暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「如月の夢の茶事」へ招かれて・・・(2)

2025年02月28日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

  (ご近所のしだれ梅がほころび始めました・・・如月20日頃)

つづき)

SEさまの「如月の夢の茶事」の思い出に後礼の手紙をこちらへ書き留めます。

SEさまへ

2月20日の茶会へお招きいただき、ありがとうございました。

ご本人様が「永遠に先かと思っていました・・」茶会は、私も指折り数えて待っていた茶会でした。ついにSEさまの努力と決心が実って茶会を催すことができ、私自身も無事に参席できて嬉しゅうございました。

初めて伺う「粋黒(いっこく)」を探していると、角にご主人らしき男性が人を待っているご様子、「S様ですか?」とお声掛けすると、振り向いたその人はとても穏やかで優しそうな方で、後で水屋をご主人様がされているとわかり、素晴らしいご夫婦!と感激しました。

   (「うずら」の香合・・・息ピッタリのご夫妻みたい)

SEさまの師・O先生と初めてお会いしましたが、お互いに歩んできた茶の道の話に花が咲き、何時間でも話題が尽きることがないのでは・・・と思いました。この度、ご同席させていただきとても有難く、私はのんびりと食事や茶会を楽しませていただき、感謝しております。

O先生へどうぞよろしくお伝えください。

「粋黒」の食事、春の食材をふんだんに取り入れて、お味も量も程よく、ゆり根真蒸のお椀や炊き立てのご飯がびっくりするほど美味しかったです。

伊万里焼の染付の蓋物に入った主菓子は熱々の「蛤薯蕷」、かぶりつくと薯蕷皮や中の白餡がもうもう美味しく、流石虎屋製ですね。

  (「粋黒」2階の茶室に切られた炉と浜松地紋の釜)

SEさまの濃茶が始まると、ご亭主の緊張感がこちらにも伝わってきて、実はその緊張感が何よりのご馳走であり、一番のおもてなしと感動!しました。

前にもお話したと思いますが、このお茶で出会う緊張感のため、茶の道へのめりこんでいったことを思い出し、まるで我がことのように心地よく感じながら・・・。 

緊張しながらも心を込めて練ってくださった濃茶、朝日焼の茶碗で一口ずつゆっくり味わいながら頂戴しました。奥西緑芳園の「寿の昔」と伺い、まろやかな香りと微かな甘味が懐かしく美味しゅうございました。

この日のためにいろいろ考え、設えてくださったお道具も心に残っています・・・そしてSEさまの着物姿、ハレの着物と帯が上品かつ豪華で、とてもお似合いでございました。今でも走馬灯のようにその姿が思い出されます。

「夢」(前大徳 矢野一甫師?)の御軸、よく故人の追善に掛けられますが、O先生のお言葉のように”ドリーム”であっても良し・・・と思いました。

「夢」の御軸に託されたいろいろな思いが伝わってきました。”ドリーム”(これから出かける世界お茶の旅とこれからのSEさまの茶の道)であり、数年前に亡くなられたご両親の追善でもある茶会、きっとご両親も応援してくださったのではないかしら・・・。

渋く存在感のある釣瓶水指、「貴女にはこの水指は時期尚早と、なかなか売ってくれなかった」というエピソードが面白く、その骨董店のご主人に会ってみたいと思いました。骨董店のご主人がどうしても茶会でこれを使ってほしいと託された青磁鯉耳花入が素晴らしく、土佐ミズキと白椿(天の川)を惹きたてていました。

O先生から贈られた瀬戸茶入と弥左衛門間道の仕覆、杼が美しい白竹茶杓(銘が?)を嬉しく拝見させていただきました。

続いて薄茶になりウグイスと梅の干菓子を食べて、織部片口(初代六兵衛)で頂いた薄茶が美味しく喉を潤していきます。

網目模様の朱棗と、銘「道遠し」というご自作の茶杓が力強く個性的で、心に残りました・・・。

  (織部片口の茶碗に薄茶を点ててくださいました)

濃茶が終わってやっと緊張が解けたのではないでしょうか?

本当はご主人様にも薄茶席へ入っていただいて、ご一緒にひと時を過ごせたら・・・と思いましたが、ご挨拶だけで失礼しました。

世界お茶の旅への出発が延びたとのことで、4月末頃に我が家でささやかな「壮行の茶事」をいたしたく思っております。ぜひともご主人様といらしてくださいませ。

お仕事がお忙しい中、渾身のおもてなしをしていただき、本当にありがとうございました。

寒気が日本列島を覆っている昨今、くれぐれもお体に気を付けてお過ごしください。   かしこ

   令和7年如月吉日      暁庵より

 

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「如月の夢の茶事」へ招かれて・・・(1)

2025年02月26日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

   (待合に祀られた木彫の観音様・・・「如月の夢の茶事」にて)

 

令和7年2月20日に「如月の夢の茶事」へお招きいただきました。

昨年から「暁庵さまをお招きする茶会をしたいので2月20日は空けておいてくださいね」と言われていたお茶事でした・・・昨年、いいえ、4~5年前からいつかお呼びしたいと思ってくださっていたのです・・・。

ご亭主SEさまとは当ブログを通して知り合い、ベランダ茶会、薔薇の茶会、ブログ400万頁記念「桜の茶事」、コラボ茶会など何度も暁庵の茶会へお出ましくださり、長い時間をかけて親交を深めてきました。

1月になって次のようなご案内を頂き、ついに待ちに待った!その時が来たようです。

  (「天の川」という椿を知りました・・)

拝啓

日が暮れるのも少しずつ遅くなり、日中はコートの襟も緩むのも嬉しい頃となりました。

暁庵様に於かれましては益々ご清栄のこと、お喜び申し上げます。

お茶会のご案内です。

私、SEが日本に長期不在になる前にお世話になっております、暁庵様をお迎えしてお茶会を催すことと相成りました(出発日時が遅れ、今暫く東京におりますが・・・)。

暁庵さまと私の師の2名のみのささやかな会です。

知恵も道具も無い中ですが、今出来ますことを全て表現できればと思っております。

寒さ続く折ですが、ご来駕いただきたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

  令和7年1月吉日        SEより

 

20日が近づいてきて、ご亭主もそうでしょうけれど私もSEさまの初めて茶会なのでドキドキと胸が高鳴り、何を着ていこうかしら?・・・と迷います。

茶会は、東京・千駄木の「粋黒」(いっこく)というお店で行われるとのこと、江戸の粋を意識して着物は黒地に白鳥の付け下げ、帯は白地銀箔に御所車の行列の文様にしました。いずれも母の形見の古い着物ですが、着るたびに母が喜んでいるような気がして・・・。

ウン十年ぶりに訪れた懐かしい谷根千(やねせん)、少し迷いながら不忍通リを歩いていると、道角に何やら人を待っている様子の男性が・・・なんと!SEさまのご主人様でした。

 

   (無事に千駄木の「粋黒」へ辿り着きました)

(待合兼懐石を頂いたお部屋・・・懐石が美味しかったです!)

こうしてステキな茶会が始まりました・・・。つづく)

 

        如月の夢の茶事へ招かれて・・・(2)へつづく

 

 


令和6年 第百七回 光悦会・・・2

2024年12月06日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
 
 
3席目は濃茶席の徳友庵(京都世話人)へ。
・・・流石に疲れてきました。待っている間に頂いた主菓子がもう絶品でした。栗きんとんですが、きんとんが超柔らかく、中の餡のお味も素晴らしかったです。思わず「お菓子が美味しかったです!」と係りの方に言うと、裏で菓子職人さんが作っているとのこと。光悦会で頂いたお菓子はどの席も美味しかったのですが、こちらが一番でした。菓子名は「金風」、恵那すや製とありました。
 
寄付に上村松園の「紅葉狩り」図、鹿の赤楽香合は光悦造です。こちらにも炭道具と煙草盆が展示されていました。
疲れているせいか、本席床の石山切貫之集は重要美術品だそうですが、何を見ても頭や心に入ってきません・・・お腹もすいてきたのでササッと見ることにしました。 
 
茶入は名物 銘「増鏡」 玉柏手 雲州蔵帳とあり、十文字模様のような釉薬の景色が印象に残っています。
遠州が「拾遺集」の人麻呂の歌「ます鏡に取持て朝な朝な みれとも君にあく時そなき」から命名し、遠州箱があり、外箱は不昧公。
 
茶碗は釘彫伊羅保 銘「音羽山」 小堀宗慶箱があり、「秋風のよそにふきくるおとは山 なにの草木かのどけかるべき」より命名。
インドネシアの裂地という袱紗 花紋金更紗が華やかで美しく目を惹きました。茶杓は道安共筒です。
 
やっと一番奥の翹秀軒(ぎょうしゅうけん)へ入り、瓢亭の点心を美味しく頂き、少し落ち着いて疲れもとれたかしら?
 
 
こちらからは鷹峯三山や遠く京都の街並みが見えます。
 
 
最後の4席目は薄茶席の三巴亭(さんばてい)(東京席)へ。
混んでいたのと薄茶なので最後に回ることにしたのが大正解、東京世話人さんの意気込みが感じられる、もの凄い道具組のお席でした・・・。
 
三巴亭は八畳2つの茶室ですが、奥の八畳が寄付になっていて
床に圓鑑国師 一行「秋風吹渭水落葉満長安」が掛けられ、しみじみと拝見。
 
御菓子(「紅葉・銀杏形清香殿」藤丸謹製)と薄茶(「路の白」柳桜園詰)をいただきました。
 
廊下を通って本席の八畳間へ移動すると、付書院に床の間があり、なんと!大好きな「煙寺晩鐘」が掛けられていました。
中国南宋時代(13世紀)の禅僧、牧谿筆と伝える「煙寺晩鐘」、画中に吸い込まれていくと、幽かに晩鐘が聞こえてくる・・・そんな味わいのある名作です。
もう1つの荏原・畠山美術館の「煙寺晩鐘」は国宝ですが、こちらは重要美術品 伝牧谿筆 外箱相阿弥 松浦伯爵家・益田家伝来。
表装も書いておきます。 一風 角龍金襴  中 茶地小牡丹金襴  上下 大黒屋金襴
 
しばし「煙寺晩鐘」の醸し出す空気感に浸って・・・動きたくない・・・。
 
 
 
「煙寺晩鐘」の前に置かれていた花入には白玉椿(…だったと思う)が生けられていました。
花入は織部所持 古銅菱雲耳付 織部在判 
 
「煙寺晩鐘」図が2つあることにびっくりしましたが、「馬蝗絆」茶碗が2つあることを知りました。
茶碗が青磁輪花 銘「馬蝗絆」 足利将軍家・織田有楽・角倉家・平瀬家伝来でした。
青磁の青を表わす「雨過天青」を思い出しながら、青磁輪花「馬蝗絆」に遭遇し拝見できて好かった!(青磁好きなので)
替茶碗が 光悦所持 青井戸 銘「有明」 光悦箱書 というのも贅沢なお取合せでした。
 
どれも凄すぎるのですが、ガラスケース越しに拝見した香合が政子所持とのことで、興味深く拝見しました。
保元時代籬菊蒔絵 銘「九重」 平瀬露香箱書 平瀬家・赤星家伝来。源頼朝が後白河法皇から賜わり、その後政子が愛用したという。
御香も書いておきます・・・後水尾天皇・東福門院勅命 古伽羅 銘「常盤」 香包紅心宗慶書付
 
書院に置かれた硯箱も心に残っています。 重要美術品 鎌倉時代菊蒔絵硯箱 見返菊  観空庵伝来
 
他にもたくさんあるのですが、三巴亭(東京席)は薄茶席というより濃茶席の道具組で、ひしひしと東京世話人さんの思いが伝わってきました。キリがないのでこのへんで御終いにします。
 
 
 
 
光悦会へ来る前には、終わったら折角の京都だから茶道資料館か北山会館へ寄りましょう・・・と言ってましたが、飽和状態でもう茶道具は見たくありません。それで、ホテルへ直帰しました。
 
秋晴れのもと、充実した光悦会の一日でした。  
 
 
 

 

令和6年 第百七回 光悦会・・・1

2024年12月05日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

 

令和6年(2024年)11月13日に第百七回・光悦会へ参席しました。

前回は2014年11月13日、約10年を経て2回目の光悦会です。

その間にコロナもあり、京都はいつしか遠い存在になっていましたが、S先生のもとで共に茶の研鑽に励んでいる茶友O様が茶券の手配をしてくださり、Y様と3人で出かけました。

8時半にホテルから予約のタクシーに乗り、北区鷹峯の光悦寺へ向かいました。

9時頃に到着し、楓(いつもなら紅葉しているのですが・・・)と敷石が美しい参道を進み、中門をくぐります。

中門前に「南無妙法蓮華経」の石碑があり、日蓮宗のお寺とわかります。

受付して荷物を預け、本阿弥光悦像が祀られている本堂に上がり、三人でお参りしました。渡り廊下を渡り、庫裏の裏口から草鞋を履いて庭づたいに茶席を回ります。

光悦会の案内によると次の5席ですが、待っている人数の都合で①~⑤の順で回りました。

 ⑤  薄茶  三巴亭  東京席

 ①  薄茶  太虚庵  金沢席

 ③  濃茶  徳友庵  京都席

 ②  濃茶  騎牛庵  大阪席

 ④  点心  翹秀軒(ぎょうしゅうけん)

第百七回光悦会・会記をいただきましたが、見どころ満載で覚えきれず、印象に残ったことだけを書き留めておきます。

 

 

最初に太虚庵(金沢席)へ。寄付(了寂軒)の床に掛けられている俵屋宗達筆「西行物語絵巻断簡 大堰川図」、大堰川を見下ろしながら座禅を組んでいる西行法師が鮮やかな色彩で描かれ、烏丸光廣之詞書 小倉山のふもとにて詠まれた和歌が書かれています。香合は古染付「荘子」です。

干菓子(「錦秋路」吉はし製)と薄茶(「松の齢」林屋詰)をいただきました。

本席(太虚庵)の床には春屋宗園筆の「閑叓(=事)」、垂涎の青磁中蕪塁座の花入、水引、足摺野地菊、黄色の小菊が生けられていました。

こちらの席主は輪島在住の数寄者だそうで、ご主人の七回忌に当たり、しのぶ会として遺愛の茶道具で構成されていると説明がありました。芦屋秋草地紋の釜に忍草蒔絵の炉縁が目を惹き、忍草蒔絵がこのように華やかさと静けさをもたらすことを初めて知りました。

源氏蒔絵中次について、「いろいろな蒔絵が描かれていますが、最初何の意味か、分かりませんでした・・・源氏物語の巻にちなむ蒔絵だったのです」と世話人さんのお話を伺って大いに納得でした。伏籠に雀は若紫、桐は桐壺、紅葉は紅葉賀、箒は箒木・・・判じ物みたいな源氏蒔絵中次は松浦鎮信箱です。

茶杓は金森宗和 共筒、金森宗和の茶杓は初めて拝見・・・かもです。姫宗和にふさわしく華奢と思いきや、がっしりした印象で小堀宗慶による追銘「黎杖」(れいじょう、黒い杖の意味)があります。

嬉しいことに茶碗三碗が拝見に回され、「皆様に見て楽しんでいただいて某茶人も喜んでいると思います」と世話人さん。

主茶碗は光悦の黒茶碗、覚々斎が「のきマド(軒窓)」と銘をつけています。光悦作の茶碗を手に取ると、思ったよりしっかりした造りで釉薬の胴下の流れが力強い印象で、覚々斎・碌々斎・不識斎箱があります。替茶碗は小井戸 銘「菊水」、もう一つの替茶碗は仁清 色絵龍田川図です。

光悦会で手に取って名椀3つを拝見させてもらって幸せでした。中でも仁清・龍田川の色絵の寂びた風情が好ましく、寄付の西行物語・大堰川図と気持ちの中で呼応して心に残りました。

 

2席目は濃茶席の騎牛庵(大阪席)へ。

先ず寄付の本阿弥庵へ入ると、床に尾形光琳筆「寒山拾得ノ図」が掛けられ、志野一文字香合が置かれていました。こちらは炭道具と煙草盆が飾られていて、「好い炭道具を見る機会があったらよく見るように・・・」と言われたS先生の言葉を思い出しながら拝見。

七面鳥の羽箒(益田鈍翁箱)と紙縒組の釜敷が印象に残っています。紙縒を組んだという釜敷は紹鴎所持、立派な曳家があり、元伯書付、如心斎箱と、古の茶人が愛蔵していたもので垂涎でした。

待合の自得軒の腰掛でお菓子(「銀杏餅」半田 松華堂製)をいただいていると、向こうの縁台に腰かけているS様を発見! まさかここでお会いできるとは・・・びっくりしながらご挨拶を交わしました。お変わりないご様子がとても嬉しいです。

 

       (騎牛庵の躙口)

だいぶ待たされてから(騎牛庵は狭いため2つのグループに分けた)本席・騎牛庵の躙口から一番にて躙り入りました。すると、突上げ窓から陽光がスポットライトのように床の花と花入を照らしていて・・・光悦会で一番心を震わせた瞬間でした!

思わずそのことを申し上げたら、すぐに世話人さんが他のあかり(電気?)を消してくださったのです。小ぶりの花入は砧青磁、照葉と白の野路菊がことさら愛おしかったです・・・。

その明かりの中で拝見した兀庵普寧(ごったんふねい)の墨蹟、小さな横物でしたが長文を丁寧に読み上げ、解説してくださいました。もうすでに朧ですが、修道の心掛けを書いていたように思い、墨蹟の中の「心火」という文字が今だ心に留まっています。「心火」を大切に・・絶やさぬように・・・もう一度、どこかでお目にかかりたい墨蹟です。

突上げ窓からの明かりで茶碗(青井戸 銘「何陋」読み方は?「かろう」、意味は??)と帛紗を拝見し回しました。帛紗が珍しく素晴らしく、会記に「明錦」とありました。点前座の釜は天明 繰口霰、木地の炉縁が利休所持・久以作、その向こうに南蛮縄のれんの水指。

茶入は中興名物 古瀬戸肩衝 銘「可中」、「可中」は「わくらば」と読むそうです。小堀遠州箱、鴻池家伝来。
「わくらばに問う人あらば須磨の浦に 藻塩たれつつ侘ぶとこたへよ」(在原行平、古今)からの歌銘
・・・落葉が降り灑ぐ藁ぶき屋根の茶室・騎牛庵に全ての茶道具がピタリとあてはまり、最高の道具組のように思いました。
 
次々と名物の拝見や説明があり座に慣れてきた頃、騎牛庵の変わった造りが気になり始めました。下座床で三畳台目が基本のようですが、茶道口に1畳、躙口から入った右側に1畳あり(後から増築とのこと)、相伴席でしょうか?・・・不思議な茶室でした。忍者屋敷のように躙口右側の畳の処から退席したように思うのですが、人の流れに付いて行っただけなのでよくわかりません・・・。
 
 
 
 
 

「京のもみじの茶事」へ招かれて・・・(2)

2024年11月29日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

       

つづき)

銅鑼が打たれました・・・大・・・小・・中・中・・大

後座の席入りをすると、床には花が、上座に紐飾りをした茶壷が飾られていました。

あの短い中立の間に紐結びをなさったのかしら?・・・凄いです!

照葉(リョウブ)と白い花が伊賀焼の掛花入に生けられていて、後で椿が無くて困っていたら寒桜が咲いていたので・・と伺いました。

京都へ来る直前の「炉開きと口切の会」で白玉椿を探し歩いたことを思い出し、白い寒桜が一入可愛らしく見えました。

点前座には小ぶりの棚(旅卓)と水指、中棚に変わった薄器、そして棚前に茶入が置かれていました。

 

静寂の中で濃茶が始まりました。

久しぶりに拝見するOY様の濃茶点前、京都在住の時、OY様とS様と3人で励んだ自主稽古が懐かしく思い出されます。

仕覆が脱がされ荒々しい肌合いの大海茶入、次いで茶杓が清められていきます。広口から緑の濃茶が美しく回しだされ、茶香が茶室を満たしていきました。

井戸茶碗(今高麗)で3人分の濃茶が練られました。好く練られた濃茶はまろやかな甘みがあり、濃さも飲みやすく、喉を潤していきました。濃茶は「都の昔」、詰は蓬莱堂(中京区寺町通り)です。

茶入は信楽大海(上田直方造)、仕覆の裂地は花鳥梅花文錦です。個性的な茶杓は後ほど・・・。

 

後炭になりました。大好きな後炭をしてくださって有難いです。

再び皆で仲良く炉縁を囲んで、OY様の後炭手前を見つめます。胴炭はしっかり残っていたのでそのままとし、手際よく中央に炭を寄せ、匙香を焚き、湿し灰を撒きました。今年の湿し灰はまだ重いので昨年の湿し灰を使ったとのこと、そんなお話にウンウンと頷きます。

反時計回りに手際よく炭が置かれていきました。丸管・割管・枝炭1本も上手に置かれ、内心拍手です。

       (後炭をした後の炉中です)

      (薄茶の菓子は二皿も・・・)

薄茶になり、緊張が解けてきて楽しくお話をしながら干菓子と薄茶をいただきました。

菓子は二皿で、半生菓子(無花果の一夜干し)と干菓子(酒粕風味の寒氷と竜田川)、御自製の菓子は美味しく他では頂けない味わいです。

3つの茶碗を用意していただき、暁庵は唐津風茶碗(安田氏作)でアツアツの薄茶をたっぷり頂戴しました。薄茶は「初昔」(蓬莱堂詰)でした。

        (薄茶のしつらえ)

以前にも拝見したことのある小ぶりの水指が好ましく、Y様がお尋ねすると、京焼(京薩摩?)で青木木米の印があるとか。この水指に合わせて小ぶりの旅卓(表千家流)を選んだそうです。

旅卓の中棚に飾られていて気になっていた薄器を拝見しました。ユニークなお形と珍しい漆絵が魅力的な、不思議な薄器です。詳しいことはわからないそうですが、お気に入りで年中使っているとか。

 (柄杓と蓋置を飾りつけ、薄器と茶杓が拝見にだされました)

      (ユニークな薄器と茶杓「もみじ」)

濃茶でも使われた、はッと心を揺さぶる景色の茶杓は、銘「もみじ」(池田瓢阿作)でした。

口切に始まり、初炭、懐石、濃茶、後炭、薄茶と、茶事のフルコースを5時間でさらさらとお一人でこなし、笑顔でいろいろなことをお話してくださるご亭主様に、この10年間の集大成を見る思いで感じ入りました・・・

こうして素晴らしかった「京のもみじの茶事」が終わってしまいましたが、今でも処々に散りばめられた「もみじ」が脳裏を横切り、OY様のお心こもるおもてなしを思い出しています。

またいつか、きっと、元気でお会いしたいですね。本当にありがとうございました! 

  

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