~淀川長治の巻~
第一夜:淀川長治のキャリアを我流紹介
第二夜:淀川長治への手紙
きょうは、その第二夜。
…………………………………………
拝啓、淀川せんせー。
自分は「ヨドチョー」とも「サヨナラおじさん」ともいわず、単に「淀川さん」、映画小僧を自称するようになって以降「淀川せんせー」というようになったので、この手紙でもそう呼ばせてください。
スコセッシ、黒澤につづいて3番目に尊敬していますが、じつをいうと最初からせんせーのことをすごい! と思っていたわけではありません。
せんせーを初めて認識したのは『日曜洋画劇場』(テレビ朝日)、
活字ではなく、映像と音声を駆使する映画評論において、せんせーの滑舌というか発声の悪さというのは「ガキにとって」致命的でした。
大きな声で、はきはきと喋る水野晴郎や荻昌弘のほうが「信用出来る」と思ってしまうのも、しょうがない―そう思いません?
ただ、日テレやTBSよりも「自分好み」の映画が放送されることが多く、それでほぼ毎週、せんせーの評論に耳を傾ける習慣がついたのです。
エラソーにいいますが。
せんせーの評価が一変したのは、自分が中学2年生のことでした。
成龍ジャッキーの映画が放映され、そのときにせんせーはジャッキーを「あきらかにチャップリンの動きを参考にしている」と評したのです。
社会の教科書で、大きな歯車と格闘している写真だけでしか知らぬ歴史上の人物。
タイミングというのは面白いもので、
その年、ぎゃーぎゃーうるさい自分に負けて、わが家は衛星放送に加入。
『衛星映画劇場』では毎日のようにチャップリンの名画が放映されていて、せんせーのいうとおりだ! と感動したものです。
チャップリン後期の傑作群に衝撃を受けた自分は社会問題に関心を持ち始め、学校の自由作文ではアパルトヘイトについて取り上げ(柄にもなく)学校代表に選出、
これまたタイミングよく、映画界では『プラトーン』(86)の影響により第二次ベトナム戦争映画ブームが到来、映画を武器に社会と戦っているひとが居ることを知りました。
視野を広げるきっかけを作ってくれたのが、せんせーだったのです。
(だから、せんせーと呼ぶのです。尤もせんせーは、『プラトーン』の時点でストーン監督を嫌っていましたが!笑)
ともかくそれからは、せんせーの評論・解説に触れたくて触れたくて、『日曜洋画劇場』の解説部分だけを録画するのはもちろん、著作も読み漁りました。
特定の映画監督や俳優を「堂々と」ヒイキしているところにも好感を持てました。
ヒトですものね、「誰にも等しく」というひとよりも信用が出来ますよ。
感心というものとは別次元で、最も楽しめたのはシュワ氏を解説するせんせーの語りでした。
『レッドブル』(88)だったと思います、
始まってすぐにハダカで登場するシュワ氏―まぁ『ターミネーター』(84)もそうですが―を、
「すごいですねぇ、すごいハダカ。ドキドキワクワクしますね、うれしくなってしまいます」
と評し、笑いがこみあげてきました。
水野晴郎の「いやぁ、映画ってほんとうによいものですね」も、木村奈保子の「あなたのハートには、なにが残りましたか」も悪くないと思います。
けれども元をただせばせんせーの「サヨナラサヨナラ、サヨナラ」につづこうとした「シメ」ですものね、
せんせーの「シメ」が特別なのは、たとえがちょいとばかり下品かもしれませんが・・・
『11PM』(日本テレビ)のエンディングのような、
※オープニングとエンディング
充分楽しませてくれたけれど、終わるの寂しいな、次回放送がいまから楽しみだな・・・という気持ちにさせてくれるところ。
あすから学校だからイヤなんじゃない、『サザエさん』シンドロームとはちがう、
7日間あなたの声を聞けなくなるから、「サヨナラサヨナラ、サヨナラ」はもう少しあとにして―そんな風に映画小僧に思わせた時点で、せんせーに勝てる映画評論家なんて居ません。
現代を生きる若い映画小僧に不幸があるとするならば、それはもちろん「せんせーの不在」です。
町山智浩も弁が立つ素晴らしい評論家ですが、せんせーのように「創り手でさえ」ドキッとするような発言をするプロは居ません。
現状に文句をいっているだけでもダメなんですよね、
だから自分も「観客に怒る」タイプの評論家を目指しているわけですが、結局なにをどうすればいいか分からなくなって、未だせんせーの評論動画に触れて敗北感を味わっているわけなのです。
敬具。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『年末年始特別企画(1) 映画のオールタイム15傑をヒトコトフタコトで語る』
第一夜:淀川長治のキャリアを我流紹介
第二夜:淀川長治への手紙
きょうは、その第二夜。
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拝啓、淀川せんせー。
自分は「ヨドチョー」とも「サヨナラおじさん」ともいわず、単に「淀川さん」、映画小僧を自称するようになって以降「淀川せんせー」というようになったので、この手紙でもそう呼ばせてください。
スコセッシ、黒澤につづいて3番目に尊敬していますが、じつをいうと最初からせんせーのことをすごい! と思っていたわけではありません。
せんせーを初めて認識したのは『日曜洋画劇場』(テレビ朝日)、
活字ではなく、映像と音声を駆使する映画評論において、せんせーの滑舌というか発声の悪さというのは「ガキにとって」致命的でした。
大きな声で、はきはきと喋る水野晴郎や荻昌弘のほうが「信用出来る」と思ってしまうのも、しょうがない―そう思いません?
ただ、日テレやTBSよりも「自分好み」の映画が放送されることが多く、それでほぼ毎週、せんせーの評論に耳を傾ける習慣がついたのです。
エラソーにいいますが。
せんせーの評価が一変したのは、自分が中学2年生のことでした。
成龍ジャッキーの映画が放映され、そのときにせんせーはジャッキーを「あきらかにチャップリンの動きを参考にしている」と評したのです。
社会の教科書で、大きな歯車と格闘している写真だけでしか知らぬ歴史上の人物。
タイミングというのは面白いもので、
その年、ぎゃーぎゃーうるさい自分に負けて、わが家は衛星放送に加入。
『衛星映画劇場』では毎日のようにチャップリンの名画が放映されていて、せんせーのいうとおりだ! と感動したものです。
チャップリン後期の傑作群に衝撃を受けた自分は社会問題に関心を持ち始め、学校の自由作文ではアパルトヘイトについて取り上げ(柄にもなく)学校代表に選出、
これまたタイミングよく、映画界では『プラトーン』(86)の影響により第二次ベトナム戦争映画ブームが到来、映画を武器に社会と戦っているひとが居ることを知りました。
視野を広げるきっかけを作ってくれたのが、せんせーだったのです。
(だから、せんせーと呼ぶのです。尤もせんせーは、『プラトーン』の時点でストーン監督を嫌っていましたが!笑)
ともかくそれからは、せんせーの評論・解説に触れたくて触れたくて、『日曜洋画劇場』の解説部分だけを録画するのはもちろん、著作も読み漁りました。
特定の映画監督や俳優を「堂々と」ヒイキしているところにも好感を持てました。
ヒトですものね、「誰にも等しく」というひとよりも信用が出来ますよ。
感心というものとは別次元で、最も楽しめたのはシュワ氏を解説するせんせーの語りでした。
『レッドブル』(88)だったと思います、
始まってすぐにハダカで登場するシュワ氏―まぁ『ターミネーター』(84)もそうですが―を、
「すごいですねぇ、すごいハダカ。ドキドキワクワクしますね、うれしくなってしまいます」
と評し、笑いがこみあげてきました。
水野晴郎の「いやぁ、映画ってほんとうによいものですね」も、木村奈保子の「あなたのハートには、なにが残りましたか」も悪くないと思います。
けれども元をただせばせんせーの「サヨナラサヨナラ、サヨナラ」につづこうとした「シメ」ですものね、
せんせーの「シメ」が特別なのは、たとえがちょいとばかり下品かもしれませんが・・・
『11PM』(日本テレビ)のエンディングのような、
※オープニングとエンディング
充分楽しませてくれたけれど、終わるの寂しいな、次回放送がいまから楽しみだな・・・という気持ちにさせてくれるところ。
あすから学校だからイヤなんじゃない、『サザエさん』シンドロームとはちがう、
7日間あなたの声を聞けなくなるから、「サヨナラサヨナラ、サヨナラ」はもう少しあとにして―そんな風に映画小僧に思わせた時点で、せんせーに勝てる映画評論家なんて居ません。
現代を生きる若い映画小僧に不幸があるとするならば、それはもちろん「せんせーの不在」です。
町山智浩も弁が立つ素晴らしい評論家ですが、せんせーのように「創り手でさえ」ドキッとするような発言をするプロは居ません。
現状に文句をいっているだけでもダメなんですよね、
だから自分も「観客に怒る」タイプの評論家を目指しているわけですが、結局なにをどうすればいいか分からなくなって、未だせんせーの評論動画に触れて敗北感を味わっているわけなのです。
敬具。
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明日のコラムは・・・
『年末年始特別企画(1) 映画のオールタイム15傑をヒトコトフタコトで語る』