空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「大穴」 ディック・フランシス 菊池光訳 早川ミステリ文庫

2016-09-29 | 読書



読んだことはなかったが、二文字の競馬ミステリの背文字は本屋さんでもお馴染みだった。本好き仲間が言うことには「へぇぇ、あれを一度も読んでないの? 一冊も?」

作者は2010年に亡くなってしまったけど息子さんが書き継ぐそうで。
もうそんなになるのか訃報は新聞で読んだが。

まぁ元気を出して!!ミステリは競馬だけでないし、最近は自転車も、宇宙船も、あれもこれも何処もかしこも殺人や詐欺や、誘拐で大騒ぎなのに。と言いながらも、元気づけのために読んでみた。

う~~ん、これはやはり初期作品のハードボイルド。でも読んでいって、いつの間にかフランシスさんの手の内に取り込まれた。

歴史と階級の英国、競馬界も礼儀正しい。でも裏には裏があって、賭け屋が群がるギャンブルの世界も見える。

面白かった。主人公シッド・ハレーに初めてお目にかかった。この元騎手は競馬シリーズに珍しく2作品に登場する愛すべき人物らしい。
彼はチャンピオンジョッキーで名の知れた障碍競馬の騎手だったが、落馬して左手が不自由になった。妻とはうまく行かないが義父とはお互いに心を許す仲、どうも義父が裏で糸を引いたらしく、探偵社に入る。やる気もなかったが、漏れ聞くと気に入った競馬場がどうもおかしい。人気が衰えたところに不動産屋が目をつけたようだ。
馬には走りやすい絶好のターフを持つ競馬場だ。彼はやる気が出た。
闇からピストル、裏にはきな臭い陰謀。怒りと競馬愛は彼を生き返らせた。

読後そんな煽り文句が出るくらい、当時の読者は沸いたのだろう。作者フランシスの略歴では華やかな騎手生活を送り、内情に最も詳しい、背景もいい。
競馬も馬も遠くからしか見たことのない世界だったが、騎手や厩舎の調教師、上流社会に住む馬主たちの息遣いが伝わってきた。
時代の波は少しずつこの偉大な、当時で言う「競馬スリラー」にも寄せてきているようにも思える。それでもただ一人主人公として二作目に登場するのシッド・ハラーに敬意を評して、「利腕」も読んでみよう。





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「ティンブクトゥ」 ポ-ル・オースター 柴田元幸訳 新潮社

2016-09-17 | 読書


ミスター・ボーンズは知っていた。ウィリーはもはや、先行き長くない。

書き出しからウィリーは病んでいる。精神と肉体が究極まで侵され生きていく見込みがない。犬のミスター・ボーンズはウィリーがそうして次第に消滅していくことをどうすることも出来ず、恐怖と絶望の中でじりじりしている。

犬と人の愛情交換物語のようだが、そこには、人間の言葉が理解できるようになった犬と、放浪の果てに死んでいく人間の、別れを前にして深い哀惜と、どうしようもない孤独感が書かれている。ウィリーの病的な饒舌と長広舌を聞きながら、ミスター・ボーンズは深くウイリーを理解する。長い過去も未来が同じように短く感じられ、わずかしか残っていないことをお互いに知っている。

オースターの定番のような放浪する詩人の人生に今回は連れ添う犬がいる。

父は死に敵の様な関係の母親から逃れて、薬や酒のおぼれ自分を見失っていたとき、夜中にTVで見たサンタクロースから啓示を受け、クリスマスという名前を付け加えた善意の人に代わろうとする。しかし、時の流れは彼を蝕み、父親の遺産も、母の保険金も瞬く間に善行の陰に消える。

彼はボディーガードの必要を感じ仔犬のボーンズを相棒にする。

かって彼の書いたものを誉めてくれた先生のいるボルチモアに向かう旅に出る。極貧生活でも、ボーンズは頭を撫でてくれ温かい腕の中で丸まって眠る生活はこの上ない幸せだった。

ウイリーは絶え間なく話しボーンズはそれを聞きながら、歩き続ける。
ティンブクトゥ。 来世。それは人が死んだら行く場所だ。この世界の地図が終わるところでティンブクトゥの地図は始まる。砂と熱からなる巨大な王国永遠の無我広がる地を越えていかねばならないらしい。ウィリーの話をミスター・ボーンズは疑わなかった。

死ねば一瞬にしてあっちに行きついてしまうのさとウイリーはいった。宇宙と一体になって神の脳内におさまった反物質のかけらになるのさ。
ミスター・ボーンズは一言も疑わず、ウィリーの生きが絶えそうになった時夢で彼に付き添う、目覚めてまだ彼のからだが暖かいことを知っても、もう夢で見たことが現実であることを疑わない。
このあたり、ミスター・ボーンズの見た夢と現実がどう重なっているのか、犬と設定したことで、その境界が明瞭でないのも何か筋が通る気がする。

それよりも死を前にしてのウイリーの絶え間ない話がオースターの真骨頂といえる。比喩はもとより、同義語、同音異語、言い伝え、引用、様々な言葉の奔流がミスター・ボーンズの上に降ってくる。彼はじっとその狂想曲を聞いている。
それは読者にとっても興味深い話で、例え脈絡が乱れたり意味が飛んだり刎ねたりしながらであっても、その意味するところは、ウイリーが死ぬまでまで詩人であろうとした、作家になろうとして迷い込んだ言葉に茂みの中から、最後にふりしぼって語りかける一言一言の深さを感じる。
もしその語らない言葉の底や裏にある思いを感じることが出来る聞き手であれば、それは聞くことの極意でありミスター・ボーンズが、理解できても話すことが出来ない設定もうなずける、愛情に溢れた聞き手であってこそ、空虚な言葉を吐き散らす現代人とは違う重さを感じ取っているのではないかと思われる。


ウイリーと別れて旅する後の話は、ややありきたりの犬らしい体験で、ついに犬以外の何者でもない境遇から逃げ出しす。
求められていると感じるだけでは犬の幸福はなりたたない。自分は欠かせないと言う気持が必要なのだ。

ウイリーの元に向かって走るミスター・ボーンズの姿は鮮やかだ。

こうしてオースターを読むことがやめられない。










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「あの素晴らしき七年」 エトガル・ケレット 秋元孝文訳 新潮クレストブクス

2016-09-14 | 読書





2016年発行のリアルな生活エッセイというか、掌編小説というかごく短い話36編で構成されている。
子どもが生まれて7歳になるまで、一年ごとを区切りにして、作者ケレットの日常や出来事を、暖かいというかヤッタネ!というかユーモアと機知溢れる文章で綴っている。テーマは、息子が生まれて育っていく過程の微笑ましい出来事、それを解決する両親が愛情溢れる言葉で息子の持ってくる問題をしなやかに答えながら育てている、子どもが外の世界に触れて帰ってくると、両親は童話のような言葉の中に隠された教えや智恵で、温かく包んで微笑ましい。

作者は、問題のイスラエルの首都テルアビブに住んでいる。遠く近く戦闘の音が響く中での暮らしが、実感として感じられる。他国から見れば常に内乱の中にされされている暮らしだが、住民としては渦中にいる状況をユーモアを交えて語っている、そうであっても外から見るとなにか危険な臭いを感じてしまうが。
「戦時下のぼくら」にはそういったに日常に触れている。

7年間にわたる家族の話には両親と兄と姉の暮らしにも触れ、生き方を異にした2人も理解して受け入れている。仲がいい。姉は正統派ユダヤ教徒になって生まれ変わった「亡き姉」
ユダヤ人の両親がワルシャワゲットーで迫害され逃げ続けた話も書く。
小説を書いて世界で読まれるようになったが、原文はヘブライ語で書かれていてそれから訳されているそうだ。
そういった家族や両親、息子を交えた家族の話が殆ど、失敗談や、おかしなエピソードや外国の変わった風習に戸惑ったことや、ちょっとした心温まる生活など、とても危険な国の人には思えない。

父親は癌になるが前向きで勇気を与える。「父の足あと」

妻のシーラが言った。
「心配いらないわよ。私たち二人がなんとかやり過ごさなきゃいけないことが何であろうとも、それはきっと一瞬のことよ。どんなにいひどくったって、残りの人生のたった一日に過ぎないわ」

私は何度も緊急入院して、ベッドで思った、手術といっても長い人生のたった一時間か半日、そうすればまた生きていける。
それは、思いがけず堕ちた穴で希望を失わずにいられる呪文のような言葉でシーラの言葉ににうなずいた。


この夫妻は「ジェリーイッシュ」という映画を作った。みた記憶がある実にいい映画で、これがこの作者で登場人物だとは知らなかった、カンヌ国際映画祭で新人監督に与えられるカメラ・ドールを受賞している。










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「冬の犬」 アリステア・マクラウド 中野恵美子訳 新潮社

2016-09-13 | 読書


北アメリカの5大湖の東オンタリオ州から東に位置する半島の先、左には「アン」のプリンスエドワード島が見える。
そこにケープブレトン島ある。ガボット海峡を越えるとニューファンドランド島。
イギリスから渡ってきた最初の人々が住み着きそこで根を張って、子孫を増やしてきた。言葉はいまだに古い人たちはイギリス、スコットランド地方の、ローランドまたはハイランドなまりを聞くことが出来る。
その島で育った、アリステア・マクラウドの珠玉の短編集。

彼は31年間に16編の短編を書いた。この「冬の犬」は後半の8編を納めている。

何代にもわたる家系を引き継ぎながら、狭い島で農業と牧畜で暮らす人たち。四季を通じて周りの海は姿を変え色を変え、日に染まった夕暮れ、霧の深い朝。四季それぞれの移り変わりの中で暮らす子沢山の一家の一日であったり、兄弟の絆や、父親が息子に伝える、牧畜の智恵だったり。忘れていた遠い暮らしの懐かしい風景が繰り広げられる。
今は移住者も分化して血のつながりも曖昧になったがやはり名前を聞くと遠い遠い血のつながりがあるような人たちや、よそからきて住み着いた人たちとの交流、牛の種付け、馬の交配。生まれる子どもの世話。春から始まる牧草集め。暮らしは営々と続いている。

四季折々のささやかな心浮き立つ行事の様子など、すべてが命を繋いでいくという終わりのない生活の中で、悲しみや喜びを載せて鮮烈にまた刺激的な出来事もこめて、濃く暖かく暮らしを描きだす。
時には厳しい雪との戦い、馬で走ると巻き上がる光の粉の様な雪のかけら、馬の白い息。都気に襲う猛吹雪。冬の描写は美しく厳しい。
春一面の芽を吹く一面の緑。そのなかでで生きている人と家畜の愛情深い交わりが今では遠くなった暮らしをしみじみと見せてくれる。


「幻影」

船の舳先からカンナ島の湾曲した先が見える。小さな半島だったが当時は船で行くのが近かった。やっと許されて双子がそこに行き、不思議な盲目の老婆に会う。その先に2人の曽祖父と曾祖母が住んでいた、雨を避けて駆け込んだ盲目の老婆の荒れた家の中は、犬と猫がすみつき、寒い日は壁板をはずして燃やしているようだった。
ある日遠く黒いけむりがたち昇るのが見え老女の家が焼けたのを知った。盲目の父はその半島の昔のことを知っていた。
今では車で海伝いに池が近い距離だが、子ども時代には遠く離れた不思議な島だと思っていた。陸地では酪農、海では兄弟は父とともに海老もとっている。なんだか「フォレスガンプ/一期一会」を思い出した。、子犬を拾って育て、その犬の子どもたちに殺された話。それは今でも死を前にした人の前に灰色の大きな犬が幻のように現れるという、その言い伝えは心の奥深くひそかに受け継がれていた。父の臨終で犬の気配はないか、父は何かを怖がってはいないか。子どもたちは息をつめて見守っている。

冬の犬

12歳のとき子犬が箱に入れられてやってきた。犬は大きくなるにつれ足は毛で覆われ、コリー特有の金色の毛に変わった。しかし訓練しても役には立たなかった。犬はますます大きくなり、羊は追い払う役立たずの乱暴犬になった。
力があるのでそりをひかせて流氷を見に行った。アザラシが流れているのを見つけたが重くて海岸まで運ぶのに骨が折れた。氷の割れ目に半分浸かりながらもがいていると、流れていく流氷を飛び越えて犬は案内をするように走り陸にあがった。そしてなぜか安全な氷を渡ってまた戻ってきた。
風の強い日だったので私の声が聞こえたのか知る由もなかった。
うちのそっと帰り誰にも気づかれず服を着替えて居間に戻った。犬はそのまま寝そべっていて「どこへ行ってきの。こんなにびしょびしょで」わたしは犬の周りを何気なくモップで拭き取り。犬に助けられてことは誰にも言わなかった。それから二度目の春。こんもりした丘の上に座ったいた犬が撃たれた。弾は肩を射抜き犬は宙に跳び上がった。そして1キロも歩いて家に帰ろうとしたのだ。
犬は私たちと暮らしたのは短い年月で、犬はいわば自業自得で自分で運命を変えたのだが、それでもまだあの犬は生き続けている。私の記憶に中に、私の人生の中に生き続けている。

「完璧なる調和」

父、アーチボルトはみんなでゲール語の歌を歌ってほしいと言うリクエストが来た。ちょっとした紹介番組だったが、歌を途中で切られるのが気に食わなかった。でもアーチボルト一族の歌のうまい人たちが集まった。
最後まで読んで、長い長い涙まじりの溜息が出た。

たまにこうした「完璧な宝石のような文章」といわれている本を読むのも読書の楽しみかもしれない。何を読んでもすぐに忘れるのに、これは何かいつか見たことや感じたことが思い出されるようだった。長く記憶できそうな作品だった。










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「声」 アーナルデュル・インドリタソン  柳沢由美子訳 東京創元社

2016-09-12 | 読書


アーナルデュル・インドリタソンは「このミス」で見つけた。「湿地」「緑衣の女」に続いて三冊目になる。流行の北欧ミステリなのだが、同じ地域だと大雑把に捕らえても、その作風はそれぞれまったく違っていて面白い。
アーナルデュル・インドリタソンの作品の舞台からは当然北の風土感が伝わってくるが、読みどころは捜査官のエーレンデュルの心理描写や風景描写は、繊細で品がいい。

エーレンデュルが抱えている個人的な悩みも深い、エピソード風に挿入されている過去に起きた出来事、彼の未だに囚われている苦しみに事件解決よりも惹かれるときがある。

今回の事件は、クリスマス前の浮き立つ世間をよそに、有名ホテルのドアマンが、地下に与えられている小部屋で殺されていたことが発端になる。イベントに着るサンタの上着をはだけ、ナイフで滅多刺しにされ、下着は足元までずらした異様な姿だった。
被害者のグロドイグルは28歳から20年間、ドアマンをしながら雑用も引き受け無事に勤めてきた。
グロドイグルは子供時代は天才的なボーイソプラノ歌手で、地方で認められ始めていた。北欧巡業も決まっていた。が初めての大きな舞台で歌い出そうとしたとき突然変声期を向かえ、その後は消えてしまった。
その後彼にまるで関心のなくなって家族は断絶した。

しかし胸に何度も突き刺されたナイフの跡は何を意味するのか。調べを進めるうち、直前に接触した人物が分かる。
彼はイギリスから、殺されたグロドイグルが子供時代に吹き込んだレコードを買いにきたのだった。
残ったレコードは収集家が莫大な値段をつける超レアものだった。彼は手付金を受け取っているはず、が部屋にはなかった。
麻薬も関係がない、ホテルの陰の娼婦斡旋も利用したことがない。不審な人の出入りもない。

彼の過去は、子供スターとして短期間は世間に知れ、それが原因で学校では苛め抜かれ、常に公演の失敗を笑われ実に惨めに生きてきた。
スターにするという夢のために父との過酷な日常を耐えた日々、ついに父と争って動けなくした。姉は手の平を返すように冷淡になり、家を出た。

世間との接触をたって、ホテルの制服の中に逃げ込んでいた。彼がぬいぐるみを着るクリスマスのサンタは子供ちに人気だった。

エーレンデュルとチームが次第に彼の過去に迫るにつれ、形は違っても、自分が抱えている癒されない過去が思いだされ苦しみながら話が進んでいく。
一人の男の人生がこうして幕を閉じた後も、周りの人々の暮らしは続く。グロドイグルと関わった人たちの思いと、犯人の思いが、暗い地下の隅から、人々の前に姿を現す。
しかしグロドイグルには誰にもいえないひそかな悲しい秘密があった。
アイスランドの首都、レイキャヴィクのクリスマス前の数日が舞台である。


一一一
家。
家とはなんだろう?
人生がどうしようもない事態になり、崩壊と不幸の淵に沈んでしまう前に、家族と過ごした子ども時代に戻りたいと思うものだろうか?友達であり親友でもあった母親と父親、そして姉に囲まれて過ごした生家、そこで子ども時代に戻りたいという気持ちだろうか?生きていくのが苦しくてこれ以上耐えられないとき、失いたくない思い出、慰めとなった思い出を求めて、人の目につかないように生家に忍び込んでいたに違いない。
もしかすると彼が忍び込んだのは、宿命と闘うためだったのかもしれない一一一










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「ユダの山羊」 ロバート・B・パーカー 菊池光訳 早川書房

2016-09-09 | 読書



スペンサーが本棚にいたので読んでみた。調べてみたら1978年刊行の5作目だった。

ストーリーは単純で分かりやすいが、なんと言っても会話の応酬が気が効いているうえに、今回も相棒のホークが参戦する。
この頑固で、出来る黒人はこのシリーズのハードボイルド部分の必須アイテムで頼りになる。しばらく読んでいて見つからないと頁をめくってみたくなる。

スペンサーは相変わらず
一一一 インド人の女が(…)私には目もくれなかった。この頃、女がますます私に関心を抱かなくなったのに、気がついた。女性の好みが、二枚目タイプから離れつつあるのかもしれない。一一一 
と本気か冗談かぬけぬけと思っている。しかしフェミニストだ、憎めない。

老富豪からの依頼が来る。イギリスで家族と食事中に、テロリストが投げた爆弾で下半身が動かなくなり、娘と妻は即死だった。そのテロリスト9人を探し出して欲しいと依頼される。調べつくして似顔絵もある。殺しても生かしていても報酬は一人2500ドル。いい話だ。

そこでイギリスに飛び、広告でおびき寄せ3人は射殺。リーダーが2人を殺し、女を残して逃げた。その女を囮にして、ホークと尾行を始め。本拠地のあるコペンハーゲンで2人を、リーダーを追ってアムステルダムからオリンピック開催中のモントリオールに異動する。

因みにモントリオールオリンピックは1976年の夏、その後この作品が書かれたのか。すでに40年前になる。

そして観客席や、通路を駆け巡って、ついにリーダーと対面。ホークと2人で格闘の上、おとりにされた女がライフルで撃った。

富豪というのはいい、経費におまけつきでポケットからぽんぽん封筒が出てくる。鶴の一声でオリンピック全日入場券が届く。満員の飛行機の搭乗券もファーストクラスで手配してくれる。

スペンサーとホークは命がけの分、経費はふんだんにある。

ホークは一件落着後、一日150ドルの契約分しかどう勧めても受け取らない。これが彼のポリシーで解決後はさっさと別れれていく。ただ囮で同行したリーダーの女に好かれて腕にぶら下げているが気にしていない。
ホークは 彼女を刑務所か病院に入れるべきだと思っているが、スペンサーは言う「彼女は<ユダの山羊>だったが、俺の<ユダの山羊>だった。それを、屠所へ送る気にはなれない、彼女は、お前さんと暮らせるかも知れんな」
何処までもスペンサーはスペンサーなのだ。

「きみたちは、立派な男だ。いかなる場合でもわしの助力が必要な時は、必ず力になる」と老人は行った。
こういうことも書ける人なのだな、パーカーは。

なんとも言えず愉快な話だった。でもこれはどう見ても男性読者向きに書かれたに違いない。
恋人のスーザンといい、囮の女性がスタイル抜群で美しいところといい。





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「最後の物たちの国で」 ポール・オースター 柴田元幸訳 白水Uブックス

2016-09-07 | 読書



ニューヨークが舞台になっている三部作の後、1987年に、「ムーンパレス」の前に書かれた作品だが、少し趣が違っている。

アンナ・ブルームは行方が分からない兄を探して船に乗った、アンナ・ブルームという女性が、瓦礫ばかりの荒廃した土地に降り立ちそこで暮らし、それを知人に書き残したと言う形になっている。手がかりは兄を知っていると言う一枚の写真だけだった。

ここは、存在したものが絶え間なく消えて行くところ。「常に消滅していく、最後の物たちの街」だった。
そこに入ると、気候までが定まらない、まるで生きた記憶が朧になり霞んでついに消えて行くような、思い出す過去もなく思い描く未来も忘れ去って、数少ない生きる選択肢のなかから、何としても生命を繋いでいかなければならないところだった。

「アイアム・レジェント」という全てが崩壊した映画がある。それを見たとしても振り返れば何も変化していない日常がある。しかし、この非情な生き方を読んで、映画が作り物だと信じられるだけ、今を対比させて、なお。この小説を読むと、感じることがある。

アンナの現実は食料を奪い合い、食べられるものは全て食べつくす、極寒の日も酷暑の中も、生きぬかなければならない。「飛び人」(自殺者)「這う人」「走る人」人は群れ、死さえ生きる源になり、金を持っているものは安楽死も出来るコースがある。様々に壊れた世界では人は狂っていく。わずかに残った秩序をわずかな人たちが管理し、政治体制は都合に合わせてコロコロと変わり、人を苛んでいる。

アンナも、食べられるものは何でも食べ、拾った靴を履きぼろを身にまとう。老女と知り合って瓦解寸前にあるような建物に同居し、彼女の死を看取ったり、訪ね当てた写真の男と暮らしたり、妊娠中に襲われて高い窓から飛び降り一命を取り留めたり、様々な生活が、最後には高価な(ぜいたく品は高騰している)ノートにか書かれ、彼女の声が届いてくる。

行きぬくために汚物にまみれ地面を這うような生活の中から、一握りの最後の者たちを救うために、遺産を使い果たしつつ善行を施す人も、ついに資源が突き、破綻して消えて行く。

町の中の石だらけの錯綜した道を彷徨するうち、足の裏に当たる尖った石までも気にならなくなるほどの心の痛み。飢餓、欲望、繰り返される暑さ寒さの中の人の脆さが、絶望感が、これでもかと書かれている。
オースターの幻想的な、曖昧な世界にあった自己と他人の醸し出す曖昧な境界線。交じり合った独特の孤独な世界は。いつかこの土地に蔓延する孤独感、絶望感、危機感に、姿を変えて、実に鮮明に、感覚的に表されている。救いのないこんな世界を、体験しないまでもまだ近い過去に見たことがある。
こうした、ひとりの育ちのいい女が踏み込んだ現実が、寓話的な迫力を持って迫ってくる。彼女の運命とともに、印象的な終末の世界がいつまでも心に残る。








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「まるで天使のような」 マーガレットミラー 黒原敏行訳 創元推理文庫

2016-09-05 | 読書



マーガレット・ミラーは「ミランダ殺し」に続いて二冊目。
「半身」を探したが見つからなかったので、これを読んでみた。

予想に反して最初は随分淡々とした流れで、静かなミステリという印象だった。
暑い夏を避けて部屋に引きこもって読むのに何かぴったり来る感じがよかった。
最近読んだ特捜部Qも これも新興宗教団体の話で、北欧もアメリカも同じように人は宗教に救いを求めている。平和であってもなくても心の波立ちを鎮めるには祈りと実践なのだろうか。

主人公は元私立探偵のジョー・クインという。ギャンブルで文無しになってヒッチハイクをして拾われ、迷い込んだ山の中の塔があり、孤立している宗教団体があった、中には30人に満たない人々が自給自足の生活をしている。一夜の宿と食事を求める。そこで元看護師の「救済の祝福の修道女」から120ドルでオゴーマンという男について調べるように頼まれる。

なぜ隔離された生活の中で、120ドルを隠し持っていたのか、なぜ男の安否が気になるのか、クインはこの謎を解いてみたいと思う。

150キロほど下りた小さな町でオゴーマンという男の足取りを調べ始める。皆が知り合いという変化のない生活を続けてきた人々は噂話に事欠かない。だが深く入り込んでみると、車の事故の後で姿を消したオゴーマンをまだ探し続ける妻、週刊誌を出している情報源のジョン。不動産会社社長のジョージ、横領を続けていて今は服役中のその妹、いわくありげな美人の共同経営者、過保護な母親と息子、登場人物の数は少ないが、それぞれ何かいわくありげで、そんな噂の中でも、オゴーマンはどこにも居ない、消えてしまっている。

そして修道女に犯人から手紙が来てオゴーマンが5年前に死んでいることが分かる。

さらに修道女が毒殺され、新入りの信者が塔の最上階から飛び降り自殺、凄惨な出来事から捜索の方向が見え始める。

そして、ついに最後の三行で明かされる真実が驚きと悲哀を残し、これこそマーガレット・ミラーらしく全ての話が繋がる。

手がかりを追ううちに、人々の裏の顔も見え、ふと立ち寄った町ではあるが、深いつながりも生まれクインの人生も変わっていく。

気楽なギャンブラーだった男が人々のふれあいとともに心境が変化していく様子や、宗教団体が崩壊する有様など、人の生き方が運命的であればあるほど、それを変えさせる出来事が、偶然に、不意に訪れることを素直に時間を追っていく方法で書いている。ありきたりでない話であるがを興味深く読んだ。
読みやすい新訳に出会えたのはラッキーだった。






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「茜さす」 永井路子 新潮文庫

2016-09-03 | 読書
  



女子大で国文学を専攻しているなつみは、岡崎助教授に指導されるゼミで額田王の発表をする。
「あかねさす」は「むらさき」の枕詞か。むらさき草は白い花が咲く、違った解釈はないのかと質問され。あかねは言葉につまり、卒論は「枕詞」にする。

無事卒業したが二度入社試験で落ち、叔母の紹介で極小の下請けの書籍企画会社に入る。女ばかりの職場で揉まれ社会の厳しさを少し知る。

卒業前に友だちと明日香を旅して偶然発掘現場を見る。古代の遺跡をじかに見たことで衝撃を受ける、古代史でしか知らなかった明日香に生きた人々、中でも鸕野讃良皇女(後の持統天皇)に強く惹かれる。
職場が倒産し、再度明日香を訪ねる。発掘作業中の研究員にアルバイトを頼み込み、無理やりもぐりこんで働き始める。
このあたり、思いつめ実行に移す気力が、社会人で鍛えられ強さかもしれないし、なつみの熱中度の強さが運命を引き寄せる気がする。

持統天皇の系図を見、そして、天智、天武時代へと思いが深まる。流れとしてついに壬申の乱に行き着く。
研究員たちと吉野から美濃まで、大海人皇子軍の跡を歩き、書物の中の出来事を実体験する。その間に起きた争いや、王位継承をめぐる勢力の移り変わり、複雑な血縁関係で作られた皇室の歴史。そこで生き抜くための智恵。全てが遺跡の中から時を隔てて感じられる。彼女は祖父を殺され父母が死に、13歳で大海人皇子の后になる。姉の大田皇女も同じ大海人皇子の后になったが一足早く大津皇子を生む。8年後天智天皇が病み、可愛がっていた大友皇子が次の天皇になるという、早々に大海人皇子は紛争から逃げるように出家していたが、一族を連れ吉野宮に入り、壬申の内乱が起こることになった。鸕野讃良皇女も時に輿に乗り、急坂は歩いてともに吉野に入る。額田王と天智の子、十市皇女と大友皇子の間に子供がいた。大友が天皇になれば十市皇女が皇后、鸕野讃良皇女と女たちの戦いが、煌びやかな暮らしの底には渦巻いていた。
援軍も多く大海人皇子軍の勝利で天武天皇が誕生する。

研究員になり明日香の民宿におちついたなつみは、ふと知り合った泉という紳士に心を惹かれる。彼の誘いに乗りそうになるが、泉とは距離が離れているところに、粗野で見かけもよくない梶浦の思いがけず深い知識と無骨な優しさに親しみを感じたりもする。

こうして、古代、明日香の地に生きた人々の歴史と、なつみの若い女としての生き方、友人たちの選び取った人生にも触れながら。話が進んでいく。血のつながらない伯父と結婚した叔母のキャリアウーマンらしい都会的な生活も挟みながら、稲淵の古い民宿に移り8畳の部屋いっぱいに持統天皇ゆかりの地の地図を広げて、古代史の中に生きようとする、なつみの生き方に引き込まれた。
子らが書かれた頃を今読むと、情勢も言葉遣いも変化している。なつみを取り巻く男たちとの交わりも筋書きとしては少々型どおりだったが、これにかかずらっていると、肝心の飛鳥時代の出来事が上滑りになったかもしれない。まだ不明な点が多い古代史を、持統天皇のお足跡をたどるという形で描いた物語はおもしろかった。
手の届くところで育ち、中学時代に初めて読んだ「壬申の内乱」という岩波新書の地図を持って、何度も訪れてきた万葉ゆかりの土地や、陵の史跡、秋に稲淵の棚田を燃え立たせるヒガンバナ、石舞台など、なつみの自転車とともに走るのも楽しかった。その上、同じ熱中症にかかりやすい性格も大いに共感した。






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「介護退職」 楡周平 祥伝社文庫

2016-09-02 | 読書



身内のこともあって、介護について少し勉強したので、題名を見て作家が楡さんなので買ってきた。
正直がっかり。現実の介護問題とは程遠い。得るところもなかった。

収入が年間手取り1000万円で役員目前かというエリートサラリーマン、田舎で独り暮らしの母親が骨折、東北までの交通費もバカにならないと自宅に引き取って介護に当たった、しばらくして妻が入院する。
仕事はアメリカ企業との契約が成功寸前で、取締役へのステップに立っている。
3LDKのマンションの住宅ローンと車のローンがあり、高校受験前の息子がいて授業料の高い塾に通っている。
母を引き取ったがほかに介護を頼めるところがない。施設には空きがない。高額の有料老人ホームには手が出ない。
仕事にしわ寄せが来て閑職に左遷される。
そこで早期退職の優遇制度を利用して退職する。預金額は5000万。これを食いつぶしていくのかと暗澹たる気持ちになる主人公。

読んでいて、この主人公は何を悩むか、中流家庭でなぜに車はローン、将来の見通しが甘かったにせよ、すぐに負担になる様な住宅ローンの支払い。見直しはしないのか、経済的なこともあってヘルパーは最低限に利用することにする。など日常の生活に不信感を持つ。
弟のうちでも店の収入は下り坂で、成績がよく超難関大学を目指している、教育費がかさみ生活はカツカツ状態で当てにできない。

お仕事小説の側面で、エリートの仕事を語る、サラーマン小説の部分はこのテーマの中で意味を図りかねる。
最後にハントされた仕事では年収3000万円になりアメリカ勤務で、妹に給料を支払って手伝ってもらうことにして赴任する。
何が悩みだろう。

楡さんのお気楽な小説になんだかがっかりした。もちろん人生には挫折もある、でもそれが言いたかったのだろうか得意分野だし。最後まで読むと、これは苦難を乗り越えたサクセスストーリーだったのか?

一般的に介護者をかかえた家庭は殆ど二人家族で、自分よりほかに看る人がいないケースが多いそうだ。
当然勤める時間もないし職場はない。介護サービスを受けても費用が払えない。介護保険が適用されてもそれだけではまかなえないのが現状で、施設には空きがない。
そういった切羽詰った現状で悩み、助けを求めている人が多い。非課税世帯の優遇はあるにしても、施設の自己負担はなくならない。収入より支出が上回り、心身ともに消耗していく。ばら撒き行政という言葉の裏にこうして存在する非生産世帯はどうなるのか策はいつでも後回しになっている、増える高齢者を社会でどう受け入れるか、働ける人材が介護に回らないといけない現状は全く改善されず、老人保健法は高齢者を苦しめている。
高齢者が安心して余生を過ごせるためには、係員は公費の適応状態をしっかり掴み、公平で正確に実態を調べ。コンピュータに頼らず足で確かめ実情にあった処置を行い悪法なら改めなくてはいけない、そういったことから始めてはどうか。

介護を書くなら、しっかり現実を把握認識してほしかった。

個人差が人を傷つけ差別する法律を、考え直さなくてはならないことが必至であっても。





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