちのいびつさを書き、意表な心理がどこから来るのかを書く、ただのマニアックな興味だけではない、根本的な悪の心理と結びついた人格まで凌駕した物体の生々しさを追っていく。

理性を次第に失っていく様子は理性をなくし悪に操られていく過程のようだ。
荒川の土手に転がっていた自殺者の中年男性に巡り合い、銃と共に暮らす若者。
あるかもしれない心理の現実性が、西川という名前の大学生の姿を借りた緊張感のある流れになる。
中村文則のデビュー作で名高いのも納得できる。
やはりその世界は暗い。文章も粘らない文体で初期の作品はこうだったのかと興味深かった。

最後の短編「火」については

運命に恵まれなかった売春婦の精神科での告白で性体験の描写が多い。
精神科医にむかってあからさまに語っている。
犯罪を犯す過程も、婚家の非道な扱いも、一面身から出た錆のようで、語り口は悲しみの物語だが、話中には露骨な性行為の描写も多く。愚かに切羽詰まったと思える殺人行為もどうも入り込めない底辺の貧困を纏った堕落論だった。
 

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「汚れた手をそこで拭かない」 芦沢央 文藝春秋

2022-01-13 | 読書

前の二作がとても面白かったので、見つかった三冊を集めて読んでみた。日常から短編が5編。巧い。
どれも面白かった。

☆ただ運が悪かっただけ
ふすまを開け閉めしている音がいつまでも続いていると思ったのは、夫が鉋をかけている音だった。いつまでたっても削り終わらない。
夫は工務店をやめて建具屋になった。作業場にベッドを入れて寝ながら夫を見ている。余命半年の私。夫は夜毎うなされている、今はただ鉋をかけ続けている。なにを悩んでいるのか。今なら聞けるかも。
夫はやっと打ち明けた「昔人を殺した、罪にはならなかったが」工務店時代常に難癖をつけては、雑用に呼びつける客を殺した。
改築した家の吹き抜けに、電球をつけに来いという。高い長い梯子をもっていった。
電気はついたが。ああ言えばこう言う憎らしい口で「その梯子を売ってくれ」という。新しい梯子を買って来ると言えば「いやなのか、それがいいのだ」と言って分厚い札束の入った財布を見せた。仕方なく売ってきたが、いやな客に古い梯子を。聞いた親方や同僚に褒められた。客は半年後その梯子から落ちて死んだ。梯子の踏み段を止めるボルトが錆びて落ちたのだ。絶縁状態だった娘がひょっこり来合わせて「運が悪かっただけ」といった。
だがその客は宝くじで三千万円を当てていた。娘は知らなかったはず。外に置いてあった梯子の留め金が腐ったのは誰のせいでもない。しかしまだ意識のあった客は「おれに限って…」と言っていた。
死期の迫った私は、夫の気持ちを軽くする名推理を働かせる。

☆埋め合わせ
空が青い、プールの水に空が写って、と思ったらおかしい、色の反射が低い。水が抜けていた。バルブを締め忘れたのか昨日。ぞっとした。すぐに給水口を開けたが間に合うのか。
プールの水代が多額に上り流出させた教諭が弁済したという記事があった。プール半分の水代を計算してみる。良案ではないが思いついた。外の水道を流しっぱなしにして消えた水をそのせいにするのだ。ばたばたと隙を伺うが何かと邪魔が入る。そこに味方が。
三十万円競馬ですった同僚の穴埋めに共犯にされるのか。さすがに計算は早い。

☆忘却
公害からアパートに引っ越してきた夫婦。夏真っ盛りに隣の年寄りが熱中症で亡くなっていた。耐えられない状況に窓を閉じて息を詰める。
息子のすすめで近くに越して来たが、その息子が突然死してしまった、妻は気落ちして認知症になった。
「エアコンが止まっていたそうよ」「電気代の滞納ですって」
間違って配達された「送電停止」と書かれた請求書。妻が渡しておくといったがそのまま忘れたのか。しかし気持ちの負い目はそこではなかった。
元電機屋だった隣人はちょっとした電気のトラブルは気軽に直してくれたのに。電化製品のトラブルには通じていたはずなのに。

☆お蔵入り
いい絵が撮れた。監督は、名優で大御所の岸野に礼を言った。「こちらこそいい映画に出させてもらって」
この会話をメイキングに使おう。
スタッフが走ってきた。岸野さんに薬物使用疑惑が。そうなればもう公開は無理になる。
スタッフが相談した、岸野に詰問したら「もういいよ、今更やめられないもん」と答えた。
スタッフ三人は人気のない6階のベランダから岸野を突き落として口裏を合わせた。
ニュースでは自殺か?事故か?と報道されていた。メイキングに使う映像が繰り返し流れて、追悼番組が組まれ、遺作になる今回の作品は紹介もされている。
しかし当然だが蟻の一穴、そううまくはいかなかった。

☆ミモザ
サイン会に来た彼は「変わらないな」といった。昔の恋人。彼も変わっていなかった。
22歳のバイト先の先輩との不倫関係は奥さんを訪ねたことで壊れた、今になってはそれがよかったと思っている。
彼にはおいしい料理屋に連れて行って貰って味を知った、料理ブログを書いて本になりベストセラーになった。
彼は仕事をやめて仏師になったという。離婚もしていた。今更、と優しい夫を想い浮かべる。
「金貸して?」サラッという。会ったのが間違いだった。奥さんに逃げられ今はゴミ集めの清掃業者。
男は「三十万」。一応と言われて借用書に署名すると男はそれを何気なくポケットに入れた。
また来た「二十万」「何なら十万でいいよ」
部屋に押し入り夫と鉢合わせ、男を一応隠したが最悪の展開になった。
ドアを閉めたらミモザのリースが揺れた。
 
 
 
 
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「ひと」小野寺史宜 祥伝社

2022-01-10 | 読書

 

2022年。ベストセラーで幕開け。20歳で両親を亡くした柏木聖輔、母が勧めてくれた東京の大学を中退して職探しを始める。彼はめげない、輝く向日性は周りを暖かく明るく照らす。
 
料理人の父は東京で修業して、母の郷里鳥取に戻って店を始めた。店はうまくいってなかった。運転する車が猫をよけて電柱にぶつかって父は亡くなってしまった。下りた保険金は店の借金で消えた。母は大学の食堂で働き始めていた。郷里からの突然の訃報に驚いて帰省したが母の死に目には間に合わなかった。鳥取大の木のベンチで項垂れて泣いた。
聖輔は母の勧めで東京の大学に進んでいた。軽音でベースを弾いていたがもう続けていけなくなった、退学と同時にやめた。

下宿に近い砂町銀座を歩いていた。空腹だった。惣菜店の匂いに誘われるがポケットには55円しかなかった。
一個だけ残っていたコロッケが見えた、50円、税込なら54円お釣りが1円か。買おうとして近づいたところ、後ろのおばあさんの勢いに負けで譲ってしまった。
20時間何も食べてなかった。それでも自転車にぶつかりそうだった女性に道を譲り、コロッケも譲り、空腹を抱えて店の前に立っていた。

目の端に入った「アルバイト募集」の貼り紙。彼は即決心した、惣菜店「おかずの田野倉」で働きたい。
店主は密かに見ていた、学校をやめた「いろいろの事情」も深堀しない人だった。「一応履歴書持っておいで、ホイおまけだ、揚げたてハムカツ」
好みだ、厚すぎず、薄すぎず、で熱すぎる、うますぎる。道の陰で頬ばった。久しぶりに人と喋った。これではいけない聖輔は前を見ることにした。

彼はいい。採用だ。
同僚の映樹は気がいいし要領もいい。店主の督次さんも奥さんの詩子さんともうまくやっていけそうだ。
彼は両親譲りの器用さでうまくジャガイモの皮をむく。手作りのお惣菜店。調理を任せられるにも順がある。
皮むきを任され、揚げ物を任され、店先の挨拶も板についてきた。近所の注文に出前もする。

と道を譲った女性がやってきたアレ?見たことがある。彼女は鳥取の同級生でびっくり。
彼女は高校の学園祭でベースを弾いた聖輔の応援団だった、あの時友人と模擬店を抜け出して、席から立ち上がり振り付きで拍手をしてくれた、あの人だ。名前は青葉さんだった。
看護師を目指して健康福祉学部だそうだ、お母さんは看護師。離婚し再婚しても何とか生活できた職業だから、それを目指している、求人も多いから。

彼女には慶応の彼氏がいた。東大早稲田慶応にはついスゴイと言ってしまう。
慶応の彼がきた。どうも目線が違う、しかし彼はそう育ってきたらしい。
彼女は郷里の知り合いだろう、と念を押された、そんな人柄は微妙。
そう郷里の知り合いだからか青葉さんは一人で来て、連絡先を聞かれた。それから気軽に東京を二人で歩く、小さい遊園地や銀座など。気取らず楽しく懐かしい。彼氏は育ちの差というかどことなく感覚がずれて、などと言いながら聖輔と一緒にいると気楽そうだ。

店の休みに両親が働いていた店を訪ねてみる。まだ当時の知り合いがいた、板前は恰好がいい向いているような気がする。別に店を構えた知り合いがお父さんはいい腕だったと言ってくれた。

昼間は空いている下宿で休ませてというバンド仲間が、熱が出たので督次さんに帰るように言われて帰ってみると彼女と寝ていたり。ゴメンもう二度と使わないって。でもバイト先に近いし時々休ませてといったり。
店の映樹さんは彼女の妹の方に気が移って遂に妊娠騒ぎで足が地に着かなかったリ、姉の方はそんなことは露知らず映樹の遅刻の言い訳をするほど気の優しいいいひとだったり。
妹の妊娠は間もなく解決したが、暫くして姉が妊娠、結婚することになった映樹さんはコロッと変わって真面目に喜んでいたり。

母が残してくれたわずかな金を目当てに叔父が、貸した金を返せと言って来て、督次さんは追い払ってけりをつけてくれた。シミジミ独りだと思う。
督次さん夫婦には子供がない、店を継いでほしいと話が出た時将来を決めた。店は映樹さん夫婦が継ぐのがいい。聖輔は調理師の学校に行き父と同じ道を歩こう。

青葉さんと一緒にいるときは楽しくて気が楽で、彼女は明るく優しい。いつまでも二人連れがいい。今度言ってみようか。


彼は賢く控えめで余計なことは話さない。見習いたいほど。
愛用のベースを巡る話も胸が熱くなる、暖かいいい話です。

 

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冷血(下) 高村薫 新潮文庫

2021-12-08 | 読書

 

逮捕、それは巨大な謎の始まりだった。「罪と罰」を根源から問う圧倒的長編(帯より)
 
下巻は逮捕した二人の供述を基にして、犯行を立証できる明確な理由付けを求めるのに、長い時間を費やしている。
「GT-Rを潰されたからスイッチが入ったのか?金が要ったのか」 
…べつに
「なぜATM強盗だったのか?」 
…ユンボを見たから
「車を潰された、危険を感じて逃げた、ユンボを見た、行く先はない予想外の展開だな」
… そんな大層な話ではないっす。訳の分からないことがあると頭が停止するだけで
「襲撃計画は勿論真面目に考えたのだろう、確信があったから仲間まで募集したんだろう?」
… 成功するとかしないとか考えたことはない。一人では無理だから仲間を募っただけで
「あの現場を見て戸田は笑ってしまったって。冗談だと思ったとさ」
… あの歯痛男が?俺もメチャクチャだけど、ついてくる男もメチャクチャだ、いちいち考えないっすよ。考えていたら何もできない。メチャクチャというのはそういう意味っす。

井上の暴行はストレートで中学生並みに雑念がなかった。また激しい気分の上下がありこれは遺伝性の精神障害だった。

戸田はそれを見抜いていたが、新鮮でうらやましいとも感じていたようだ。
町田でマジェスタからハイエースに乗り換えた。
…リベンジしようといったのは戸田っす。
バタフライナイフを忍ばせた戸田に恐怖も感じない井上の、現実から遊離した受け答えに困惑するのみだった。

合田は戸田が精神的にチンピラから殺人強盗犯に乖離した時期はわからない。その論証を極めたい普通人間には、到底理解できない領域で生きている二人に、話を聞いて理解できるものがあるか。考えると合田も困惑を深めた。

「理屈ではない」「分からない」「なんとなく、っす」「それだけっす」

井上に深い考えはなかった。戸田も同じように繰り返される質問には苛立っている。
過去は掘り起こすたびに少しずつ変貌する、実質や真実はどこでどうなっていくのか。変化のない日常でも同様ではないのか。
人間の真実や過去の事実を鮮明に掘り起こすことができるのか。
そういった生き様の奥を、罪というものを通して形に残そうとする、犯人性の認定は困難を極め、警察や検察は浮き上がったような認識しか持たない犯人を前に、死刑にあたる罪を形にしたい。

戸田は考えることをやめた人間だった、二人がなんとなく分かれずに行動を共にしたことも不可解だったが。あるいは心の底の底にかすかに寄り添って居たい物でもあったのだろうか。
戸田の「顎の骨に達して暴れる病」の治療が先行した。癌化も見られ顎半分を削ってしまった顔はもう元の形を留めていなかった。
過去の暮らしや犯罪の痕跡の事実確認よりも、身近な歯痛との戦いに疲弊し、彼は死亡により残忍な殺人を行った罪深い人生から消えていった。

深く考えれば、井上のように生きることはわからないというのが正しいかもしれない。しかし分からないまま人を無惨に殺し、まして穏やかな家庭を壊し、子供たちの命まで奪った。
法律は見えなくても、人間として成長すること、集団の中で生きるのは最低のルールがある。まして遠い過去の命の誕生には手が届かない。科学が進んだSFでもないと未来永劫単独で命を作り出すことはできない。殺すことはできても。
ふたりは最低自分の命だけを守り心の赴くままに生きてきた。教えられることもなく考える必要もなく生きてきた。

宿業の中で苦しみつつ死んだ戸田、常に居場所がなかった井上。彼らの犯した罪はやはり命で贖うことしかなかったのか。
今、人為的に贖わせる以外に方法は見いだせていない。罪と罰に対して人はそれぞれの意見を持つ。

人は人をどこまで裁くことができるのか、命を作り出す崇高な作業を神業というなら生まれた命を人の手で殺していいのか。
生きる辛さ暗さを手探りしながら犯罪の根源を探ろうとする高村さんの作品は人間の犯した罪の重さを、内向きに考えることをしない犯人の許されない罪を裁く困難な部分に踏み込んだ重厚な作品だった。
カポーティの「冷血」は長く残っているノンフィクションだ。だが高村さんが作り出したこの世界もやはり傑作だろう。


黄金を抱いて翔べ
リヴィエラを撃て
地を這う虫
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「冷血(上)」 高村薫 新潮文庫

2021-12-07 | 読書

在り来たりの言い方になるが、ふと袖振り合っただけの二人は犯した殺人の罪の意識も浅く、最後まで心が解け合うこともない。底の底にある孤独だけが二人を引き寄せ、支え合ったような……。

 

本棚を見ると高村さんの本が並んでいて、今年こそ読書の秋に何とか読もう思いつつもう12月。
密度の高い文章から始まり、暫くすると危険な物語の展開がスピード感を増す。そしていつの間にか渦中に引き込まれ、引き摺りそうな緊張感がまとわりつきながら終わりまで続く。

「冷血」の横にトルーマン・カポーティまで寄り添っていたが、まず上下二冊になったフィクションの「冷血」から。合田雄一郎シリーズの5作目にあたるがストーリーに惹かれて順不同で。

刑務所を出てから新聞配達をしている戸田吉生はふと携帯の求人サイトを見て、イノウエからの書き込みを見つけた。≪スタッフ募集。一気ニ稼ゲマス。素人歓迎≫ 試しにメールを返してみた。仕事先ハ、現金輸送車トカデスカ? 返事はすぐに ATMのホウデ、ドウデスカ?ときた。

ふたりのそもそもの始まりはこれで、このメールが戸田のなんとなく現実からの脱出という夢想に引っかかった。想う、これもご愛嬌だと。
そして待ち合わせの池袋の五差路の端に立っている。腐った親知らずがじくじく痛む。歩くと熱の振り子が揺れる。
イノウエのオレンジのニット帽が近づいてきた。トダさん?イノウエです。
ただ出会って名乗り合い、事故ってバタバタして。待ちました?
なんにもない無頓着さで二人はロッテリアで朝食を済ませ、お互いに刑務所経験者だと知る。ATM破壊用のユンボを井上が動かし、逃走用に盗んだトラックを戸田が乗り付けた。しかしATM襲撃は手ごわく失敗。

正直なところ、身体に溜まったエネルギーが解放された感じもなく,振り上げた拳を下ろす先がないような心地のまま、もう一軒やる?隣に声をかけるとトダは薄笑いを浮かべて言いやがったものだ。べつに俺はいいっすけど。さいていっすよね、っと。
ハライセに16号線沿いのコンビニを襲い、井上はチクショウ、チクショウと言い続けていた。

井上克美はまっさらな朝に目が醒めたと思ったら外に止めてあった愛車のGT-Rがぼこぼこに壊されていた。思い当たらないこともない暮らし方。知り合いの解体屋に引き渡し姉のマンションまで送らせて刑務所に入っている義兄のマジェスタに乗り込んだ。そして池袋、だった。
戸田は車を乗り換えましょう。と言い井上も同意、電車に乗って移動。温泉施設の駐車場で白いシルビアを盗んで乗り換えた。

下見した歯科医宅は4人の表札で、なんか面倒くせえなと井上がつぶやく。地味な家だが暮らしは庶民以上だろう。成り行き任せでと、二人は一応納得。
井上が行ったことがあるという道順で歯科医院に向かって戸田はブラブラと歩いて行った。女名前の院長で年末年始の休日の案内が出ていた12月20日~23日。12月28日~29日。1月1日~5日
明日から4日間休み。これはやるには地味すぎると戸田は思いながら通り過ぎた。先にある自宅はまずまずだったが、なぜか運命かなという不穏な思いが湧いた。
戸田は、いいっすか、一軒家はコンビニとは違う。やるんなら、留守を狙う。殺しはやらない、いいっすね?
小鼻を膨らませて、偉そうに、殺シハヤラナイ、だって。無性に可笑しく克美は噴き出した。府中に6年か、半端なせいぜい強盗未満だろう。結構毛だれらけ、猫灰だらけ。
井上は上品な家を見てみるのも悪くないな、いいっすよ OKすよと戸田に言った。
どうも一家は年末ディズニーシーに行くらしい。それで決まり。

戸田の鎮痛剤の量が増え飲んだ後は意識が薄らぐ、井上を待ちながら細菌が顎骨に侵入したらしい残るは激痛か。
もういまではやりたいことがわからない。笑いたいほど何もない。

12月24日 高梨家の向いの主婦がいぶかった、誰も出てこない。子供もいないのか。携帯に返事もない。何かあったのだ。何かあったのだ。何かあったのだ。
警察電話の激しい応酬。
勝手口がこじ開けられ。男女の変死体。異臭がある。
二階から子供の遺体が二体。

合田雄一郎は医療過誤の調べをしていた。電話から歯科医の事件が流れ雄一郎も検分に立ち会うことになった。
一階で男女が倒れ二階では子供二人が熟睡中に布団の上から殴打され死亡していた。
二階の寝室からキャッシュカードが無くなっていた、脅して暗証番号を聞きだしたのか。
それにしても過剰な荒らし方だ。

捜査線上に白のフルエアロの改造した白のシルビアが浮かぶ、目立つ車だ。大雑把な二人組。
足跡をたどると16号線に沿って白いシルビアでコンビの強盗、ATM狙い。

GT-Rか襲われて破壊された後にシーマで解体屋へ、その線だ。その後マジェスタからシルビアと、車から追跡が始まる。
シーマに乗る解体屋から、GTーRの持ち主が井上克美、という名前がわかる。

井上の犯歴と顔写真があかされる。高階歯科医院で女が治療を受け井上が支払いをした記録が見つかる。しかし相棒は。シルビアから戸田の指紋も出る。戸田は二級整備士で、解体屋は連れの男が手際よくナンバープレートを付け替えていたという。
本ボシか。

捜査の輪が絞られ翌3月3日、神戸長田で戸田逮捕。奥歯の激痛に耐えかねて歯科医に走り込んでいた。
また井上も我孫子で逮捕。空に魂が泳ぐような空っぽの表情でスロットマシンの前にいた。

二人の子供っぽい供述から井上は崩壊家族の産物、戸田は教育者の親の期待に沿えない受験戦争の敗者だった。

殺された歯科医一家の穏やかな日常が娘の言葉で語られる。それに比べ非情なまでに自己に無頓着な二人の無慈悲さが高村さんの「冷血」になっている。
逮捕後二人を裁く人と、犯人の罪の意識とは、起訴固めと裁判のいきさつが下巻に続く。

ミステリの範疇を超えたこの物語は、血の通わないような残虐な罪とそれをを裁く側から、突然前途を絶たれ恐怖の瞬間を迎えた家族に対しこれから徐々に罪の深さが明かされていくようだ。
 
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「そばかすの少年」 ジーン・ポーター 鹿田昌美訳 光文社古典新訳文庫

2021-12-05 | 読書

「そばかす」という名前の天涯孤独な少年が、暖かい人々と厳しい自然の中で成長していく物語。
 
小学校の図書室で初めて読んだときは涙が止まらなかった。今でていく物語も感動するだろうか。

調べてみると最初は2015年に河出文庫から出ている。村岡花子さんの訳で竹宮恵子さんが解説を書いている。
今回図書館で借りたのは1964年(昭和39年。昭和39年は東京オリンピックの年だった)
の初版で、読んでみたがちょっと言葉遣いが違う、今年のオリンピックの騒ぎもまだ新しいがあの東京オリンピックからは57年の時が流れた。

なるほど村岡花子さんが初めて紹介した「赤毛のアン」の初版は1952年(昭和27年)はこういう言葉で訳されていたのかなと、ついでに調べてみた。
アンシリーズで書棚に並んでいるのは1979年版10冊(昭和54年版で45刷)セットで買うと12冊、12冊?みんな読んだつもりが10冊しかない。あと2冊は何?とまた虫が騒いで調べてみたら「アンの想い出の日々、上下巻」が増えていた。これは読んでないが戦死した魅力的なウォルターの想い出もあるなら読んでみなくては。

訳の言葉遣いに気を取られて一瞬「そばかす」を忘れていた。
尖がった本を読みかけていて、冷えてしまった思いをあたためようと新訳のKindleアプリを開いた。
図書館の村岡訳はそんな風で読みにくかった。それで光文社の新訳で読み返したが、やはり古典の名作も読みやすい新訳が楽だった。


乳児院に捨てられ、赤毛で顔中にそばかすがありおまけに右手首がない。子供時代どこにも貰い手がなく、ろくに学問も受けられなかった。浮浪者のようななりで、アメリカ南部、リンバロストの森にたどり着いた。木材会社の飯場は活気がありそこの支配人に近づいていった。
痩せてみぼらしい若者は一目で役に立たないと思えた。マックリーン支配人は一言で断ったが、なぜか話だけは聞くことにした。若者は正確できれいな言葉を話し声は澄んで礼儀正しかった。
ただ南に広がる深い森の見回りは到底無理だと思えた。
しかし若者は真剣に頼み込んだ。試しに使ってみよう。御者長夫婦と子供たちが森のそばに住んでいた。そこに下宿させて様子を見ることにした。

若者は「そばかす」という名前しかなかった、名無しでは困る。支配人は尊敬する父の名を与えた。

若者の仕事は一日二回南の作業場までの小道を回って張ってある鉄条網が無事か調べ、極上の材木が盗まれないよう目を光らせなくてはならない。
森は深く沼は淀んで蛇もいる聞きなれない鳥が甲高い声で啼く。始めは一歩ごとに恐怖で体がすくみ上がった。それにも慣れ。様々な鳥の声が聞き分けられ、その可愛らしい姿や巣作りを見、野生の花の可憐な美しさや四季折々に木々が葉を染めて散りまた新芽が芽吹く。冬は残り物を生物に与える、鳥は体のまわりで飛び、頭や肩に止まって餌をねだりノウサギやリスも集まるようになる。
そこで彼の心は豊かにのびのびと育っていった。御者長のダンカン夫妻や子供たちは優しくおおらかで暖かい家庭の仲間に加えられた。支配人のお気に入りになり、あまり使い道のない給料で買った本を読んで森の生物の名前を知り、小屋を花で飾りくつろぐようにもなった。

野鳥を撮って調べるバードレディーや、美しいエンゼルとも知り合った。
そして偶然行方のしれない子供を探している貴族がやってくる。

この読みどころは森は銘木を探している者や会社には宝の山だが、そこに入ってみると自然の息吹は豊かで厳しい中にも美しく、生物たちの世界は自然の流れのままに、鳥は去ってまた訪れ、花は咲き、常に豊かで変わらない。
優しさや厳しさを身をもって感じそれに育てられる「そばかす」の日常が感動的で、心身ともに逞しくまっすぐに育っていく様子が、忘れ物を見つけたような感動的な名作だった。
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風葬の城 内田康夫

2021-10-04 | 読書

 

 

本の整理をしていたら、内田さんの本が4冊あった。中から「風葬の城」が出てきた。戊辰戦争で戦った後の亡骸は負け戦の常で埋葬もされず
風葬という悲しいものだった。シンプルなミステリで会津愛が深い作品だった。
 
「平家伝説殺人事件」「天河伝説殺人事件」はドラマでも見たし本も読んでみた。
でもこれはまったく覚えがなかった。
裏の解説を読むと「白虎隊」とある。会津に行った後にでも買ったらしい。天河に行った後で「天河伝説殺人事件」を買ったし。

頭の中に本のことは影も形もなかったが、会津の旅のことよく覚えている。お城に行かなかったのが心残りで、飯森山に上るときは
スロープコンベアという動く歩道に乗った。
白虎隊の自刃の地はさすがに歩くのも恐れ多く、石碑が並び線香の煙が揺らいでいた。一度合掌してもう来ることはないように感じた。
歴史とは見方によれば残酷で、そんなものかもしれないが。白虎隊はまだ幼い未青年ばかりだった。
飯森山から遠くにお城の影が見えた。

興味があって見たかった「サザエ堂」はねじれた古い建物で、構造は珍しく登り下りの階段が別の作りになっている、壁に彫り込まれた何体もの観音像が煤けてくすんだ陰に座っていた。仏は白虎隊の後で訪ねたので背後に何かありそうな恐ろしさを感じて駆けおりてしまった。一番先に外に出た小心者だったが、多分青天の明るい陽の元だったらもっと違った印象だったと思う。

というので前置きが長いが、内田さんのミステリは旅や歴史を織り込んであって読みやすく興味はあった。


今回、光彦は仕事で会津に来た。ルポの取材で漆器の製作所を訪ねる。会津の漆器は美しい。塗りの工程などの説明を聞きながら見学していると、生地の下塗りのコーナーで塗師の職人がうつぶせに倒れすぐに息を引き取った。光彦はその様子から他殺かもしれないと感じた。

お約束のように、観光客が生意気に口を出すな、と地元の警察が邪魔にする。
解剖をして他殺の線が固まった、東京を発ったというひとり息子が待てどくらせど着かない。
息子が胃薬だとくれたカプセルを飲んで死んだらしい。助けも呼ばないで苦悶の表情を残して死んだ父は、息子をかばったのだろうか、と光彦は思う。
しかし、道楽息子は今では歯科技工士になって歯科医院で働いている。地元の高校時代恋仲だった人に訊いてみると、帰らない訳は分からないが、
もし何かあったら喫茶店のノートを見るようにと言っていたという(なんかすらすら進むではないか^^)
そして光彦はノートにあった近藤勇の墓地に行ってみる。勇は流山で土方と別れ捕縛されたということだが、縁のある会津でも墓を建てていた。
息子の死体は元恋人との想い出のあるデート場所のダム湖に浮いていた。無骨な担当刑事の可愛い娘が光彦と郷土の過去をつないで、
ここでも美人で気の利くお約束のマドンナが、何かと知恵を貸してくれる。
光彦の身分も終盤になって公開され、刑事局長の偉いお兄さんが顔を出して「光彦をよろしく」と言ったりして(今回はないが)
「お坊ちゃま」は照れる。
警察も一丸になって光彦に協力。勇の墓地から息子が隠した紙の束が出てくる。
歯科技工士が見下される恨みつらみを晴らそうとした、だが歯科医師のつながりは強い。
裏口入学、試験問題の漏洩を匂わし、二件の殺人事件は、シンプルなストーリ―になって解決する。

面倒な暗い小説を読みかけていたので、あまりの読みやすさに一気に頭がよくなったのかと勘違いをした。
そんなめでたいことは起きるはずがない。
ごく最近誕生日という一里塚を超えたばかりで。

内田さんは、残念だけれど2018年に亡くなった。ドラマはあまり見てないけれど、初めて「死者の木霊」を読んだときは
もうドラマが始まっていたが、あの面白いドラマの作者かと、興味深く読んだ。
たくさんある作品の中でも秀逸だと思った。ここでもダムだったかつり橋が出てきた。

すぐに読めて楽しい。いい読書だった。

講談社文庫で読んだが出ないので、書影は既出の祥伝社文庫にした。
 
 
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「月魚」 三浦しをん 角川文庫

2021-09-17 | 読書
三浦しをんさんのデビュー作、「格闘する君に〇」に続く二作目の「月魚」を読んだ。
この作品が若いからというわけでもないだろうし、決めつけるのも失礼だ。こみいったストーリーでもなく楽しんで読める。

感情描写も、風景描写の瑞々しさも新鮮でとても美しい、何度読み返してもいいような気がする。後味もいい。
これも持ち味の一つかもしれない。
一度読んで好きになっていたので。「2021カドフェス」で再読。


「無窮堂」の若い店主、本田真志喜24歳、祖父から受け継いだ店を守っているが、本来の本好きで不満もない。少し色素の薄い(白皙の)美青年。
祖父の本田翁は古書の業界で力があり尊敬もされている。
店を持たず、仕入れた古書をセリに出して利ザヤを稼ぐ「せどりや」でやくざまがいの父親を持つ瀬名垣太一25歳。上背もあり多少荒い気性もある偉丈夫。見立ても天才的な古書屋。
やくざだが父親は目端がきいて才能があるのを翁は見抜いて可愛がり、太一も子供の頃から真志喜の遊び相手で一緒に育つ。

だが瀬名垣は二人で遊んでいるとき「無窮堂」の捨てようとした本の中から、日本に一冊しか残っていないという稀覯本を見つける。
これで父は「せどり」から抜けられる。
だが父は恩ある「無窮堂」の物だと頑として受けとらなかった。その目を持ったことを喜べと言った。

振り向くと真志喜の父の姿がなかった。

その時から真志喜の父親を追い出したという瀬名垣の罪の意識が重く背中にとりついた。

真志喜は屈託がなく瀬名垣が来るのを待っていた。そして瀬名垣と真志喜は古書好きというほかは全く違っていたが、それがなぜか微妙な禁忌の雰囲気を纏って大人になった。

山奥の素封家の主人が無くなり残った書籍を処分したいという。瀬名垣は真志喜とともに出かけて行った。土蔵の二階は専門書の書棚があったが、先妻の子供は売らずに図書館に寄付するのを望んでいた。だが若い後妻は頑として譲らず、瀬名垣たちは整理にかかった。そこにもめ事の折衷案として町からもう一軒の古書店を呼んだ。それは行方不明だった真志喜の父親だった。やはり「黄塵庵」という古書店を開いていた。

しかし出会った二人はもうすっかり他人だとお互いに実感した。
長い道のりをポンコツのトラックはあえぎあえぎ帰ってきた。

買い付けの旅から1か月後
瀬名垣が来た。
店を持つという、「開店祝いにあのトラックをやる」「いらん」


稀覯本「獄記」を見つけ出した時から世間に出ることを拒んできた瀬名垣は、店をもって人と交わろうと思った。
あの夏の日から真志喜は瀬名垣の傍にずっといたのだから。


甘い甘い、が、めでたい快い締めだ。うっすらと官能的。古書の流通の様もうっすらと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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