裁判に入り、ムルソーに対する裁判長の言葉はあながち間違っているわけではない。冒頭の有名な「きょう、ママンが死んだ」にしても、母親がなくなっても悲しみもなく、年齢も知らず、柩を開けて顔を見るでもなく煙草を吸っていた。次の日友達の友達が持っている海岸の別荘に行き、真夏の海で泳ぎ、酒を飲み、女を抱き、砂浜でアラビア人ともめ、いったん引き挙げた後、戻ってまず一発、続いて四発の弾を撃って殺した。検事もそう述べた。
結果はそうであってもポケットに拳銃を入れたのは友人で、銃を持つことに他意はなかった。引き返したのではなくて海岸を歩いていて石の陰で寝ていたアラビア人を見つけた、近づくとナイフで襲って来た。暑かった、汗が瞼の上から流れてきた。アラビア人のナイフに太陽が反射して光った。 ムルソーはその時を回想しても、ただその時の暑さと、すべてがゆらゆらして沈黙が破れたことだけが思い返される。 拳銃の音は不幸の扉をたたいた四つの短い音にも似ていたとも。
その風景は裁判では伝わらなかった、弁護人は正しく弁護したにもかかわらず。彼の日常は平凡とは言えないと裁判所は判断した。彼に身近な人たちの証言も、彼の堅実な勤めぶりも聞き流された。パリ支店への昇格を断ったことの方が不審がられていたし、母親を養老院に入れて一度も会いに行ってなかったことも周りからあまりよく思われていなかった。
あとがきから のちの作品『裏と表』で「彼らは五人で暮らしていた。祖母と、下の息子と、上の娘、その娘の二人の子供である。息子は啞に近く、娘は病身で何も考えることができなかった。ふたりの子供のうち一人は、既に保険会社で働いており、二番目のは学業を続けていた。七十になってはいたが、祖母はまだこの一家を支配していた。」とカミュは自身の家族を書いている。
しかしカミュ一家は慎み深く暮らし、彼は窮乏の中にいてもアフリカの海と太陽の光を受けて自然の中で成長した。幼い頃から優秀だった。 恩師にも恵まれ教育を受けることができた。
「異邦人」の主人公ムルソーはなぜか律儀な暮らしの背後にどこか説明のつかない現実との距離感がある。カミュはこんな主人公をなぜ作りだしたのだろう。 裁判の最中でもあまりの審理の長さに退屈して、アイスクリーム売りのラッパの音から、外の世界を思ったり、早く房に帰りたいなどと考えている。
最後に書かれている司祭とムルソーの問答でも、理解されないもどかしさにムルソーが怒り、憤怒の言葉を吐き続ける。 そして死んでしまったけれど、かえって生き返ったようなママンの生涯を思う。
第二部の最終部分、彼は解き放たれた、多くの群衆の憎悪の中で生きて死ぬという、人の持つ宿命との連帯感が幸せだったのか。読み終えて何かもの悲しい不幸な作品だと感じた。