1901年2月1日生まれ・1960年11月16日死去、享年59歳。
アメリカ出身。
20世紀ハリウッドを代表する伊達男。
日本人にとっては「やや濃ゆい」感じもするけれど、5回も結婚しているし、モテモテであったことはたしかでしょう。
面白いというか、
そりゃもちろん本人が意図したところではないでしょうが、映画史に残る名作に主演しつつも「けっこうな確率で駄作」にも出演していると。
それでも本国で愛されつづけたのは、第二次世界大戦時における活躍があったのだと思われます。
軍はスターであったゲーブルを「慰問部隊」の一員にしようとするも、本人が拒否し、実際に爆撃機に乗り出撃したのですから。
<経歴>
20代前半のころ―最初の妻となるジョセフィーン・ディロンから支援を受け、ハリウッドへ。
しばらくは端役がつづくも、並行して活動をつづけていた舞台での演技が評価され、30年にMGMと契約。
実質的な映画俳優デビュー作は、31年の『惨劇の砂漠』。
『太平洋爆撃隊』(31)や『紅塵』(32)を経た34年、『或る夜の出来事』で人気スターの仲間入りを果たす。
オスカー作品賞に輝くロマンチック・コメディで、自分も大好きです。
苦手ジャンルですが、とにかく脚本が完璧。
有名な「ジェリコの壁」、そしてヒッチハイクの場面(脚を見せるとすぐに車がつかまる)などは、現代でも通じるユーモアでしょうし。
『戦艦バウンティ号の叛乱』(35)、『サラトガ』(37)、
そして超大作『風と共に去りぬ』(39)でレッド・バトラーを好演。
有事前夜で、こんなに豪華な映画が創られるなんて!!
小津が絶句したのも頷けますよね。
そしてゲーブルは戦地へ。
終戦後、映画界に復帰。
しかしその復帰作『冒険』(45)が思うような成績を残せず、MGMが契約を更新せず。
・・・非情ですなぁ。。。
それでもネームバリューなどは衰えず、『ミズーリ横断』(51)などは日本ではそこそこ話題になったと専門学校の教師は話していましたね。
ジョン・フォードによる『モガンボ』(53)、
「潜水艦映画にハズレなし」を証明した『深く静かに潜航せよ』(58)などに出演し、
「消えそうで消えない」スターの意地のキャリアを築き、
そして傑作『荒馬と女』(61)をものにする。
しかしこの映画の完成後の60年11月16日、
心臓発作により死去、享年は59歳でした。
共演したモンローは2年後に、モンゴメリー・クリフトも6年後に死去。
みなさん若いのに、、、
しかしそんな若きエネルギーが映像に焼きついていて、胸に迫るものがある名作だと思います。
未見のひとは、ぜひ!!
次回の列伝は、クリス・エヴァンスさんから。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『とりあえず、ひとあんしん^^』
アメリカ出身。
20世紀ハリウッドを代表する伊達男。
日本人にとっては「やや濃ゆい」感じもするけれど、5回も結婚しているし、モテモテであったことはたしかでしょう。
面白いというか、
そりゃもちろん本人が意図したところではないでしょうが、映画史に残る名作に主演しつつも「けっこうな確率で駄作」にも出演していると。
それでも本国で愛されつづけたのは、第二次世界大戦時における活躍があったのだと思われます。
軍はスターであったゲーブルを「慰問部隊」の一員にしようとするも、本人が拒否し、実際に爆撃機に乗り出撃したのですから。
<経歴>
20代前半のころ―最初の妻となるジョセフィーン・ディロンから支援を受け、ハリウッドへ。
しばらくは端役がつづくも、並行して活動をつづけていた舞台での演技が評価され、30年にMGMと契約。
実質的な映画俳優デビュー作は、31年の『惨劇の砂漠』。
『太平洋爆撃隊』(31)や『紅塵』(32)を経た34年、『或る夜の出来事』で人気スターの仲間入りを果たす。
オスカー作品賞に輝くロマンチック・コメディで、自分も大好きです。
苦手ジャンルですが、とにかく脚本が完璧。
有名な「ジェリコの壁」、そしてヒッチハイクの場面(脚を見せるとすぐに車がつかまる)などは、現代でも通じるユーモアでしょうし。
『戦艦バウンティ号の叛乱』(35)、『サラトガ』(37)、
そして超大作『風と共に去りぬ』(39)でレッド・バトラーを好演。
有事前夜で、こんなに豪華な映画が創られるなんて!!
小津が絶句したのも頷けますよね。
そしてゲーブルは戦地へ。
終戦後、映画界に復帰。
しかしその復帰作『冒険』(45)が思うような成績を残せず、MGMが契約を更新せず。
・・・非情ですなぁ。。。
それでもネームバリューなどは衰えず、『ミズーリ横断』(51)などは日本ではそこそこ話題になったと専門学校の教師は話していましたね。
ジョン・フォードによる『モガンボ』(53)、
「潜水艦映画にハズレなし」を証明した『深く静かに潜航せよ』(58)などに出演し、
「消えそうで消えない」スターの意地のキャリアを築き、
そして傑作『荒馬と女』(61)をものにする。
しかしこの映画の完成後の60年11月16日、
心臓発作により死去、享年は59歳でした。
共演したモンローは2年後に、モンゴメリー・クリフトも6年後に死去。
みなさん若いのに、、、
しかしそんな若きエネルギーが映像に焼きついていて、胸に迫るものがある名作だと思います。
未見のひとは、ぜひ!!
次回の列伝は、クリス・エヴァンスさんから。
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明日のコラムは・・・
『とりあえず、ひとあんしん^^』