Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

知らなくていいこと、なんてない。 その四 ~2018総括(10)~

2018-12-05 00:10:00 | コラム
18年総括の「映画」篇、21傑の第4章。

きょうの発表は06位から01位まで。


1位に関しては本年の最初のころに観て、「これっきゃない!!」と早い段階で首位確定でした。

…………………………………………

第05位『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』

「おとなが泣くとき、わたしには分かる」

無職のヘイリーは6歳の娘・ムーニーと、ディズニーワールドが見える安モーテルに住む。
滞在費の工面に頭を悩ますヘイリーを尻目に、ムーニーは近所のガキンチョたちとイタズラを繰り返していた。
管理人のボビーは、子どもたちを温かく見守りつつ、貧しい母子の行く末を案じるのだった・・・。

全編iPhoneで撮影した快作『タンジェリン』で注目を浴びたショーン・ベイカーによる、ひたすら厳しいがとことん優しい視点をも持ち合わせた―だって映画は、彼ら彼女らの人生にジャッジをくださない!―母と娘の物語。

映画は観客が想像したとおり「児童家庭局」の出現によって大きな山場をむかえるが、不意を突かれる結末には自然と涙がこぼれた。

オスカーにノミネートされたウィレム・デフォー(管理人)が素晴らしいのはもちろん、
子どもたちのいきいきとした表情は演技しているように見えず、まるで是枝裕和の映画を観ているかのようだった。



…………………………………………

第04位『カメラを止めるな!』

自主映画制作チームが挑む「37分ワンカット」撮影のゾンビ映画、その制作秘話とは・・・。

巧みなのは脚本だけではなかった、SNSを駆使した売り出しかた―面白さを伝えたいが、「ネタバレになるので面白さを伝えられない」という多数のつぶやき―も見事で、超低予算の映画が地方のシネコンでも上映され満席になる事態に。
(しかも、自然発生的に拍手まで起こった!)

「映画慣れ」していないひとには、いや、映画通であったとしても、ヘタッピな演技と撮影技術で撮られたゾンビ映画を観るのはしんどい。
なんだこれは!? ちょっともう限界だ、、、と呆れる寸前のところで映画は動き出し「その裏の顔」が立ち現れる。

「年にいちど程度しか映画館に行かない」というひとが本作を選ぶというのはちょっと考えられない現象であり、今年の映画界における最大の「事件」といえるだろう。



…………………………………………

第03位『ビューティフル・デイ』

「娘のニーナを売春組織から救い出してくれ」

自殺願望を持つ元軍人のジョーは、行方不明者を必ず発見する捜索のプロフェッショナル。
州上院議員からの依頼を受け、ハンマーを片手に娼館に乗り込んだジョーだったが・・・。

誰がいったか、21世紀の『タクシードライバー』が誕生。

その惹句に偽りはなし、多くは語らぬ主人公と小さなヒロインの逃避行は、「唯一」語ることを許されたジョニー・グリーンウッドの音楽の力を借りて、観るものの五感を挑発しつづける。

絶望のなかにあって、それでもニーナは「きょうは、うつくしい日」と呆けたように呟く。
それを聞いたジョーは、トラビスよろしく覚醒するのだった。

まさに、映画でしか描けない清濁を併せ持つ世界観―リン・ラムジー監督、この映画を創ってくれてほんとうにありがとう。



…………………………………………

第02位『ニッポン国VS泉南石綿村』

吸引「してしまった」石綿(アスベスト)が恐ろしいのは、潜伏期間が異様に長く、症状が出るのは20年、長くて40年後だったりすること。
ゆえに、「静かな時限爆弾」と呼ばれるようになった。

国は何十年も前に健康被害を把握していたにも関わらず、一切の対策を講じてこなかった・・・。

「アクション・ドキュメンタリー作家」を自称する原一男の新作は、そんな石綿被害に苦しむ原告たちの8年に及ぶ裁判を記録した215分の「超」長編。

しかし。
変人ばかりを被写体にしてきた原監督であるからして、教科書に載せられるような社会派が出来上がるはずもない、

国を撃つには撃つが、原監督の興味はそれ以上に被写体の生態へと向けられていく。

ヒトはカメラを向けられると、どんな状況にあっても演技をするものだ―初期作品から永続される主題「ドキュメンタリーも劇映画の一ジャンルに過ぎない」が探究されているところに、やっぱりこのひとはタダモノではないなと戦慄した映画小僧なのだった。



…………………………………………

第01位『スリー・ビルボード』…トップ画像

「怒りは怒りを来たす」

ミズーリ州のとある町―。
娘がレイプされた挙句に殺されたミルドレッドは、地元警察による捜査が遅々として進まぬことに腹を立て、道路脇に立つ3枚の看板に抗議のメッセージを掲げた。
名指しをされたウィロビー署長は困惑、彼の部下ディクソンは激高し、彼女に様々な圧力をかけるが・・・。

西部劇調の音楽が復讐譚を想起させるがそうではなく、
かといって犯人探しをテーマとしたミステリーやサスペンスでもなかった。
表があれば当然裏がある、怒りを生むのも殺すのも我々次第なのだと、マーティン・マクドナー監督は説く。

ひっくり返っている虫を助けるミルドレッド。
彼女の前に突然姿を現すシカ。
ディクソンに窓から突き落とされた広告屋が、彼に差し出すオレンジジュースとストロー(の向き!)。
台詞の応酬はキツめだが、映像表現はとっても繊細。

冒頭に掲げたことばと同様に響くのは、最後の「道々考えればいい」のヒトコト。
そこに至る経緯は恐ろしいものだが、観客の誰もが思っている。
ふたりが、男を殺すことはないだろうと。
だからこそ、殺す殺さないの話なのに清々しささえ感じられるのだ。

完成度だけでなく志も高い脚本を前にして、ハンパな映画小僧が出来ることといえば、何度も劇場に行き、その度に打ちのめされることくらいだろう。
結局、9度も打ちのめされた自分なのだった。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『知らなくていいこと、なんてない。 その伍 ~2018総括(10)~』
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする